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科学と疑似科学とを判別する

147diamonds8888x:2018/08/11(土) 18:16:21 ID:K6qbiXYU
>>145

> もともとdiamonds8888xさんと私では、共通土台での議論が成立しないほど、イデオロギーといいますか基本思想が懸絶しているはずです。

 全くおっしゃる通りです。あまりに違い過ぎるので、私もつい「これは当然だろう」という前提のもとに書いてしまうことがあり、互いに困惑することもあるようですね。[>>141]がそうでしたが、[>>143]後半で訂正しましたのでよろしく。

 要するに「世界5分前仮説」と言えども教えたければ教えるのは自由ということで了解しました。そこまで徹底した思想ならば、むしろ筋は通っていると思います。私の方に「まさかそんなことはあるまい」という思い込みがあったのが[>>141]での、ある意味で主旨を誤解させた質問の原因でしたね。

 余計なお世話かも知れませんが、いくつか注意すべき点があると思います。公立学校での教育を決める主体はコミュニティであり、何をどう教えるかはコミュニティの自由であり、「そこで教育された学生の人生に生じる結果まで含めて、コミュニティの自己責任」とのことで、その点は理解しました。ここで、
  ・コミュニティの意志とそこに属する個人の意志とが相反した場合はどうすればよいのでしょうか?
  ・具体的にはコミュニティとはどれくらいの人々の集団が適切なのでしょうか?
   (例えば国全体がひとつのコミュニティでも良い、というお考えではないと推察します  )
   (どんなコミュニティを作るのかは各個人の自己責任に基づく自由であるという方法はありますが)
   (このとき、どんなコミュニティを作るべきかを巡って個人間の対立は起きるでしょうね  )

 実際には上記の問題はKenさん流の「コミュニティ主体の自由論」とでも呼ぶべき社会ではなくても、現実のどんな社会でも問題になることだし、簡単な解決策などあるとは思いません。「コミュニティの大きさはどれくらいが適切か?」という問いは、現実の社会では例えば「国と地方自治体との権限の分配はどのような形が適切か?」「地方自治体はどれくらいの規模が適切か?」という問題と本質的には同じです。

 ですから解答を求めているのではなくて、Kenさん流の社会体制でも、こんな問題は消えませんよという指摘だけです。我々がここで目指している議論の主旨でもありませんしね。

 【情報提供です】笠井潔『国家民営化論』という本を御存知ですか? Kenさんなら御興味を持つかも知れないと思いまして。アマゾンでも見つかります。


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