したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |
レス数が900を超えています。1000を超えると投稿できなくなるよ。

科学と疑似科学とを判別する

123diamonds8888x:2018/07/22(日) 09:07:41 ID:c4FnTw2Q
>>116
 理論の検証がなされなければ、その理論は使えないが、事実の予測をすることは、たとえその予測が実際に検証困難であっても、いや検証不可能であったとしても意味がある、という話をします。

 その前に「事実」と「理論」の違いの復習です。

例1.
  事実A 今朝も、昨日の朝も・・・・n日前の朝も、太陽は東から昇った。
  理論  太陽は東から昇る。
  事実B 明日の朝も太陽は東から昇るだろう。
  事実C 明日になり、寝過ごして昇るところを見逃したが、今日も太陽は東から昇ったのだろう。

例2.
  事実A これまでに見たハクチョウabc・・・は皆白かった。
  理論  すべてのハクチョウは白い。
  事実B 新しくハクチョウxが見つかったが、そのハクチョウxは白いだろう。
  事実C 見つかったハクチョウxが白いか否か確認される前に焼け死んでしまった。
     このハクチョウxは生前は白かっただろう。

 どちらの例でも、理論は事実Aを説明できるように作られました。そして事実Bや事実Cを予測します。事実Bはまだ検証されておらず、これを確認できれば理論の検証となり、理論の確かさが高くなります。事実Cは予測はしたものの、もはや確認することはできません。では事実Cの確認という作業は意味がないのかと言えば、そんなことはありません。


 一般に事実Cのような過ぎ去ってしまった過去の事実は直接的確認ができないことが大半です。でもそれは意味のないことではありません。実際に我々は大変な努力を払ってでも過去の事実を知ろうとしています。歴史の研究しかり、犯罪捜査しかり、事故や災害時に何が起きたかの検証しかり、です。なぜかと言えば、それが現在や将来の我々の行動決定に役に立つからです。

 我々は過去から未来へと時間が連続的に流れると信じていますから、過去を知ることにより未来を知ることができると信じています。そしてその戦略により未来を予測できて生きてきたという記憶があります。記憶というものを持たないと思われる生物でさえも、結果的に未来を予測するような行動を持つものは生き残りやすくなります。

 最もわかりやすい例のひとつである「太陽は東から昇る」理論の場合なら、過去の何日かは東から昇ったかどうかは見逃した日もあるでしょう。しかし観測できた日にはすべて東から昇っていたので、見逃した日もそうだったはずだと推定するのです。そしてその過去の事実により、その日に起きた様々な別の事実の予測に役立つかも知れません。そうして推定された、さらにその日の事実は、別の日に起きたと推定した事実との組み合わせで、別の理論を作ったり、別の事実の推定に使ったりできるかも知れません。そして、現在の我々の行動に使いたい未来の事実の予測にも使えることでしょう。

 そして知的存在ともなれば、自分個人の記憶範囲を超えた過去の存在をも信じて、そこにも時間の連続的流れを想定します。ほぼ自動的思考で。

 「世界5分前仮説」では、このような因果律や予測性の存在があやふやなものになります。なにせ5分前にどんな状態で生まれるかには、どんな理由もないのですから。となると5分後の予測もあいまいだということにもなりかねません。これでは我々の行動を決めるのに何の役にも立ちません。

 まあ、私はこんな考え方で満足しています。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板