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科学と疑似科学とを判別する

150Ken:2018/08/14(火) 21:57:55 ID:lS06oQPw
>>146でコペルニクスは惑星軌道の単純さゆえに地動説を選んだと書きました。

天文学に限らず、単純さへの志向は科学史と通して現れ、その中で提唱された仮説には論理的な根拠のあるものも、論理より志向の方が勝っているのでは、と見えるものもあります。

18世紀から19世紀にかけて新しい元素が次々と発見されると、研究者たちに「居心地の悪さ」とでもいうべき感情が蓄積されていきました。

デモクリトスが考えた「アトム」とは、それ以上には分割できない最も根源的な粒子でした。そして近代科学が酸素や水素の原子を発見したとき「アトム」と名づけたのは、それぞれが根源的な粒子と思ったからです。

ところが紀元前の土、水、空気、火という4つのアトムならすっきりしていたのが、近代のアトムは天然の存在だけでも水素からウランまで92種類もある。(全部が19世紀に知られていたわけではないにせよ。)根源粒子がそんなに多くあるなんて、宇宙はそんなにも複雑なのか、いやそんなはずはない、という葛藤を生じたのです。

この問題は結局、原子がデモクリトスの「アトム」ではなく、原子自体が電子、陽子、中性子というより根源的な粒子から成ることが分かって、人々を安心させました。根源粒子が92ではなく3つしかなかったからです。電子や陽子のような、より深いレベルの根源粒子は「素粒子」と名づけられました。

ところが20世紀になると、全く同じ問題が繰り返されたのです。

当初、素粒子は電子、陽子、中性子の3つしかなかったのに、1936年のミュー粒子の発見を嚆矢に、ミュー、カオ、パイ、ラムダ、シグマ、カイ粒子と発見が続き、パイ粒子やシグマ粒子などは正、負、中性の3種があり、そのそれぞれに反粒子があることまで分かり、「根源粒子」の数は際限なく増えてゆきました。はじめは新粒子の発見に興奮していた研究者たちも、こうなると前世紀の先達と同じ問題に直面したのです。なぜこんなに複雑なのか、と。

1964年にマーレイ・ゲルマンがクォーク仮説を提唱したのはこの問題に答えるためでした。素粒子もまた根源粒子ではなく、クォークというより根源的な粒子から構成されるというのです。

ところが電子や陽子とは異なり、いくら実験と観測をやってもクォークの実体を見つけることはできません。それどころかクォークは絶対に観測不能という説もあるのです。そうなるとブラックホールの内部と同じです。

もちろん世界の研究者たちはやれる限りの検証はやってますし、その上でクォークの実在は広く認められているようです。それにしても、ゲルマンの提唱以来多くの研究者が熱心にクォークを追求してきたのは、宇宙の基本構造は単純なものであるはずという信念があったからではないでしょうか。論理的には、根源粒子が数百もあってはいけない理由はないのですから。

単純さを求め続ける姿勢は、一種の「信仰」ではないのか、と思えるときがあります。


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