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科学と疑似科学とを判別する
153
:
diamonds8888x
:2018/08/18(土) 12:44:16 ID:K6qbiXYU
科学という言葉が指す範囲は文脈により様々ですが、最も広義には世界を知ろうとする試みと言えるでしょう。特に、その方法として経験に基づいて未経験のことを推測するという手段を使うことが特徴と言えるでしょう。これは地球上でヒトだけが使える手段ではなく、他の生物にも行っているものがいます。余計な空想をしないだけ、ヒト以外の生物の方が素直に科学的方法を実施しているのかも知れません。[*1]
とはいえ他の生物とは異なり、ヒトは集団を作り個人の一生を越える期間の経験をも蓄積して系統的な知識に変えることができるようになりました。こうして、ひとつの集団内で世代を超えて継承される知識や知恵とも呼べるものが生まれました。ここまでなら知識は各集団内だけに留まるのですが、さらにホモ・サピエンスは集団間でも交流し時には協力もするという能力を身に付けました。すると大きく言えば人類共有の知識というものが誕生します。この個別集団を越えて共有される知識は、いわゆる文明が誕生した時には「学問」と呼ばれるものへと発展していました。
ここで私は、人間の活動に「学問」「技術」「芸術」という異なる活動があると定義します。「学問」というのは世界を知ろうとする活動であり、「技術」は世界に働きかけようとする活動です。「芸術」は、どう言い表せばよいのでしょうね。世界を表現しようとする活動? いや世界というと自分のことは除くという印象もありますから、自分や世界を、ともかく何かを表現しようとする活動?
言うまでもなく(という意味が簡単には想像できにくいかもしれないけど)、ここで「世界」というのはヒトが見聞きしうるあらゆるものを指します。極微の素粒子から宇宙の地平線での出来事、人の社会のありざまから心の働き方や仕組みまで、あらゆる事柄を指します。また人の心が生み出したもの、言語、法、規則、ゲーム、数学、論理、架空世界、等も忘れてはいけませんね。
「学問」というものが世界を知ろうとする活動である以上は、それは人が見聞きしうるもの、つまり経験に基づかざるを得ません。すなわち広義の科学的方法に基づかざるをえないのです。[*2]
(続く)
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[*1] 例えばロビン・ダンバー(Robin Dunbar)『科学がきらわれる理由』の3-5章あたりに例があります。今ではもっと多くの例が知られているでしょうが。
[*2] いわゆる文系学問において、経験には基づかないかのように思ってる風もあるが、真偽の決着を付けられるのは経験以外にはありえない。詳しくは長くなるだろうし、本論の筋ではないので述べない。それに、学問観の違いと見れば、単にそれだけのことですし。
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