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科学と疑似科学とを判別する

129diamonds8888x:2018/07/28(土) 18:06:54 ID:ThHJ2a2o
>>128
 具体的な話をするつもりが却ってわかりにくくなった気もしますので、やや抽象的になりますが、まとめてみます。

 事実の予測は、検証できないとしても予測してみるだけでも意義があります。だって知りたいのだから。

 一方で理論とは事実を予測するために使うものです。事実を正しく予測しようとすれば、使う理論が正しいことを確認する必要があります。つまり、検証されていない理論を事実の予測には使えません。

 つまり、予測した事実は検証されなくても単にそれだけのことですが、理論が検証されなかったら、その理論は使えないのです。いや使わないで鑑賞するだけなら検証の必要はないと思いますよ。私も検証されていなかったり、しっかり反証されていたりする理論でも、鑑賞するのは結構好きですよ(^_^)。平面の大地の世界を舞台にしたファンタジーとか。でもそれは科学ではありません。

 ですからKenさんが御存知のID論をちゃんと説明してくれたら鑑賞ができるのではと期待しているのですが。


 別の視点の話ですが、極論を言えば、事実の検証と呼ばれる作業も実は、予測したのとは異なる方法によって同じ事実が予測できたということに過ぎない、とも言えます。そして、個人の知覚だけでわかることに近い事柄ほど「事実の検証」と呼ばれやすいとは言えます。典型的には(注意深く)目で見て確認できる事柄は、大抵は単に「事実」と呼ばれ、目で見て確認することは単に「検証」と呼ばれます。

 これが「物質は原子という粒子の集まりであり、原子は原子核と電子とからできている」という事実になると、肉眼で見た人は誰もいませんし、これからもいないでしょう。現在では透過電顕で原子像も観察できますが、その像を「原子の姿が検証できた」と呼ぶためには、その透過電顕の像がミクロの姿をどれだけ表しているのかという「理論」が正しいとわかっていなくてはなりません。そのためには電子の運動を予測する理論が正しくなくてはなりません。そして「宙を飛ぶ電子が存在するという事実」も検証されていなくてはなりません。そして「宙を飛ぶ電子」と「原子核の周囲に存在する電子」とが実は同じものであるという「理論」が、様々な観察事実と理論とから推論されているわけです。

 かくのごとく、「原子や電子が存在するという事実」と一般に呼ばれている事柄は、実は「原子や電子が存在するという理論によれば、様々な観測事実や既知の理論が矛盾なく説明できる」という事に過ぎないとも言えるのです。しかし、この理論は十分に検証されており一度も反証されてはいないので、単に「原子や電子が存在するという事実」と呼んでも差し支えないとされているのです。その方が思考が節約できますしね。


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