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戦争を考える
1
:
管理者
:2005/11/14(月) 06:01:53
憲法改正について、戦争について、不戦について、戦争と不殺生戒について、などの議論が活発に展開される事を期待して、「世界の情報ボックス」スレツドでの議論から「戦争を考える」内容の議論を分離独立させたいと思います。よろしくお願いいたします。
30
:
匿名
:2005/11/18(金) 21:55:17
>建前のきれい事のみを記した軍備翼賛をするような在り方に疑問ありと記しているわけです。
もしそのような軍備翼賛ということがあるとすれば、アメリカの要請ということになるかと思います。
しかし、これを正面切って斥けて、つまり日米同盟に反対する立場をとるべきだということでしょうか。
>憲法改正、軍備拡大の意図に隠された悪意を暴き、叩き壊すことは、平和のために必須であると何度となく、繰り返し記しても、
その悪意とは、具体的にどのようなものだとお考えでしょうか。
>その論ずべき主点から、建前論に議論をずらす在り方にわたしは問題を感じると言うことです。
建前論ではなく、これはいわば戦略のひとつです。
正面きってアメリカと張り合うことは、それこそ犀角独歩さんがいう、「馬鹿な戦争」の二の舞、つまりアメリカとの再戦になりかねないと思うところです。
確認の意味で以下、整理して記しておきます。
日本はアメリカとの対戦に負けました。
そして、戦争放棄の憲法を押し付けたのは、勝戦国アメリカです。
その憲法を、9条を理由に最も反対したのは、他でもない共産党です。
共産党は革命のための暴力(戦争)を肯定する立場なわけですから、戦力を否定するわけにはいきません。
ところが、保守勢力の日米安保に反対する立場から、自衛隊と改憲を反対するようになるわけです。
よって、共産党の憲法に対する解釈の判断基準は、いまでも「反米」という立場が基準にあります。つまり国家的立場というよりは、イデオロギー的立場で「改憲」に反対です。
これは同じ憲法改正に反対とはいえ、宗教をアヘンと否定する共産主義思想の立場からいえば、仏教徒としては支持できるわけにはいきません。また、私の標榜する中庸精神にも反します。
社会党の存在も、反米という立場においては、共産党に追随する形ですから、いくら護憲を主張されても、国家戦略的に私は支持できないわけです。
よつて、私は、日米同盟の立場において、護憲です。
この点が、同じ護憲でも、犀角独歩さんと、違うところということでしょうか。
31
:
匿名
:2005/11/18(金) 22:08:00
>30
訂正
誤)社会党の存在も、
正)かつての社会党の存在も、
32
:
犀角独歩
:2005/11/19(土) 07:25:32
> 現行憲法を押し付けた当のアメリカが、自衛隊に対して何も反対していないのですから、合憲解釈は成り立ちます。
当初、完全に日本から武力放棄をさせたが、朝鮮問題以降、そうも言っていられないので、認めたのが自衛隊であったという経緯を、こんな形で言うと驚きです。また、自衛隊、あなたがいう軍隊も結局、アメリカのご都合であることがこの一事を見ても雄弁に語っているだけであるとわたしは考えます
> 通りすがり2さん
>平和を愛し、そして最も戦争を阻止したいのは、専守防衛の自衛隊です。
>> 私が知る限りの自衛隊というものも、このことは、全然間違いではない
これは議論の片方だけを切り出していますね。このやり取りで、わたしは、では、日本で先の敗戦で殺され、原爆に殺された人々、その本人の家族は平和を愛していないのかと問うているのです。ここから、一切の議論は始まっています。
再度、声を大にしてはっきり言いますが、自衛隊員がなどということではなく、実際に家族を殺され、家財産を失った人以上平和を愛する人々はいません。それを自衛隊だというところに一切の奢りがあり、故にこのような論法を傲慢だと言ったのです。
あなたは、このような議論の流れをまったくわかっていない。被害者の痛みから議論が出発できないところにあなたのいうことが机上の空論以上に聞こえない原因があるわけです。
故に、被害者の痛みもわからないものが述べる自衛隊翼賛論はわたしは唾棄します。ただし、それは先にも言ったとおり、自衛隊を否定すると言うことではない。信の被害者を意識できない愚かさには同意しないと言う意味です。
> 「不殺生戒」を犯しているわけではありません。
この点にだけは一言言っておきます。
殺生を前提にしない軍隊など有り得ません。攻め入ってきた敵は殺さなければならないからです。こういう論法を詭弁です。
また、仏教は自衛隊に不殺生戒を守らせるためにあるのでもありません。
> 憲法を改正させてはならない。私は仏教徒として、そういう考えでいます。
ですから、このような考えに、わたしは一度たりとも否定などしてはいないわけです。
> 予算的な問題はないはずです。
このような楽観論は、賛同しかねます。
たとえば、年金制度、国民皆保険制度、もっと言えば、国鉄、郵便局などをとっても、いまのように改悪されるとは成立当時は誰しも思ってはいませんでした。
あなたの年齢は知りませんが、わたしが子どものころ、有料道路はその減価償却が終わったら無料になると言われていたものでした。ところがどうです。実際は大きな利権を生み、特権階級を生み、さらに値上げの一途です。政治家の地元アピールのために無駄に敷かれた道も多くあります。
わたしは、このような過去現在の事例を見る限り、まして、過去の敗戦を帰した政府の生き残りがその影響力を振るう現行政治で、あなたのいうような楽観主義こそ、もっとも悪をのさばらせる原因になるとしか思えません。
33
:
犀角独歩
:2005/11/19(土) 07:26:13
―32からつづく―
> 国家の安全保障、つまりセキュリティ対策の一環
このような感覚だから、あなたとは議論が噛み合わないのです。
たとえば、最近、話題になった本では、いまや世界は戦争ビジネスが民間にまで及んでおり、傭兵派遣が10兆円産業に発展していると伝えます。
あなたのいう国家安全保障、セキュリティはどれ程の金のなる木であるのか、そこに群がる実態をはぎ取った際の実際必要額とのギャップが大きすぎる点を突いているのに、あなたの記すことは、政府のお手本答弁のように建前のきれい事に終始しています。まあ、お育ちが善いのか、人を疑うことを知らないのか、兵隊さん、代議士先生は尊敬しなさいと教えられた優等生なのか何か知りませんが、あなたのような美辞麗句の末に、先の敗戦に多くの殺された痛ましい経験が、敗戦志望者、被害者を軽く言い流し、平然と自衛隊翼賛を吐く論調と同じで、そんな教科書の模範解答のような、杓子定規のような答弁は説得性は、まったくありません。何故現実を見ようとしないのか不思議に思います。
> 「無礼」という言葉は、「立場が上の人」が「立場が下の人」に向けて発せられる語彙
無礼の意味は現代では、そんなことはありません。
無礼、非礼、失礼、欠礼、それぞれに意味があります。ただし、わたしが武家の血を引くのは事実ですが、いまの時代にそんなことは何の意味も持ち合わせません。
> 水戸藩
わたしはここの出身です。
> 十五代将軍徳川慶喜公は「大政奉還」をして開国する道
はめられたわけでしょう。大統領になるつもりでいたのでしょうから。
まあ、それはいまは置きましょう。
以下、近代史の見方は、まあ、教科書的ですが、これも置きましょう。
> 農地解放こそ日本の最終的な「身分解放」
この点には、もちろん、異論がありますが、当スレのテーマから離れますから、ここではこれも置きます。しかし、特権階級の資産、政財特権階級は温存されたという点が何も述べられないところに疑問が残ります。
> 軍備翼賛…正面切って斥けて、つまり日米同盟に反対する立場をとるべきだということでしょうか。
この択一論になるような論の運びの意味がわかりません。
国防というのは軍備だけではない、世界的な日本のスタンス、経済という舵、時には丸腰非武装という宣言でも、国家を守る方法論になることはあるでしょう。これを軍備のみに論を絞ることに問題があります。あなたは、自衛隊に不殺生戒を犯させてはならないと記していましたが、では、60年間、自衛隊が人殺しをしないで済んだ理由は仏教であったと考えているわけですか。違うでしょう。
> その悪意とは、具体的にどのようなものだとお考えでしょうか。
2に記したような点です。
国家安全保障という言葉の影に、特権階級と、大きな利権が隠匿されています。
ついでに言えば、わたしはかつて身分と領地を取り上げられた側の末裔から言えば、あなたの身分開放論は、論が尻切れトンボであると思うわけです。
自衛隊をあなたは公務員だと記しましたが、この公務員は新たな日本を支配する身分制度になっていませんか。また、政財癒着がもたらす特殊構造は新たな身分制度を生じさせていませんか。そこで、消費されるのは一般市民とその財産ではないですか。あなたのこのような点には目が向かないのですか。
34
:
犀角独歩
:2005/11/19(土) 07:27:27
―33からつづく―
> 共産党の憲法に対する解釈
この問題は仏教徒とは関係がありません。
ただ言えることは、利権に関わらないと言う点では、藤川さんの言葉を借りれば、「ユダヤ資本と軍産複合体」よりは仏教界に近い存在でしょう。
> 「反米」という立場
立場を仏教において立てる必要はないでしょう。
> 宗教をアヘンと否定する共産主義思想の立場からいえば、仏教徒としては支持できるわけにはいきません
これは空論ではないでしょうか。世界の共産主義は既に崩壊しました。
いまどこに共産主義があるのですか。日本の共産党など、共産でも何でもありません。社会党もしかりでしょう。いまや弱小の国民政党の一つです。ここでは民主主義と資本主義が生きています。
国民の投票権に関わることですから、政党など、どこを指示しようが自由です。
しかし、昔は「野党といえば革新、与党といえば保守」と相場が決まっていました。ところがいまや、与党が革新を訴える時代です。あなたがここに記されたような各党縮図は古いものとなっています。いまでは通用しません。
> 日米同盟の立場において、護憲です。
この同盟という言葉はくせ者なのであって、国家、平和という旗印を立てながら、実際には、そこで世界規模の利権によって、万民を隷属する仕組みがないのかという点は注視しなければならないのではないでしょうか。
わたしがあなたと違うのは、「敵味方な」しという点が目標だというだけです。
中村元師『聖徳太子−地球的視点から』(東京書籍)の言葉を借りれば、
「非常に古い時代から、すでに日本の国は世界の人間の動きのなかに巻き込まれていて、その動きのなかで成長し、発展したものなのである。日本人が日本という独自の国を意識し、国民生活を形成するということは、世界史的な動きにおいてのみ可能であったのである。しばしば考えられるように、孤立した民族としてそのようなことを実現したのではない」(P12)
「『招提』とはパーリ語などでチャートゥッディサ(catudisa)という語の音を写しただけであるが、チャートゥッディサとは(catu=4つの意)とディサー(方角)という二語から形成された語で、「四方の」「四方の人」「万人への(愛情)」という意味である。……「四方の人」をドイツの学者は「世界市民」(Welbuger)と訳している。まさにコスモポリタンなのである。四方の人、コスモポリタンとしての理想を、鑑真和上は身をもって実践した」(P16)
「われは万人の友である。万人の仲間である。一切の生きとし生けるものの同情者である。慈しみのこころを修して、常に無傷害を楽しむ。『テーラ・ガータ』 」(P6)
「現実には極東の狭い島国で暮らしていたけれども、かれらの主観的意識の面においては、コスモポリタンであろうと望んでいた」(P17)
あなたのは発想は、どこでも見聞する保守系の政治論を、中庸を仏教思想の如く扱って自分の考えであると思っている点から、出ていないとわたしには思えます。そこには民の痛みもなければ、政財の裏事情もなく、共産主義を敵視することによって成り立っている戦後の保守論調しか感じられない。
もっと言えば、あなたは、仏教から何も学び取っていないと感じるわけです。
35
:
匿名
:2005/11/20(日) 12:15:45
>アメリカのご都合であることがこの一事を見ても雄弁に語っているだけであるとわたしは考えます
語弊があるかもしれませんが、日本が真の独立国家だと思ったら大間違いなわけで、何も間違いではないでしょう。逆に何の問題があるというのでしょう。ただ、まあ、こうやってコメントを返すから、感情論になっていくんでしょうね。
>>平和を愛し、そして最も戦争を阻止したいのは、専守防衛の自衛隊です。
>これは議論の片方だけを切り出していますね。
議論の片方だけというか、自衛隊の話が出たので、そのことに触れて知っていることを書いたということですけど。
>このやり取りで、わたしは、では、日本で先の敗戦で殺され、原爆に殺された人々、その本人の家族は平和を愛していないのかと問うているのです。
この点については、何も、否定も反論もしておりません。自衛隊が違憲かという議論について、コメントさせていただいたということです。
>再度、声を大にしてはっきり言いますが、自衛隊員がなどということではなく、実際に家族を殺され、家財産を失った人以上平和を愛する人々はいません。
私も再度言いますが、そのことは何も否定していません。
>それを自衛隊だというところに一切の奢りがあり、故にこのような論法を傲慢だと言ったのです。
書いていて気が付きましたが、つまり
「平和を愛し、そして最も戦争を阻止したいのは、専守防衛の自衛隊です。」
の「最も」に問題があるわけですね。
この一文は、私の記述ではないので、私が提示したのは不適切だったかもしれません。
いずれにしても、戦争を回避する方法は、ひとつだけではだめだと思います。いくつかの要因が揃わなければならないわけで、
まず何より、国民が戦争を回避したい、戦争を反対するという「意思」が第一でしょう。戦争を反対する国民の意思。
これを犀角独歩さんは、仏教徒の立場で強く主張されているわけですね。その立場に対しては、私は異論はありません。
次にその国民の意思を受けた、国家の政策が重用になります。ここからはやや複合的でしょう。
産業革命以降の戦争は、どうしても本質は資源争奪戦ですから、それを回避する資源確保の問題をしっかりさせなければならないわけです。
非暴力主義の象徴としてガンジーの記述がよく見受けられました。インド独立をかけた不服従運動では、非暴力ももちろんのことですが、併せて「糸つむぎ」も見落としてはならないでしょう。伝統的手法によるインド綿製品の着用を呼びかけて、イギリス製綿製品の不買運動を起こしたわけですが、つまり国内の自給政策をしっかり考えていくことも、戦争を回避する重要な政策だと思います。
戦争を回避するためには、そういう問題を日常的に考えていかなければならない。それも怠ってはならない、反戦のための対策だろうと思います。そして、その政策のひとつには、防衛政策からの戦争回避へのアプローチも不可欠です。
やはりある程度の軍事的防衛を示しておくことも、戦争を回避するひとつの手立てであると考えます。
もちろんその裏で、利権に群がる不届きな人々もたくさんいることも承知してえります。だからといってさりとて、この政策を外すことはできないわけです。できるだけそのようなことにならないように、国民の監視というものも怠ってはならないでしょう。その意味でも、自衛隊への関心というのは重要です。権力というのは、人の監視がなければ、横暴を極めていく存在ですから、まさにこれは国民の関心と監視がそれを防ぐものだと考えます。
ですから、平和へのアプローチというのは、あらゆるところからあっていいものではないでしょうか。
たまたまひとつのことを示したからといって、他のことが否定されたり、斥けられたりというものではないと思います。
私は読んでいて、そのように感じましたけれども。
36
:
匿名
:2005/11/20(日) 12:17:18
>あなたは、このような議論の流れをまったくわかっていない。被害者の痛みから議論が出発できないところにあなたのいうことが机上の空論以上に聞こえない原因があるわけです。
私は、自分の強い関心から、憲法の問題において投稿に入らせて頂きました。だからといって被害者の議論から出発していないというものではないでしょう。基本的人権を明記した憲法をしっかり考えることは、何も戦争被害者の立場から外れたことではないはずです。
しかし、それを机上の空論というのであれば、
「世界情報ボックス」
>162
>では、われわれがいま、法華を持ち、日蓮を仰ぐ。何ができるのか。以上のような構造腐敗の前で、専守防衛を言うのであれば、敢えて、非暴力、不戦、不殺生を言おうじゃないかということです。殴るならば殴れ、殺すならば殺せ、しかし、我々は絶対に服従しない、いつか到達する、いや到達しなければならない理想郷には暴力も、戦争もない、殺し合いもない、その理想を体し、訴えようと言うのは、わたしは全仏教界で心ある人々が言う、不殺生、非暴力、不戦だと言うことだと思います。
私は、ここに記された国家論のほうがよほじ机上の空論だと思うんですね。その気概と信念はわかりますが、
っていうか、自衛隊が「反戦」を訴える国民を殴ったり殺したりすることは、そんなことは、まずないわけですし、いや、自衛隊に限らず「非暴力、不戦、不殺生」を訴える人を、誰も殴ったり、殺しにかかったりはしないと思います。
誰が殴りかかってきたり、殺しにきたりするのでしょう。
それと、前回のレスでコメントし落としたことなのですが、
>26
>また、「仏教に基づき、国民はそのような自衛のための応戦も放棄するなんてことを世界に宣言」などという架空のありもしない仮定で議論を進めることはおかしなことです。
ここで「架空のありえない仮定」と記されておりますが、これこそまさに上の記述を意識して書きました。
ま、要するに自衛隊を保持する国家政策に、屈しない、つまりそれが仏教徒として「自衛隊には反対」ということだとして、それを国家に訴える、同時に国民にも訴える。だとすると、前のレスで、「自衛隊の解散」など訴えていない書かれていたことは、矛盾にはなりませんでしょうか。解散しろと思っていない「反対」とはどういうことなのでしょう。具体的にどうなればいいということでしょうか。
それと、自衛隊反対で、どうやって国家は有事のときに、憲法にも定める国民の生命・身体・財産を守らなければならない義務を果たすのでしょうか。
角独歩さんの仏教徒の立場から考える、自衛隊ではない、その対策はどのようなものなのか、お聞かせいただければ幸いです。
それと、もう一点、
これも「世界情報ボックス」からのレスですが
>140
ただし、わたしは基本的には自衛隊にも反対です。その反対の理由は憲法と齟齬を来しているからです。自衛隊は軍隊ではないという議論がありますが、軍隊以外の何ものもでありません。たですから、自衛隊を作る段階で憲法は改変されるべきであったという考えです。
ここでは、「自衛隊を作る段階で憲法は改変されるべきであったという考えです。」とあります。これもまた護憲を訴えておられるにしては矛盾というか、つまりこれは、突き詰めるならば、改憲の立場だということなのか。それとも、自衛隊を作るなら、先に憲法改正が筋だろう、いわゆる政府批判で書かれたことなのでしょうか。
>故に、被害者の痛みもわからないものが述べる自衛隊翼賛論はわたしは唾棄します。
これはどうしてそういうことが言い切れるのでしょう。
私が、戦争被害者ではないということでしょうか。それは違います。身内には戦争によって命を亡くしている者もいます。家も焼かれましたし、そのことは後に、私の人生に少なからず影を落として今日にきています。
ただ、それを書かないだけであって、それを先走って「被害者の痛みもわからないもの」と言われることは、少々心外です。
>ただし、それは先にも言ったとおり、自衛隊を否定すると言うことではない。信の被害者を意識できない愚かさには同意しないと言う意味です。
間違っていたら申し訳ないですが、恐らく、あなたは自衛隊そのものを、ほとんどご存知ないのではないでしょうか?
今では既に退官されていますが、当初、自衛隊(正確には警察予備隊)に入られた方々の大半も、等しく戦争被害者の方々です。被害を被らなかった日本人はいないのですから、被害者を意識できていないという決め付けは、不適切かと思います。
37
:
匿名
:2005/11/20(日) 12:19:14
>>「不殺生戒」を犯しているわけではありません。
>この点にだけは一言言っておきます。
>殺生を前提にしない軍隊など有り得ません。攻め入ってきた敵は殺さなければならないからです。こういう論法を詭弁です。
しかし、最初から撃沈はしませんからね。威嚇で追っ払うのが最初でしょう。
それでも、殺生を前提とする自衛隊は、それだけで既に不殺生戒を犯したことになる。とするならば、何度も記して申し訳ないですが、
「世界情報ボックス」>167
>不殺生は自戒です。これを破ると決めたら、自爆テロでも、演説中の代議士の刀で叩き斬るぐらい気分は、勿論、持ち合わせています。金や権力に目を眩まして、民を欺く奴は軍人だろうが、代議士だろうが、命を懸けてでも、鉄槌を食らわす覚悟はあります。自衛防衛だとうそぶいて武器を持っても撃てない連中より、必至の一人のほうがやり遂げられることだってあるわけです。正当防衛だ、任務だから殺人じゃないなんて下らないことは言いません。やるときは殺人だと覚悟を決めてやるでしょう。抜刀とはそういう意味ですよ。
自戒を破るとなればという前提ながら、これを記すことは破戒領域に入っていたのではないでしょうか。
仏教徒においてという観点から、私は種々、投稿内容に批判を向けられました。しかしながら、この記述は仏教徒としては決して望ましい記述とはいえないです。
恐らく、「侮辱」という言葉がありましたから、そのようなお気持ちから、つい筆が滑った失言だろうとは拝察いたしますが…。
しかし、だからこそ、怒るなかれという戒めからはじめなければならないのではないかと思いますね。失礼ながら、あなたを見ていると。
>また、仏教は自衛隊に不殺生戒を守らせるためにあるのでもありません。
この点については、教えて頂きたいのですが。
お釈迦さまは、出家されたお立場から、国家のことには口を出さかったでしょうから、当時のインドの軍隊についても、どうであるべきということは述べられていないのだろうと思います。一方で、在家の方々はどうだったのでしょうか。また、兵士は兵士のままでは入門は許されず、また仏教の信仰を持つことさえもできなかったのでしょうか。
>> 憲法を改正させてはならない。私は仏教徒として、そういう考えでいます。
>ですから、このような考えに、わたしは一度たりとも否定などしてはいないわけです。
これはお互いの合意点ですね。
>たとえば、年金制度、国民皆保険制度、もっと言えば、国鉄、郵便局などをとっても、いまのように改悪されるとは成立当時は誰しも思ってはいませんでした。
今後は、、国民が望む「高福祉低負担」というわけにはどうしてもいかないでしょうね。「高福祉高負担」(スウェーデン型)か、「低福祉低負担」(英米型)か、「中福祉中負担」(これまでの日本)か、これらのどの道を国民は選択するのか。そこが、まず議論になるべきところではないかと私は考えております。
国鉄の民営化は、JR福知山線の脱線事故など、弊害だったといえるでしょうけれど、どうなんでしょう、一応はうまくいったのではないでしょうか。
郵政民営化は、私は反対でした。しかし、これも、アメリカからの圧力に応じてしまったということですね。
38
:
匿名
:2005/11/20(日) 12:21:10
>あなたの年齢は知りませんが、わたしが子どものころ、有料道路はその減価償却が終わったら無料になると言われていたものでした。ところがどうです。実際は大きな利権を生み、特権階級を生み、さらに値上げの一途です。政治家の地元アピールのために無駄に敷かれた道も多くあります。
これは、ご主張、よくわかります。多くの国民が、大変な被害を被りました。しかし、国民にもいくばくかの非はあると思います。地元への利益誘導を図る政治家をまさに有権者が望み、選出してしてきたという側面もあるわけですから。
憲法改正の問題もそうですが、政治家を批判するのは簡単です。なんでも批判しようと思えば、批判のための批判はいくらでも出来ます。しかし、そもそも政治家は国民の代表者であり、選んでいるのは紛れもなく国民であるわけです。批判する矢の矛先は、結局、国民に返ってくることでもあるといえます。
憲法改正への流れは、政治家によって実に巧妙に進められてきました。
改正して良くなるならば、それは喜ばしきことです。どんな改正もはなから反対というものではありません。この点も恐らく同意でしょう。しかし、改正案は確定されたわけではありませんが、平和理念の後退という懸念を考えれば、改正すべきではないわけです。この点も、お互いの合意ですから、何も反論の意味で書いていることではりあません。
ただそれでも、ここまで改正の流れになってきたということは、それは、国民の大半が、憲法に対する意識が低かったからということと、戦争を知らない世代になってきたからだということがいえるかと思います。それは、犀角独歩さんが訴えていらっしゃるように、まさに戦争被害を忘れているからだということにもつながるでしょう。
>まして、過去の敗戦を帰した政府の生き残りがその影響力を振るう現行政治で、
これは、どういうことを指して言われているのでしょう。
>あなたのいうような楽観主義こそ、もっとも悪をのさばらせる原因になるとしか思えません。
楽観ではないのです。今から、試算などできる話ではないということですし、言い換えれば、自衛隊から自衛軍にするための予算引き上げは、必要ないということです。もっといえば、表現に語弊があるかもしれませんが、自衛隊は既に立派な軍隊(自衛軍)であるということ。「隊」というチームから「軍」という組織になるわけですから、増えるとすれば、人件費でしょうか。当面は名称が変わるだけの問題かと思います。ちなみに、昔は「戦車」のことを「特車」と言っていたそうです。
>たとえば、最近、話題になった本では、いまや世界は戦争ビジネスが民間にまで及んでおり、傭兵派遣が10兆円産業に発展していると伝えます。
この問題は今に始まったことではありません。見方を変えれば、戦争を放棄していない他国では、そうした傭兵費だけでも、国家は大変疲弊しているわけです。旧ソ連にしても北朝鮮にしてもそうです。しかし戦争を放棄している日本は、軍事的疲弊の心配はないですから、戦争放棄をしたかたわら、経済戦争ににおいて、戦わずして勝ってきたということもいえるかと思います。
>まあ、お育ちが善いのか、人を疑うことを知らないのか、兵隊さん、代議士先生は尊敬しなさいと教えられた優等生なのか何か知りませんが、
あなたも侮辱されていやな思いがしたのでしょう。だったら、あなたも人に侮辱するような発言を連発するのはおやめになったほうがよくありませんか。私だって、侮辱されるのはいやです。それが人権というものでしょう。自分の人権は主張しておきながら、人の人権は尊重しない。それは頂けません。
>あなたのような美辞麗句の末に、先の敗戦に多くの殺された痛ましい経験が、敗戦志望者、被害者を軽く言い流し、
ここは意味がよくわかりません。
39
:
匿名
:2005/11/20(日) 12:21:49
>何故現実を見ようとしないのか不思議に思います。
いや、現実を見てますよ。私はいたって、現実的な話をしているはずです。
自衛隊は存在している。自衛のための軍隊だ。国益にとって必要。認めます。現行憲法の解釈において、合憲を支持します。
だから、改憲には反対。
そう言っていることの、何が非現実的なのでしょう。
むしろ、
「世界情報ボックス」
>162
>では、われわれがいま、法華を持ち、日蓮を仰ぐ。何ができるのか。以上のような構造腐敗の前で、専守防衛を言うのであれば、敢えて、非暴力、不戦、不殺生を言おうじゃないかということです。殴るならば殴れ、殺すならば殺せ、しかし、我々は絶対に服従しない、いつか到達する、いや到達しなければならない理想郷には暴力も、戦争もない、殺し合いもない、その理想を体し、訴えようと言うのは、わたしは全仏教界で心ある人々が言う、不殺生、非暴力、不戦だと言うことだと思います。
ここから発展する、国家論のほうがよほど非現実的かと思います。
>> 水戸藩
>わたしはここの出身です。
そうでしたか。ご出身のお立場からすれば、一連の投稿の心情の吐露や政府批判というのは、なるほど頷けます。
>> 十五代将軍徳川慶喜公は「大政奉還」をして開国する道
>はめられたわけでしょう。大統領になるつもりでいたのでしょうから。
はめられたにしても、「大政奉還」によって、ひとまず日本国民は救われました。やはりここに、私を捨てて公に仕えるという滅私奉公、もしくは先憂後楽といった武士道精神が日本を救ったともいえるのではないでしょうか。
>しかし、特権階級の資産、政財特権階級は温存されたという点が何も述べられないところに疑問が残ります。
掲示板の投稿ですから、全てを網羅するわけにはいきません。重要な点が漏れていれば、補足して頂ければ幸いです。
ただしかし、温存したのは、占領軍ですから、なんともいえません。ちなみに、アフガニスタンやイラクの戦後処理からもわかるように植民地政策に慣れている列強欧米人は、占領地を直接統治はしませんね。傀儡政権とでもいえばいいでしょうか、間接統治をするところが、彼らの実に利口なやり方なわけです。それもこれも戦勝国アメリカの思惑というもので、その意味からも、お立場からは、反米というのは拭いきれないのは、よくわかります。また私のあたかも親米的な記述も、気にさわるものなのでしょう。
> >軍備翼賛…正面切って斥けて、つまり日米同盟に反対する立場をとるべきだということでしょうか。
>この択一論になるような論の運びの意味がわかりません。
軍事的な面ではっきり「ノー」をいえば、当然のこと同盟に摩擦が生じるでしょう。
同盟とは、国と国との間で軍事的応援の義務を約束する条約ですから。戦勝国アメリカと敗戦国日本は、軍事的な意味では、運命共同体です。これは、いやでも受け入れるしかない。私はそう思います。
>国防というのは軍備だけではない、世界的な日本のスタンス、経済という舵、時には丸腰非武装という宣言でも、国家を守る方法論になることはあるでしょう。
これは、今回私も記述いたしました。これも合意点です。
しかし、同盟関係の国において、軍事の関係を拒否して、経済では友好的になんてことは有りえませんから。
>これを軍備のみに論を絞ることに問題があります。
そうじゃない。そりゃあ、「国交」ということでは、当然個別の問題はあります。しかし「同盟」といえば、軍事を指します。
ついでがら、私がなぜ軍事を意味する同盟を持ち出したかというと、これはあなたの、
>>建前のきれい事のみを記した軍備翼賛をするような在り方に疑問ありと記しているわけです。
と、軍事の問題として問い掛けを受けたからのことです。同盟国だから仕方ないでしょうという現実を書きました。
ですから私は、(日米同盟)を覆すべきだというお考えですか?と質問したわけです。この点は如何でしょう。
戦争には反対ですよ。イラク攻撃にして反対ですよ。政府としても口を挟みたいのはやまやまでしょう。しかし、同盟関係にある以上、口は挟めない。せいぜい代わって、国連に言ってもらうしかないでしょう。しかし、日本とアメリカの分担金で、国連は維持されているようなものですから、国連も最後の最後は、ビッグスポンサーの意向には弱いということも、ある意味いえるかと。ほんとに、いやな現実ですが。
>あなたは、自衛隊に不殺生戒を犯させてはならないと記していましたが、では、60年間、自衛隊が人殺しをしないで済んだ理由は仏教であったと考えているわけですか。違うでしょう。
はい。違いますね。
で、これは前文と、どういう脈略なのでしょう。
40
:
匿名
:2005/11/20(日) 12:22:23
>国家安全保障という言葉の影に、特権階級と、大きな利権が隠匿されています。
それは、先にも書きましたが、今にはじまったことではありません。もっといえば、日本が、戦争に巻き込まれずに、戦後の復興から経済成長を遂げ、今日ほどの繁栄に至るところまでこれたのは、外国が戦争をして、その軍需利権に預かれたという、不殺生戒の立場からいえば、なんとも皮肉な存在の側面があります。
日本は戦争を放棄しながら、他国の戦争で繁栄してきた。
国家戦略としては、何も咎められることではありません。高等戦術でしょう。
ただ、仏教徒の立場からいえば、そういう現実に目を向けて、個々に何かを考えていかなければならないと思っています。そういうご主張は、何も反対ではありません。
>ついでに言えば、わたしはかつて身分と領地を取り上げられた側の末裔から言えば、あなたの身分開放論は、論が尻切れトンボであると思うわけです。
不足の部分があれば、機会をみつけて補ってください。
勉強させて頂きます。
>自衛隊をあなたは公務員だと記しましたが、この公務員は新たな日本を支配する身分制度になっていませんか。また、政財癒着がもたらす特殊構造は新たな身分制度を生じさせていませんか。
これは、まったく認識が違っています。
公務員の身分は、支配する立場ではなく、国民への奉仕者と、それこそ憲法で明確に定められています。以下抜粋します。
第3章 国民の権利及び義務
第15条 公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。
2 すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。
3 公務員の選挙については、成年者による普通選挙を保障する。
4 すべて選挙における投票の秘密は、これを侵してはならない。選挙人は、その選択に関し公的にも私的にも責任を問はれない。
>そこで、消費されるのは一般市民とその財産ではないですか。あなたのこのような点には目が向かないのですか。
公務員を削減しろという発想はここですね。それは賛成です。
しかし、公務員そのものの数の削減よりも、外郭団体や天下りの問題の改革が先でしょう。
数だけ削減すればいいというものではありませんから。公務員ではありませんが、ちなみにここ数年で、国会議員の数は衆参ともに減ったのはご存知でしょうか。その結果どういうことになったかというと、改革条項の3分の2のハードルが低くなったのです。つまり、国会議員のリストラが改憲の足を速めたということでもあります。
>> 共産党の憲法に対する解釈
>ただ言えることは、利権に関わらないと言う点では、藤川さんの言葉を借りれば、「ユダヤ資本と軍産複合体」よりは仏教界に近い存在でしょう。
マルクス・レーニンはいずれもユダヤ人であることはご存知ですよね。
共産党宣言として有名なあの言葉、「万国の労働者よ!団結せよ」の労働者とは、ユダヤ人の隠語であることは有名であり、こちらもユダヤ資本ですけど。
それと、ご存知だとは思いますが、日本国憲法のGHQ草案をつくったのも、ユダヤ系アメリカ人であり、まさにユダヤ人がつくったドイツのワイマール憲法がベースになっています。日本国憲法とユダヤ人は切ってもきれない関係です。
それと加えていえば、「死の商人」と言われてきたユダヤ人が、世界の戦争を裏で仕掛けているという側面は承知しています。戦争だけではなく、こと金融においては、日本人も被害を受けています。今回の郵政改革なども、そいう意図が裏にあるわけですが、しかし、戦後の日本は、まさにユダヤ的戦略、つまり他国の戦争景気にあやかって経済成長をさせ、金融でも世界に進出し、戦争に資金も出してきたわけです。戦後、奇跡的に不戦を貫けた日本人も、その裏では「死の商人」であったというのが現実です。
ユダヤ資本を理由に共産党が仏教にちかいというのは、認識が甘いと申し上げます。それこそが、ユダヤの仏教解体への陰謀ともいえるでしょう。解体する前に、分裂しているので、関係ないことかもしれませんが。いずれにしても私の認識不足かもしれませんが、今の仏教界が、奥深くユダヤ問題を研究しているとは、とても思えませんが、もしそのような機関なり研究論文があるならば、是非ご紹介ください。勉強させて頂きたいと思います。
>>「反米」という立場
>立場を仏教において立てる必要はないでしょう。
これは意味がよくわかりません。
41
:
匿名
:2005/11/20(日) 12:23:23
>いまどこに共産主義があるのですか。日本の共産党など、共産でも何でもありません。社会党もしかりでしょう。いまや弱小の国民政党の一つです。ここでは民主主義と資本主義が生きています。
これは、少し甘いかと。地方自治体レベルになると、共産党が強い力を発揮しているところもあります。
そして何よりも、教育の場は、こと旧社会党系の日教組、共産党系の高教組は、頑として存在しています。だいぶ少なくなりましたが、国旗掲揚と君が代への反対にしても、毎年問題になることが象徴しているように、教育の場では、まだまだ戦いは続いているといえるのではないでしょうか。それこそ教科書問題なども、それでしょう。
ただ、私は共産主義を排斥すべきだと思っているわけではありません。今日のように保守系が台頭する政治をほっておくと、それこそ体制翼賛政治になりかねません。今回の総選挙などが、まさにそれを象徴していますから、共産党や社会党の存在意義は私は評価しています。消滅してほしくはないですね。私の信条には合わないだけです。
>国民の投票権に関わることですから、政党など、どこを指示しようが自由です。
それはもちろんそうです。書いてしまったので誤解を生じさせたかもしれませんが、どこを支持しろということのつもりで書いたわけではありません。
ただ、護憲運動に熱心なのは、共産党と社会党のみで、しかし私にとっては肌が合わないので、そこでの運動には参加する気になれないということです。少なくとも仏教徒の立場では、これを支持することはないという、私個人的判断ですね。
ちなみに、仏教界での護憲運動というのは、何かあるのでしょうか。
> 日米同盟の立場において、護憲です。
>>この同盟という言葉はくせ者なのであって、国家、平和という旗印を立てながら、実際には、そこで世界規模の利権によって、万民を隷属する仕組みがないのかという点は注視しなければならないのではないでしょうか。
自主独立の道を歩むんだというならば、そりぁ、それでいいですよ。ただ、それをどうやってやります?この資源のない日本で。
鎖国に戻って、国内資源のみで、国民の生活が賄えればいいですよ。
だけど、今や食糧自給率をみたって、7割近くも外国に頼るしかない状況です。こんな状況にしても、政策に問題があるわけですが、しかし、そういう道を選んでいるのも日本国民です。自ら選んだとは言い切れないにしても、日本は開国により産業革命を果たし近代国家になってしまったわけですから、もう、江戸時代のような鎖国には、戻れない。
まあ、私なんか、本音をいえば、江戸時代に戻りたいくらいの気持ちはありますけどね。
>わたしがあなたと違うのは、「敵味方な」しという点が目標だというだけです。
中村元師『聖徳太子−地球的視点から』(東京書籍)の言葉を借りれば、
ご提示いただいた文章は、大変、すばらしいです。
あらためて、自分が日本人に生まれたことを誇りに思える文章だと思います。ご提示くださいましたこと、感謝いたします。
42
:
匿名
:2005/11/20(日) 12:23:55
>あなたのは発想は、どこでも見聞する保守系の政治論を、中庸を仏教思想の如く扱って自分の考えであると思っている点から、出ていないとわたしには思えます。
私は、中庸精神については、仏教ではありませんがと断って記述したはずです。
それから、共産主義を敵視しているわけではありませんけど、まあ、こういうご批判を頂くことは、これも自由意思の投稿ですから、いいです。ただしかし、
>そこには民の痛みもなければ、政財の裏事情もなく、共産主義を敵視することによって成り立っている戦後の保守論調しか感じられない。もっと言えば、あなたは、仏教から何も学び取っていないと感じるわけです。
私は、確かにあなたの書いたことにおいて、意見をさせて頂きました。それは不愉快だったことと思います。しかし、書いたことへの意見ですから、批判が投稿されても、それは仕方ないことでしょう。
しかし、あなたがここに書く批判は、私が書かないことへの批判です。
掲示板で、交流をしてまだ間がないというのに、どうして、まだ書いてもいない私の「内心の信仰」というものを、あたかもわかったかのように書くのでしょう。
記述内容に異論があるのはわかります。不殺生だから自衛隊が譲れないのもわかります。そうした反論はわかります。
しかし、私の書かないことを批判するのは筋違いです。それでは単なる、批判のための批判に過ぎません。それこそ、何の参考にもならない。時間の浪費です。
私は、「語れば単なる評論に過ぎないのではないでしょうか。」と批判されました。それはごもっともかもしれないと何もコメントはしませんでした。しかし、あなたの私への投稿こそ、私の投稿を単に批評しているに過ぎません。
正直いって、投稿内容について、言論統制のための検閲でもされているかのような感覚さえ覚えますこと、申し添えておきます。
非常に静かに教義の議論をされている中、掲示板の流れを攪乱したようであれば、ロムの皆様をはじめて犀角独歩さんへも、その点はお詫びいたします。大変なペースもとりました。
大変失礼いたしました。
43
:
犀角独歩
:2005/11/20(日) 15:20:18
> 日本が真の独立国家だと思ったら大間違い
わたしもうそう記してきましたが。
> 書いていて気が付きましたが、つまり
>> 「平和を愛し、そして最も戦争を阻止したいのは、専守防衛の自衛隊です。」
> の「最も」に問題があるわけですね。
>
> この一文は、私の記述ではないので、私が提示したのは不適切だったかもしれません。
そうです。そのとおりです。
> いずれにしても、戦争を回避する方法は、ひとつだけではだめ
これも、わたしは、そのように記しました。
> 「糸つむぎ」…イギリス製綿製品の不買運動…戦争を回避する
あなたの話はかつてある人から聞いた話と同じです。
お会いしたことがありましたか。
これは当然の話であって、ガンジーは非暴力、不服従をいい、この後者に、この件はカテゴライズされると思ったので、わたしは省略しました。
しかし、ガンジーは非暴力を訴えたのです。軍事肯定者が引用される人物ではないでしょう。
ここ以下、記されることは当然のことです。
> ですから、平和へのアプローチというのは、あらゆるところからあっていいものではないでしょうか。
当然でしょうね。
ですから、仏教からもあってもよい、しかし、仏教は全体ではありません。人類の知的資産のごく一部に過ぎません。その一部から述べているということです。
> …机上の空論
あなたは、わたしが机上の空論と言うことの意味を取り違えているわけです。
仏教とは、政治ではありません。信念心情です。ですから、ここでは、目標とすべき信念、理想郷を言うのは極当然のことです。
たとえば、路傍のお地蔵さんにお年寄りが、「平和な世の中になりますように」と祈ることは机上空論ではありません。
しかし、国政を担うものが、ただ、こう言えば、机上の空論でしょう。なぜならば、後者は実務に携わるからです。
わたしは、何度もこの点を記していますが、あなたの頭のなかでここが整理されないのです。わたしは仏教徒として、また、かつて国家から被害を受けた立場から、戦争反対、憲法改正反対といっているのです。一方、あなたは、自分の仏教の立場を明らかにするわけではなく、国政の立場から論じているのでしょう。ですから、議論が噛み合わないわけです。わたしは、ここは仏教の掲示板であると何度も記したのは、ここで予算起案の真似事をすることを目的とするのではなく、不殺生から考え出すとき、どのような役割が仏教が担えるかを考えようと言っているのです。
しかし、あなたは仏教からではなく、どちらかというと政治、自衛隊から物をもうしていませんか。ですから、噛み合わない。このような点を、どうも、あなたはわからない。
> 自衛隊が「反戦」を訴える国民を殴ったり殺したりすることは、そんなことは、まずない
そんなことは、わかりませんよ。
わたしは学生時代、丸腰でデモに参加したとき、武装警官に殴りかかられました。
> 自衛隊に限らず「非暴力、不戦、不殺生」を訴える人を、誰も殴ったり、殺しにかかったりはしないと思います。
では、インド、ガンジーの例は、どうなのでしょうか。
彼らは何故非暴力を訴えたのに、殺されたのですか。
日本ではそうはならない。それは現代の平和ボケした楽観的な観察に過ぎないでしょう。わずか半世紀前、日本人は武装して、非戦闘員を殺していました。
44
:
犀角独歩
:2005/11/20(日) 15:21:09
―43からつづく―
> ま、要するに自衛隊を保持する国家政策に、屈しない、つまりそれが仏教徒として「自衛隊には反対」ということだとして、それを国家に訴える、同時に国民にも訴える。だとすると、前のレスで、「自衛隊の解散」など訴えていない書かれていたことは、矛盾にはなりませんでしょうか。解散しろと思っていない「反対」とはどういうことなのでしょう。具体的にどうなればいいということでしょうか。
こんな、極論にしかならないわけですか。
たとえば、わたしが「自民党の政策に反対である」。こういったら、何がなんでも自民党の解散を訴えないと矛盾になりますか。あなたの論法はこれに等しい。
> 自衛隊反対
ですから、わたしがいつ自衛隊反対と記したのでしょうか。
上述の訳の分からない二極論で、「では、反対となる」と決め付けて、このように議論を運ぶようでは仕方ありませんね。
> 犀角独歩さんの仏教徒の立場から考える、自衛隊ではない、その対策
この質問の意味はわかりません。
> 「自衛隊を作る段階で憲法は改変されるべきであったという考えです。」とあります。これもまた護憲を訴えておられるにしては矛盾
これはまったく言いがかりの類ですね。わたしは憲法9条から考えれば、軍隊は放棄しているわけだから、もし、軍隊を作るのであれば、憲法改正が先とするべきではなかったのかと言ったまでです。なにが、どう矛盾するのでしょうか。違憲なのは軍隊のほうで、わたしの考えほうではありません。
> 自衛隊を作るなら、先に憲法改正が筋だろう、いわゆる政府批判
もちろん、政府批判です。それがどうかしましたか。
> 間違っていたら申し訳ないですが、恐らく、あなたは自衛隊そのものを、ほとんどご存知ないのではないでしょうか?
間違っていますね。
もちろん、親戚に何人も自衛隊員だったものはおりますし、また、知人にもいます。しかし、彼らは、あなたとは違い、わたしが「自衛隊は反対だ」と言っても、「その意見は尊重する。仏教徒が軍隊が肯定したらおしまいだものな」と一定の理解を示します。あなたのように反対すれば、自衛隊を知らないからだと人を無知呼ばわり憚らないような‘無礼’な真似はしません。
> 被害者を意識できていないという決め付けは、不適切
そんなことはありません。
「最も平和を愛するのは自衛隊」だなどと奢りの前には当然の発言です。
死者の墓前に頭を地べたになすりつけ、謝罪すべきことです。
>>「不殺生戒」を犯しているわけではありません。
>> 最初から撃沈はしませんからね。威嚇で追っ払うのが最初でしょう。
ここまで来ると、ほとんど、議論と言うより、自衛隊翼賛の感情的な言い訳に付き合わされているだけ不快なだけです。
軍隊は不殺生を前提にしては作られたり、訓練されていない。
あなたは、よおく自衛隊を知っているそうですから、聞きますが、では、武器は不殺生の道具ですか。ピストルをぶっ放すと不殺生の効果があるのですか。
なにをそこまで、自衛隊の言い訳を書き連ねないときが済まないのか知りませんが、あなたは自衛隊が軍隊であると記しているわけですから、不殺生の軍隊などあるはずはないと言っているのです。
ここは自衛隊の掲示板ではありませんから、もういい加減にしたら如何ですか。
こうして、場所もわきまえず、自衛隊翼賛を書き連ね、ぶっきょぅの場を占領して、占領して憚らない、実の暴力的行為であると思いますね。
45
:
犀角独歩
:2005/11/20(日) 15:21:55
―44からつづく―
>> 不殺…自爆テロでも、演説中の代議士の刀で叩き斬るぐらい気分は、勿論、持ち合わせています
> 仏教徒としては決して望ましい記述とはいえないです。
もちろん、望ましくないでしょう。
そんなことはわかりきっています。
わかりきっても、やらなければならないことはあるという例で記したことです。これを恰もわたしの主張が、さもここにある如く繰り返し、プロパガンダするあなたのやり方は、卑劣に映じます。
だいたい、このことと、自衛隊とどんな関係があるのでしょうか。
あなたは、いったい、何を目的にここに記しているんですか。
要は自衛隊反対は許さない。そして、何度何度も以上のように、過去の記述を繰り返してはわたしに難癖を付けているのに過ぎない。自衛隊翼賛と、犀角独歩批判、それがあなたの目的ですか。
> 怒るなかれという戒めからはじめなければならないのではないかと思いますね。失礼ながら、あなたを見ていると。
そんなことは、あなたに言われる筋合いはありません。
要するに、こんな長々と支離滅裂な批判を書き連ね、何度も過去の書き込みを蒸し返す執拗さを発揮するあなたが、人に怒るのはやめろと、まあ、自分が見本を見せてからにしてはどうだというほかないでしょう。
> …当時のインドの軍隊…在家…兵士は兵士のままでは入門は許されず、また仏教の信仰を持つことさえもできなかった
まず、この質問は当時のインドの状況をまるでわかっていないところから出ているでしょう。この質問は要は兵士だって信者いがいたはずだという為にする質問でしょう。
兵士が兵士のままで入門を許されるわけはないでしょう。
入門とはサンガの一員になることですから、当然、その前の身分であるクシャトリヤアであることはやめるわけですから。
信者という点では、いまのような入会だなんだということがあるわけではなく、釈迦とその集団を敬う気持ちがあれば、そこに信仰があるわけですから、それは各人の個人的な意志でしょう。
>> 過去の敗戦を帰した政府の生き残りがその影響力を振るう現行政治で、
> これは、どういうことを指して言われているのでしょう。
この件に関しては黙秘します、固有名を挙げなければなりませんので、公開の掲示板で記すわけにはいきません。
> …侮辱するような発言…自分の人権は主張しておきながら、人の人権は尊重しない。それは頂けません。
別段、侮辱する意とはありません。まったく正直な感想です。
>> …敗戦に多くの殺された痛ましい経
> ここは意味がよくわかりません。
あなたが記したとおり、「最も平和愛する自衛隊」で、戦争に殺戮被害を被った人々に対する配慮がない点を言ったわけです。
> いや、現実を見てますよ…自衛のための軍隊…何が非現実的なのでしょう。
わたしは、そんな言っているわけではありません。
国家に殺された被害を受けた人々に何ら保障もしなかったというのは紛れもない現実ですよ。
>> …殴るならば殴れ、殺すならば殺せ、しかし、我々は絶対に服従しない、いつか到達する、いや到達しなければならない理想郷には暴力も、戦争もない、殺し合いもない、その理想を体し、訴えようと言うのは、わたしは全仏教界で心ある人々が言う、不殺生、非暴力、不戦だと言うことだと思います。
> ここから発展する、国家論のほうがよほど非現実的かと思います。
国家論ではありません。一人ひとりの思いです。
46
:
犀角独歩
:2005/11/20(日) 15:22:33
―45からつづく―
> …武士道精神…
笑止千万というほかありません。
古い身分制度が解体され、新たな身分制度が生じた。
鹿鳴館に代表される当時の政府はそんなにご立派なものでしたか。
廃仏毀釈に破壊された多くも当然のことであったというわけですか。
われわれ仏教徒は、この新たな政治に一切を蹂躙されたのです。
> …(日米同盟)…この点は如何でしょう。
これは政治の話ですね。
しかし、わたしは、これらが同盟などという肩並びの関係になっていない点を言っているわけです。あなたは日本とアメリカがフェアな関係にあると思っているわけですか。
> ほんとに、いやな現実ですが。
まあ、そういうことです。
>> あなたは、自衛隊に不殺生戒を犯させてはならないと記していましたが、では、60年間、自衛隊が人殺しをしないで済んだ理由は仏教であったと考えているわけですか。違うでしょう。
> はい。違いますね。
で、これは前文と、どういう脈略なのでしょう。
自衛隊が不殺生戒だとも取れるあなたの書き込みに対して、自衛隊は不殺生戒を護ってきたのではなく、アメリカが肩代わりしただけであろうという意味です。
となれば、同盟国の軍隊が、イラクの人々を殺した。となれば、自衛隊も殺したとまでは言わないまでも、等しく責任を負うのではないでしょうか。となれば、自衛隊は不殺生とは言えないのではないでしょうか。
> 国家戦略としては、何も咎められることではありません…仏教徒の立場からいえば、そういう現実に目を向けて、個々に何かを考えていかなければならないと思っています。そういうご主張は、何も反対ではありません。
この点はわかりました。
>> 自衛隊…公務員…身分制度を生じさせていませんか。
> これは、まったく認識が違っています。
公務員…国民への奉仕者…憲法で明確に定め…
先にあなたは、侮辱するようなことを書くなという類でわたしに文句を付けていましたが、こんなことをわたしが知らないとでも思っているわけですか。これはひどい侮辱ですよ。こんなわかりきった建前を論を書くから、まったく優等生の模範解答のようだ言いたくなるわけです。
この公務員の保障された生活と一般市民では格段の相違があります。
昨日、とある活動家の方の話を聞いたら、「○○の部屋に入ったら、靴が隠れるほど毛足の長い絨毯が敷かれてあった。これじゃ、日本はよくならないと思った」と嘆いていました。まあ、敢えて、この○○は記しませんが、公権力にある者の特権性は、ベールに隠され、国民にはわからない雲の上です。そんな現実がありながら、公僕論を打つとは、感覚が麻痺しているのではないかと疑わざるを得ません。これも侮辱に当たりますか。
しかし、以下の点では同意ですか。
> 公務員を削減しろという発想はここですね。それは賛成です。
> 国会議員のリストラが改憲の足を速めたということでもあります。
懸念される点です。小選挙区制がヒットラーを生んだのと同様の多数決をコマ割りし、総数が持つ本来の意味を書き直す悪辣な方法論の一環でしょうね。
> ユダヤ人…
以下、またわかりきったお話です。
> ユダヤ資本を理由に共産党が仏教にちかいというのは、認識が甘い
「甘い」? 馬鹿な。そんなことをいっているわけではありません。
前提を、あなたは省略しているでしょう。わたしはいまの日本、世界のどこにマルクス等がいった共産主義があるのだと問うているのです。
47
:
犀角独歩
:2005/11/20(日) 15:23:16
―46からつづく―
> 仏教界が、奥深くユダヤ問題を研究しているとは、とても思えません
この認識のほうがよほど甘いでしょう。
> …機関なり研究論文があるならば、是非ご紹介
ないでしょうね。陰謀史観の類は物笑いのタネですから。
また、仮にあったとしてもお教えすることは出来ません。
それらの人々の身体の安全は守られなければなりません。
>>>「反米」という立場
>> 立場を仏教において立てる必要はないでしょう。
> これは意味がよくわかりません。
先の投稿で記した中村師の箴言の如くです。
> 日本の共産党など、共産でも何でもありません。社会党もしかり…
> これは、少し甘い
なんだか、よく甘いだ辛いだ文章の意味を取り違えて傲慢に記しますが、無礼ですよ、あなた。
> …地方自治体レベル…共産党が強い力…教育の場…教科書問題など
ですから、何をとくとくとわかりきったことを記しているのですか。
まだ、侮辱する気ですか。
わたしは共産党、社会党を含め、いまの左翼勢力など、共産主義に入らないと言っているのです。そして、何より、日本という社会、限らず、世界から共産主義はもはや、死滅してしまったと言っているのですよ。
> 護憲運動に熱心なのは、共産党と社会党のみ
ですから、この意味で、仏教界は、ここいらと連携することはあるということを言っているのです。『赤旗』は、ある面、仏教界の主張を伝えるという隔世の出来事も起きているわけです。
> そういう道を選んでいるのも日本国民
違うでしょう。戦争に負けた日本という国がでしょう。
所謂、国家責任と国民は別です。
> 中村元師『聖徳太子−地球的視点から』(東京書籍)の言葉を借りれば、
> …感謝いたします。
そうですか。では、参考にしてください。
> 「内心の信仰」というものを、あたかもわかったかのように書く
これはむしろ、わたしがあなたに感じている感想そのものです。
ただし、宗教的立場について、何度となく、問いかけたわけですが、それを「強要」などと見当はずれの反論で答えず、八正道、中庸を挙げたわけですから、それをあなたの信仰と見なすのは議論の流れから致し方のないことでしょう。しかし、この責はわたしにあるばかりではなく、あなたにあるでしょう。
> 私の書かないことを批判するのは筋違いです。それでは単なる、批判のための批判に過ぎません。それこそ、何の参考にもならない。時間の浪費です。
以上の言はそのまま、あなたがわたしに対して「甘い」と記して書いた見当はずれの書き込みとともにお返しします。
> 言論統制のための検閲でもされているかのような感覚さえ覚えます
あなたは、ご自分がここに、初めて書き込んだときのことを忘れたのですか。
わたしのほうこそ、軍隊の新聞検閲のような不快感がありました。
また、今回の書き込みで、過去にも抜き書きしたことを蒸し返し繰り返し記したでしょう。そのようなあなたのやり方に、応じたのが、一連のやり取りです。となれば、言論にチェックを加え、検閲めいたことを仕掛けたのは、そちらでしょう。
人に知識がないと上から見下したような文章は実に不愉快であり、学ぶところなく、故に面倒なばかりで得るところなしというのが偽らざる印象です。
48
:
01
:2005/11/20(日) 21:54:54
以下に独歩さんのことを書いている。
おれが独歩さんをかばうのも変だけれど、かなり勝手に投稿内容を改変している、こりゃひどい。
自衛隊好きはこんな程度なのかな。
「通りすがり」「通りすがり2」「匿名」というHN登場と、時期が一致している。
関係が匂うが、まあ、きめつけない。
独歩オヤジがむきになるのは、わからなくもないね。
さくら
http://www.ch-sakura.jp/bbs_thread.php?ID=249683&GENRE=sougou
49
:
犀角独歩
:2005/11/20(日) 23:37:27
> 48
なるほど。こういう、事の成り行きと次第でしたか。
ここ一連の流れの意味がわかりました。
有り難うございます。
50
:
匿名
:2005/11/21(月) 00:02:25
>48
>49
どういうこと?
51
:
匿名
:2005/11/21(月) 00:04:46
>わたしは仏教徒として、また、かつて国家から被害を受けた立場から、戦争反対、憲法改正反対といっているのです。一方、あなたは、自分の仏教の立場を明らかにするわけではなく、国政の立場から論じているのでしょう。
だから言いましたでしょう。国家の問題においては、仏教は限界があるのではないでしょうか、と。
それが今まで延々と続いてしまったということです。
>わたしは学生時代、丸腰でデモに参加したとき、武装警官に殴りかかられました。
それは大変なことでした。そうでしたか。個々にみていくと、メチャメチャですね。
まあ、しかし、あなたは丸腰でも他の人は違っていたんでしょう。火炎瓶を投げる人なんかもいましたか?もう群集でしょうから、いちいち、丸腰か否かは確認できないでしょう。武装集団に丸腰で紛れた、自己責任が半分ですね。冷たいことを言うようですが。
>インド、ガンジーの例は、どうなのでしょうか。
このことは少し触れたいと思っておりました。
ガンジーの非暴力、私もテレビで当時の映像を観て、感銘したひとりです。
しかし、彼は非暴力の実践者ではあったけれども、葉対して軍事を否定した人といっていいでしょうか。
服従運動の前、イギリスは将来の独立を約束して、大英帝国下のインド人に協力を求め、ガンジーはこの約束を信じて、インド人へ軍への志願を呼びかける運動を行っています。ところが、いざ戦争がイギリスの勝利に終わると、独立は問題として取り上げられなくなった。その後、不服従運動に向かうわけです。
ここからは、私の想像です。正確なことをご存知であれば、補足して頂きたいのですが、そもそも独立を反故にされたイギリス人の怒りというものもあって、いわゆる民衆暴動みたいなものが起きたていたのではないでしょうか。先だってのフランス暴動のようなものです。
しかし、ガンジーは、そのような暴動などにようる独立の訴えではなく、むしろ非暴力で独立を訴えた。
しかし、その後のインドとイギリス、日米同盟以上の強い関係、いまだに宗主国に近い関係になっているのではなかったでしょうか。認識違いであれば、ご指摘ください。
そのインドも、今や隣国パキンスタンとの緊張のなか核兵器も保持しています。軍事力は拡大してきたわけですが、結局、ひとりのカリスマが消えると、結局は人間の持つ本質へと先祖がえりしてしまう、私はガンジーのことを考えるとき、そっちのほうを思ってしまいます。
>日本ではそうはならない。それは現代の平和ボケした楽観的な観察に過ぎないでしょう。わずか半世紀前、日本人は武装して、非戦闘員を殺していました。
と書くところを見ると、やはり為政者から暴力を受けることを念頭に書かれた記述ということなわけですね。
まあ、徴兵制になったとき、仏教徒としてそれを拒否したときは、そういうこともなくはないかもしれませんね。そのことを書かれたというのであれば、納得いたします。
>こんな、極論にしかならないわけですか。
たとえば、わたしが「自民党の政策に反対である」。こういったら、何がなんでも自民党の解散を訴えないと矛盾になりますか。あなたの論法はこれに等しい。
あなたは、別段、自衛隊反対ということではないということでしょうか。
52
:
匿名
:2005/11/21(月) 00:05:14
>> 犀角独歩さんの仏教徒の立場から考える、自衛隊ではない、その対策
>この質問の意味はわかりません。
犀角独歩さんの一連のレスは、自衛隊反対の立場を頑なに訴えているのかと思っていましたけど。そう思っていたたのは、私だけなんでしょうか。
>わたしは憲法9条から考えれば、軍隊は放棄しているわけだから、もし、軍隊を作るのであれば、憲法改正が先とするべきではなかったのかと言ったまでです。なにが、どう矛盾するのでしょうか。違憲なのは軍隊のほうで、わたしの考えほうではありません。
だから、ただ「軍隊」と言ってはいけないんです。「自衛のための軍隊」です。
>もちろん、政府批判です。それがどうかしましたか。
どうもしませんが、ああ、ただの政府批判かという思いです。
>「最も平和を愛するのは自衛隊」だなどと奢りの前には当然の発言です。
受け止め方の違いを実感しました。そうですか。そこまで憤りを感じられたのですか。それは気がつかなかった。
>死者の墓前に頭を地べたになすりつけ、謝罪すべきことです。
そこまで言うこともないでしょう。通りすがり2さんは、別のスレッドでのいきさつはともかくとして、世界情報ボックスでは、そんなに横暴な印象は受けませんでしたけど。あのようなお立場の方も、レスされることは、いいことだ思いますよ。
立場が違って、噛み合わないことはあるでしょう。噛み合わなければ、議論を回避すればいいのです。それぞれが、それぞれのことを、粛々と書いていけばいいのですから、とにかく参加者をやたらと排除してしまう形が多すぎるのは、いただけません。
>では、武器は不殺生の道具ですか。ピストルをぶっ放すと不殺生の効果があるのですか。
あのね、威嚇して、逃げてくれればそれでいいんです。威嚇をしなければ、ズルズルと交戦になってしまう。
まあ、これ以上は、稚拙な表現で、笑われそうですから、やめときますけど。
私がお聞きしたいのはですね、自衛隊は反対ではないとして、だったら、自衛隊に何を言いたいのでしょう。
殺傷のための武器を持っているんだから、不殺生戒を犯しているんだぞと、ただそれだけを言いたいということでしょうか。
>ここは自衛隊の掲示板ではありませんから、もういい加減にしたら如何ですか。
私も自衛隊のことは、概ね書き尽くしています。私としても、もういいんですよ。
だけど、あなたが反論してくるから、延々と書かざるを得ない。
ところで、どうなんですか。
自衛隊は、否定ですか、肯定ですか。
>あなたは、いったい、何を目的にここに記しているんですか。
これは、護憲を訴えたい。それ一点です。
だから、自衛隊が違憲か合憲かの議論を延々としていたのでは、国民投票が終わってしまいます。そろそろ折り合いをつけないと。
>要は自衛隊反対は許さない。
許さないじゃないですよ。これは、棚上げしてもいい議論です。
ただ、私は個人的に気になるんです。スイスの国民皆兵の実例もありますし、自衛隊は認められないから、じゃあやめようじゅないかという場合、その後の防衛はどうするのか、これはどうしても聞いておきたいんです。
>そして、何度何度も以上のように、過去の記述を繰り返してはわたしに難癖を付けているのに過ぎない。自衛隊翼賛と、犀角独歩批判、それがあなたの目的ですか。
いやいやもういいです。でも、あれはどうあっても、失言でしょう。
>この質問は要は兵士だって信者いがいたはずだという為にする質問でしょう。
もちろん、いただろうとは思います。そのような方のことを仏教徒の方々は、どのように考えていたのかを知りたいのです。
時代は違いますが、やはり参考にすべきことではないかと。
>信者という点では、いまのような入会だなんだということがあるわけではなく、釈迦とその集団を敬う気持ちがあれば、そこに信仰があるわけですから、それは各人の個人的な意志でしょう。
>信者という点では、いまのような入会だなんだということがあるわけではなく、釈迦とその集団を敬う気持ちがあれば、そこに信仰があるわけですから、それは各人の個人的な意志でしょう。
これは、納得です。
兵士というのは、死と向き合ってますから、普通の人より信仰を求めるものだと想像するんです。これは知ったかぶりではなく、想像です。そのような方々が、殺生をする兵士であるということで、責められていたのものなのか、それが気になりました。
53
:
匿名
:2005/11/21(月) 00:05:39
>あなたが記したとおり、「最も平和愛する自衛隊」で、戦争に殺戮被害を被った人々に対する配慮がない点を言ったわけです。
これは、あなたの言い分も理解いたします。
>国家に殺された被害を受けた人々に何ら保障もしなかったというのは紛れもない現実ですよ。
国家に殺された…そのように思われているのですか。うーん。
あれ、ご家族は殺されたんでしたっけ?
>国家論ではありません。一人ひとりの思いです。
思いですか。で、国家論は?
>鹿鳴館に代表される当時の政府はそんなにご立派なものでしたか。
そりゃあ、非をあげればキリがないです。
開国を迫られたときに戦えばよかったですか?戦力からいって、戦えたんでしょうか。それこそ、国民が巻き添えです。そういうことは、考えませんか。
>廃仏毀釈に破壊された多くも当然のことであったというわけですか。
われわれ仏教徒は、この新たな政治に一切を蹂躙されたのです。
確かにそれは言い分としてあるでしょうね。政治に一切を蹂躙されたのは、明治維新からではなく、江戸時代からですし。
>しかし、わたしは、これらが同盟などという肩並びの関係になっていない点を言っているわけです。
言ってることがわかりません。
>あなたは日本とアメリカがフェアな関係にあると思っているわけですか。
先のレスの一番冒頭に書いたじゃないですか。日本が真の独立国家だと思ったら大間違いだと。
同盟は、フェアだと認識していらっしゃるのでしょうか。
それとも、これも合意点ですか。
>自衛隊が不殺生戒だとも取れるあなたの書き込みに対して
彼らが自衛隊の立場で「戒」を持っているわけではないでしょうけれど、不殺生戒は犯していないでしょう。誰か人を殺傷したのでしょうか。しかし、私はそれよりも、発足以来、一人も血を流していないことのほうを、大事に思いますね。
>こんなことをわたしが知らないとでも思っているわけですか。これはひどい侮辱ですよ。
知っていたら、身分がどうの、支配がどうのなんて書けませんよ。知らないからそう書いてしまうのでしょう。
>こんなわかりきった建前を論を書くから、まったく優等生の模範解答のようだ言いたくなるわけです。
とはいいますが、それを前提に書き進められないような記述でしたけど。
>この公務員の保障された生活と一般市民では格段の相違があります。
一般市民の中にも、格差はあるでしょう。一般市民をひとまとめにはできません。
歳費が云々であれば、まず、それだけの仕事が彼らには要求されているということでしょう。
>感覚が麻痺しているのではないかと疑わざるを得ません。
あのね、感覚の問題じゃないんです。まずは身分がどう規定されているかという原則から入ることは肝要です。
歳費をいっぱいとっているとして、じゃあ「支配」という言葉を記されたのは、何なんでしょう。
>これも侮辱に当たりますか
侮辱ではなくて、これはあなたの記さなかったことの詭弁です。
>以下、またわかりきったお話です。
いちいち、こういうことを書きますかね。
これを書かないことには、脈略のない話になってしまう場合もあるでしょう。
54
:
匿名
:2005/11/21(月) 00:06:46
>わたしはいまの日本、世界のどこにマルクス等がいった共産主義があるのだと問うているのです。
日本は答えましたけど。
世界的には、中国、ラオス、キューバ、北朝鮮といったところでしょうか。影響力のある国ではありませんが。
>ないでしょうね。
でしょうね。
>陰謀史観の類は物笑いのタネですから。
物笑いのタネを持ち出しのは、あなたです。
>無礼ですよ、あなた。
お互い様です。
>ですから、何をとくとくとわかりきったことを記しているのですか。
まだ、侮辱する気ですか。
知っているなら、聞かなければいいことです。
聞かれたからも答えたまで。
時間を割いて、答えたら、答えたで、わかりきったことだとか、無礼だとか言うわけでしょ。
だいたいが、横暴なんですよ。
>日本という社会、限らず、世界から共産主義はもはや、死滅してしまったと言っているのですよ。
だからそう思っているとしたら、甘いということです。
>『赤旗』は、ある面、仏教界の主張を伝えるという隔世の出来事も起きているわけです。
ふーん。変なことです。
>宗教的立場について、何度となく、問いかけたわけですが、それを「強要」などと見当はずれの反論で答えず、八正道、中庸を挙げたわけですから、それをあなたの信仰と見なすのは議論の流れから致し方のないことでしょう。
それで。
>あなたがわたしに対して「甘い」と記して書いた見当はずれの書き込みとともにお返しします。
正直に甘いものは甘いですよ。見当外れかどうかわかりませんが。
>わたしのほうこそ、軍隊の新聞検閲のような不快感がありました。
私の記述がですか?
>となれば、言論にチェックを加え、検閲めいたことを仕掛けたのは、そちらでしょう。
あの記述は、普通はクレームが出ますよ。
>人に知識がないと上から見下したような文章は実に不愉快であり、学ぶところなく、故に面倒なばかりで得るところなしというのが偽らざる印象です。
そっくり謹んでお返しいたします。
55
:
匿名
:2005/11/21(月) 00:09:20
>51
訂正
正)服従運動の前
誤)不服従運動の前
56
:
匿名
:2005/11/21(月) 00:11:26
>51訂正
正)独立を反故にされたイギリス人の怒りというものもあって
誤)独立を反故にされたインド人の怒りというものもあって
57
:
犀角独歩
:2005/11/21(月) 00:32:24
名さん、あなたに甘いだなんだ言われる筋合いはないですね。
そんなに自衛隊云々を言うのであれば、入隊して、イラクでも何でも行けばいいでしょう。こんなところで油を売っている必要はないでしょう。
入隊のお祝いをして上げますよ。日の丸の旗でもでも振って上げましょう。
そうして、言っていることが行動の一致する心意気を早く見せてください。
58
:
犀角独歩
:2005/11/21(月) 00:36:50
しかし、いまや中国は、世界でも有数の資本国家。
共産党国家であっても、共産主義国家ではありません。
どうやら、資本論一つ読んだことはないようですね。
共産党といえば、共産主義だと思っているわけですか。
いやはや。
59
:
犀角独歩
:2005/11/21(月) 00:44:34
共産主義といえば、共産党という小学生のような話が横行しては困るので、
簡潔な資料として
共産主義
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%B1%E7%94%A3%E4%B8%BB%E7%BE%A9
60
:
匿名
:2005/11/21(月) 21:24:45
>57
結局、私からの種々の質問は、このような「揶揄」がお答えであると、承りました。
それにしても、お身内やお知り合いに、自衛隊員の方がおられるというのに、よくこんな揶揄が書けるなあという思いです。
私は仏教徒だからこそ、このようなことを言いたくはないという思いを持ちますね。とても、残念なことです。
>58
>しかし、いまや中国は、世界でも有数の資本国家。
共産党国家であっても、共産主義国家ではありません。
これは、政治システムと経済システムを混同されているのではないでしょうか。
中国はいまでも、共産党一党独裁の共産主義国家です。
ですから、政治の決定の場に「議会」はなく、国民の「投票権」もありません。
いわゆる私たちの民主主義のシステムとは違い、人民民主主義という、よくわからないシステムです。
共産主義に基づく政治が、今なお行なわれています。
…などと書き記すと、また、わかりきったことで無礼だと言われるのでしょうね。
しかし、わかっていたら、「共産党国家であっても、共産主義国家ではありません。」なんて書けないものなんですけど。
そもそも、「わかりきったこと」なんて言われると、まるで「対話」になりません。
>どうやら、資本論一つ読んだことはないようですね。
こう書くところを見ると、あなたは、読まれたのですか。
>共産党といえば、共産主義だと思っているわけですか。
いやはや。
共産党は共産主義社会の実現を放棄したというのですか。これは驚きです。私は弱小政党になって、「共産主義革命」なんて大きなことが言えなくなっただけのことだと思っていました。
仏教徒が仏教にかなった理想郷の実現を目指すように、共産主義者は、資本主義が崩壊して共産主義社会になることを、今でも目指しているものだと思っていましたけど。違うのでしょうか。
ソ連やベルリンの壁が崩壊したからといって、イデオロギーそのものが消えたわけではないでしょう。
そもそもマルクスは、資本主義を否定したわけではないですし。発展段階説に従い、資本主義の崩壊を待っているのではないのでしょうか。共産党員も資本主義社会の恩恵を受けて、多少、信念がぐらついていることは考えられますけど。
最近の若い方はご存知ないかもしれませんが、共産主義者は、共産主義革命の実現に向けて「暴力」という手段を否定しませんでした。
ところで、その暴力闘争のデモに参加するというのは、不殺生戒を破ることにはならないのでしょうか。
ゲバ棒持って火炎瓶を投げる、そんな暴力集団の中に身をおきながら、自分だけは丸腰だから自戒は逃れる…そんな理屈、なんだか、自戒といいながら自分に甘い気がしないでもないです。
>59
向学のためにと、ご提示頂いたジャンプ先を読ませて頂きましたら、私の認識に間違いはありませんでした。
======以下抜粋。=============
共産主義の基本的革命理論を構築したマルクスとその同志であるエンゲルスは、その著書『共産党宣言』において、「共産主義者は、彼らの目的は、既存の全社会組織を暴力的に転覆することによってのみ達成できることを、公然と宣言する。」として、暴力によってのみ共産主義革命が達成できると主張した(暴力革命必然論)。
=============================
「暴力革命必然論」ですよ。よくこんな主義の人たちと非暴力主義であるはずの仏教徒の方々は行動を共にされているなあと思います。
そりゃあ、ソ連崩壊で共産主義社会の実現は、当面は無理だろうとはしてもですよ、マルクスの「資本論」によるところの「発展段階説」によれば、やがて高度に発展した「資本主義社会」が崩壊して、「社会主義社会」を経て「共産主義社会」へと実現されていくというわけです。晴れてその実現のとき、真っ先に「粛清」されかねないのは、「宗教法人」だという認識や危機感というのははないのでしょうか。
信仰を持つ私には、信じられません。
もちろん、世間は広いですから、宗教的なものを一切受け付けられない唯物論者はたくさんいます。私の知人にもいます。そのような人に、宗教を信じろというのは大変酷なことです。それはそれで尊重し、唯物史観による「共産主義」という思想や信念を排除するつもりはありませんが、しかし、彼らの望む社会に、信仰者の居場所はないわけですから、これは排除なんてものじゃなくて粛清ですから、信仰を持つ私にはとても合わないことです。
61
:
匿名
:2005/11/21(月) 23:25:10
「デモ」からの発見
いろいろと「意見交流」をさせていただきながら、ふと思ったのですが、どうも最初から議論が噛み合わない。
これこそ、現在のお互いの最大の共通の認識、合意点、ある意味で、これが意見交流の「最大の成果」かもしれません。
しかし、これはもともと「想定内」のこと。
ですが、ひとつ新たな発見がありました。
当初、噛み合わないのは、自衛隊への見解の違いだけだと思っていたのです。
ところが、そうではなくて、実はもっと根本的な重用な相違点があった。
そう、それは、他でもない、最も根本的な思想・信条・イデオロギーの違い。
仏教への信仰はお互い共通点としてあっても、相手は革新・左翼系、私は保守・右翼系であった。
死語に近い古い言葉で書きました。思想や信条というのは、そうそう変わるものではありません。
基本的理念のスタートが違っていた。
噛み合わないはずです。
いま、ようやくそれに気がつきました。
これを埋め合わせていくことは、お互い不毛な時間を過ごすことでしょう。
仮に目指すところが同じだとしても、別々の道を行くのが賢明。というもの。
大きな発見でした。
63
:
藤川一郎
:2005/11/22(火) 08:50:27
たまには余談です。
我が日本国は「純正資本主義」でも「共産主義」でも「社会主義」でもありません。
まあ強いて言うなら「社会主義的資本主義」とでも申しましょうか(爆)?
イデオロギーと言うのは簡単に白黒では割り切れない部分があるのです。
この程度の見識は持った方が良いんでは・・・?
64
:
犀角独歩
:2005/11/22(火) 11:02:31
匿名さん、それ以前から、薄々思っていましたが、あなたの考えは、ベルリンの壁崩壊以前、ソ連邦、文化大革命当時の知識で物事を計っているのではないでしょうか。
わたしに『資本論』を読んでいるのかという質問を投げかけていますが、わたしの年齢で、そもそも資本論を読んでいない人間などいるのでしょうか。もちろん、読んでいます。ただ、苦しいあなたの言い返しを聞く限り、あなたは読んでいないことはわかりました。また、今回のレスを読み、あなたの“程度”がわかりました。このような書き方が揶揄、侮辱に当たるかどうか。これは、この際ですから、記すしかありませんが、もはや、そんなレベルの話でもありません。まあ、よく勉強されることですよ。
少し回顧談。
わたしは本格的な「折伏」を高校生の時から始めていました。ある相手の兄が過激派の闘志でした。「折伏」で待ち合わせたら、いきなりラチされ、アジトへ。ヘルメット、タオルでマスク。手には鉄パイプを握った学生の群でした。
「お前の仏教の話を聞いてやるから、話して見ろ。しかし、俺たちを納得できなかったら、帰さねえ。総括する」
わたしの共産主義との出会いでした。この時、「総括」が殺すという意味ともわからず、必死に話しまくったものです。結果、いわれたのは
「お前のいっていることはキルケゴール、実存主義と変わらない。違うというなら、ここで説明して見ろ。だいたい、そんなことじゃ、革命は出来ない。共産主義というのは…」と延々と、話し出したわけです。
その当時、わたしは、マルクス・エンゲルスは、名前は知っていたものの、読んでいませんでした。キルケゴール、実存主義といわれてもなんのことかもわからないような状態でした。
「総括だな」と、そうその人が語ると、ガシャンと鉄パイプが床を突く音が響いたことをいまも思い出します。
「しかし、しかし、まだ、子どもだ。今日は勘弁してやる」
そう言って、ぽんと肩を押されて解放されたという顛末。
あの当時、「折伏」をすることは命懸けであり、天皇・神道の右翼・マルクスの左翼、その極に仏教というものがあったわけです。
そのわたしをつかまえて、「革新・左翼系」、これは藤川さんならずとも爆笑を通り超えて、話にもなりません。
あなたの記していることは半世紀前の共産暴力革命に対峙する、あなたの自己定義を借りれば「保守・右翼系」反共専守防衛論。しかし、今時、右翼の活動家でも、こんな昔の知識で語るような人々はいません。藤川さんが笑うわけです。
65
:
犀角独歩
:2005/11/22(火) 11:03:08
―64からつづく―
しかし、共産党が勢力を巻き返したら、暴力革命を行うとか、ウィキペディアの記述を見て自分の考えは間違っていなかった、極めつけは
> 「暴力革命必然論」ですよ。よくこんな主義の人たちと非暴力主義であるはずの仏教徒の方々は行動を共にされているなあ
これでは、戦前の帝国主義の洗脳教育の優等生のようなことを言っています。
どうでもいいですが、では、あなたの愛する日本政府、いや日本という国家は、そんな、あなたの頭のなかではいまでも共産主義国家である中国、また、ソ連(ロシアではないでしょう)と、なんで、国交をしているのでしょうか。あなたの言葉は、わたしを含む日本の仏教徒を批判するように見えながら、実際は日本国とその政府、またそれを容認する天皇を批判することになっていることに気付けませんか。
まして、いまや中国では仏教は盛んです。僧侶もいますし、もちろん、信者もいます。それにも拘わらず、あなたは中国を共産主義国家であるといい、
> 晴れてその実現のとき、真っ先に「粛清」されかねないのは、「宗教法人」
と言うのは、あなたが認識する一党独裁の中国では、遠い昔話です。また、日本共産党が仏教界とも友好裡に会話が成り立つのも、かつての純粋共産主義を彼らが捨てたからに他なりません。
中国でも、彼らが共産主義(政治機構でも、経済機構でも、さらに人生を連ねる主義主張と見ても)を放棄して久しい。残ったのは、人民平等を訴えて、かつての特権階級を血祭りに上げた結果、それに成り代わった、共産主義を看板にした特権階級のみです。それでも中国は自由主義、資本主義を積極的に採り入れることにより、いまでは世界の一員になってきました。一方北朝鮮は、この共産主義を実現しているように見せ、専制君主という特権階級に支配されています。しかし、あんなものは共産主義でも何でもありません。ただ、独裁者支配に過ぎないわけです。共産主義は看板に過ぎない。もはや、ここには共産主義など存在していません。そんなことは、ここに書き連ねるまでもなく、当然のことですが、しかし、あなたはは、そうは思えないらしい。これではお話になりません。
あなたの言っていることは、アナクロニズム以外の何ものでもありません。そんな認識で現代の憲法改正を語る、いや、それ以前に、国を語り、世界を語ることは不可能でしょう。もう少しちゃんとした知識を持ち合わせてのことだと思いましたが、人と議論するレベルに達していません。これは批判でも、侮辱でもなく、あなたの現実です。まずは、自分の身の丈を知ることですよ。
まして、あなたは自分を仏教徒だというが、では、あなたのいう仏教とはどんなものであるのか、記していないことを批判したなどと快気炎を上げていましたが、あなたは、この仏教についても、語るほどの知識も持ち合わせていないように見えます。
もう一々にレスをしません。あなたが記すとおり、「お互い不毛な時間を過ごすこと」にほかならないからというより、議論するレベルにないからです。
なお、わたしはあなたと意見の交換をしたとは思っていません。ある時、突然、挨拶もなしに、因縁を付けてきた相手がながながと絡んでいる、そんな印象があるだけです。
いずれにしても、先にも記しましたが、あなたの自衛隊翼賛論はよくわかりました。急ぎ入隊して、お国のために戦ってください。それもできないのでしたら、自衛隊翼賛の掲示板に行ったらどうでしょうか。以上です。
66
:
匿名
:2005/11/22(火) 11:57:34
>62
はじめまして。
今日、戦後60年、日本は大きな転換期を迎えようとしており、将来の日本の姿を決めるとても大きな選択に迫られる時が来ます。
今から私たちの住む国、日本の憲法がどうあるべきかについては、ここでしっかり考えておかなければならないと思います。それが今を生きる私たちの、次世代への日本を継承する上での大きな責任であると思っています。そのことをまじめに考えています。
私はつい、議論の流れのなかで、護憲のために投稿したと書いてしまいました。
しかし、それよりもっと大事なことは、戦争というものを考えながら憲法と向き合う、その議論を投げかけてみたかったというのが正直なところです。
私は護憲だと書きましたが、まず護憲ありきではありません。そうあってはいけないでしょう。
私の結論をこの投稿で押し付けてはいけないと思っております。
ですから、戦争を体験なさっていらっしゃるお立場からの改憲すべきだというご意見も、大変貴重であり、拝聴したいと思います。
改憲に賛成の方であれ、自衛隊関係者の方であれ、もちろん戦争被害者の方も当然、靖国問題についても、それぞれのお立場で自由に投稿できることが望ましいと思います。
掲示板は「来るものは拒まず、去るものは負わず」の精神が肝要でしょう。
護憲か改憲か、その結論を先に決めるのではなく、まずは議論を試みる。掲示板のルールにも記されているようにそのことをタブー視してはならないと思います。
67
:
匿名
:2005/11/22(火) 11:58:22
>63
>まあ強いて言うなら「社会主義的資本主義」とでも申しましょうか(爆)?
マルクスの目指した社会の姿とは、実は日本にあったなんてことを聞いたことがあります。
中国は、政治システムは共産主義で、経済のシステムは共産主義経済が破綻し、資本主義経済を導入した、ということになるでしょうか。
日本は、政治システムは民主主義で、経済のシステムは、ご指摘の通り社会主義的資本主義経済ですね。しかしこれもアメリカからの圧力で段々と完全なる資本主義経済への改革が求められてきているのではないでしょうか。
経済の市場は、政治の思惑通りにはいかないものです。そこがソ連崩壊に象徴する共産主義国家の共産主義経済の破綻ということだろうと思います。
>イデオロギーと言うのは簡単に白黒では割り切れない部分があるのです。
そうですね。
イデオロギーなどという言葉を持ち出してしまいましたが、民主主義国家における政治では、共産主義であっても政党をつくることが許され、意見が述べられる、(憲法第二十一条 集会・結社・表現の自由、通信の秘密)で、その自由が認められているわけで、民主主義国家は共産主義を排除するものではない。事実、政党として存在しているわけです。
しかし、共産主義国家になった場合は、必ずしもそうとはならない。他のイデオロギーが否定・排除されてしまう。その違いがあるでしょうか。しかし、そのあたりも、共産主義のなかで変わりつつあるのかもしれません。
そのようなことをご存知であれば、どなたでも補足して頂ければ幸いです。
68
:
匿名
:2005/11/22(火) 11:58:46
>64
>65
参考にさせていただきます。
>あなたのいう仏教とはどんなものであるのか、記していないことを批判したなどと快気炎を上げていましたが、あなたは、この仏教についても、語るほどの知識も持ち合わせていないように見えます。
これは、稚拙な表現になるかもしれませんが、追々、投稿していくつもりです。
69
:
犀角独歩
:2005/11/22(火) 13:20:38
片瀬江ノ島氏
あなたは以前も投稿したことがありましたか。
> 平和ボケ戦士もどきが狭いカテゴリーの中で、身勝手な自己主義に垣間見る理想郷。抱く現実は、貴方の言う通り「甘い」
「平和ボケ戦士もどき」とは、わたしのことですか。無礼でしょう。
「甘い」というのは、憲法を改正して軍隊を増強すれば、世界治安維持に貢献でき、英霊に報いるなどという妄想、幻想を言うのです。
そんなことをしても世界の治安に役立つわけもなく、まして英霊は報いることになりません。
70
:
犀角独歩
:2005/11/22(火) 13:23:05
藤川さんが、言いたいことは、もはや世界は○○主義などという杓子定規でカテゴライズする時代は、とおに終わっていると言うことでしょう。
賛成ですね。
71
:
片瀬江ノ島
:2005/11/22(火) 18:51:36
匿名さん
>66
賛同いたします。私が一番に考えるのは戦地で今尚任務に着いている自衛隊諸
君が一体どれほどの攻撃権限があるのかに、憲法の限界を感じます。
情勢が安静と言われるサマワに派遣されようが、イラク全土は戦地と言っても
はや誰もが認知せざるを得ない事でしょう。夜の夜中の寝床に至近弾で打ち込
まれる迫撃砲や昼夜問わない自爆テロによる無差別攻撃に身を置く彼らの権利
は、お聞きしたいのはどの程度攻撃の指揮権を持っているのか。
また今後イラク以上に危険な任務が待っているかもしれない国際貢献に際し日
本も時代情勢から考えると無視は出来ますまい。私の息子や孫が行かなければ
ならない情勢ももしかしたら来るのかも知れない。送る側としてはその本人た
ちの尊厳をどう考えるのか。ざっくばらんで結構ですからあなたにお聞きした
い。よろしくお願いいたします。
73
:
犀角独歩
:2005/11/23(水) 17:06:55
TBS 戦後60年特別企画 ヒロシマを観た。
http://www.tbs.co.jp/sengo60sp/
日本を訪れたハロルド・アグニューが、被爆者2人の涙の訴えに拘わらず、「わたしは謝らない」との一言がすべてを語っていたように思う。
アグニューは原爆記念碑の前で言った、「核廃絶はできない。誰かがずるをするから…」
原爆は当初ドイツに対する“防衛”のために開発された。しかし、その防衛の道具は攻撃の道具として使用された。そして、60年、世界には当時の原爆とは比較にならない3万発の核爆弾が保有され、その拡散はテロリストに及んでいる…。
74
:
犀角独歩
:2005/11/24(木) 00:22:22
アグニューの発言を通じて、わたしがしっかりとわかったことは、一般市民が「被害」と感じていることは、軍人、政治家、科学者は「成果」「威力」と感じしていると言うことでした。
被爆者が「わたしたち、被爆者は、こんな被害に遭った」と語るとき、アグニューは「原爆にはこんな威力が発揮できたとほくそ笑んでいました」
戦争、軍備は、このように人間を狂わせることを、この人間の気味の悪いせせら笑いを通じて、わたしは学びました。
75
:
犀角独歩
:2005/11/24(木) 00:30:41
もう一点、アグニューに抗議した被爆者は、当時8歳の少年、17歳の少女でした。被爆で両親も失いました。そう本人にも切々と訴えたのです。そんな事実がありながら、このアグニューは、「罪もない一般市民はいない。戦争をやっている国の人間は、みな罪がある」「文句があるなら日本軍に言え。パールハーバーを忘れない」と言い切りました。
また、原爆投下を決定する要因に日本人が黄色人種であることが決定的な要素になっていたことが当時の関係者の発言から明らかになっています。
つまり、人種差別です。
この点は、いまのイラク問題でも何ら変わっていません。あの国が有色人種であるから、アメリカには何の躊躇いもないのでしょう。故に劣化ウラン弾を平気で使うのでしょう。おまけに日本もイラクもキリスト教徒ではない異教徒、彼らにとって、何の躊躇もないということが、この原爆投下の精神的な背景にあることがはっきりとわかりました。
76
:
匿名
:2005/11/24(木) 00:39:27
>71
的外れなお答えであったら、申し訳ありません。
自衛のための攻撃についてのマニュアルとでもいうのでしょうか、いわば反撃の規制ですね、大変細かく規定されているとのことは存じております。その詳細については、私は知り得ていなくて、これはテレビなどマスコミで一部公表されていたのを観た限りです。しかし私は、それを観たとき、大変愕然といたしました。ご存知のことと思いますが、ものすごく規定が細かかった。
相手からの攻撃は、一瞬の出来事ですので、その一瞬に、膨大細かなマニュアルに違反しないようにと、あれこれ考えている間に、恐らくきっと、やられてしまうことでしょう。そう思いました。
そのような中で、派遣されていく自衛隊員の心中がいかに複雑なものであるかは、ほとんどの国民には理解されていませんでしょう。ご懸念、拝察いたします。
米軍は、イラク戦争で、2000人もの兵士が死んでいると聞きます。日本の自衛隊員が1人の死者も出さずいることは、本当に奇跡だと思います。このままでは、海外に赴く、自衛隊員自身の人権が、現行憲法では保障されていないということになるということ、なるほど、その視点について、私にはいささか欠けていたかもしれません。
レスさせていただくまでの間、種々、考えてみました。
現行憲法のもとでは、自国において自衛のために攻撃する。これは当然の権利で、とやかく言われないでしょうけれど、海外ではそうはいきません。一方、自民党の改正案ながら、自衛軍になった場合、これは海外における攻撃は、自衛の為という範疇に留まらず、恐らく可能になるわけですね。この点が、一番、憲法改正の分岐点だと思います。日本の自衛軍が海外での攻撃が出来るようになるということ。
片瀬江ノ島さんは、ご子息やお孫さんが、もしかして自衛隊におられるのかもしれませんが、近いお身内に関係者がおられる方々は、ごく当たり前に国防について、これは国家とし当前のこととして自然に理解されているものかと思います。ところが近親者などに、そのような立場の方がいない場合、それはほとんどわからないものなんですね。まさに、私がそうでしたから。
この点について、つくづく最近、考えました。どうしてなんだろうと。
それは、もしかしたら、教育に原因があるのではないだろうかと思うのです。
私は、ほとんど国公立の学校で教育を受けてきました。
今にして思うと、やはり、どうしても日教組・高教組の影響を多分に受けてきたと思うのです。
そこに、国家における自衛隊という存在について考える機会が得られなかったとでもいいますか、そういったことを知り得る機会がほとんどないまま、「自衛隊反対」になってしまう。そういうことがいえるのではないかと思うのです。これは的外れなお答えかもしれません。
スイスの例をもってしても、仮に自衛隊を否定していけば、やがて国民皆兵に成らざるを得ないということでもあることに気がつきましたが、そんなことも考えないところで、ただ「反対」しているものだと思います。
私は、それではいけないと思うようになりました。自分の国の防衛問題は、自分の問題として考えなければならないと思います。
ただ、憲法を改正してまで、自衛隊に海外に行ってほしいとは、今のところ私は思いません。
だけど、致し方なく行かざるを得ない状況の中で、自衛のために攻撃もやむを得ないという現実は、誰よりも送り出す国民が理解しなければいけない点ではないかと思います。
>今後イラク以上に危険な任務が待っているかもしれない国際貢献に際し日本も時代情勢から考えると無視は出来ますまい。
本当は行かないに越したことはない。憲法を理由にアメリカに納得してもらいたいのがやまやま、と言うのが私の見解です。
私は安直ながら、憲法をいじるのではなく、しかるべき法律で補えられればそれに越したことはないと思っておりました。
しかし、そんなに簡単なことではないということなのかもしれませんね。確かにそういう現実があること、理解いたします。
77
:
犀角独歩
:2005/11/24(木) 00:50:13
管理者さん
お尋ねしますが一個人に対して「犀角氏…いかにも傷を負ったかのような平和ボケ戦士もどき」と侮蔑することは、この掲示板では、「一方的な個人攻撃」には当たらないのでしょうか。
62の削除を求めます。
78
:
管理者
:2005/11/24(木) 06:17:43
犀角独歩さん
>62の削除を求めます。
ルールに抵触しているか、スレスレか、微妙なレスであると考えます。表現は、確かに個人名を出していますが、「攻撃」とまでは言えないように思いますが、如何でしょうか。
79
:
犀角独歩
:2005/11/24(木) 07:12:53
攻撃ではないにせよ、わたしは戦士でもなければ、もどきでもありません。
このような不適切な表現をされる筋合いはないということです。
80
:
犀角独歩
:2005/11/24(木) 07:16:05
禁止事項、「非礼・無礼、人権侵害、言葉の暴力」等の侮辱表現、侮辱発言は、理由の如何を問わず堅く禁止」にも該当しないと言うお考えでしょうか。
81
:
管理者
:2005/11/24(木) 07:59:42
犀角独歩さん
そうですね、文脈から名指しと取れますので、「平和ボケ戦士もどき」との表現は『禁止事項「非礼・無礼」の侮辱表現』に該当しています。削除対象ですね。
82
:
管理者
:2005/11/24(木) 08:02:05
62レスは禁止事項に該当していますので、削除させていただきます。
投稿に当たっては、当掲示板の投稿ルールに従って下さるようお願いいたします。
83
:
犀角独歩
:2005/11/24(木) 09:06:13
管理者さん、有り難うございました。
84
:
犀角独歩
:2005/11/24(木) 09:06:51
不殺生戒というのは「人を殺すなかれ」という範疇に留まる戒ではありません。生きとして生きる一切(一切衆生)を殺すなかれという戒です。
ですから、初期の釈迦教団において、出家が三つ持つことが許された袈裟・鉄鉢・濾水嚢の‘濾水嚢’とは、水を飲む際に水に棲む小さな生物を一緒に呑み込み、殺してしまわないためのものであったのでしょう。
不殺生戒の最大の影響は宗教典礼のなかから人身御供、生け贄という風習を廃れさせたことであり、また、社会一般に対して、殺すことを罪悪視するという観念を人類に植え付けたことにあったのでしょう。
仏教徒として、戦争を語るとは、不殺生戒の視点から、その行為が罪悪であることは明確にするところにあるのだろうわたしは考えます。
憲法改正を含む軍隊肯定論は、このような何が罪であるのかという感覚を麻痺させる副次的な悪影響がある点を見落としてはならないと思います。
ここでも、すでに始まっていますが、自衛隊(軍人)を特別視する賛美は、やがて、軍部を頂点にする軍事政権へ移行する危機を孕んでいます。
昨日、TBSで報道された特別企画「戦後60年ヒロシマ」を観ました。
このなかで、原爆が当初、防衛兵器として、予算計上され開発されたという点が重要であると思えました。防衛の相手はドイツでした。しかし、ドイツは降伏します。しかし、その開発は中止されませんでした。防衛の武器であった原爆は、やがて、日本を無条件降伏させる攻撃武器という名目によって、その開発は続行されます。ところが日本は無条件降伏を決め、その取りなしをソ連に委ねるという完全に相手を間違えた選択をします。平和使節として選んだ当のソ連は8月15日日本進撃を決め、そのアメリカに密談を伝えた。トルーマンは、ポツダムに向かう戦場で、日本がソ連に送った戦争終結モールス信号を傍受した報告を受けた。ここで、天皇制を保護することを約すれば、日本は無条件降伏し、戦争はそこで終わらせることができた。トルーマンが原爆実験成功の報告を聞いたのはまさにポツダムであった。しかし、アメリカは、戦後、世界にその威信を示すために、何より、対ソ連を威嚇するために、日本に原爆を落としてしまうわけです。軍部の一人は、原爆は落とさなければならなかったのではなく、落としたかったのだと語ったところに戦争に絡む人間心理の錯綜がもっとも端的に現れていたと思えました。
この特集は、原爆開発に直接関与し、エノラ・ゲイに乗り込み、そして、ヒロシマのキノコ雲を撮影した張本人アグニューが来日、広島を訪れ、被爆当時8歳であった‘少年’、17歳であった‘少女’と対談したところで終わっています。この2人は必死になって、自分達が受けた苦悩と広島の惨状を訴えます。しかし、その言葉は決して伝わりませんでした。惨状を訴えれば訴えるほど、この科学者は、自分が開発した武器が優秀で十分な威力を発揮したかを確認したのに過ぎなかった。つまり、市民が感じる惨状がひどければひどいほど、その武器、軍事行動が「威力があった」と思いを募らせるというまったく逆の心理となっている構造がそこにはっきりと現れていました。「惨状」が「威力」に翻訳されてしまうわけです。
85
:
犀角独歩
:2005/11/24(木) 09:09:55
―84からつづく―
「謝って欲しい。被爆し、殺されたすべての人達のために謝って欲しい」、2人は嘆願します。もし一言でも謝罪の言葉が、開発・投下・撮影した張本人から聞ければ、この2人の60年の苦悩は癒されたのだと思いました。ただ、癒されたかったのだとも思えました。しかし、この科学者は「わたしは謝らない」と何度となく、繰り返しました。「文句があれば日本軍へ言え。我々は「パールハーバーを忘れない」とまで言いました。
エノラ・ゲイの機長もそうでしたが、彼らは国家の命令を忠実に守った英雄であるというまったく被爆者が感じる人間像とは正反対の自画像を形成しています。彼らが謝るはずはないわけです。この軍に関与した経験のある人間の精神構造と実際に戦争被害に遭った一般市民の間にある大きな溝が、わたしはいま、ここでの議論でも同じようにあると思えます。
アグニューは「よく「罪もない市民が殺された」というが、戦争をしている国で、罪のない人間などいない」と広島の地でこの男は語りました。原爆投下を指示していったアメリカ人の間には色濃い人種偏見がそこにありました。いまのイラクもそうですが、彼らは常に有色人種に向けて原爆を使い、劣化ウラン弾という放射能被害のある武器を使ってきたわけです。有色人種、罪ある一般市民という感覚へのエスカレート、惨状を威力ととらえる感覚は原爆投下を肯定し、世界最大の悪魔を、その国最高の英雄へと祭り上げてしまう倒錯した人間心理もここにありました。たぶん、熱烈なアメリカの愛国者からすればトルーマンも、ティベッツも、そして、このアグニューも、もっとも平和と国を愛した英雄なのでしょう。しかし、日本人は、なにより、被爆した方々がこれら人間を、悪魔と思っても英雄と思うことはないでしょう。
不殺生戒を考えるということは、このまったく価値を正反対に見る会話なのだとという点を、わたしは考えているわけです。
ここのところの議論は、要は自衛隊(員)、軍(人)への、わたしの罪悪視に対する発言に対する過剰反応が、結局のところ、その根底にあるのでしょう。わたしは朝鮮半島、中国の日本の戦争被害者の声を聞いてきた経験から、日本の軍隊に対して、彼らがどんな思いを懐くかをある程度、客観的にわかります。彼らにとって、日本の自衛隊は、結局のところ、原爆を投下した機長・ティベッツへの我々の視線と何ら違わないと言うことです。自衛隊員が最も平和を愛する人々だとは彼らは思わない。かつて自分の国土を陵辱し、身内を殺した殺人者の延長戦としてしか、映じないでしょう。しかし、軍経験は英雄へと、転訛されるまったく正反対の心理構造の反比例がここにあります。
不殺生にを‘借りて’平和を訴える人は、まったく正反対になる決して相容れない二つの精神構造を熟知したところから考えています。しかし、自衛隊肯定者3人の発言を見る限り、これら軍人を英雄視するというまったく逆の心理構造から意見を発しているのだと思います。ここで起きることは、反対者への怒りと侮辱です。英雄崇拝は、その栄誉を貶すことを許さないという崇拝者によって護られ、反面、護ることによって弱者を陵辱している構造には気付けない社会構造を形成していきます。この点は戦争肯定がもたらす群集心理なのであろうと思います。この点は、しかし、E・フロムによってドイツ・ナチスの心理分析『自由からの逃走』(東京創元社)に詳しく、また、S・ミルグラムの『服従の心理』(河出書房新社)に詳しいわけです。
自衛(軍)隊経験者とその崇拝者という関係は、実のところ、カリスマ崇拝と群集心理と同一の心理構造によって支えられているという点は、わたしは看過できないわけです。しかし、残念ながら、ここで分析されるような心理下にある人々は決して自分を客観的に見ることはできない。できないどころか、常にエスカレートしていくポテンシャルが働いているということも、分析者達は知っているわけです。まあ、長くなりますので、続きは追って記すことにします。
86
:
匿名
:2005/11/24(木) 09:26:52
>しかし、自衛隊肯定者3人の発言を見る限り、これら軍人を英雄視するというまったく逆の心理構造から意見を発しているのだと思います。ここで起きることは、反対者への怒りと侮辱です。
私は、英雄視しているわけではないのです。反対者への怒りと侮辱というつもりもありません。
ただ、視点が違うことを書いてみたかった。
国家を考えたとき、自衛隊の存在は否定はできないだろうということです。
仏教徒としてそれを考えてはいけない。考えること、それ自体が既に「不殺生戒」を犯すことになるというのであれば、では、どのようにして国家の安全保障を守るのか。仏教徒としての国家論はいかにあるべきか、その理想郷の具体策が、教義から描かれているのであれば、それを伺いたいのです。
その質問をしてきたつもりです。
その前提として、自衛隊の存在について、書いてきたのです。
大変、大きなテーマですから。この質問は急ぎいただく必要はありません。もちろん、強要でもありません。
87
:
匿名
:2005/11/24(木) 10:11:34
>昨日、TBSで報道された特別企画「戦後60年ヒロシマ」
再放送されていたのですね。
私は、去年だったと思いますが、観ました。
最後のエノラ・ゲイの機長の言葉は、私もよく覚えています。
非戦闘員を攻撃してはならないのは、国際法で定められたことですが、アメリカはそれを違反して日本に勝った。
貴重の言葉は、これが戦争の現実なんだと思い知りました。
だからこそ、戦争を回避しなければならないと、心から思い願います。
88
:
匿名
:2005/11/24(木) 10:12:41
>87 訂正
誤)貴重の言葉は
正)機長の言葉は
89
:
犀角独歩
:2005/11/24(木) 10:45:11
> 87
多分、あなたがご覧になったのは違う番組でしょう。
わたしが挙げたものは、本年8月5日の放映されたものの再放送です。
http://www.tbs.co.jp/sengo60sp/
90
:
匿名
:2005/11/24(木) 11:00:15
>89
今年だったんですね。もう随分前に御田うな気がしていました。
でも、その番組です。観ました。最後は、原爆公園でしょうかベそこのンチで被害者の女性と機長が会話を交わしていました。そうではありませんか。
去年観たのは、NHKで放映されたものです。いや、これも今年だったかもしれません。
広島原爆投下直後から復興されていく市街地の様子を、米軍が航空写真で撮っていたのですが、それを、最新技術のデジタル処理で、大変細かく状況がわかったという番組でした。
原爆投下直後から、ものすごい勢いで復興がはじめられていたんでね。
それはなぜかというと、広島市民の大半は「負けてたまるか」という思いがものすごく強かったそうです。
映像には、生き残ったひとりの男性が、ぼろぼろになった大きな布に、「復興」と大きく書いてのぼりとして掲げている姿が、映像から確認できているんですね。これはアメリカ軍に向けてのメッセージだったんですね。
その人は今も生きていらして、当時の気持ちを語っておられました。
「やりやがったな。こんなことくらいで負けてたまるか」
そういう思いだったとのこと。
ちょっとびっくりしました。
今の時代の私たちの感覚で、当時の人の思いを想像すると、少し違う部分もあるような気がするんですね。
91
:
匿名
:2005/11/24(木) 11:01:21
>90 訂正
誤)もう随分前に御田うな気がしていました。
正)もう随分前に観たような気がしていました。
92
:
匿名
:2005/11/24(木) 11:02:47
>90 訂正
誤)ベそこのンチで
正)そこのベンチで
93
:
犀角独歩
:2005/11/24(木) 11:07:21
> 女性と機長が会話
設定は似ているのですが、会話を交わしていたのは、アグニューという科学者と、被爆者の男性1人、女性1人でした。
94
:
犀角独歩
:2005/11/24(木) 11:12:30
> 英雄視しているわけではないのです。反対者への怒りと侮辱というつもりもありません。
では、あなたに限り、字句通り、承っておきましょう。
しかし、武器を握る軍人・軍隊と丸腰の市民ではそこに決定的な力関係の相違があります。この官・軍:民をあなたは同一視点から論じているように感じたわけですが、わたしはここには決定的なヒエラルキーがある点から批判している違いがあります。
> ただ、視点が違うことを書いてみたかった。
わたしの視点からすれば、84、85に書いた如くです。
まさに視点が違います。
> 国家を考えたとき、自衛隊の存在は否定はできない
できないでしょうね。
しかし、これは国民という自分が納得せざるを得ないのですが、仏教徒いう自分は受け入れられないダブルバインドがあります。
> 仏教徒としてそれを考えてはいけない。考えること、それ自体が既に「不殺生戒」を犯すことになる
考えてはいけないというより、むしろ、この点は良心的兵役拒否といった範疇に入る個人的な観点ではないでしょうか。
元来仏教は全体主義ではありません。国家全体を考えるようにはできていません。各人が各人の修行によって、平安を得、欲望を滅していく方途を考える個人に帰される教えです。しかし、中国における仏教受容は、ここに涅槃経、その他鎮護国家経典の存在価値を求めたわけです。ここで政教(王仏)は一致が計られたわけです。「殺」の肯定が仏教世界に持ち込まれました。国家正法護持のための「殺」は肯定されるにいたります。日蓮はこの系譜を引いています。そのために先の大戦では、戦争翼賛の肯定理論となったわけです。日蓮の家から出た一人として、わたしはこの過ちを繰り返す如何なる言説・行動も賛成できません。何故ならば、この戦争は数百万の被害者を出し、何ら保障すらなかったからです。せいぜい、保障されたのは軍人とその遺族ばかりでしょう。しかし、真の被害者に対しては、日蓮仏教関係者も、何より国家も何らそれに報いることはなかったからです。国家は国民に多大な被害を与えた当事者であった。それを支えた原理の一つに日蓮があったという現実を直視し、その過ちを2度と繰り返さないよう歴史的教訓としたいからです。
> 国家の安全保障を守るのか
これは、仏教の問題ではなく、国政の問題ではないでしょうか。
> 仏教徒としての国家論はいかにあるべきか
先に記したとおり、日蓮主義の罪科を考えるとき、わたしはこの主義者として、矜持があれば、この問題には触れられないという選択をせざるを得ないという思いがあります。故に西山茂師が本化のお立場から、「丸腰平和論」を言う気持ちはわかります。
仏教徒にある国家論とは非暴力、不殺生、不戦ということです。
仏教は国政実務ではありません。日本には国教はありません。故にこの問題を「仏教徒として」という枠組みで質問をすることは、はじめの一歩で躓いていると、わたしには思えます。
ただし、仏教徒も国民です。ですから、その国民という立場から考えるという二重性を実は日本という‘装置’は強いている結果の質問と言うことになるでしょう。
たとえば仏教徒というのを図式化すれば
仏の教え―<信仰者としての自分:国民としての自分>―政治―国家
という中間点に立っています。日蓮で言えば、日蓮仏教を原理主義的にとらえれば、この一切を一つのものにくるみ込み、政教一致、王仏冥合、富士門流でいえば、国立戒壇とやることになります。しかし、ここに大きなダブルバインドがあるわけです。純粋に「日蓮の教え」に基づこうとすれば、戦前の日蓮主義のようにならざるを得ない。また、富士門下的原理主義となれば、顕正会のように憲法改正・日蓮正宗国教・国立戒壇建立と言わなければならない。しかし、これは国家・国民の立場からすれば、両方ともNGです。
95
:
犀角独歩
:2005/11/24(木) 11:12:56
―95からつづく―
つまり、いまの日本という装置自体があなたの質問に、仏教徒、とりわけ日蓮仏教徒の答を門前払いしている構造があると言うことです。門前払いされていればこそ、かつての創価学会が、いまの顕正会が憲法改正で国教化を主張した所以があります。しかし、これに国も国民も賛同はしない歴史的経緯があります。
> その理想郷の具体策が、教義から描かれている
先に一字三礼さんも記されていましたが、一つ仏教と言っても多種多様でしょう。この質問はあまりにも漠然としています。
釈迦の教説と思われるもののなかで、該当する答はないでしょう。国家という家から出たところに、その教説があるからです。その極にある密教であれば、霊的国防論ということになるのでしょう。平安仏教と天皇の関係です。渡部昇一が仏教オカルティズムと批判した構造です。しかし、日蓮もその幻想を引きずっていたわけです。まず、この自浄作業が戦後60年の宿題として日蓮門下には課せられています。しかし、その答えすら出ていない現実があります。
ですから、ここ富士門流信徒の掲示板で「戦争を考える」というとき、以上のような議題とならざるを得ないわけです。
わたしは個人的には、憲法、自衛隊共に現状維持。国家独立、自主軍隊によるという幻想を捨て、あなたが例に引いたようにガンジーの糸紡ぎ、エネルギーに始まる自給自足をどのように確立していくかを‘政治’として考えていくことが先決であると思います。その民意が戦争賛成、暴力肯定ではなく、不戦・非暴力・不殺生であるという心の部分で担う範囲しか、実は、(国民であることをさっ引いた意味での)仏教徒には許されていないのが日本という国家だという現実を変える方法があるのか? 残念ながら、現時点ではないというしかありません。では、それでも仏教徒というとき、何が残り、許されるのか、それは、何から考え出すのかという観点の提供以上のものはないと思えます。何から考え出すかとはつまり、不殺生です。しかし、日本の仏教界は不戦、不殺生は言っても、ガンジーが言ったもう一枚の札を言いません。その一枚とは「不服従」という札です。アメリカに対する不服従。それは違背ではなく、言葉を換えれば真の独立の獲得ということでしょう。そのためには、あなたのというとおり、日本は自給自足を確立しなければならないでしょう。
また、昨日のヒロシマでも伝えていましたが、現在、核兵器は全世界30万発。たぶん、ソ連崩壊に関連するのでしょうが、テロリストに流出していることが最大の危機となってきているわけです。また、北朝鮮の核の問題もあります。もっと言えば、アメリカでは大統領がボタンを押せば、ミサイルは飛ぶという倒錯した民主主義の構造があります。65%のアメリカ人は近い将来、核戦争で世界を滅びると考えているということです。わたしは、この65%というパーセンテージは民意に基づく大統領の意志であれば、世界最終戦争の可能性を示す確率とほぼ一笑ではないのかと憂慮もしています。
日本の国防問題どころか、世界は30万発の核、もっとも危険な原子力発電、さらにその延長にある劣化ウラン弾という核の脅威によって地球と全生物を巻き込んでの絶滅の危機に瀕しています。
このような世界情勢のなかで日本が奇跡の不戦60年を歩めた‘実績’から、わたしは考えようといっているわけです。憲法改正、軍備増強、自衛から攻撃へという観点から今後の日本を考えることが、本当に国家安全保障なのか、そうではなく、この奇跡を可能にした実績を分析し敷衍するべきではないのかという選択肢です。しかし、これは仏教徒が何ができるという範囲の話ではありません。できることは、その理念までで、中間が抜け、その後の参画です。
日本の(国民であることをさっ引いた意味での)仏教徒は、以上のような状況から、理不殺生、非暴力、不戦という念として、それを主張する以上の政治的干渉は、実際、問題できない窮地にもあるということです。唯一、日蓮の名の下に国政に関与しているのは創価学会でしょうが、しかし、ここでも公明党は日蓮政党ではありません。昭和45年以降、日蓮の教えから離れ、党として、(日蓮・創価学会路線とは)別に、政治の側面から歩んでいるのでしょう。しかし、創価学会は宗教的に不寛容で、他宗派を認めませんし、また、他宗派も、過去50年の経緯から現時点で、歩みを共にすることは有り得ません。ただ、この公明党問題について言えば、日本がアメリカの属国になっているように、公明党が自民党の一派閥のようになってしまった以上、「仏教徒」という観点に収まるのかどうか、悩ましい問題となっているわけです。
以上、先ず、問題を整理しました。
96
:
犀角独歩
:2005/11/24(木) 11:16:27
【95の訂正】
誤)確率とほぼ一笑
正)確率とほぼ一緒
97
:
匿名
:2005/11/25(金) 01:07:27
>しかし、武器を握る軍人・軍隊と丸腰の市民ではそこに決定的な力関係の相違があります。この官・軍:民をあなたは同一視点から論じているように感じたわけですが、わたしはここには決定的なヒエラルキーがある点から批判している違いがあります。
これはお互いの受け止め方に、大きな相違があることに気付きました。
ヒエラルキーですか。うーん。
となると逆に、どうなれば理想的であると考えるのでしょう…という、どうしてもあなたの国家論をお聞きすることになるのですが。
まあ、ただ、犀角独歩さんの場合はご一族の流れというものが、横たわっていて、それがヒエラルキー批判という意識に向けてしまうのではないでしょうか。
個人的なことに立ち入って申し訳ないですが。世が世なら、統治する側の人間だったわけですから、「武器を握る軍人・軍隊と丸腰の市民ではそこに決定的な力関係の相違」というものを否応なしに意識してしまう。
ところが私の場合は、そのような意識には至りようがない。先にイデオロギー云々、これは私の行き過ぎた書き込みでしたが、それ以前に、国家に対する意識の違いというのがあるように思いました。
>仏教徒いう自分は受け入れられないダブルバインドがあります。
仏教徒に自衛隊をどう思うかという質問、また自衛隊員にあなたは仏教徒かという質問。これらは、いずれも不問にしておかなければならないことかもしれないと、ふとこの度の投稿で思いました。
>この点は良心的兵役拒否といった範疇に入る個人的な観点ではないでしょうか。
もう一点、お聞きしたい。スイスの例からいうと、仮に自衛隊のような職業軍人を少なくしていくとなれば、逆に国民皆兵の必要に迫られるという点、これはいかがお考えですか。
>元来仏教は全体主義ではありません。国家全体を考えるようにはできていません。各人が各人の修行によって、平安を得、欲望を滅していく方途を考える個人に帰される教えです。
私は、この姿はこれで、大変な存在感をもつものだと思います。
国家に物申すわけではない、兵士についても触れず、その代わり、どのような世間になろうとも、たとえ戦火に巻き込まれようとも、批判するでもなく、怒ることもなく、動じず、常に心の平静を保ち、自分の道を極めていく。この存在そのものが、力を持つものだと思います。「力」などという言葉は不適切かもしれませんが。
しかし、現代ではとてもそのようなことはかなわないでしょう。もし、このような仏教徒としての立場に自分を近づけるとすれば、国家に対しては黙して語らずという姿勢を守り貫くということになるでしょうか。
>この戦争は数百万の被害者を出し、何ら保障すらなかったからです。せいぜい、保障されたのは軍人とその遺族ばかりでしょう。国家は国民に多大な被害を与えた当事者であった。
この点は、ご返信ではなしに、別で投稿します。
>> 国家の安全保障を守るのか
>これは、仏教の問題ではなく、国政の問題ではないでしょうか。
ここは、私の考えとは大きく違います。
私は、国家という存在を、自分という個人と、切り離した存在のようには考えません。
国家の母体は、民族であり、国家の構成員は国民ですから、国家の構成員としての国民個人の視点から、国家のことを考えたいと思っています。私は、自分の生まれた日本がやはり好きですし、後世の人に責任をもって継承したいという、そのようなところから、国家がどうあるべきかという意識を一国民として心がけております。それを自分の信仰に引き寄せて考えてもいます。
98
:
匿名
:2005/11/25(金) 01:09:55
>仏教徒にある国家論とは非暴力、不殺生、不戦ということです。
仏教は国政実務ではありません。日本には国教はありません。故にこの問題を「仏教徒として」という枠組みで質問をすることは、はじめの一歩で躓いていると、わたしには思えます。
先ほどは、お釈迦さまの出家を極める仏教としての、国家との関係に触れました。
その後の大乗仏教の流れを受けて、鎌倉時代の日蓮聖人に至ると、国家に物申さぬ仏教から、国家に物申す仏教になる。
私は多くの御書や経文を読破しているわけではありませんが、国家に物申す姿勢の日蓮聖人は、なぜか心に響きます。
しかし、国家に物申す以上は、物申すだけの国家論をしっかり描いておかなければならない。私は、そう思います。
日蓮聖人に見習う点は、そこではないかと思うのです。
鎌倉時代を生きる日蓮聖人の国家論は、「政教一致、王仏冥合、富士門流でいえば、国立戒壇」ということになるのでしょうけれど、しかし、今は日蓮聖人が生きた時代とは違い、近代ですから、「政教一致、王仏冥合、富士門流でいえば、国立戒壇」これは思い切って捨て去るべきものだと思います。
もちろん、信仰の観念として、その理想郷を内心に描く、それを否定するものではありません。
しかしながら、たとえば「戦争を反対する」これは、国家に物申す立派な政治的発言ですから、それなりの国家論を描いておかなければならないと、私は思います。それこそ、ガンジーの糸紡ぎまで考え、実践する、そういうことが求められるのではないでしょうか。
>いまの日本という装置自体があなたの質問に、仏教徒、とりわけ日蓮仏教徒の答を門前払いしている構造があると言うことです。
この点は、よくわからない。もう少し解説していただけますか。
>一字三礼さんも記されていましたが、一つ仏教と言っても多種多様でしょう。この質問はあまりにも漠然としています。
確かにそうです。これは、私が個人の信仰を聞かれたように、「あなたにとっては」という意味を暗に含めたものでした。言葉が足りませんでしたが、あまり個人の内心のことを質問するのは、私の信条に合わないものなので、そんな文章になりました。
>その民意が戦争賛成、暴力肯定ではなく、不戦・非暴力・不殺生であるという心の部分で担う範囲しか、実は、(国民であることをさっ引いた意味での)仏教徒には許されていないのが日本という国家だという現実を変える方法があるのか? 残念ながら、現時点ではないというしかありません。
これもよくわからない。仏教徒に許されていないことというのは、どういうことを指しているのでしょうか。
>その一枚とは「不服従」という札です。アメリカに対する不服従。それは違背ではなく、言葉を換えれば真の独立の獲得ということでしょう。そのためには、あなたのというとおり、日本は自給自足を確立しなければならないでしょう。
かつて私もアメリカ追従の日本を情けないと思ったことがありました。しかし、エネルギー問題を考えたとき、これは選択の余地なしだという結論に至りました。
しかし、日本人の産業技術力は世界に誇れるものがあります。石油に代わる環境にやさしいエネルギーの開発は着々と進んできてもいるわけです。プラスティックなどの石油製品に代わる新素材も同様です。リサイクルにしても日本は得意分野ですし、資源がないからこそ、苦肉の知恵を出す。それが日本の強みといえるでしょう。
こういう環境問題に対応したテクノロジーの支援やリサイクル運動も、ガンジーの糸紡ぎに代わる不戦運動の象徴に成り得るものではないかと思います。
99
:
匿名
:2005/11/25(金) 01:13:39
>憲法改正、軍備増強、自衛から攻撃へという観点から今後の日本を考えることが、本当に国家安全保障なのか、
国家安全保障の問題で、今日のクローズアップ現代で放送された「東シナ海 水面下の攻防」が、大変参考になりました。
軍事的内容の投稿になりまずか、私はこのことは、たとえ仏教徒であっても日本の置かれた実情として知っておくべきことだと思い、これは、最後に別投稿いたします。
>日本の(国民であることをさっ引いた意味での)仏教徒は、以上のような状況から、理不殺生、非暴力、不戦という念として、それを主張する以上の政治的干渉は、実際、問題できない窮地にもあるということです。
これはどういうことを言っているのでしょう。もう少し、解説して頂けませんか。
>日本がアメリカの属国になっているように、公明党が自民党の一派閥のようになってしまった以上、「仏教徒」という観点に収まるのかどうか、悩ましい問題となっているわけです。
私は、当面、この姿を続けていくことが望ましいと思います。日本の石油、天然ガスの備蓄量から考えてみても、これは受け入れざるを得ない。
戦前は、日英米の良好な関係が続いていたんですね。ところが、いつしか日独伊になって、追い詰められてきた。
「鬼畜米英」が、あの戦争の合言葉だったわけですが、ですから私は、今、いたずらに反米感情というものを煽らないほうがいいように思うようになりました。あなたは確か「糞食らえ」と書かれてましたが、まあ、個々の国民が適当にガス抜きで言うのはいいとしても、あなたはここの掲示板では影響力が強い、その辺りの発言は、慎重を期されたほうがよいのではないかと、拝見しておりました。
負けるが勝ちという言葉があります。まさに日本の姿だと思います。属国だっていいじゃないかというくらいの気持ちでいます。体裁上は、一応独立国家ですから。軍事大国の道を捨て、経済大国となった日本は、今やアメリカの国債を400兆円も持っています。これを逆手にとろうとした首相もいましたが、そこは利口になって気持ちを抑え、この国債をもって、対等だと思えばいいのではないでしょうか。私は、そうと思うようになりました。
ただし、中国との関係も大切です。
今回の投稿をしながらふと気が付きましたが、政治上は、どうあっても日米関係を強化せざるを得ない。しかし、仏教界こそ政治に縛られない独自の外交ができるはずですね。
私の認識とは少々違っていますが、中国で仏教が盛んになっているということであれば、それが宗教法人的なものなのか、単なる文化としての存在なのか、私はそのあたりはわかりませんが、仏教の文化交流ということで、日本の仏教界が中国との友好関係を深めることは、政治が担えない分、非常に国益にとっても大変望まれることではないかと思います。
100
:
匿名
:2005/11/25(金) 01:14:16
NHKのクローズアップ現代で放送された「東シナ海 水面下の攻防」は大変興味深かったので、放送内容に触れて、少しレスしたいと思います。
中国は、急速な近代化に伴い、日本の何十倍もの人口をもって工業化し、世界の工場とまでいわれるところにまできて、ものすごいエネルギーを必要としています。
自国に石油が出るにも関わらず、それだけでは賄いきれないところまできており、日本と中国の間に広がる東シナ海にまで、天然ガスなどの資源採掘に乗り出すなど活動を活発化させています。日本と中国の中間線ギリギリの採掘は、日本の資源まで吸い上げる可能性があり、日本は中国に共同開発を提案していますが、中国側はこれを拒否し、あくまで独自の採掘権を主張し続けています。
去年11月には、中国の原子力潜水艦による日本における領海侵犯事件が起きました。
この原子力潜水艦は、グアムの周辺まで来ていたのを、米軍が密かに追跡。その後、石垣島まできたために、海上自衛隊の哨戒機に加え護衛艦も急行して、空と海から警告を発し、最後は政府による海上警備行動まで発したという、大変な緊張がありました。
このときの海上幕僚長は「攻撃を受ける最悪の状態も想定した」ということを話していました。
中国には深刻なエネルギー問題とともに、台湾を中国に統一するという国是もあり、今や東シナ海から太平洋にかけて軍事的活動を広めてきています。
もし中国と台湾をめぐる軍事的問題が生じたときには、アメリカの空母が台湾近海にまで派遣してきて中国を牽制することが予想され、そのことを想定して中国は攻撃力の強い潜水艦でアメリカの空母をとめようと、軍事演習を頻繁に行いはじめ、さらに、資源確保に向けた海底探索も行なわれているものと考えられます。
こうした状況の中、米軍は、自衛隊への軍事的協力を一層求めてきているとのこと。
石油資源のない日本の石油タンカーは、当然、この軍事的緊張にある東シナ海を通ってきます。この海域の安全確保がなければ、石油は日本には届かないわけです。その海域の安全確保の任にあるのが、当然、日本の自衛隊の重用な責務のひとつでもあるわけです。
戦前は、石油エネルギーより石炭が主流でした。その時代、ドイツプロイセンとフランスが戦争を繰り返してきました。スペイン国王選出問題をめぐる両国間の紛争を契機として開戦した普仏戦争が有名ですが、その本質は石炭という資源の奪い合いです。ところが、石油の時代になると、フランスとドイツは、戦争をする必要がなくなり、今では関係がとても良くなっているのです。
生存競争における資源争奪こそ、戦争の本質だといえるかと思います。
101
:
通りすがり
:2005/11/25(金) 03:29:57
日蓮聖人の説かれる法華経を基準とした仏教は、本仏釈尊の本果が示されることによって、迷いの九界もその意義を開顕されることです。即ち、軍人も軍隊も法華経本門の信念を受持していれば、地涌菩薩として社会の理想化に寄与していることになります。仏教を信仰している人は勿論ですが、仏教を信仰していない人でも戦争を好む人は、ますいないでしょう。軍人は最も戦争を嫌う職業にありますが、皆母国の平和のために命を捨てる覚悟があります。
102
:
犀角独歩
:2005/11/25(金) 10:09:30
本日は、これから出掛けなければならず、微にいるところまでは書けないのですが、「あ、やはり、ここだろうな」と思っていた点、要点のみ記します。
あなたとわたしの考えで違うのは、仏教観ということであると思います。
あなたがお書きになる外向的選択、また、政治的判断というのは、一つの選択肢と「あり」とも思うわけです。しかし、それは仏教が担うところではないという考えがわたしにはあります。政教分離です。
あなたのような仏教のとらえ方はある面、近代日蓮信仰のなかでは多数派に属するとは思います。もう少し正確に言えば、‘戦前の’と付したほうがよいかもしれません。つまり、あなたのとらえる仏教は、ご本人の自覚とは別に、近代、田中智学師的に解釈された日蓮信仰であるということです。
戦前の日蓮主義は、やはり、田中智学氏の絶大な影響をすべての日蓮門下は受けていました。しかし戦後、日蓮門下は、この田中智学氏の影響について、口を閉ざしました。その理由は、敗戦にあります。しかし、田中氏の影響が消えたわけではなく、形を変えてそれを継承したのは、実は創価学会、もっと言えば、戸田城聖氏でした。具体的な表現で言えば、日蓮正宗国教化・国立戒壇建立という目的です。創価学会の政治進出の理由もここにあったわけです。
しかし、いったん摂取された「田中智学」は、ここでは既に「戸田城聖」となっていきました。この考えは池田大作氏に継承され、当初は日蓮正宗・国立戒壇建立を目指し、邁進したかに見えました。この時点で、大石寺の僧侶、妙信講に至るまで、絶大な影響を受けていきます。
あなたが富士門流信徒である(あった)かは存じませんが、この範疇にある人々が考える日蓮仏教というのは、実は日蓮その人の教えであるというより、(教学的には日寛で、行動的には)それを解釈した田中智学氏、その影響によって大成した戸田城聖氏のものであるということです。この反省から、過去5年間、日蓮の原形の素描することを試みてきたのがわたしの投稿です。現代のわたしは、日蓮からさらに天台、羅什という中国漢訳仏教に言及し、さらにインドにいたり、西暦前後の経典創作の現場に戻り、さらにシャキャムニその人を見つめています。
あなたの考える「日蓮信仰は田中智学的だ」というのはラベリングということではなく、まず、議論の前提となる「仏教」という点につき、各自の違いを見ておかないとならないからです。批判ではなく、少なくとも昨晩のあなたの書いた仏教観は、そのように見えるという意味と取っていただければけっこうです。
以上のような日蓮門下、というより富士門流僧俗には一連の流れがあります。この流れは「田中智学」の思想という点で、実は日蓮門下全般一つにカテゴライズできるでしょう。日本に「仏教の戦争責任」というのは、大きなテーマの一つです。このような問題をあなたはお考えになってこられたか、また、その前提で歴史的な時系列で日蓮仏教を整理したうえで「仏教」と仰っているのかはわかりませんが、わたしが仏教というのは、そのような意味であると思ってください。
103
:
犀角独歩
:2005/11/25(金) 10:11:28
―102からつづく―
文中、あなたと記したのは匿名さんのことです。
一つ前に違う投稿が入っていたのに気付きませんでした。
このような歴史的な背景で、日蓮が国体に、いまで言えば、国政に嘴を挟まれることは2度と嫌だというのは、創価学会の言論問題事件ということであったとわたしは考えています。つまり、世論、換言すれば、大多数の国民は、仏教、取り分け、日蓮主義仏教は政治と分離していて欲しいという考えがあるということです。その後、この形で政教分離を計り、修正今日に至るのが創価学会・公明党でしょう。「政教分離」ということがここ数十年、呪文のように繰り返されるのは、そのためです。
創価学会が政教一致かと言えば、わたしは違うと考えます。
ここから、やや、あなたの先のご投稿と具体的に関連します。
いま、わたしは創価・公明が政教一致とは考えないといった理由は、きわめてオーソドックスです。つまり、創価学会は戸田氏が解釈し、それを継承した池田氏によってさらにアレンジされた「日蓮」を信じ活動しています。それに対して、公明党は憲法・法律によって活動しているという相違があるからです。
あなたはわたしに対して仏教徒しての国家論、また、政治的姿勢ということを仰ったが、わたしは、この点で、答としないのは、以上のような歴史的な推移と、政教分離という原則に基づくからです。「それは政治の問題である」と記したのは、その意味です。仏教徒は仏の教えによりますが、政治は憲法・法律による。この点は混同できないということです。
あなたにとって、国法と仏法は一致するのかどうかわかりませんが、わたしにとっては、この二つはまるで違うものです。(国法は仏法、また戒より、律に近いものでしょう)しかし、自分が日本国民である間は、日本国民として、国法を遵守します。しかし、わたしという個人、信仰信条、魂(心と言ってもよいですが)の問題としては仏教によるということです。あなたが使った「内心の自由」ということです。人間個人、生物としての自分、仏教的な言い方からすれば、生きとして生きる自分という問題において、政治・国家が関与できる問題は、全体のわずかな部分に過ぎないからです。
このような点で、あなたとわたしの考えは違っているのだと思えます。
あなたは日蓮が国家に対してものを申したと仰りましたが、しかし、日蓮は政治については口を出していません。為政者の信仰、また、当時は政教一致の時世ですから、その意味から日本国の信仰という側面からものを申したのに過ぎません。ここに日蓮の矜持はあったわけです。
もう一点、官・軍:民というヒエラルキーの問題、また、国家と国民という問題でもあなたとわたしは考えが違っています。わたしは、あなたを見ていると実に、政治的な、国家的にものを考える人だという印象を懐きました。団塊世代以前の人々、自衛隊など軍事に与した経験者と話しているような印象すらあります。その意味で、いまの20代から50代の感覚とはかなり違いがあるようにも思えます。
典型的なところでは、国家と国民は未分離なものである、国民が国家を考え、国益に供し、専守防衛に当たるのも当然である、まあ、極端な整理ですが、このような印象を受けます。
わたしは、このように考えていません。わたしはわたしです。生まれて落ちて以来、ここに済んでいますが、わたしは国のものではなく、わたし自身のものです。本来、自分の生命は自分で護るものである。ところが、この国にいる間は、自分を護る武器を所持してはいけない。丸腰でいろという。その代わり、国(警察・自衛隊)が護るという。しかし、ずいぶんと不満があると言った気分です。民は国の所有物ではないという厳とした考えがわたしにはあります。
104
:
犀角独歩
:2005/11/25(金) 10:11:58
―103からつづく―
敢えて脱線しますが、わたしの朋友が、今回のあなたとわたしのやり取りを見て、笑いながら言いました。
「なんであんなことに向きになっているの。僕は日本が戦争をすると行ったら、さっさと海外に行くけどな」
わたしは、この感覚をもっと日本人は持つべきだと思っています。
民を護ることのできないような国であれば、こちらから願い下げだという感覚は、わたし独立した個人としては、あってしかるべき考えであると思うわけです。ですから、「専守防衛が国民一人ひとりの問題だ」というのは国家側の勝手な押しつけであるとも感じます。各人が自主防衛をする手段を取り上げ、丸腰で自衛しろとしておきながら(警察は役に立ちません)、今度、国が危機になったら、武器を渡すから国を守れという理屈は、わたしも納得がいきません。人々は国の所有物ではないからです。
以上のような考えは、たぶん、あなたとは、まるですぐわないでしょう。それはしかし、相手方の問題であるというより、考えの相違であるということです。国家として考える、ではなく、個人として考える、その延長に国家という‘宿場’があるということです。しかし、日本人は国土と自分を分離して考える思考が育っていません。日蓮が「国を失ひ家を滅せば何れの所に世を遁れん」という感覚は、700年を経て、自由を獲得した段階でも育たず、あなたが仰るような議論ともなってくるのでしょう。
もう一つ。わたしの大切な師の一人、行明師は、いままた、インドを戻り、現時では、世界のある場所へ移動しています。この師はいつも言います。「インドといわず、日本以外の世界では宗教者(宗教における指導的な地位にある僧侶、神父、牧師といった人々)の発言力は日本とは比較にならないほど大きいのです。わたしたちは、主義主張、政治的地位、国家、経済という一切の利害関係から抜け出たところに立っていますから、あらゆる国のキーパーソンと会話をすることができます」
実際にこの師は、世界に歩き、自然が猛威を振るった災害地へ訪れ、時には戦禍を潜り、平和を訴えに行きます。これは「民間外交」ということではありません。‘宗教者にしかできない役割’を果たしていると言うことです。ヨーロッパでも中世以来、バチカンから派遣された特使が戦禍に和平交渉をしたようなことが、実はいまでも、継続しています。ただ、日本人はこのような点に目が向いていないだけです。日本の仏教が担えない、しかし、担うべき点であるとわたしは思い、師を尊敬してます。もちろん、わたしはこの師の信者ではありません。
以上、あなたとはかなり相違したお二人をご紹介しましたが、わたしは、その他、多くの選択肢、あいは複合的な方法論というものの可能性を睨んでいるわけです。
しかしながら、少数の個人ならともかく、日本に住む人々の大多数が、国が危険になったから他国へ移住すると言うのは、もちろん現実的ではありません。現実から考える必要があります。そこで政治があるのでしょう。
「国を失ひ家を滅せば何れの所に世を遁れん。汝須らく一身之安堵を思はば先づ四表之静謐を祈るべき者歟」
という日蓮の叫びに経巻が生じる所以でしょう。ただ、間違ってはいけないのは、日蓮が、このように主張したのは、民に対してではありません。為政者にたいしてです。また、日蓮は政治改革を訴えたわけではなく、その為政者の信仰対象を突いたのです。いわば、政治的側面ではなく、心の問題への論及であったという点です。
この点でも、多分、あなたが考える日蓮と、わたしが分析する日蓮は違っているのだろうと思います。
出掛ける時間になりました。続きは、また、追って記すことといたします。
105
:
犀角独歩
:2005/11/25(金) 10:25:10
【訂正】
> 102
誤)外向的選択
正)外交的選択
> 103
誤)ここに済んでいます
正)ここに住んでいます
> 104
誤)経巻が生じる
正)共感が生じる
他にもあろうかと存じます。
ご判読いただきたく存じます。
106
:
匿名
:2005/11/26(土) 00:22:27
>102〜104
>ご本人の自覚とは別に、近代、田中智学師的に解釈された日蓮信仰であるということです。
これは残念ながら、分析が外れています。
私は、日蓮聖人を思慕してはおりますが、日蓮主義者ではありません。日蓮国教化・国立戒壇建立という目的も、私の信念にはまるでありません。ですから、私はこの時点で、日蓮門下ではないといえるでしょう。
>このような歴史的な背景で、日蓮が国体に、いまで言えば、国政に嘴を挟まれることは2度と嫌だというのは、創価学会の言論問題事件ということであったとわたしは考えています。
戦前の日蓮主義運動で戦争を煽り、本来訴えるべき戦争反対が訴えられなかった戦争責任の一端、さらに創価学会の言論問題事件。
これらによって、ある種の政治アレルギーというものがあるのはわかります。ですから、私の投稿は皆さん、恐らく引いておられるのではないか、まあ、そう思います。その程度の「空気」は私にも読めますし、だからこそ、本当は自分の内心については語りたくなかったわけです。私は、できれば淡々と「戦争」を考えながら「憲法」について投稿したかった。しかし、それはもはや許されなかったようで、ここまで書いてしまいまったということです。
>以上のような歴史的な推移と、政教分離という原則に基づくからです。「それは政治の問題である」と記したのは、その意味です。仏教徒は仏の教えによりますが、政治は憲法・法律による。この点は混同できないということです。
とすると、あなたの政治批判というのは、日蓮聖人の影響を受けてのものではないということでしょうか。
書き込みを見ていると、権力に対する批判姿勢はよく見受けられるかと思われます。この度の私の投稿のキッカケであった流れにおいては、それが炸裂していたようにさえ思いました。しかしそれは、仏教徒としての自分からの批判ではなかったということなのでしょうか。
余談ですが、そんなあなたが、顕正会の問題では、権力による取り締まりを強化させることを是と考えておられるわけですね。そのことに関して別のスレッドで「匿名」が投稿した内容は、ご記憶でしょうか。私は、あのときのあなたの一連の投稿から、宗教トラブルの解決に権力の介入を是として煽る様子は、少々危険なのではないかと思いました。
ところが、この度は逆に権力批判が強い。この矛盾というか、アンパランスというか、それが気になりました。
>あなたにとって、国法と仏法は一致するのかどうかわかりませんが、
「国法」というか、それこそ「憲法」です。
国家の最高法規である「憲法」と「仏法」は、一致とまではいいませんが、目指す理念はかなり近い。そんな捉え方をしています。
>わたしにとっては、この二つはまるで違うものです。(国法は仏法、また戒より、律に近いものでしょう)しかし、自分が日本国民である間は、日本国民として、国法を遵守します。しかし、わたしという個人、信仰信条、魂(心と言ってもよいですが)の問題としては仏教によるということです。
「国法を遵守」という書き方をされていますが、そもそも「国法」が「憲法」に置き換えられると、遵守しなければならないのは、天皇、摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員、つまり「為政者側」になります。
私が、日蓮聖人への信仰の立場から、憲法に関心をもつのは、この点なのです。
>しかし、日蓮は政治については口を出していません。為政者の信仰、また、当時は政教一致の時世ですから、その意味から日本国の信仰という側面からものを申したのに過ぎません。ここに日蓮の矜持はあったわけです。
私は、国主諌暁は当時の国政批判及び政策提示と受け止めております。
107
:
匿名
:2005/11/26(土) 00:26:31
>「なんであんなことに向きになっているの。僕は日本が戦争をすると行ったら、さっさと海外に行くけどな」
戦争という非常事態において、どういうビザで海外に出られると思っているものなのでしょう。
平和な今の日本の状態で、海外に長期滞在できるのと同じようにいくとでも思っていらっしゃるのでしょうか。
戦争になろうというような状況の中では、簡単に長期滞在のビザが出るものではありません。
どこの国を想定しているかとわかりませんが、相手国が、戦争になっている国民をそうそう簡単に受け入れるものではないでしょう。
そのことについては、どう考えておられるのかわかりませんが、もし、長期滞在のビザが発給されなければ、亡命しかありません。
しかし、北朝鮮の脱北者を見てもおわかりのように、どこの国でも亡命者の受け入れは容易ではありません。場合によっては難民扱いです。難民扱いとなれば、いつ国外退去を命ぜられるかわかりません。
さらに言えば、亡命にしろ難民にしろ、長期滞在にしろ、はっきりいって、どこの国に逃げようとも、そこの国籍を持たない限りは、その国での人権は保障されません。そのことはわかっていらっしゃるのでしょうか。
コスモポリタン的思想はわからないてせもないです。しかし、それは自分の軸足としでも言える、自国が平和であればこそ可能な思想です。
しかし、先のフランスの暴動にしても、移民政策の失政があの暴動を招いているわけです。それだけ移民者は差別を受け著しく人権が害われていたかを示しているものです。いわば植民地政策のツケともいえるでしょう。
日本人が日本の国を出て、日本の国以上、もしくは同程度に人権を擁護してくれる国は、他にどこがあるというのでしょう。
現在のようなボランティア活動で海外に長期滞在する。これが出来るのは、今の日本が平和な状態だからです。もし戦争ということになったら、恐らく国外退去となるでしょう。戦前の満州引き揚げと同じです。もちろん、日本の同盟国なら受けいれてくれるでしょうけれど、その国が戦争を始めているとすれば、逃げ行く先も戦争なのです。その辺り、どう考えておられるのでしょう。
>わたしは、この感覚をもっと日本人は持つべきだと思っています。
これは、私は反対です。ビザの問題、どうお考えですか。とすると、あなたも同じ考えなのですか。
>各人が自主防衛をする手段を取り上げ、丸腰で自衛しろとしておきながら(警察は役に立ちません)、
警察は役に立ちませんという記述をみると、国内的な「治安」のことを言っているのでしょうね。
>今度、国が危機になったら、武器を渡すから国を守れという理屈は、わたしも納得がいきません。
これはスイスの例を言っているのでしょうか。あれもいや、これもだめ、ではわかりません。つまり、あなたは、どうであれば納得するのでしょう。それを示してみなければ、わからないことではないでしょうか。
私が、内心の信仰を語りたがらないように、あなたは国家のあるべき理想を語らない。そんな感じで結局噛み合わないのでしょうか。
108
:
匿名
:2005/11/26(土) 00:27:00
>個人として考える、その延長に国家という‘宿場’があるということです。
国家という「宿場」という表現は、私には馴染みませんね。
>「インドといわず、日本以外の世界では宗教者(宗教における指導的な地位にある僧侶、神父、牧師といった人々)の発言力は日本とは比較にならないほど大きいのです。わたしたちは、主義主張、政治的地位、国家、経済という一切の利害関係から抜け出たところに立っていますから、あらゆる国のキーパーソンと会話をすることができます」
私はこの言葉には、賛同します。このくらいの発言力を、発してほしいと思います。利害関係から抜け出たところ、これがまさに憲法でいうところの政教分離でもあります。しかし発言は利害関係ではありませんから、やっていただきたいですね。私としては。
>ヨーロッパでも中世以来、バチカンから派遣された特使が戦禍に和平交渉をしたようなことが、実はいまでも、継続しています。
ローマ法王は重用な政治的局面においては、必ず声明文を出してますね。私はこうしたことを、日本の仏教界でもしてほしいと思います。そうしたことは、「憲法」でいうところの「政教分離」で規制させていることではありませんから。
>「国を失ひ家を滅せば何れの所に世を遁れん。汝須らく一身之安堵を思はば先づ四表之静謐を祈るべき者歟」
ちょうど出してくださいました。私はこの一文で、政治と憲法への思いを信仰と重ねて、強くいたしました。
「立正安国論」の、この一文が最も好きです。
この一文から、日蓮聖人の「立正安国論」は、政治にものを言っていると、私は自分の信仰に引き寄せて解釈いたします。
国民(民衆)の生命・身体・財産を守る政治(まつりごと)を行いなさい。そう訴えているように思うのですが。
>ただ、間違ってはいけないのは、日蓮が、このように主張したのは、民に対してではありません。為政者にたいしてです。
そう。為政者に対して。
だから、私にとっては、それが「憲法」なんです。はっきりいえば、「立正安国論」が、「憲法」にさえ置き換えられるように思えるのです。これは私の信仰解釈として。
>また、日蓮は政治改革を訴えたわけではなく、その為政者の信仰対象を突いたのです。いわば、政治的側面ではなく、
政治改革ではないでしょう。私もそう思います。
信仰対象について云々した。これはそうだったかもしれません。ただし、これは中世の時代にこと、この点は現代に置き換える必要があるでしょう。
極めて政治的側面だと私は思っております。
なぜなら、国民の生命・身体・財産を守れと訴えているように読めたからです。
>心の問題への論及であったという点です。
心の問題というところ、為政者としての「心構え」と言い換えられませんでしょうか。
109
:
匿名
:2005/11/26(土) 01:06:54
近代憲法成立の歴史的経過
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/kinndaiknnpoiseiritu.htm
以下抜粋
===========================
王権の臣民に対する恣意(しい)的な課税と支出及び逮捕・拘禁を、議会がどうコントロールするかという深刻な対立と抗争の中にあったイギリスにおいて、1215年(建保3年=鎌倉時代の初期・3代将軍源実朝〈さねとも〉の時代)6月15日、国王(イングランド王ジョン〈即位=1199〜1216〉)は、貴族や聖職者に譲歩して普遍的な憲法の聖典を意味する大憲章=マグナカルタ(Great Charter。ラテン語 MagnaCarta=63ヵ条の法)を勅許(ちょっきょ=王の勅命による許可。王の許可)した。立憲制原理(人民の支配)の萌芽である。
そしてその12条には、国王の課税には一般評議会(議会)の同意が必要であり、かつ第39条は人身の自由と裁判に関する規定が置かれた(もとよりこの憲章の成立した背景には当時のジョン王の圧政があった)。また、第38条は、国王は、人民の自由や生命、財産を侵してはならないと規定犯している。
============================
過去、日本で制定された欽定憲法にしろ聖徳太子の十七条憲法にしろ、支配者から民への「義務と責任」の明記といった趣旨のものであるのに対して、近代憲法は、民から為政者への「権利の保障」を負わせたものです。
その精神性の歴史的はじまりが、この「マグナカルタ大憲章」ということです。
マグナカルタ制定が1215年に対し、遅れることわずか6年、日本は「承久の乱」を起こします。
憲法制定ではありませんが、マグナカルタ精神は、承久の乱と似ています。
鎌倉方の領民が汗水垂らしてせっかく開墾した土地を、朝廷が没収し、農作物にも重税をかけるという圧政からの解放、それが承久の乱だったからです。
洋の東西を隔てて、同じような動きがあったというのは因縁的です。
その承久の乱の翌年に生まれた日蓮聖人は、鎌倉の気質といえるでしょう。土地問題に絡む、今でいうところの弁護士のような役目もしているようですので。やはり権利意識が非常に強いという見方ができるのではないでしょうか。
110
:
犀角独歩
:2005/11/26(土) 01:55:53
匿名さん。
残念ですが、あなたはわたしが記したこと意味を、少しもとらえることはできなかったようですね。
どうやら、わたしは無駄なレスをしたようです。
111
:
通りすがり
:2005/11/26(土) 02:01:47
航空観閲式における総理大臣訓辞抜粋(10月30日)
「困難に遭遇したときに、どのような行動をするかによって、はじめて人間の価値が分かるといわれます。」
とても、日蓮聖人的です。現状を放棄して逃げるなんて思想は、日蓮聖人にも釈尊にも全くないでしょうね。
112
:
犀角独歩
:2005/11/26(土) 11:13:56
「立正安国論を上奏する」という言い方がされますが、これは正確ではないというのは、わたしは適宜な批判であると考えます。奏文とは天皇に提出する文書を言うからです。
日蓮の『立正安国論』は勘文です。
勘文とは、中尾師に依れば陰師(陰陽道)が執政者に上申する文書を言います。道(どう)の目的は吉凶を占うことですから、本来の勘文は、その意図に添うものでしょう。では、日蓮が陰師であったかというと、そうではなく、「天台沙門」という自覚であったことは、自称から窺えます。つまり、当時の政事の態勢で、為政者は自らが政を司ると共に吉凶占いといしての道(道教、陰陽道)・信仰としての教(調伏という実質を含む)、を、政治形態の一部としていたという点は、現在とはまるで違う点です。また、天皇は当然、国神を崇めて政(=祭:祭政一致)をここで神仏習合した形で仏教は採り入れられたのが、日本型の仏教の特色であったわけです。この延長に日蓮の『立正安国論』はあったわけです。
日蓮が『立正安国論』で
わたしが先に引用した文書を少し前から引用します。
「若し先づ国土を安んじて現当を祈らんと欲せば、速やかに情慮を廻らし怱いで対治を加へよ…他国侵逼の難・自界叛逆の難…国土乱れん時は先づ鬼神乱る、鬼神乱るゝが故に万民乱る…若し残る所の難悪法の科に依って並び起こり競ひ来たらば其の時何が為んや…国を失ひ家を滅せば何れの所にか世を遁れん。
汝須く一身の安堵を思はゞ先ず四表の静謐を祈るべきものか。就中人の世に在るや各後生を恐る。是を以て或は邪教を信じ、或は謗法を貴ぶ。各是非に迷ふことを悪むと雖も而も猶仏法に帰することを哀しむ。何ぞ同じく信心の力を以て妄に邪義の詞を崇めんや。若し執心飜らず、亦曲意猶存せば、早く有為の郷を辞して必ず無間の獄に堕ちなん」
ここで日蓮が悪法と言っているのは念仏のことです。
『立正安国論』の結論は
「汝早く信仰の寸心を改めて速やかに実乗の一善に帰せよ。然れば則ち三界は皆仏国なり、仏国其れ衰へんや。十方は悉く宝土なり、宝土何ぞ壊れんや。国に衰微無く土に破壊無くんば身は是安全にして、心は是禅定ならん。此の詞此の言信ずべく崇むべし」
です。すなわち、悪法(念仏)を停止(ちょうじ)し、実乗の一善(法華経)に帰依しなさい、そうしなければ、他国・自界二難が起こり、さらに死んだのちには無間地獄に堕ちるというのが日蓮の主張です。そして調伏の行は真言ではなく、天台(法華)で行わなければならない。その訳を日蓮に命ぜよという底意もあったのだろうと思います。しかし、これは日蓮が政治に関与するという意味ではありません。為政者の法華信仰と、調伏の行者としての登用を促した話でしょう。これは政治について、ものを言っているのではなく、信仰について言っているわけです。政教で言えば、教に関する進言です。
この法華経(南無妙法蓮華經)はしかし、決して、憲法、法律に言い換えられるものではありません。示しているものが違うからです。法華経が言うことを法華経典そのものへの信仰の勧めであり、それは日蓮において妙法蓮華經の五字へ信仰となります。
わたしがここで政治を語らないのは、ここが仏教の掲示板であるからです。
現代の日本の政治、社会という現場では、別段、靖国であろうと、キリスト教であろうと、念仏だろうと、法華だろうと、そんなことは問題になりません。信教は自由です。国法の定めに違反しない限り、そのようなことは問題にする必要もありません。ここで信仰を論じても始まりません。基準となるものは憲法・法律です。
政治の現場で、仏教を語ることは、クリスチャンの科学者が学界で聖書を引用して天地創造神話を話すようなものです。
113
:
犀角独歩
:2005/11/26(土) 11:14:40
―113からつづく―
ただし、国家が大量殺人の道を選ぶ(わたしの考える仏教で戦争を言い換えればこうなります)ようであれば、これに対して反対の意見を述べなければならない。人道に違反していると考えるからです。わたしの尊敬する弁護士の一人である滝本師は「悪意の殺人には限度があるが、善意の殺人には際限がない」と語りました。その善意の殺人の最たるものが「原爆」であったのでしょう。だから、彼らは謝らない。謝らないどころか彼らは「英雄」なのです。
このような倒錯した人間心理がどうして起こるのかという点から、考えるとすれば、政治と仏教は話にはなるでしょう。
しかし、何より、内心の自由を政治が侵犯する権限はありません。
また、仏教の信仰を政治から考えてしまうことは、仏教の本質を政治的に解釈してしまう脱線を起こしやすい。また、実際に起きています。
わたしは国家が悪国になれば、捨てる自由も個人にはあると考えます。
また、本来、仏教はそのような形で成立したものでもありました。しかし、日本人は、いや、もっと正確に言えば、仏教を政治と不可分と考える在り方は、その近代の起源は日蓮主義に還元します。また、そのように考えることが仏教なのだと思っている人もいるでしょう。しかし、これは仏教を歴史的、科学的に分析し、世界的に見ていけば、実に特別な‘仏教’であることがわかります。つまり、ここで、単に仏教と言われて語られているものは、実に日蓮主義的だということです。残念ながら、そのような自画像に気付けないほど、この日蓮主義が仏教だと思い込まれているということです。
その意味において、仏法が法律と同じように思われてしまったり、法華信仰を訴えた立正安国論が、政治・軍事の指南書のように思われてしまうのは、以上のように思われてしまった‘仏教’理解だからこそのことです。問題があると陳べても、「仏教とは何か」というテーマを語ることを避けてしまえば、この点が明瞭にできないということも、わたしは何度も記しました。
政治と仏教を語る、それは戦争と政治ということでもよいのですが、そこにある戦争というビジネス形態を闡明にすることは大義名分の建前論に騙されないために不可欠な点であるとわたしは考えます。しかし、このような点は、語られないわけです。ところが自衛隊、現行政治にものを申すことには、既にこの掲示板でも強い反発となって現れるという悪弊が生じています。この反発は何か、この点こそ、実は社会心理学が分析している点であるわけです。軍事という問題を語る前提として、先にも提示しましたが、最低限でも『服従の心理』『攻撃』の2冊ぐらいは読んでからとしたい。また、これら戦争・軍事に係る心理と信仰心理共通性を分析した『自由からの逃走』ぐらいは読んでいるという共通基盤がないと議論になりようがないという思いがあります。
いずれにしても、政治の‘技術的’側面を語ることは、ここの掲示板ではなく、相応の掲示板でやったほうがよろしいと思います。
なお、わたしが政府に対して批判的だというご意見がありますが、政府を批判して何が悪いという思いがわたしにはあります。また、自衛隊を批判的だという意見があります。自衛隊を批判して何が悪いという思いがわたしにはあります。何故か。それはわたしの内心の自由であり、日本には言論の自由があるからです。また、批判は「こうこうであるから、こうである」と説明するまでもなく、単に生理的に嫌いだということも含みます。わたし個人は、なんら報道管制される筋合いもなければ、思想統制される筋合いもありません。しかし、このようなことに過敏に反応し、その発言を封じ込めようとする、その心理こそ、分析されてしかるべき課題なのだということです。この点で、上記、挙げた3書は参考になるところ大でしょう。スレ違いではありませんが、強く、お読みになることをお薦めします。
114
:
犀角独歩
:2005/11/26(土) 11:21:50
【訂正】
> 112
誤)その訳を日蓮に命ぜよ
正)その役を日蓮に命ぜよ
誤)スレ違いではありませんが
正)スレ違いではありますが
115
:
犀角独歩
:2005/11/26(土) 11:30:00
一点のみ。
> 朝廷が没収し、農作物にも重税をかけるという圧政からの解放、それが承久の乱
この分析の是非はともかくとして、小松師の言を籍りれば、日蓮は「下克上」という言葉を使った歴史的人物ではかなり最初に属するということでした。日蓮は朝廷に対する以上のようなネガティブなとらえ方はないと思えます。むしろ、逆で、天台法華を捨て、真言密教によったことが天皇に起こった不幸の原因であるというのが日蓮門下一般の認識であろうと思います。
一方、日蓮は釈尊御領観と称される国家・政治観を有していたことは初期の真跡遺文から既に垣間見られるところです。
116
:
匿名
:2005/11/26(土) 22:21:05
>115
これは、ご指摘の通りです。
私の記述が大雑把だったと思います。
鎌倉武士が、朝廷に対して、自分たちの権利を主張する戦いをした。これが承久の乱。そう、下克上です。日蓮聖人が仏道に入る思いを強めたのは、この承久の乱だったとよくいわれます。
そして時が変わって、日蓮聖人の生きた時代は、権力の実権を朝廷に代わって幕府が握ります。
日蓮聖人は実権を握る幕府(執権)に対して、民衆の側に立って権利を主張した。
権利というのは現代的な言葉ですので、そもそも馴染まないと思いますが、度重なる天変地異により人々は苦しめられ、さらには蒙古襲来という危機も迫ってきている。なんとかしっかり民衆を救う政治を行なってくださいということで、正法を立てよという国家論をもって諌暁をされた。
その権力者に対する訴えの構図は、私には、マグナカルタと重なるということです。
権利の主張は、鎌倉武士の新しい特徴であろうという、ひとつの歴史的観測です。
これが正しいなどどいうことでは、まったくありません。
ひとつの歴史解釈が、私の内心の信仰の拠り所に影響を与えているということです。
教義的にどうこうというよりは、歴史的には、こういう見方もあるということです。
117
:
犀角独歩
:2005/11/26(土) 23:01:44
> 日蓮聖人は実権を握る幕府(執権)に対して、民衆の側に立って権利を主張した
たびたび異論を述べて恐縮ですが、これは民衆仏法解釈というものですね。
創価学会でも、よく見かける論法です。
立正安国論に限っていえば、日蓮は民衆の側に立ったわけではなく天台法華宗の側に立っていたのでしょう。
念仏停止・念仏者刎頭は、既に京都でその前例がありました。
つまり、日蓮は京都の朝廷と天台法華の有様を鎌倉で再現したということです。釈迦牟尼仏の側に立つということであるように映じます。
ただ、日蓮が鎌倉で寓居していた場所は、遺体遺棄が一般的な当時、そのような場所であったらしいこと、また、鎌倉大地震で、日蓮自身が罹災し、人々と苦難を共にしたようであること、また、板東武者にしても識字率が8人1人程度であったところで、唱題という称名に代わる方式を発案した、(字が読めなくても行ができる)民を意識していたことは事実であろうと思います。
また、「権利」の主張をしたわけではなく、捨邪帰正を主張したのでしょう。ただし、起請文などの起草などの事実を見るとき、辣腕ぶりを発揮しており、当時の僧侶の教養の高さを垣間見る思いがします。
「権利の主張が鎌倉武士の特徴」、おもしろい見解だとは思います。
118
:
匿名
:2005/11/27(日) 01:02:59
>わたしがここで政治を語らないのは、ここが仏教の掲示板であるからです。
いやいや、語っていらっしゃったじゃないです。でなければ、私は今回、投稿いたしません。
>たびたび異論を述べて恐縮ですが、これは民衆仏法解釈というものですね。
そうですか。
>創価学会でも、よく見かける論法です。
なんだか、今度は、私を創価学会員だとレッテルを貼りたいようですね。
論法と書かれてますが、くどいようですが、不本意ながら私の内心の信仰を書いたのであって、これは論法などというものではありません。
しかし、わざわざ、あなたが、私の信仰について聞いてきたその目的とは、このようなレッテル貼りにもっていく「論法」だったと思わざるを得ませんね。
>立正安国論に限っていえば、日蓮は民衆の側に立ったわけではなく天台法華宗の側に立っていたのでしょう。
これは読む人の感性によって、その受け止め方は違うものかと思います。
また日蓮聖人が天台法華宗側に立ったとして、それが「衆生を救う」道だと思ったからではないでしょうか。
>いずれにしても、政治の‘技術的’側面を語ることは、ここの掲示板ではなく、相応の掲示板でやったほうがよろしいと思います。
戦争を考えるうえで、政治を避けては語れません。
他の掲示板でということは、幾度となく向けられてきた言葉ですが、あなたは前にも記されたように、ただ、私の投稿が迷惑なだけでしょう。
それなら、私の投稿にとりあわなければすむ話です。
あなたはあなたの議論をお続けになればいい。
それだけのことです。
119
:
犀角独歩
:2005/11/27(日) 01:57:01
わたしは自分に投げかけられた議論について答えることをここでの信条にしています。116は115のわたしの投稿に対するレスですから、お答えしたまでです
わたしが政治を語らないといったのは、あなたの思いとは違いますよ。
政治という立場から仏教に、ああせい、こうせいはいうことは思想信条の自由を侵害することになるわけだから言えないだろうということです。
ですから、政治的見地から仏教に対してものを申すようないわれ方に屈する理由はないといっているのです。そのような政治と仏教は同一する論調では語らないと言っているのです。しかし、一国民として、思想信条の自由に基づいて、政府に意見を述べようが、自衛隊に異見を述べようがそれはわたしの自由に属する問題だということです。
また、別段、あなたに創価学会のレッテルを貼りたいわけではないですよ。
わたしは創価学会『第三文明』05年9月号に載った松岡氏の文章に以下のような感想を書きました。
「一点、さらにケチを付ける。創価学会ではよく語られるところだが、『立正安国論』では国の字が国がまえに‘民’と書く字を多く使われている。だから日蓮は民衆仏法などだという。これを松岡も臆面もなく語る」(敬称略)
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/29764673.html
これを書いたのは'05年8月6日のことです。
創価学会の文章を読めば、勝利、民衆、平和、生命といった単語のオンパレードです。故に日蓮解説で下手に「民衆」などと書こうものならば、「なんだか、創価学会の文章みたいだよな」という揶揄は飛んでくる経験は、仏教で文章を書くことを仕事にしている人であれば、わたしならずとも経験するところでしょう。
そもそも、法華仏法というのは人間(民衆)ばかりを扱うわけではなく、生きとして生けるものの一切、すなわち一切衆生に目を向ける故に十界をいうわけです。そこから人界、人間、民衆のみを切り出せば、人間主義の仏法といういわれ方をされるでしょうし、その典型は、創価学会だということです。だから、創価学会によく見る論法だといったまでです。
自分が記した文章が創価学会と同一論調になっており、それを指摘されたからと言って、文句を言われる筋合いはありません。似ているものを似ているといっただけのことです。
> 「衆生を救う」道だと
そう‘衆生’ですよ。しかし、衆生とはなにも人間、民衆のみを指す言葉ではないと言うことですよ。
> 戦争を考えるうえで、政治を避けては語れません
ですから、それは政治的な見地でしょう。仏法とは違います。
仏教者の考えを政治的見地から「ノー」を言うようなことが許されるとはわたしは考えません。むしろ、寄せられた批判を民意として受け止め、それを政治に活かすというのであればわかりますが、政治家が推進する憲法改憲に文句を言うことを罪悪視したり、エネルギーがどうだ云々という政治的見地からそれらの発言を封じ込めるようなやり方、また、自衛隊に異見を述べる軍人批判を厳しく取り締まるようなやり方は、まさに軍事、恐怖政治の軍靴が響く如くです。思想信条の自由を侵害される不快感があります。
> 私の投稿にとりあわなければすむ
これは、わたしのほうが言ったことでしょう。
これまた、何度も言っていますが、わたしの投稿に突然、意見を述べてきたのはあなたのほうなのであって、わたしは願ってのことではありません。
以下、匿名さんに示すというものではありません。
戦争を考える2000年来の仏門の話です。こんなことをアップされる寺院があるのだ感心したので紹介しておきます。
http://www.choushouji.com/bosatsu/bo_b/b_m.html
120
:
藤川一郎
:2005/11/27(日) 13:26:57
横レスです。
日蓮大聖人は初期は「天台法華宗側」=「天皇家の側」に立っていた思われます。
鎌倉幕府は知ってのとおり、アウトロー集団です。
今で言えば、暴力団が革命を起こし政権を握ったとお考えになられて結構だと思います。
それに対して、天皇家こそ正当なる政府です。
正当なる天皇家の側で、下克上暴力団国家の宗教政策をお責めになったと考えるのが宜しいかと思います。
民衆云々は近代的な考えです。そんなお考えなどは微塵もあられないと思います。
宗祖の御考えは天子(国主)御一人の御帰依ある仏法だと思います。
極端な話、有象無象が1億人帰依するよりも、天子御一人の帰依の方が効果百千万億倍ですから(笑)。
121
:
匿名
:2005/11/27(日) 13:37:40
>正当なる天皇家の側で、下克上暴力団国家の宗教政策をお責めになったと考えるのが宜しいかと思います。
それが民のためになると思われたのではないのでしょうか。
まあ、そうあってほしいという、私の思慕からの思いが強いのかもしれませんけれど。
122
:
匿名
:2005/11/27(日) 13:39:42
>政治という立場から仏教に、ああせい、こうせいはいうことは思想信条の自由を侵害することになるわけだから言えないだろうということです。
政治という立場から仏教に、ああせい、こうせいなど、誰が言っているというのでしょう。
当然のこと政治は言っていません。
とすると、私のことですか?
>政治的見地から仏教に対してものを申すようないわれ方に屈する理由はないといっているのです。
これは私のレスでしょうか。どれがそれにあたるのか、お示しください。
>そう‘衆生’ですよ。しかし、衆生とはなにも人間、民衆のみを指す言葉ではないと言うことですよ。
民衆と書いたのが不適切だったなら、「民衆仏法解釈」など持ち出さなくても、そのように正して補足すればすむことかと。
こういうことを持ち出すから、不毛な教団論争に議論がスライドしてしまうんですね。
>仏教者の考えを政治的見地から「ノー」を言うようなことが許されるとはわたしは考えません。
これはそうでしょう。何かそのような記述がありましたでしょうか。
>むしろ、寄せられた批判を民意として受け止め、それを政治に活かすというのであればわかりますが、
そういうことだと思いますよ。そういうことにおいて、仏教界が政治に意見をすることは、求められることだと思います。
政治の暴走を止める発言をする。これは、私が政治の立場で言っているのではなく、いち仏教徒の端くれとしての思いです。
>119
しかし発言する以上は、政治というものをある程度は精査しておかなければならないでしょう。
>政治家が推進する憲法改憲に文句を言うことを罪悪視したり、
誰が罪悪視しているのですか。
123
:
匿名
:2005/11/27(日) 13:40:24
>119
>エネルギーがどうだ云々という政治的見地からそれらの発言を封じ込めるようなやり方、
エネルギーの問題は政治的見地ではないでしょう。エネルギーなくして生活が成り立たないのは、私たち国民です。それこそ政治の問題以前に自分の問題でしょう。
お寺さんだって、教団施設だって、電気なくして日々は成り立たないはず。また、そこに参詣する人は、車にしろ電車にしろ、エネルギーを使って出向いてくるわけです。
衣食住すべて、石油の恩恵なくしては、成り立たないのが私たちの生活です。
また動物愛護から毛皮をやめようという運動は仏教の精神にもつながるとても良い運動です。その代用品として、「フェイクファー(人工毛皮)」が開発されているわけですが、これはアクリルなどの石油系科学繊維でつくられている。皮肉なことに石油争奪に関わる運動という見方もできるのです。
戦争を反対するということは、日ごろから、一人一人が自分の問題として石油のことを考えておかなければならないということではありませんか。それを書くことが、なぜ発言を封じ込めることになるのでしょう。
先にも書きました。日本は遠く中東から石油や天然ガスを、軍事的に緊張の多いシーレーンを通って運ばれてきているわけです。そのシーレーンの安全を確保に、領海域を守っているのは自衛隊であるということ、この程度のことは頭の片隅に置いておくべきではないでしょうか。何もそれが自衛隊翼賛ということではありません。
>また、自衛隊に異見を述べる軍人批判を厳しく取り締まるようなやり方は、まさに軍事、恐怖政治の軍靴が響く如くです。
失礼ながら、あなたは過剰反応しすぎかと思います。極端です。
自衛隊がどのような役割を担っているかということを、私はごく普通に書いたのです。
それをもって、「軍事、恐怖政治の軍靴が響く如く」というのは、過剰反応としか言いようがない。
もちろん、憲法改正については、「軍靴が響く如く」との危惧を私も持ちます。だからこそ、護憲の立場を明確にいたしました。
あなたの自衛隊嫌いはよくわかります。もうひとつ政治嫌いもいえるでしょう。
その嫌いが過剰になっては、世の中が正しく見えなくなりはしませんでしょうか。
嫌いは嫌いで構わないですから、せめてもう少し冷静に世の中をご覧になって、発言をされたほうが良いのではないかと思いますね。
124
:
匿名
:2005/11/27(日) 13:41:04
>119
>思想信条の自由を侵害される不快感があります。
これは、私も言いたいことなんです。
ご存知のこととは思いますが、確認の意味で記します。
憲法第十九条
「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。」
思想及び良心の自由は、ものの考え方や表現の自由を意味します。それを内心の自由と言います。
表現の自由には、沈黙の自由も含まれます。
つまり、自己の思想および良心について沈黙を守る自由を含むと解されます。
つまり人の内心について、やたらと書かせるように仕向けるほうが、よほど思想信条の自由を侵害していることにもなるのです。
ましてや、本人の意思に反して書かせた思想に対して、何かをただそうとする、これも侵害しているといえるでしょう。
あなたはレスのなかで、
「あなたの考えをただしているのです。」
と書かれていましたが、これこそが、思想信条の自由の侵害にみなされるものではないかと思います。
125
:
匿名
:2005/11/27(日) 13:41:29
それから、三島由紀夫のについて、投稿されておられました。
つぶやきスレッドでしたので、こちらで触れさせて頂きます。
>心底、自衛隊に絶望して、三島は腹を割いたのではないのか、わたしはいまでもそう思っています。
私も詳細を知っているわけではありませんので、何か大きな矛盾を感じましたので、少し触れさせていただきます。もし私の誤認があれが、正してください。
ご存知のこととは思いますが、このとき三島由紀夫は、市ヶ谷駐屯地に赴いて東部方面総監部に押し入り、総監を監禁、人質にした上で「自衛隊員の決起」の演説を始めます。その目的は、国会を占拠するという計画であったといいます。
自衛隊隊員たちに決起を訴える、その演説は自衛官のやじで消されたと書かれていましたが、正確には、事件を聞きつけて取材にきた上空のヘレコプターの音によってかきけされたのです。その三島由紀夫に自衛官はマイクを渡さなかった。そして自衛官たちは私語を始め、三島を野次り、演説には耳を傾けるものはなかったということです。
そのときの演説の趣旨とは以下のような内容だったといわれています。
『アメリカは真の日本の自主的軍隊が日本の国土を守ることを喜ばないのは白明である。あと二年の内に自主性を回復せねば自衛隊は永遠にアメリカの傭兵として終わるであろう/今こそわれわれは生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる/もしおれば今からでも共に起ち共に死のう』
三島は、最後に蒼白になって訴えたといいます。
「諸君の中には一人でも俺と一緒に起つやつはいないのか」
三島は10秒ほど待ち。そして、
「一人もいないんだな。よし、俺は死ぬんだ。憲法改正のために起ち上がらないという見極めがついた。自衛隊に対する夢はなくなったんだ。(ゆったりした口調で)それではここで天皇陛下万歳を叫ぶ。(皇居に向かい正座し)天皇陛下万歳、万歳、万歳」
三島由紀夫の憂国への思いと無念さと、その壮絶な最期について、このことについては横に置き、コメントは私は控えます。
ただしかし、自主的軍隊へと自衛隊に決起を呼びかけた三島由紀夫の自衛隊絶望と、あなたの自衛隊嫌いとは、趣旨や理論が一致するものなのでしょうか。
126
:
匿名
:2005/11/27(日) 19:08:09
>125 訂正
誤)私も詳細を知っているわけではありませんので、何か大きな矛盾を感じましたので、少し触れさせていただきます。もし私の誤認があれが、正してください。
正)何か大きな矛盾を感じましたので、少し触れさせていただきます。私も詳細を知っているわけではありませんので、もし私の誤認があれが、正してください。
127
:
匿名
:2005/11/27(日) 19:57:46
こちらの掲示板では、ここ一年ほどでしょうか、犀角独歩さんの検証により、大石寺の板本尊が日蓮聖人の御作のものではないということに対する論証がなされてきました。これは大変な試みであったことと思います。
これを絶対のものと信仰していた信者にとっては、大きな動揺もあり、まだまだ心の整理がつかない人も多くおられることでしょう。
ただ、私にとっては、板本尊への絶対的信仰は最初から希薄であったせいか、この点についての動揺は正直なところ、さほどのものはありませんでした。
私のことを少し、振り返ります。
富士門以外で仏教を学ぶ機会を得ていない私にとって、約5年前、こちらの掲示板で最初に信仰の根幹から打ちのめされ瓦解させられたことは、他でもない、法華経が釈尊の教説ではなかったということでした。
こんなことは、近代における仏教の常識でありながら、まるで私は知らなかった。これはかなりのショックでした。同時に、日蓮聖人の波乱の人生そのものが、とても虚しいものにさえ思え、動揺とともに体中の力が抜けたのを覚えています。
その後は続けて、日蓮本仏論も敢え無く崩壊です。
しかし、今になってみると、私としては、瓦解・崩壊で、それでよかったと思っています。
それでも、なぜか日蓮聖人の存在は、私にとって、今もやはり心をとらえて離れないわけです。
きっとそれが、最後に残った私の内心の信じ仰ぐ「信仰」の拠り所なのでしょう。
何が私の心をそうさせるのか、それを考えたとき、やはりそれは、どうしてもマグナカルタ(権利の大憲章)として結びついてしまうのです。
恐らくそれは、ある富士門の教団に入ったのと、私が憲法や政治に関心を持った時期が、重なっていたということが大変大きいと思います。
だから、どうしても私の中では、「立正安国論」は「東洋のマグナカルタ」と思えてならないのです。
これを教義で論争というものではありません。あくまで主体的な私の内心の、最後に残った信仰の拠り所というものなのでしょう。
これは誰に何を言われようとも、ここだけは恐らく変わらないことと思います。
信仰とは、最後はそういうものだろうと思います。
誰に何と言われようとも、法華経が最高の教えだと信じる人もいるでしょう。誰に何と言われようと、南無妙法蓮華経こそ、真理だと思い続ける人もいるでしょう。また、何が証明されようとも、大石寺の板曼荼羅こそ日蓮聖人の出世の本懐だと信じ続ける人もおられるでしょう。
この点においては、科学的な立証とは別のところに、内心の信仰が存在してしまうものだと思います。
だからこそ、黙秘する自由がある。本人の意思に反して、無理やり暴き出そうとしてはならない。
私はそういうことは、とても大事なことだと思います。
もちろん、教義の論争の場合は別です。お互いの信仰の立場をはっきりさせた上で、論争しなければならないことです。
しかし、こちらのスレッドは、その類に限るものではないはず。
平和へのアプローチは、様々になされなければならないわけですから。
128
:
犀角独歩
:2005/11/28(月) 11:43:27
120 藤川さん
「有象無象」という表現はともかくとして、この観察は実に正確だと思います。日本史では「鎌倉時代」などという成句がなかば常識化していますが、こんな日本史は、すでに旧説になっていますよね。
要は軍事暫定政権の定着のようなもので、これを、いまの言葉で言う京都に代わる新たな政府としてしまう日本史解釈はおかしいわけですね。
日蓮の思想を端から終わりまで単一に見てしまうとわからなくなりますが、仰るとおり、立正安国論執筆当時
> 初期は「天台法華宗側」=「天皇家の側」
という意志に基づいていたことが窺われます。
しかし、迫り来る他国侵逼という問題を解決するために、京での念仏停止、法華帰命の前例をここ鎌倉、武士政権にも促したのが立正安国論でした。
その後、『法門可被申様之事』のことでは既に天皇御領観は示されるわけですが、これは「国の長」(天皇)を軽視したということではなく、天皇は過去に仏を供養することによって王となった故に法華を持した(比叡山)という過去の歴史をちゃんと踏まえろという弟子の戒めであったということですね。
初期の日蓮は、仰るように尊皇の立場から、国王が法華を持す日本の過去の佳例の実現を目指していたわけですね。これが本門戒壇という思想に晩年昇華していったと見ることはわたしは外れたことではないと考えます。これら日蓮の思想は民衆立という考えはなく、そこにあった考えは、真跡遺文に探れなくとも、やはり、「国主」への視線であったことは本尊抄の記述を通じてみてもわかります。
まあ、しかし、三島由紀夫がどんな気持ちで死んだのかをつぶやくと、それがわたしの考えと矛盾しているだどうだと書かれるのは困ったものです。三島を紹介するとわたしが三島と同じ考えだと思うわけでしょうか。一々に的外れ、言葉が通じません。ただ、三島のような人物は、人間的な意味では好きです。故父が愛した作家の一人としても思い出になっています。その思い出を語ると矛盾だどうだ、なんでこんなことまでけちを付けられなければいけないのでしょうかね。
わたしは藤川さんご承知のとおり、天皇制を批判しているわけではなく、また、何度も記したとおり、自衛隊の存在を否定しているわけでもない。また、政府という概念を否定しているわけでもありません。しかし、現行の在り方には異論があるといっているのに過ぎません。そして、それらに対するここ掲示板で投稿された意見とは異なると言っているわけです。このような微妙なニュアンスがどうも通じない。しかし、この点を適切に読み取ってくださり、横レスをくださる藤川さんには感謝いたすものです。
また、本日、御仁にはよろしくお伝えください。
129
:
匿名
:2005/11/28(月) 21:07:36
>128
>このような微妙なニュアンスがどうも通じない。
それは、あなたがすぐに怒るからでしょう。
怒りの感情にまかせたレスは、どうしても極端であり、微妙なニュアンスなどは、伝わりようがありません。
少しでも親交を交わされた人には、伝わるものかもしれませんが。
私は、そう長くは投稿しませんので、どうぞご安心ください。
どうしてもう少しだけ、投稿しておきたいことがあるのです。
それを終えれば、また元の気ままなロム専に戻ります。
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