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戦争を考える
113
:
犀角独歩
:2005/11/26(土) 11:14:40
―113からつづく―
ただし、国家が大量殺人の道を選ぶ(わたしの考える仏教で戦争を言い換えればこうなります)ようであれば、これに対して反対の意見を述べなければならない。人道に違反していると考えるからです。わたしの尊敬する弁護士の一人である滝本師は「悪意の殺人には限度があるが、善意の殺人には際限がない」と語りました。その善意の殺人の最たるものが「原爆」であったのでしょう。だから、彼らは謝らない。謝らないどころか彼らは「英雄」なのです。
このような倒錯した人間心理がどうして起こるのかという点から、考えるとすれば、政治と仏教は話にはなるでしょう。
しかし、何より、内心の自由を政治が侵犯する権限はありません。
また、仏教の信仰を政治から考えてしまうことは、仏教の本質を政治的に解釈してしまう脱線を起こしやすい。また、実際に起きています。
わたしは国家が悪国になれば、捨てる自由も個人にはあると考えます。
また、本来、仏教はそのような形で成立したものでもありました。しかし、日本人は、いや、もっと正確に言えば、仏教を政治と不可分と考える在り方は、その近代の起源は日蓮主義に還元します。また、そのように考えることが仏教なのだと思っている人もいるでしょう。しかし、これは仏教を歴史的、科学的に分析し、世界的に見ていけば、実に特別な‘仏教’であることがわかります。つまり、ここで、単に仏教と言われて語られているものは、実に日蓮主義的だということです。残念ながら、そのような自画像に気付けないほど、この日蓮主義が仏教だと思い込まれているということです。
その意味において、仏法が法律と同じように思われてしまったり、法華信仰を訴えた立正安国論が、政治・軍事の指南書のように思われてしまうのは、以上のように思われてしまった‘仏教’理解だからこそのことです。問題があると陳べても、「仏教とは何か」というテーマを語ることを避けてしまえば、この点が明瞭にできないということも、わたしは何度も記しました。
政治と仏教を語る、それは戦争と政治ということでもよいのですが、そこにある戦争というビジネス形態を闡明にすることは大義名分の建前論に騙されないために不可欠な点であるとわたしは考えます。しかし、このような点は、語られないわけです。ところが自衛隊、現行政治にものを申すことには、既にこの掲示板でも強い反発となって現れるという悪弊が生じています。この反発は何か、この点こそ、実は社会心理学が分析している点であるわけです。軍事という問題を語る前提として、先にも提示しましたが、最低限でも『服従の心理』『攻撃』の2冊ぐらいは読んでからとしたい。また、これら戦争・軍事に係る心理と信仰心理共通性を分析した『自由からの逃走』ぐらいは読んでいるという共通基盤がないと議論になりようがないという思いがあります。
いずれにしても、政治の‘技術的’側面を語ることは、ここの掲示板ではなく、相応の掲示板でやったほうがよろしいと思います。
なお、わたしが政府に対して批判的だというご意見がありますが、政府を批判して何が悪いという思いがわたしにはあります。また、自衛隊を批判的だという意見があります。自衛隊を批判して何が悪いという思いがわたしにはあります。何故か。それはわたしの内心の自由であり、日本には言論の自由があるからです。また、批判は「こうこうであるから、こうである」と説明するまでもなく、単に生理的に嫌いだということも含みます。わたし個人は、なんら報道管制される筋合いもなければ、思想統制される筋合いもありません。しかし、このようなことに過敏に反応し、その発言を封じ込めようとする、その心理こそ、分析されてしかるべき課題なのだということです。この点で、上記、挙げた3書は参考になるところ大でしょう。スレ違いではありませんが、強く、お読みになることをお薦めします。
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