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戦争を考える
112
:
犀角独歩
:2005/11/26(土) 11:13:56
「立正安国論を上奏する」という言い方がされますが、これは正確ではないというのは、わたしは適宜な批判であると考えます。奏文とは天皇に提出する文書を言うからです。
日蓮の『立正安国論』は勘文です。
勘文とは、中尾師に依れば陰師(陰陽道)が執政者に上申する文書を言います。道(どう)の目的は吉凶を占うことですから、本来の勘文は、その意図に添うものでしょう。では、日蓮が陰師であったかというと、そうではなく、「天台沙門」という自覚であったことは、自称から窺えます。つまり、当時の政事の態勢で、為政者は自らが政を司ると共に吉凶占いといしての道(道教、陰陽道)・信仰としての教(調伏という実質を含む)、を、政治形態の一部としていたという点は、現在とはまるで違う点です。また、天皇は当然、国神を崇めて政(=祭:祭政一致)をここで神仏習合した形で仏教は採り入れられたのが、日本型の仏教の特色であったわけです。この延長に日蓮の『立正安国論』はあったわけです。
日蓮が『立正安国論』で
わたしが先に引用した文書を少し前から引用します。
「若し先づ国土を安んじて現当を祈らんと欲せば、速やかに情慮を廻らし怱いで対治を加へよ…他国侵逼の難・自界叛逆の難…国土乱れん時は先づ鬼神乱る、鬼神乱るゝが故に万民乱る…若し残る所の難悪法の科に依って並び起こり競ひ来たらば其の時何が為んや…国を失ひ家を滅せば何れの所にか世を遁れん。
汝須く一身の安堵を思はゞ先ず四表の静謐を祈るべきものか。就中人の世に在るや各後生を恐る。是を以て或は邪教を信じ、或は謗法を貴ぶ。各是非に迷ふことを悪むと雖も而も猶仏法に帰することを哀しむ。何ぞ同じく信心の力を以て妄に邪義の詞を崇めんや。若し執心飜らず、亦曲意猶存せば、早く有為の郷を辞して必ず無間の獄に堕ちなん」
ここで日蓮が悪法と言っているのは念仏のことです。
『立正安国論』の結論は
「汝早く信仰の寸心を改めて速やかに実乗の一善に帰せよ。然れば則ち三界は皆仏国なり、仏国其れ衰へんや。十方は悉く宝土なり、宝土何ぞ壊れんや。国に衰微無く土に破壊無くんば身は是安全にして、心は是禅定ならん。此の詞此の言信ずべく崇むべし」
です。すなわち、悪法(念仏)を停止(ちょうじ)し、実乗の一善(法華経)に帰依しなさい、そうしなければ、他国・自界二難が起こり、さらに死んだのちには無間地獄に堕ちるというのが日蓮の主張です。そして調伏の行は真言ではなく、天台(法華)で行わなければならない。その訳を日蓮に命ぜよという底意もあったのだろうと思います。しかし、これは日蓮が政治に関与するという意味ではありません。為政者の法華信仰と、調伏の行者としての登用を促した話でしょう。これは政治について、ものを言っているのではなく、信仰について言っているわけです。政教で言えば、教に関する進言です。
この法華経(南無妙法蓮華經)はしかし、決して、憲法、法律に言い換えられるものではありません。示しているものが違うからです。法華経が言うことを法華経典そのものへの信仰の勧めであり、それは日蓮において妙法蓮華經の五字へ信仰となります。
わたしがここで政治を語らないのは、ここが仏教の掲示板であるからです。
現代の日本の政治、社会という現場では、別段、靖国であろうと、キリスト教であろうと、念仏だろうと、法華だろうと、そんなことは問題になりません。信教は自由です。国法の定めに違反しない限り、そのようなことは問題にする必要もありません。ここで信仰を論じても始まりません。基準となるものは憲法・法律です。
政治の現場で、仏教を語ることは、クリスチャンの科学者が学界で聖書を引用して天地創造神話を話すようなものです。
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