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戦争を考える

51匿名:2005/11/21(月) 00:04:46
>わたしは仏教徒として、また、かつて国家から被害を受けた立場から、戦争反対、憲法改正反対といっているのです。一方、あなたは、自分の仏教の立場を明らかにするわけではなく、国政の立場から論じているのでしょう。

だから言いましたでしょう。国家の問題においては、仏教は限界があるのではないでしょうか、と。
それが今まで延々と続いてしまったということです。

>わたしは学生時代、丸腰でデモに参加したとき、武装警官に殴りかかられました。

それは大変なことでした。そうでしたか。個々にみていくと、メチャメチャですね。
まあ、しかし、あなたは丸腰でも他の人は違っていたんでしょう。火炎瓶を投げる人なんかもいましたか?もう群集でしょうから、いちいち、丸腰か否かは確認できないでしょう。武装集団に丸腰で紛れた、自己責任が半分ですね。冷たいことを言うようですが。

>インド、ガンジーの例は、どうなのでしょうか。

このことは少し触れたいと思っておりました。
ガンジーの非暴力、私もテレビで当時の映像を観て、感銘したひとりです。
しかし、彼は非暴力の実践者ではあったけれども、葉対して軍事を否定した人といっていいでしょうか。
服従運動の前、イギリスは将来の独立を約束して、大英帝国下のインド人に協力を求め、ガンジーはこの約束を信じて、インド人へ軍への志願を呼びかける運動を行っています。ところが、いざ戦争がイギリスの勝利に終わると、独立は問題として取り上げられなくなった。その後、不服従運動に向かうわけです。
ここからは、私の想像です。正確なことをご存知であれば、補足して頂きたいのですが、そもそも独立を反故にされたイギリス人の怒りというものもあって、いわゆる民衆暴動みたいなものが起きたていたのではないでしょうか。先だってのフランス暴動のようなものです。
しかし、ガンジーは、そのような暴動などにようる独立の訴えではなく、むしろ非暴力で独立を訴えた。
しかし、その後のインドとイギリス、日米同盟以上の強い関係、いまだに宗主国に近い関係になっているのではなかったでしょうか。認識違いであれば、ご指摘ください。

そのインドも、今や隣国パキンスタンとの緊張のなか核兵器も保持しています。軍事力は拡大してきたわけですが、結局、ひとりのカリスマが消えると、結局は人間の持つ本質へと先祖がえりしてしまう、私はガンジーのことを考えるとき、そっちのほうを思ってしまいます。

>日本ではそうはならない。それは現代の平和ボケした楽観的な観察に過ぎないでしょう。わずか半世紀前、日本人は武装して、非戦闘員を殺していました。

と書くところを見ると、やはり為政者から暴力を受けることを念頭に書かれた記述ということなわけですね。
まあ、徴兵制になったとき、仏教徒としてそれを拒否したときは、そういうこともなくはないかもしれませんね。そのことを書かれたというのであれば、納得いたします。

>こんな、極論にしかならないわけですか。
たとえば、わたしが「自民党の政策に反対である」。こういったら、何がなんでも自民党の解散を訴えないと矛盾になりますか。あなたの論法はこれに等しい。

あなたは、別段、自衛隊反対ということではないということでしょうか。


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