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戦争を考える
119
:
犀角独歩
:2005/11/27(日) 01:57:01
わたしは自分に投げかけられた議論について答えることをここでの信条にしています。116は115のわたしの投稿に対するレスですから、お答えしたまでです
わたしが政治を語らないといったのは、あなたの思いとは違いますよ。
政治という立場から仏教に、ああせい、こうせいはいうことは思想信条の自由を侵害することになるわけだから言えないだろうということです。
ですから、政治的見地から仏教に対してものを申すようないわれ方に屈する理由はないといっているのです。そのような政治と仏教は同一する論調では語らないと言っているのです。しかし、一国民として、思想信条の自由に基づいて、政府に意見を述べようが、自衛隊に異見を述べようがそれはわたしの自由に属する問題だということです。
また、別段、あなたに創価学会のレッテルを貼りたいわけではないですよ。
わたしは創価学会『第三文明』05年9月号に載った松岡氏の文章に以下のような感想を書きました。
「一点、さらにケチを付ける。創価学会ではよく語られるところだが、『立正安国論』では国の字が国がまえに‘民’と書く字を多く使われている。だから日蓮は民衆仏法などだという。これを松岡も臆面もなく語る」(敬称略)
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/29764673.html
これを書いたのは'05年8月6日のことです。
創価学会の文章を読めば、勝利、民衆、平和、生命といった単語のオンパレードです。故に日蓮解説で下手に「民衆」などと書こうものならば、「なんだか、創価学会の文章みたいだよな」という揶揄は飛んでくる経験は、仏教で文章を書くことを仕事にしている人であれば、わたしならずとも経験するところでしょう。
そもそも、法華仏法というのは人間(民衆)ばかりを扱うわけではなく、生きとして生けるものの一切、すなわち一切衆生に目を向ける故に十界をいうわけです。そこから人界、人間、民衆のみを切り出せば、人間主義の仏法といういわれ方をされるでしょうし、その典型は、創価学会だということです。だから、創価学会によく見る論法だといったまでです。
自分が記した文章が創価学会と同一論調になっており、それを指摘されたからと言って、文句を言われる筋合いはありません。似ているものを似ているといっただけのことです。
> 「衆生を救う」道だと
そう‘衆生’ですよ。しかし、衆生とはなにも人間、民衆のみを指す言葉ではないと言うことですよ。
> 戦争を考えるうえで、政治を避けては語れません
ですから、それは政治的な見地でしょう。仏法とは違います。
仏教者の考えを政治的見地から「ノー」を言うようなことが許されるとはわたしは考えません。むしろ、寄せられた批判を民意として受け止め、それを政治に活かすというのであればわかりますが、政治家が推進する憲法改憲に文句を言うことを罪悪視したり、エネルギーがどうだ云々という政治的見地からそれらの発言を封じ込めるようなやり方、また、自衛隊に異見を述べる軍人批判を厳しく取り締まるようなやり方は、まさに軍事、恐怖政治の軍靴が響く如くです。思想信条の自由を侵害される不快感があります。
> 私の投稿にとりあわなければすむ
これは、わたしのほうが言ったことでしょう。
これまた、何度も言っていますが、わたしの投稿に突然、意見を述べてきたのはあなたのほうなのであって、わたしは願ってのことではありません。
以下、匿名さんに示すというものではありません。
戦争を考える2000年来の仏門の話です。こんなことをアップされる寺院があるのだ感心したので紹介しておきます。
http://www.choushouji.com/bosatsu/bo_b/b_m.html
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