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戦争を考える
103
:
犀角独歩
:2005/11/25(金) 10:11:28
―102からつづく―
文中、あなたと記したのは匿名さんのことです。
一つ前に違う投稿が入っていたのに気付きませんでした。
このような歴史的な背景で、日蓮が国体に、いまで言えば、国政に嘴を挟まれることは2度と嫌だというのは、創価学会の言論問題事件ということであったとわたしは考えています。つまり、世論、換言すれば、大多数の国民は、仏教、取り分け、日蓮主義仏教は政治と分離していて欲しいという考えがあるということです。その後、この形で政教分離を計り、修正今日に至るのが創価学会・公明党でしょう。「政教分離」ということがここ数十年、呪文のように繰り返されるのは、そのためです。
創価学会が政教一致かと言えば、わたしは違うと考えます。
ここから、やや、あなたの先のご投稿と具体的に関連します。
いま、わたしは創価・公明が政教一致とは考えないといった理由は、きわめてオーソドックスです。つまり、創価学会は戸田氏が解釈し、それを継承した池田氏によってさらにアレンジされた「日蓮」を信じ活動しています。それに対して、公明党は憲法・法律によって活動しているという相違があるからです。
あなたはわたしに対して仏教徒しての国家論、また、政治的姿勢ということを仰ったが、わたしは、この点で、答としないのは、以上のような歴史的な推移と、政教分離という原則に基づくからです。「それは政治の問題である」と記したのは、その意味です。仏教徒は仏の教えによりますが、政治は憲法・法律による。この点は混同できないということです。
あなたにとって、国法と仏法は一致するのかどうかわかりませんが、わたしにとっては、この二つはまるで違うものです。(国法は仏法、また戒より、律に近いものでしょう)しかし、自分が日本国民である間は、日本国民として、国法を遵守します。しかし、わたしという個人、信仰信条、魂(心と言ってもよいですが)の問題としては仏教によるということです。あなたが使った「内心の自由」ということです。人間個人、生物としての自分、仏教的な言い方からすれば、生きとして生きる自分という問題において、政治・国家が関与できる問題は、全体のわずかな部分に過ぎないからです。
このような点で、あなたとわたしの考えは違っているのだと思えます。
あなたは日蓮が国家に対してものを申したと仰りましたが、しかし、日蓮は政治については口を出していません。為政者の信仰、また、当時は政教一致の時世ですから、その意味から日本国の信仰という側面からものを申したのに過ぎません。ここに日蓮の矜持はあったわけです。
もう一点、官・軍:民というヒエラルキーの問題、また、国家と国民という問題でもあなたとわたしは考えが違っています。わたしは、あなたを見ていると実に、政治的な、国家的にものを考える人だという印象を懐きました。団塊世代以前の人々、自衛隊など軍事に与した経験者と話しているような印象すらあります。その意味で、いまの20代から50代の感覚とはかなり違いがあるようにも思えます。
典型的なところでは、国家と国民は未分離なものである、国民が国家を考え、国益に供し、専守防衛に当たるのも当然である、まあ、極端な整理ですが、このような印象を受けます。
わたしは、このように考えていません。わたしはわたしです。生まれて落ちて以来、ここに済んでいますが、わたしは国のものではなく、わたし自身のものです。本来、自分の生命は自分で護るものである。ところが、この国にいる間は、自分を護る武器を所持してはいけない。丸腰でいろという。その代わり、国(警察・自衛隊)が護るという。しかし、ずいぶんと不満があると言った気分です。民は国の所有物ではないという厳とした考えがわたしにはあります。
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