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戦争を考える

104犀角独歩:2005/11/25(金) 10:11:58

―103からつづく―


敢えて脱線しますが、わたしの朋友が、今回のあなたとわたしのやり取りを見て、笑いながら言いました。

「なんであんなことに向きになっているの。僕は日本が戦争をすると行ったら、さっさと海外に行くけどな」

わたしは、この感覚をもっと日本人は持つべきだと思っています。
民を護ることのできないような国であれば、こちらから願い下げだという感覚は、わたし独立した個人としては、あってしかるべき考えであると思うわけです。ですから、「専守防衛が国民一人ひとりの問題だ」というのは国家側の勝手な押しつけであるとも感じます。各人が自主防衛をする手段を取り上げ、丸腰で自衛しろとしておきながら(警察は役に立ちません)、今度、国が危機になったら、武器を渡すから国を守れという理屈は、わたしも納得がいきません。人々は国の所有物ではないからです。

以上のような考えは、たぶん、あなたとは、まるですぐわないでしょう。それはしかし、相手方の問題であるというより、考えの相違であるということです。国家として考える、ではなく、個人として考える、その延長に国家という‘宿場’があるということです。しかし、日本人は国土と自分を分離して考える思考が育っていません。日蓮が「国を失ひ家を滅せば何れの所に世を遁れん」という感覚は、700年を経て、自由を獲得した段階でも育たず、あなたが仰るような議論ともなってくるのでしょう。

もう一つ。わたしの大切な師の一人、行明師は、いままた、インドを戻り、現時では、世界のある場所へ移動しています。この師はいつも言います。「インドといわず、日本以外の世界では宗教者(宗教における指導的な地位にある僧侶、神父、牧師といった人々)の発言力は日本とは比較にならないほど大きいのです。わたしたちは、主義主張、政治的地位、国家、経済という一切の利害関係から抜け出たところに立っていますから、あらゆる国のキーパーソンと会話をすることができます」

実際にこの師は、世界に歩き、自然が猛威を振るった災害地へ訪れ、時には戦禍を潜り、平和を訴えに行きます。これは「民間外交」ということではありません。‘宗教者にしかできない役割’を果たしていると言うことです。ヨーロッパでも中世以来、バチカンから派遣された特使が戦禍に和平交渉をしたようなことが、実はいまでも、継続しています。ただ、日本人はこのような点に目が向いていないだけです。日本の仏教が担えない、しかし、担うべき点であるとわたしは思い、師を尊敬してます。もちろん、わたしはこの師の信者ではありません。

以上、あなたとはかなり相違したお二人をご紹介しましたが、わたしは、その他、多くの選択肢、あいは複合的な方法論というものの可能性を睨んでいるわけです。

しかしながら、少数の個人ならともかく、日本に住む人々の大多数が、国が危険になったから他国へ移住すると言うのは、もちろん現実的ではありません。現実から考える必要があります。そこで政治があるのでしょう。

「国を失ひ家を滅せば何れの所に世を遁れん。汝須らく一身之安堵を思はば先づ四表之静謐を祈るべき者歟」

という日蓮の叫びに経巻が生じる所以でしょう。ただ、間違ってはいけないのは、日蓮が、このように主張したのは、民に対してではありません。為政者にたいしてです。また、日蓮は政治改革を訴えたわけではなく、その為政者の信仰対象を突いたのです。いわば、政治的側面ではなく、心の問題への論及であったという点です。

この点でも、多分、あなたが考える日蓮と、わたしが分析する日蓮は違っているのだろうと思います。

出掛ける時間になりました。続きは、また、追って記すことといたします。


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