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戦争を考える

102犀角独歩:2005/11/25(金) 10:09:30

本日は、これから出掛けなければならず、微にいるところまでは書けないのですが、「あ、やはり、ここだろうな」と思っていた点、要点のみ記します。

あなたとわたしの考えで違うのは、仏教観ということであると思います。
あなたがお書きになる外向的選択、また、政治的判断というのは、一つの選択肢と「あり」とも思うわけです。しかし、それは仏教が担うところではないという考えがわたしにはあります。政教分離です。

あなたのような仏教のとらえ方はある面、近代日蓮信仰のなかでは多数派に属するとは思います。もう少し正確に言えば、‘戦前の’と付したほうがよいかもしれません。つまり、あなたのとらえる仏教は、ご本人の自覚とは別に、近代、田中智学師的に解釈された日蓮信仰であるということです。

戦前の日蓮主義は、やはり、田中智学氏の絶大な影響をすべての日蓮門下は受けていました。しかし戦後、日蓮門下は、この田中智学氏の影響について、口を閉ざしました。その理由は、敗戦にあります。しかし、田中氏の影響が消えたわけではなく、形を変えてそれを継承したのは、実は創価学会、もっと言えば、戸田城聖氏でした。具体的な表現で言えば、日蓮正宗国教化・国立戒壇建立という目的です。創価学会の政治進出の理由もここにあったわけです。
しかし、いったん摂取された「田中智学」は、ここでは既に「戸田城聖」となっていきました。この考えは池田大作氏に継承され、当初は日蓮正宗・国立戒壇建立を目指し、邁進したかに見えました。この時点で、大石寺の僧侶、妙信講に至るまで、絶大な影響を受けていきます。

あなたが富士門流信徒である(あった)かは存じませんが、この範疇にある人々が考える日蓮仏教というのは、実は日蓮その人の教えであるというより、(教学的には日寛で、行動的には)それを解釈した田中智学氏、その影響によって大成した戸田城聖氏のものであるということです。この反省から、過去5年間、日蓮の原形の素描することを試みてきたのがわたしの投稿です。現代のわたしは、日蓮からさらに天台、羅什という中国漢訳仏教に言及し、さらにインドにいたり、西暦前後の経典創作の現場に戻り、さらにシャキャムニその人を見つめています。

あなたの考える「日蓮信仰は田中智学的だ」というのはラベリングということではなく、まず、議論の前提となる「仏教」という点につき、各自の違いを見ておかないとならないからです。批判ではなく、少なくとも昨晩のあなたの書いた仏教観は、そのように見えるという意味と取っていただければけっこうです。

以上のような日蓮門下、というより富士門流僧俗には一連の流れがあります。この流れは「田中智学」の思想という点で、実は日蓮門下全般一つにカテゴライズできるでしょう。日本に「仏教の戦争責任」というのは、大きなテーマの一つです。このような問題をあなたはお考えになってこられたか、また、その前提で歴史的な時系列で日蓮仏教を整理したうえで「仏教」と仰っているのかはわかりませんが、わたしが仏教というのは、そのような意味であると思ってください。


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