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戦争を考える
64
:
犀角独歩
:2005/11/22(火) 11:02:31
匿名さん、それ以前から、薄々思っていましたが、あなたの考えは、ベルリンの壁崩壊以前、ソ連邦、文化大革命当時の知識で物事を計っているのではないでしょうか。
わたしに『資本論』を読んでいるのかという質問を投げかけていますが、わたしの年齢で、そもそも資本論を読んでいない人間などいるのでしょうか。もちろん、読んでいます。ただ、苦しいあなたの言い返しを聞く限り、あなたは読んでいないことはわかりました。また、今回のレスを読み、あなたの“程度”がわかりました。このような書き方が揶揄、侮辱に当たるかどうか。これは、この際ですから、記すしかありませんが、もはや、そんなレベルの話でもありません。まあ、よく勉強されることですよ。
少し回顧談。
わたしは本格的な「折伏」を高校生の時から始めていました。ある相手の兄が過激派の闘志でした。「折伏」で待ち合わせたら、いきなりラチされ、アジトへ。ヘルメット、タオルでマスク。手には鉄パイプを握った学生の群でした。
「お前の仏教の話を聞いてやるから、話して見ろ。しかし、俺たちを納得できなかったら、帰さねえ。総括する」
わたしの共産主義との出会いでした。この時、「総括」が殺すという意味ともわからず、必死に話しまくったものです。結果、いわれたのは
「お前のいっていることはキルケゴール、実存主義と変わらない。違うというなら、ここで説明して見ろ。だいたい、そんなことじゃ、革命は出来ない。共産主義というのは…」と延々と、話し出したわけです。
その当時、わたしは、マルクス・エンゲルスは、名前は知っていたものの、読んでいませんでした。キルケゴール、実存主義といわれてもなんのことかもわからないような状態でした。
「総括だな」と、そうその人が語ると、ガシャンと鉄パイプが床を突く音が響いたことをいまも思い出します。
「しかし、しかし、まだ、子どもだ。今日は勘弁してやる」
そう言って、ぽんと肩を押されて解放されたという顛末。
あの当時、「折伏」をすることは命懸けであり、天皇・神道の右翼・マルクスの左翼、その極に仏教というものがあったわけです。
そのわたしをつかまえて、「革新・左翼系」、これは藤川さんならずとも爆笑を通り超えて、話にもなりません。
あなたの記していることは半世紀前の共産暴力革命に対峙する、あなたの自己定義を借りれば「保守・右翼系」反共専守防衛論。しかし、今時、右翼の活動家でも、こんな昔の知識で語るような人々はいません。藤川さんが笑うわけです。
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