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戦争を考える

98匿名:2005/11/25(金) 01:09:55
>仏教徒にある国家論とは非暴力、不殺生、不戦ということです。
仏教は国政実務ではありません。日本には国教はありません。故にこの問題を「仏教徒として」という枠組みで質問をすることは、はじめの一歩で躓いていると、わたしには思えます。

先ほどは、お釈迦さまの出家を極める仏教としての、国家との関係に触れました。
その後の大乗仏教の流れを受けて、鎌倉時代の日蓮聖人に至ると、国家に物申さぬ仏教から、国家に物申す仏教になる。
私は多くの御書や経文を読破しているわけではありませんが、国家に物申す姿勢の日蓮聖人は、なぜか心に響きます。
しかし、国家に物申す以上は、物申すだけの国家論をしっかり描いておかなければならない。私は、そう思います。
日蓮聖人に見習う点は、そこではないかと思うのです。
鎌倉時代を生きる日蓮聖人の国家論は、「政教一致、王仏冥合、富士門流でいえば、国立戒壇」ということになるのでしょうけれど、しかし、今は日蓮聖人が生きた時代とは違い、近代ですから、「政教一致、王仏冥合、富士門流でいえば、国立戒壇」これは思い切って捨て去るべきものだと思います。
もちろん、信仰の観念として、その理想郷を内心に描く、それを否定するものではありません。
しかしながら、たとえば「戦争を反対する」これは、国家に物申す立派な政治的発言ですから、それなりの国家論を描いておかなければならないと、私は思います。それこそ、ガンジーの糸紡ぎまで考え、実践する、そういうことが求められるのではないでしょうか。

>いまの日本という装置自体があなたの質問に、仏教徒、とりわけ日蓮仏教徒の答を門前払いしている構造があると言うことです。

この点は、よくわからない。もう少し解説していただけますか。

>一字三礼さんも記されていましたが、一つ仏教と言っても多種多様でしょう。この質問はあまりにも漠然としています。

確かにそうです。これは、私が個人の信仰を聞かれたように、「あなたにとっては」という意味を暗に含めたものでした。言葉が足りませんでしたが、あまり個人の内心のことを質問するのは、私の信条に合わないものなので、そんな文章になりました。

>その民意が戦争賛成、暴力肯定ではなく、不戦・非暴力・不殺生であるという心の部分で担う範囲しか、実は、(国民であることをさっ引いた意味での)仏教徒には許されていないのが日本という国家だという現実を変える方法があるのか? 残念ながら、現時点ではないというしかありません。

これもよくわからない。仏教徒に許されていないことというのは、どういうことを指しているのでしょうか。

>その一枚とは「不服従」という札です。アメリカに対する不服従。それは違背ではなく、言葉を換えれば真の独立の獲得ということでしょう。そのためには、あなたのというとおり、日本は自給自足を確立しなければならないでしょう。

かつて私もアメリカ追従の日本を情けないと思ったことがありました。しかし、エネルギー問題を考えたとき、これは選択の余地なしだという結論に至りました。
しかし、日本人の産業技術力は世界に誇れるものがあります。石油に代わる環境にやさしいエネルギーの開発は着々と進んできてもいるわけです。プラスティックなどの石油製品に代わる新素材も同様です。リサイクルにしても日本は得意分野ですし、資源がないからこそ、苦肉の知恵を出す。それが日本の強みといえるでしょう。

こういう環境問題に対応したテクノロジーの支援やリサイクル運動も、ガンジーの糸紡ぎに代わる不戦運動の象徴に成り得るものではないかと思います。


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