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戦争を考える
97
:
匿名
:2005/11/25(金) 01:07:27
>しかし、武器を握る軍人・軍隊と丸腰の市民ではそこに決定的な力関係の相違があります。この官・軍:民をあなたは同一視点から論じているように感じたわけですが、わたしはここには決定的なヒエラルキーがある点から批判している違いがあります。
これはお互いの受け止め方に、大きな相違があることに気付きました。
ヒエラルキーですか。うーん。
となると逆に、どうなれば理想的であると考えるのでしょう…という、どうしてもあなたの国家論をお聞きすることになるのですが。
まあ、ただ、犀角独歩さんの場合はご一族の流れというものが、横たわっていて、それがヒエラルキー批判という意識に向けてしまうのではないでしょうか。
個人的なことに立ち入って申し訳ないですが。世が世なら、統治する側の人間だったわけですから、「武器を握る軍人・軍隊と丸腰の市民ではそこに決定的な力関係の相違」というものを否応なしに意識してしまう。
ところが私の場合は、そのような意識には至りようがない。先にイデオロギー云々、これは私の行き過ぎた書き込みでしたが、それ以前に、国家に対する意識の違いというのがあるように思いました。
>仏教徒いう自分は受け入れられないダブルバインドがあります。
仏教徒に自衛隊をどう思うかという質問、また自衛隊員にあなたは仏教徒かという質問。これらは、いずれも不問にしておかなければならないことかもしれないと、ふとこの度の投稿で思いました。
>この点は良心的兵役拒否といった範疇に入る個人的な観点ではないでしょうか。
もう一点、お聞きしたい。スイスの例からいうと、仮に自衛隊のような職業軍人を少なくしていくとなれば、逆に国民皆兵の必要に迫られるという点、これはいかがお考えですか。
>元来仏教は全体主義ではありません。国家全体を考えるようにはできていません。各人が各人の修行によって、平安を得、欲望を滅していく方途を考える個人に帰される教えです。
私は、この姿はこれで、大変な存在感をもつものだと思います。
国家に物申すわけではない、兵士についても触れず、その代わり、どのような世間になろうとも、たとえ戦火に巻き込まれようとも、批判するでもなく、怒ることもなく、動じず、常に心の平静を保ち、自分の道を極めていく。この存在そのものが、力を持つものだと思います。「力」などという言葉は不適切かもしれませんが。
しかし、現代ではとてもそのようなことはかなわないでしょう。もし、このような仏教徒としての立場に自分を近づけるとすれば、国家に対しては黙して語らずという姿勢を守り貫くということになるでしょうか。
>この戦争は数百万の被害者を出し、何ら保障すらなかったからです。せいぜい、保障されたのは軍人とその遺族ばかりでしょう。国家は国民に多大な被害を与えた当事者であった。
この点は、ご返信ではなしに、別で投稿します。
>> 国家の安全保障を守るのか
>これは、仏教の問題ではなく、国政の問題ではないでしょうか。
ここは、私の考えとは大きく違います。
私は、国家という存在を、自分という個人と、切り離した存在のようには考えません。
国家の母体は、民族であり、国家の構成員は国民ですから、国家の構成員としての国民個人の視点から、国家のことを考えたいと思っています。私は、自分の生まれた日本がやはり好きですし、後世の人に責任をもって継承したいという、そのようなところから、国家がどうあるべきかという意識を一国民として心がけております。それを自分の信仰に引き寄せて考えてもいます。
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