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現代人が納得できる日蓮教学

1管理者:2005/07/16(土) 10:06:55

新しいスレッドテーマの提案が有りましたので、立ち上げます。提案文は以下の通りです。

1721 名前: 顕正居士 投稿日: 2005/07/16(土) 06:59:06

ここは「つぶやきすれっど」なので1700 1705 1706 1709 1718 1720などの内容について意見を交換するスレッド
を作ってはどうでしょうか?「現代人が納得できる日蓮教学」とか。

わが国の仏教の「現代」はいつ始まるのか?飲光慈雲が悉曇学を復興し、富永謙斎が経典成立史を解明した
18世紀だろうとおもいます。この時点では睡眠中の仏徒は未だ覚醒せず明治の廃仏に至った。ようやく各宗は
欧州へ留学生を送って、現代仏教学が誕生した。以後、わが国の仏学の発達はめざましい。だが各宗の先哲、
さまざまに改革の努力をしたけれども、ついに葬式仏教から脱化しなかった。現代仏教学の知見は薄弱にしか
普及せず、伝統宗学の学習すら衰退した。そこで人民の宗教需要はほとんどが新興宗教に吸収されていった。

結局、わが国の仏教は今は整然、3種類に分かれるに至った。学問仏教、葬式仏教、仏教系新興宗教である。
伝統宗学も学問仏教に属する。いつの時代でも高等な学問は少数学僧のことで、在家信者の多数は基礎的な
宗学も知らなかったといえばそうであろう。問題は間を繋ぐ一般僧侶の教養である。かつて日蓮宗諸派の壇林
では能化に至るのには20年ほどかかった。天台の六大部を隅々まで学習するのにはそれくらい必要であった。
今日では僧侶と在家信者の教養には大差がないから、仏教学者、宗学者たちは直接に在家信者を対象にした
著作をよく出すようになった。葬式仏教、新興宗教に満足しない読者は増加しているようである。読書仏教の
隆盛である。わが国の仏教が結果的に当たり前のところに到着したのだといえる。現代仏教学の見識の上に
立った仏学書を手引きにして、次には自ら仏典を読む、それが在家仏教徒の基本である。中国、台湾の仏教
はまったくこういうあり方である。漢文がわれわれよりも楽に読めるからであるが、仏教学が発達した日本では
サンスクリット語、パーリ語からの現代日本語訳経典も溢れており、仏教を学ぶにはわが国が最高の環境です。

175Poh:2005/09/28(水) 03:53:24
1)
一字三礼さん

はじめまして。
犀角独歩さんがご紹介下さいました私の拙文と資料に対するご指摘ですので、私の方から
お答えさせて頂きます。
(こちらの掲示板で本格的な書き込みをするのは初めてになります。皆様、どうぞよろし
くお願いいたします)

末法思想の起源を語るたびに、これまでも他掲示板等で多くの方から、羅什訳『妙法蓮華
経』中の「末法」に関する質問をお受けして参りました。
あるいは当然ありうるご疑問・ご指摘だとも考えております。
この件に関して、以下他掲示板での自己レスを再編集したものをアップさせて頂きます。

まず、『妙法蓮華経』ではたしかに正法、像法に関して、
○正法、像法、滅尽の後、此の国土に於いて、復仏出でたもうこと有りき。
                             (常不軽菩薩品第二十)
○世尊、後の五百歳濁悪世の中に於いて、其れ、是の経典を受持すること有らん者は
                           (普賢菩薩勧発品第二十八)
と「正法・像法・滅尽」という使用が認められます。
この部分、サンスクリット原文のsaddharmaを「正法」 と、saddharma-pratiru■pakaを
「像法」としていますが、「正・像法」に関しては、先に私からの提供資料として独歩さ
んがご紹介下さった、平凡社世界大百科事典の記述「正法時と像法時については,インド仏教で早くから考えられていたが〜」の通りです。
ですから、AD1世紀前後とも言われる法華経成立時に「正・像・滅尽」の思想が成立し
ていたとは想像できると思います。

一方、『妙法蓮華経』中で「末法」の語が確認できるのは、たしかにご指摘の2箇所にな
りますが、いずれも「正・像」との(思想的)関連性なく単独使用であり、意味的にも前
後の文脈からも「正・像・滅尽」との関連性は言及されていません。

さらに重要な問題として、この「末法」にあたるサンスクリット原文は、
『saddharma-vipralopevartartana■ne』
であり、それをクマーラジヴァが「末法」と漢訳したわけですが、しかしこのサンスクリ
ット語は、直訳すると「正しい教えが滅びる時代」という意味で、これは末法思想の「末
法=教のみで行も証もない時代」の語義とは異なっており、つまりこれが決定打となって、
この「末法」は「末法思想としての末法」と考えることには無理があるというのが、現代
の仏教学者・研究家たちのおおかたの見解のようです。

このあたり、『大乗仏典4 法華経Ⅰ』松濤誠廉、梶山雄一、丹治昭義著。中公文庫、P291
では、以下のように解説されています。
『「正しい教え」(正法)と「正しい教えに似た教え」(像法)とは、前者から後者へ教
えが漸次衰微してゆくという歴史観の上の時代区分に用いられる述語。ここではこの両語、
すなわち順にsaddharmaとsaddharma-pratiru■pakaの両語が見えるのみである。他方、羅
什が「末法」と訳している「正しい教えが滅びる時代」saddharma-vipralopevartartana
■neの語は、のちに第十三章(「法華経Ⅱ」)に単独であらわれている。正法・像法・末法
の三時を分ち、そのあいだに教・行・証が漸次衰微する状況を説く歴史観(正法の時代には
教・行・証の三者がそなわり、像法では教・行のみ、末法の時代には教のみで行も証もない
という)は、おそらく中国において整備確立されたものであろう。』
[続く]

176Poh:2005/09/28(水) 03:54:48
2)
それでは日本語訳ではどうなのかということですが……。
実は私ごとではありますが、この2年ほど学会問題や仏教から遠く隔たった生活をしてお
りまして、岩波文庫『法華経』(坂本 幸男、岩本 裕訳)が知人に貸し出し中ですぐに確
認できず、やむなく他の手持ちの書籍を当たったところ、『妙法蓮華経』中の「末法」の
訳は以下のようになっています。
 ○菅野博史(創価大学文学部教授)著『法華経 永遠の菩薩道』
    安楽行品第十四「末法」=「末世で法が滅しそうな時」
    分別功徳品第十七「悪世末法」記述なし
 ○小島繁一著(仏教研究家)著『法華経がわかる』
    安楽行品第十四「末法」=「正しい教えの廃れた末の世で」
    分別功徳品第十七「悪世末法」=「悪徳はびこる末の世で」
と、明らかにサンスクリット原文の意味を反映させ、「末法思想としての末法」との違い
を意識した訳をしているものもあれば、
 ○藤村義彰(宗教哲学研究家)著『新訳 法華経』
    安楽行品第十四「末法」=「末法の時代」
    分別功徳品第十七「悪世末法」=「悪世末法(そのまま)」
のように、「末法思想としての末法」との違いが分からないものもあるようです。
(あるいは著者自身がその違いを認識していないか、あるいは同一のものだという自分な
りの確信のもとに訳しているのかもしれませんが)

その他の訳本に関しては、恐縮ですがご自身でご確認頂ければ幸いです。

たしかに日本では、少なくとも近代以前においては、『妙法蓮華経』の「末法」をそのま
ま自然に「正像末の末法」として解釈してきたという歴史的背景があります。おそらく日
蓮さんもその例外ではないでしょうし、また現代に至っても、その是非はともかくとして、
過去の解釈をそのまま何の疑いもなく信じておられる方が多いのは事実です。
私個人の思いとしては、今後、「末法」に限らず、教典等の語句一つ一つに対する、言語
学、文献学、歴史学、地域文化学、民俗学、考古学等々からの幅広い多角的な研究がさら
に一層進んでゆくことで、教典成立当時の根本思想により迫ってゆけることを期待してお
ります。

最後に、犀角独歩さん、私が仕事上の理由から、現在こうした掲示板等への書き込みを自
制しているということで、色々気を遣っていただき、ありがとうございました。またその
ため今回は余計なお手間を取らせることになりましたこと、お詫び申し上げます。

177菱村正敏:2005/09/28(水) 08:13:52
 法華経の文言にある末法を末法思想のそれと同じ意味に解するのは
短絡的だと思います。

 法華経には書写・読誦などの功徳を説き、坊主が戒律を固く保つこ
とを強調しています。法華経が末法思想を踏まえた経典であれば、
このような表現はしないでしょう。

 法華経の末世・末法という表現は、せいぜい悪世という意味しか
ないと思っています。上記の方が細々と書いてますから重ねて書き
ませんが、安易に混同しないほうが良いと思います。

178一字三礼:2005/09/28(水) 10:47:19
Pohさん

はじめまして。
丁寧なレスありがとうございます。

法華経で主張する三時は「正法・像法・滅尽(末法)」とみるよりも、「在世・正法・像法」ではないかと考えています。授記の際に未来仏に明かされる釈尊の予言では、何れも像法までであり滅尽もしくは末法に対しては時代として認識していないと思われます。

だから私もPohさんのご指摘のとおり末法ないし滅尽を「正しい教えが滅びる時代」=「悪世」という意味で理解しており、その意味で法華経には末法思想がある、と記しました。

>『妙法蓮華経』中で「末法」の語が確認できるのは、たしかにご指摘の2箇所になりますが、いずれも「正・像」との(思想的)関連性なく単独使用であり、意味的にも前後の文脈からも「正・像・滅尽」との関連性は言及されていません。

正法・像法との直接の関連性が無くとも「悪世末法(悪徳はびこる末の世で)」を警戒する思想があれば「末法思想」と言えるのではないでしょうか。

>これは末法思想の「末法=教のみで行も証もない時代」の語義とは異なっており

これは特定の経典もしくは釈の末法の定義ではないでしょうか。

私は「末法思想」というものは、「仏法の滅びる時代」という発想を中心とした、ひとつの思想潮流であると考えておりますがいかがでしょうか。

Pohさんの仰る「末法思想」の定義をまずは教えていただけませんでしょうか。

179一字三礼:2005/09/28(水) 10:59:21
菱村正敏さん

>坊主が戒律を固く保つことを強調しています。

仰るようなことは法華経には見当たりません。

 此の経は持ち難し 若し暫くも持つ者は 我即ち歓喜す 諸仏も亦然なり 是の如きの人は 諸仏の歎めた もう所なり 是れ則ち勇猛なり 是れ則ち精進なり 是れを戒を持ち 頭陀を行ずる者と名く(妙法蓮華経 見宝塔品第十一 )

この文は受持即持戒と理解されております。菱村さんは、法華経を読んでから仰っているのでしょうか。

末法に関しましては、178レスをごらんください。

180犀角独歩:2005/09/28(水) 11:03:46

なかなか活発な議論となり、提案した甲斐があります。

小池さん

> 南無妙法蓮華経とは、末法における衆生を救う唯一の法なのでしょうか。なぜ末法においては南無妙法蓮華経でなければ成仏できないのか、よくわからないのです

羅什訳、慧思を経て天台、そして妙楽で確定されてきた法華解釈を、伝教を経て、日蓮が継承したということですね。

「南無妙法蓮華經は法」かというのは、なかなか大問題であろうと思います。
結論から申し上げれば、法と言えるのは妙法と羅什が訳した言葉が指したものであるはずです。妙法蓮華經は経典の名前であり、南無妙法蓮華經はその経典に南無するという以上の意味はないところを経題そのものを法としてしまった教学的な姿勢を直視する必要があります。

では、法華経で言う妙法とは何か? ということになります。この原語は松山師に拠れば、agradharmaとsaddharmaを訳分けずに用いた漢訳であるということですが、この漢語は既に増一阿含で使用されているとのことでした。法華経全編を読んでみると、諸仏はこの経典によって成仏したとか、経典自体が遠い過去から存在していたという記述はあっても経典自体が法であるという記述は勿論ありません。また、そもそもその法が何であるのかという点で明確に記述される句を探せば、わたしは「教菩薩法」に尽きると思います。
ところがこの漢訳に該当する梵本直訳を見ると「菩薩をいましめ」る(岩波文庫『法華経』上 P45)という以上の意味はありません。しかしながら、法華経とは菩薩をいましめ、成仏記別を与える最高の教えという内容になっていることは了解できます。
では、その成仏というのはどのようなことかと言えば、寿量(菩薩道をした二倍の寿命・五百塵点劫)というストーリーとなっています。

以上のことから、わたしは題目五字七字が法であるという教理解釈には反対の立場です。故に、わからないと思われるほうが、よほど的確に事実を捉えていると思います。

181犀角独歩:2005/09/28(水) 11:04:15

Pohさん

遠征いただきまして、有り難うございます(笑)

> AD1世紀前後とも言われる法華経成立時に「正・像・滅尽」の思想が成立

これは殊に『常不軽菩薩品』第20から、こう記されるのだと思いますが、該当の部分は

「…如来が入滅したのち、正しい教えの模倣の教えが消滅したとき…」(下 P131)

を「正法像法。滅尽之後。」と什が訳したものですね。
梵本法華経紀元前1世紀から後2世紀ぐらいのあいだでせいりつしたということですから、如来が生きているときは、その如来から直接、教えを聞いて修行できるが、入滅後は、それを模倣する教え、しかし、それも時の経過と共に消滅するという考えは、この時点であったのだろうと思います。

一方、什の妙法蓮華經の漢訳はどうでしょうか。後秦の姚興に向かい入れられて長安に入ったのが401年で、その後、10年の間に精力的に翻訳に従事したと言います。法華経訳出年代をどこまで特定できるのかという問題はありますが、4世紀末から5世紀はじめということになります。つまり、梵本成立から250年ばかりの時間差と場所の差があることになります。

末法思想の定着は6世紀というのが取り敢えず、定説になっているようで、種々、挙げていただいた資料もそれを指示する如くですが、言葉としての「正法」「像法」「末法」もしくは「法滅尽之後」は5世紀の訳本・妙法華に既に見られるとするのが至当ではないのかと思いますが、如何でしょうか。

なお、末法思想というのは、皆さんのご指摘の通り、成句が先行し、後に正像末の三時に整理され、さらに「五百年」「千年」といった年限区分が採り入れられていったという変遷があることは押さえるべきだと思えます。

また、これらのアイディアはイランにははじまる救世主思想(ミトラ)、また、終末思想、プレニアム(千年紀)思想と習合しながら、次第に形成されたものであろうと考えます。

天台における以上のような整理は南岳慧思の『立誓願文』だそうで、正法500年、像法1000年年とし、自らの出生を末法82年としたというのが、先の貫名師の指摘でした。

ただし、わたしの今回の呈示は、以上のような成立過程というより、むしろ、それら末法思想を鼓舞する人々が、自分達が生きている時代こそ末法であるという認識に立っているという点です。

わたしは梵本法華経の制作者といえども、この例外ではないと考えます。
つまり、彼らが経典を創作し、釈迦滅後の時代を描写するのは、要するに、自分達こそ、その「末法」の弘法者であるという認識を、紀元前後の段階で既に持っていたからこそのことであろうと考えます。つまり、創作者たちがいう末法とは梵本法華経成立時点、さらにそこに登場する釈迦を担う主人公・地涌菩薩の出現もまた、創作者とその集団を指した西暦前後その時代を想定したものであったろうと考えます。

182Poh:2005/09/28(水) 12:02:53
>>178 一字三礼さん

自己紹介が遅れましたが、私は信仰の経験のない、非宗派の者であり、これまで学問とし
て仏教を考え、勉強してきた者です。
そういった意味で、おそらく多くの点で、富士門流の信仰者の方々とは仏教用語一つとっ
ても、使用語義、事実認識等の点で大きなギャップがあるかとも思います。
ですから
>正法・像法との直接の関連性が無くとも「悪世末法(悪徳はびこる末の世で)」
>を警戒する思想があれば「末法思想」と言えるのではないでしょうか。
おそらく賛同頂けると存じますが、私としては、使用する言葉に関して、まず同じ意味な
りイメージなりを共有することなくして、議論や対話は成立しないと考えております。
その点、仏教用語としての「末法思想」の語義に関しても、こうした場合、主観を極力廃
し、自分勝手な解釈を慎むことが、肝要と考えます。
ですからこの場合、「末法思想」や「三時(思想)」という言葉については、学者・専門
家たちの批判に耐え、また広く社会で認知されている普遍的な意味は何かということが大
切なわけです。

>Pohさんの仰る「末法思想」の定義をまずは教えていただけませんでしょうか。
この場合、あなたの>>172 >>174のご指摘は、私が独歩さんに提供した資料である平凡社
「大百科事典」、岩波仏教辞典の「末法思想」の記述に対するものであり(同掲示の私の
過去レスもそれらをまとめたものですので、同様に考えて頂きたいと思います)、あなた
がそこで両書の語義に関する異論反論を述べられないまま、ご指摘を始められている以上、
そうなると当然、私の>>175 >>176も、両書にある
「末法思想」「三時(思想)」
○釈梼入滅後における仏教流布の期間を3区分した正像末の三時の考え方に立脚し,末法
 時に入ると仏教が衰えるとする予言的思想のことであり,仏教の漸衰滅亡を警告する歴
 史観である。
 仏の教法〈教〉のみがあって,教法に従って修行する者〈行〉も,修行の果報を得る者
 〈証〉もなく,国土も人心も荒廃する末法時が1万年つづいて法滅尽を迎えるとする点
 では異説がない。(平凡社世界大百科事典)
○仏教における時代観ともいうべき正法、像法、末法の三時思想に出ることば。(岩波仏
 教辞典)
の語義をそのまま大前提として、またあなたとの共通理解の成立したものとして考えてお
りました。
またこの定義は、何もこの両書に限ったものではなく、広く一般的な仏教書、参考書の類
いでも通用するものだとも考えております。

ただもしもあなたが、ご自分なりの定義のもとで議論を進めていこうとおっしゃるのなら、
再度ここで、この場限りの(?)語義を定義し直し、共通理解をせねばならないでしょう。

しかし考えてみれば、あなたが
>正法・像法との直接の関連性が無くとも「悪世末法(悪徳はびこる末の世で)」を警戒>する思想があれば「末法思想」と言えるのではないでしょうか。
>私は「末法思想」というものは、「仏法の滅びる時代」という発想を中心とした、ひと
>つの思想潮流であると考えておりますがいかがでしょうか。
という、あなたなりの(?)語義を提唱なさるなら、先のあなたのご指摘そのものが、言
葉の定義の違いだけによるものとなってしまい、ご指摘の意味さえ失われ、あえて言えば、
あとはどちらが客観的視点に立って一般的か、説得力があるか、妥当なのかなどという
「言葉の定義」の是非を問うだけの議論になってゆくのではないでしょうか?

なぜなら上記両書は、おのおのの「末法思想」「三時(思想)」の定義のもとで、論を進
めているのですから……となると、意地悪な言い方になるかもしれませんが、あえてあな
たがこの件で異を唱えるとすれば、その相手としては、上記両書とその執筆者たちとする
のがふさわしいかと存じますが、いかがでしょうか?

ちなみに私はといえば、法華経にいわゆる「仏教の漸衰滅亡を警告する歴史観」が読みと
れることに異論はありません。ただそれは、正確に言えば、辞書的定義による「末法思
想」とはいえない(まだ正・像・法滅の段階)ということだと考えます。
そしてこれはまた、平凡社大百科事典に「正法時と像法時については,インド仏教で早く
から考えられていたが,〜」との記述とは矛盾しないのは、いうまでもありません。

183Poh:2005/09/28(水) 12:32:34
>>182 自己レス補足

>私は信仰の経験のない、非宗派の者であり、これまで学問として仏教を考え、勉強してき
>た者です。
これは誤解を生みそうな表現をしたものです。(汗)
といって、私はただの素人でございます。ただどうしても学問的の「窓」から仏教を眺めて
しまってきたというだけのこと。
別にはったりかまそうとしたわけではありませんので、念のため。(平伏)

184Poh:2005/09/28(水) 12:44:43
>>181 犀角独歩さん

>遠征いただきまして、有り難うございます(笑)
しまった!余計なことした!しっかり墓穴を掘ってしまった!(笑)
なにやら、にやついてる独歩さんの顔が眼に浮かぶようです。(苦笑)

厳密な学問的実証のくびきを少し離れただけでも、色々楽しい想像ができそうですね。
>梵本法華経紀元前1世紀から後2世紀ぐらいのあいだでせいりつしたということですか
>ら、如来が生きているときは、その如来から直接、教えを聞いて修行できるが、入滅後
>は、それを模倣する教え、しかし、それも時の経過と共に消滅するという考えは、この
>時点であったのだろうと思います。
同感です。すでに、
○世尊、後の五百歳濁悪世の中に於いて、其れ、是の経典を受持すること有らん者は
                           (普賢菩薩勧発品第二十八)
とあるように、釈迦入滅後「500年」というキーワードや、またそのほかにも、正法・
像法という言葉の使用こそ少ないものの、法華経にはやたらその種の説話と教訓の上に
「だ〜か〜らぁ!」という論法が繰り返されていますから、一つのロジックやレトリック
として確立されていた感さえあります。

……で、おっとまずい。ここで外出せねばならぬ時間となってしまいました。
羅什以降に関する愚考など、また時間をおいてアップさせて頂きます。申し訳ありません。

185菱村正敏:2005/09/28(水) 15:55:18
 坊主の戒律を保つことは出てますよ。安楽行品を見て下さい。
それと、読誦や書写の功徳はどういう意味があるのですか?法師品とか
ありますけど。末法思想を踏まえた経典なら書写読誦なぞ意味もない
ですし、安楽行修行も意味がありませんよね。

 法華経は2時思想の概念しかありません。正法・像法です。つまり
前五百歳が正法というホンモノ、で、今からの後五百歳が像法という
ニセモノという構図です。

 で、この釈迦滅後、長い時間が経ってその威光が失せた像法時を
悪世・末世・末法などの言葉をもって表現しただけです。

 そもそも、日蓮は、それだからこそ、釈迦が秘して沈めたと
称して専修題目を創造したということではありませんかね。
法華経が末法のために書かれた、それを踏まえた経典なら
日蓮も末法時には、そのまんま書写したり読経したりすれば
問題なかったんじゃないかと思いません?

186一字三礼:2005/09/28(水) 20:16:20
Pohさん

返レスありがとうございます。

>おそらく多くの点で、富士門流の信仰者の方々とは仏教用語一つとっても、使用語義、事実認識等の点で大きなギャップがあるかとも思います。

私は富士門流の信仰者ではありませんのでご心配には及びません。

>仏教用語としての「末法思想」の語義に関しても、こうした場合、主観を極力廃し、自分勝手な解釈を慎むことが、肝要と考えます。ですからこの場合、「末法思想」や「三時(思想)」という言葉については、学者・専門家たちの批判に耐え、また広く社会で認知されている普遍的な意味は何かということが大切なわけです。

「末法思想」という語が、その使用を仏典から梵文に遡って言語から意味を定義できるものではないので、Pohさんのご主張は一般には通用しないでしょう。

実際には「末法思想」なる語の成立はいつごろでしょう、近現代ではないでしょうか。さして古くない造語である「末法思想」という語に、仰るような「普遍的な意味」などあろうはずがありません。

187一字三礼:2005/09/28(水) 20:59:45
菱村正敏さん

>坊主が戒律を固く保つことを強調

法華経にはそのような箇所はありません。安楽行品の何処にありますでしょうか。経文を挙げてください。

>それと、読誦や書写の功徳はどういう意味があるのですか?法師品とかありますけど。末法思想を踏まえた経典なら書写読誦なぞ意味もないですし、安楽行修行も意味がありませんよね。

仰る意味がよくわかりませんが、「末法思想」があるのであれば、佛教の修行が全て意味がなくなると考えておられるのでしょうか。それでは「末法思想を含んだ経典」というのは存在自体に矛盾があるとされるのでしょうか。

>法華経が末法のために書かれた、それを踏まえた経典なら日蓮も末法時には、そのまんま書写したり読経したりすれば問題なかったんじゃないかと思いません ?

日蓮の法華経理解が、法華経の内容と一致するわけではありません。
法華経には「末法」「悪世末法」の概念はあっても、末法に法華経が通用しなくなるとは書かれておりませんので、そのまんま書写したり読経したりしても別に問題ないのではないでしょうか。

188古池:2005/09/28(水) 21:47:14

独歩さん

180
大変有り難うございました。

本件について学びたいと思い、過去ログを見てみましたが、
プンダリカで独歩さんが記されていた内容が現在閲覧できないようで
もし可能でしたら

>わたしは題目五字七字が法であるという教理解釈には反対の立場

等について、もう少し教えて頂けないでしょうか。

189問答迷人:2005/09/28(水) 23:24:33

プンダリカ掲示板

http://jbbs.livedoor.jp/study/3050/#8

190犀角独歩:2005/09/28(水) 23:41:58

184 Pohさん、どうも。たしかに思わず、にやついております。

なんだか議論がパラレルしているので、わたしはPohさんに返レスしましょう。

そうなんですね。法華経に出てくる「五百年」という時間は、まさに釈迦滅後から法華経が創作された時間差そのもののわけです。つまり、この創作者は自分達を地涌菩薩に想定しているのでしょうね。

要は釈迦が入滅したあとに、一体誰が主人公だ、地涌菩薩である我々であると経典創作者は暗に記しているわけでしょう。けれど、遂にインドでは法華経を依教とする教団は成立しなかった。中国でも、当初は成立しなかったわけですが、法華経に先駆けて、人気のあった涅槃経と法華経をダッキングさせ、このコラボレーションによって、一躍法華経教団は成立していくことになったわけでしょう。

そしてまた、ここでも慧思は自分自身が末法82年に生まれたという自覚を持っていたわけでしょう。この姿勢は当然、天台にも見出せるでしょうし、何より、日蓮にいたってその頂点を迎えます。つまり末法に生まれ・弘法するという自意識です。

わたしは小野文著師の御説を拝して、日蓮が言う末法は始めの五百年に時制があるのであって、これはその後の万年・尽未来際とは別立てだという指摘に「なるほど」と膝を叩いた一人です。しかし、この点に門下は気付かずに来ました。

戦前の日蓮主義、二度の末法説で世界最終戦争から広宣流布というコンセプトにしても、またしても、この末法意識の亡霊が顔を出すわけです。


この広宣流布ということにしても、真偽未決文ながら、日蓮の教説とするものを見ると、万民一同に南無妙法蓮華經と唱えるのが広宣流布で、それは地涌菩薩の出現がなければ叶わないというわけです。

たとえば、本日ただいま日本民全員が南無妙法蓮華經と唱えたとしましょう。となると、上記、教説からすると広宣流布だと、こうなります。しかし、そこから100年経ったら、その万民は一人として生き残っていません。広宣流布はどうなったという話のわけです。こんな当然のことが、しかし、まったく考慮されていない机上の空論といって等しい広宣流布観が平然と語られるわけです。

故に日蓮の教説は末法の始め五百年にこれが達成されるという前提で成り立っていたのだろうと思います。では、この五百年という限定時間は、といえば、法華経創作時の釈迦滅後五百年というコンセプトを背負っているわけです。

こういう、いわば「ネタ元はなんだろうか」という謎解きからすると、法華経信奉者というのは、釈迦滅後五百年後を想定してまとめられた法華経の成立を、自分達が生きている時間に引き寄せるために、正法五百年・像法五百年、さらに正法五百年・像法千年として、慧思を始めとする末法意識があり、さらに日本ではこれにさらに五百年プラスして正法千年で、入末法年代永承7年(1052)として、日蓮その他の末法自意識が支えられることになったわけです。

これまた、貫名師が指摘したことですが、浄土真宗本願寺派では、既に入末法・永承7年(1052)説を、もはや放棄した如くです。

http://www2.hongwanji.or.jp/kyogaku/next/shaka.htm

わたしは、この手の構造を、日蓮門下も、もういい加減に認めたらどうかと思うわけです。

191犀角独歩:2005/09/28(水) 23:42:32

> 188 古池さん

わたしの投稿をお読みくださり、まことに有り難うございます。
このように真摯なご質問に接しますと、投稿の甲斐を感じます。

ご質問については、180に記した通りなのです。妙法蓮華經は経題である、なんでそれが法なのだという当たり前の疑問です。もちろん、このような当たり前の疑問は古来からいわれていたことのようで、台釈にしても、日蓮教説にしても、その弁明に終始していると強く感じます。

これはまたいままさに現代進行形の話ですが、松山俊太郎師が、この経題について、鋭利な翻訳分析を試みています。つい最近も、その聴講をしたのですが、武者震いというか、聞きながら、久方にゾクゾクしたものでした。あまりの内容に、いつもすぐにブログに覚え書きを記すのですが、殊、松山師の法華経講義にはここ2月、そのノートを睨みながら、感想も出ないショック状態にあります。筆舌に尽くしがたいという感情に揺さぶられています。

しかし、経題は経題です。その前提で、では、そこでいうagradharma、saddharma とは一体、何かいえば、これはかつて顕正居士さんもご指摘くださったことがありましたが、いうところの法は理法ではなく、間違いなく教法、もしくは行法であるわけです。では、教え、行とはいえば、教(菩薩)法、もしくは菩薩行(六波羅密)でしょう。

これはしかし、実際の実践の行を教えることです。それにも拘わらず、その教えを書いた本の名前を法と捉え違いするとき、実践行をそこで廃れてしまいます。まさに「お題目だけ」ということになります。

例になるかどうかわかりませんが、『六法全書』という四文字をいくら唱えたところで、法律を遵守することにはならないという理屈と同じであるという常識は、わたしにはあります。では、唱題が駄目なのかということを言っているのかという反詰はあるでしょうが、わたしが言いたいことは、要は法華経に書かれていることと、天台が言っていること、まして日蓮が言っていることは「違う」ということです。その違いをしっかりと認識したうえで、自分は六度万行なんか嫌だ、唱題で体験を得たというのは、それは個人的リアリティであって、そこに意義が見出せるのであれば、日蓮の唱題行は成功であったということでしょう。また、実際に成功したとも思います。ただし、行法としては、わたしは六度、また八正道といった実践行を忘却したところに後退があったという主張を取り下げるつもりはありません。

このように記しているうちに、問答さんが pundarika をご紹介くださいました。
わたしもかつて記したことで失念しているところも多くあるので、読み直してみようと思います。

192乾闥婆:2005/09/29(木) 00:37:00
犀角独歩さん。

お久しぶりです。

>天台・妙楽・伝教が、自分達は「末法」を生きていたかどうかという認識は必要であると思うわけです。

中国と日本での末法の時間のずれは私も気になっていました。以前、塚本善隆・梅原猛著『仏教の思想 第8巻不安と欣求<中国浄土>』(角川書店)において色濃く末法思想が語られているのを読み、さながら500年後の日本を見るように思いました。

『岩波仏教辞典』を読むと、末法は慧思(515-577)「立誓願文」による正法500年・像法1000年説と、吉蔵(549-623)「法華玄論」に基づく正法1000年・像法1000年説の二つがあるようです。天台(538-597)はもちろん慧思によるのでしょうが、この二つの説は同時に同じような影響力を持って存在しえたのでしょうか。

上記、中国浄土の本を読んでいて、末法思想として強く語られているのは、浄土教であり、また、信行(540-594)の三階教です。特に三階教は不軽菩薩の礼拝行を実践する信仰ということで、またその既成教団への批判や逆に既成教団からの異端視など、蓮祖といいますか、創価学会をも思わせるようなものを感じました。ほかの掲示板でもそのことは議題に上がったことがあり、三階教には地涌の菩薩の自覚の点でその後の日蓮系宗教とは違う、といった主張もありましたが、末法を生きる自覚と、その自覚から生じる既成宗教への批判、その行法以外にないのだ、といった収斂の度合いから見て、やはり似ていると感じ、地涌の菩薩の自覚云々は苦しい弁明のように感じました(菅野博史氏は『法華経思想史から学ぶ仏教』(大蔵出版)で同じような主張をされていました)。

天台自身による末法への言及があれば、その末法を生きる自覚のほどがうかがえるのですが、そのような文献はないのでしょうか。たとえば蓮祖の生涯を振り返るに、天台よりも、信行への近似を感じるのであれば、末法を生きる自覚とは、蓮祖ほどには天台にはなかったのではないか、とも思えてしまうのです。しかしそれを語るほど私は天台教学や三階教についての研鑽を積んでいるわけではないので、危なっかしい発言ではあります。(そういえば、せっかく購入した天台小止観にまだ取り組んでいませんでした)。

193古池:2005/09/29(木) 03:49:00

問答迷人さん

189
大変有難うございます。

この中の、「妙法蓮華経という言葉の由来」を拝見しようと操作しているのですが、
私の機械が悪いせいだと思うのですが、全部で37のレスがあり、5のレスの次に31になっており、
6〜30まで、all等を操作しても画面上に出てこないのです。
貴重な内容なので是非拝見したいと思いました。

194古池:2005/09/29(木) 05:15:08

独歩さん

191 大変有難うございました。

深い内容ですので、よくよく拝見したいと存じます。

一点だけ、教えて頂きたいのですが

>要は法華経に書かれていることと、天台が言っていること、まして日蓮が言っていることは「違う」ということです。その違いをしっかりと認識したうえで…

と記されていますが、法華経・天台・日蓮の書かれている(言っている)それぞれの違いを認識したいと思いますので、それぞれの違いについて、もう少し教えて頂けないでしょうか。


190 の中で

>わたしは小野文著師の御説を拝して、日蓮が言う末法は始めの五百年に時制があるのであって、これはその後の万年・尽未来際とは別立てだという指摘に「なるほど」と膝を叩いた一人です。しかし、この点に門下は気付かずに来ました。

と記されている点に興味をひかれました。「万年・尽未来際とは別立て」ということについて、もう少し教えて頂ければ幸いです。

195犀角独歩:2005/09/29(木) 12:14:43

192 乾闥婆さん

ご投稿、興味深く拝読しました。

> 天台自身による末法

今、この点について調べてみたのですが、天台三大部で「末法」を記しているのは以下のとおりでした。

摩訶止觀「須知拘那含佛末法比丘好惱亂衆僧」
法華文句「末法時世饑饉。有支佛名利咤」「不聞法華。或聞而不信遇餘佛方解耶。末法凡夫猶尚能信況聖人乎」「昔佛末法有四比丘。於法華經極生殷重」

以上から見る限り、慧思のような自覚は伝わりません。
年次を踏まえた正像末を述べるのは、寧ろ妙楽でした。

法華文句記「言後五百歳者。若準毘尼母論。直列五百云。第一百年解脱堅固。第二百年禪定堅固。第三百年持戒堅固。第四百年多聞堅固。第五百年布施堅固。言後五百最後百耳。有人云。準大集有五五百。第一乃至第四同前。唯第五五百云鬪諍堅固。言後五百者。最後五百也。若單論五百猶在正法。雖出論文其理稍壅。然五五百且從一往。末法之初冥利不無。且據大教可流行時。故云五百」

天台初期文献で見ると

涅槃經疏「經説不同。一云正像各千年。一云各五百年。一云正法五百。像法一千。或云正法一百。或云八十」

という一節があり、一節に固執していたと言うより、諸説を参考にしていたように思えます。

わたしも貫名師からご指摘を受けて、「さて、もう一度末法思想」と腰を上げたところで、失念していることも多く、また、見ていない資料も多く存します。
皆さんと議論しながら、内容を深めてまいりたいと思います。ご参加ください。

できましたら、もう少し「三階教」について、少しお記しいただけませんでしょうか。

196犀角独歩[TRACKBACK]:2005/09/29(木) 12:15:04

194 古池さん

> 法華経・天台・日蓮の書かれている(言っている)それぞれの違い

ちょっと、簡単に説明できるかどうかわかりませんが、法華経は、記してきたとおり、菩薩を教えるといい、その成仏の結果は寿量(量り知れない寿命)であるといいます。ここで重点となっているのは菩薩行でした。

しかし、羅什は、五何法と言われる箇所を九如是と約して恣意的な方向性を定めてしまった。慧師を通じて天台はこの九如是を十如是として、唯識思想、また老荘思想、華厳思想、涅槃思想等と総合して三千不可思議境という座禅(止観)の方法を論じていきます。妙楽はこれを一念三千とし、妙楽解釈の天台が天台として日本に伝わります。
ここで重点になっているのは止観という禅です。

ところが日蓮は、伝教以降、真言密教の影響を受けた天台学と念仏の影響下で純天台を目指す意識を持ちながら、南無妙法蓮華経の唱題行を立てるという独自な展開をすることになりました。

以上が行における相違として、雑駁ながら、わたしは考えています。
では、教という面ではどうかというのが、ご質問の主旨であろうかと思います。

繰り返し記してきたとおり、梵本法華経は菩薩の戒めから計り知れない寿命を持つ如来になるために、法華経典を弘める菩薩行を督励するもので、この経典は古代の東西を凌駕した聖典信仰の系譜にあるように思えます。経典は誰かが作った者であるというより、神秘な存在として永遠の過去から存在しているというものです。経典は仏が説いたというのが旧来の在り方ですが、法華経ではむしろ経典が仏にしたというコンセプトが散見できます。では、その経典は誰が作ったのかということには言及せず、神秘の存在というコンセプトです。もちろん舎利信仰、仏塔信仰、仏像信仰も肯定はされていますが、しかし、その骨子は経典信仰にあるように読めます。ここでいわれる法は、教法であり、宇宙の真理であるとか、心の有り様であるといったことを問題にはしていません。この法華経が教える菩薩の戒めこそ、唯一の教え(法)である最高のものである、菩薩以下の衆生もやがて菩薩道を行じて仏になるというのです。この菩薩は徹底した無抵抗、非暴力、不怒の菩薩です。

しかし、天台はこの「法」を什訳方便品の「諸法実相」から心から整理していくわけです「説己心所行法門」(己の心に行ずる訪問を説く)という解説はそれを端的に物語っています。天台が法という場合、それは心法であり、その観察を十界、十如、三世間から三千の止観禅として結実していたという点で、梵本法華経コンセプトとは大きく異なります。これは坂本幸男師が指摘したことですが、天台の時点では一念三千という成句化はありませんでした。「言語道・断、心行・処滅」をモットーとした天台が、このように三千分類観察する心法をしかし、三千であるとするわけがなく、三千はまた一心として、非三千にして、しかも非一、亦三千にして、亦一とするのは、実に勝れた観点であるとわたしには思えます。禅とはかくあるべきという思いがあります。

ところが妙楽は、天台の言う一心を一念とし、三千という定数化を天台が簡んだにも拘わらず、一念三千としたわけです。わたしは個人的にこの妙楽解釈は、天台から大きく後退したものであると思えます。(もちろん、天台妙楽の系譜を信じる信仰者には大いに異論があるでしょうが、この点は既に過去に議論をしたことなので、繰り返す時間を弄する気にはなれません)

日蓮に至っては、この妙法蓮華経という経題を末法付属の正体として、法華経典への南無ではなく、この五字への南無として、「南無妙法蓮華経」とし、漫荼羅という独自な境地を展開していったわけです。

やや、言葉足らずかも知れませんが、以上のような大木な差異が見られます。

> …小野文著師…「万年・尽未来際とは別立て」

これは平成13年に開催された日蓮宗東京西部教科センター主催・教師研修会『日蓮聖人の摂折観を巡って』での小野師の説に基づいてのことです。この点については、過去に投稿しました。

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1117079987/r614-r615

以上、ご参考ください。

197吐玉:2005/09/29(木) 18:25:35
 >193 古池さん
 掲示板のトップに戻り スレッド一覧をクリックしてみてください。
そこに表示されている 妙法蓮華経という言葉の由来 をクリックすれば
全文が見られます。

198乾闥婆:2005/09/29(木) 22:50:50
>>195

犀角独歩さん。

私も『仏教の思想 第8巻 不安と欣求<中国浄土>』の塚本善隆氏による説明以上のことは知らないのですが、引用してみます。

引用開始
廃仏皇帝下に潜在した信行や道綽は宗教が現在の身に実践され体験されるものでなければならぬことを身をもって味わった。それは仏教が高遠な教理を誇っても、時代と場所から遊離し、今の時限に、この身自体に、体験に進みえぬならば、救いを目的とした宗教としては意味がない。インドの仏教を学ぶことは尊いが、しかしそれが「今」、「ここ」で、「すべての人」に実践され体験されうること、時と人とに適応するか否かが、第一問題である。信行は仏教を三時代に分かった。
 第一階 一乗別教 仏滅後五百年間、一乗教の賢者が一乗教を修学してさとりを得た。
 第二階 三乗別教 その後千年間、三乗の賢者(声聞・縁覚・菩薩)がそれぞれ三乗の教えを修学してそれぞれのさとりを得た。
 第三階 普教 仏滅後千五百年以後、つまり現代では、人は共通に「凡愚」と「罪悪」にして聖賢ではない。その社会も罪悪から離れることができぬ。仏典にいう「五濁の悪世」である。すべての仏教に対して「普敬普行」してさとりに進むのみである。
 われらは仏典にいう「生まれながらの盲目の凡人」に等しく、聖者の経論を価値批判のできる能力を持たぬ。しかるに現代の仏教界では、学僧がそれぞれの博学を誇り賢者ぶって、あるいは『法華経』こそ勝れたものだとし、『法華経』を立てて他の経の下位従属性を定め、あるいは竜樹仏教を最勝のものとして他仏教を従属的に配列し、あるいは『涅槃経』、あるいは『華厳経』を最勝として宗を立てて他の諸経を批判して仏教体系を立てる。このような聖典批判は聖者のみに許されることで、生盲の凡夫には許されざる越権であり、それは「正法を誹謗する堕地獄の大罪」である。それを現代の仏教学者は「教相判釈」あるいは「教判」と称して競い行って、各別の自宗を立てる根拠として、みずから誇り他宗をそしっている。「時」と「人」とを忘れた仏教学の遊戯、否、地獄行の罪を犯すもので、その宗はすぐれた教義であるが、今の世、今の人、罪悪社会にまみれて生活する凡人を救うになんの効力もないものである。正法、像法時代の聖賢を救った過去の仏教である。少なくとも選ばれた賢者のみの仏教である。
 諸仏や浄土に優劣を論じて、アミダ仏に帰命せよ、ミロク仏のみをおがめ、などという罪深き論争をやめよ。一切の仏に一切のボサツに普く恭敬礼拝をささげるのみが、生盲の凡人われらに許された行である。一切の仏・ボサツを拝するのみならず、仏は「一切衆生に悉く仏性あり」と説かれたではないか。すべての人はいまこそ罪悪にけがれているとはいえ、「将来仏」「仏性仏」であるとおがまれる人々だ。人々よ、すべての個人の尊厳を認めてたがいに将来仏よ仏性仏よとおがみあうこと、「普敬」こそが現代仏教の実践行である。罪悪にまみれた穢土も、これによって浄化の第一歩を踏み出すのである。人間だけではない。悪魔さえも「邪魔仏」と拝してこそみずからをはげましてくれる。そのような実証が当時もっともよく読誦研究され、天台宗の開創にまで進ませた『法華経』に明示されているではないか。
 常不軽ボサツは、仏の滅後、仏法滅尽しようとするときに生まれたが、おおよそ人を見れば「われ深く君らを敬う。敢て軽んぜず。君らは当に仏となるべきが故に」と礼拝し賛嘆した。彼らはかえってこのボサツを気狂い扱いをして悪口罵詈し、杖をふりあげ石を投げようとする者もあったが、それでもボサツは走り避けながら「われ敢て君らを軽んぜず、君らは当に仏になる人だから」と礼敬をやめなかった。この常不軽の行をつづけることによって、ボサツはさとりに到達したとあるではないか。

199乾闥婆:2005/09/29(木) 22:51:26
続き

 信行みずからの内省、自己批判もきびしかった。自分は出家し修道し僧となった。しかし僧が俗人よりもすぐれた修道者などと思うことが大罪であることは、みずからよく知っている。僧戒を受けたが、それを守りおおせているか。否。僧戒を必ず守ると誓約しながら、それを守っていない。否、守りえない現代社会を生きているのである。彼はみずから進んでかつて受けた僧戒を捨てて、僧位を降りて沙彌(小僧)と称して、若い僧の末座にしかすわらなかった。生きとし生けるもの、仏も、人も、悪魔も、自己の仏教を進める機械を恵む仏とありがたく拝せよ。世の今の人にとっては、批判を捨てて普く敬うことのみが仏行だと、徹底的に自己と現代の凡夫性、罪悪性を内省して、そこから謙虚敬虔な普敬行に進んだ。
 彼は外出すると、坂の多い長安の坂下に、額に汗して荷車を引いてくる労働者を待った。彼は黙々と汗を流して車の後押しをして坂の上までたどりつく。ありがとうと礼をいう労働者に合掌して、将来のみ仏よ、おかげさまで仏行を一つさせていただけましたと礼拝して去る。それが、僧位を捨てて沙彌となった信行、三階教祖であり、その教徒の師表であった。
 彼の真剣な実践を伴う、現代末法到来、従来の仏教では救いがたい、末法こそ「普」の仏教、凡夫悪人と自覚し懺悔する人が、「みずからのはからい」をすべて捨てて、仏典間の勝劣を批判し、仏・ボサツの優劣を論争するような越権を捨てて、ただ普くすべての人格の尊厳に敬をいたし、普く他のために奉仕せよ、との力強い呼びかけに、廃仏を経験した僧俗男女の仏教徒が、これこそ新しい今の救済と共鳴し、同行同信として、「三階院」を建てて別住し修道にはげんだ。
 隋の初期仏教復興の長安で急速に盛大になる彼の教団は、「無尽蔵」という経済機構もって社会に奉仕した。多少を問わぬ信者の喜捨を蓄積する無尽蔵の資金は、廃仏で荒廃した寺院の復興のためには、どこへでも低利で、事情によっては無利息で、いつかは返す誓約
だけで信用融資された。無尽蔵への感謝は、必然に各地の仏教徒から平等の慈悲実現の大乗ボサツの仏教よとの称誉とともに寄せられた。しかし、この新仏教の主張は、このころ競い復興した学問的仏教、さらに三論・摂論・天台・華厳など新宗の運動にとっては、きびしい批判をぶつけるものである。邪教異端と排除しなければみずからが立たぬ。仏教界はこぞって、三階教は邪教だ異端だと訴えた。ついに三階教禁断の勅が出た。ために道綽の浄土教帰入のころには、一時地下に潜流したかにみえたが仏典に明記されている「末法到来の世」の憂慮は、仏教徒からぬぐい去ることはできなかった。
 (中略)
 末法到来に仏徒が心をゆすぶられているときである。邪教と排斥された三階教も、唐代の道綽・善導の専修浄土教活動期にはには復興し、都の長安はもとより道綽の住む山西省にも熱狂的な信者を集めていた。長安の南の隠棲修道者の好み住む終南山に、善導も、信行伝をのせた『高僧伝』を書いた道宣も住んだが、その山の一角に信行は遺言して、その死屍を捨てて鳥獣に供養させた。白骨のみになって信者はこれを納めて墓碑を建てた。師表を慕う信者はつぎつぎに信行の墓側に葬られることを希望して、三階教徒墓域ができた。「百塔寺」として長安の名刹名所となったものである。(P157-162)
引用終わり

200乾闥婆:2005/09/29(木) 22:51:53
また菅野博史氏は『法華経思想史から学ぶ仏教』で次のような評価をしております。

引用開始
 信行は、末法時代に即応する新しい仏教を形成しようとして三階教を創立した。彼は、この常不軽菩薩の礼拝行を自己の信仰実践に取り入れている。三階教には、「普敬」と「認悪」というワンセットの修行が説かれるが、自己の悪を厳しく批判する「認悪」に対して、自己以外のすべての人の善を尊敬することが「普敬」である。浄影寺慧遠、智邈、吉蔵が、常不軽菩薩の礼拝行について、『法華経』にも『涅槃経』と同様に仏性が説かれる根拠として言及しただけであるのに対して、信行の場合は、自らの信仰実践「普敬」の中に積極的に取り入れた点は、大変興味深いものがある。
 西本照真氏は、「三階教に独自な実践として注目されるのは、『法華経』の常不軽菩薩の実践にならった人間礼拝行である。これは、三階教思想の大きな柱ともいえる普敬の思想の実践的具体化である。『法華経』は南北朝時代の仏教者の中で一貫して高く位置づけられていたが、実際に常不軽菩薩の人間礼拝行を実践したと伝えられているのは信行だけである。この実践は、他の修行者との対比で三階教の実践の特徴として注目されるだけでなく、まさに三階教の中心思想から直結するという点で重要な実践といえる」と指摘している。(P54-55)
 ところで、筆者は『法華経』の「一仏乗の思想」の最も生き生きとした表現が、常不軽菩薩の礼拝行であると考えているが、三階教の信行においては、常不軽菩薩の礼拝行を自己の信仰実践に取り入れた点が認められ、きわめて興味深い。(中略)ただし、三階教の場合も地涌の菩薩の自覚とは直接の関係はない。(P132)
引用終了

201古池:2005/09/29(木) 23:22:05



197 吐玉さん

出来ました。早速登録しておきました。
大変ありがとうございました。

202古池:2005/09/29(木) 23:24:35

196 独歩さん

大変ありがとうございました。
よく拝読致します。

203犀角独歩:2005/09/30(金) 00:31:01

乾闥婆さん、有り難うございました。
参考になりました。

小池さん、ご不明な点があれば、お気軽に重ねてお尋ねください。

204古池:2005/09/30(金) 05:27:38

203 独歩さん

心やさしいお言葉、誠に有難うございます。
独歩さんの文章を何回も読んでいます。
「妙法蓮華経の言葉の由来」もよく読み、日蓮の真蹟遺文も拝読し、その上でお言葉に甘えて「気軽に」教えて頂く様に致します。
有難うございます。

205犀角独歩:2005/09/30(金) 12:07:15

小池さん、松山師の法華経講義のメモが3カ月溜まっています。
ブログにもアップしないできましたが、小池さんの真摯な姿勢に触れ、刺激を受けました。
近くまとめようと思います。その節はご参考になさってください。

206古池:2005/09/30(金) 23:04:08

205 独歩さん

大変有難うございます。
是非拝読致したいと存じますが、御無理のないようにお願い致します。
有難うございます。

207Poh:2005/10/01(土) 22:04:26
1)>>186 一字三礼さん

先にお待たせしている独歩さん宛のレスを優先して書き進んでおりましたところ、ずいぶん長文になってゆきそうな気配なので、独歩さんには申し訳ないのですが、あなた宛のレスを先にアップさせて頂きます(独歩さん、そういうわけなので、どうかご了解下さいませ。本当にごめんなさい)。
そして一字三礼さん、長らくお待たせして、申し訳ありませんでした。

>>仏教用語としての「末法思想」の語義に関しても、こうした場合、主観を極力廃し、自分勝手な解釈を慎む
ことが、肝要と考えます。ですからこの場合、「末法思想」や「三時(思想)」という言葉については、学者・
専門家たちの批判に耐え、また広く社会で認知されている普遍的な意味は何かということが大切なわけです
>「末法思想」という語が、その使用を仏典から梵文に遡って言語から意味を定義できるものではないので、Poh
さんのご主張は一般には通用しないでしょう。
>実際には「末法思想」なる語の成立はいつごろでしょう、近現代ではないでしょうか。さして古くない造語で
ある「末法思想」という語に、仰るような「普遍的な意味」などあろうはずがありません。
何を仰っているのか、正直分かりません。
あるいは私の使った「普遍的」という語義を、勘違いなさっているのではないでしょうか?

三省堂『新明解国語辞典』より
 『普遍』1広く行き渡ること
2すべてのものに共通なこと
3[哲学で]ある範囲のすべてのものに共通する性質
「〜〜的」広く一般的に・行き渡る(あてはまる)様子

他の国語辞典でも、順序の差や多少の表現の違いはあれ、おおむねこのように記述されているようです。
私としましては、>>182で「広く社会で認知されている普遍的な意味は何か」と書きましたが、この場合の「普遍」とは上記の「広く行き渡ること」の意であり、また当然「普遍的=広く一般的に・行き渡る(あてはまる)様子」といった意味で使用いたしました。
さらに「すべてに共通な意味」と解されることを回避するため、わざわざあえて「広く社会で認知されている」と書き添えることで私の意図をより明確にし、さらにもし「すべてに共通な意味」なら語義的に「広く社会で認知されている」という言葉と自語矛盾を起こしてしまうことを考え併せて頂ければ、結果「ああ、これは『行き渡っている・一般的な』ほどの意味なのだな」と、読み手の皆様にはご理解頂けるだろうと想像しておりました。

208Poh:2005/10/01(土) 22:05:00
2)
「末法思想」「三時(思想)」
○釈梼入滅後における仏教流布の期間を3区分した正像末の三時の考え方に立脚し,末法時に入ると仏教が衰え
るとする予言的思想のことであり,仏教の漸衰滅亡を警告する歴史史観である。
仏の教法〈教〉のみがあって,教法に従って修行する者〈行〉も,修行の果報を得る者〈証〉もなく,国土も
人心も荒廃する末法時が1万年つづいて法滅尽を迎えるとする点では異説がない。(平凡社世界大百科事典)
○仏教における時代観ともいうべき正法、像法、末法の三時思想に出ることば。(岩波仏教辞典)
○唐の基(き)の『大乗法苑義林賞』6 に「教と行と証とを具(そな)えたるを名づけて正法と為す。但(た)
だ教と行とのみ有るを名づけて像法と為す。教有りて余無きを名づけて末法と為す」とあり、正法は、釈尊の
滅後500年あるいは1000年間、その教えと、それを実践する行(ぎょう)と、その果としての証(さと
り)の三つが正しく具わっている時代、像法は、次の1000年間で、教と行とはあっても、さとりを完成す
ることのできない時代、そして末法は、教えだけが残り、人がいかに修行してさとりを得ようとしても、とう
てい不可能な時代をいう。(岩波仏教辞典)
などは、上記両書のみならず、たとえば現在使用されている高校教科書、大学受験用参考書・用語集などでも、むろんより省略された簡潔なものながら、おおかた同様の解説がなされていることを私は確認しており、その点、少なくともここで議論している今現在においては「広く社会で行き渡った・認められた=一般的」語義であることで、まったく問題ないと考えております。

もしもあなたが私の「普遍」を、「普遍的真理」などのような「(時代を超え)すべてのものに共通なこと」といった意味に解釈されたとすれば、私としてもはなはだ残念なことです。
しかしまあ、あなたのように誤解釈される方が他にもいらっしゃるかもしれません。ここは念のため以下のように補足させて頂くことにいたしましょう。

>>182 自己レス補足・註
「ですからこの場合、「末法思想」や「三時(思想)」という言葉については、学者・専門家たちの批判に耐え、また広く社会で認知されている普遍的(*)な意味は何かということが大切なわけです。(*普遍的:広く一般的に・行き渡る(あてはまる)様子)」

そういうことで、せっかくのあなたの>>186のロジックですが、どうやら意味をなさぬものになってしまったようです。よってあなたの>>186に対するこれ以上のご返答はご遠慮させて頂きます。
お手数をかけさせてしまい、申し訳ありませんでした。(平伏)

209一字三礼:2005/10/01(土) 23:48:39
Pohさん

そもそも「末法思想」なる語は、仏教経典、仏教釈、仏教論書、その他に記された「末法」に言及されたものを、近代にそれらを同系統の「思想」として纏めて言い表したものに過ぎないでしょう。

元来「末法思想」の「末法」は仏典をその出自とするわけです。だから私はBC50年からAD150年までに成立した法華経の「末法」「悪世末法」の記述を論拠をとして、法華経に「末法思想」はあったのではないかと主張しました。

それに対してあなたは平凡社世界大百科事典、岩波仏教辞典の「末法思想」の項に記述された「三時」の要件を満たしていないので法華経には「末法思想」がないと仰るわけです。

>この定義は、何もこの両書に限ったものではなく、広く一般的な仏教書、参考書の類いでも通用するものだとも考えております。

「末法思想」:末法に入ると仏教が衰えるとする予言的思想。中国では隋代頃に流行し、三階教や房山石経を       生んだ。日本では平安後期から鎌倉時代にかけて流行し、人々を不安に陥らせる一方、仏教者       の真剣な求道を生み出した。(広辞苑)

広辞苑では「末法思想」の項に「三時」「正・像・末」には言及されておりません。広辞苑は「広く一般的な仏教書、参考書の類い」ではないのでしょうか。


あなたは「末法思想」の定義について、特定の辞書の解釈に束縛されて、実際に「末法思想」が説かれている経典を否定しているわけです。それでは本末転倒になってしまいますでしょう。わかりますか。

私はそんなに複雑な事を申し上げているわけではないのですよ。

210Poh:2005/10/02(日) 01:54:38
>>209 一字三礼さん

少しムキになっておられませんか?
ただご自分を守るだけの言葉の応酬なら、私としては応じる気はありません。

あなたがご自分の中において、「末法思想」について何をどう思い、
どういう言葉をどう定義づけようと、それがあなたの中に限ってのことである限り、
否定する気はありませんし、現にそんなことはいたしておりませんよ。

>それに対してあなたは平凡社世界大百科事典、岩波仏教辞典の「末法思想」の項に記述された
>「三時」の要件を満たしていないので法華経には「末法思想」がないと仰るわけです。
違いますよ。
私は「平凡社世界大百科事典、岩波仏教辞典、高校教科書や大学受験用参考書等で
定義づけられている「末法思想」「三時(思想)」というものは、まだ法華経では完成していない」
と申しているだけです。
それもこれは私独自の説でも何でもなく、上記の書籍等で記述されていることを、
独歩さんへの参考資料としてそのままコピペし、またまとめなおしただけのこと。

言葉の定義とは、たとえば病気と病名のような関係にあるといえるでしょう。
病気があって、はじめてそれに病名をつける。
そこれに限っては、あなたのおっしゃるとおりですよ。

しかし重要なことは、「その病名によって、万人がどういう病気かを把握認識することができる」
ということでしょう。要は「病名←→病気の両方向に、かつ一般的に理解可能か」
いわゆる現在のアカデミックな世界、またたとえば一般高等学校や一般大学受験などに必要な知識としての、
「末法思想」という語句も、それと同じことではないでしょうか?
たとえばあなたなりの「末法思想」の定義で、広く社会であなた以外の誰と話が通じますか?
あなたの定義では、上記両書による「正像末三時の末法思想」は何という語句で読んでおられるのでしょうか?
(まさか同じ言葉で説明されてはいますまい)
またあなたなりの末法思想では、たとえば「五五百歳」などはどう説明されているのでしょうか?
――そしてそれは、何も説明しなくとも、一般社会で通用しているのですか?
たとえば「末法思想」の説明を求められ、あなたの定義を大学受験の答案に書いて○がもらえるのですか?
私はそれを言っているのです。

>広辞苑では「末法思想」の項に「三時」「正・像・末」には言及されておりません。
>広辞苑は「広く一般的な仏教書、参考書の類い」ではないのでしょうか。
私の文章を切り文して、勝手に解釈しないで頂きたいですな。
私は「上記両書のみならず、たとえば現在使用されている高校教科書、大学受験用参考書・用語集などでも」
と書いておりますよ。広辞苑は高校教科書、大学受験用参考書・用語集ですか?

今一度冷静に、何のために私に反論されているのかを見つめ直されることをおすすめします。
そしてあなたのおっしゃっていること、その論法が、一般世間に通じるだけの、
筋の通ったものなのか――それを客観的な視点から見直されることも。
(まあ通用すると思っていらっしゃるから、書き込んでいらっしゃるんでしょうけれども)。

最後に、よろしければお聞かせ下さいませんか。
あなたは何かを守ろうとしてらっしゃいませんか?
あったとして、それは何ですか?
「末法思想」が上記書籍のような定義であったら、なにかお困りになることがあるのですか?

少なくとも私は、あなたが自分だけで何を信じようと、どう思いたかろうと、
またなにを守りたかろうと、興味はなく、干渉する気もありませんし、
今まで一度たりともしていないつもりですが……。

211犀角独歩[TRACKBACK]:2005/10/02(日) 11:04:14

この掲示板に来る以前から、わたしには大きな疑問がありました。

それを『つぶやきすれっど』に記しました。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1039933512/r1705-r1707

上記、「末法」思想の発生と定義が語られますが、それはまあ十分に議論されればよろしいでしょう。しかし、重要な点は法華経制作者も、天台教派も、そして、日蓮も、通じて、自分達の時代が末法であるという自覚に基づいているという点です。これは要するに、日蓮教学の瓦解を意味することです。しかし、それ以前に天台が羅什漢訳に拠ったこと、法華経が後世の創作に過ぎなかったこと、これだけで十分に日蓮教学は瓦解はしています。その意味からすれば末法云々は枝葉と言うことになるのかも知れません。

以上の点は前提ですが、ここから当スレッドのテーマ『現代人が納得できる日蓮教学』を考えようと言うのが、わたしの提案の趣旨です。

見てきたように、日蓮の末法観は、結局のところ、まったく成り立たないことはわかりました。しかし、日本、鎌倉という国と時代の人であった日蓮が、当時の最高の学識であった仏教を通じて、その社会を見たとき、「末法」がリアリティを持って迫るだけの状況があったという観察は、外れたところではないでしょう。

その時に厭世的になり、現実への期待を捨て、死後の夢想世界に思いを馳せるのか、否、この現実を何とか変えることを考え、実践するのかという点で、日蓮は後者を選んだ点は評価に値するでしょう。しかし、わたしが残念に思うのは、身命に及ぶ法難が発生した段階で「霊山浄土」で三仏顔貌を拝すると何故なってしまったのかという点です。わたしはここに日蓮の限界を見ます。

しかし、それはさておき、末法認識とは、やや解釈すれば、現実社会が乱れ、滅亡に向かう様相を呈し、さらに人心が退廃している理由を、正しい教えの滅尽したことに理由を求める構造で古今一貫しているという点です。

このような事態で何をどう為すのかということは、各人の「使命感」に基づくことになるわけです。これはミトラ>救世主>弥勒>菩薩という思想系譜已来の良識と行動の発露であるのか、一部特権階級と集団が自己利益のために、大衆を煽動する基礎理論とするのか、あるいはその折衷かという点で、わたしは分析する必要があると考えます。

212犀角独歩:2005/10/02(日) 11:04:38

―211からつづく―

社会、個人に対する危機意識が、正しい教え(考え方)・善意を、邪(よこしま)・悪意が凌駕して人と国を滅亡に追いやろうとしているとき、では、どんな方法があるのか。
政治的統治であれば、政治の問題であり、関連して経済の問題であるという仏教的な言葉を使用すれば「王法」の問題である。けれど、王法は一部特権階級のみの利益構造で万民を搾取・隷属させる構造に容易くなるわけです。ここで警鐘が鳴らせるのかに法華仏教者の使命はあります。けれど、本来、仏教は、出世間法=出家ですから、国家という家から出たところの論理であり、初期経典からは(それが釈尊の教説であると直ちに言うわけではありませんが)その点が看取できるわけです。

しかし、法華経は、末法(教説が絶える=法滅)という時代に、釈尊を仰ぎ、「この世をどうするのか、衆生をどうするのかを考えた」経典であったという点は、しかし、わたしは評価できると思います。

より厳密に言えば、いま上記で敢えて「」で括った部分が評価できる点です。いわば末法観から抽出できる利点でしょう。しかしながら、これが単に法華経、その奉持集団のための弘教がと解釈されるとき、その高尚な使命感は潰えてしまうわけです。法を弘めることが至上命題になるのは、本を売れば、内容が読めれなくてもよいというようなものだからです。

要は末法という危機意識から発した各人の使命感が、この世と人にどのような利益をもたらすのかという点で、はじめて一般大衆は、その価値を見いだすわけですが、それが単に集団・指導者・教義の押し売りだけであれば、鬱陶しい教条主義、原理主義以上の意味を持たないからです。

なんら自己利益にもならない集団と指導者、その教えを信じないことが、悪という論法には二つの過ちがあるでしょう。一つは教えを奉持しながら、集団と内部者の自己満足に留まって社会一般には何の役にも立っていないこと、もう一つは、そのような役立たずの存在であるという認識がないまま、信じないことを殊更にあげつらい、他を罪悪視するという点です。何よりここで致命的なのは、法を信じること・弘めることが目的となってしまったために、末法(法の滅尽による退廃)という改善すべき状況にあって、その法が社会的に何も役立てないばかりか、信じない故に罪悪視するという悪循環が生じていることです。

末法‘思想’は、この世をどうするのか、どうか得たかによって意味をなす‘思想’であるという点を再認識し、実際に活かされれば今日的な意義を持つに至るのではないか、その可能性があるのかが、わたしの議論したい点です。

213犀角独歩:2005/10/02(日) 11:09:10

【212の訂正】

誤)末法‘思想’は、この世をどうするのか、どうか得たかによって意味をなす
正)末法‘思想’は、この世をどうするのか、どう変えたかによって意味をなす

214一字三礼:2005/10/02(日) 17:33:32
犀角独歩さん

>末法‘思想’は、この世をどうするのか、どう変えたかによって意味をなす

このお考えに賛同します。

また、末法‘思想’とは現実社会に対してどう働きかけていくのかを考えた時に、初めて経典編纂者や論師達が末法思想を成立させた'動機’を鮮明にできる、とも言えるでしょうか。

こちらの興味深いスレッドで、末法‘思想’の内容に一歩も踏み込まない無駄なレスを続けてしまいました。

謹んでお詫びいたします。


Pohさん

私の悪文で気分を害されたのであれば、申し訳ありません。

犀角独歩さんその他の方々のご見解もすでにいくつか示されております。

そろそろ定義云々ではなく、「末法思想」そのものの内容には踏み込んだレスにしませんか。

215犀角独歩:2005/10/03(月) 07:57:25

一字三礼さん

ご賛同、有り難うございます。

どうも、「末法」また「思想」という成句が、定まらないところで行き違いが存するのかも知れません。

オフ会で一字三礼さんにお会いし、その深い学識と洞察、また、礼儀正しい人間性を存じ上げ敬意を表してきました。一方、Pohさんはわたしの朋友であり、豊富な知識と悩める人々の交流に敬意を表してきました。たぶん、お会いになって議論となれば、和やかに談論となるのでしょう。どうも掲示板というツールは誤解に誤解が重なったり、文字自体の限界から、心の部分までが伝わらないことが多く存するものだと思った次第です。しかし、それでも、一定の矜持を保ち、深いな表現など、一つもないところに、お二方の深い人間性を感じました。もちろん、意見の異なりがあることは大いにけっこうなことであり、妥協せず、徹底して真摯に議論することにわたしは賛成です。

お二方から離れ、記します。

ネット上のでのやり取り、実は、この部分も「現代人が納得できる日蓮教学」と大きく関わるのかも知れません。そういうわたし自身も、この掲示板上で多くの意見の対立を経験してきました。けれど、議論は議論として、意見の異なりから事実が見えてくればよいと考える質ですから、どれほど、議論が食い違っても、会えば、その人と和やかに歓談するのが常です。しかし、それでもここを通過していったなかには、わたしに遺恨を遺されている方々も存することでしょう。

「法華系、なかんずく、創価学会、顕正会、妙観講というのは、どうしてあそこまで、口汚く、差別的で、侮辱的なのか。あんな姿は仏教じゃない」

というのは、一般の人々が見るネット上の富士門の姿でしょう。

このような有様は、まさに‘現代人が納得しない日蓮教学’そのものでしょう。
語ることが日蓮の教説であっても、反対者を詰る言辞は、侮辱、軽蔑、差別、よくぞここまで人をひどく言えるものだと驚くような単語を使い所属の違う相手を徹底的に貶して優位に立とうとします。

時には、「日蓮大聖人は、良観房を両火房と言って攻撃し、謗法を許さなかった」などと、日蓮が肯定理論に駆り出されます。しかし、これはつまり、日蓮その人が悪いのであって、いくら尊敬敬愛しようとも真似てはいけない日蓮の欠点です。

ネット上のエチケットすら守れない富士の日蓮門下、まさしく、決して現代人が納得することのない日蓮を信じる人々の姿でしょう。また、その日蓮の汚点を見本として、相手リーダーを書き立てる文章は、けっして一般メディアでは使用されることのない単語のオンパレードです。このようなものを読み、その団体に正義があると思う人間は内部のメンバー以外に有り得ません。それでも同意する人があるとすれば、そのような姿勢は平和、共存、人権といった遵守されるべき人類の目標を逆行する差別主義者なのだろうと判断せざるを得ません。

現代人が納得する日蓮教学の第一歩は、相手を敬い接することができることにあると、まず第一歩として、わたしは考えます。実はこれが今日的な「不軽菩薩」の具体的な現れではないのかとも、わたしは考えています。

216Poh:2005/10/03(月) 10:01:19
1)
犀角独歩さん

どうもお待たせいたしました。また、ご心配おかけしてすみません。
これから拙文をアップします。
私の癖で、えらい長文になってしまいました。
どうか軽く読み流すだけにしてください。大した内容でもありませんし。
もし返レスがあったとしても、一々は結構です。
それに答えてまた私が返レスすると、もっと長文を書くことになってしまいますので。
むしろそれだけはご勘弁を!(笑)


一字三礼さん

いえいえこちらこそ、です。
私は、議論は人と人の違いを認識するところからようやく始まると思っております。
そして「相手を納得させよう、分からせよう、自分と同じ考えで染めてしまおう」
と考えることを、愚とも考えております。
相手が納得するもしないも、相手の責任であり、また相手の自由なのだと。
でもこちらは、できるだけ、せめて気持ちだけでも通じるような説明だけは試みようと。
私ができるのは、せいぜいそれだけなのだと。

まあそうは言っても、私も未熟なもので、なかなかそううまくはいきません。

あなたはとても一所懸命に、真剣にレスを返してこられました。
それはたしかに私は感じました。伝わりました。
ですから私もできるだけ一所懸命に、真剣にご返答したつもりでおります。
ご不快な思いをおかけしたと思いますが、またこりずに色々突っ込みを入れてきてくださいませ。

今後とも宜しくお願いいたします。

217Poh:2005/10/03(月) 10:02:02
2)
犀角独歩さん

自己レス>>184 の続きとして、独歩さんの>>181 >>190、また横レスになりますがやはり独歩さんの>>195に対して、まとめてお話しさせて頂きます。
これをしたためているうちに、ちょっと話が先に進んでしまったようで、遅レスとなってしまい、かえってご迷惑をおかけしますが、まあ軽く読み流し、私など構わず話をさらに先に進めていってくださいませ。

まず……
どうでしょう、ここは少し違った角度から眺めて直してみませんか?
でもまあこんなこと、あなたならすでに十分ご承知のことでしょうし、また文証もなく(笑)、科学的・実証主義的検証に耐えるわけでもありません。それに第一、こうした基本知識は、あるいはこういう場所ですからすでにどこかにまとめられているのかもしれませんけれど……もしそうだったら、ごめんなさいね。

私のようないわゆる「経文読み」でもない仏教素人にして信仰門外漢は、しばしばいかにもそういう人間だからこそ許される(?)楽しみ方として、経文や仏教書などに目を通す時、傍らに歴史年表や歴史地図(歴史グラフ)、また釈迦なら釈迦、クマーラジーヴァならクマーラジーヴァ、日蓮さんなら日蓮さんの人生年表などを開いては、それをのぞき込みながらあれこれ勝手気ままかつ無責任な想像を巡らせては、時に独り合点がいった気になって無邪気に喜だりしているものなのです。

そこで、ちょっと長くなるかもしれませんけれど、少しばかり私が普段やっている楽しみ方をご紹介させていただこうかと思うのですがどうでしょう?
あなたには時間の無駄かもしれないけれど、でもこうした素人門外漢くさい『窓』から覗いてみることも、時には気分転換によろしいかもですよ……もし余計なお世話だったら、お詫びに今度ビールでもおごります(笑)。

218Poh:2005/10/03(月) 10:02:33
3)
まずは法華経について――
ご承知の通り、西北インド・インダス川中上流域ガンダーラ地方というのは、古代より民族・文化・貿易・経済の十字路といってよい場所であります。インドのアーリヤ系マウリヤ朝(BC317年頃〜BC180年頃)以降は、ギリシア系支配者層によるバクトリア王国(BC255年頃〜BC139年)、その後西からはイラン系パルティア(アルサケス朝、BC248年〜AD226年)、中央アジア系遊牧民であるサカ族(イラン系・インド=スキタイ族)が南下してそれぞれ侵入、最終的にスキタイ系トハラ人にバクトリアが滅ぼされ大夏(トハラ)が立ったものの、民族系統不明ながら元々はモンゴル高原西・南部にいた大月氏(族)に追われ(BC1世紀)、その後大月氏やサカ族などによるバクトリア地方5翕侯(小王)による小国分立状態がしばらく続いておりました(ただし大月氏の動きと5翕侯の民族構成に関しては諸説あり)。またその間も、西からの巨大王国パルティアによる浸食の脅威は絶え間なく続いたようです。
で、その5翕侯の1つ、大月氏支配下で中央アジア・アム川流域にあったイラン系貴霜翕侯(小王)が、AD1世紀後半以降、他の4翕侯を倒しつつ南下、バクトリア地方・西北インドを征服していったというのが、かの巨大帝国クシャーナ朝(AD1世紀〜3世紀)です。AD2世紀カニシカ王(位130〜155頃、別説78〜103頃)の最盛期には、パミール高原(かつて大月氏国)を含む西トルキスタンから、中央アジアでは後漢と接し、南はインドガンジス川中流域にまで版図を広げておりました(首都はガンダーラの地方の中心プルシャプラ、現ペシャワール)。ちなみにインドのその他の地域、すなわち中部デカン高原・南部・東部はほとんど分裂状態といってよく、大きな所では中部にサータヴァーハナ朝(=アーンドラ朝、BC2世紀〜AD3世紀初頭)があったくらいです。
ついうっかりすると、私たち日本人はインド史や仏教といった『窓』からガンダーラ地方やクシャーナ朝、カニシカ王などを見てしまいがちですが、こうして改めて眺め渡してみますと、このあたりには、たしかにBC1500年頃以降はインド=ヨーロッパ語族アーリヤ系インド人が多く住むとはいえ、歴史的・文化的に果たしてこれが『インド(の一部)』といってよいものやら……むしろインドから見れば、異文化・異民族の地であり人々だったと言った方がふさわしいのではないかという思いが、私にはどうしてもぬぐえません。

ところで近年の考古学的成果によって、この地方の古代都市の様子が、徐々に明らかにされはじめているようですね。そしてどうやらその都市復元図は、ギリシャ、ローマ、中央アジア、インドなど、さまざまな建築様式が混在していることを教えてくれているらしい。仏像の顔にギリシャの神々が投影されているのは、おそらく皆様もご存じでしょう。
話を少しだけ先取りすれば、法華経が説く、たとえば開三顕一といった人間的かつ普遍的思想は、きっとこの時代この地の異文化・文明同士のぶつかり合いや異人種・異民族の交流や摩擦、国家の興亡や戦乱といった歴史のダイナミズムの中から生まれたのだろうし、そういう世界的思想(宗教)が育む『心の土壌』が、きっとこの地にはあったのでしょうね。

219Poh:2005/10/03(月) 10:03:08
4)
では、今は?
試しに世界地図などありましたら、開いてみてください。
プルシャプラは、現ペシャワール。インドではなく、パキスタン北西部、アフガニスタンへ通じる、大乗仏教がここから北伝していったと言われるあのカイバル峠から急峻な山道を下りてきたところにある、周囲を岩と土ばかりの急峻な山岳群に囲まれた、盆地というより狭い高地というに近い土地に、古色蒼然たる風貌でうずくまっています。ちなみにインダス中上流域のパンジャーブ地方(含ガンダーラ)とかカシミールとか、特に大乗仏教運動に深い関わりのある地方というのは、そのおおかたが、現在はインドではなく、パキスタン・イスラム共和国内にあたります(もっともカシミール東北部の国境については現在長年に渡る紛争中で、いまだ確定していませんが)――といって実は私、この町はおろかパキスタンにも、インドにさえも行ったことはありません。ありませんが、その醸し出す雰囲気の幾ばくかは、昨今のアフガニスタン情勢に関連して、時々ニュース映像やドキュメンタリー番組、写真報道などにより、日本でもこの町とその周辺の最近の姿を見ることができ、クシャーナ朝の往事、東西貿易の一大交通路として多くの隊商がわさわさ行き交ったであろう道々の現在の姿を想像することができます。「ああ、こういう場所で、こういう環境で、この景色に囲まれて、かつて法華経たちが生を受けたのか……」町の今昔を見い出し、私は現在の殺伐たる風景がことさら感慨深く思われたりもします。ああそういえば、先日アフガニスタンを旅行中殺害された尾道の男女教師お二人は、パキスタン中西部クエッタからアフガニスタン南部カンダハルに向かう途中、国境を越えたあたりで被害に遭われたようですが、聞くところによれば、当初の予定ではその後カンダハルからアフガニスタン中部バーミヤンでタリバンによって破壊された仏教遺跡(大仏)を観た後、カイバル峠を越えてペシャワールに下りてくるつもりだったらしいですね……。

ちなみに後にガンダーラを訪れたかの法顕は『仏国記(法顕伝)』で、かつてクシャーナ朝の首府だったプルシャプラの往時をしのび、「(かつての)月氏王篤く仏法を信じ」「塔及び堂伽藍を起こし」「大富者あり多華以て供養せんと欲し、正に復た百千萬斛なるも終に満たすこと能はざるなり」(Poh註:中国ではクシャーナ朝も月氏・大月氏と呼ぶ)と語っておりますから、乱世で戦乱に明け暮れていた民族興亡の中では様々辛く苦しい時代を送っていたかもしれぬものの、少なくともカニシカ王が熱心な保護者になって以降しばらくは、この東西交易の中心地で仏教が栄え、裕福な商工業者の支持を得て人々の日常に深く根を下ろしていた輝かしい情景が偲ばれます――ただし同時にカニシカ王の貨幣にはギリシア・ローマの諸神やゾロアスター教・ヒンドゥー教の諸神の像が打ち出されており、この王が宗教的に寛容で、諸民族・諸文化の混在する大帝国を巧みに統治していたことを忘れてはなりませんが。一般に為政者にとって、古代から中世にかけては特に、異民族支配や多民族国家統治に宗教政策は最も重要な問題ですからね。弾圧するか、寛容を選び、むしろ自らの支持者・味方としてゆくか。

220Poh:2005/10/03(月) 10:03:44
5)
話を戻しましょう。
仏教の話です。そう、大乗仏教について、法華経についてです。

今更申すまでもなく、法華経は、この地西北インドで成立したと言われています。
成立年代については、先レスで紹介されていたpundarika掲示板『妙法蓮華経という言葉の由来』
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/3050/1054348959/l100
レス3にちょうど独歩さんが引用されていたので、これ幸いと借用させていただきますが――

1 原始法華の成立は西暦前1世紀
2 第二期の法華の成立は西北インドに於いて西暦後1世紀
3 第三期の成立は西北インドに於いて世紀100年前後
4 第四期の成立は世紀150年前後
(『法華経・上』岩波文庫 P430 岩本裕)

また中公新書『法華経』で田村芳朗氏は、「方便品第二から授学無学人記品第九までを第一類とし、西暦50年ごろの成立と見なし、法師品第十から属累品第二十一までと序品第一とを第二類とし、西暦100年ごろの成立と見なし、薬王菩薩事品第二十二から普賢菩薩勧発品第二十七までを第三類とし、西暦150年ごろの成立と見なすのである」(Poh註:田村氏はこれに先立ち「『法華経』は現在二十八章からなっているが、その中の提婆達多品第十二は天台智ぎあたりから見えてくるので、したがってもとは二十七章である」とし、提婆達多品第十二を除いた二十七章で分類を行っている)としています。

まあ仮に原始法華がBC1世紀といっても、法華経がおおよそ現在の形にまとまったのはAD50年頃〜150年頃あたりと考えて差し支えありますまい。
さてここで、たとえば田村氏分類による各章(品)成立年代と、上記の北西インド・ガンダーラ地方の歴史的流れとを対照すると、色々おもしろいことが想像できそうですな。もちろんそれは、漢訳『妙法蓮華経』ではなく、サンスクリット原典を使ってのことですが。

たとえば法華経梵本中には、先にお示しした漢訳『妙法蓮華経』中の「正法・像法・滅人」や「末法・悪世末法」「後五百歳」など具体的語句にあたるサンスクリット原文以外にも、「仏教の漸衰滅亡を示す言葉」や、それを前提とした自教正当化の論法が多数見られることは、独歩さんご指摘の通りです(ただし私の場合、『末法』という言葉を使うと、条件反射的に「教えだけが残り、人がいかに修行してさとりを得ようとしても、とうてい不可能な時代」「末法一万年」などという「(後年成立した)正像末三時による末法思想としての『末法』」を勝手に連想してしまうので、サンスクリット原本saddharma-vipralopevartartana■neの訳語「正しい教えが滅びる時代」を、また同様の理由で『妙法蓮華経』中の『正法』はsaddharmaの訳語「正しい教え」、『像法』はsaddharma-pratiru■pakaの訳語「正しい教えに似た教え」をそれぞれ使用したいと存じます。梵本制作者の意図を推察するなら、おそらくその方がふさわしいのではないかとも思いますので)。

それら箇所箇所と、先の成立時代分類、そして上記のような歴史的事実を重ね合わせ対照すると、あるいは法華経制作者たちを取り巻いてきた約100年間(原始法華成立から見れば約200年間)にも及ぶ環境や境遇の変化、そしてそれがどのように教典の教えや論法に影響を与えてきたのか、などということが、少しは浮かび上がってくるのかもしれませんし、また逆にそういうことを考証してゆく過程で、法華経の成立年代や編纂の過程が、より具体的に分かってくるなんてこともあったりして?――まあただこんなことは、これら「仏教の漸衰滅亡を示す言葉」に限らず、当然文献学などの学者たちが様々な観点からすでに十分やってることでしょうし(私がその業績を知らないだけでしょう)、またそんな手間暇かかることなど、当然私自身やる気もなくて、ただ思いつきだけで言ってるに過ぎないのですが――ちなみにネットで色々調べてみると、実際色々な大学のゼミ論や卒論では、様々このあたりのことが研究されているようです。(笑)

221Poh:2005/10/03(月) 10:04:25
6)
……ところで、私は法華経のことには暗いのですが(他にことにも暗いが。笑)、たとえば華厳経などは、ご承知のごとく、様々な地域・時代に書かれた多くの独立した教典を3世紀ごろに集め編纂されたという代物なので、古く成立した部分にも、後代の加筆修正が多く認められるようなのですが、法華経の場合はどうなのでしょう。先の分類をそのまま適用するとしても、部分的に後代の加筆修正が入っているということは、可能性も含めて、やはり言えるのでしょうか?
その種の研究は当然すでに相当なされていると思うのですが、あいにく私のつたない経験では、これまで読んだ法華経の解説書・研究書の類いに、そこを深く踏み込んで記述したものの記憶がないのです。
それはともかく、そういう後代の加筆修正の可能性があるとなると(たとえば当初書かれた頃には「仏教の漸衰滅亡を示す言葉とそれを使ったロジック」はなかったものの、後年それができて「これは使える!」とばかりに、説得力を増すため?加筆修正してしまったとか……他愛もない妄想ですが)、またそれはそれでややこしい話になってゆきそうですが。

まあそれはそれとして……
もしも飲み屋で一杯やりながら、独歩さんから、>>181独歩さんレスのように「あれは『自分達こそ、その『末法』(Pohの場合は『正しい教えが滅びた時代』)の弘法者であるという認識を、紀元前後の段階で既に持っていたからこそのこと』だと思わない?」と振られたら、「そりゃそうだろ」と私も即座に返すと思うのです。

しかしまあ、ここはこういう大まじめな掲示板であり、もしかするとここの過去ログのコピぺ印刷がはるか未来に出土され、21世紀初頭における日本人の仏教観を探る貴重な歴史的資料の一つとして、学者たちの論議の的となるかもしれません(んな、アホなって?分かりませんよ。今私たちが貴重な歴史資料として活用している諸資料のうちには、たしかに一部そんなものも混じっているのですから。笑)。
ですから独歩さんは、こんなことさっさと切り上げてどんどん先に議論を進めていきたいのかもしれませんけど、
私としてはうっとうしがられようとも、少しだけこの点に色々こだわってみようかなと思っています。もちろん、あくまで念のため。
結論が見えていそうな時ほど、人間とは目が見えなくなるもの。無意識に都合のよい資料や証拠ばかりを集め、自分であらかじめ決めてしまった結論を補完する独善的論理を組み立てて、「ほ〜〜ら見てみろ」と独り満足してしまいがちですからね(いわゆる恣意的推論・選択的抽出・拡大視&拡小視、極端な一般化、自己関連づけetc)。だから余計に気をつけて、むしろ自分の推論を否定するための証拠や材料などを見つけるくらいの気で考察を進めていかないと……そういうわけなので、以下うっとうしい方は華麗にスルーしてくださって結構です。(笑)

222Poh:2005/10/03(月) 10:05:02
7)
そういうことで、あえて批判者・否定者の立場に立って考えてみれば、ここでまず重要なのは、独歩さんの言葉「正しい教えが滅びた時代の弘法者」というのが、
1:法華経あるいはその未来の受持者が、来る未来、正しい教えの滅びた時代に人々を救うことになるのだ。そのための教えを今説いているのだ。
2:我々制作者が生きている今の時代こそ、正しい教えの滅びた時代であり、だから今こそ我々が世の衆生を救うのだ。
のいずれの意識なのかということではないでしょうか?
まあ別に、法華経と、そのお教えのすばらしさを語るためのロジックなのだから、どちらでもかまわないではないかと言われれば、それだけを考えるならばたしかにそうなのでしょうけど、しかしもしも独歩さんのその後のコメント「創作者たちがいう末法とは梵本法華経成立時点、さらにそこに登場する釈迦を担う主人公・地涌菩薩の出現もまた、創作者とその集団を指した紀元前後その時代を想定したもの」を検証しようとなると、そうもいきません。
もちろん独歩さんは、「1」であろうと考えておられるようですね。そしてそれは、私も「きっとそうだろうな」と同調します。そう、居酒屋ではね(笑)。でも、私は今日のここでは、あえて批判者、疑問者の立場にいます。
――ただし批判者としては、言うまでもなく私はあまりに力不足です。なにしろ法華経のこともよく知らないし、なにより今はその梵語訳さえないのですから……でも、まあ色々考えてみましょう。無い頭と無い資料を駆使して。(笑)

まず考えなければならないのは、法華経制作者たちの、当時の社会的境遇でしょうか。
もちろんそれは、先に触れたように、彼らが法華経を今に伝わるかたちにまとめるまでの約100年(もしくは約200年)間の変遷のありようを考えることでもあります。

223Poh:2005/10/03(月) 10:05:41
8)
それにしても彼ら法華経制作者たちは、あの時代の西北インド・ガンダーラ地方で、いったいどうしていたのでしょう。どんな目に遭っていたのでしょう――。
そしてそもそも彼らに限らず、大乗仏教徒たちはどうだったのでしょう。上座部は?

まずはそこから……
カニシカ王が厚く仏教を保護したとは言っても、こと大乗仏教運動の動向については、当時の状況を俯瞰して、それが当時の中心的運動としてこの地西北インドで巨大な潮流となっていた……とまで、果たしていえるのかどうなのか?

たとえばカニシカ王が行ったとされる第4回仏典結集(ただし、上座部の説一切有部の論典『大毘婆沙論』の骨子が編集されたことをカニシカ王に付託して物語るために「つくられた」伝承ではないかとの疑問符から、史実かどうか不明ともいわれている)は、上座部中心で――というか、異道者(大乗?)の多いガンダーラを避けてカシミールで開催されたともいわれているようです(ただしこれも先の疑問符から、上座部が意図的にそういう伝承を残したのかもしれませんが)。

またさらに残念なことながら、どうやら現在のところ、ことガンダーラからは、上座部の存在を裏付ける遺跡はあっても、大乗が栄えたという考古学的資料はほとんど見つかっていないようなのですね(ちょっと前の資料なので、もしやその後新たな発見があったかもしれません。そしてもちろん、今後続々発見されてゆく可能性もありますが)。

たしかに大乗教典にはしばしば裕福な商工業者の支持を得ていたことを思わせる記述があるようですが(法華経にもあったような……?)、しかし同時に、たとえば法華経梵本では、法華経を受持する者、みだりに人に近づくべからず、人里離れた山中、森の奥深く、荒野の洞穴などで修行し、孤独を選ぶべしといったようなことが書いてあるそうですね(なにしろ今の私、あの岩波法華経さえ人に貸しているという状況なので、確認できず。近日中に取り返してきますんで、とりあえず今日のところは申し訳ない)。あるいはそれは、布教どころか、世俗から離れ、地下に潜伏しなくてはならない当時の彼らの状況を暗に物語ったものなのかどうなのか……。

法華経制作者集団の境遇に関しては、いまだ謎に包まれているようですが、しかし時代にあらがって毅然と立ち上がり、「我こそ!」と救いの手を衆生に広げようとする崇高な精神、そして迫害に対するあの毅然たる姿勢、忍耐への決意、孤高なる殉教精神――それらはいったいどこからきたものなのでしょう。何をして、彼ら法華経制作者たちにそう叫ばしめたのでしょう。
――それは自分たちの教えが世に認められない事への怒り悲しみ、そして迫害(被害者)意識ゆえなのか?あるいは彼らの境遇ではなく広く社会を見渡して、民衆の苦しみを救おうと決意せざるを得ない過酷な時代状況や社会情勢あったがゆえなのか?

224Poh:2005/10/03(月) 10:07:25
9)
たとえば、制作年ははっきりしませんが法華経と同時代とも言われ、また「無量寿」を法華経の久遠実成の本仏思想が展開したものであると考えて、法華経よりもやや後代の作との推察もある浄土教の根本教典『無量寿経』には、
「我滅度之 復生疑惑 当来之世 経道滅尽 我以慈悲哀愍 特留此経 止住百歳 其有衆生 値斯経者 随意所願 皆可得度」(巻下流通分・弥勒付属)とあります。
つまり「当来之世 経道滅尽」「特留此経 止住百歳」=「将来、経道がことごとく滅した時(法滅尽)、100年間だけ(100年=人の一生分から転じて、永き世との解釈もあり)無量寿経だけがこの世にとどまる」という論法を使って、無量寿経の優越を説いているわけです。

こうしてみると、「仏教の漸衰滅亡を示す言葉とそれを使ったロジック」は、少なくとも法華経の専売特許とまではいえないようですね。
ではそれは、時代の流行だったのか?
ただ単に、たとえばどこかの集団がミトラ教など他の宗教や思想の論法を「これは使える!」とばかりに拝借したのが、他の集団にも広まったものなのか?(ああいう場所に生きていた人々ですから、ミトラ教だろうと、救世主思想だろうと、ギリシャ神話だろうと、終末思想やプレニアム=千年紀であろうと、習合に習合を重ね、また「ええとこ取り」することなど当たり前で、要は「何でもあり」という感じがしますね)
そして法華経がそれを先導し、無量寿教がそれを拝借しただけなのか?
それとも、当時の大乗仏教の担い手たちが「今こそ法は滅した」と本当に世を憂い、鬱憤を募らせ、それゆえ出た、両教典制作者たち共通の認識だったのか。だとしても、それは大乗仏教徒に限った「鬱積=俺らの教えこそ正しいのに、上座部のやつらばかりがのさばっていやがる」という独善的気分を「正しい教えが滅びる時代」に見立てているのか、あるいはたとえば外来民族による侵略により、乱暴狼藉、抑圧と迫害に苦しんだこの地のアーリヤ系インド人=民衆たちを前にして「なんとか救わねば!」という当時の時代状況の悲惨さを、それに見立てたものなのか?
――ちなみにもう十年以上前の記憶になりますが、やはり大乗の華厳経をざらっと読んだ時には、そういう深刻な「仏教衰滅の言葉やそれを使用した論法」があったという記憶はないんですよ(実は現在、ある必要性からもう一度読み直さなければならなくなったので、またそこで見つかったらご報告と訂正をさせて頂きますが)。
もしもその記憶通りだったら、また新たな想像も出てきますね。
もっともあのお経は、上座部に追われるようにカイバル峠から北上し、パミール高原から崑崙山脈北縁沿いに西行した大乗仏教徒たちが最初の腰を落ち着けた、中央アジアのオアシス国家ホータン(現:和田)で法華経よりも百年ほど後以降に編まれたもの。あの当時のホータンは、大乗仏教徒にとってユートピアのように、国は栄え、平和を謳歌し、また上座部の干渉もなく、国王の厚い保護のもとで大乗仏教徒がインドから退去押し寄せたと言われていますから、あるいはそういう環境では「仏教衰滅」の実感がなく、よってその言葉やそれを使用した論法が好まれず、あるいは忘れられ、またあるいはせっかく庇護してくれる国王の信仰心におもんぱかってそういう言葉をあえて使用せずにおいたということなども考えられましょうが……。

いずれにせよ、法華経梵本に見られる「仏教の漸衰滅亡を示す言葉とそれを使用した論法」の真に意味するところは、法華経それ自体の客観的かつ詳細な検証とともに、先の無量寿経のみならず、他の成立時代が重なると思われる大乗教典、いやむしろ上座部の当時の教典・論書などと比較対照することで、時代の流行だったのか、法華経制作者のみに見られる深刻な「憂い」「鬱憤」だったのか、あるいは上座部の優位とそこからの干渉・排除に対抗する大乗教団共通の論法だったのかといった当時の実情が、より一層浮かんでくるかもしれませんね。

225Poh:2005/10/03(月) 10:08:08
10)
念のため確認しておくと、法華経作成当時(〜AD150年頃)は、あくまで「正法=500年or1000年」「像法=500年or1000年」という「○○年間」という概念もなく、あくまで漠然とした「お釈迦さんが死んでしばらくすると、彼の説いた法もだんだん変容し、彼の真意も失われ、『これこそ釈迦の説いた教え』などと吹聴していかがわしい教えがはびこるようになってゆくものだ(そして今がまさにそうだ)」といった思いのみがあったのではないかということです。ですから、当時の仏典制作者に、日蓮さんのような具体的な年数として「今は像法の○○年だから、あと××年で滅尽を迎える(当時は正像滅尽だと仮定して)」といった種類の恐れはなかったのでしょうね。

ですから、先にも挙げた、
「正法、像法、滅尽の後、此の国土に於いて、復仏出でたもうこと有りき」(常不軽菩薩品第二十)
の「正法」「像法」「滅尽」というのは、独歩さんが>>181でまとめられているように、サンスクリットの直訳「如来が入滅したのち、正しい教えの模倣の教えが消滅したとき」(下 P131)をクマーラジーヴァが漢訳したもので、やはり独歩さんの>>181「如来が生きているときは、その如来から直接、教えを聞いて修行できるが、入滅後は、それを模倣する教え、しかし、それも時の経過と共に消滅する」くらいの意味が、おそらく法華経制作者たちの思いだったのではないでしょうか。
そしておそらく、
「又文殊師利、如来の滅後に末法の中に於て是の経を説かんと欲せば、安楽行に住すべし」(安楽行品第十四)
「悪世末法の時 能く是の経を持たん者は則ち為れ已に上の如く 諸の供養を具足するなり」(分別功徳品第十七)
も、おそらく大意としては、同様の思いで記されたものではないかと思います(サンスクリットの訳でご確認下され)。
そしてこの2つは、先の田村芳朗氏分類に寄れば、「法師品第十から属累品第二十一までと序品第一とを第二類とし、西暦100年ごろの成立と見なし」なのでAD100年頃、つまりクシャーナ朝がまさにガンダーラ地方への進出した前後であり、カニシカ王の即位以前、つまり彼が仏教の保護をする前の成立ということになるわけです。
この地のアーリヤ系インド人は代々、新たな外来民族の侵略を受けるたび、悲惨な境遇に陥ったらしく、乱暴狼藉の限りを尽くされ、それはもう大変だったようです。ですから、あるいはこの時期の「正しい教えが滅びる時代」は、上座部との確執から来たものというより(それどころじゃなかったろうということで……でも分からないか、日蓮さんのような例もあるかもしれないし)、民衆の悲惨な現状に対する切々たる思いから来たのかもしれません。つまりこの場合は、法華経制作者たちが「もはや正しい教えが滅びた!」という実感を持ちえるだけの――いや持たざるを得ないほどの、悲惨な社会的状況があったのかもしれませんね。

226Poh:2005/10/03(月) 10:08:49
11)
では「世尊、後の五百歳濁悪世の中に於いて、其れ、是の経典を受持すること有らん者は、」(普賢菩薩勧発品第二十八)はどうなのでしょう。他にも、
「若し如来の滅後、後の五百歳の中に、若し女人有って、是の経典を聞いて、説の如く修行せば、此に於いて命終して、即ち安楽世界の、阿弥陀仏の大菩薩衆の囲繞せる住処に往いて、蓮華の中の宝座の上に生ぜん」(薬王菩薩本事品第二十三)
でも「五百歳」とあるようですが――余談ながらこの「500」という数字、私にすれば、インド人にしてはあまりに具体的かつ短すぎる(笑)という感覚で、はじめて読んだ時は正直驚きました。今でも違和感の固まりです。もしかしてこれこそ異文化・異宗教の影響をそのまま受け入れてしまった記述ではないかとも思うし、また全くの勘ながら、この部分を書いたのはアーリヤ系インド人僧侶ではないのではないかとまで妄想がふくらみますが、このあたり、アーリヤ系インド人の数字概念の考察はまた別の機会にでも改めて――、とりあえずこれは上記田村氏の分類に従えば、偶然なのか両箇所ともAD150年頃の成立となっています(田村氏分類:薬王菩薩事品第二十二から普賢菩薩勧発品第二十七までを第三類とし、西暦150年ごろの成立)。
つまりクシャーナ朝がカニシカ王北西インドの支配を安定支配し、また仏教を厚く保護した(あるいは上座部のみ?)という王国の絶頂期にあたるということです。この時期、アーリヤ系インド人たちも、クシャーナ朝による侵略を受けた時に比べれば、その支配が長期化し、王国が繁栄してゆくにともなって、生活はかなり改善されていったようですね。それに異民族の支配者のもとでは、カースト制度の規制がゆるんで、自由と解放を味わうことができたという側面もあるらしいし(カニシカ王の在位はAD130〜155頃の他、AD78〜103頃という別説もあるのですが、ここは現在優勢な説の方を採っておきます。もしも別説を採れば、まったく違う結論になるかもしれませんが、それはこの際考えないことに。笑)。
ですからこの時代の法華経制作者が、民衆と国のありようから「正しい教えが滅びる時代」を実感したと、はたしていえるのかどうなのか――むしろあるとすれば、先に書いたようにカニシカ王の時代、上座部の優勢があったとして、そちらとのかねあいの方が強いのではないかとも思われますが、しかしこの田村氏分類によるAD150年頃成立したとされる薬王菩薩事品第二十二から普賢菩薩勧発品第二十七までを丹念に調べ、「仏教の漸衰滅亡を示す言葉」とそれを使用した論法が果たしてどれくらいあるのか、またそれ以前AD100ごろ成立とされる部分と比較して、その表現の違いや量の多寡に際だったものがあるのかどうなのかということを調べてみると、案外このカニシカ王時代は法華経制作者たちが「正しい教えが滅びる時代」と実感していたと思わせる部分は少なかったりして?……いやいや、それはないのかな?(笑)

まあとりあえず、社会が安定している時に、「今こそ正しい教えが滅びた時」だと説いて、民衆にとって説得力があったのかどうなのかという疑問はありますが。
加えて、為政者(カニシカ王)への遠慮とか、そういうことはなかったのかなと……まあこれは彼が仏教保護者とはいえ、大乗に対してどうだったのかということにもかかわってきますけど。

227Poh:2005/10/03(月) 10:09:21
12)
でもさらに問題は、この両箇所のサンスクリット語からの訳(実は先ほど本屋に行って、ここだけ岩波を立ち読みし、こっそりメモってきたのですが……笑)。
薬王菩薩本事品第二十三「また、ナクシャトラ=ラージャ=サンクスミタ=アビジュニャよ、ある女性が『イシャジャ=ラージャの前世の因縁』という章を最後の五十年に聴いて、それを学ぶときは、彼女はここから生まれ変わって、スカーヴァティー世界に生まれるであろう」
普賢菩薩勧発品第二十八「世尊よ、わたくしは、最後の時である最後の五百年間が経過している際に〜」
となっており、薬王菩薩本事品第二十三の方は、どうやらサンスクリットでは「五十年」となっているようですね(このあたり、なぜクマーラジーヴァが五十年を五百年と漢訳したのか、考えてみるのもおもしろそうですか、今回はやめておきましょう)。
あとこの『妙法蓮華経』普賢菩薩勧発品第二十八には、他にもう1箇所「五百歳」の言葉がありましたね。それにサンスクリットの方は、他にもう2箇所。いずれも同じ訳がふってありました(でも、なにせ立ち読みなもので、見落とした他の箇所があったかも?)。
でも、この「最後の時である最後の五百年間」とは、いったい何なのでしょうか。漢訳では「世尊。於後五百歳。濁悪世中。」そして「世尊。若後世。後五百歳。濁悪世中。」これを岩波では「世尊よ、後の五百の濁悪な世の中において」としていましたが、あるいはこれは、クマーラジーヴァ漢訳の頃に、すでに後の「五五百歳」の萌芽でもあったのかどうなのか?
*五五百歳(岩波仏教辞典より抜粋)
「大集経月蔵分 では、仏滅後2500年間の仏道修行の衰退ぶりを解脱堅固・禅定堅固・読誦多聞堅固・
多塔寺堅固・闘諍言訟白法隠没[とうじょうごんしょうびゃくほうおんもつ](闘諍堅固)の5箇の500年
に区分する。これを三時説に配当すると、正法千年、像法千年、そして末法万年のはじめとなる。日蓮は
現時を末法に入って二百余年と認識して仏法のあり方を考え、『如来滅後五五百歳始観心本尊抄』を著した」

そしてもう一つ重要なこと。サンスクリットの「最後の時である最後の五百年間」が真に意図するところは?
この箇所、岩波法華経では註をしていまして、「後五百歳=後の世の後の五百歳(の濁悪の世)。正法華(Poh註:竺法護による逐語漢訳本『正法華経』10巻27品・286年のこと)は『最後の余残の末俗の五濁の世の余りの五十歳』と訳している。梵文には『後の時に後の時節に後の五百(歳)において』とある」とありました。
でもそうなると、これを「釈迦入滅後500年」と解釈することができるのでしょうか?
そしてこの「後五百歳」を語っているのが普賢菩薩であるということは、あるいは法華経制作者が自らを、この場合、普賢菩薩あるいはその従者(?)に我が身を重ね合わせたのでしょうか?
――ちなみに、この普賢菩薩勧発品第二十八は、以前読んだ中村元氏の書籍では(うろ覚えの記述ですが)、「未来に向けた教え」(要旨)といったような解釈がされていたように思いますが、仮にそうなると、あるいは法華経制作者が「今こそ正しい教えが滅びる時代」ではなく「(未来の)正しい教えが滅びた時代に向けての教え」だと考えていたということなのでしょうか?
とりあえず、この普賢菩薩勧発品第二十八が未来に向けてのものと解するのか、そうでないとするのかで、この「後五百歳」の意味するところも変わってくるのかもしれません。
……でもまあ、ここから先の推察は私のような素人の出る幕ではなく、独歩さんにご解釈をお願いした方がよさそうですね。

228Poh:2005/10/03(月) 10:10:15
13)
さて最後に――
その後のインド西北部ガンダーラ地方の大まかな流れとしては、どうやらいわゆる大乗仏教運動は、やがて上座部によって徐々に駆逐され(とまできつい表現をしてよいかは分かりませんが)、あるいはヒンドゥーに呑み込まれ、またあるいは後にイスラムに追われて、この地からもインドからも離れてゆき、結局たわわな果実が実ったのは、中央アジア西域オアシス国家であったり、中国であったり、そしてもちろん日本であったりしたわけです。

ちなみに現存する中では最古といわれるサンスクリット本法華経が出土されたキルギット(ペシャワールから約300㎞北東、カラコルム山脈南縁、山間に分け入っていったその突き当たりにある小都市)、そして残りの2つが出土されたヒマラヤ山麓ネパールと中央アジアは、いずれもインド文化圏から見れば、まさに異境の地というほかないところです。とりわけキルギットとネパールのそれは、さながら上座部やヒンドゥー教、さらに後のイスラム勢力の拡大に押され、後ずさりするうちにとうとう壁際にまで追いつめられ、最後はそこにへばりつくようにして命をつないでいた法華経受持者たちの悲壮な姿そのままのようでもあります。

229Poh:2005/10/03(月) 10:10:42
14)
というわけで、背伸びしても仕方がないので、とりあえず以前私が他の掲示板で書いていたような気分で書いてみましたが(とんでもない長文は私の病気です。このため仕事に支障をきたし、しばらく書き込みを停止していたというわけです。苦笑)、ここではこんなこと今更書いても意味がないのかな?
実はまだこの後、先の「500年」というキーワードの問題や(実は私、独歩さんの>>190と違う意味で言ってたんですよ)、それから独歩さんの>>181 >>190 >>195で触れられているクマーラジーヴァ、南岳慧思、天台智ぎ、湛然、そして最澄さんや日蓮さんたちにとってのいわゆる「末法意識」について、今回の法華経のような視点からの考察などを私なりに試みることは可能ですが、しかしいくら頑張ってもせいぜいこの程度が精一杯です。
私はこの掲示板との距離感をまだつかんでおりませんから、独歩さん、どうかもしもあまり意味のない、的はずれなことを私が書いているようだったら、正直におっしゃってください。
こんなものでも、私の力不足もあって、まとめるのは結構手間も時間もかかるものですし、もしもこの先書いても誰も喜ばないようなら、こちらもこれ以上そんな無駄な時間と労力を使いたくないのです。

どうかそのあたり、変に気をつかわれるより、忌憚なくおっしゃっていただいた方が僕も助かります。
何卒宜しくお願いします。

230Poh:2005/10/03(月) 10:22:25
15)
失礼。とんでもない間違いをば。

>>222
>もちろん独歩さんは、「1」であろうと考えておられるようですね。
      ↓
もちろん独歩さんは、「2」であろうと考えておられるようですね。

231一字三礼:2005/10/03(月) 21:08:03

法華経等の経典が纏まるまでの経緯を三枝充悳師は次ぎのように図式化しています。

「a核が生まれる、b原初形が成立する、c伝承され、その間に増広や補修や整備や追加などがあり、ときに抄出もある、d固定して現在形が完成する…したがって、a核が生まれたあと、それが運動をつづけるだけにとどまらず、やがて経の成立を見るものであるならば、そこには必ずさとれるもの=仏が臨在したにちがいない(その仏は釈迦仏ではなく、以下「無名の仏」と呼び、漢字の「仏」を用いる)。この無名の仏のさとりが核にこめられて、やがて経の形式をそなえてb原初形を採り、そこですでに経ではあったけれども、なおcの伝承を経てからd の現在形にいたる。このようなa〜dの系は上述の①〜⑦のそれぞれにすべて共通し、または①のなかの複雑で種類も量もきわめて多く大きい諸般若経の一々(私の分類によれば十二種あり、計四十数経以上)についても、やはり同じことがいわれ得る。」。①〜⑦は①般若系、②華厳系、③浄土系、④法華系、⑤三味系、傍系として⑥維摩系、⑦宝積系その他とされる。

大乗仏典には「無名の仏」のさとりが経の核に込められているという言葉に三枝師の仏教学者としてのスタンスを感じます。

私はここに挙げた三枝師の説を全面的に支持するものではありませんが、このようなa〜dの流れはあったでしょう。

だから法華経においてもc伝承の間に「加筆修正」された部分はあろうかと存じます。

たとえば、仏身説について。

最後に付加された提婆達多品に僅かに2ヶ所「法身」の語が使用されるだけで、「報身」も「応身」も使われていません。ですから法華経の本門釈尊の「法身・報身・応身」の三身についてよく論ぜられますが、提婆達多品が付加される以前の法華経では三身については一言も言及されていなかったのです。出てくる仏身は同じ意味としての「分身」と「化身」のみ。

このことから、法華経の成立は華厳経「入法界品」よりも古いのではないか、と考えております。


また、「正法」が滅びるとそのまま悪世(像法を経ずして)になるという発想は、古く「律蔵」に出ています。

女人の出家について、阿難が無理を言って釈尊に認めさせたことによって、本来、1000年続いたはずの正法が500年に短縮され、世は乱れるというものです。

232犀角独歩:2005/10/04(火) 10:19:15

Pohさん

長文のご投稿、ご苦労様でした。
仰るとおり、一々にレスをすると膨大な量になるので、議論の基礎資料とさせていただき、踏まえて、前に進むことといたします。以下の記述は、Pohさんへの返レスを兼ねさせていただきます。

一字三礼さん

三枝師の成立説を拝見しました。

法華経成立について、わたしは松山師の話に耳を傾けています。
昨日も法華経講義があったのですが、経題の説明だけ前科雷から通じて、6時間が費やされました。松山師・法華経に係ることなので、以下、小池さんのことも意識して記します。

師の法華経成立に関する考えは、まず詩偈部分が先行し、その説明として散文が付加されたというもので、さらに3期に分かれ成立したというものです。大乗経典としては、八千頌般若経がまず最初で、次に成立したのが法華経であるという立場を採っておられます。

http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4122038960.html

わたし自身は法華経典中に阿弥陀仏・極楽世界の記述があるので、浄土経が、法華経に先行すると思っていたので、この点は意外でした。なお、わたしも一字三礼さんと同じく、法華経は、三身説以前という考えに賛成です。

さて、松山師が詩偈・散文部分が別に成立したというのは、まず、前者と後者で使われている梵語が違っていることにより、散文を付加した創作者は詩偈部分を、実に厳格に保護している文章的相違があることからだと言います。出来る限り、編集、語句を変えず忠実に用いているという意味です。わたしは梵語の知識がないので、この師の指摘を正確にここに再現することはできませんが、たとえば、以下のような例を引かれていました。

最初に成立した詩偈、特に方便品から見宝塔品までにおいて、「正法」「妙法」に当たる原語は agradharma である。しかし、見宝塔品に至って、ここに saddharma-pundarika が使用され、後者は釈尊を指す如くであるといいます。この場合、pundarika は地上の白蓮=太陽を意味するとのことでした。
(「妙法」という漢訳語は法華経に限るものではなく、先行して訳された増一阿含にその使用例が見られるとのことでした)

なお、やや横道にそれますが、saddharma の冠頭詞、sat は「正しい」という意味ばかりではなく、英語で言えば is にも該当し、「あり続ける」の意味を有すとのことでした。

233犀角独歩:2005/10/04(火) 10:20:14

―232からつづく―

古層の agradharma の agra は下部から連続して頂点して最高(たとえば、山の麓から頂上という連続で頂上が最高というように)という意味を有する原語で、通じて択一して最高の法という意味を有する。故に、これに代わって使用される saddharma 単に正しくあり続ける法というに限らず、agradharma の意味もはらみ使用されているというのが師の説です。つまり、正しくあり続ける択一された唯一の法といった意味を有するというのです。故に saddharma-punndarika を英語的に記せば The saddharma-punndarika となるというのが師の言でした。

では、この saddharma が pundarika と合成されて用いられるとどのように訳されるべきかというのが、前回に続く昨日の講義内容でした。

岩本師の『法華経』上(岩波文庫)をお持ちの方はP408〜411の「『法華経』の題名について」をご覧ください。該当部分の文献的批判です。
(いままで、当掲示板でも岩本師の非を論う人はいましたが、実際的にその「説明ができた」人は一人としていませんでした。わたしは松山師の該当部分を使用した批判講義は実に説得性を感じます。豊富に引用したいところですが、この著作権は福神研究室が有しますので、わたしはメモ程度に留めることにし、議論に必要な最低限のことは記させていただこうと思います。また、メモであり、さらにわたし自身が梵語の知識がありませんので、間違いがあれば、それはわたしに属することで、批正その他をいただければ、次回、松山師にお会いした段階で答をいただいてくるようにしようと思います)

岩本師は saddharma-pundarika を「『白蓮のごとき正しい教え』と和訳されるべき」(P410)と言い、その根拠に Kasika を挙げています。しかし、松山師はこの点に鋭い批判を加えます。Kasika は、西暦にして650年頃の編纂であるのに対して、法華経の成立は西暦前後のことである。法華経成立後、500年も経たあとの文献を使って法華経を論じることは文献学的に非であるというのが松山師の主張です。また、岩波書店ともあろうものが誤植?をそのままにし続けるというのは一体、どういうことかとメスを入れます。文庫の該当部分、

「sabha-『牝牛』…vrsa-『牝、男』…」(P410)

となっているが、前者は「牡牛」であり、vrsa の説明に至っては牝が男とは何のことだ?と指摘し、これは「牡」であると言います。このような誤植というか、岩本師自身の過ちを改訂後もそのままというのは考えられないと溜息をつきます。

岩本師は saddharma-pundarika という合成語を和訳するに参考にしたのは、Kasika に拠る「purusavyaghrah『この男(purusa-)は虎(vyaghrah)のごとし』という場合に purusa-vyaghrah と記される」(P410)という用法を、そのままに saddharma-pundarika に当てはめ、「『白蓮のごとき正しい教え』と解せられることは疑問の余地がない」といいます。

まず、松山師の講義を写す前にわたし個人の疑問を記せば、Kasika に例して訳せば、「正しい教えは白蓮のごとし」ではないのか、しかし、岩本師の説明では逆転し「白蓮の如き正しい教え」となっている点で、その整合性を見ません。首を傾げたくなります。また、このような「疑問の余地がない」とまで言い切るのにも拘わらず、題名に「正しい教えの白蓮」を使うのは、一体、どういうことか、しかも、この題名ならば、purusavyaghrah の訳出に準じるという点も、まったく不思議に思う点です。

234犀角独歩:2005/10/04(火) 10:20:40

―233からつづく―

対して、松山師は、法華経における合成語を考えるのであれば、同時代の、もしくはそれ以前の、類似した用法を参考にすべきなのだと指摘します。

たとえば、narasimha という合成語の場合、nara は人、simha は獅子であり、これを以上の次第で訳せば、この人は獅子のごとしとなるが、実はこれまったく違う、narasimhaとは頭が人で体が獅子であるという想像上の生き物を指しているといいます。
また、nabhipundarika という場合、臍(nabhi-)が白蓮のごとし(pundarika)というのではなく、これは Visnu(ビシュヌ神)の臍を意味する合成語で、まさにビシュヌ神 の臍は白蓮そのものなのだといいます。また、一つの例なのでしょうが eka-pundarika という合成語の eka は「唯一の」ということで、であれば「唯一の白蓮華」となりますが、しかし、これは白象の名前として文献に載ると言います。白象は国の宝であり、大切なものであることからこの名前が付けられたとのことですが、名が白蓮でも、その実体は象であるという例です。

この pundarika という語は白蓮というのがもはや常識となっていますが、2000年前から1000年前の文献を見ると一概にそうとは言えないとも言います。

これは既に常識になっていることですが、法華経原典では、pundarika のほかに padma が使用されるわけで、経典=pundarika に対して、地涌菩薩は padma になっており、白蓮と紅蓮の相対関係があることが指摘されます。(なお、ここで考証するのに関連するかどうかわかりませんが padma の末尾が padm[-/a](aの上に-が付く=音を伸ばす、強いてカタカナで書けばパドマー)となると、女性形)

また、pundarika は白蓮ばかりではなく、虎(インドにおける最強の獣)を意味することもあり、上記、 nabhipundarika の用法に見られるように、松山師は、しばしば Visnu との関連で語っていました。師が仰ったことではありませんが、以上のことから法華経の成立とその経題は、Visnu 信仰と何らかの関係があるのかという思いを起こさせます。また、羅什が「慧日大聖尊」(方便品)と訳した naraditya は、nara は人間、aditya は際限のないものという意味で古くから太陽を指す語であると言います。これを、岩本師は「人間の太陽」と訳すわけですが、先に見宝塔品に使われる saddharma-pundarika が釈尊を指し、この pundarika は天上の白蓮=太陽に対応する地上の太陽を意味するので、ここから類推すると地上の太陽である白蓮=釈尊は地上にいる人間の太陽的な存在であるという意味なのでしょう。通じて、考えるとき、Visnu に使う pundarika 、また、naraditya という釈尊に対する形容を示す古層に属する方便品の合成語は、法華経を産んだ先行文化の影響を窺わせるようで興味深いものがあります。

それはともかくとしても、以上の用法と併せ、saddarma が agradharma に代わり、散文で使用されるに至る過程も踏まえて、法華経の経題は訳さなければならないというのが松山師の主張です。では、何と訳すべきかということになりますが、実はこの点は、講義が現代進行形であり、今回の講義では、その答は示されませんでした。

また、松山師は漢訳仏典に記される訳出年代は疑ってかかること、また、学説は頭から信頼しないことと常に注意を促します。

以上、敢えて、横道に逸れ、昨日の松山師の講義に触れたのは、現段階では、学術的見地からしても、現代人が納得できる日蓮教学を考える前提の依経である法華訳、それも経題一つを取ってもかくのごとしであるという現実をロムの方に知っていただこうと思ったからです。

235犀角独歩:2005/10/04(火) 10:30:21

【215の訂正】

誤)深いな表現
正)不快な表現

【221の訂正】

誤)経題の説明だけ前科雷から通じて
正)経題の説明だけで前回から通じて

236犀角独歩:2005/10/04(火) 13:18:58

【235の訂正】

誤)「sabha-『牝牛』…vrsa-『牝、男』…」(P410)
正)「rsabha-『牝牛』…vrsa-『牝、男』…」(P410)

237犀角独歩:2005/10/04(火) 17:14:38

Pohさん

さて、先に法華経題に関する松山師の講義をやや紹介し、まあ、答えとしたわけで、逐一レスは長文になるからやめようという提案も賛成なのですが、何点か、コメントをしないと齟齬が生じることもあるので、最低限の部分だけ、レスさせていただきます。
まあ、書かないつもりでしたが、お互い一種の職業病でしょうか(笑)

> もし余計なお世話だったら、お詫びに今度ビールでもおごります(笑)

いえ、余計なお世話ということはなく、また、この前、ご馳走になりましたから、むしろ、お返しをするのはわたしのほうでしょう(笑)

> 3)……むしろインドから見れば、異文化・異民族の地であり人々

これは、そのとおりだと思います。
法華経制作者は、インドというか、実際に話題にしている場所を知らないのだろうと思います。その第一が霊鷲山の記述で、「万2千人」の弟子と一緒だったというわけです。
実際、わたしもインドに行っていないので偉そうなことは言えませんが、インドに四半世紀いた行明師に聞けば、本当に小さな山…、というより高台、丘のような場所で、そんな人数がいられるはずもないとのことでした。つまり、法華経創作者は、実際の霊鷲山ではなく、たとえば日蓮が「霊山浄土」などというのと同じような神秘化された別天地をイメージできる距離を置いた場所でイメージしたのでしょう。

> 6)…後代の加筆修正

この点は、一字三礼さんも触れられている点ですね。
むずかしい。まず梵語に関していえば、まったくこの点ではわたしはお手上げで、学者諸姉の研究を参考にするしかありません。けれど、可能性はあるだろうと思います。

では、漢訳はとなりますが、翻訳終わり次第梵本を捨て去る中華方式は驚く以外ありませんが、反面、そのため、以降の再翻訳・考証はできずテキストは固定化したというのが実際のようですね。ただし、日本で流通する妙法華も諸本ありで、端的な例を挙げれば、版を買って「大石寺版」とする妙法華(信者を馬鹿にするにも程がある!)は平楽寺版だと思いますが、実はこれは日蓮が使ったものとは違うとのことでした。

また、Pohさんもご指摘のとおり、27品が途中から28品になったわけですから、これは加筆というか、編集ありということになります。

> 商工業者の支持を得ていた

これは長者窮子の譬えなどからも法華経と貨幣制度=商工業の関係は窺えるでしょうね。今さらいうことではありませんが、シャキャムニの時代は貨幣制度は、発達していませんでした。お坊さんには嫌な顔をされるでしょうが、初期教団は、そもそも金銀財宝で供養を受け取ることを禁止していましたし、なにより、財産どころか、食物すら貯蓄することを禁止していました。それは原始釈迦教団の偽らざる実像でしょう。

> 法華経制作者集団の境遇に関しては、いまだ謎

まったくそのとおりですね。

238犀角独歩:2005/10/04(火) 17:15:24

―237からつづく―

> 崇高な精神、そして迫害に対するあの毅然たる姿勢、忍耐への決意、孤高なる殉教精神――それらはいったいどこからきた

ここは実に興味深い点だと思います。やはり西方の影響としか思えないのですが、この点では、しかし、根拠がありません。描写から読み取るほかありません。しかし原本から読み解きはあるのでしょう。

そのテーマはまさに救世主思想であり、終末思想であり、そして、殉教精神です。こんな考えは、旧来の仏教には見られないわけで、糸を手繰れば、菩薩から弥勒(マイトレーヤ)、ミトラ。このことは、ここでも議論されてきたことです。ところが、この弥勒を漢訳でいえば求名、岩本訳では「ヤシャス=カーマ(名声を欲しがる者)」(上 P51)というわけです。まあ、この名前は、弥勒に対してかなり辛辣であり、この弥勒信仰に対抗心を感じさせながら、しかも、摂取するという構えです。となれば、直接の流れであるとは言い難いことになります。はて、いったい、この創作者集団とは?と考えさせられます。実際のところ、法華経に出てくる菩薩のように、活躍した人々など、まったく存在せず、1から10まで完全の物語という可能性もあるのかもしれません。わからないところです。

> 「仏教の漸衰滅亡を示す言葉とそれを使ったロジック」は、少なくとも法華経の専売特許とまではいえない

これはもちろん、そうでしょう。第一、『大集経』があります。
正像末を考える基礎理論は、後天的な年限指定(50年、100年、500年、1000年)のほかに、もう一つ要素があります。いうまでもない教・行・証です。まあ、この点は追って記そうと思います。

> 習合に習合を重ね、また「ええとこ取り」することなど当たり前で、要は「何でもあり」

これまた、しかり。ごもっともです。

> 法華経梵本に見られる「仏教の漸衰滅亡を示す言葉…時代の流行……「憂い」「鬱憤」…上座部の優位…干渉・排除に対抗する大乗教団共通の論法

ここのところは実に難しいところですね。
いずれにしても、先行勢力に対する抗いを感じます。
非常に穿った言い方なのですが、このようなロジックを使う集団にとって、それ以前の教え(法)と集団は滅んでくれないと自分たちの優位がないという仕組みもあるのではないでしょうか。

これは、特に富士門系教学でも同様な点です。「白法隠没」とか、像法の仏に代わって、久遠本仏=日蓮が現れるとかいう論法は、要はそれまでのものは滅んだ、だから自分たちだという極端なご都合主義で一貫されています。わたしはこのような姿勢にはまったく反対で、法華経のなかでも法滅尽で一貫しているのではなく、独り寿量品では、五百塵点劫のさらに今後2倍の寿命を有する仏がここ娑婆世界で「常住此説法」するというのであって、末法どころの騒ぎではないわけです。ところが寿量品が肝心だと言いながら、法滅尽だというわけです。いったい、何を言っているのだというのがわたしの思いです。この極端な矛盾が平然と無視されて、やれ末法だというのは、どうにもわたしは納得がいかないわけです。

239犀角独歩:2005/10/04(火) 17:17:04

―238からつづく―

しかし、わたしなりにこの点を読み解けば、ここで末法と仏の霊山常住と地涌菩薩の娑婆弘教を整合させるのは、何かといえば、肉体が滅びたように見せかけた如来が永遠に住み続ける場所は娑婆は娑婆でも、霊山限定であり、ここばかりは、何が起きても絶対に壊れない限定地域、何故ならば如来がいるから。しかし、他の娑婆は違う、そこで菩薩は法を弘めろという、教えは模倣を通り越して、もはや潰えている、陸続きの神秘の聖地・霊鷲山とは違ういうコンセプトに基づいているのだろうと、考えます。

これは岩本師がよく指摘していたことですが、古来の楽園というのは、それがエデンであっても、桃源郷であっても、いま踏みしめている大地の延長にあったというのです。原形の極楽も同様で、西方極楽十万億土といっても例外ではないということです。「霊山浄土」といったところで、他次元のどこかとか、宇宙の最果てとか、にあるなんて考えていたのではなく、中国を越え、インドにある霊山をイメージしていたのでしょう。しかし、それは、現代のわたしたちが交通機関を使って気軽に行けるイメージではなく、たとえば、『西遊記』に登場する天竺のイメージです。大地が方(四角)でその四つの角・方角が東西南北だと信じられていたとき、その中央に聳える霊鷲山は、五百由旬の宝塔(いったい、どれほど巨大なのか?)が東方に立っても、西方の端に釈尊が結跏趺坐し、その前に1万2000人の弟子が悠々と控えられる立地条件のイメージです。足踏む大地の延長にあっても、そこを「ガンダーラ」(ゴダイゴ)と歌われたようなマジカル・ワールドとして、想像されたのでしょう。いや、それ以上であったでしょう。
(この歌を主題歌にした連続ドラマの西遊記は孫悟空を若き堺正章が演じ、夏目雅子が玄奘三蔵というものでした。Pohさんは、これを記憶している世代でしたか? 議論とは関係ないですが)

いまだ霊鷲山を見たこともなく、イメージを膨らませた創作者が、決して行くことのできない霊山を夢想し、自分の踏みしめるあまりに理想と違った大地=娑婆弘教を考えたという現実が、創作に当たってあったのではないでしょうか。

しかし、地域差、時代差意識は、釈尊の謦咳にかかった弟子が正しく教えを仏自身から拝受(正法)できたのとは違い、滅後伝えられた段階では模倣(像法)に過ぎず、(法華経を作っている段階ですから)経典も存在していない時点で、法滅尽の嘆き(末法)です。それでも、お釈迦様ははるか遠くのマジカルワールド(=仏国土)霊鷲山で法を説いているのだという夢想がパラレルに交叉しているように思えます。

> …如来の滅後、後の五百歳…女人…是の経典を聞いて、説の如く修行…命終…安楽世界…阿弥陀仏…蓮華の中の宝座の上に生ぜん…薬王菩薩本事品第二十三

安楽とは極楽の旧い漢訳語で意味は、もちろん、極楽と同じですね。
この件を説明する日蓮門下教学は苦肉で、「いや、これは浄土宗、念仏宗が言うのとは違うんだ」とかなんとか言いますが、何も違わないでしょう。要は法華経と浄土教は近親関係にあることは動かない事実です。この経典が成立した時点で、法華宗、浄土宗もなかったわけです。いま、これは区別するのは宗派を分かち、争う愚かさの延長以上の意味はありません。

240犀角独歩:2005/10/04(火) 17:17:30

―239からつづく―

> でも「五百歳」……「500」という数字…インド人にしては…具体的かつ短すぎる

ところが原文では

「偉大なる志を持つ求法者(ぐほうしゃ)『サヴァサットヴァ=プリヤダルシャナの前世の因縁』の章(薬王菩薩本事品)が最後の時であり、最後の機会である最後の五十年の経過している間」

と、500年どころか50年となっています。もっと短いわけです。この点は、あとでPohさんも指摘されていますね。わたしがこのことに気付いたのは、もう5年も前のことでした。500年説に拘る人はこの点に猛烈に反発しますが、50年だろうが、500年だろうが、仮に1000年、2000年だろうが、Pohさんが仰るとおりで、寿量品で五百塵点劫已来の結縁をいうスケールからすれば、ほんとにちっぽけな話ということになります。

何故なんでしょうか。この時間のリアリティは?
やはり、わたしには、経典創作者が自分たちの時代を特定するために、斯くなったのだろうと思わざるをえないわけです。

しかし、もう一つ、理由が考えられます。それは、岩本師が指摘するインド人の完全数信仰です。現代でもラッキーセブンといった数への信仰がありますが、法華経のなかで「五百」という数字は何故か乱発されています。ざっと検索で拾うと以下のとおりです。

五百人、五百由旬、其数五百皆当授記、五百万億諸仏世界、五百万億諸国土中、五百万億国土、五百万億諸梵天王、南方五百万億国土、五百弟子受記品、五百阿羅漢、五百比丘、五百自在、五百阿羅漢五百千万億那由他、五百菩薩、五百比丘、五百之衆、後五百歳

なんで「五百」なのでしょうか。現時点では決していません。

…以上、Pohさんの書かれた長文から抽出して出来る限り、短くコメントしましたが、やはり長くなってしまいました(笑)

わたしは法華経の解読というのはPohさんも試みられたように、その文中のキーワードから背景を探り、書き手の心象風景を追体験することからはじめたほうが、天台釈より、よほど正確だと思います。一念三千は止観禅の時のイメージトレーニングに過ぎません。心が3000ばかりカテゴライズできるはずもないことは当たり前のことです。まして、それが生命の実相ではあるわけもありません。だいたい、『sddharma-pundarika』にはそんなことは説かれていないわけです。

この現実から直視しなければ、法華経は現代に生きるわけもありませんし、日蓮の精神も「天動説」の類の非科学性と共に、それこそ隠没してオシャカになってしまいます。
これは日蓮法華を担ぐ集団に対する揶揄ではなく、現実を直視なければ、本当に終わってしまうという警鐘です。

まあ、そんなわけで、時にはビールを酌み交わし議論もするのは大賛成なのですが、言語音声はその場で即座に消え去ってしまいます。ですから、ここに書き留めておくことが必要かと思うのです。共に書き残していただければ、有り難く存じます。

241古池:2005/10/04(火) 23:39:00

独歩さん

大変有難うございます。

「サダルマ・プンダリーカ」(妙法白蓮華)というのは「釈尊」自身のことを比喩的に述べているということでしょうか。
また「アグラ・ダルマ」というのは「最高の法」ということでしょうか。
そして、寿量(無量か?)の白蓮華である釈尊の説かれるアグラ・ダルマが「妙法蓮華経」ということでしょうか。

詳しく記して頂いた内容が十分に理解できておらず、間違っていましたら訂正致します。

242犀角独歩:2005/10/05(水) 10:52:31

*先の投稿の訂正
霊山参集の弟子を、わたしは「万二千」と記しましたが、これは、なんとも基本的な間違いでした。実際は「…与大比丘衆。万二千人倶。皆是阿羅漢…学無学二千人…与眷属六千人…菩薩摩訶薩。八万人…菩薩摩訶薩。八万人倶。爾時釈提桓因。与其眷属二万天子倶…万二千天子倶…若干百千眷属倶…王。各与若干百千眷属倶…各与若干百千眷属倶…各与若干百千眷属倶…各与若干百千眷属倶。韋提希子阿闍世王。与若干百千眷属倶…」(序品)という総数でした。


小池さん

232〜236には、松山俊太郎師の講義を紹介したもので、いわば師のお考えということです。その点を押さえて、以下ご質問にお答えします。

> 「サダルマ・プンダリーカ」(妙法白蓮華)というのは「釈尊」自身のことを比喩的に述べている

毎回、松山師が仰ることなのですが、『Saddharmapundarika』という経典の最たる特徴は、この経題の意味が本文中に何ら説明されないということだと言います。
しかし、その前提で、見宝塔品にいう saddharma-pundarika は釈尊を指しているというのです。現段階で、講義は同章(品)に及んでいませんので、師が言う詳しい意味はここにご紹介できません。

わたしの個人的な意見を述べれば、果たして、そう言えるのだろうかという疑問があります。故に該当部分の講義を待っています。

岩本師直訳で読み限り、「正しい教えの白蓮」はあくまで、経典そのものを指すように思えます。そして、全編を通じて、言えることは、では「正しい教えの白蓮」という経題がどのような意味なのかという点は本文中には結局、記述されていません。

なお、小池さんが「白蓮華」と記されたのは、当を得たことで、松山師自身、「白蓮華」としたほうが適切であるけれど、音韻の調子の関係で敢えて、羅什は「蓮華」としたのだろうと語っていました。

釈尊自身を比喩的に語るのは、やはり、方便品に羅什が「慧日大聖尊」と訳した naraditya 、岩本訳「人間の太陽」のほうと思えます。

> 「アグラ・ダルマ」…「最高の法」

まあ、そのような意味となるかと思います。先に紹介したとおりです。

> 寿量(無量か?)

寿量と無量(寿)は近親関係にありますが、違います。寿量品に説かれる如来の寿命は五百塵点劫已来の時間にその倍した長さであると限定されています。日蓮・門下教学ではこれを無始無終と解釈しますが、原文を忠実に読めば、釈尊の如来としての寿命は有始有終です。まあ、こう書けば門派教学に拘泥する方は反論するかも知れません。しかし、そのようなことは梵本原典とは関係ありません。わたしは、岩本師が

「翻訳の結果が、宗教的にどのような問題を惹起するかという点も、訳者(岩本)は考慮しなかった。直裁に言って、現在の日蓮教学も天台教学も『法華経』のサンスクリット語原典とは直接の関係がないのであり、また宗教的に自由な立場に立つ訳者としては、これらの教学の依拠する羅什訳のみを重視することはできない…特定の立場からの批判に耳を籍す考えもない」(上『あとがき』P441)

という態度に全面的に賛同します。しかしながら、岩本師が「訳文に不満な人があるならば、みずから全文を平易に口語訳して江湖に訴えられるとともに、訳者に無言の教示を垂れていただきたい」(同 P442)という点に就き、現在、松山師が、福神研究室・上杉師、渋澤師の全面バックアップの元、その偉業を為しつつあることに深い敬意を表するものです。惜しむらくは岩本師が既に鬼籍に入ってしまったことです。

243犀角独歩:2005/10/05(水) 10:53:06

―242からつづく―

> 白蓮華である釈尊

白蓮=(地上の)太陽=釈尊 という図式は、松山師の講義の基本を為しているように、わたしは感じます。ただし、pundarika は saddharma なので、これを直ちに釈尊としてしまうのはどうなのだろうかという思いがわたしにはあります。

> アグラ・ダルマが「妙法蓮華経」

このご質問に応える前に、やや細かい点なのですが、よく見聞する一つの誤解を記します。妙法蓮華経、もしくは正法華経は、サダルマ・プンダリーカ・スートラを訳したもので、

サダルマ=妙法、正法:プンダリーカ=蓮華:スートラ=経

という考えが流通しています。しかし、『法華経』の岩本師の解説を読めば直ちに了解されることですが、「『法華経』のサンスクリット語原典の題名は Saddharmapundarika」(上『解題』P408)であって、スートラに該当する語はここに見えません。

法と経の同一視は、日蓮教学においても深刻な誤謬であるとわたしは考えています。
法は法に違いありませんが、経は経典以外の何ものでもないからです。

また、「agradharma 、また、saddharma が妙法か」と問われれば、わたしはもちろん「違う」と答えます。
確認していませんが、松山師は「妙法」という漢語は、法華経以前に漢訳された増一阿含に既に使用されており、それを羅什が転用したもの。ただし、増一阿含における「妙法」には agra という「択一された最高の」というような意味合いはない、羅什はこの「妙法」を転用するに当たり、換骨奪胎して、agra の意をはらむ sat に相当する意味を持たせたといいます。

先行して出来上がった詩偈の部分に用いられる agradharma が、では、なぜ、散文を付加した次の制作者は saddharma さらに saddharma-pundarika としたのかという点について、答える能力をわたしは有しません。また、松山師の講義でもその言及は今のところありません。

agradharma の用法は、パーりー語文献の古層に既に見られるといい、agrabodhi という用法も挙げていました。法華経に、この agrabodhi が使用されているのかどうかは、聞き漏らしましたが、当然の対応として、agradharma によってもたらされる悟りは agrabodhi ということになると思うのですが、実際のところ、法華経では annuttara-samyaksambdhi(阿耨多羅三藐三菩提)が使用されているわけです。この点の意味を理解することもわたしの課題となっています。

あと、釈尊は法華経で「正しい教えの白蓮」を説いたというのが、最終的な編集の落着ですが、では、この「正しい教えの白蓮」が、法なのか、経なのかというのは、実に悩ましい問題であるとわたしは考えます。

先に eka-pundarika の例を松山師が挙げたことを引きましたが、これは白象に付けられた名前であったわけです。
では、Saddharmapundarika とは何かと言えば、これはこのお経(経典)に付けられた題名だということです。題名は法でありません、名前です。

法華経の一つの特徴は、舎利信仰、または仏像信仰というものを肯定しながらも、それを超える経典信仰、さらには経典塔(経典を祀る仏塔)信仰を鼓舞している点にあります。つまり、聖典信仰という文字で書かれた書物そのものを崇拝する信仰という特徴をもっているわけです。このことを考慮すると、、本文中、繰り返し言われる Saddharmapundarika は正しい教え(法)というより、経典を指すとも思えるわけです。そして、経典=釈尊というコンセプトによって、それが肯定され、さらに経典塔も仏塔であり釈尊そのものという理論展開がここにあるのではないのかと思えるわけです。こう考えると松山師が saddharma-pundarika は Sakya-muni である、すなわち、経典(塔)=釈尊という図式で、謎が解けます。

まあ、出版書籍の宣伝行為のような話と書けば、不謹慎に響くかも知れませんが、わたしはこの線は考えている一つの側面です。

答えにならず、却って疑問を増すようなレスで恐縮です。

244犀角独歩:2005/10/05(水) 12:24:28

自己レスです。243に

> 『法華経』のサンスクリット語原典の題名は Saddharmapundarika

という岩本師の記述を引用したのですが、いま顕正居士さんのサイトから梵本法華経にジャンプしてみたところ、ここでは saddharmapuṇḍarikasūtram となっていました。
梵語が読めないわたしには、どちらが正解なのかわかりません。
この件は保留とします。どなたかご教示いただければと思います。

245犀角独歩:2005/10/05(水) 17:57:56

羅什というのは、一体、何を基準に数字を翻訳したのでしょうか。
それとも羅什が見た梵本と Saddharmapundarika,ed.by H. Eern and B. Nanjio, St.-Petersbourg 1912(Bibliotheca Buddica X)(『法華経』上・岩波文庫 P5)とは、記載が違っていたのでしょうか。

もっとも納得がいかないのは冒頭の数字で、羅什訳では「与大比丘衆。万二千人倶」で、岩本訳では「千二百人の僧と一緒にいた」(同 P9)で、いちおう Kern 訳を見ると「with a numerous assemblage of monks, twelve hundred monks」となっています。

http://www.sacred-texts.com/bud/lotus/lot01.htm

以下、羅什訳の妙法華と「正しい教えの白蓮」の数字訳の比較です。

衆生………………………………………………序品………いわれ
比丘/僧……………………………………………12,000/_1,200
学・無学/学習中・学習完了……………………_2,000/_2,000
比丘尼眷属/尼僧…………………………………_6,000/_6,000
菩薩/求法者………………………………………80,000/80,000
諸仏供養/仕え…………………………………無量百千/幾十万
菩薩/求法者………………………………………80,000/80,000
釈帝眷属/シャクラ従者…………………………20,000/20,000
天子/天子…………………………………………20,000/20,000
四大天王眷属/従者………………………………30,000/30,000
梵/天子衆…………………………………………12,000/12,000
竜王眷属/従者………………………………………百千/幾十万億
緊那羅眷属/キンナラ従者…………………………百千/幾十万億
乾闥婆眷属/ガンダルヴァー=カーイカ従者……百千/幾十万
阿修羅王眷属/アスラ王従者………………………百千/幾千万億
迦楼羅王眷属/ガルダ王従者………………………百千/幾千万億
阿闍世王眷属/<記載なし>…………………………百千/<記載なし>

(上記の表形式のカタチが崩れる際は、Ineternet Explorer の[ツール(T)]、[インターネット オプション(O)]、[フォント(N)]、[Web ページ フォント(W)] のフォント種類を‘MS P〜’を‘MS〜’に変更すると、崩れずに閲覧できます)

246Poh:2005/10/05(水) 21:56:26
一字三礼さん
犀角独歩さん

ご丁寧なご返答ありがとうございます。
ところが私、実は今ちょっと仕事が立て込んでおりまして、書き込みの時間がとれません。
追って、改めてじっくり再読の末、返レス等させて頂きますので、
どうか私に構わず(構ってないか?……笑)ご議論を先におすすめ下さいませ。
私は後から遅れて、マイペースでやらせて頂きます。ご面倒おかけして、まことに申し訳ありません。

今日のところは、お礼のみにて失礼させて頂きます。どうもありがとうございました。
それではまた。

24701:2005/10/05(水) 23:07:18
うーん、独歩さんはまたかっとんでいますね。

248一字三礼:2005/10/06(木) 00:06:28

犀角独歩さん

松山師の「蓮と法華経」私も拝読しました。

師は伝統的解釈から離れて、インド文化や言語から大変自由に、本当に原典から法華経を読み解いておられ、とても刺激を受けました。

ご紹介くださった、松山師の法華経成立説、saddharma-pundarikaについての解説、とても興味深く読ませていただきました。もちろん一読ではとても理解できませんが。

松山師が「蓮と法華経」の中で、「釈迦如来=太陽・白蓮華・ヴィシュヌ」に対比させて「多宝如来=大地・紅蓮華・ラクシュミー(シュリー)」と考える発想はとても面白いのですが、些か疑問も残ります。それについては、少し考えをまとめてみたいとおもいます。

松山師の法華経講義、私もぜひ拝聴してみたいです。


仏弟子の数について

ウルヴェーラ・カッサパとその弟子500人+ナディー・カッサパとその弟子250人+ガヤー・カッサパとその弟子200人+サーリプッタとモッガラーナとその弟子250人(サンジャヤの弟子)で計1200人とするのが一般的です。

他にもウパセーナとその弟子250人とかシャカ族の500人とか盗賊さん達500人とかいるんですけど、それらは割愛されるんですね。

さて、次に少し気になっていた薬王品について書かせていただきます。

249一字三礼:2005/10/06(木) 00:07:31

薬王品の焼身供養について

薬王品に説かれる、薬王菩薩の前身である一切衆生喜見菩薩の焼身供養の件は、法華経中でもっとも異質で不

可解なものである。
これは明らかに仏教外文化の影響あろうと推測される。

法華経で尊ばれる行為は、五種法師(+六度)、法華経崇拝などで、さほど奇抜なものではない。
しかし、薬王品では、焼身自殺を絶賛するのである。

菩薩が身を焼いた後に八十億恒河沙世界の諸仏が同時に、

 「善哉善哉、善男子、是れ真の精進なり、是れを真の法をもって如来を供養すと名く。若し華・香・瓔珞・

  焼香・抹香・塗香・天・・幡蓋及び海此岸の栴檀の香、是の如き等の種々の諸物を以て供養すとも、及ぶ

  こと能わざる所なり。仮使国城・妻子をもって布施すとも、亦及ばざる所なり。善男子、是れを第一の施

  と名く。諸の施の中に於て最尊最上なり、法を以て諸の如来を供養するが故にと。」

一切衆生喜見菩薩は、このように身を焼く行為により、「解一切衆生語言陀羅尼」と言いう法門を得たのであ

る。これら一連の記述は法華経の中では浮いている。

我身を焼く事に重要なものを得るという発想は、他のインド宗教文化にもある。
「マハーバーラタ」にある羅刹王の息子・ラーヴァナ(十の頭を持つ者)が自らの願いを叶える為に千年の修

行をし、頭を次々に切って火にくべる。その苦行を嘉し、世界の主・梵天はラーヴァナの望みを叶えてやると

いうものである。
しかし、この説話ではラーヴァナは火中にくべた頭を全て元に戻してもらっているし、焼身で死んでいるわけ

ではないので、この話はどちらかといえば一切衆生喜見菩薩が両肘を焼く話のほうに類似をみるかもしれない



では、焼け死ぬ事に意義を見出す、もしくは焼け死ぬことによって何かを得るという発想は何処にその淵源が

あるのかと言えば、私はギリシア教ではないかと思う。

250一字三礼:2005/10/06(木) 00:08:26
つづきです。

ギリシア教のヘーラクレース(ヘラによる栄光)は、その名の示す通り女神ヘラのダクテュロス(専属崇拝者・信仰者)的な存在であった。
彼の死期が、その妻デイアネイラの嫉妬により決定されたものであったとしても、オイテ山上に築いた火葬壇には、自らすすんで望んだ。ヘーラクレースは火葬により母・アルクメネから貰った死すべき人間の身体だけを焼いて、父ゼウスからの肉体だけが残り、若返り、ほとんど子供のようになってオリュンポスの神々の中で復活を遂げる。

「ヘーラクレースの骨探しの光景は、ある陶器画の巨匠や、それ以前にはサテュロス劇詩人が不朽の作品を残している」(ギリシアの神話―英雄の時代)

ヘーラクレースは焼身自殺をすることによって、ほとんど子供のようになり、死すべき定めの英雄であったのがオリュンポスの神々に迎えられ不死を得た。

この伝説はギリシアのみならず、広くユダヤ文化圏にまで伝播している。

ヘーラクレース崇拝が初期キリスト教に与えた影響は極めて大きく、いかに評価しても評価しすぎることはないと言われる。
聖パウロの生地タルススでは、火に焼かれて死ぬヘーラクレースを扱った奉納劇が、再三再四定期的に上演されたのであり、したがってパウロは、ヘーラクレース流の殉教者のように、わが身を捧げて火で焼かれるという行為には、人間を救済する力があると考えていた(『コリント人への第一の手紙』第13章 3節)。

アフガニスタンで、ヘーラクレースとデメテルを脇持とする釈尊のレリーフが見つかっているし、ヘーラクレースのシンボルであるネメアの黒獅子を頭から被る意匠は、「獅噛(しかみ)」と呼ばれ、愛染明王像や12神将像に使われている。

これらの事から、ヘーラクレースのダクテュロス的な焼身という殉教行為と一切衆生喜見菩薩の焼身供養には類似点が見出されるのではないか。

251犀角独歩:2005/10/06(木) 11:30:51

一字三礼さん

焼身に関するご論考、たいへんに興味深く拝読させていただきました。また、非常に説得性を感じました。

焼身というと、わたしはいつも二つのことを思い出します。一つはサティーであり、一つはベトナム僧の焼身供養です。両方ともわたしは批判する気にはなれない反面、しかし、肯定するには痛ましすぎるという感情が先行してしまいます。

以上は余談となりますが、この焼身と言うことが、インド共に「再生」を意味していることに目が惹かれました。荼毘という習慣が、一体、どこにそのルーツがあるのかという点で、わたしはまるで知識がありません。たしかに法華経に該当記述は、異文化を感じさせるものだと思いました。

なお、松山師の講義について、もしお聞きになりたいとお考えでしたら、よろしければ、メールをお寄せください。お力になれるかも知れません。

252乾闥婆:2005/10/06(木) 16:40:56
焼身供養されたベトナム僧クアン・ドゥック師について、最近、宮内勝典『焼身』(集英社)という本が出版されております。小説ともルポルタージュともつかない、風変わりな作品ですが、私は面白いと思いました。私はメール・マガジンで書評を書いていまして、取り上げたことがあります。http://back.honmaga.net/?eid=222591やはり焼身供養の根拠として薬王菩薩本事品が示されています。宮内氏は仏教者ではなく小説家ではありますが、オウムの問題に取り組んだ『善悪の彼岸へ』(集英社)なども出しております。

253古池:2005/10/06(木) 22:57:44
独歩さん

242−243
大変有難うございました。
まだ十分に理解できないところが多く難しいです。

243で
>agradharma によってもたらされる悟りは agrabodhi ……法華経では annuttara-samyaksambdhi(阿耨多羅三藐三菩提)が使用…。この意味の理解が…課題
と記されていますが、「サッダルマ・プンダリーカ(妙法白蓮華)」を信受すれば、annuttara-samyaksambdhi(阿耨多羅三藐三菩提)という悟りが得られるのだと思いますが、
独歩さんがannuttara-samyaksambdhi(阿耨多羅三藐三菩提)の意味の理解と言われるのは、通常の語句の理解というような意味合いではないと存じますので、どのような問題意識
なのか教えて頂けますでしょうか。

254犀角独歩:2005/10/07(金) 01:14:28

乾闥婆さん、書評、たいへんに素晴らしいものでした。『焼身』を是非読んでみたい欲求に駆られました。有り難うございました。

255犀角独歩:2005/10/07(金) 01:33:43

小池さん

わたしは表現が違えば、それは意味も微妙に違うという、そのわずかな差に拘ります。
たとえば、「綺麗」と「美しい」は似た言葉ですが、その意味には差があります。

ですから、羅什がどこまで訳分けているかは、その実際を示せませんが、saddharma と padma を同じ蓮華と訳してしまうのは納得がいきません。

同じように、agradharma と saddharma の違いはどのようなものであるのかを正しく理解したいと思います。また、単独でいう saddharma と saddharmapundarika という場合の、punadarika 差を知りたいと思います。

同じように、annuttara-samyaksambdhi と agradbodhi の差も明確に知りたいと考えています。

しかし、残念ながら、今のところ、その差異を明確に論じられる能力を有しません。これは今後のわたしの課題です。

なお、法華経にいう阿耨多羅三藐三菩提と無量義経のそれとの相違、また、乃能究尽諸法実相という際の差異も、よく考えてみたいと思っています。

ただし、以上のことは、現段階では「こうである」と即断することは取り敢えず、保留としたいと思っています。

256古池:2005/10/08(土) 06:58:12
独歩さん

おはようございます。
255 大変有難うございます。

独歩さんのプログ(2005.6.8)の松山先生の講義メモ拝見致しました。
その中で、
>・南無妙法蓮華経は中国でも言ったが、後期般若経にも「南無般若波羅密」とある。
>・元来、仏教では複数仏が想定されていたが、ニカーヤ以降、一仏となっていった。
>・シャキャムニが「町の中で説いたかどうかわからない」ということがわかった。
につきまして、出版も予定されているので、可能な範囲でよろしいですが、もう少し教えて頂ければありがたいです。
特に、南無般若波羅密というのは、お題目のような意味合いなのでしょうか。

257犀角独歩:2005/10/08(土) 07:48:59

小池さん

松山師の講義を当日書き留めたメモをアップしているもので、その詳細はご本人にお聞きしないとわからないという前提で、ですが。

>後期般若経にも「南無般若波羅密」とある。…お題目

「題目」というのは、現代で言えば、題名ということです。もっと正確に言えば、お経の題名=経題です。その妙法蓮華經という経典の題名に「南無」を関して唱えたことから、やがて、唱題、お題目という語が定着していったのだと思います。
特に、阿弥陀仏の名前を称えることを称名というのが、本来は称名念仏というセットだったのが、頭だけ取れて、「お念仏」と言っても、実際には口で称えることを意味するようになったように、語彙使用の変遷があるのだと思います。


南無は帰命、般若は智慧、波羅密は漢字度文字で書けば「度」で、日本に定着した言葉で言えば彼岸、より正確に言えば到彼岸で、此岸に対する語でした。要は迷いのこちらの岸から、覚り(度)の彼(向こう)岸に到るということですから、覚りに至れる智慧に帰命するほどの意味で、現在、行われる唱題(=お題目行)のようなものとは、違うのではないのかとも思えます。しかし、正確なところは、調べておりません。

>元来、仏教では複数仏が想定されていたが、ニカーヤ以降、一仏となっていった。

どこから説明してよいか悩みますが、釈迦仏(陀)、釈迦牟尼世尊、釈迦如来、などの尊称、buddha(仏陀)、bhagavat(世尊)、如来(tathagata)等は、特に仏教固有の尊称ではないわけで、また、釈尊自身、新宗教の教祖という自覚はなく、バラモンという精神風土のなかで自分を自覚していたわけでした。つまり、バラモン教という範疇のなかで Buddha(目覚めた、覚った)という自己認識であったと思います。そんなことから、初期の段階では、仏というのは釈迦一仏に限っていたわけではなかったのが、時代を経るごとに一仏統一の方向に動き、そこから、また、複数の仏が生じ、また一仏統一という方向に動くという経緯があったわけです。その過程で既にニカーヤ(阿含)の段階で一仏の方向が見られるということを松山師が仰ったのだろうと思います。

>シャキャムニが「町の中で説いたかどうかわからない」ということがわかった

いったい、釈尊の説法とはどのように行われていたのかという疑問に発したものであったと記憶します。
法華経で言えば、霊鷲山で説法したなどというわけですが、では、実際のところ、釈尊が説法するというのは、どんなふうであったのか。今で言えば、寺院があって、その中で、聴衆を前にして、坊さんが語るわけですが、あんな感じではないでしょう。要するに、こんな基本的なことがわかっていないということです。また、釈尊は弟子に語ったのか、王族、長者に弟子共に食事に呼ばれて、そのあとに、そのように供養した特定の人に語ったのか、弟子に語ったのか、また、不特定多数の人がいる町中で語ったのか、そのようなことは、改めて考えてみると、まるでわかっていないではないか…、ということを、改めて、梵本を読み直してわかったと松山師が語ったことでした。

258古池:2005/10/08(土) 10:02:23
独歩さん

257大変有難う御座いました。

>「講座・大乗仏教4ーー法華思想」(春秋社、1983年)に収められた「大乗仏教における法華経の位置」のなかで、平川彰氏は…「仏教思想を空の系統と有の系統に分けるとすれば、法華経は有の系統に属するというべきであろう」(同論文)…。「法華経が有の立場に立っていることは、法華経に「空」の教理がきわめて少ないことからも考えられる。法華経には、空の思想は断片的に見られる程度」(同論文)なのであり、それは、「法華経が「信」を重視することにも関係がある」(同論文)という。…
とネットで引用されている部分を見て、法華経は空を前提にしていると思っていたものですから少し驚きました。

259犀角独歩:2005/10/08(土) 12:07:17

古池さん

平川説のご紹介、有り難うございました。
わたしは法華経の最大の利点は、著名な法師品の「会座室の三軌」と言われる整理だと思っています。

如来室者。一切衆生中。大慈悲心。是如来衣者。柔和忍辱心是。如来座者。一切法空是。
(如来の居室とは何か。すべての人々を憐れむ心の状態が如来の住居である。そこに良家の息子は入るべきである。…如来の衣とは何か。非常な忍耐をする心の穏やかさが如来の衣である。かの良家の息子あるいは娘は、それを身にまとうべきである。…如来の座とは何か。すべてのものは「空」であるという考えに入ることが如来の教えの座である。かの良家の息子はそこに坐るべきである『法華経』中・岩波文庫 P159)

以上のことから、法華経は空の思想を重要視していると思います。
平川師がいう「有」とは何を指すのかよくわかりませんが、仏教学の見地であるとすれば、「有部」の流れという意味なのでしょうか。それとも「無我」に対して「有我」のことをいうのでしょうか。ご紹介の部分だけでは、解しかねます。

先のご紹介した講義の折、松山師は「法華経でも頻繁に経典名を挙げるが100回程度。ところが般若経では「波羅密」が1700回も出てくる」('05.6月度講義)と話されていました。メモだけに不正確なのですが、言うところの般若経とは、大乗経典の最初に成立した『八千頌般若経』で次が『法華経』であるというのが、松浜師の考えなので、それを指すのだろうと思います。「波羅密」は般若波羅密のことと思え、ならば如来智・空が1700回も繰り返し論じられているという意味になるのでしょうか。以上の点は経典を捲り確認したことではありませんが、もしそうであれば、空を強調する頻度は、法華経を遙かに上回るということになります。しかし、だからといって、法華経が「有」に属するとするのは、どうも合点が生きません。

いずれにしても各師の諸説は学術的な現代進行形のものですから、それが確定であると見れば、すぐに時代遅れになります。常に最新の確実な資料を求め、自分の固定観念を書き換える作業が必須です。また、諸説はしかし、時系列で見て、最新のものが常に正しいとは限らず、後退もあります。さて、平川師の指摘は、どちらに該当するのか、慎重に考えてみたいと思います。

いずれにしても、資料のご呈示、有り難うございました。

260犀角独歩:2005/10/08(土) 12:39:31

【259の訂正】

誤)松浜師
正)松山師

261古池:2005/10/08(土) 13:28:14
独歩さん

259 大変有難う御座います。
おっしゃる通りと思います。平川師の説は抜粋部分だけなので、一度よく師の書籍にあたってみます。
更に最近の資料にも目を通してみます。

262乾闥婆:2005/10/09(日) 00:44:02
古池さん、犀角独歩さん。該当箇所を以下に引用します。

引用開始
仏教思想を空の系統と有の系統に分けるとすれば、法華経は有の系統に属するというべきであろう。法華経の前半の「一乗」の思想にしても、後半の「仏心常住」の思想にしても、「実在」に立脚する思想である。そこにはまだ「仏性」が明確に打ち出されてはいないが、発展すればこの思想になっていくものと考える。(中略)
 法華経が「有」の立場に立つことは、法華経が「信」を重視することにも関係がある。信仰は実在を対象とするからである。法華経には随処に「信」について説いているから、それらを検討することによって、法華経の信の性格を明らかにする必要がある。
 法華経が有の立場に立っていることは、法華経に「空」の教理がきわめて少ないことからも考えられる。法華経には、空の思想は断片的に見られる程度である。たとえば信解品に、四大声聞が声聞としての自己の悟りを述べる一節に「但だ空・無相・無願を念じ」とあるが、ここに深い意味は認められない。つぎに「薬草喩品」に、如来が「一相一味の法」を知ることを説明する一節に「終に空に帰す」とあり、さらに偈頌の中に「諸法の空を聞いて、心大いに歓喜す」とあるが、両者ともにその空の説に特に重要な意味は認められない。さらに「法師品」に法華経を法師が、「如来の室に入り、如来の衣を着し、如来の座に坐して」説くことを言うが、つぎに、如来の室とは一切衆生の大慈悲心のことであり、如来の衣とは柔和忍辱の心のことであり、如来の座とは「一切法空是れなり」とある。ここには空に安住することを如来の座となしているのであり、空に重要な意味を認めている。さらに「安楽行品」に第二の親近処を説くうちに、菩薩は「一切法を観ずるに空なり、如実相なり、顛倒せず、動ぜず、退せず、……」と観ずることを説き、さらに「一切諸法は空にして所有なし。常住あることなく、亦た起滅なし」等と説いている。
 法華経において、「空」を説く教説は大体以上で尽きるのである。これらは、法華経全体から見るならばわずかな教説である。しかも他の教説に附随して説かれている場合が多い。しかしもちろん「空」は大乗仏教の基本的な教理であるから、法華経においても肯定的に取り扱われている。しかし空を基調にして、教理を展開しているとまでは言えない。そのことは般若経や維摩経等の空の取り扱いと、法華経とを比較してみれば明らかである。ただし本田義英博士は、その『法華経論』に「地涌の菩薩を以って蓮華に譬えるということは、法華経の立場が般若空観であることを示す、云々」と述べて、法華経の立場が般若空観にあると見ておられる。しかし地涌の菩薩を蓮華に譬えることだけで、このように結論することは無理であると思う。蓮華が泥に染まない点に無執着の意味はあるであろうが、しかしそのことは空思想に限るものではない。如来蔵思想にも「自性清浄心、客塵煩悩」の思想があるが、これも自性清浄心が煩悩に染しないことを示している。しかも『小品般若経』や『大品般若経』には、とくに蓮華を重視する思想は見当たらない。さらに蓮華を空思想や他の教理に譬えているところも見当らない。したがって蓮華の譬を般若経に結びつけることは困難であろう。
 すなわち法華経は、空系列の経典であるよりも、真如や如来蔵思想に発展してゆく有の系列の経典と考えるべきである。
引用終了
『講座・大乗仏教4法華思想』(春秋社)平川彰「大乗仏教における法華経の位置」(P41-43)

法華経を空の系列と有の系列のどちらかに振り分けるということ自体にはあまり意味はないと思いますが、大乗仏教が展開してゆく過程に法華経を位置づけるとどう見えるのか、といったことを提示してみた、といったところでしょうか。

263古池:2005/10/09(日) 08:11:22

乾闥婆さん

262 
貴重な内容を教えて頂き、大変有難うございました。

264犀角独歩:2005/10/09(日) 09:05:38

乾闥婆さん

読む限り、平川師の説は説得性があります。

西暦前後、仏教の教理は如何に生まれ、また、如何に伝承されたのでしょうか。
メディアがあるわけではありませんから、生み出す集団があり、そこに所属し学ぶという形であったろうと思われます。空の思想を生み出した集団、もしくは地域があり、そこから、般若経は生じたということになるのでしょうか。

この集団と、法華経を生み出した集団は別のものである。般若経創作集団から、独立した、もしくは別の集団である法華経創作集団が、空を肯定的に捉えながら、自分達の教理を作り上げた、しかし、その元来の在り方は「有」であった…。

以上のような仮定は成り立つのでしょうか。

平川説で興味深いのは「信は有に拠る」という件でした。
空観というのは無限の追究連鎖のようなところがあります。最終的には「空」が教理として実体化すれば、それ自体がまた空である…、と延々と続くわけです。信も何もあったものではありません。あるとすれば、空であるという論証を信じることですが、これ自身もまた空であるとなっていくわけです。教理上の空は四句分別止まりでいちおう、その辺でうち切られますが、その気になれば、この己心観察は無限の追究連鎖となりますね。

たしかに法華経寿量品にいう、漢訳仏典に依拠する教理でいう久遠本仏を「空」と見れば、もはや、信仰は成り立たないわけです。平川師が指し示していることとは、別意でしょうが、ここ数年のわたし自身の信仰に対するメランコリックの正体を見た思いがあります。まあ、この正体もまた、空ならば…となりますか。一つの法華経を見る客観的な視点を提供したものと評価できると思えました。

資料のご呈示、有り難うございます。

265古池:2005/10/10(月) 12:01:21
独歩さん

おはようございます。
妙法蓮華経観音品第25に「一心称名…称其名号…称観世音菩薩名者…一心称観世音菩薩名号……倶に声を発して・南無観世音菩薩と言わん・其の名を称するが故に・即ち解脱することを得ん…皆応に観世音菩薩の名号を受持すべし…」とありますが、「南無観世音菩薩」と唱えることと、「南無妙法蓮華経」と唱えることとの違い・異同などについて教えて頂ければありがたいです。

266犀角独歩:2005/10/10(月) 14:28:58

小池さん

なかなか勉強なさっていますね。

「南無観世音菩薩」に該当する岩本師の梵本直訳は

「われらに安心を授けたもう偉大な志を持つ求法者アヴァローキテーシュヴァラを、崇め奉る、崇め奉る」(下 P246)

となっています。

観世音菩薩は Bodhisattva Mahasattva Avalokitesvara が正確なところでしょうが、Avalokitesvara 通称とされる如くです。。

南無妙法蓮華経という訳語成句より、当然のこととして、「南無観世音菩薩」のほうが先行するわけですね。その称名の功徳は同品に記される如くですが、南無妙法蓮華経は臨終正念に属する秘伝であるというのが、真偽未決書などで引用されるところで、その意味は異なります。

「此等の大師等も南無妙法蓮華経と唱ふる事を自行真実の内証と思食されしなり。南岳大師の法華懺法に云く「南無妙法蓮華経」文。天台大師云く「南無平等大慧一乗妙法蓮華経」文。又云く「稽首妙法蓮華経」云云。又帰命妙法蓮華経」云云(当体義鈔)

また、前者は菩薩信仰であるのに対して、後者は経典(経題)信仰である際があります。

観音信仰は、法華経に習合された独立した信仰であったというのが一般的な見方であったと記憶します。岩本師は観音にはかなり興味を懐いていたようでいくつか論文を発表しており、仏教界に一顧だにもされなかったのに、美術史家が絵画彫塑像の視点から岩本師の観音説に注目したということがあったようでした。(『観音の表情』淡交社に対する書評など)

また、その考察において、

「この菩薩の起源はなお明確ではないが、西アジア方面の宗教思想の影響を受けていることは疑いえない。例えば、葉枝観音に関する宗教儀礼に葉のついた枝でたたくことが知られているが、これは西アジアにおける母神ナナイアのそれである。現在、その影響はイスラエルにおけるユダヤ教の儀礼にも見られるところで、葉のついた枝は繁殖のシンボルであるという。この事実を考えると、敦煌に見られる楊柳観音・水月観音が右手に楊柳の小枝を持っているのは、ナナイアと関係のあることを疑いえないであろう。特に、観音像のあるものが女性的に描かれている事実は、この菩薩の本質ないし始源型が女性であった子とを示していると考えられる。それと同時に敦煌の楊柳観音が髭をつけているのは、変成男子のシンボルと考えられ、その菩薩の本質を明らかにしているものとして興味深い。わが国で名高い慈母観音も子どもを抱いている点から考えて、あるいはマリヤ像の変化したものであるかもしれない」(『佛教入門』中公新書 P156)

といいます。

267犀角独歩:2005/10/10(月) 14:29:21

―267からつづく―

さらに岩本師はまた、漢訳の「観」の字について、

「『観』の字をかむらせた経典……注目されることはこれらの訳者はすべて西域の出身者、また経典の構成ならびに発想法がインド的でない点である。とくに、『観経』の場合、その点が指摘される」(『極楽と地獄−日本人の浄土思想』三一新書 P51)

といいます。もちろん、同品をこれに直ちに該当するかどうかは一考を要するでしょうが、しかし、この漢訳『観世音菩薩普門品』は重大な削除が為されています。

岩波文庫『法華経』でいえば下巻 P268〜269 です。
お持ちであれば開いてみてください。なければ、真読でいえば同品の「福聚海無量。是故頂礼」と「爾時持地菩薩。即従座起」の間が大きく欠落しています。いま、その欠落部分を挙げます。

「ローケーシュヴァラ=ラージャ(世自在王)を指導者とした僧のダルマカーラ(法蔵)は、世間から供養されて、幾百劫という多年のあいだ修行して、汚れない最上の「さとり」に到してアミターバ(無量光)如来となった。(28)
アヴァーローキテーシュヴァラはアミターバ仏の右側あるいは左側に立ち、
かの仏を扇ぎつつ、幻にひとしい一切の国土において、仏に香を供養した(29)
西方に、幸福の鉱脈のある汚れないスカーヴァティ(極楽)世界がある。
そこに、いま、アミターバ仏は人間の御者と住む。(30)
そして、そこには女性が生まれることなく、性交の慣習は全くない。
汚れない仏の実子たちはそこに自然に生まれて、蓮華の体内に坐る。(31)
かのアミターバ仏は、汚れない心地よい蓮華の胎内にて、
獅子座に腰をおろして、シャーラ王のように輝く。(32)
彼はまたこの世の指導者として三界に匹敵する者はない。わたしはかの仏を賛嘆して、『速やかに福徳を積んで汝のように最も優れた人間(仏)になりたい』と祈念する。(33)」
以上はまた、以下の Kern 訳と対応するのでしょう。

28. This universal Lord, chief of kings, who is a (rich) mine of monastic virtues, he, universally worshipped, has reached pure, supreme enlightenment, after plying his course (of duty) during many hundreds of &AElig;ons.
29. At one time standing to the right, at another to the left of the Chief Amitabha, whom he is fanning, he, by dint of meditation, like a phantom, in all regions honours the Gina.
30. In the west, where the pure world Sukhakara is situated, there the Chief Amitabha, the tamer of men, has his fixed abode.
31. There no women are to be found; there sexual intercourse is absolutely unknown; there the sons of Gina, on springing into existence by apparitional birth, are sitting in the undefiled cups of lotuses.
32. And the Chief Amitabha himself is seated on a throne in the pure and nice cup of a lotus, and shines as the Sala-king.
33. The Leader of the world, whose store of merit has been praised, has no equal in the triple world. O supreme of men, let us soon become like thee!

先の観経との脈絡を大いに感じさせます。なお、33 の Sala-king とは Visnu のことで、234 に挙げた点とも一致します。

以上の点が、流通する妙法華では削除されています。この原因は、羅什が翻訳に充てた本と Kern 師・南条師が用いたテキストが違うのか、羅什は訳した後世削除されたのか、わたしはその点は落着しておりません。しかし、英訳では入っている以上、こちらが世界水準です。

「アミターバ(無量光)仏」とはことわるまでもなく阿弥陀仏のことです。
観音世菩薩の起源がマリアであり、ナナイアを経て、阿弥陀仏と関係する菩薩信仰を生み、やがて、法華経に摂取され、それを羅什は「南無観世音菩薩」と訳したという‘削除’された経緯を見なければならないということです。

268犀角独歩:2005/10/10(月) 17:27:10

【267の訂正】

誤)始源型が女性であった子と
正)始源型が女性であったこと

誤)後者は経典(経題)信仰である際があります
正)後者は経典(経題)信仰である差異があります

269古池:2005/10/10(月) 17:37:07
独歩さん
266-267 大変有難うございました。

>真読…同品の「福聚海無量。是故頂礼」と「爾時持地菩薩。即従座起」の間が大きく欠落

おっしゃる欠落しています。
法華経の中に記されているということは、アミターバ仏並びにその脇士である観世音菩薩(アヴァーローキテーシュヴァラ)に対する親和性があったと想像されます。
そして、観世音菩薩への信仰を認めていると想像すると寿量品の久遠実成仏・釈尊に対する信仰との関係はどうなんだろうと思いました。

270古池:2005/10/10(月) 17:46:55
真偽未決の「御講聞書」では、「…観音とは法華の異名なり、観音と法華とは眼目の異名と釈する間・法華経の異名なり…」とあり、
真偽未決である「御義口伝」では、「…この品は甚深の秘品なり・息災延命の品なり・当途王経と名づく…観音・法華・眼目異名と云いて観音即ち法華の体なり…」とありますが、「眼目異名」という意味が分かりませんでした。

271犀角独歩:2005/10/10(月) 17:54:01

小池さん

> 「眼目異名」

これは、そんなむつかしい意味ではありません。
眼も目も、意味するところは同じで、名(字)の異なりである、という意味です。
つまり、その程度の差であるということでしょう。

わたしはこの言葉を、『大日蓮』に載った『皆目抄』説法で聞いたのをいまでも覚えています。

272犀角独歩:2005/10/10(月) 17:55:44

また、打ち間違えてしまいました。

誤)『皆目抄』
正)『開目抄』

273犀角独歩:2005/10/10(月) 22:23:49

ざっと検索してみる限り「眼目(之)異名」は

『俱舍論記 (卷18) 』
http://www.buddhist-canon.com/ABHIDARMA/pitan/T410289a.htm

『大乘玄論』
http://humanum.arts.cuhk.edu.hk/~hkshp/cclassic/suitang/jicang2.txt

に見られ、その他、主要な疏には法華、般若、浄土を問わず、使用されていますね。

法華義疏
http://w3.cbeta.org/result/normal/T34/1721_005.htm ほか

意味は、法華般若を眼目異名とする、もしくは報応二身を眼目異名とするといった用法が主だったものと見えます。

274一字三礼:2005/10/10(月) 23:15:54
横レス失礼します。

阿弥陀仏と観音菩薩

無量寿仏(アミターユス)の成立は古く、大乗仏典の中でも最初期に成立した経典のひとつ「般舟三昧経」からすでに登場します。

「妙法蓮華経」の化城喩品第七では「阿弥陀」、薬王菩薩本事品第二十三では「阿弥陀仏」とだけ記されておりますので、アミターユスかアミターパか分かりかねますが、「正法華経」の往古品第七では「無量壽超度因縁如來」、藥王菩薩品第二十一では「無量壽佛」と書かれていることからアミターユスとしての仏格で登場していることがわかります。

岩波文庫「法華経」の該当箇所では七の’前世の因縁’では「西の方角には、(九)アミターユス(無量寿)という如来と、」、二二の’バイシャジヤ=ラージャの前世の因縁’では「かの尊きアミターユス如来」とされます。

そこで妙法華は梵文が未だ発見されていないので正確には分かりませんが、正法華、岩波版現代語訳の二種類に共通していることから、法華経で阿弥陀仏が登場する時の仏格はアミターユスだったのではないかと考えられます。

また、華厳経(六十華厳)でも小品般若経でも登場する阿弥陀仏はアミターユス(無量寿)仏。
無量光仏(アミターパ)は、浄土三部経では「大経」に、「小経」では無量寿仏(アミターユス)です。

経典からはアミターユス(無量寿)とアミターパ(無量光)では、アミターユスの方が仏格成立が古いように感じられますが、もしかしたらその発生場所自体が異なるのかもしれません。

岩波文庫「法華経」二四の’あらゆる方角に顔を向けたほとけ’では「アミターパ仏」として登場しておりますが、同テキスト内で他の場面ではアミターユスですし、正法華経でも同様なので、ここだけアミターパとあるのは不自然です。(一)


阿弥陀仏と観音菩薩と勢至菩薩は常にセットのように考えられておりますが、「般舟三昧経」に登場するアミターユスは観音菩薩を伴ないません。「小品般若経」でも、アミターユスと観音菩薩は違う場面で現れます。法華経テキストも同様にアミターユスが登場する場面では観音菩薩は出てきません。

「般舟三昧経」「小品般若経」「法華経」から言えることは阿弥陀仏は少なくともアミターユスの段階ではまだ観音菩薩と密接に結び付いていなかったという事実です。(二)


(一)と(二)から岩波文庫「法華経」の下巻 P268〜269 のアミターパと観音菩薩が共に登場する部分は、他の法華経テキスト(正法華経・妙法蓮華経)に欠落していたのではなく、後代に付加されたとみるべきではないでしょうか。つまり、岩本師の採用したテキストがかなり新しいものだったのではないでしょうか。


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