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科学と疑似科学とを判別する(2)
21
:
ゲジゲジ
:2021/06/13(日) 12:47:18 ID:ceF1Bqvc
久しぶりにヨコから失礼します。
どうやら科学と疑似科学とを判別する「基準」を議論する以前の所、“「基準」を適用する対象は何か?”という所で食い違っているようですね。
私は単純に次のように考えていますし、そういう認識でお2人の議論を見守ってきたのですが、どうやらKen様は違っていたようです。
diamonds8888x様は如何でしょうか?
すなわち、【科学と疑似科学とを判別する「基準」は、「科学を称している理論」を判別するものである。】
具体論とか抽象論とかではなく・・・
私の考えをもう少し具体的に述べておきます。
ken様の投稿
>>8
から
---以下引用---
例を挙げましょう。優れた業績を上げた科学者で、神を信じている人はいます。アインシュタインは難解な表現をするので判定が難しいのですが、それでも彼の語録を総合すれば、やはり神を信じていたと思います。ましてや、ガリレオやニュートンなどは、時代背景からして無神論者だったとは考えられません。それでも、原理主義者でもない限り、そこに矛盾はみないでしょう。「神が存在する」などは、抽象論だからです。
---ココまで---
「神は存在するという考えは科学的に正しい」とか
「神は存在することは科学的に証明されている」といった主張は疑似科学です。
「(私は)神は存在すると思う」とか、あるいは
「(科学では解明されていないが)神は存在するのが真実だ」という主張は疑似科学ではありません。
---以下引用---
また、旧約聖書では、神は創世の5日目に魚のような水中生物と鳥のような飛行生物を作り、6日目に人間を含む陸上生物を作ったとあります。ここから、それぞれの生物種は別々に作られたという具体論が生じ、人間を含むあらゆる生物は共通先祖をもつという進化論との対立が生じました。
---ココまで---
「神は創世の5日目に(略)陸上生物を作ったと考えるのが科学的だ」なら疑似科学、
「神は創世の5日目に(略)陸上生物を作ったと私は思う(信じる)」だったら疑似科学ではありません。
実際には「科学を称している」かどうかというのは、前後を含めた文脈で判断されるケースが多いと思います。
「旭日高く」や「川がささやく」のような文学表現は、文学表現として語られるのであれば疑似科学ではありません。
多くの経典に現れる宗教表現も、信仰の場で語られるなら疑似科学ではありません。
しかし科学の議論をする場で同じ事を言ったなら、疑似科学として批判されるでしょう。
これらは具体論であろうが抽象論であろうが、科学の議論の場からは排除されねばなりません。
そもそもの議論のきっかけになったID論も、ドーキンスが「疑似科学だ」と批判したのは、「科学的仮説の1つとして科学教育の場で教えよ」という主張だったからです。
もし「科学とは別の考え方として、宗教教育の場で教えよ」という主張だったなら、「疑似科学だ」という批判はできないはずなのです。
いや、もしそれでも「疑似科学だ」という批判があったとしたら、「科学が信仰に口を出すな」という反論ができるはずだし、そういった反論は妥当なものであるはずです。
(余談)
アメリカでのID論は、「公教育の場で科学的仮設の1つとして教えよ」と主張されました。
もし本当に「公教育の場で宗教教育として教えよ」という主張がなされたなら、「政教分離の原則に反する」という批判が起こりそうですが、科学か疑似科学かの議論とは関係のない事です。
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