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科学と疑似科学とを判別する(2)

16Ken:2021/06/06(日) 19:05:09 ID:l3c2r2bk
どうも「抽象的」という言葉でひっかかってるようですが。

>抽象的ならば文学?? あんまりふざけないでください。

「抽象的」でなければ、何と表現すればよいのでしょうか?

「太陽が昇る∧太陽が昇らない」が論理的にありえないことは分かってるつもりです。私が言いたいのは、論理的にありえない表現は、世にあふれているではないか。それをすべて「疑似科学」として問題にされますか、ということなのですが。

前回は軍歌を挙げましたが、今度は童謡の例を出しましょう。

春の小川は さらさら行くよ
岸のすみれや れんげの花に
姿やさしく 色うつくしく
咲けよ咲けよと ささやきながら

この歌を字義通りに解するなら、「川」という無生物が、意思をもって語りかけてることになりますから、これも立派な「疑似科学」になりませんか? しかもこれは文部省唱歌だから、学校という教育の場に疑似科学を持ち込んだわけで、天地創造論を学校で教えるのと同列でしょう。

でも、そんな理由で、こういう歌を学校で教えることが問題視された話を聞いたことがありません。なぜでしょうか?

理由は簡単です。上記の歌は文学表現で、科学的表現ではないからです。では、文学表現と科学表現はどこが異なるのでしょうか?

私は、こう考えます。言葉で表現されることが、現実の具体事象であると主張するのが、科学表現であると。もしも、「川」が意思をもって語るという事象が現実に起こると主張するなら、それは科学表現であり、よって、科学として正しい形をとっているかが問題になるでしょう。でも、上記の歌は、そうではないのだから、問題にされないだけではありませんか?

さて、「太陽が昇る∧太陽が昇らない」という表現ですが、ここからは、

同じ太陽で「ω>0∧ω≤0」という速度が観測される

のような具体論にならない、というのがdiamonds8888xさんの論点ですよね。それなら「旭日高く」や「川がささやく」とかわるところがなく、ことさら「疑似科学」などと問題視する必要がないのでは、と指摘してるのですが。


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