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科学と疑似科学とを判別する

1diamonds8888x:2018/04/21(土) 05:52:21 ID:JpDvA4vM
 第1掲示板にて、ID論は疑似科学か否かというテーマでkenさんと議論を続けてきましたが、そもそも両者をどう区別するのかというメタ科学的な話になりましたので、ミケさんの提案に従い第3掲示板にスレッドを立てます。

 まずは第1掲示板での関連する発言へのリンクを時系列で列挙します。1発言での文字数制限があるようですので、分割してアップします。
 URL書き込みに規制があるようですので頭に「http:」を付けて使ってください。

//6609.teacup.com/natrom/bbs/19161 投稿日:2018年 2月27日(火)05時11分41秒 Kenさん 投稿者:diamonds8888x まさに、その通りです
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19137 投稿日:2018年 2月26日(月)21時18分41秒 diamonds8888xさん 投稿者:Ken それとも今回は宗教に話が及んだからそうなったので、議論の土俵をサイエンスに限定するなら、そういうことは起こらないと考えてもよろしいでしょうか?
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19130 投稿日:2018年 2月26日(月)06時06分39秒 コナン君とは 投稿者:diamonds8888x
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19117 投稿日:2018年 2月25日(日)16時38分23秒 ダーウィンの子犬様、一蘭様、Ken様 投稿者:ゲジゲジ この3つは同時に成立します
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19116 投稿日:2018年 2月25日(日)00時37分14秒 diamonds8888xさん 投稿者:Ken はじめにタイトルについて
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19112 投稿日:2018年 2月24日(土)05時41分6秒 坊さんと衣は別なので 投稿者:diamonds8888x
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19111 投稿日:2018年 2月24日(土)05時39分40秒 コナン君、君は間違っている 投稿者:diamonds8888x
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19109 投稿日:2018年 2月24日(土)00時36分15秒 Ken様 投稿者:ゲジゲジ ダーウィニズムは「適者生存」により劣った者が淘汰されることで進化が起こると主張していません!!
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19109 投稿日:2018年 2月22日(木)23時35分47秒 それをいうなら 投稿者:Ken ダーウィニズムもまた帝国主義、植民地主義の理論武装に大いに利用されたのですが
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19069 投稿日:2018年 2月20日(火)01時39分2秒 あぁ、宗教論になっていく 投稿者:ゲジゲジ
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19063 投稿日:2018年 2月19日(月)22時47分10秒 (無題) 投稿者:GB まっとうな宗教者たちというのは、
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19061 投稿日:2018年 2月19日(月)22時37分18秒 霊魂? 投稿者:GB
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19060 投稿日:2018年 2月19日(月)21時37分17秒 複数の真実!! 投稿者:Ken
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19054 投稿日:2018年 2月19日(月)06時27分41秒 事実か公理か信仰か 投稿者:diamonds8888x
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19053 投稿日:2018年 2月19日(月)06時21分48秒 Kenさん、複数の真実 投稿者:diamonds8888x
//6609.teacup.com/natrom/bbs/18948 投稿日:2018年 2月17日(土)03時46分25秒 ヨコからですがKen様 投稿者:ゲジゲジ もう少し問題を整理して、本質と本質でない部分とを区別して考えてみては如何でしょう?

147diamonds8888x:2018/08/11(土) 18:16:21 ID:K6qbiXYU
>>145

> もともとdiamonds8888xさんと私では、共通土台での議論が成立しないほど、イデオロギーといいますか基本思想が懸絶しているはずです。

 全くおっしゃる通りです。あまりに違い過ぎるので、私もつい「これは当然だろう」という前提のもとに書いてしまうことがあり、互いに困惑することもあるようですね。[>>141]がそうでしたが、[>>143]後半で訂正しましたのでよろしく。

 要するに「世界5分前仮説」と言えども教えたければ教えるのは自由ということで了解しました。そこまで徹底した思想ならば、むしろ筋は通っていると思います。私の方に「まさかそんなことはあるまい」という思い込みがあったのが[>>141]での、ある意味で主旨を誤解させた質問の原因でしたね。

 余計なお世話かも知れませんが、いくつか注意すべき点があると思います。公立学校での教育を決める主体はコミュニティであり、何をどう教えるかはコミュニティの自由であり、「そこで教育された学生の人生に生じる結果まで含めて、コミュニティの自己責任」とのことで、その点は理解しました。ここで、
  ・コミュニティの意志とそこに属する個人の意志とが相反した場合はどうすればよいのでしょうか?
  ・具体的にはコミュニティとはどれくらいの人々の集団が適切なのでしょうか?
   (例えば国全体がひとつのコミュニティでも良い、というお考えではないと推察します  )
   (どんなコミュニティを作るのかは各個人の自己責任に基づく自由であるという方法はありますが)
   (このとき、どんなコミュニティを作るべきかを巡って個人間の対立は起きるでしょうね  )

 実際には上記の問題はKenさん流の「コミュニティ主体の自由論」とでも呼ぶべき社会ではなくても、現実のどんな社会でも問題になることだし、簡単な解決策などあるとは思いません。「コミュニティの大きさはどれくらいが適切か?」という問いは、現実の社会では例えば「国と地方自治体との権限の分配はどのような形が適切か?」「地方自治体はどれくらいの規模が適切か?」という問題と本質的には同じです。

 ですから解答を求めているのではなくて、Kenさん流の社会体制でも、こんな問題は消えませんよという指摘だけです。我々がここで目指している議論の主旨でもありませんしね。

 【情報提供です】笠井潔『国家民営化論』という本を御存知ですか? Kenさんなら御興味を持つかも知れないと思いまして。アマゾンでも見つかります。

148diamonds8888x:2018/08/11(土) 18:18:40 ID:K6qbiXYU
>>145 >>146
 こちらは本論に関係しますので別コメントにします。

> 「基準」などを設けず、どんな仮説も自由に提唱し教えればよいという考えは、上記のような「自由と自己責任」が根底になっていますが、もう1つの理由として、科学の進歩自体もそのほうが早まると私は考えます。それはビジネスや生物の世界と同じ原理が働くと思うからです。

 こちらは社会的イデオロギーではなくて、科学のための方法論に関することと考えますので、議論テーマになりますね。というか、私が自分の考えを理解してもらおうとするとき、どこが理解できないのか、またはどこが受け入れ難いのか、ということがKenさんの基本思想がわからないために見当のつかないことがあるからです。

> しかし、今回は疑似科学の定義に始まり具体的な「基準」まで、すべてdiamonds8888xさんの定義に従うことで合意をしており、その内容を明らかにするための質疑応答をしているのだから、私がどういう考えをもっているかは問題にならないはずです。

 了解しました。ではまず私の基本的考え方を説明していく方針でいきましょう。上記のKenさんの基本思想は一応わかったと思いますので、そこと何が違うかを意識しながら説明することにしますので、Kenさんの方も何が違うのかに留意しながら読んでくだされば幸いです。

 ということで、しばらくお待ちください。

149Ken:2018/08/11(土) 23:17:07 ID:ChaC3wG.
>・コミュニティの意志とそこに属する個人の意志とが相反した場合はどうすればよいのでしょうか?

それは政治のシステムなどと同じでしょう。民主的なプロセスで決まったことには従うか、どうしてもいやならその地を離れるしかありません。

>・具体的にはコミュニティとはどれくらいの人々の集団が適切なのでしょうか?

どれくらいが適当というよりも、例えば市立中学の教育方針は市に納税する市民の意思で決める。県立高校なら県民の、国立大学なら国民が決めればよいと思います。実際には教育政策を訴える候補者から議員を選ぶ形をとるのでしょうが。

なお、ある個人が自分が属するコミュニティの教育方針に賛成できないときの窮極の解決策は、学校に行かず、ネットで提供される授業で、さらにその先には人工知能が提供する授業で勉強することです。それが可能になる日はそこまで来ているはずです。

150Ken:2018/08/14(火) 21:57:55 ID:lS06oQPw
>>146でコペルニクスは惑星軌道の単純さゆえに地動説を選んだと書きました。

天文学に限らず、単純さへの志向は科学史と通して現れ、その中で提唱された仮説には論理的な根拠のあるものも、論理より志向の方が勝っているのでは、と見えるものもあります。

18世紀から19世紀にかけて新しい元素が次々と発見されると、研究者たちに「居心地の悪さ」とでもいうべき感情が蓄積されていきました。

デモクリトスが考えた「アトム」とは、それ以上には分割できない最も根源的な粒子でした。そして近代科学が酸素や水素の原子を発見したとき「アトム」と名づけたのは、それぞれが根源的な粒子と思ったからです。

ところが紀元前の土、水、空気、火という4つのアトムならすっきりしていたのが、近代のアトムは天然の存在だけでも水素からウランまで92種類もある。(全部が19世紀に知られていたわけではないにせよ。)根源粒子がそんなに多くあるなんて、宇宙はそんなにも複雑なのか、いやそんなはずはない、という葛藤を生じたのです。

この問題は結局、原子がデモクリトスの「アトム」ではなく、原子自体が電子、陽子、中性子というより根源的な粒子から成ることが分かって、人々を安心させました。根源粒子が92ではなく3つしかなかったからです。電子や陽子のような、より深いレベルの根源粒子は「素粒子」と名づけられました。

ところが20世紀になると、全く同じ問題が繰り返されたのです。

当初、素粒子は電子、陽子、中性子の3つしかなかったのに、1936年のミュー粒子の発見を嚆矢に、ミュー、カオ、パイ、ラムダ、シグマ、カイ粒子と発見が続き、パイ粒子やシグマ粒子などは正、負、中性の3種があり、そのそれぞれに反粒子があることまで分かり、「根源粒子」の数は際限なく増えてゆきました。はじめは新粒子の発見に興奮していた研究者たちも、こうなると前世紀の先達と同じ問題に直面したのです。なぜこんなに複雑なのか、と。

1964年にマーレイ・ゲルマンがクォーク仮説を提唱したのはこの問題に答えるためでした。素粒子もまた根源粒子ではなく、クォークというより根源的な粒子から構成されるというのです。

ところが電子や陽子とは異なり、いくら実験と観測をやってもクォークの実体を見つけることはできません。それどころかクォークは絶対に観測不能という説もあるのです。そうなるとブラックホールの内部と同じです。

もちろん世界の研究者たちはやれる限りの検証はやってますし、その上でクォークの実在は広く認められているようです。それにしても、ゲルマンの提唱以来多くの研究者が熱心にクォークを追求してきたのは、宇宙の基本構造は単純なものであるはずという信念があったからではないでしょうか。論理的には、根源粒子が数百もあってはいけない理由はないのですから。

単純さを求め続ける姿勢は、一種の「信仰」ではないのか、と思えるときがあります。

151diamonds8888x:2018/08/15(水) 06:15:28 ID:K6qbiXYU
>>150
> 単純さを求め続ける姿勢は、一種の「信仰」ではないのか、と思えるときがあります。

 もちろん信仰ですよ。知りませんでしたか?(^_^) 神は世界を単純に作ったとかいうキリスト教の信仰からだとかいう説が言われています。まあこれもあくまで一つの説だとは思いますが。それに世界を単純な原理から説明しようという思想は古代ギリシャでも顕著にみられますから、キリスト教だけが原因でもないでしょうし、そもそもキリスト教等で「神は世界を単純に作った」という信仰が生まれたとしたら、それは何かしら人間の心理によるものでしょうからね。つまり人間の心理に単純さを好む性向があるのが原因と考えるべきでしょう。

 単に複雑なことは考えられないだけかも知れませんけど(^_^)。四色問題のコンピューターによる証明に居心地の悪さを感じた人は多かったようですが、これなんかまさに「人が考えられないほど複雑な証明なんて」という感情によるのではないでしょうか。

 とはいうものの近年のコンピューターパワーの進歩により、「単純な規則などない」と思わざるをえない問題でも解を求められるようになり、単純な規則のない状況にも直面する覚悟というものも出てきているのではないでしょうか。

152diamonds8888x:2018/08/18(土) 12:40:34 ID:K6qbiXYU
 どうも私とKenさんとでは科学観が大きく違うのではないかと思えてきましたので、まず私の科学観を述べて、違いを確かめるという方針にしました。その前に、私がもっとも疑問に思うことを述べておきます。それは[>>119]で述べた質問です。

   そもそも「1.本当に自然選択では説明が困難なのか?」という話だけに絞れば
   よいのではありませんでしたか?

 理由は、
  ・別の仮説を持ってこなくても、このテーマの話はできる
  ・別の仮説を持ってくると、持ってきた仮説の説明やら絡んで混乱しやすい

 それでもKenさんにすれば別の仮説を持ってくる必然性があるのかも知れませんが、それは私から見ると、Kenさんの科学観ゆえかも知れず、だとすると今の私には理解が難しいかも知れません。逆にKenさんか見ると、[>>119]の疑問が想定外のものなのかも知れません。

 両者の科学観の違いがわかってくれば、この点も明らかになるのかも知れません。

153diamonds8888x:2018/08/18(土) 12:44:16 ID:K6qbiXYU
 科学という言葉が指す範囲は文脈により様々ですが、最も広義には世界を知ろうとする試みと言えるでしょう。特に、その方法として経験に基づいて未経験のことを推測するという手段を使うことが特徴と言えるでしょう。これは地球上でヒトだけが使える手段ではなく、他の生物にも行っているものがいます。余計な空想をしないだけ、ヒト以外の生物の方が素直に科学的方法を実施しているのかも知れません。[*1]

 とはいえ他の生物とは異なり、ヒトは集団を作り個人の一生を越える期間の経験をも蓄積して系統的な知識に変えることができるようになりました。こうして、ひとつの集団内で世代を超えて継承される知識や知恵とも呼べるものが生まれました。ここまでなら知識は各集団内だけに留まるのですが、さらにホモ・サピエンスは集団間でも交流し時には協力もするという能力を身に付けました。すると大きく言えば人類共有の知識というものが誕生します。この個別集団を越えて共有される知識は、いわゆる文明が誕生した時には「学問」と呼ばれるものへと発展していました。

 ここで私は、人間の活動に「学問」「技術」「芸術」という異なる活動があると定義します。「学問」というのは世界を知ろうとする活動であり、「技術」は世界に働きかけようとする活動です。「芸術」は、どう言い表せばよいのでしょうね。世界を表現しようとする活動? いや世界というと自分のことは除くという印象もありますから、自分や世界を、ともかく何かを表現しようとする活動?

 言うまでもなく(という意味が簡単には想像できにくいかもしれないけど)、ここで「世界」というのはヒトが見聞きしうるあらゆるものを指します。極微の素粒子から宇宙の地平線での出来事、人の社会のありざまから心の働き方や仕組みまで、あらゆる事柄を指します。また人の心が生み出したもの、言語、法、規則、ゲーム、数学、論理、架空世界、等も忘れてはいけませんね。

 「学問」というものが世界を知ろうとする活動である以上は、それは人が見聞きしうるもの、つまり経験に基づかざるを得ません。すなわち広義の科学的方法に基づかざるをえないのです。[*2]

 (続く)
------------
[*1] 例えばロビン・ダンバー(Robin Dunbar)『科学がきらわれる理由』の3-5章あたりに例があります。今ではもっと多くの例が知られているでしょうが。
[*2] いわゆる文系学問において、経験には基づかないかのように思ってる風もあるが、真偽の決着を付けられるのは経験以外にはありえない。詳しくは長くなるだろうし、本論の筋ではないので述べない。それに、学問観の違いと見れば、単にそれだけのことですし。

154Ken:2018/08/18(土) 18:41:56 ID:zsbVUn6w
>>152
>そもそも「1.本当に自然選択では説明が困難なのか?」という話だけに絞ればいのではありませんでしたか?
>Kenさんにすれば別の仮説を持ってくる必然性があるのかも知れませんが

私の意図は、

〜過去に起こった進化の中に知的干渉の結果と考える方が合理的なものがある

という主張をすることです。そのためには2つの段階の議論をせねばなりません。

第1段階は、自然選択では説明できないことをIDの証拠とみなすことの妥当性を論証すること
第2段階は、特定の進化が自然選択では説明できないことを論証すること

7年前の私自身もそうでしたが、多くのID論者は第1段階を無視していきなり第2段階の話から始めるので、ドーキンスのような人々から「疑似科学者」と呼ばれます。diamonds8888xさんの上の提案が、第2段階から始めようというものでしたら、現状では賛同できません。

もっとも第1段階の議論なら、実はdiamonds8888xさんの「基準02」だけを論じればよいのかもしれません。ただ、私としては疑似科学という批判を受ける可能性を根絶しておきたいので、すべての基準を検証したいと思います。ですから今は基準01の話を続けています。

科学観に違いがあるかどうかは分かりませんが、私は今回の議論ではdiamonds8888xさんの基準に従うつもりですし、それなら同じ科学観で語ることになるのではないでしょうか。

言い換えれば、diamonds8888xさんの基準に対して、異なる科学観からの反論をしようとは思いません。例外として、私が科学や教育をどう考えるかと尋ねられた時は、>>145のような回答をするでしょうし、それは結果としてdiamonds8888xさんの科学観への反論になるかもしれませんが。

そのような例外を除けば、diamonds8888xさんが挙げる基準に、私からでるであろう問題提議は1つしかありません。

〜その基準はあらゆる事例に等しく適用されるのか

これだけです。あらゆる事例に等しく適用されることが納得でき、その基準に照らして私のID論を主張できると判断すれば、上記の第2段階に移ります。その基準では私のID論は疑似科学になると分かったら、一連の議論を打ち切ることになるでしょう。

155diamonds8888x:2018/08/20(月) 05:07:32 ID:K6qbiXYU
>>154 なるほど。Kenさんは「〜過去に起こった進化の中に知的干渉の結果と考える方が合理的なものがある」との主張についての議論のために2つの段階を踏むことが必要との考えを当然視してますが、それが私には理解しにくいし、いきなり第2段階から始めるID論者の人達も含めて多くの人にも理解しにくいと思いますよ。私から見ると、ここに科学観の違いが現れていそうです。

 私の見るところKenさんの発想が生まれる原因は、私の述べた「事実」とか、「理論の根拠」というものの範囲について、多くの人と食い違いがあることだと思われます。[>>146]がその好例ですが、[>>146]に示された各事例への反論は、まだテーマずれの可能性もありますし、私の科学観の説明をしてからがよさそうです。ついでに「合理的」の範囲も違っていそうですが、まあこれは「厳密には検証できてないけど、仮説提唱くらいは妥当な」てなくらいの意味なんでしょうね。それとも、もっと強いニュアンスなんでしょうか?

156diamonds8888x:2018/08/20(月) 05:09:33 ID:K6qbiXYU
>>153
 さて知識の継承により人類共有の知識というものが誕生したのはいいのですが、そこには様々なフェイクが紛れ込みます。見間違い、聞き間違い、考え違いなどによるフェイク、伝承時のコピーミス、記録者の意図的フェイク、など原因は様々です。個人だけのことや小さな集団内でのことだけならフェイクの修正も比較的可能ですが、遠く離れた記録者や遠い昔の記録者のフェイクを確認するのは非常に困難になってきます。

 人は間違うものというのは当たり前に思えるにもかかわらず、「昔から伝承されてることだから正しいに決まっている」という思い込みは思いのほか広くみられるものです。ひどくなると目の前に見えていることさえ無視したりします。結局のところ、近代科学の発展の基礎となった「経験主義」というのは、こういった思い込みとの戦いだったと言えるでしょう。わざわざ「主義」などとイデオロギーとして宣言しないといけないほどに、この「人の言ったことを信じすぎる」という思い込みは強かったということです。とはいえ、人の言ったことを信じるというのは、つまりは仲間を信頼するというホモサピエンスの性質からきているもので、それは群れを作るという生物の強みの源泉でもあるのでしょうから、致し方ないのかも知れません。

 というわけで、明確に意識された科学的方法論というものを人類が手に入れたのは、ロジャー・ベーコン等の「経験主義」に始まる近代科学の発展以降のことと言えるでしょう。もちろん古代ギリシャを始めとする世界の様々な地域の文明においても科学的方法は使われてはいましたが、それが明確に意識されていたとは言えないでしょう。「事実に基づくことが正しい」という考えは当然あったのですが、上記の思い込みというものも強くて拮抗していたと言えるでしょう。

 (続く)

157diamonds8888x:2018/08/25(土) 19:34:20 ID:R7cfu6u.
>>156 人類共有の知識へと成長した学問や技術は、どんなものであれ世代を経るに従い知識が積み上がり発展していくという特質を持つことになります。特に自然科学はその傾向が著しいですが、その理由は自然というものが世代を経てもあまり変わらないということが大きいでしょう。これが社会学や経済学、心理学などになると、対象が歴史と共に変化しているので、一筋縄ではいかないのです。

 知識の積み上がりによる学問の発展の好例は、古代の天文学でしょう。古代バビロニアで既にサロス周期が知られていたといいますし、新大陸のアステカでも月食や日食の予測ができたそうです。これは長期間のデータの積み上げの例ですが、自然は一体のものですから、例えば物理化学で判明したことで生物や天文現象の予測ができますし、逆に天文現象の観測を物理化学理論の検証に使うこともできます。

 実はこのような各分野の密接な関係が認識されたのも近代科学発展以降のことです。つい数世紀前でさえ、生命現象は物理化学法則とは異なる「生命エネルギー」のようなものが関与している、といった理論も否定できませんでしたし、コペルニクスの時代には「天体は地上のものとは異なる物質でできている」という理論も信じられていました。それがだんだんと、地上の石や土や水も天体と同じ物質であり、生命も同じ法則に従う、という知識が積み上がり、この世界ではどこでもいつでも共通の物理化学法則が成立するという理論が確立されました。いわゆる斉一説の一種です。

 このように世界の様々な現象の関連がわかってくると、さらに多くのことを知るための推論ができるようになります。例えば、昔の地質や化石や歴史的遺物を、いわゆる自然科学的手法を使って様々な情報を引き出すことができるようになります。古文書の真偽を調べたり、その内容を天文ミュレーションや地質学的証拠と突き合わせたりなどということが可能になります。

 このように物理化学法則が成立するという理論を基に様々な分野の知識が推論され積み上がり、それら相互に矛盾がないという状況が積み上がれば、それは逆に、基にした物理化学法則の検証が積み上がるということをも意味することになります。

 (続く)

158diamonds8888x:2018/09/01(土) 15:19:44 ID:y9yGvaEo
>>157
 ポパーの反証可能性では「反する事実がひとつ観測されれば理論は棄却される」と言われます。しかし現実にはそう単純な風には進まず、結局はその反例が観測間違いだとわかったり、理論の中心的な部分は変えずに修正がなされたりという風になることが多いことがわかってきました。この修正される部分は理論の周辺部、いわば衣であり、不変の部分は堅い核(*1)などと呼ばれます。

 私が考えるに現代の科学理論が反例に見える事実が観測されたように見えても容易にひっくり返らないのは、堅い核を変えたくないという「思い込み」が主要な理由とも言えません。もっと大きな理由は、理論を支持する膨大な観測事実を無視することができないからです。むろん【過去の膨大な観測事実を現理論同様に説明できて】なおかつ新たな観測事実、現理論の反例となる観測事実をも説明できる新理論があるならば話は別です。

 そしてこの「現理論を支持する事実」の中には他分野の多くの理論も含まれます。言い方を変えれば、現代の科学理論というのは、多くの分野の多くの理論がセットとしてひとつの理論を構成しているとも言えます。特に物理化学の理論は、それが変ると他分野(天文学、考古学、生物学など)の理論にも変化を及ぼすものであり、逆に言えば、他分野の膨大な観測事実により検証されているので、容易なことではひっくり返りません。

 実際、例えばニュートン以来の物理理論は、いわゆるコペルニクス的転回のような劇的な変化はしていません。相対性理論によるニュートン力学の破れが観測されるのは速度が光速に近い領域であり、通常速度の領域ではニュートン力学が正しい理論であることはひっくり返ってはいません。相対性理論はニュートン力学を拡張したのであり、ニュートン力学は相対性理論の近似理論となったのです。これは量子力学に関しても同様です(*2)。

 このように現代の物理化学理論がまたいつかコペルニクス的転回を受けることはまずありえないと考えられます。それは、過去に積み上げられた精密な観測事実の集積や、物理化学理論が正しいという仮定のもとで動いている様々な技術製品の働きなどの日々の膨大な観測事実を無視できないことが大きいでしょう。

 しかし、物理化学以外の分野の理論はどうでしょうか?


 余談ですが、世界の様々な現象の関連がわかってきたメリットのひとつには、[>>156]で述べたフェイクを見破る手段が増えたことも挙げられます。

-----------
*1) 科学哲学用語としてのハードコアは若干意味が違うようだ。wikipediaの記事「ハードコア (科学的リサーチプログラム)」参照。
*2) ニュートン力学の破れは非常なミクロの世界においてであり、ニュートン力学は量子力学の近似としては正しい、ということは確かである。とはいえ、量子力学における物質観はコペルニクス的転回と呼べるとも言える。それは相対性理論における時空概念についても言える。さらに言えば、天動説が破れるのは力学的現象をも説明しようとする場合であり、天動説は地動説の近似(というには質が違うが)だと強弁することもできるかも知れない。
  要点は、新しい理論が正しいと認められるためには、旧理論が説明できたことは説明できないといけないということである。

159Ken:2018/09/01(土) 18:24:58 ID:29AIi7KU
>>158

まだすべての説明を完了しておられないかもしれませんが、1点だけ確認させていただけますでしょうか。

>新しい理論が正しいと認められるためには、旧理論が説明できたことは説明できないといけないということである

すでに何度か述べたように、ニュートンの光粒子説に対してホイヘンスは光波動説を提唱しました。光粒子説では説明できない事実を、光波動説は説明できると考えたからです。光粒子説で説明できない事実とは、

1.光同士が交差する
2.光が屈折する

というものです。2はちょっと微妙で、17世紀の常識では粒子説でも説明できたかもしれません。なにしろ分光を発見した当のニュートンが粒子説だったのですから。でも1はたしかに粒子説では説明ができませんでした。(もっとも中性子やニュートリノが知られていたら、話は変わったのでしょうけど。)

その一方で、光粒子説ならすっきりと説明できる事実を、光波動説は説明できませんでした。

1.光が必ず直進する
2.光が真空中を伝わる

1はヤングが回折現象を確認するまで、2は光の正体が電磁波と分かるまで、説明ができませんでした。

このように、それまでの理論が説明できたことを説明できない形で、新しい理論が登場することもあるのではないでしょうか。

160diamonds8888x:2018/09/02(日) 08:25:19 ID:y9yGvaEo
>>158
 物理化学以外の分野でなら、コペルニクス的転回を受けている理論はあるのでしょうか? 最も目立つのは歴史分野のように思えます。その例は以下の本で見られます。なお、最初の本は歴史以外での変化も書かれていて、なかなかおもしろいです。

  ・現代教育調査班(編集)『こんなに変わった!小中高・教科書の新常識 (青春新書プレイブックス)』青春出版社(2018/01/20)
  ・河合敦『もうすぐ変わる日本史の教科書: “常識”を塗りかえる新しい定説が続々―― (KAWADE夢文庫)』河出書房新社(2017/09/20)
  ・山本博文(監修)『こんなに変わった! 日本史教科書』宝島社(2017/05/20)
  ・高橋秀樹,三谷芳幸,村瀬信一『ここまで変わった日本史教科書』吉川弘文館(2016/08/25)
  ・山本博文『こんなに変わった歴史教科書 (新潮文庫)』新潮社(2011/09/28)

 歴史分野だと確かに、従来と180度違う記述になっているものも多数見られます。それは歴史の一部でもある古人類の進化史でも同様ですし、恐竜など個々の系統の進化史でも終始見直しが入っています。

 しかしこれらの広い意味での歴史分野の事例は、理論の転回というよりは事実の見直しの事例がほとんどに見えます。それは一言で言えば、過去の事実を明らかにする手段が進歩したからと言えると思います。それは例えば考古学的遺物や古文書の調査に進歩した自然科学技術を使うといったわかりやすい例から、方法論の進歩などといった専門外の人からはわかりにくい例などもあるでしょう。

 そしてこれらの分野でも、新しく正しいとされた事実は、従来の事実よりも根拠となる理論や新事実がより多く確かなものであると考えられます。それもまた知識の積み上げの一環であり、新しく正しいとされた事実は従来の事実よりも覆されにくくなっているのではないでしょうか。我々は巨人の肩の上にいるので、その巨人を全否定したら落っこちてしまうのです(*1)。

 天文分野でも「従来の常識を覆す天体」というものは結構見つかっているようです。こちらはまさしく観測技術の進歩によるところが大でしょう。太陽系外惑星の探査が好例で、21世紀に入ってから新発見の連続で「どんな惑星が一般的か?」という点に関しては二転三転で専門家も興奮状態みたいですね(^_^) 冥王星の準惑星への降格事件は一部の人達にとってはコペルニクス的転回に思えたかも知れませんが、冷静に考えれば、今まで見えなかった天体が多数見つかることで惑星の分類が見直されたということです。

 天文分野には【従来の理論では説明できない観測事実】の好例があります。それはダークマターです。その正体については未だに様々な理論が乱立状態ですが、ダークマターなどというとんでもないものの存在を仮定するか、さもなくば重力理論を大幅に修正するかしないと説明できない観測事実の存在だけは、すべての天文学者が認めています。トンデモ系の著書の決まり文句のような「常識と権威にとらわれて事実を無視する頭の固い既存の科学者」なんて人はいません。


 もっとも、上記にあげた教科書変化本も含めて非専門家相手の啓蒙書では「常識が変わった」という点を強調する表現は多いし、「自分以外のプロは常識にとらわれている」みたいな書き方の本も、特に歴史など文系の啓蒙書には多いような気はします。

 (続く)
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*1) 乗っかる巨人を間違えるとあらぬ方向に連れていかれるのでご用心(^_^)

161diamonds8888x:2018/09/02(日) 08:28:02 ID:y9yGvaEo
>>159
 両理論とも、説明できにくい点はあっても説明できないという点はありません。Kenさんの示された難点は当然ながら両陣営ともに知っていて、それぞれに様々な補助仮設を入れることにより説明しています。調べた限りでは以下のRef1が一番詳しそうです。なお時間的には波動説がまず最初ですね。Ref2は概要を示してますが、粒子説を最初に持ってきていて、ミスリーディング気味です。

  Ref1) 物理教育 第43巻 第4号〔1995〕[ttps://www.jstage.jst.go.jp/article/pesj/43/4/43_KJ00005896682/_pdf]
  Ref2) [ttp://www.nararika.com/until2015/butsuri/kagakushi/nami/hikari.html]
  Ref3) 粒子説で光の屈折を説明[ttp://uchu-kenbutsu.hatenablog.com/entry/2016/06/06/102332]
  Ref4) 粒子説で光の屈折を説明[ttp://optica.cocolog-nifty.com/blog/2013/04/post-cabf.html]

> 1.光同士が交差する

 これはもしかして干渉のことですか? それとも交差しても衝突しないということですか? 後者はRef1では、ホイヘンスによる「波の独立性」と書かれていましたが。

> 2.光が屈折する

 Ref3,4の通り、ちゃんと説明していました。苦しい気はしますが。

> 1.光が必ず直進する

 これは私の知らないことのようです。波が直進したら、なぜいけないのですか? Ref1では「波の直進、反射、屈折をうまく説明した」と書いてありますが?

> 2.光が真空中を伝わる

 「波は媒質がないと伝わらない」という理論に反するということですが、エーテルを仮定することで説明していました。


 もちろんこれらの説明にも難点はありますし、すぐに検証ができたわけでもありませんが、「説明しなかった」ということはありません。まあ、すぐに検証ができるのだったら論争など必要ありませんし。

162Ken:2018/09/03(月) 21:27:27 ID:29AIi7KU
>>161

>1.光同士が交差する
>これはもしかして干渉のことですか? それとも交差しても衝突しないということですか? 後者はRef1では、ホイヘンスによる「波の独立性」と書かれていましたが。

はい、Ref1の4の序説で「波の独立性」といわれているものです。粒子説ではこの現象は説明できなかったはずです。

>1.光が必ず直進する
>これは私の知らないことのようです。波が直進したら、なぜいけないのですか?

これはRef1の4.1(2)で言われている回折現象の不在を意味します。波なら障害物の背後に回り込むはずですが、19世紀初頭のヤングの実験前には、光の回折はなく、直進するだけと思われていました。

>2.光が真空中を伝わる
>「波は媒質がないと伝わらない」という理論に反するということですが、エーテルを仮定することで説明していました。

一番の問題はこれですね。仮定するといっても、そんな仮定をしてもよい理由はなかったはずなのです。

真空という、物質不在の空間を光が伝わる事実は、本来、光波動説への反証になるはずです。これに対して光波動説の側がそれは反証ではないと主張するには、次の2つのどちらかを行わねばなりません。

1.波には媒質が必要という理論を否定する(その後の歴史でそうなりましたが)
2.光の媒質を発見する

エーテルなる物質が空間に満ち、それが光の媒質であると主張するなら、エーテルの現物を観測するか、もしくは光が空間を伝わるという事実とは独立した、別の根拠に基づいてエーテルの存在を示すべきでしょう。でも光波動説がエーテル実在の根拠としたのは、光が空間を伝わるという事実そのものですから、これでは論理の無限ル-プになってしまいます。

光波動説がみずからの理論をより精緻なものにするため、例えばRef1の6.1(2)に書かれたようなエーテルの弾性率と密度を予測するのは結構ですが、それだけではエーテル実在の根拠になりません。光の速度を元に弾性率と密度を算出したのなら、検証には、光の速度とは別の根拠に基づいて、そのような弾性率と密度の物質が存在することを示す必要があります。

以上の理由により、光粒子説も光波動説も「説明できにくい」というより「説明できない」難点を抱えていたと、私は考えます。

なお、新しく登場した理論の方が古い理論よりも、説明できないミステリーを多く抱えるという点では、コペルニスクスが提唱した地動説はもっと極端な例でしょう。

*なぜ大地のような重いものが動くのか
*なぜ世界に恒常的な風が吹かないのか

こんな疑問が起こることは、天動説ではなかったのですから。

163diamonds8888x:2018/09/09(日) 08:31:13 ID:u4p17aRc
[>>162]にはKenさんが誤解している点が露わになっています。これで説明がしやすくなったと思いますが、以下、よく注意してお読みください。

 新理論を提案する時には、すぐに検証されたり反証されたりする必要はありません。検証や反証の方法が原理的に提案できればいいのです。すぐに検証されたり反証されたりできるくらいなら議論なんて続かずにすぐに決着がつくのですから。あるいはその方法は提案当時の技術では困難かも知れませんが、それは本質的問題ではありません。その困難は将来には克服できるかも知れないし、実際に克服されてきたのが科学の進歩の歴史です。

 エーテル仮説について言えば、おっしゃる通り「2.光の媒質を発見する」ことができれば検証できますし、どうしても発見できなければ反証になります。これはエーテル仮説が「反証可能性を持つ」ことであり、現代の基準に照らしても科学的仮説の資格があることを意味します。【当時、すぐに検証できるかどうかは関係ないという点に御注意ください】。

 もちろん発見するためにはエーテルの性質を示して(理論的に仮定して)、どんな現象が観測できるかを予言しなくてはなりません。それは例えば以下のようになされました。

  ・エーテルは光を伝える媒質であり、通常物質と同等の運動性質を持つ。具体的には以下、
  ・光はエーテルに対して一定の相対速度cで伝わる。
  ・ゆえに、例えば地球に対する光の相対速度は、cに地球とエーテルとの相対速度を加えたものになる。

 こうして光速度を正確に測定できれば地球とエーテルとの相対速度を観測することができ、エーテルの発見(いわゆるエーテルの風の発見)になる、という結論が導かれました。そして御承知の通りエーテルの風は見出されず、エーテル仮説は反証されました。エーテル仮説が反証可能な科学的仮説であった何よりの証拠です。

 エーテルの性質については他にも、質量や密度、粘性なども考えられますが、もしもエーテルの運動が見出されていたならば、その観測により、これらの性質も観測できたはずです。Ref-1によれば光速度から密度と弾性率が計算されたようですが。その他、波を伝える媒体である水や空気や個体などとの類推から様々な性質が予測され、それゆえにKenさんが挙げている「様々な難点」が見出され議論することができました。すなわち、【科学的観測事実との比較ができた】のです。これこそがまさに科学的理論であることの資格です。


 エーテルのように未知の何かを仮定して理論を立てるということは物理学の歴史上では頻繁に行われています。ニュートリノ仮説を最初の例として、クォーク仮説など新素粒子を仮定する理論は枚挙にいとまがありません。素粒子ではありませんがダークマターの存在も、重力理論は変更せずに未知の物質を仮定するという理論による予測です。

 ここで大切な点は、仮定した未知の何かの性質を示し、どんな観測でその性質がわかるかを示すことです。それがすなわち反証可能性を示すことになります。例えばダークマターは「通常の物質同様に運動法則に従い、質量に比例する重力場を発生する」「通常の物質とは重力以外の相互作用はほとんどしない」という性質が仮定されています。その仮定された性質を元にシミュレーションも行われ、観測可能な通常物質である星雲などの観測事実と比較するということが行われています。

 では進化を説明するためにデザイナーを仮定する理論はどうなのか? デザイナーの性質として原理的に観測可能な現象を予測できるようなものを明確に示すならば科学的検討を行うことができるでしょう。別コメント[>>164]でちょっと考察してみます。


 なお、光速度不変という観測結果は粒子説でも説明できないものです。まさに、光粒子説も光波動説も「説明できにくい」難点を抱えていました。つまり何らかの改良を加えない限りは「説明できない」難点を抱えていました。これは複数の理論が対立している状況では普通のことです。難点のないような理論があるなら、それが多くの人に支持されて定説化するはずですから。難点があること自体は科学的仮説である資格を失う理由にはなりません。観測事実に反するかのように見える難点の存在は、まさしく理論が反証可能性を持つことを示していると言えます。

 なお、本筋には必ずしも不要ですが、指摘しておいた方が良い点を別コメント[>>165]で書いておきます。

164diamonds8888x:2018/09/09(日) 08:32:30 ID:u4p17aRc
>>163
 進化を説明するためにデザイナーを仮定する理論は、エーテル仮説やダーママター仮説と同様に科学的仮説と言えるのでしょうか? いずれも「未だ観測されていない何か」の存在を仮定している点では同じに見えます。しかし既に述べたように、その何かの性質を示し、それによって原理的に観測可能な事実は何かが示されなければ、科学的検討の対象になりません。私は寡聞にしてID論者が提案したそのような性質を知りません。ここでは、そのようなデザイナーの性質として考えうるものを検討してみます。

 基本的にデザイナーの性質として仮定されているのは以下のようなものだと思われます。
  1.進化に介入しようという意図を持ち、介入を実行する能力がある。
  2.実際に地球上の進化に介入してきた。

 1だけではデザイナー自身以外には観測は不可能です。何も行動していない人の頭の中身を観測するようなものですから。そこで2を観測できるかどうか、ですが、これだけでは具体性に欠けるでしょう。具体的に、どの生物のいつの時期の進化に、どのように介入したのかという仮説を示さなければ、科学的に検討することができないでしょう。

 私の知る限りID論側の示しているのは次のような事例です。ただし具体例として示したのは、単に私が例としただけで、実際にID論側からの提案にあるかどうかは知りませんので、誤解なきよう。
  ・ある進化の事実、例えばアウストラロピテクスからホモ・エレクトスへの進化は
   自然選択説では説明できない。ゆえに上記1、2の性質を持つ者の存在を仮定すべき
   である。

 仮定するのはいいですが、これだけではやはりいかなる観測事実を求めて検討すべきかが不明です。
  ・どのように介入したのか?
  ・その場合、どのようなことが観測可能なのか?(どんな痕跡が残るのか?)

 こんなことが示されれば初めて科学的検討ができます。その点ではKenさん提案の「実際に行われている人による品種改良と同じ方法を使った」という理論なら原理的に検討できる可能性があります。

 繰り返しますが、エーテル仮説やニュートリノ仮説、ブラックマター仮説では、原理的に観測可能な現象を予測できるような、未知の何かの性質が仮定されていましたから、科学的検討ができたのです。それは過去や現在の活発な議論が示しています。

 とはいえ、デザイナー仮説を科学的に検討可能な理論へと進展させる仕事は提唱する側の仕事です。現在の定説側の科学者にそれを求めるのは無理です。なぜなら私も含めて定説側では、そもそもアウストラロピテクスからホモ・エレクトスへの進化は自然選択説で説明可能と考えているからです。ベータ崩壊で明らかにエネルギー保存則が破れていた状況とは全く異なります。

 本当に自然選択説で説明不可能な進化が観察されているならともかく、そうではないのにわざわざややこしい仮説を導入する意義は感じられないというのが、定説側の多くの人々の考えです。まさしく「そんな仮定をしてもよい理由はないはず」なのです。まずは本当に自然選択説で説明不可能な進化が観察されているのかどうかを確認するのが先決であり、その時点では余計な仮説など使う必要はありません。

 さらに自然選択説がだめだったとしても、替わりの仮説はデザイナー仮説だけとは限りません。これが天動説vs地動説の場合なら明らかに二者択一ですから一方の否定は自動的他方の肯定になりますが、自然選択説vsデザイナー仮説ではそうではありません。自然選択説の否定は、デザイナー仮説や定向進化説や、その他もろもろの仮説を提案する理由にはなりますが、その中で特にデザイナー仮説だけを優先的に取り上げる理由にはなりません。

165diamonds8888x:2018/09/09(日) 08:34:29 ID:u4p17aRc
>>162
以下はあまり本筋に影響しませんが、参考までに。

>そんな仮定をしてもよい理由はなかったはずなのです。

 理由は波動説を取るなら媒体があるはずだという点です。また論理的理由ではありませんが、そもそも歴史的には「真空の存在」の方が非常識とも言えます。[参考:wikipedia記事「真空」の2章「真空をめぐる歴史」]。

>光の速度を元に弾性率と密度を算出したのなら、検証には、光の速度とは別の根拠に基づいて、そのような弾性率と密度の物質が存在することを示す必要があります。

 必ずしもそうとは言えません。まあ、より多くの質の異なる観測事実で補強されるにこしたことはありませんが。例えばニュートリノの最初の検証については都立大学名誉教授の小林澈郎の講演[ttp://gakujutsu-kenkyunet.org/koenkobatetu.html]で「遂にニュートリノを捕まえた!」として紹介されています。これはいわばβ崩壊の逆反応を予測して観測したということになりますが、β崩壊とは質の異なる観測なのかどうかは見方により難しいのではないでしょうか。またダークマターに関しては重力相互作用以外に検証できない可能性もあるわけですが、それでも多くの理論と一致する事実が重なれば「実在する」と見なされるようになっていくでしょう。

> *なぜ大地のような重いものが動くのか
> *なぜ世界に恒常的な風が吹かないのか

 これはそれほど大きな難点と見なされていたのですか? 私の紹介した日経サイエンスの記事ではそうは見えなかったのですが。

 1番目は「天体は地上の物体よりも遥かに軽い」という観測されていない仮定に基づく疑問です。当時すでに太陽が地球より遥かに大きいことはわかっていましたし、それが理由で地動説を支持した人もいました。地動説側から見れば、それほど大きいものが地球より軽いというのも不自然でしょう。ましてガリレオの木星の衛星発見以降は、「天体も(少なくとも惑星は)地球と同じ物質だ」という考えが広まったでしょうし。

 2番目は大気が地球と一緒に運動すると考えれば問題ありませんし、実際に地動説側はそう考えていたでしょう。「地球が丸いならば、なぜ反対側の人々は落っこちないのか?」と同列の疑問に見えますが?(天動説vs地動説の時点では地球が丸いことは既定事実でした)。

 もしもこれら2点がそれほどの難点と見なされていたというならば歴史文献的根拠を示してください。

166Ken:2018/09/09(日) 21:39:48 ID:KrLV/igM
最も基本的なことから確認します。

私の質問意図は、>>158にて、

>要点は、新しい理論が正しいと認められるためには、旧理論が説明できたことは説明できないといけないということである。

と言われたことの意味を最大限に明らかにすることでした。これに対して>>163では、

〜将来検証できる可能性がある説明なら、説明として受容できる

と述べられたものと理解しますが、それでよろしいですか? たとえば光同士が衝突せず交差する現象を、粒子説は検証方法も含めて説明していたわけですね?


次に、以前からも言っていますが、私は今の段階ではIDの話をしたくありません。とはいえ>>164のように尋ねられたときは、できるだけ回答しようと思います。IDの観測可能な痕跡として私が真っ先に思い浮かべるのは、進化に干渉した存在が残した記録です。おそらくは私たちが知らない言語で書かれているのでしょうが、解読できる可能性もあるでしょう。図で説明されているかもしれませんし。

それと、

>さらに自然選択説がだめだったとしても、替わりの仮説はデザイナー仮説だけとは限りません。

前にも言いましたが、この部分は基準02の検証を通して論じるべきではないでしょうか?


エーテルについて確認させてください。

>・エーテルは光を伝える媒質であり、通常物質と同等の運動性質を持つ。具体的には以下、
>・光はエーテルに対して一定の相対速度cで伝わる。
>・ゆえに、例えば地球に対する光の相対速度は、cに地球とエーテルとの相対速度を加えたものになる。

地球に対する光の相対速度を観測しようとしたのがマイケルソンとモーリーの実験だと思いますが、光波動説の登場からこの実験まで2世紀の時間差があります。その2世紀のあいだ、波動説を唱えた人たちはこの検証方法を知っていたが技術的精度が伴わないので実行できなかったということでしょうか。

ご存知のように、マイケルソンに先行して光の速度を測定した人が何人もあり、フィゾーやフーコーなどはかなりの精度で測定しています。今の私たちが見ると、この人たちの測定精度でも、地球の速度の影響を検出するには不足だったかもしれません。では、この人たちは自分たちの精度不足を承知していたからエーテルの検証をあきらめていたのでしょうか?

言い換えれば、マイケルソンはエーテルの検証方法自体を独創したのではなく、2世紀前のホイヘンスから知られていた検証を可能にする技術を発明した人だったわけですね。

167Ken:2018/09/11(火) 00:03:46 ID:TbqNCAC6
>>163で述べられた「検証や反証の方法が原理的に提案できればいい」という点を明確にするための問題提議をしたいと思います。問題は、なにをもって「原理的に提案する」とみなされるのかということでしょう。具体例を挙げながら話を進めます。

17世紀に望遠鏡が発明されてから、その技術は進歩を続け、例えば太陽と同じ大きさと明るさの星を観測できる距離は10光年、20光年、100光年と伸びていきました。望遠鏡の倍率を上げるにはレンズを大きくすればよいことも分かっていました。ですから100光年先の太陽を観測できた天文家は、その時点では1000光年離れた星を見ることはできなくても、やがては見えるようになることが予測できたし、その予測を元に特定の理論の検証方法を提唱できたはずです。これは、ある時点では不可能でも原理的に可能とみなされる検証の分かりやすい例です。

一方、江戸時代から200年も続く邪馬台国論争は一向に決着しませんが、タイムマシンが発明され3世紀の日本を観測すれば簡単に決着するはずです。しかし、将来タイムマシンが発明される前提で過去の時代を観測できると予測する人はいないはずです。理由は、タイムマシンをどうやれば作れるのか想像がつかないからで、これは原理的にも不可能な検証です。

それではコペルニクスが提唱した時の地動説はどうでしょうか。天動説と地動説のどちらが正しいかは惑星を詳しく観測すればよいという点では原理的に検証可能でした。たとえば天動説では太陽と金星のうち地球に近い方はつねに近いのに対し、地動説では金星は太陽よりも手前になったり遠くになったりするので、金星も月と同様の満ち欠けをするはずなのです。したがって金星を詳しく観測し、満ち欠けをするかを検証すれば、天動説と地動説のどちらが正しいかは分かります。実際に、コペルニクスの1世紀後にガリレオがこの観測を行い、地動説の正しさを確信しました。

でもガリレオがそれをできたのはコペルニクスの時代には無かった望遠鏡があったからです。コペルニクスの時代よりも高性能の望遠鏡があったのではありません。コペルニクスの時代には望遠鏡の概念自体がありませんでした。そうなると、惑星の満ち欠けを判別するほど詳しく観測することは原理的に可能といえるのでしょうか。コペルニクスたちにとって惑星の詳しい観測は、今の私たちにとってのタイムトラベルと同様に、不可能なことだったのではないでしょうか。

エーテルの存在は19世紀末のマイケルソンとモーリーの実験で否定されましたが、彼らにそれができたのは、地球の速度の影響を判別できるほど光の速度を精密に測定できたからです。しかし彼らの測定技術は彼ら以前に光速を測定したフィゾーやフーコーの技術の発展形ではありません。フィゾーやフーコーは歯車や鏡を高速回転させ、歯のすき間を通過する光や鏡が反射する光を観測しましたが、これでは測定精度に限界があります。現代のサーボ機構のような技術がないのだから回転速度を精密に制御することも難しかったはずです。一方、マイケルソンたちは光の干渉計を利用して測定精度を飛躍的に向上させたのです。

光が干渉を起こす波であることは19世紀の初めには知られていたので、マイケルソンたちがやったことの原理は既知のものでしたが、その原理(光の干渉)を測定に活かすことを思いつかなかったのです。その場合、光速を測定してエーテルの存否を確かめることは原理的に可能だったといえるのでしょうか? 今の私たちが歴史を振り返れば可能だったというのでしょうが、それは「あと知恵」というものではありませんか?

以上の例のうちで「原理的に可能な検証」に該当するのはどれでしょうか?
私には、望遠鏡の性能が時を追って向上してゆく最初のケースだけだと思われるのですが。

168Ken:2018/09/16(日) 12:49:29 ID:p8H3bDaI
>>165で指摘された点について、私にできるだけのコメントをしておきます。

*ニュートリノ
紹介いただいた記事は、私が主張した「別の根拠」の例を語っているように私には思われます。最初にニュートリノの存在を思いついたのは、β崩壊の観測事実とエネルギー保存則を矛盾させないためで、これは17世紀の波動理論と光波動説を矛盾させないためにエーテルの存在を思いついたのと同じでしょう。

そしてCowanとReinesは、シンチレータ装置の中での発光現象を観測したのだから、元々の根拠(エネルギー保存)とは別の根拠でニュートリノを確認したのではありませんか?

当初の根拠:エネルギーの保存
新しい根拠:発光現象

*ダークマター
ダークマターについては体系的に書かれたものを読んだことがないので、現状の私の理解に基づいて、思うところを述べます。もしも見当はずれのことを言っていると思われたら無視なさってください。

ダークマターを検証する方法として重力作用以外にない、というのはあくまでも地球から観測する場合で、ダークマターがありそうな場所に行ってみれば、直接的な観測ができるのではないのですか? それは何億光年もの彼方かもしれませんが、とにかく今の私たちが知っている技術の延長で行けないものではない。その点で、過去の世界やブラックホール内部が観測できないこととは、性質が異なるように私には思えます。

*地動説のミステリー
遠くにある天体については自由な空想が可能でした。例えば、太陽はアポロ神が天空を駆る馬車であるというようなもので、確認はできなくても「そういうことがあってもおかしくない」と、古代以来の人は考えたのです。しかし、地球には引っ張ってくれる馬車も、押してくれる天使もいないことは、目の前の現実として見えますから、「動くはずがない」と考えるのが普通でしょう。

地動説なら風が吹くはずという発想も、実際に馬車に乗って走れば顔に風を受けますからね。たしかに地球の反対側の人は落ちませんが、古代以来の4元素説では空気は土(大地)に拘束されることがない(少ない)元素と考えられていたのです。

私が何の本でそういう話を読んだのかは、今は思い出せません。これまでの読書履歴からアジモフかセーガンではないかと想像はするのですが、とにかく文献的根拠を挙げることは残念ながらできません。

169diamonds8888x:2018/09/16(日) 15:57:32 ID:u4p17aRc
>>166 【基準02について】

>>さらに自然選択説がだめだったとしても、替わりの仮説はデザイナー仮説だけとは限りません。

>前にも言いましたが、この部分は基準02の検証を通して論じるべきではないでしょうか?

 そうかも知れませんが、私にしてみると基準02は単なる形式論理の問題であり、簡単な話なので一応述べておきます。納得しがたければ、おっしゃるように基準02の検証に入ってから存分にどうぞ。

 例えば天動説vs地動説の場合は、片方の否定は片方の肯定になります。完全に二者択一です。こんな場合は、仮説Aの反証は仮説¬Aの検証と同値ですから、どちらを検証しても構いません。

 しかし、考えうる仮説がA1〜Anと3つ以上あるならば、A1を否定してもA2の正しさには直結しません。基準02は単にこれだけの話です。

170diamonds8888x:2018/09/16(日) 16:02:31 ID:u4p17aRc
>>167, >>166
【「あと知恵」問題】
 まず「あと知恵」問題についてです。確かに現代の智慧で歴史上の判断を断罪する「あと知恵」は好ましいものではありません。しかしそもそも「何が科学的方法か?」という考え自体も、過去の人々の苦闘により歴史的に発展してきたものです。それゆえ例えば近代科学の黎明期であるニュートンの時代の人々は、現代の眼から見て必ずしも「正しい科学的方法」に従っていたとは言えません。そのこと自体は指摘しなくてはいけないし、現代から見て勝利した側が、いつでも「正しい科学的方法」に従っていたわけでもありません。例えば既に御紹介した日経サイエンスの天動説vs地動説の記事では地動説側が神を持ち出した事例も紹介されています。

 要するに過去の科学者たちが取った方法は、それが「正しい科学的方法」であることの根拠にはならない、という点はまず押さえておいてください。その点を指摘しようとすれば、それは「あと知恵」にならざるをえません。

 しかし概ね多くの科学者は、特に真理は経験に基づくべきという哲学を取った科学者(自然哲学者)の多くは、科学的議論の場では「正しい科学的方法」に従っていたと、私は考えています。ただし現代の眼から見ると、そこに盲点があったことも事実です。問題を解いている途中はどうしても思いつかないのに、解答を見たら、「なんで思いつかなかったんだ」と悔しくなることはいくらでもあります。それはやはり、正解から、その時に陥っていた盲点の正体を探るということもまた必要だと思います。

 次の「原理的に検証可能」問題も好例でしょう。


【何が「原理的に検証可能」なのか?】
 なにをもって「原理的に検証可能」とみなされるのか、というのは確かに、突き詰めると難しい問題です。まず基準01で挙げた「へそ理論」は「原理的に検証不可能」な例です。もしかするとKenさんはまだよくわかっていないかも知れませんが。

 次に18世紀以前の科学者も「原理的に検証可能」とみなしてくれるであろう例を挙げます。

 第1はKenさんの挙げた金星の満ち欠けの観測です。ただし、金星の満ち欠けが地動説の証拠というのはちと早計でしょう。プラーエの修正天動説ならちゃんと説明できるはずですが?

 理論から金星の満ち欠けが予測できたとして検証のためには、誰もがすぐ思いつくのは「近づいてみる」ということでしょう。これは大昔から原理的には可能と考えられていたはずです。イカロスの伝説などもありますからね。

 望遠鏡の発明(1608,ハンス・リッペルスハイ)と天体観測(1609,ガリレオ・ガリレイ)以降は近づかなくても観測できる手段が手に入りました。この場合は「遠くの物をもっとはっきり見ることができれば」ということを実現したのですが、この方法は誰の頭にも思い浮かばなかったかも知れません。ではもしも望遠鏡発明前の誰かが「遠くの物をもっとはっきり見ることができれば検証可能だ」と言ったとして、それがどう受け取られるか、という点はひとつの論点にはなりそうです。

 第2に、そもそも天動説vs地動説は基本的には近づいてみれば決着がつきます。いやむしろ、「遠く離れて、地球と月と太陽の動きを観測してみれば」という方が良いでしょうね。これは原理的には可能な方法です。むしろ古代人の中には実際よりも簡単にできると想像していた人達もいたように見えます。現実にはこの方法はなかなか実現しなかったために、三角法で距離を測定するなど、様々な手段を駆使しての論争が続いたわけです。

 ゆえに、天動説も地動説も原理的に検証可能であり反証可能です。これは古代人も同意してくれると思います。彼らの中のある者なら、「神の視点に立てば検証可能だ」と表現するかも知れません。

 第3に地球と光の相対速度検出を挙げましょう。これは原理的に検証可能だが精度がなかなか向上しなかったという例ですね。光が並みだったので干渉を使って速度差を検出する方法が見つかったのですが、もし使えなかったとしても、2つの物の相対速度が原理的に検証可能であることは変わりません。

 長文エラーは拙いので、以下は別コメント[>>171]にします。

171diamonds8888x:2018/09/16(日) 16:03:15 ID:u4p17aRc
[>>170]の続き
 さて微妙な例が「タイムトラベルによる検証」ですね。現代の多くの人々は「原理的に使えない」と考えるでしょう。19世紀後半の過去へのタイムトラベル物語[*]の登場以前は、「直接過去に戻って検証する」という概念自体が思いつかないものだったでしょう。『タイム・マシン』以降の数々のフィクションによる洗脳(^_^)と現代物理学先端の動向のおかげで、現代では「ひょっとしたら直接過去に戻って検証するのも将来的にはありかも?」という心の揺れを感じる人も増えているとは思いますが、まあこれは「原理的に使えない」と考えるのが常識的線でしょう。

 しかし「過去を直接的に観測する」となると原理的に不可能とは言えません。一番わかりやすいのは、例えば超光速で地球から遠く離れた場所へ移動し、光や電磁波で地球を観測することです。また現代物理学では「情報は消えない」という原理が考えられています。つまり過去の状況を示す情報は原理的には再現可能ということになります。実は過去を探る様々な方法というのは、今に残る過去の情報の痕跡から、過去の情報を再現しようとしていることに外ならず、それがどこまで再現可能かという精度をどこまで高められるかが問題だとも言えます。過去の情景をほぼ再現できるという魔法のような方法が、いつかは開発されるだろう、という予想を原理的に禁じる法則があるとは、ちょっと思い付きません。

 過去に戻る、となるといわゆる過去への干渉によるタイムパラドックスという原理的に困難な問題が生じますが、過去を直接観測するだけであれば、原理的困難は生じません。過去の場合は量子とは違って、いくら観測しようが観測されるものは影響を受けない、というのが常識的線でしょう。

 で、『タイム・マシン』以前の人々にとっても、「過去を直接的に観測する」というのは原理的には不可能とは言えないのではないでしょうか? 例えば神憑きの状態になって昔のことが見えるとか。いやこれは具体例を知ってるわけではなく想像ですが。

 でもまあ、「過去を直接的に観測する」というのも半々としておきましょう。


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*)wikipedia「タイムトラベル#タイムトラベル物語の起源#過去へのタイムトラベル」参照
  ピエール・ブアタール『人類以前のパリ(Paris avant les hommes)』(1861年)
  マーク・トゥエインの『アーサー王宮廷のコネチカット・ヤンキー』(1889年)
  H・G・ウェルズ『タイム・マシン(The Time Machine)』(1895年)

172diamonds8888x:2018/09/16(日) 16:05:52 ID:u4p17aRc
>>166【原理的に、他】

>〜将来検証できる可能性がある説明なら、説明として受容できる

>と述べられたものと理解しますが、それでよろしいですか? 

   Yes

>たとえば光同士が衝突せず交差する現象を、粒子説は検証方法も含めて説明していたわけですね?

 [>>163]ではこの件には触れていませんが、ここで訊かれても困惑します。私も歴史を詳しく知っているわけではありません。個人的には「光の粒子がごく小さければ衝突しないのは当然だろう」と誰でも考えそうに思いますが。衝突の確率は大きさ(現代用語では衝突断面積)と数によるはずで、前者が観測できれば後者が推測できます。

>IDの観測可能な痕跡として私が真っ先に思い浮かべるのは、進化に干渉した存在が残した記録です。おそらくは私たちが知らない言語で書かれているのでしょうが、解読できる可能性もあるでしょう。図で説明されているかもしれませんし。

 素晴らしい。つまり「IDは記録(他者に伝えるための手段)を作る能力と意図を持つ」という仮説わ立てたことになりますね。そのようにIDの性質を規定することが、「理論を科学的に検証可能なものに整える」ということになるのです。まあ、ではどこを探せばよいかとかが必要ですけど。ID側が本当にそんな努力をしているなら、エールを送りますけどね。

>では、この人たちは自分たちの精度不足を承知していたからエーテルの検証をあきらめていたのでしょうか?

 詳しくは知りませんが、あきらめていたというより、頑張ったけれど精度不足でだめだったということではないでしょうか? 現在でも今までも、科学の歴史ではいつでもあることですね。

>言い換えれば、マイケルソンはエーテルの検証方法自体を独創したのではなく、2世紀前のホイヘンスから知られていた検証を可能にする技術を発明した人だったわけですね。

 「地球と光との相対速度の変化を検出する」という点では、昔から知られていたというべきでしょう。ただ御承知の通り、粒子説でも地球と光との相対速度の変化はあるはずなのです。ただエーテル説では相対的光速度が一定の物体があれば、その物体がエーテルに対して静止していることになり、間接的に「エーテルの運動を」検出できる、という風に考えたのだと思います。

173diamonds8888x:2018/09/16(日) 16:16:50 ID:u4p17aRc
>>168
 一応は脇道への御回答をわざわざありがとうございます。少し余裕がないので、コメントは余裕ができた時で御容赦ください。ただ1点、若干の不満を述べさせてもらいます。

> 私が何の本でそういう話を読んだのかは、今は思い出せません。これまでの読書履歴からアジモフかセーガンではないかと想像はするのですが、とにかく文献的根拠を挙げることは残念ながらできません。

 強制できることではありませんが、真剣に議論するつもりであれば、他の出典を調べる努力くらいは試みてほしいと望みます。別にKenさんが昔読んだ出典でなくても構わないわけで、要は、発言で示した記述の根拠を示していただきたいだけですから。

174diamonds8888x:2018/09/16(日) 16:31:50 ID:u4p17aRc
>>168
 もう1点、若干の不満です。

 昔の人と言っても19世紀以前に限っても長い歴史があり、各時代で人も思想も違います。「当時の人々の視点に立って」という見方が必要という事は互いに暗黙で了解していたと思いますが、異なる時代の人の視点を混同するのは拙いこともあるでしょう。天動説だって歴史的変遷をしているのですから。

 両説の歴史的変遷については「天動説と地動説-2 投稿者:diamonds8888x 投稿日:2018年 4月14日(土)08時13分29秒」[ttp://6609.teacup.com/natrom/bbs/19960]でまとめましたが、もう少し詳しくまとめておきましょうか? それとも、Kenさんの方でまとめてみますか? この歴史の中で、どの段階での話か特定しないと的外れになる場合もありますからね。

175Ken:2018/09/18(火) 22:50:22 ID:p8H3bDaI
diamonds8888xさんのお考えがようやく分かってきたように思います。

私は、実現はしていないが原理的には可能な検証とは、現状から具体的に予測しうること、とりわけ現存する技術の延長が可能にする検証と理解していました。例にも挙げましたが、すでに望遠鏡を知ってる人がさらなる高倍率の機種の出現を見通すとか、素粒子研究に粒子加速器を使う人がより大出力の加速器を予測するとかです。かつて半導体の集積度が2年ごとに2倍になる「ムーアの法則」が提唱されましたが、そこからどんなコンピュータがいつ現れるかを予測した人もいたでしょう。

しかし今回のdiamonds8888xさんの投稿を見ると、具体案がなくても漠然とした可能性があれば、原理的に可能と考えてよいという主張をしておられるようです。

なるほど空を飛んで惑星を観察しに行けばよいわけですか。もっともイカロスのように鳥の翼を人体に取り付けたら空を飛べると考える人は16世紀には(おそらくは古代ギリシャにも)いなかったと思いますが、一方で、13世紀にはロジャー・ベーコンが飛行機械を予言していますし、そんな機械の想像図を書いたレオナルド・ダ・ビンチはコペルニクスの同時代人でした。

そうであれば、コペルニクス時代の人は、空を飛ぶための現実的な具体案はなくても、不可能とはいえないと考えていたことはありうるでしょう。このような

〜できるかもしれないが、今のところ実現の具体案がない

状態を「原理的に可能」とみなすのなら、天動説・地動説の判別は該当するかもしれません。

エーテル風の検出も同じですね。マイケルソン以前の人たちは、どうすれば必要な精度で光速を測定できるのか具体案はなかったけれども、とにかく光速の測定をやっていたし、いずれは精度が上がることを期待してたでしょう。それをもって「原理的に可能」とみなすのなら、それは1つの見識だと思います。

ましてや、過去を観測することまで原理的に可能と考えるのなら、対象は非常に拡大するでしょう。超光速で移動するには、特殊相対論の否定すくなくとも修正が必要ですが、それができるかもしれないという立場をとるのですから。ブラックホールもしかり。内部を観測する具体案がまだないだけです。


さて「原理的に可能」の意味は分かりましたが、そうなると検証可能な仮説の範囲は一気に拡大し、世界5分前仮説すらも入るのではないでしょうか。

世界5分前仮説とは、世界は5分前に作られたが、そのずっと前から存在したように偽装されており、偽装は完璧で、世界のどこにも「真相」を暴く材料がない、という考えですね。でも、真相を暴く材料がないのは作られた世界の「中」だけを見るからで「外」を見れば真相が分かるかもしれません。

以前に紹介しましたが、実は世界5分前仮説と本質を同じくする理論があるのです。NASAの変な技術者が唱えたもので、この世はシミュレーションで、私たちはゲームのキャラクターというものです。そのようなゲームキャラが自分たちの世界の真相を知るには、シミュレーション世界の外を見ればよい。そこには「世界」を作ったプログラム、読み込んだデータベース、なによりもプログラムやデータベースを搭載したコンピュータがあるはずです。

世界5分前仮説も同様です。いかなる現象にも原因があるはずですから、5分前に世界を作った原因を世界の「外」に探せばよい。それは意思をもった「神」かもしれないし、意思をもたない自然現象かもしれません。

もちろん、どうすれば世界の「外」を探求できるのかという具体案はありませんが。

176ミケ:2018/09/19(水) 18:20:15 ID:hmI6xcyU
本当はdiamonds8888xさんもKenさんに自分でたどり着いてほしかったのだと思いますし
本来は1対1の場なので私が出てくるべきではないのですがあまりにもまどろっこしいので私が答えを言っちゃいます。
Kenさん返信は要りませんが理解の一助になれば幸いです。
科学哲学の文献を紹介されても読んでなさそうな当たり、そもそも理解するつもりがなさそうな気配もしますが。

まず、第一掲示板にも書きましたが、
地動説はその理論から、「年周視差」という予測をもたらしており、
ティコ・ブラーエは「年周視差が観測されなかった」ことを理由に天動説を支持しています。
これはすなわち、望遠鏡の発明を待たずとも地動説のもたらす予測を確かめること自体は可能であり、
その確かめた内容の正否はともかくも、その時点で既にその当時の技術で普通に反証可能だったということになります。

まあそれも些細なことでして、
一番重要なのは【地動説はその理論から、「年周視差」という予測をもたらしており】
という部分。

地動説は、きわめて具体的な理論の集合体ですから金星の満ち欠けに限らず、年周視差や惑星の航行などなど、
その理論にいろいろな仮定を代入して展開することでいろいろな予測をもたらすことができているわけす。

その仮説が具体的な理論の集合体であり、さまざまな仮定を代入してさまざまな予測をもたらす
(予測通りになるか確かめることが可能)という点。
これこそが原理的反証可能性の正体なのです。

「実現の具体案がない」と言っても
上記のように
「具体的な理論から予測を組み立てたものの、予測通りになるかどうかを技術的・能力的に確かめるのが困難なケース」

宗教さんがよく主張する一般的なID論やら世界5分前仮説のように
「何にも具体的な案がないけどなんとなく直接の現場を観測できるのを期待するケース」
とは異なります。

後者は、科学の世界では、原理的に反証不能とみなされます。
後者は、仮説そのものが具体性に欠けるがゆえに具体的な予測をもたらすことができず、
予測をもたらさないので予測通りになるか確かめようがなく
単に「何か直接見られたらいいな」と思ってるだけで具体的なプランを考え出せる見込みがありません。

一方前者であれば、なんらかの発想の転換で代入する仮定を変えてエレガントな予測を組み立て、
確かめることが可能な予測に仕立て上げることができる可能性はあります。
具体的であれば色々な角度から予測を組み立てることができるわけですね。
後者はどうでしょう?
世界の外に出たる以外にどんな予測を立てられますか?
発想を転換して恒星の年周視差や光行差のような予測をもたらすことができるでしょうか?

たとえば理系の教授は、
前者を修論・卒論のテーマとして学生が扱うことを(ダメ元で)認めるケースもあります。
しかし後者を研究テーマとして認めることはありません。

>>172で「IDの記録」をdiamonds8888xさんがすばらしいと評したこともこれと関係しており、
IDの正体を「記録(他者に伝えるための手段)を作る能力と意図を持つ」と仮説を立てれば、
その性質を逆手にとって利用した予測が可能となりえるので
「理論を科学的に検証可能なものに整え」られていきます。
いつ、どこで、どのような手段で干渉したかの仮説もあればさらに具体的な予測が可能になります。
あえて干渉させるような実験も組めるかもしれません。
ただし、その予測通りにならないのならばその仮説を捨てたり修正したりして
最終的にはID論じゃなくて単なる機械的な進化論に落ち着いてしまう可能性もあるわけですね。

たいていのID論者はKenさんも含め、否定されるのを恐れてか、
IDの性質も、IDがどのように鑑賞したのかも、具体的な仮説として整えようとはしません。
進化論を否定しようとするのみです。
そうすると当然、具体性に欠けるがゆえに具体的な予測をもたらすことができず、
したがって科学にならんわけですな。

というか、科学とは何ぞや、どうして(一般的な宗教系の)ID論が科学たりえないのか、ということを知るには
科学哲学の資料をKenさんが読むのが一番近道だと思うのですが
Kenさんがとりあげるのはdiamonds8888xさんの主張を否定できそうな過去の歴史のみ。

単に言い負かしたいだけなのではないのかと勘ぐってしまいますね。
ここでdiamonds8888xさん一人言い負かしたところで教科書に載らない現実は>>44のとおり変わらないのですけど。

177diamonds8888x:2018/09/23(日) 09:10:49 ID:M635kl2o
>>175 随分と極端に振れますね。[>>170,>>171]の世界五分前仮説と微妙な例との間には違いがあるから、わざわざ考察しているのですよ。そこは空気、ではなくて意図は論理的に読んでください。

 科学的方法を知っている多くの人は、その違いをいわば直観的に見分けて「世界五分前仮説は反証可能性なし」と判断します。ちょうどミケさんのコメント[>>176]のように。ただ直観的であるだけに、直観の働かない人にそれを言葉で表現するのは難しい。またこの直観の働く人が全人類の何割なのかはデータがない。てことで、直観の働かない人のサンプルであるKenさんとの議論は、私にとってはひとつの挑戦であるのです。

 でもね。自分が私やミケさんにはすんなり働く直観が、現時点では働かないということ、その直観が私たちの言う「科学的方法」と密接につながっていること、これは自覚してほしいです。そういう違いが彼我にあることを自覚せず、自分の過去のやり方だけに固執されると、なかなか理解してもらうのが難しそうですから。

 まあ、ミケさんの説明の「何にも具体的な案がないけどなんとなく直接の現場を観測できるのを期待するケース」と他の原理的には検証可能なケースの違いが理解できるなら、それでことはOKなんですが。いかがですか?


 さて、中間のケースをいくつか提唱されましたね。全部同じだとお考えのようですが、そうではありません。

>「外」を見れば真相が分かるかもしれません。

 世界五分前仮説は外というものは想定しません。また何者かが作ったとも想定していません。wikipediaのバートランド・ラッセルの「世界五分前仮説」は読みましたか? ゴスの「オムファロス」(へそ理論)の記事ではなくて。

 また仮に作った存在や「外」を想定したとしても、我々「内部の観測者」がそれを原理的に観測不可能であれば、我々にとっては反証不可能です。ここで原理的というのは例えば「世界五分前仮説」の理論上で原理的にという意味になります。【注意しますが】我々の科学は「内部の観測者」にとっての科学です。外部の目を持つことが原理的にゆるされない理論であれば、我々の科学は外部の目という手段は【原理的に】使えないのです。

 という視点で中間のケースをいくつか見てみましょう。違いを考察してみてください。もちろんそのフィクションの作者の設定、すなわち理論の設定によりますけど、まあ大まかに分けてみてということで。

・「この世はシミュレーションで、私たちはゲームのキャラクター」という理論に似た仮説は他にも知られています。主人公たちが実は本やテレビの登場人物だったとか、理由もわからず戦っていた自分たちが実はチェスの駒だったとか、フィクションでは色々知られています。

・似たように見える例には、体験していた世界が実は夢、というか脳内体験でしかなくて、実際の肉体は機械につながれていたとか、脳だけだったとかいうのもSFガジェットとしてはポピュラーです。映画「マトリックス」は名前くらいはKenさんも御存知かも知れません。

・現実のような夢の話は、例えば杜子春、邯鄲の夢(枕中記)、南柯記など大昔からありますね。これら昔の伝説ないし、それを元ネタにした近現代のフィクションでは、最終部までには夢から覚めることがほとんどです。まあ覚めなければ、それまでが夢だったとはわからないのですが。


 まあ、どの理論も現実の科学には使えませんけどね。その理由は、誰の視点かを基本に考えてみるといいですよ。


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 このところ時間が不足気味で、1週間ごとの対応も難しくなるかも知れません。その間に御自分で議論を読み直すなり、関連文献を読み直すなりしてお待ちください。

 それから私や他の人の紹介したものでお読みになったものがあれば、感想とまでは言いませんので「読んでみた」という報告くらいはお願いします。アシモフやセーガンの著書も昔のものですから、科学史上の事実の点だけでも古びている恐れは大きいです。以前に日本の教科書が変ったということを御紹介したとおり、歴史というのは近年の進歩がかなり大きい分野ですから。

 引用文献をきっちり示すのは困難なときもあるでしょうけど、「NASAの変な技術者」じゃなくて探せる情報くらいは付けてください。技術職でしょ。その辺は素人じゃないはずでしょ。レスをあと1日遅らせれば、それくらいできたはずでしょ。このコメントの例を御参考に。

178Ken:2018/09/23(日) 10:57:12 ID:.QxgUNGY
>>177

とりあえず2点についてお答えします。

>ただ直観的であるだけに、直観の働かない人にそれを言葉で表現するのは難しい。

私はむしろ直観(直感?)は、頭に浮かんでもできるだけ排除するように心がけるのですが。
もちろん直感したことを、あらためて論理的に導けるのなら話は別ですが。

今回はdiamonds8888xさんの基準に従うことで合意をしていますので、直観的な判断も用いるのだと言われれば受け入れようと努めてみますが、ただ

〜直観によってID論を疑似科学と判断する

と言われると、その先の話が続かないかもしれません。


>「NASAの変な技術者」じゃなくて探せる情報くらいは付けてください。

このことは>>141で紹介しているのですが。

>主張したのは「実績を上げているNASAの科学者」リチャード・テレルという人らしいのですが、この世がシミュレーションと考える根拠として量子論を持ち出しています。

あわせて動画も紹介しました。

youtu.be/3KH95YCSP_c
youtu.be/QZj1kYRT-fw

179diamonds8888x:2018/09/24(月) 10:38:45 ID:M635kl2o
>>178
 リチャード・テレルの件の確認はありがとうございました。でも、[>>175]の文だけで[>>141]を思い出せというのは、ちと酷ですよ。せめて141を参照として書いてあれば、わかったでしょうけど。


 直観という言葉は誤解されるかも知れないなあと思いながらも、うまい言葉が見つからなくて使いましたが、やっぱりそのまま受け取られちゃいましたね。直観とは言っても実体は論理的に説明可能なもので、それをなんとか表現しようとするのが私の試みでもあるのです。

 例えば数学やパズルの解は論理的に導けるものですが、それを思いつけるかどうか、また解答の説明を速く理解できるかどうかは人により違います。その能力をここでは「直観」と呼びました。よく使われる例は囲碁や将棋の達人が良い指し手を思いつく能力でしょうね。それは実は超能力でも超自然現象でもなくて、訓練でも身につく能力です。今回の例で言えば、世界5分前仮説と他の仮説との違いを見分ける能力です。Kenさんは、その違いに気が付かずに[>>175]のコメントを返したでしょう?

 なので個人的な語感では直感ではなく直観です。数学基礎論の直観主義数学の直観です。直観主義数学の直観にはたぶん、普通の人間なら見て理解できる事柄だけに基づくという意味が込められていると思います。

 他にも私の表現やジョークで戸惑うことがありましたら、おっしゃってください。コナン君の件でも戸惑わせましたしね。


 念を押しますが、直観的にはわからなくてもじっくり考えればわかるはずのことばかりです。「あらためて論理的に導ける」はずのことばかりです。

180diamonds8888x:2018/09/25(火) 06:21:51 ID:GgCZ2FfY
>>178
 [>>141]で御紹介の映像ではoral Englishだけで詳細がわかりにくいのですが、Kenさんは理解済みなのでしょうから、後述の点を参考に他の仮説との本質的違いを検討してみてください。それでも世界5分前仮説と「本質的に同じ」なのかどうか検討してみてください。

 デイスバリー・チャンネルの「モーガン・フリーマンが語る宇宙 S6」には「マトリックス」的世界の項目があり、テレビゲームの中の世界などとやや混同気味の紹介がありますが、これは違いますよね。他はS2,S3がありましたが、S1は見つけられませんでした。
ttp://documentary.wp.xdomain.jp/discovery/%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%82%AC%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%81%8C%E8%AA%9E%E3%82%8B%E5%AE%87%E5%AE%99-s6/

 理論物理学からのまじめな話とすれば、ホログラフィック原理ないしホログラフィック宇宙の理論からの延長かとも思うのですが、テレル氏はその点には触れていたでしょうか? [例えばwikipediaの該当記事参照のこと]

 で、その仮説のポイントですが。

・実際のフィクション内の登場者は自由意志もなく実在さえしていないが、そこまで同様なのか?
 (実在の定義とかややこしくなりそうなら、我々のテーマでは考慮に入れない方が無難です)
・内の世界と外の世界との関係をどう仮定しているのか?
 (仮定ではなく、理論の公理からの演繹になるかも知れないが)

 一応念押しですが、特に後者のポイントは[>>177]の重要な論点とほぼ同じことであることはおわかりですよね? 「重要さ」に関する直観が違うかも知れないですからね。


【追伸】本当に1-2ヶ月お相手できないかも知れませんので、ごゆっくり。単発レスはできるかも知れませんが、その際はやや読みにくくなるかも知れないのであしからず。

181Ken:2018/09/27(木) 01:48:38 ID:TNgqY3ko
>>179

>直観的にはわからなくてもじっくり考えればわかるはずのことばかりです。「あらためて論理的に導ける」はずのことばかりです。

それなら私としては直観は気にせず論理に集中し、あらためてエーテルの検出と世界5分前仮説を比較しますが、その前に質問があったテレル理論について説明をしておきます。

まず、世界5分前仮説と「本質的に同じ」なのかですが、この世界がコンピュータ・シミュレーションなら、プログラムがコンピュータで走った瞬間にこの世界ができたのであるし、私たちが世界は昔からあると信じるのは、そういう記憶をもつキャラクターとしてプログラムされたからだから、世界5分前仮説そのものでしょう。

テレルはホログラフィック原理の話はしていません。というより、すべてはシミュレーション中の仮想世界なのだから、そもそも物理的な存在を必要としません。

>>141で書いたようにテレル理論の根拠は、私たちが観測する量子力学の現象です。diamonds8888xさんには量子力学の初歩的な説明は不要かもしれませんが、念のために簡単な解説をしておきます。ただし私が>>141で「あほかいな」と感想を述べたように、テレル理論は私には強引なこじつけとしか思えません。

私たちがどんどん小さな物体を見てゆくと、やがてそれ以上小さなものを観測できない限界に達します。もっとも中学校の理科実験室にある光学顕微鏡が光の波長より小さなものを見れられないのは17世紀の波動理論から導けることですが、いくら波長の短い光やX線でもやがては量子的限界に達して、それ以上に小さいものを観測できません。これは何かを見るために光なり電子なりを対象に当てると、その光や電子自体が小さすぎる対象を蹴飛ばしてしまうからです。これが不確定性原理で、観測できる最小単位を「つぶ」のようなものと考えると、万物はそんな「つぶ」の集合体であります。

そしてそれがコンピュータ・プログラムと同じ点だとテレルは言います。コンピュータ画像には画素(ピクセル)というものがあり、画素よりも細かい単位で画像を作ることはできません。そこでテレル氏は、私たちの世界の最小構成要素である量子の「つぶ」は、実はコンピュータの画素であるというのです。

もう1つの量子論的な特徴として、粒子と波動の二重性があります。たとえば、金属を熱すると電子が飛び出し、その電子が近くのスクリーンに衝突する場合を考えます。電子を実際に観測できるのは金属から飛び出す時とスクリーンに衝突するときですが、その時の電子は完全な粒子なのです。

ところが電子の発生源とスクリーンの間に、ヤングが光の回折現象を発見したときと同じ、2つの穴があいた衝立をおくとします。この場合でもスクリーンに着弾する電子は完全な粒子なのですが、スクリーンのどの場所にどういう頻度で着弾するかを記録すると、なんと波と同じ干渉縞を描くのです。「ファインマン物理学」に図が載っています。

www.feynmanlectures.caltech.edu/I_37.html#Ch37-F3

空間移動中の電子は見えませんが、干渉縞を描くということは、電子は波となって2つの穴を通過したとしか思えません。そこでさらなる実験として、移動中の電子を見るために、その通り道に光源を置き、電子が通過したときに発光現象を起こさせます。するとたしかに移動中の電子を確認できるのですが、なんとスクリーンに干渉縞が出なくなるのです。

www.feynmanlectures.caltech.edu/I_37.html#Ch37-F4

結局、観測されない電子は波のように広がっているが、観測された途端に粒子としての実体を得るということです。観測されないときには実体が見えないのではなく実体がないのです。これが粒子と波動の二重性という、電子に限らないあらゆる量子の一大特徴にほかなりません。

さてコンピュータのゲームに登場するいろいろな物はどうでしょうか。たとえばゲームにアリスとボブという2人のキャラクターが登場し、ゲームプレーヤーは最初アリスを画面に出してゲームを進行させていたのが、ある時点でキャラクターをボブに切り替えたとします。すると画面からアリスが消えてボブが現れますが、ゲームの中の「ストーリー」としてはアリスの物語も続いています。しかしプログラムの中のアリスのサブルーチンやデータは、最新状態を保存してからメモリから消えるでしょう。一方、それまでメモリに存在しなかったボブのデータはこの時に存在を開始するわけです。

つまり、ボブを見るというゲームプレーヤーの行動がボブの実体そのものを出現させ、見るのをやめたアリスは存在自体が消えるのです。これが上記の電子の粒子的実体と同じであり、私たちの世界とコンピュータ・シミュレーションの世界の共通点とされています。

いかがですか?
実にアホなこじつけ理論と私には思えるのですが。

ただし、技術者としてのリチャード・テレル氏は、私(Ken)とは桁違いの優れた業績を上げているようなのですが。

182Ken:2018/09/29(土) 19:14:39 ID:2DANJ6sI
さて「原理的に検証可能」とは具体的にどんな状態を表すのか再度考察します。これまで主に地動説を題材にしてきましたが、空を飛んで惑星を観察に行けると認識されていたということなので、今回はエーテルを例にとります。エーテルはいつ原理的に検証可能になったのでしょうか?

エーテルの検証方法としては、観測者が空間を(つまりエーテル中を)動くことで光の速度の観測値が影響されるかを見ればよい。そして地球は宇宙空間を秒速30キロで動くので、その数値以内の誤差で光速度を測定できればよいわけです。これに成功したのが1887年のマイケルソンとモーリーですが、彼等の測定方法はそれまでの技術の延長ではなく新しい発想に基づくものでした。よってエーテルの存在検証は、光波動説の登場から2世紀後に可能になったと私は考えたわけです。もしもその前から検証可能だったというのであれば、歴史上のどの時点で可能になったのかを考えねばなりません。そこで光速測定の歴史をまとめてみます。

その前に、光波動説がいつ現れたかですが、以前にdiamonds8888xさんが紹介された資料では1665年となっています。

さて光速測定の試みの第1号はガリレオです。おそらく17世紀の前半でしょう。ある夜、彼と助手は開閉式のランタンをもって2つの山の山頂に登りました。まずガリレオがランタンの蓋を開き、数キロ離れた助手はガリレオからの光を見たら自分の蓋を開きます。助手からの光を見たガリレオが自分が蓋を開けた時間との差を記録し、2つの山頂の距離を時間差で割れば光の速度が分かるはずでしたが、光速が予測より大きすぎてこの方法ではまったく精度が得られませんでした。

次は1676年のレーマーです。木星の衛星を観察していた彼は、衛星が木星に隠れる現象が予想より早くなったり遅くなったりすることに気付きました。彼は、これは予測が間違っているのではなく、地球から木星までの距離が大きく変動するので、衛星の光景が地球に届く所要時間が変わるのだと考え、距離の差を時間差で割った結果、光速を秒速211,000キロ程度と算出しました。

次は1728年のブラッドレーです。星の観測位置が1年周期で変わり、ある時点と半年後でその差が最大になることを見つけた彼は、これは雨の降る中を早足で歩くと雨が前から顔に当たるのと同じ原理で、星からの光を横切る形で地球が動くことで星からの光に角度がつくのだと考えました。その角度から地球の公転速度と光速の比を求め、光速を秒速282,000キロと結論しました。

19世紀になるとかつてのガリレオの方法がより高い精度で再現されました。1849年にフィゾーは地上の離れた地点に向けて光を送りましたが、そこに人間ではなく鏡を置いて反射させ、また時間測定には高速回転する歯車を用いたのです。歯車の歯の隙間から光を送り出し反射光が次の隙間を通るように歯車の回転速度を調節しました。フィゾーが測定した光速は秒速314,000キロでした。

その1年後にフーコーがフィゾーの測定法を改善しました。歯車の代わりに回転する鏡を用いたのです。光を回転鏡に当てて遠くの反射鏡へ送り、帰ってきた光を同じ回転鏡で受ける。その間に回転鏡の角度がどれだけ変わったかで時間を計るわけです。光速は秒速296,000キロと出ました。

そして1887年にマイケルソンとモーリーがそれまでの方法とはまったく異なる原理の干渉計を用いて出した結果が秒速298,034キロです。実際の数値298,052と秒速18キロしか違わないだけでなく、フーコーまでの測定が秒速1000キロ単位の有効数字しかなかったのが、秒速1キロ単位の精度で再現性を得られました。はじめて秒速30キロという地球の速度の影響を検出できたのです。

さて、以上のような光速測定史の中で、地球の速度の影響を検出し、エーテルの存在を検証することが原理的に可能になったのはいつの時点なのでしょうか?

私は干渉計利用という具体案を思いついたマイケルソンたちの時と考えましたが、フィゾーたちの段階でも原理的には可能だったと考えるべきなのでしょうか? もしくは、はじめて具体的な数値を出したレーマーのときですか? いや、光の速度を計ることを思いついたガリレオの時点でそうだったのでしょうか?

それによって、光波動説が媒質の存在を原理的にも検証できない時期がどれだけ続いたかが変わります。ガリレオの時点で検証可能だったのなら、そういう時期はなかったことになります。

183diamonds8888x:2018/09/30(日) 14:50:51 ID:hb17MjWk
>>181
 Kenさんの理解している通りであるなら、テレル理論は根拠からの必然ではなく単なる連想からの思いつきにしか見えませんね。

 観測できる最小単位を「つぶ」というのは、本当に空間的距離のことなら「プランク長」と呼ばれているものです。時間軸でも「プランク時間」と呼ばれているものもあります。確かにそれは画素(ピクセル)と似ていますが、だからってテレル理論が誘導されるはずがありません。同じ数学で記述できることはあるかも知れませんが、単にそれだけ。

 次に述べられた二重スリット実験は量子論ではよく知られた話ですが、それがテレル氏の言う共通点になるようには見えません。

>ボブを見るというゲームプレーヤーの行動がボブの実体そのものを出現させ、見るのをやめたアリスは存在自体が消えるのです。これが上記の電子の粒子的実体と同じであり、私たちの世界とコンピュータ・シミュレーションの世界の共通点とされています。

 電子は別に消えてはいなくて、見えているときは粒子だが見えていないときは粒子の状態ではない、ということです。存在は消えませんよ。


 まあ根拠の話はともかくとして、テレル理論と世界分前仮説との本質的な違いのポイントです。テレル理論はプログラマーという外部の存在を想定しているようですので、ポイントは内部の観測者が外部のプログラマーを観測することが、原理的には可能であるか否かです。そこが理論上で、どう仮定されているのか、がポイントです。


【補足】
 電子の二重スリット実験は、アハラノフ=ボーム効果を実験的に検証した外村彰も追試していますね。捜してみてください。光についてはもっと前から色々やられてますね。

 モーガン・フリーマンのシリーズは怪しい理論もセンセーショナルに取り上げているように見えますね。タイトルだけですがID論みたいな話まで取り上げているようにも見えますし。なんて理由の評価はKenさんには不本意かな(^_^)

184diamonds8888x:2018/09/30(日) 14:52:24 ID:hb17MjWk
>>182
>いや、光の速度を計ることを思いついたガリレオの時点でそうだったのでしょうか?

 そうです。それどころか、それ以前に「光に速度がある」と想定した時点で原理的には検証可能です。どれだけ速い速度がどれだけの精度で測定できるかというのは、単に技術的な問題に過ぎません。だって光以外のものの速度というのは測定できていたのですから。

185Ken:2018/09/30(日) 22:49:37 ID:OnzR6jjU
それではエーテルはひとまずおいて次に世界5分前仮説の話をしますが、その前に、本日発見したことを。

今、NHKオン・デマンドで、2001年に放映されたNHKスペシャル「宇宙 未知への大紀行」シリーズを視聴していますが、その第2回「地球外生命を探せ」にリチャード・テレル(NHKは「ティレル」と表記)が登場しました。「Through the Wormhole」は2010年だからその9年前です。

ティレル博士は、木星の惑星エウロパに探査機を送りエウロパの地下水脈に生物を探そうというプロジェクトのリーダーだったようです。今から17年前ですが、その後エウロパに探査機が送られた話は聞かないので、計画倒れだったのでしょう。ただし、技術と予算のどちらに問題があったのかは分かりませんが。

そういえば日本も十年以上前に木星探査機を計画してたような。

186Ken:2018/10/06(土) 09:29:01 ID:z1rRSfY6
世界5分前仮説が原理的に検証可能であるのかを考察します。

そのためには「外の世界」の存在が問題になるでしょう。私たちの世界がある種の偽装意図をもって作られたのなら、作成者は私たちの世界の外にいるはずです。その作成者が意思をもつ「神」なのか、それとも自然現象なのかは分かりませんが、何者(何物)であれ、自分自身を作ることはできないという前提に立つなら、それは外の世界に存在するはずです。ティレル理論のプログラマーのように。

次に、外の世界の存在を検証するために、まずは私たちの世界の全体像を明らかにすることを考えます。とりわけ、特定の物理量に注目して、宇宙の総量を評価することがキーになるでしょう。

物理量の宇宙的総量というと、よく語られるのが質量でしょう。宇宙全体の質量を直接観測はできませんが、観測できる部分から推定し、たとえば宇宙の膨張速度が今後どう変わるのかという考察は昔から行われてきました。

では、質量の代わりにエネルギーに注目してはどうでしょうか。質量よりは難しいかもしれませんが、特定領域(例えばエンジンのシリンダー内)のエネルギーやその変化を評価することは日常的に行われていますし、対象領域を拡大するのだと考えれば、原理的には、宇宙全体のエネルギー量は推定可能でしょう。

>>184
>「光に速度がある」と想定した時点で原理的には検証可能です。(中略)光以外のものの速度というのは測定できていたのですから。

このロジックを適用するなら「宇宙にエネルギー総量がある」と想定した時点で原理的に検証可能です。エンジンをはじめ多くの対象で実際に評価しているのですから。

さて宇宙全体を評価した結果、もし

*宇宙の内部エネルギー量が変化している
*宇宙のエントロピーが減少している

という結論が得られたとします。その場合2通りの解釈が可能でしょう。

1つは19世紀以来の熱力学の法則が間違っていたというものです。もう1つは、

〜私たちの世界は閉鎖系ではない

というものです。「外の世界」というものがあり「内の世界」との間でエネルギーの出入りがあるのなら、内の世界でエントロピーが減少することはありえます。

もう1つ重要なことは、エネルギーが入ってくるなら情報もまた伝達可能ということです。
それなら、私たちの世界が5分以上前には存在しなかったという情報を、外の世界から受け取るのは原理的に可能ではないでしょうか?


***
宇宙全体のエネルギー状態を評価するといいましたが、考えてみれば、もっと小さな領域で、それこそエンジン内部の評価でもよいかもしれません。その領域が外部と断熱状態にあるのに内部エネルギーの変化が観測されたら、結局は同じことですから。

187ゲジゲジ:2018/10/07(日) 10:38:02 ID:ZggByl5o
ヨコからですがdiamonds8888xさまが暫く書き込みできない、との事なので・・・

少しずつ「核心」に近付いているようですが、あと一歩のところで横に逸れてしまっているような、そんな印象を得ます。

Kenさまが>>186で考察されているのは、言わば「Kenさま版・世界5分前仮説」であって、議論の題材にしている「世界5分前仮説」とは異なるのではないでしょうか?

 >そのためには「外の世界」の存在が問題になるでしょう。
>>176でdiamonds8888xさまが
 >世界五分前仮説は外というものは想定しません。また何者かが作ったとも想定していません。
とおっしゃっていますよ。
「外の世界」の存在を問題として想定した時点で、それはもう「世界5分前仮説」の考察ではなくなっています。

恐らく「Kenさま版・世界5分前仮説」は検証の可能性があるし、正当な科学理論になり得ると思います。
>>186の考察に加えて、もし本当に世界が5分前に作られたとしたら、「外の世界」からどの様な情報が届くのか、あるいは本当は世界が150億年ほど前のビッグバンによって作られたとしたら、「外の世界」からどの様な情報が届くのか、その点を考察して仮説を立てれば、検証の可能性は出てきますよね。

しかし本来の「世界5分前仮説」は検証できないと思います。



ついでに加えると・・・

>>181でKenさまはテレル理論を
 >世界5分前仮説そのものでしょう。
と判定されていますが、
>>183でdiamonds8888xさまが
 >ポイントは内部の観測者が外部のプログラマーを観測することが、原理的には可能であるか否かです。
 >そこが理論上で、どう仮定されているのか、がポイントです。
とおっしゃっていますね。
つまりテレル理論で上記の点がどの様に仮定されているのかによって、テレル理論は「世界5分前仮説」とは本質的に異なる理論、という事になり得ます。



更についでに加えると・・・
 >>166
 >IDの観測可能な痕跡として私が真っ先に思い浮かべるのは、進化に干渉した存在が残した記録です。
 >>172
 >素晴らしい。(略)
 >そのようにIDの性質を規定することが、「理論を科学的に検証可能なものに整える」ということになるのです。

つまり>>166で述べられている「Kenさま版・ID論」は検証の可能性があり得るし、正当な科学理論になり得そうです。

しかし、例えばKenさまが第一掲示板の
 ttps://6609.teacup.com/natrom/bbs/18169で述べられているように
 >ID仮説を提唱する理由は、自然選択では説明できない進化があるという、それしか今はないのです。
では検証できないし、正当な科学とは認められません。

まぁ、この点は
 >>>56
 >基準02. 理論Aと対立する理論Bを否定しても理論Aの検証にはあまりならない。
 >   *)検証になる特殊な場合はある。
 >   *)理論Aの確からしさが向上する場合や向上の程度は、場合によるので複雑。
も絡んできますし、後でID論自体を議論のテーブルに上げた段階でじっくり考察されれば良いと思いますが。

188ゲジゲジ:2018/10/07(日) 22:03:08 ID:ZggByl5o
>>187
すみません。リンク先に間違いがありました。


(誤)
 >そのためには「外の世界」の存在が問題になるでしょう。
>>176でdiamonds8888xさまが
 >世界五分前仮説は外というものは想定しません。また何者かが作ったとも想定していません。
とおっしゃっていますよ。

(正)
 >そのためには「外の世界」の存在が問題になるでしょう。
>>177でdiamonds8888xさまが
 >世界五分前仮説は外というものは想定しません。また何者かが作ったとも想定していません。
とおっしゃっていますよ。

189diamonds8888x:2018/10/08(月) 13:48:22 ID:hb17MjWk
>>186
 ゲジゲジさんの説明[>>187]が的確なので、よく読んで参照してください。

 念のため[>>177]より
 >wikipediaのバートランド・ラッセルの「世界五分前仮説」は読みましたか?
 >ゴスの「オムファロス」(へそ理論)の記事ではなくて。


 なお、外を仮定した場合はおっしるとおり、【もし内外でエネルギーの出入りが可能なら】原理的に外の世界は観測可能です。そのことをいちいち例示して示す必要はありません。それは常識的な話ですから。
 もっとも宇宙が無限であれば、総量の増減を知ることは原理的に不可能です。なので実際的手段としては、有限領域の中でエネルギーの増減を調べ、さらにその領域からの出入りを調べて、勘定が合うかどうかを測定するのがいいでしょうね。

 では、ティリル理論などではエネルギーの出入りは原理的に可能なのですか? それがポイントだと言っています。

 実際に、作者の作るフィクション世界、プログラマーが作るソフトの世界、などと外の世界との間には、【実際のエネルギーの出入りはありません】。

 むろんフィクションの世界にもエネルギーはありますが、それは外の世界から見れば架空のエネルギーであって、出入りできるものではありません。

190diamonds8888x:2018/10/08(月) 13:49:32 ID:hb17MjWk
>>185
> それではエーテルはひとまずおいて次に世界5分前仮説の話をしますが、

 エーテル理論に関する私の説明がまだよく理解できないということですね?

191Ken:2018/10/08(月) 16:57:27 ID:mB5PLrWk
世界5分前仮説については>>56でウィキペディアの記事を紹介していただきました。

ja.wikipedia.org/wiki/世界五分前仮説

この記事を読む限りは、外の世界というものがなく内の世界だけで完結しているという記述はありません。これはウィキペディアの記事が不完全なのでしょうか?

>偽の記憶を植えつけられた状態で、5分前に世界が始まった
>世界が五分前にそっくりそのままの形で、すべての非実在の過去を住民が「覚えていた」状態で突然出現した

このような文章を読み、現実にそういうことが起こったという前提で最も合理的に解釈せよと求められたら、世界を作れる立場にいる者つまり世界の外にいる者が作ったと想像するのが自然ではないでしょうか?

>ティリル理論などではエネルギーの出入りは原理的に可能なのですか? それがポイントだと言っています。

エネルギーは1つの例です。
シミュレーション内の人工知能が、自分たちの世界が偽造されたものと気付くとしたら、一番可能性があるのはプログラマーのエラーではないかと思います。

例えば、ある場面では光の速度は秒速30万キロだったのに、別の場面では20万キロになっているようなケースです。

このようなことが繰り返されたら、自己判断能力をもつAIならおかしいと思い、やがて真相に至るかもしれません。


>エーテル理論に関する私の説明がまだよく理解できないということですね?

理解したつもりです。

もちろん私が正しいと考える「検証可能性」はdiamonds8888xさんとは異なりますから、光波動説が登場した時点でエーテルが検証可能だったとは思いません。

しかし、今はdiamonds8888xさんの基準に従うといっておりますし、その基準では、なるほどエーテルは検証可能だったという結論になると思います。

192Ken:2018/10/08(月) 17:05:53 ID:mB5PLrWk
リチャード・ティレルの理論について補足しておきます。私としても「アホなこじつけ」呼ばわりをした以上、できる限り正確に紹介しておかねば、ティレル氏への公正さを欠くでしょうから。

まず、ティレル自身は2重スリット実験の話はしていません。射出された電子がはるかに大きい対象(動画ではグラファイト)の状態をスクリーンに再現できるのは、ただの粒子ではなく広がりをもつ存在になっているから、とだけ述べています。それ以上の詳しい話は一般視聴者には伝わらないと考えたのかもしれません。私は、これは電子の粒子/波動の二重特性をいっているのだと思い、ファインマン物理学の説明を転載しました。それが2重スリット実験です。


ティレル理論の根幹は、量子が集まってこの世を構成するという事実から、この世が実はシミュレーションという理論を導くことですが、ティレル氏は、有限な大きさの構成単位が有限個集まってできた世界なら「計算可能」であると言っております。私はこれを以下のように理解しました。

たとえば、ここにある物体が存在します。物体内の位置を表すためx-y-z座標を設定し、位置(x,y,z)の密度をρ(x,y,z)とすると、物体の質量は

∫∫∫ρ(x,y,z)dzdydx

と表現できます。

さて、私にとっては遠い昔のことなので若干記憶が曖昧なのですが、高校や大学初年度の講義でこのような数式が現れたら、ρ(x,y,z)は積分公式から原始関数が求められるような関数であり、実際にそのようにして物体の質量は算出されるでしょう。この場合にはdx,dy,dzは限りなくゼロに近づくとして積分が行われます。限りなくゼロに近づくとは、もちろん量子よりも小さなサイズを想定します。高校数学で教わる微積分はそういうものです。(近年、カリキュラムが変わっていなければですが)

ところが、現実世界で遭遇する問題の多くは、積分公式で原始関数を求められるような簡単なものではありません。例えば木材の密度、地震時の建築物の振動、台風の中の空気の動きなどは、積分公式を使うには複雑すぎる関数になるのです。

それではこのような問題を技術者はどう扱うかというと「有限要素法」を用います。これは簡単にいえば、対象物を微小片の集合とみなし、各微小片内部では物理特性(密度、力、速度等)を単純な関数とみなし、全体像を計算し、全体像が現実の観測と一致するまで、条件を変えながら計算をくり返すものです。コンピュータの登場で可能になった手法であるのは、いうまでもありません。

重要なことは、有限要素法にあっては、上記のdx,dy,dzを限りなくゼロには近づけず、ある大きさで止めておきます。つまり微小片の体積dxdydz→0ではない特定の大きさをもつのです。それによって微小片の総数も有限なものになり、だからこそ全体が「計算可能」になります。

いいかえれば、現実世界をコンピュータがシミュレートするときは、小さいけれどもゼロではない大きさの微小片の集まりとみなします。それ以外の形では、コンピュータは現実世界を再現はできません。

そこで、リチャード・ティレル博士によると、私たちの世界が量子という微小片の集合になっているのは、そうでなければコンピュータが作れないからである、ということになります。この世が量子からできているべき必然的理由はほかにはみつからない、というわけです。


以上、動画で述べられた内容を私はこのように解釈しました。

193ゲジゲジ:2018/10/08(月) 19:25:39 ID:ZggByl5o
度々ヨコからですが「ありゃりゃ」という感じです。

 >>191

 >>偽の記憶を植えつけられた状態で、5分前に世界が始まった
 >>世界が五分前にそっくりそのままの形で、すべての非実在の過去を住民が「覚えていた」状態で突然出現した
 >このような文章を読み、現実にそういうことが起こったという前提で最も合理的に解釈せよと求められたら、
 >世界を作れる立場にいる者つまり世界の外にいる者が作ったと想像するのが自然ではないでしょうか?

ポイントはむしろその後ろ。
 >(略)という仮説に論理的不可能性はまったくない。
 >異なる時間に生じた出来事間には、いかなる論理的必然的な結びつきもない。
の部分だと思いますけれどね。


いま議論しているのは
 >>56
 >基準01. へそ理論(オムファロス)や世界五分前仮説のような形の理論は、科学的ではない。
 >(「反証可能性のない理論は」だと範囲が曖昧でしょうから)
つまり反証可能性ですよね。

ポイントは「検証できない」ではなくて「反証できない」のはずです。
 >>124
 >これは「どんな事実を持ってきても検証になってしまう」ということであり、
 >いわば「検証でき過ぎてしまう!」ということです。
世界5分前仮説は正確に言えば「検証できない」のではなく、「検証でき過ぎてしまう・反証できない」から正当な科学と認められないのですよ。
Kenさまには、この点がまだご理解頂けていないようですね。


ついでに申し上げると、
 >>187で指摘した
  ttps://6609.teacup.com/natrom/bbs/18169で述べられているように
 >ID仮説を提唱する理由は、自然選択では説明できない進化があるという、それしか今はないのです。
も正確に言えば「検証できない」ではなく「検証でき過ぎてしまう・反証できない」とするべきですね。

この理論の立て方だと「自然選択では説明できない進化」があったら、それは全てID仮説を肯定してしまう。
ID仮説を反証するには「自然選択で説明できない進化はない」事を証明しなければならず、それは「悪魔の証明」になってしまうので不可能です。
現実に「自然選択では説明できない進化」は観察されていますし。



 >もちろん私が正しいと考える「検証可能性」はdiamonds8888xさんとは異なりますから、
 >光波動説が登場した時点でエーテルが検証可能だったとは思いません。
diamonds8888xさまが仰っているのはdiamonds8888xさま個人の基準ではなくて、およそ科学に携わる者の共通認識とされている基準だ、という点はご理解ください。

そういえば、以前にこんな事を仰っていましたよね。
 >>62
 >「正しい科学の手法」というのは、どうすれば効率よく正解にいたれるという助言なのか。
 >たとえば野球の投手に、球威や制球を上げるため腕や背筋の角度を指導するようなものなのか。
 >それとも、科学に携わる者が従うべき規則なのか。
 >たとえば、ボールが手を離れるまで投手の足は投手板に着いていなければならないというようなものなのか。
 >前者なら、従う従わないは個人の自由ですが、後者なら自由ではありません。

私から言わせれば、野球にたとえるなら
「三振したらアウトだよ」
「スリーアウトでチェンジだよ」
というぐらいの感覚ですね。

「私が正しいと考える野球のルールはあなたとは異なりますから、三振してもアウトになるとは思いません」なんていう主張をしたら、誰からも相手にされなくなるだけですよ。

194ゲジゲジ:2018/10/11(木) 08:20:57 ID:hd/5J5zw
ヨコから連投ですが・・・

 >>191
 >この記事を読む限りは、外の世界というものがなく内の世界だけで完結しているという記述はありません。
 >これはウィキペディアの記事が不完全なのでしょうか?
世界5分前仮説はその理論構成において「外の世界」の存在を問題にしていないし、世界が内だけで完結しているか否かを問題にしていないのですよ。
つまり世界5分前仮説は理論の構成上、「外の世界」はあってもなくても関係ないし、世界が内だけで完結していてもしていなくても関係ないのです。
問題にしていないから、理論上関係がないから記述がないのです。


ふと思ったのですが、そもそもKenさまは「理論の内容」と「理論の構成」との区別が付いていないのではないでしょうか?

<理論の内容>
その理論が何を言っているか、まさにその理論が主張している内容

例)
世界5分前仮説
世界が五分前にそっくりそのままの形で、すべての非実在の過去を住民が「覚えていた」状態で突然出現した。

光波動説
光の本質は、何らかの媒質内を伝播する波動である。

ID論(Kenさま版)
生物の進化の少なくとも一部には知的生命(ID)が関与した。




<理論の構成>
その理論がどの様なロジックに基づいて、主張している内容を導き出しているか?

こちらは敢えて例は挙げませんが・・・

世界5分前仮説と>>186で述べられている「Kenさま版・世界5分前仮説」とは、理論の内容は同じですが理論の構成が異なります。

テレル理論は、理論の内容は世界5分前仮説とよく似ていますが、理論の構成はどうでしょう?

Kenさまが第一掲示板の
ttps://6609.teacup.com/natrom/bbs/18169 で述べられているID論と、
>>166 で述べられているID論とは
理論の内容はもちろん同じですが、理論の構成は異なっています。


そして今、「反証可能性」においてポイントになってくるのは、この理論の構成の方です。
すなわち、その理論が原理的に反証可能なロジックで組み立てられているのかどうか、が問題なのです。

195diamonds8888x:2018/10/13(土) 10:11:40 ID:XEaYMQYM
>>191
>この記事を読む限りは、外の世界というものがなく内の世界だけで完結しているという記述はありません。

 外の世界があるという記述もないでしょう? あとはゲジゲジさんのコメント[>>193]を参照してください。

>偽の記憶を植えつけられた状態で、5分前に世界が始まった

 これはラッセルの言葉ではなくwiki記事の記載者の言葉です。Kenさんみたいな誤解を想定しなかったのは不注意とも言えますけど、本人は単に受動態表現をしただけだと思いますよ。

>世界が五分前にそっくりそのままの形で、すべての非実在の過去を住民が「覚えていた」状態で突然出現した

 この文章からは「世界の外にいる者が作った」という説明の必要性はでてきません。それを言ったら「ビックバンで宇宙が始まった」という理論には、「ビックバンを起こした外部の者」が必要なんですか? 必要ありません。

>最も合理的に解釈せよと求められたら

 合理的とは何を根拠にする合理的ですか?
 言い換えれば、このときにKenさんが仮定している公理系はどのようなものですか?
 世界五分前仮説による理論構成に、他の理論の公理系を持って来てもだめですよ。


 確かにゲジゲジさんの言う「理論の内容」と「理論の構成」との区別という視点は新鮮ですが妥当なものに思えます。ちょっと私には思いつきませんでした。

196diamonds8888x:2018/10/13(土) 10:13:55 ID:XEaYMQYM
>>192
 ティレル理論の詳しい紹介をありがとうございました。お話を伺う限り、内容は不明ですね。
 「この世が実はシミュレーション」というのは、いわばわかりやすく説明するための比喩のように思えますが、その場合は現実のシミュレーションとティレル理論の実体とには共通点もあるが違った点もあるのが普通です。で、共通点が何で違った点が何かが全くわかりませんね。

>ティレル氏は、有限な大きさの構成単位が有限個集まってできた世界なら「計算可能」であると言っております。

 それはかなり確実に言えそうなことです。「ラプラスの魔」の世界観ですよね。この世界観だと自由意志が否定されるので、いわゆる自由意志の存在問題で昔から議論に登っています。でまあ、不確定性理論からはラプラスの魔にも完全な計算は不可能であることがわかる、という人達もいます。

 ただね。内部の存在が外部のラプラスの魔に干渉できたり、その存在を知ることができたりしたら、完全な計算ができなくなるはずなのですけどね。

 まあ内容の不明な理論に、これ以上あれこれ想像でものを言っても時間の無駄でしょう。


>一番可能性があるのはプログラマーのエラーではないかと思います。

 科学的法則や論理から見て不可解な現象が観測されるという意味でよろしいでしょうか?
 第1に、その法則や論理の根拠は内部世界の経験から得られたものです。Kenさんの思うものとは全く異なるかも知れませんよ。
 第2に、科学で説明できなさそうな現象の観測と思えるものは現実世界でもいくらでもあるでしょう? それで外部の世界が証明できますか?
 第3に、シミュレーションとの共通点が「全てをプログラマーが設定している」というものならば、内部の知生体(AI含む)の思考内容もプログラマーが設定しています。

197Ken:2018/10/16(火) 23:03:50 ID:c.qcr.Ug
まず、この部分ですが、

>シミュレーションとの共通点が「全てをプログラマーが設定している」というものならば、内部の知生体(AI含む)の思考内容もプログラマーが設定しています。

これはどうでしょうか。

私は最新の人工知能を体系的に学んだことがありませんが、ニュースや特集番組を見るだけでも、いまのAIはプログラマの意図を超えて成長すると理解しています。例えば、人間の名人を負かす囲碁や将棋のAIが何を考えて次の手を打つのかは、プログラム作成者にも分からない。要するに作成者は囲碁や将棋の技術ではなく学習のやり方をプログラムし、AIに自己進化をさせるわけで、進化したAIの思考内容は制御していません。すこし前に、AIが「ヒトラーは正しかった」と主張したニュースをご覧になりませんでしたか? あれだってヒトラーを正当化するプログラムが書かれたのではありません。AIが独力で結論に至ったのです。

>科学で説明できなさそうな現象の観測と思えるものは現実世界でもいくらでもあるでしょう? それで外部の世界が証明できますか?

完全な証明はできませんが、光の速度よりもよい例を思いついたので、これで問題提議をさせてください。シミュレーション世界での次のような事態を想定した思考実験です。

あるとき庭でつむじ風が起こり、木の葉が直径1メートルの円を描いて回っていました。そのつむじ風の空気の動きを仔細に調べると、驚いたことに1辺が1センチの小領域に分かれており、各小領域内では気流のベクトルが完全に一様であることが分かりました。

同じころ海上で台風が発生しました。暴風圏だけで直径100キロに達するのですが、気流を観測すると1辺が100メートルの小領域に分かれ、これまた各領域内では気流が一様なのです。例えばある領域内には南向きで強さ30メートルの風しかなく、隣の領域には南南東35メートルの風しかありません。そして境界線ではいきなりベクトルが変わります。カーブを描くのではなく折れ線で変わるのです。

この世界の力学理論が私たちのものと同じなら、こんな事象を説明はできないでしょう。しかし、この世界に気流を研究する人物(実はAI)がいれば、これは自分がやっているシミュレーションと同じではないかと気がつくことが考えられます。

直径1mの旋風は1センチ大の要素群で近似し、100キロの台風なら有限要素の大きさを100mにする。台風を1センチの要素で近似しても理論的に間違ってはいませんが、計算量が膨大になるだけで計算精度はほとんど向上しません。まともな技術者ならシミュレーション対象ごとに最適な大きさの有限要素を設定するはずです。するとつむじ風と台風に大きさの異なる一様領域があるのは、世界がシミュレーションであることを示すのではないのか???

たしかにこの観測事実だけでは、世界がシミュレーションでプログラマが外の世界にいることを証明はできません。そのような気流状態を作る物理法則が実はあるかもしれないのですから。しかし、自分でもシミュレーションをやるAIが、それとの類似から世界自体がシミュレーションではと考えることは、根拠のない空想と見なすべきなのでしょうか? 同様の事象が他にも観察されたら、疑いは確信になるのではないですか。

シミュレーション世界のAIが「真相」を見つけるのは、原理的に可能なのではありませんか?


>外の世界があるという記述もないでしょう?
>この文章からは「世界の外にいる者が作った」という説明の必要性はでてきません。

「必要性」というと言いすぎでしょう。

でも、世界が実は5分前にできたのに全員がずっと昔からの記憶を持っている、という前提にたつなら、何者かの意図が働いた偽装が行われたと考えるのは、私には自然な想像と思えるのですが。そして何者であれ「自分自身をつくることはできない」という、これまた自然な発想をすれば、偽装世界を作った者は外の世界にいると考えてもよいのではありませんか? たとば時代劇を撮影するのに江戸の町をセットで作るのと同じです。外の世界を仮定せずに、そのような仮説の具体化ができるでしょうか。

以上の理由により、外の世界を仮定する方が、仮定しないよりも、世界5分前仮説の合理的な解釈であると私は考えます。

この件の本題は、世界5分前仮説が原理的に検証可能であるか、というものでした。その場合、外の世界があるのとないのと2つの可能性があり、私は、外の世界がある場合の検証シナリオを提示しました。これだけでは、世界5分前仮説が検証可能ということはできませんか? 外の世界がない場合の検証可能性もそろわねば、だめでしょうか。

198Ken:2018/10/16(火) 23:13:56 ID:c.qcr.Ug
diamonds8888xさんに確認をさせてください。

私たちが、科学と疑似科学の判別を議論するのに、私は1対1で行なうことを希望し、diamonds8888xさんの了承を得て、第3掲示板に移ってきました。
この合意は今でも有効と考えてよいのでしょうか?

あるいはdiamonds8888xさんには不本意な合意だったかもしれません。
公開掲示板の最大の利点は衆知を集めることなのに、わざわざ発言者の数を制限するのですから。
私自身もいろいろな掲示板で参加者多数の議論をやってきましたし、これからもやるでしょう。

ただ、今回に限り、複数の方を相手にすることは、少なくとも私にはできないと考えました。

私が見るところ、この種の議論(diamonds8888xさんがいわれる「メタ科学」)は、とにかく抽象性が強いように思われます。「理論」と「事実」で問題になったように、言葉の定義からやってゆかねばならないのは、私には、ほとんど経験したことがない世界なのです。その状況で複数の方を相手にすると、衆知のメリットよりも、論点の拡散が混乱を生じるリスクが大きいと考え、1対1をお願いしました。

これが最善の形なのかは私にも自信がありません。しかし、とにかく合意を得て1対1の議論を進めてきたのです。

そうはいっても万人の目に触れる公開掲示板ですから、第三者の発言を封じることはできません。そもそも1対1でやろうというのは私たち2人の合意ですから、合意に関わっていない人が、一般的な掲示板のルールに則って発言することを責めるいわれもありません。

ただ、それはそれとして、他の人の発言を読むことを、diamonds8888xさんご自身が私に求められるのは、当初の合意から逸脱していませんでしょうか?

もし私が第三者の投稿を読み、理解できない、あるいは同意できない点があれば、diamonds8888xさんに尋ねるのですか? それとも投稿者に尋ねるのでしょうか?

常識で考えれば、投稿者がいるのだから、その人に尋ねるべきでしょう。でもその方に尋ねれば回答がくるでしょうし、それで納得がゆかねばさらに尋ねるでしょう。その応酬をしているうちに、さらに別の方から発言があることも予想されます。こうなると、1対1のはずだったのが、"なし崩し"的に1対多になってしまいます。

他の方の投稿にdiamonds8888xさんが有用と判断されるものがあるのなら、それをご自身の言葉で語っていただけませんか。それが面倒なら使える部分を貼り付け、ご自身の投稿の一部とされてはいかがでしょうか。それならdiamonds8888xさんには同じことでしょう。一方、私にとっては1対1の形を維持できるので助かります。

最近時間がとれないということなので、流用できる投稿は流用したいと思われることは分かりますが、それなら投稿の間隔を開けられたらよいと思います。もしも1〜2ヶ月も投稿ができないのなら1〜2ヶ月待ちます。

以上、ご検討ください。

199ゲジゲジ:2018/10/20(土) 22:53:27 ID:Ml9s0N7Q
度々ヨコから・・・というより、今回は私の投稿について言われているようなのでナナメ(?)から・・・


 >>198
 >もし私が第三者の投稿を読み、理解できない、あるいは同意できない点があれば、diamonds8888xさんに尋ねるのですか?
 >それとも投稿者に尋ねるのでしょうか?
diamonds8888xさまがどの様に判断され、どの様な回答をされるのか分かりませんが、私としては、少なくともdiamonds8888xさまがKenさまに読む事を勧めた私の投稿について疑問や反論があれば、diamonds8888xさまに尋ねて頂くのが良いかと思います。
勿論diamonds8888xさまに質問されても、diamonds8888xさまが多忙で答えられないようであれば、私がヨコから回答する事もあると思います。でもそれはそれとして参考として読んでおいて頂いて、後でdiamonds8888xさまに質問されても良いでしょう。

言ってみれば、参考書籍とか他のサイトを勧められてご覧になったのと同じように考えて頂ければ良いのではないでしょうか?
私もお2人の議論である事は承知の上、Kenさまから自分へのコメントが返って来る事は期待せずに書き込んでいますから。


さて折角の機会なので、どうして私がお2人の議論である事を承知の上で度々ヨコからコメントするのか、理由を述べさせて頂きます。

率直に申し上げて、私はお2人の議論が早く終わってほしいと思っています(理由はすぐ後で述べます。)。
但し消化不良のまま「打ち切り」のような形で終わるのではなく、きちんとお2人がどちらも納得のいく「結論」に達して終わってほしいと思っています。
ですから傍から見ていて議論が何だかあらぬ方向に行ってしまいそうに見えた時や、議論が同じ所をぐるぐる回っているように見えた時は、少しでも議論を進める参考にして頂ければと思ってヨコからコメントさせて頂いています。


さてさて、私がお2人の議論が早く終わってほしい理由ですが・・・

まず経緯から振り返ってみますと、Kenさまが約6年ぶりに第一掲示板にコメントされたのが昨年12月でした。
//6609.teacup.com/natrom/bbs/17995 じつに久しぶり 投稿者:Ken 投稿日:2017年12月21日(木)20時13分11秒

その後、何人かとやり取りされていましたが、私がKenさまのID論に対してコメントしたのがこちらです。
//6609.teacup.com/natrom/bbs/18023 科学とはなにか? 投稿者:ゲジゲジ 投稿日:2017年12月23日(土)17時16分34秒

その後も他の方も含めてやり取りしています。そしてdiamonds8888xの最初のコメントがこちら。
//6609.teacup.com/natrom/bbs/18079 Kenさん、初めまして 投稿者:diamonds8888x 投稿日:2017年12月29日(金)06時14分48秒

そしてここから、お2人の議論が始まります。年が明けてから私がコメントしましたが・・・
//6609.teacup.com/natrom/bbs/18168 Ken様のID論が疑似科学である理由 投稿者:ゲジゲジ 投稿日:2018年 1月 2日(火)21時42分24秒

Kenさまからdiamonds8888xさまとの議論を優先したいとの事でお返事を頂けませんでした。
//6609.teacup.com/natrom/bbs/18169 ゲジゲジ様 投稿者:Ken 投稿日:2018年 1月 2日(火)23時28分9秒

これ以降、Kenさまは一時的に他の方(Misoさま)との議論をされていますが、基本的にdiamonds8888xさまとお2人の議論に集中されています。そしてミケさまに勧められてこちらの第3掲示板に移動されました。


つまりdiamonds8888xさまよりも私の方が先にKenさまと議論していたのですよ。
とはいえ、Kenさまが議論を継続する相手としてdiamonds8888xさまを選ばれた事に文句を付けるわけではありません。
Kenさまには議論する相手を選ぶ権利はあるし、それに仮にKenさまと私と2人で議論したとして、ここまで深い議論ができたとは思えません。
ヨコからエラそうにコメントしていますが、私自身がdiamonds8888xさまとKenさまとのやり取りを拝見していて気付いた内容がほとんどです。

しかし私としては、やはり1月2日の投稿に対してKenさまからのお返事がほしいし、ID論の議論に進んだ時には是非とも参加させて頂きたいと思って、お2人の今のやり取りが終わるのをずっと待っているのですよ。
ですから最初に申し上げたように、議論が横道に逸れそうになった時や停滞しているような時にはヨコから口出ししてしまう次第です。

但し頓珍漢な口出しをすれば却って議論を混乱させてしまうのですが、少なくともdiamonds8888xさまからは好意的な反応を頂いていますので、そこそこ有効な口出しになっているのではないかと自負しております。

200diamonds8888x:2018/10/21(日) 10:56:21 ID:XEaYMQYM
>>198

>ただ、それはそれとして、他の人の発言を読むことを、diamonds8888xさんご自身が私に求められるのは、当初の合意から逸脱していませんでしょうか?

 私が読むことを勧めるのは、私が紹介したり示したりしている参考情報と同じく、kenさんが理解するために有用な情報だと思うからです。また、私の説明ではわからないことでも、他の人による違った視点や表現での説明ではっと理解できることもあるかも知れないからです。私の説明がKenさんにとって一番わかりやすいとは限らないでしょう?

 異なる教科書をいくつか読み比べたら、ある本で、はっと気づいた、なんてことはありませんか? だからこそ私も基礎的教科書の紹介でも複数紹介したのです。


>もし私が第三者の投稿を読み、理解できない、あるいは同意できない点があれば、diamonds8888xさんに尋ねるのですか? それとも投稿者に尋ねるのでしょうか?

 確かに1対1の形を崩すとやりにくいでしょうから私に質問してください。私も自分の考えを補強したり、別の形で表現したりしていると思うからこそ、読むことを勧めていますからね。もちろん、それは読めば共通点がわかるはずですけど。私の勧めた参考情報についても同様です。こちらは著者に訊くことは壁が高いでしょうから。

 そういえばミケさんの説明でわかったのかどうかも明確な答えはいただいていませんね? たぶんわからないか納得できないのでしょうけど、どの点がひっかかるのか答えてもらえはれば、私もまたKenさんの思考が理解しやすくなると思います。

 [>>177]まあ、ミケさんの説明の「何にも具体的な案がないけどなんとなく直接の現場を観測できるのを期待するケース」と他の原理的には検証可能なケースの違いが理解できるなら、それでことはOKなんですが。いかがですか?

 それと以前に紹介した科学哲学関係本で読み始めた本はありますか? そちらに目を通せば、また理解が開けるかも知れません。


【追伸】ケジゲジさんが初期に「投稿日:2017年12月23日(土)17時16分34秒[>>199」で紹介していたサイト「科学とは何か? 2:論理的では十分ではない」にも5分前仮説が載っていましたね。全能の神が作ったことにはなっていますが、むろん神はわかりやすく喩えただけで必須の要素ではありません。

201diamonds8888x:2018/10/21(日) 10:59:58 ID:XEaYMQYM
>>197

>外の世界がない場合の検証可能性もそろわねば、だめでしょうか。

 当然です。外の世界など仮定していないのですから。「必要ない」という表現は決して言い過ぎではなく、単なる事実です。

>以上の理由により、外の世界を仮定する方が、仮定しないよりも、世界5分前仮説の合理的な解釈であると私は考えます。

 合理的とは何を根拠にする合理的ですか?[以下は >>195]
 それを言ったら「ビックバンで宇宙が始まった」という理論には、「ビックバンを起こした外部の者」が必要なんですか?[>>195]

>何者かの意図が働いた偽装が行われたと考えるのは、私には自然な想像と思えるのですが。

 私に言わせれば、意図のある何者かなどという複雑な存在を考える方が不自然です。その何者かはいつから存在していたのでしょうか? 無限の過去から存在していたと仮定するのは自由ですが、それこそ反証不可能に見えますね。

>>シミュレーションとの共通点が「全てをプログラマーが設定している」というものならば、内部の知生体(AI含む)の思考内容もプログラマーが設定しています。

>これはどうでしょうか。

 以下の説明は、シミュレーションとの共通点が「全てをプログラマーが設定している」というものではない場合の話でしょう? Kenさんが説明したのは「プログラマーは初期設定等を決めただけで、後はプログラム?が働くままに任せた」という理論ですよね? もっと正確に言えば、「プログラム?の動きは【決定論的ではない】」ということになります。

 いや失礼、「プログラマの意図を超えて成長するAI」という比喩は、「この世界はひとつのシミュレーションである」という比喩とはまったく異なるものですね。前者のAIはシミユレーションされたものではないではありませんか!

 [>>197]での以下の説明をするならば、まずは「ティレル理論についてのdiamonds8888xの理解は間違っている」という前置きと説明があってしかるべきです。

202diamonds8888x:2018/10/23(火) 05:44:57 ID:XEaYMQYM
>>201
 世界5分前仮説でどうしても外部の者を想定したくなったり、完全なシミュレーションの世界の住人がシミュレーターから自立できると考えたりしたくなるようですが、以下のように考えてみたらいかがでしょうか?

 簡単のために量子力学は無視して古典力学のみが成立しているとします。物質の最小単位は原子と電子であり、その運動は初期条件を決めれば運動方程式により厳密に決定されます。すなわち初期条件でのあらゆる原子と電子の位置と運動量とを正確に知ることができれば、未来は完全に予測できます。そのような完璧な検知能力と計算能力による完全予測能力を持つ仮想的存在はラプラスの魔と名付けられています。

 ここで初期条件、すなわち時間t=0の時点はいつにしても矛盾は生じません。5分前がt=0であり、それ以前の時間は存在しない、と仮定しても矛盾は生じないのです。

 もしもt=0において何者かが世界を作ったとすれば、t=0以前に世界を作る時間があったはずですが、【それ以前の時間は存在しない】と仮定した理論においては、その何者かも存在できません。

 もちろんラプラスの魔の力を過去に適用すればt<0における運動も完璧に計算できます。しかしそれはあくまでも【もしもt<0に世界が存在していたならば】どのような運動をして来たのか、という問題を解いただけであり、t<0に世界が存在していたかどうかは示してはいないのです。

203Ken:2018/10/23(火) 23:38:17 ID:/TjmlT5Q
まず「AI」の定義について説明不足があったことは理解しました。申し訳ありません。
最近目にする時事ニュースから、AIが自己認識と自由意志を持つ日がそこまで来ていることは、一般に知られていると思っていました。紹介した動画(youtu.be/3KH95YCSP_c)の中でティレル氏もそのことに言及しています。動画の5分9秒のところで、

"I believe that if human is conscious and self-aware, I must also believe that machine has the same quality."

と言っているのが聞き取れるのではないでしょうか。


>「何にも具体的な案がないけどなんとなく直接の現場を観測できるのを期待するケース」と他の原理的には検証可能なケースの違いが理解できるなら、それでことはOKなんですが。いかがですか?

いくらなんでもこの質問は心外です。

違いが分かっているからこそ、地動説やエーテルの存在を検証する具体方法を論じてきたし、世界5分前仮説の検証方法も提案しました。あるいは「外の世界」を仮定したことがdiamonds8888xさんの意に沿わなかったかもしれませんが、それにしても「何にも具体的な案がないけどなんとなく直接の現場を観測できるのを期待するケース」と同列視されるような代物だったのでしょうか?


その「外の世界」についてですが。

私は、外の世界を仮定することで世界5分前仮説を具体化ひいては検証可能化できると主張しています。それとも、ラッセルが仮説を唱えたとき「内の世界」だけで完結しており、外の世界を考えてはいけないと注釈をつけたのでしょうか?

diamonds8888xさんは、外の世界は必要ないと言われますが、それはどういう意味でしょうか?

ある理論が「必要ない」というときは、もっと優れた理論があることが前提ではありませんか?

例えば、人類の祖先が大脳を進化させた事実を説明するのにID論を持ち込む必要はないと私は考えますが、それは直立二足歩行に始まる、自然選択の説明に納得しているからです。

でも、外の世界を仮定せずに、世界5分前仮説を検証可能な形で説明できますか?

世界5分前仮説の具体説明としては、この世がコンピュータ・シミュレーションとするティレル理論を紹介しました。私自身も>>197で、映画撮影のセットを作るようなことを提案しました。これらは、私たち自身の世界が「外の世界」という形では実現してますから、今度は私たちの世界が「内の世界」である場合に発想を拡張しようというわけです。さらに「内の世界」の住人が真相を発見しうるシナリオとして、有限要素法を思わせる観測事実やエネルギー総量の変化を提案しました。

外の世界を仮定することなく、このような具体化が可能ですか?
私には何も思いつかなかったので、外の世界を仮定する方が合理的であると判断しました。

ビッグバンについてですが、「ビッグバンで宇宙が始まった」という前提から出発するなら、私ならなんらかの外の世界を想定するでしょう。
なぜならビッグバンを起こした原因が、ビッグバンが作った世界にあることは不可能ですから。

かりにビッグバンが外的要因のない完全に内発的な事象だとしても「ビッグバン前」と「ビッグバン後」を分ける時間の経過があったはずであり「ビッグバン前」の時間が経過したのはビッグバンが作った世界ではなかったと思います。

204diamonds8888x:2018/10/28(日) 06:34:21 ID:jOR7OsaM
>>203
 どうにも詳しい説明の時間がないので、簡単ですが、時間はありますから見直し、かつよく考えてみてください。そして[>>202]も御参考に。そして他の資料等も読んでみてください。
 [>>203]を投稿された時には[>>202]をお読みのはずですが、それについては今まで悩んでいらっしゃるのでしょうね。ご苦労様ですが、よろしくお願いします。

> でも、外の世界を仮定せずに、世界5分前仮説を検証可能な形で説明できますか?

 世界5分前仮説は反証不可能です。初めから世界中の人に言われていることです。
 そして、外の世界をいくら仮定しようとも、その性質によっては内部の住民には反証不可能な仮定が(すなわち反証不可能な仮定が)あり得ます。

> ある理論が「必要ない」というときは、もっと優れた理論があることが前提ではありませんか?

 理論が要ないと言ってはいません。世界5分前仮説という(反証不可能な非科学的)理論には、Kenさんが必要と思い込んでいる条件のあるものは必要ない、と言っています。
 この場合は、「宇宙ないし世界の初期条件以前の時間の存在」でしょうね。
 確かに「宇宙の果ての外側には何があるのだろう?」という問いは自然な疑問です。でも、「そこには何もない」という解答を全否定することはできません。

> まず「AI」の定義について説明不足があったことは理解しました。申し訳ありません。

 それは、今の議論の本質には関わりありません。AIでもヒトでも何らかの知的存在であっても同じことです。それが内部世界の住民だということが本質です。

> いくらなんでもこの質問は心外です。

> 違いが分かっているからこそ、(以下略)

 この違いはミケさん自身に説明してもらうのがいいかも知れませんね。私もなんとなくわかるくらいなので、Kenさんに理解できるようにかみ砕いて説明するには手間取りそうだし、ミケさんの意図する「違い」とはずれる恐れもあるかも知れません。

 ただ私なりに問えば、Kenさんは「何にも具体的な案がないけどなんとなく直接の現場を観測できるのを期待するケース」を具体的に考え付きますか? 何も思いつけなければ「違いが分かっている」とは言えませんよ?

205diamonds8888x:2018/10/28(日) 08:24:13 ID:jOR7OsaM
>>204
Kenさんへ、
 「世界5分前仮説」が非科学的とは言いましたが、「t<ゼロの時間は存在しない」という仮定が非科学的とは言っていませんから念のため。反証不可能ではあるんですけど、例えばゼロ時点をビックバン時点とすれば、「t<ゼロの時間も存在する」という仮定も反証不可能になるので、2つの対立仮説が対等になってしまって、どちらが非科学的とか言えなくなるのです。もちろんビックバン以前の痕跡が何か観測できる可能性が出てくれば話は別ですし、それを探っている理論物理学者もいますが。
 こういうの話をすると、また混乱させそうで心配でもあるんですが・・。

ミケさんへ
 なんだか説明をお願いしているようなコメントになってしまって、そのうえでさらに注文をつけるようで申し訳ないのですが・・。
 これまで読んできて、Kenさんの考え方、思い込みというか、傾向というか、がある程度おわかりと思いますので、もしもコメントされる際には御配慮をお願いします。しかもKenさん御自身は、それが自然で科学的にも妥当な考え方だと思い込んでいますから、普通の科学的センスの持主相手の説明では通じにくいと思われます。

206diamonds8888x:2018/10/28(日) 08:42:52 ID:jOR7OsaM
>>203 Kenさんへ、

 御不快かも知れませんが、きちんと議論する上で、これはあまりにも目に余ります。

>それとも、ラッセルが仮説を唱えたとき「内の世界」だけで完結しており、外の世界を考えてはいけないと注釈をつけたのでしょうか?

 "must not"と"need not"を取り違えないでください。こんな基本的な違いを区別しないほど、いつも雑な読み方をしているのですか? Kenさんとは長く話していて誠実なお人柄だとわかっているからいいものの、初めての人が読んだら、意図して話をすり替えていると悪意に解釈されても仕方ありませんよ。

207Ken:2018/10/28(日) 11:29:39 ID:965CGPc.
とりあえず1点だけ言わせてください。

>この違いはミケさん自身に説明してもらうのがいいかも知れませんね。私もなんとなくわかるくらいなので、Kenさんに理解できるようにかみ砕いて説明するには手間取りそうだし、ミケさんの意図する「違い」とはずれる恐れもあるかも知れません。

>ミケさんへ
>なんだか説明をお願いしているようなコメントになってしまって、そのうえでさらに注文をつけるようで申し訳ないのですが・・。

何度も繰り返していますが、私は複数の方を相手に1対多の議論をする気はありません。

他の方の考えを採用するのはdiamonds8888xさんのご判断ですが、私に読ませるのは、あくまでもdiamonds8888xさんが説明できるご自身の考えとして、ご自身の投稿の中で紹介してください。それこそ文章の貼り付けでもかまいませんから。それなら大した負担にはならないでしょう? 投稿の間隔もいくら開いても結構です。

まずは、この点に同意いただけませんでしょうか。

同意をいただけるなら、この先の議論を続けたいと思います。

208たこ焼き帝国:2018/11/01(木) 11:55:47 ID:W5O20kzQ
ALL>>ビッグバンの前にインフレーションがあった。

209Ken:2018/11/01(木) 23:37:28 ID:965CGPc.
「あまりにも目に余る」と叱責を受けた件を説明しておきます。

diamonds8888xさんが「must not」ではなく「need not」と言っておられることは、もちろん承知しています。ただ「need not」では私が論旨を把握できず、もしかして

〜ここでの「need not」は「must not」の婉曲表現なのか?

という考えが浮かんだので、一応の確認を入れました。そんな婉曲表現をやるはずがないと言われるかもしれませんが、互いにどこの誰か分からないネット掲示板ですし、念押しの確認を入れただけです。それ以外の私の発言は「need not」を前提にしております。

なぜ「need not」では論旨が分からないかも説明しておきます。

>>170から>>184あたりにかけての議論で、diamonds8888xさんが「検証可能性」をどのように定義されるかを知りましたし、私自身の定義よりも広汎な対象を検証可能とみなせることも理解しました。(例えば、エーテルの存在が検証可能になったのは、私はマイケルソンの時だと思いますが、diamonds8888xさんはガリレオの時代にはそうだったと言われます。)

ただ、そうなると今度は、世界5分前仮説が検証可能になるのではと思ったわけです。

世界5分前仮説が検証可能かを考察するには、具体的な検証方法を発想せねばなりません。今回は>>170

>遠く離れて、地球と月と太陽の動きを観測してみれば

と言われたことがヒントになりました。地球上の人間には分からなくても[地球-太陽]の運動系の外から見れば、どちらがどちらを回っているかは一目瞭然です。同様に、世界5分前仮説が正しいかどうかは、世界の外から観測すればよいのだと。外の観測者から「1週間前には世界は存在した」という情報を得られれば、5分前仮説は反証されますから。

そして外の世界の確認方法としては、私たちの世界が物理的な存在ならエネルギー総量を(>>186)、シミュレーションの場合には気流の構成要素の大きさをチェックする(>>197)ことを提案しました。

ただし、ラッセルがこの思考実験を提唱したとき「外の世界は想定しない」という条件を設定したのなら、つまり外の世界の想定が「must not」なら、私がやってることは無意味です。そして、それなら論理的にすっきりとするのです。

しかしdiamonds8888xさんは「need not」であると言われます。そうなると意味が分かりません。

「need not」とは外の世界など考えなくても反証は可能であるという意味でしょうか?

でも、これはおかしい。そもそもdiamonds8888xさんは仮説は反証不可能と言われているのですから。

では「世界5分前仮説は反証不可能」と決めることが議論の出発点で、それを疑うことが「need not」という意味でしょうか?

これもおかしい。それならラッセルは「世界5分前仮説」などといわず、ただ「反証不可能な仮説」といえばよかったはずです。世界は5分前に始まり住人はだれもそれを知らないという具体設定に落としたのは「反証できるものならやってみなさい」という訴えがあったはずです。

すると「need not」の意味はなんなのでしょうか?

210diamonds8888x:2018/11/12(月) 06:04:26 ID:dAo5344Q
>>204
  私とkenさんとでは科学的推論などについての考え方の違いがあるのですが、これまでのログを改めて読み直してみて、Kenさんは最初から「世界5分前仮説」のポイントを「(何者かが)世界を操ったり作ったりしている」ということだと見ていたことがよくかりました。だからこそ「世界は(プロクラマーが作った)シミュレーションだ」というテレル理論との共通点を外部からの操作という点に見出して、本質的に同じだと推論していたのですね。

 私は誰が作ったかとかどうやって誕生したかとかは、最初から眼中にありませんでした。私が見ていたのは、内部の観測者と外部との関係性だけです。その関係性次第で、内部の観測者が原理的に観測可能なものは何かが決まってきます。それにより内部の観測者にとっての「反証可能性」が決まってくるのです。

 ここで世界の外部を仮定したとき、Kenさんは自動的に「内部も外部も自由に見ることのできる視点」に立って推論を進めているように思えるのですがいかがですか? だから、「内部の観測者が外部を知ることは原理的には何の問題もない」と自動的に即断しているように思えるのです。でもそれは自明なことではありません。

 このように自分では合理的なつもりでも実は個人間で異なる思い込みによることもままあります。そしてkenさんの思い込みのいくつかは「世間一般で言われるところの正しいアプローチなるもの[>>112」とは相反していると考えられます。

 本当は[>>155]から始めた私の科学観の説明の流れで詳しく説明すべきでしょうが、ひとまず今回、この点だけ。違いがはっきりすれば無駄な食い違いは避けられると思いますのでよろしく。

211diamonds8888x:2018/11/12(月) 06:07:16 ID:dAo5344Q
>>207
 Kenさんに対しては、読めなどとは言ってはいませんよ。もしもミケさんが資料提供してくれたら(私とKenさんと双方の時間節約と理解促進の意味で)助かるかも知れない、と表明しただけです。
 既に述べたように、私は他の人の書き込みをweb上の他の場所の資料と同等に扱っています。それが今の議論に役立つと思えば引用してKenさんに示します。ですから私が引用しない資料に目を通す義務はKenさんにはありません。もっとも私なら喜んで参考にしますけどね。だから新たな資料を見たがらないということは理解に苦しみます。まあ読んでみて無駄な資料だったら多少は腹立たしくなるかも知れませんが。

 特に今回のミケさんの表現[>>176]については、「何にも具体的な案がないけどなんとなく直接の現場を観測できるのを期待するケース」は、私自身では説明が難しそうに感じているのですよ。事例を挙げてどちらに入るかの判断は、たいがいミケさんと一致するだろうとは思いますが、その違いをKenさんに説明するのが困難だろうと思っているのです。

 なのでKenさんには私が説明するにしても、その際の参考資料としてミケさんからの説明は【私には】必要です。

 これがもしミケさんとの議論であったなら「なんとなく直接の現場を観測できるのを期待するケース、というはよくわからないので説明してもらえますか?」と返すところですけど。
 にもかかわらずKenさんは「違いがわかっているからこそ〜」と断言されたので、ちょっと驚きました。ゆえに、以下の問いを発しました。

 【再掲】ただ私なりに問えば、Kenさんは「何にも具体的な案がないけどなんとなく直接の現場を観測できるのを期待するケース」を具体的に考え付きますか? 何も思いつけなければ「違いが分かっている」とは言えませんよ?

 ありていに言えば、Kenさんは「わかっているからこそ」とはおっしゃいますが、実際に事例を挙げてどっちかに分類してみたら、Kenさんとミケさんの分類は食い違うと思っています。それじゃあ、わかっていることにはならないと私は思います。

212diamonds8888x:2018/11/12(月) 06:17:33 ID:dAo5344Q
>>209
 では「必要ない」の文脈説明をします。これはある理論A、例えば「世界5分前仮説」を組み立てる際の公理(この言葉で十分OKですよね)の中に「外の世界の有無(への言及)」が含まれていないという意味です。つまり理論Aには「外の世界の有無に関する公理」は必要ないという意味です。

 するとどうなるかと言えば、理論Aに次のどちらの公理でも付け加えて新しい公理系(理論)が作れます。

 1)外の世界がある ==> 理論A1
 2)外の世界はない ==> 理論A2

 Kenさんがおっしゃる、「外の世界は想定しない」という条件を設定した理論[>>209]というのは理論A2に該当します。そしてKenさん自身が展開してきた議論は理論A1を新しく設定したうえで、理論A1の反証可能性なり検証可能性なりを示そうとしたものです。

 しかし元の理論Aは理論A1でも理論A2でもありませんので、その反証可能性を論じるのに外の世界の有無という性質を使うことはできません。

 例えば理論A1のように外の世界を想定し、かつ外の世界と内の世界との関係を規定する公理を仮定したならば、反証可能性のある理論が作れるかもしれません。いや反証可能性のある設定は間違いなく作れることでしょう。それはつまり、反証不可能だった理論Aを練り直して反証可能で科学的な理論A1に修正したことに外なりません。

 それこそまさに、理論Aの段階で科学的だと思い込んでいる提唱者がなすべきことなのです。ちょうど、ID論における「デザイナーが干渉するメカニズム」をKenさんが具体的に提案したようなことです。


>世界は5分前に始まり住人はだれもそれを知らないという具体設定に落としたのは「反証できるものならやってみなさい」という訴えがあったはずです。

 反証不可能なことは自明と考えてたでしょうから、頑張って反証可能性を示す人が出てくるとは思ってもいなかったでしょうね。実際、Kenさんも反証するためには頑張って様々な条件を考え出す必要があったでしょう? でもそれは、元の理論に何かを付け加えて新しい理論にしてしまうことです。つまり元の理論が反証不可能なことは変わりません。

213Ken:2018/11/13(火) 23:02:38 ID:3vQ2lyBM
>>211
私が懸念するのは、diamonds8888xさんが私に薦める投稿のどの部分がdiamonds8888xさんの意見を代弁したもので、どの部分がそうではないのかが不明確なケースがあるからです。diamonds8888xさんには、その区別は文脈から自明に思えるかもしれませんが、私にはそうではありません。紹介された投稿の内容にdiamonds8888xさんご自身はその後もまったく言及されないものがあったりすると、少なくともその部分は異なる見解をお持ちではという疑問を生じます。また、一部には、私の論点よりも姿勢を問題視し、人格批判に及んでいるものまで見受けられます。

(例)
>>88 「不誠実な印象操作のようにも思えてしまいます」
>>176 「単に言い負かしたいだけなのではないのかと勘ぐってしまいますね。」

私を批判してくれるなと言っているのではありません。diamonds8888xさんも同じ意見をお持ちであり、これらの投稿の文頭から末尾まで同意されるのなら、言い換えれば投稿者名に「diamonds8888x」と入っていると考えてもよいのであれば、投稿番号だけを指定して「これを読みなさい」と言われても結構です。

しかし、そうではなく、内容の一部だけを利用したいのなら、そのことを疑問の余地を生じない形で明らかにしていただけませんか? 何度か提案したように、最も簡単で確実な方法は、利用できる部分を切り出してご自身の投稿に貼り付けることです。

「そんな面倒な」と思われるかもしれませんが、ここはひとつお願いできませんでしょうか?


>「何にも具体的な案がないけどなんとなく直接の現場を観測できるのを期待するケース」を具体的に考え付きますか?

私自身がそういうことをしたという自覚はありません。何も具体案がないのになんとなく期待するようなことはしないつもりですから。

世間一般で見聞する例では、たとえば幽霊を信じる人はそれをやってるのではないでしょうか。この問題はけっこう根が深く、幽霊などいないと公言する人がいざ夜の墓場に行くのをいやがったりします。運勢を信じる人もそうですね。日常は冷静で合理的な人が「おれは今ツイてるから相場で勝負しよう」と投機に出ることがあります。こういう人たちは幽霊や運勢を「なんとなく」信じており、直接に観測するかもしれないと思っているのでしょう。


さて本題ですが、
>>212

理論AとA1が別物という考えは簡単には納得しがたいです。私は外の世界を仮定したA1はAの修正というよりAの具体化だと考えますから。それには理由があり、私は、いかなる形であれ「世界の始まり」を想定するなら必然的に「外の世界」を考えねばならない、つまりA2は論理的に無理があると思うのです。これは世界5分前仮説でも、ティレル理論でも、ビッグバンでも同じです。

その根底には、いかなる事象にも必ず原因がある、という基本認識(私は公理だと思います)があります。

話を簡単にするためビッグバンを例にとりますが、ビッグバンという事象が起こったのなら必ずその原因となった別の事象があったはずです。そして、ビッグバンで世界が誕生したのなら、ビッグバンの原因事象が進行したのはビッグバンで生じた世界(=私たちの世界)ではありえません。正体は不明ながらも「外の世界」で、論理的にそれ以外の結論には至れないはずです。

世界に始まりがなかったのなら、つまりビッグバンは超新星などと同じくもともと存在していた宇宙の内部事象として起こったのなら、外の世界を考える必要はありません。一方で、世界5分前仮説は5分前に世界が「始まった」と明確に述べるのだから、外の世界は必要だと思います。

214diamonds8888x:2018/11/18(日) 06:17:13 ID:t1agDYyU
>>213
 kenさんの目標は「世間一般で言われるところの正しいアプローチなるものの正体」を明らかにすることでしたね[>>112]。つまり、kenさんが自分では「合理的」「科学的」と思っている考え方が「世間一般で言われるところの正しいアプローチなるもの」に照らして否定されることがあると認識していて、その理由がよくわからない、ということですよね。

 物事には両面があり、「世間一般で言われるところの正しいアプローチ」を取っている私(たぶんミケさんやゲジゲジさんも)から見ると、どうしてkenさんがごく普通の考え方(と我々は思い込んでいる)から、いつのまにかずれてしまうのかが理解できなかったのです。しかも「合理的」「科学的」「論理的」なアプローチを重んじる点では一致していて、どんな考え方が「合理的」「科学的」「論理的」であるかという点でも多くの面では共通しています。

 なので一体どこからずれてしまうのかがわかりにくいのです。これは双方から見ても互いにそうだと思うのです。その違いの一端がようやくはっきりしそうで喜ばしい限りです。


 では理論AとA1の違いに関するテーマです。いま議論の対象とする理論(公理系・理論体系)は合理的なものも非合理的なものも含めてあらゆる可能な理論を対象としています。なぜなら、ある理論が反証不可能で非科学的なものなのか否かを区別することがテーマだからです。合理的な理論だけを選んで対象にしていたら、その中に非合理的なものは含まれないに決まっているではありませんか。

 kenさんは理論A2「外の世界はない」は論理的に無理があると判断しました。判断することは構いません(その判断にも私は同意しませんが)。しかしそれなら、論理的結論は次のようになるはずです。

  ・理論A2は非論理的であり科学的理論ではない
  ・理論A1は論理的であり科学的理論と言える
  ・理論Aの段階ではA1もA2も可能性があるのでどちらとも言えない。
   理論Aを科学的な理論にするためには、公理「外の世界がある」を付け加える必要がある
   すなわち理論A自体は未だ科学的理論ではない

 すなわち理論Aのみでは科学的理論とするには公理が不足している、ということになります。理論Aと理論A1が同じとみなすのは急ぎ過ぎです。


 以上でひとつの結論ですが、もう少し補足します。kenさんが急ぎ過ぎたのは、論理的な理論を作ろうとして、論理的な公理ゆえにすべての理論には必須であると考える公理を新たに付け加えようとしたからです。

 例えば、「いかなる事象にも必ず原因がある、という基本認識[>>213」」を認めない理論体系も可能です。むろん普通に我々の使う体系では因果律はほぼ当然と見なしてはいますが、ほぼ当然に見えることもひとまず置いておくのが科学哲学の基本的態度です。

 因果律についてさらに補足すれば、これは過去の原因から現在の結果が生じるということですから時間経過があることを暗黙の前提にしています。しかしながら時間に最初の時点というものがあるならば、つまりt=0以前の時間の存在を否定する理論であれば、t=0における結果を生じる原因は存在できません。言い換えると、t=0という特異点では因果律が破れます。

 実のところビックバン理論においても、現在の膨張宇宙を素直に過去に外挿すれば時間的特異点が生じることは自明でした。しかし理論物理学者たちは特異点がきらいなので、例えばある時点から過去では実は収縮していたとか、ホーキングの提唱した虚数時間とか、特異点を回避する理論を色々と提案してきたのです。

 そしてもちろん、これらの特異点回避理論のいずれも、t=0での特異点の存在する単純な理論とは別物です。もちろんここで「特異点など非論理的だからダメ」と判断するのは自由ですが、理論の存在自体がなくなるということではありません。
 

 繰り返しますが、いま対象としているのは非合理的理論も含めた可能な理論すべてなのです。

215diamonds8888x:2018/11/18(日) 06:20:33 ID:t1agDYyU
>>213
> 私が懸念するのは、diamonds8888xさんが私に薦める投稿のどの部分がdiamonds8888xさんの意見を代弁したもので、どの部分がそうではないのかが不明確なケースがあるからです。diamonds8888xさんには、その区別は文脈から自明に思えるかもしれませんが、私にはそうではありません。

 それはその通りですね。以後、気を付けましょう。同じ文章を読んでも注目点が違っていることもあって誤解を与えることもありそうです。では他の人の発言を私が資料として活用することと、本論の筋に邪魔にならない範囲で、他の人と私が多少意見を交わすことは構いませんね?


 さて現時点では、以下の場合は注目点は明確ということでよろしいですね?

> >「何にも具体的な案がないけどなんとなく直接の現場を観測できるのを期待するケース」を具体的に考え付きますか?

> 私自身がそういうことをしたという自覚はありません。何も具体案がないのになんとなく期待するようなことはしないつもりですから。

 Kenさんがした(なんとなく期待するケースを提案した)とは誰も言っていません。ミケさんの元発言[>>176]で例示されているのは以下の通り、一般的なID論と世界5分前仮説との2つだけです。Kenさんの行った推論やKenさんの提案した理論はひとつもやり玉にあがってはいません(*)。

>宗教さんがよく主張する一般的なID論やら世界5分前仮説のように
>「何にも具体的な案がないけどなんとなく直接の現場を観測できるのを期待するケース」
>とは異なります。

 ポイントは、例えば一般的なID論や世界5分前仮説が「何にも具体的な案がないけどなんとなく直接の現場を観測できるのを期待するケース」だということが理解できたのか否かということです。もっと言えばミケさんがイメージしているであろう具体例をイメージできるのかどうかということです。まあ今のところはミケさんのイメージで示されているのが上記2つということになりますが。


 なお今回の発言でKenさんの考える事例のひとつはわかりました。理論を裏付ける観測をしようとする場合とは状況が異なるような気もしますけれど。Kenさんの事例では「観測したくはない」という動機が強いはずですが、いまテーマにしているのは「観測したい」という動機が強いケースですし、ちょっと適切な状況の事例ではないように思えますが・・と言われたらどう説明しますか?


---------------------
*) 私から見ると、どうしてKenさんがこういう余分な行間読み?をしてしまうのかが不思議でなりません。文章の自分に対する敵意とか好意みたいなものに敏感なのは社会的動物である人間の本能的な性質だとは思いますけど。でもそれ科学の議論ではじゃまですから、できるだけ自分の心の中から排除した方が良い議論ができます。

216Ken:2018/11/23(金) 10:44:54 ID:ShJyR/mg
>>214
diamonds8888xさんの投稿を私なりに慎重に読み解こうとしましたが、どうしても理解できません。

>・理論A2は非論理的であり科学的理論ではない
>・理論A1は論理的であり科学的理論と言える
>・理論Aの段階ではA1もA2も可能性があるのでどちらとも言えない。
> 理論Aを科学的な理論にするためには、公理「外の世界がある」を付け加える必要がある
> すなわち理論A自体は未だ科学的理論ではない

抽象論にはついてゆけなさそうなので、原理的に検証可能と認められたエーテルの存在を具体例にとります。この場合、

理論A:光波動の媒質であるエーテルが存在する

と定義してよろしいですね?

ただしエーテルを直接には観察できないので、A1が設定されました。もしもエーテルが実在するなら、

理論A1:観測者が空間中を運動すると光速度の観測値が変わる

というものです。AからA1にいたる根拠は、世界5分前仮説では「いかなる事象にも原因がある」という因果律でしたが、エーテルの場合は古典力学の波動理論でした。そしてA2は、

理論A2:観測者が空間中を運動しても光速度の観測値は変わらない

となるはずです。

このようにA、A1、A2を定義すると、世界5分前仮説とエーテル存在説は同じ構造をもっているとしか私には思えません。

もし一方(エーテルの存在)が検証可能で、他方(世界5分前仮説)が不可能なら、両者の違いはどこから生じるのでしょうか?

AからA1にいたることを示す実際の観測例が問題になるのでしょうか?

たしかに、音のような光以外の波動ではA1が正しいことが確認されています。でも、因果律が正しいことを示す観測例はそれこそ無数にあり、たとえ原因が不明の事象が見つかっても、その事象が原因なしに起こったと結論する人はいないでしょう?


>>215
>Kenさんの事例では「観測したくはない」という動機が強いはずです
>Kenさんの行った推論やKenさんの提案した理論はひとつもやり玉にあがってはいません

これにも言いたいことがありますが、議論を拡散させたくないので、今は保留させていただけませんでしょうか?

また、

>他の人の発言を私が資料として活用することと、本論の筋に邪魔にならない範囲で、他の人と私が多少意見を交わすことは構いませんね?

もちろんです。さらにいえば、他の方との相談を私に見えるところでされる必要もありません。

217diamonds8888x:2018/12/01(土) 07:38:00 ID:VpbMj7yA
>>216
 どうしても理解できませんか? どうやら核心に近づいたようです。確かに世界5分前仮説は普通の科学理論に比べて抽象性が高いとも言えますので、例えばエーテル理論に関してなら使える論理でも世界5分前仮説の考察では使えない論理があります。ここは「ついてゆけなさそう」という所でも押してついていかないと真の意味を理解することができません。もうひと踏ん張りしてチャレンジしてみてください。

 ポイントは「組み立てられた理論(公理群)の前提として使える理論には何があるのか?」ということです。数学の場合であれば、露わに述べられた公理以外に正しいものとして使えるのは論理法則だけです。この論理法則も、「古典論理」という用語で示されるものできっちりと一群の論理式として表現されています。数学の公理の考え方に関しては、もし必要ならば改めて説明します。

 しかし普通の科学理論では、露わに述べられた公理以外にも無数とも言いたいほどの正しいと見なされる前提がある場合がほとんどです。理論の土台に近い基礎的なものから言えば、例えば次のようなものです。
   因果律 原因から結果が生じる。
   斉一説 宇宙のどの場所でも法則は同じである。
       過去や未来のどの時点でも法則は同じである。
   古典論理法則 例えば排中律、三段論法、対偶の同値性、など。

 進化理論の場合なら、その時点で正しいと知られた物理化学法則などは、敢えて述べられていなくとも使える正しい前提と見なされます。地質学上や気象学上の知見などもそうですね。

>AからA1にいたる根拠は、世界5分前仮説では「いかなる事象にも原因がある」という因果律でしたが、エーテルの場合は古典力学の波動理論でした。

 エーテルの場合は古典力学の波動理論が使えます。しかし世界5分前仮説では、【5分前以前には因果律は適用できません】。原因の存在するはずの【過去】という時間がないからです。5分前より以後ならば、もちろん使えますけどね。

218diamonds8888x:2018/12/01(土) 10:52:20 ID:VpbMj7yA
>>217
【補足】光速度不変とエーテル

 エーテルの存在が光速度不変の観測により反証された、と簡潔に述べるのでは少し説明不足で気持ち悪い気がしてきましたので、改めて何がなされたのかを考察してみました。というのも、相対性理論の基になっている光速度不変の原理は光が波だろうが粒子だろうが、それまでの常識に反する原理だからです。

 マイケルソン・モーリーの実験は、地上というひとつの慣性系に固定された光源と鏡との間を光が往復する時の速度を測定しています。より正確には、この往復行路の方向が異なる2つの場合の速度差を測定しています。このとき粒子説と波動説とでは次のような理論的予測の違いが生じます。

・波動説 光速度は波を伝える媒体(エーテル)に対する速度になる。
  ゆえに、地球と媒体(エーテル)の相対速度が違えば、地球に対する光速度は異なって観測される。

・粒子説 光速度は光源に対する速度になる。
  ゆえに、地上に固定された光源からの光の速度は、地上に固定された観測者による観測では常に一定である。

 しかしマイケルソン・モーリーの実験の時点では光が波であることは確定していました。何しろ2つの光路の間の速度差を検出した方法が、光が波であることの証である干渉性を使っているのですから。だからこの実験は波動説の反証というよりは、2つの観測事実つまり、光の干渉性の存在とマイケルソン・モーリーの実験の否定的結果との矛盾ということになるのです。

 言い換えると、光は波のように干渉をするにもかかわらず、まるで粒子のように光源に対して常に一定の速度になっていたことが観測されたのです。


 さて相対性理論の基となる光速度不変の原理、つまり光源に対する速度も光源に対して相対運動している観測者が観測した速度も同一である、という法則の検証はどうすべきでしょうか? まず現代のレーザー距離計では正確な時間間隔で光源を明滅させることで短い距離でも反射体までの往復時間が測定できます。使い方としては、光速度が一定として距離を知るわけです(wikepediaの「光波測距儀」参照)。そして光速度不変の検証には例えば次のような方法があります。


 ・静止した光源が横方向に光を発する。例えばパルス光を発する。
 ・光と同じ方向に速度vで移動する受光器でパルス光を受けて、発光時刻と受光時刻から光速度cを求める。
 
 この実験では光の本体が何であれ、受光器が受ける光の速度は(c-v)と予測されます。ところが不思議にも受光器での測定結果は変わらずcであった、というのが相対性理論の基となる光速度不変の原理です。よくよく調べると、なんと受光器に固定された時計の進み方が地上や光源に固定された時計とは違っていたのでした!


 マイケルソン・モーリーの実験が検証しようとした理論の本質はむしろ次のようなことだと考えられます。

 マクスウェルの理論によれば光速度は真空の誘電率εと透磁率μのみにより(1/√εμ)となります。光速度が相対速度により変化するという事は、εやμという定数が相対速度が異なる観測者から見ると異なるということになります。音波の速度は(1/√ρ:ρは密度)に比例しますが、この音速は音が伝わる媒質に対する速度ですから、相対速度により媒質の密度が変化するなどと考えなくてもよいのです。マクスウェルの理論と光速度が変化するという仮定を組み合わせると、観測者により真空の性質が変化するというちょっと奇妙な結論が得られるのです。これは光の伝達を支配する要因を、エーテルの性質と呼ぼうが真空の性質と呼ぼうが同じことです。それとも電場と磁場の性質と呼んでも同じことです。

 アインシュタイン自身も相対性理論を考えたのは、マイケルソン・モーリーの実験を受けてというよりも、マクスウェルの理論が内包する矛盾の解消のためという方が大きかったとの趣旨のことを言っていたそうです。

 まあ相対性理論は真空の性質というか、時空の性質が観測者により変化するという理論ですから、εやμが変化するというよりももっと過激な仮定だったと言えるかも知れませんね。

219:2018/12/01(土) 20:55:20 ID:UkeDPV/.
聖なる運気に導くミラクルストーンプレミアム

220Ken:2018/12/03(月) 22:19:53 ID:NXcX5/s2
>>217
私が世界5分前仮説を検証可能と考えるのは、以下のステップを踏んだ上のことです。

1.事象には必ず原因がある
2.よって世界の始まりに先行する時間がある
3.よってその時間が経過した外の世界がある
4.そして外の世界から情報を得られる

これに対してdiamonds8888xさんは、世界の始まりには因果律が破れる特異点があるのだから、1は成立しないと言っておられるのだと思います。そこで2点質問があります。

1点目は、世界の始まりには必ず特異点を伴うのか、ということです。

今の私たちが世界の始まりに特異点を想定するのは、宇宙の膨張を逆にたどってゆくと、大きさのない1点に全宇宙が集約されるからです。しかし、ビッグバンは世界を誕生させるかたちの1つであって、世界の始まりは必ずその形をとるということではないでしょう? 特異点や因果律崩壊とは無関係に誕生する世界もあるのですから。

コンピュータがシミュレートする仮想世界はよい例です。私はティレル理論を「アホなこじつけ」と呼びましたが、それは現実の私たちの世界がシミュレーションと考える根拠が弱すぎるからです。もしも、世界は5分前に始まったという前提から出発するなら、一転してティレル理論は有力な仮説たりうると思います。>>197で言及した、江戸の町をセットで作る話も1例です。どちらの場合も、特異点や因果律の破れとは何の関係もありません。しかも、私たちの眼前ですでに実現しているか、現行技術の延長で実現可能なものです。

2点目は、特異点が存在したとしても、それで「因果律が破れる」と具体的に何が起こるかです。

因果律が破れないことを前提とする私は、世界の始まりという事象にも原因があるはずと考えました。一方diamonds8888xさんは、

〜因果律が破れることで、原因がなくても事象が起こる

と主張されているのだと思います。世界の始まりにも原因がないのだから、【過去】という時間がないと断言されるわけでしょう。でも因果律が破れるとは、そのような意味なのでしょうか?

むしろ、

〜因果律が破れたら、いかなる事象も(むろん世界の始まりも)起こりえない

ということはありませんか?

ブラックホールを考えてみてください。私はブラックホールの力学に詳しくありませんが、空間を曲げる重力が十分に強ければ曲率が無限大の特異点を生じることは分かります。また十分に強い重力下では時間が止まり、すべてがフリーズするという理論も聞いています。

それなら、特異点では原因のない事象が起こるのではなく、特異点では何も起こらないという結論になりませんか? 少なくともブラックホールはその例ではないでしょうか?

私たちの世界がビッグバンで始まり、その初期状態は特異点であったという理論があることは承知していますが、その説を唱える人は、上記の点をどのように説明しているのでしょうか?


ややこしくなったかもしれないので、論点を再度整理します。

1点目は、世界の始まりは、ビッグバンのような特異点を示唆するものとは限らない、ということです。
2点目は、たとえビッグバンを想定しても、特異点を想定することはできないのでは、ということです。

221Ken:2018/12/07(金) 20:00:27 ID:OBxq7G/Q
抽象論よりも具体例を考えてみてはどうでしょう?

ここに1人の人物がいます。彼は、この世は実は5分前に始まったのであり、彼を含む全員が偽の記憶を植え付けられているのではないかと疑っています。

どうすれば真相を明らかにできるかと考えた彼は、もしかしたらこの世の外に別の世界があり、彼自身の世界を観測しているかもしれないと発想しました。

ただし、外の世界があるかどうかは分かりません。もしも外の世界がないのなら、彼の望みが実現されることはありません。しかし外の世界があれば、彼の世界が5分より前に存在したかを教えてくれる望みがあります。

そこで彼は、外の世界の存在を示す証拠を探し始めました。具体的には、宇宙のエネルギー総量を調べたり、気流のような自然現象が有限な大きさの要素から作られいる事例を探すことです。

繰り返しますが、外の世界があるかないかは分かりません。ただ彼は、外の世界がある場合に見つかるはずの証拠を探しているのです。

さて、この人物がやっていることは、科学的探究ではないのでしょうか?
科学ではないとすれば、彼は何をやっているのでしょうか?

222diamonds8888x:2018/12/08(土) 08:00:31 ID:CnThf04M
>>220
 Kenさんがこの発言でやっていることは、【既に提出された】世界5分前仮説に対して、検討・評価・批判などを行うということです。ステップ1-4などは典型的な検討行為。です。検討したうえで、世界5分前仮説は非科学的だとか非論理的だとか結論付けるのは自由です。

  ・世界5分前仮説は5分前以前の因果律を公理に含めていない (Aである)
  ・すべての時間で因果律がないのは不合理である  (A→Bである)
  ・ゆえに世界5分前仮説は不合理な理論である   (結論:Bである)

 こう推論するのは論理的には間違っていません。
 でも[>>220]でKenさんが結論として導いたのは、「世界5分前仮説では5分前以前の因果律も成立する」という【述べられてはいない結論です】。


 現在我々は科学理論の基準ということを議論していますが、Kenさんは合理的な理論の基準として「因果律を公理に含むこと」という基準を持っているということにもなりますね。


>〜因果律が破れたら、いかなる事象も(むろん世界の始まりも)起こりえない

 世界5分前仮説では、そう考えてはいません。その考えを批判するのは自由ですが、世界5分前仮説とはそういう理論なのです。

>1点目は、世界の始まりは、ビッグバンのような特異点を示唆するものとは限らない、ということです。
>2点目は、たとえビッグバンを想定しても、特異点を想定することはできないのでは、ということです。

 この世界の実際ではそうかも知れません。
 しかし世界5分前仮説では、5分前は特異点です。これは特異点が存在するという理論です。

 その考えを批判するのは自由ですが、世界5分前仮説とはそういう理論なのです。



【おっと誤解を正しておかなくては】
> 〜因果律が破れることで、原因がなくても事象が起こる

> と主張されているのだと思います。

 Kenさんの言いたいことはわかりますが、なんだかdiamonds8888xが世界5分前仮説を正しいものだと擁護しているように見えて、ちょっと気持ちわるいかな。むろんKenさんにはそんな誤解はないと思いますが、読んでいる第3者から見るとそうも取られそうで・・・。

 世界5分前仮説の理論の中では因果律が破れているというのではありません。5分前以降ではもちろん因果律はそのまま成立しています。5分前以前には因果律はありません。もともとないものは破れもしません。

 もちろん5分前の世界というのはt=0の初期条件ですから、その時点にあるがままに事象が存在するというのが世界5分前仮説の理論です。世界5分前仮説の理論の中では、初期条件には原因を必要とはしません。

223diamonds8888x:2018/12/08(土) 08:01:57 ID:CnThf04M
>>221

 その人物がやっていることは、科学的探究ではあるでしょうが、世界5分前仮説を反証することになってはいません。

 もし外の世界があるとしたら、世界5分前仮説では、「外の世界も5分前に初めて存在した」と主張するでしょう。

224diamonds8888x:2018/12/08(土) 08:12:22 ID:CnThf04M
>>223 【補足】
 [>>220>>222]の議論と[>>221>>223]の議論とではテーマが違うことは気付いていますか?

 後者は世界5分前仮説はどうすれば反証できるかという議論です。
 前者は世界5分前仮説がどんな理論なのかという議論です。

225Ken:2018/12/08(土) 13:13:12 ID:VEryXPk.
もしも、面倒すぎるということがなければ、diamonds8888xさんにお願いしたいことがあるのですが。

ラッセルが提唱した世界5分前仮説を正確に記述した文章を紹介していただけませんでしょうか? 以前にウィキペディアの記事では正確さを欠くと言われたと思います。(>>195でしたか?)とくに、この理論が特異点の存在を主張するという点が明確に分かる文章を自分の目で確認したいと思います。自分でも検索してみましたが、そのような文章を発見できませんでした。(翻訳の影響を排除したいので、原文で読めるとなお助かります。)


さて、質問です。

世界5分前仮説が反証不可能であるとして、それでは反証可能な理論にはどういうものがあるのでしょうか? これまでは、そんなことは議論にも及ばず当然分かっていると考えていましたが、事態がここにいたると、そこから徹底的に明らかにするべきではないかと思えてきました。

>>223
>その人物がやっていることは、科学的探究ではあるでしょうが、世界5分前仮説を反証することになってはいません。

世界5分前仮説は反証不可能だから科学ではない、というのが基準01であったかと思いますが、科学ではないものを探求することが科学的探究になりうるのでしょうか?

226ゲジゲジ:2018/12/13(木) 08:33:32 ID:hd/5J5zw
久しぶりにヨコから失礼します。


外の世界とかティレル理論とか、世界5分前仮設の特異点の想定とか・・・
私から見ると議論が変な方向に拡散しています。
実はとっくに「答え」は出ているのに、Kenさまは余談や補足のような部分に捉われて、同じ所で足踏みしているように見えてなりません。
diamonds8888xさまにおかれましても、多少は不正確な表現になっても、もっとストレートに書き込みされた方がKenさまにも理解しやすいと思います。

>>199
で述べた通り、私としてはお2人の議論が早く終わってくれればと思っておりますので、少しでもお手伝いさせて頂ければと思います。
とはいえ、私の方も最近はなかなか書き込む時間が取れなくて・・・


さて、
 >>213
 >私を批判してくれるなと言っているのではありません。
 >diamonds8888xさんも同じ意見をお持ちであり、これらの投稿の文頭から末尾まで同意されるのなら、
 >言い換えれば投稿者名に「diamonds8888x」と入っていると考えてもよいのであれば、
 >投稿番号だけを指定して「これを読みなさい」と言われても結構です。
との事なので、
私としてもなるべくdiamonds8888xさまから【文頭から末尾まで同意】して頂き、
【投稿者名に「diamonds8888x」と入っていると考えてもよい】と仰って頂けるような投稿を心がけますので、
diamonds8888xさまには上手く活用して頂けたら幸いです。


と、いうわけで【本文】は次から・・・

227ゲジゲジ:2018/12/13(木) 08:34:46 ID:hd/5J5zw
そもそも議論している本来の論点は何だったでしょうか?


正当な科学であるか否かを判断する基準の01として
 >>56
 >基準01. へそ理論(オムファロス)や世界五分前仮説のような形の理論は、科学的ではない。
 >(「反証可能性のない理論は」だと範囲が曖昧でしょうから)
がdiamonds8888xさまから提示されました。

つまり“反証可能性”がある理論は科学的と言える(少なくとも基準01はクリアする)、
逆に“反証可能性”がない理論は科学的とは言えず、人によっては「疑似科学」と判定されてしまう(基準01をクリアできない)、
という事ですよね。

では“反証可能性”とはどういう事なのか?
それを明らかにするために、【反証可能性がない】理論の具体例として「世界5分前仮設」についての考察を始めたはずです。

ですから本来であれば、【世界5分前仮設は反証できない】事を前提に、
【なぜ世界5分前仮設は反証できないのか?】を考察するべきでした。

しかし
 >>186
 >世界5分前仮説が原理的に検証可能であるのかを考察します。
【世界5分前仮設は反証できるのか?】を考察してしまったところから、議論があらぬ方向に行ってしまったのではないでしょうか?


さて、そもそも「世界5分前仮設」とはどの様な理論でしょうか?
少し検索したら以下のサイトがヒットしました。
 ttp://russell-j.com/cool/16T-0901.HTM
平たく言えば、
「世界が5分前に、5分前の状態でできたと仮定しても、現在(0分0秒時点)の観察事実と何ら矛盾するものはない」
という主張なわけです。
つまり世界5分前仮設は、【現在の観察事実と矛盾がない】という、ただそれだけを理論の拠り所としているわけです。

この様な仮説を反証するには、【矛盾する観察事実】を提示しなければなりません。
しかし【世界のすべてが、5分前以前からあったかのように、5分前にできた】という仮説なわけです。
どんなに【それが5分より前から存在していたと思われる証拠】を提示したところで、それは【矛盾する観察事実】には該当しません。

尚、ここで言う【世界のすべて】とは、理論構成上【世界の現在において観察されるすべて】と解釈するべきでしょう。
仮に「外の世界」があって、「外の世界」が観察可能であるとすれば、【「外の世界」も含めて世界のすべて】となります。

こうなるともう、「タイムマシンが発明されて、5分前以前にタイムスリップして、そこに世界があるかどうかを確かめる」ぐらいしか検証する方法がないでしょう。
いや、それだって「5分前に5分前以前の世界もつくられたのだ」、「【5分前にできた5分前以前の世界】を観察したに過ぎない」と言われたら、検証不能になってしまいます。
なんだか禅問答のようになってしまいましたが、そもそも哲学というのは屁理屈をこね回すようなところがあるので仕方がありません。


では、この様な理論はどうして【反証できない】のでしょうか?
実はとっくに「答え」は出ています。
 >>203
 >でも、外の世界を仮定せずに、世界5分前仮説を検証可能な形で説明できますか?
そう、世界5分前仮設は【検証可能な形で説明できない】から【反証できない】のです。

世界5分前仮設は、5分前に何が起こったかについて具体的には何も語っていません。
どの様な原理・メカニズムで5分前に5分前の状態で世界ができたのか?
それは「外の世界」の何者かが介入したものなのか?
あるいは「世界の原点」みたいなものに内在化した「原理」のようなものがあったのか?
世界5分前仮設は何も語らず、ただただ【現在の観察事実と矛盾がない】という、ただそれだけが理論の拠り所なのです。

こういう理論は何も具体的な仮説を導くことができません。
ですから【検証可能な形で説明できない】ので【反証できない】のです。
つまり“反証可能性”とは、言い換えると【具体的な仮説を導くことができる】という事です。
そして【世界5分前仮設のような何ら具体的な仮説を導くことができない理論】は【“反証可能性がない”】ので正当な科学とは認められないのです。
これが「答え」です。


では【反証可能性のない理論】はどうやったら反証できるのでしょうか?
それは新たな公理(例えば結果には必ず原因がある)を付け加えて、そこから具体的な仮説を導けるようにする事です。
Kenさまが >>186 以降でやって来られた事が正にそれだったわけです。

228ゲジゲジ:2018/12/13(木) 08:35:52 ID:hd/5J5zw
最後に >>225

 >(世界5分前仮設が)特異点の存在を主張するという点が明確に分かる文章
そんなものは多分ないと思います。
世界5分前仮設は上で述べた通り、飽くまでも【現在の観察事実と矛盾がない】事だけを論拠にしているので。
勿論、ラッセルも本気で世界5分前仮設を提唱したわけではありません。
【世界5分前仮設のような理論は反証できませんよね】と言っているに過ぎないわけですから。


 >それでは反証可能な理論にはどういうものがあるのでしょうか?
具体的な仮説を導く事のできる理論です。
『ネイチャー』や『サイエンス』などに掲載される論文で主張されるような理論は全て反証可能でしょう。
これまでの議論で出てきた中では、天動説、地動説、光波動説、光粒子説、そしてもちろん進化論(ネオ・ダーウィニズム)・・・
Kenさまが >>186 以降で述べられてきた【「外の世界」を想定した世界5分前仮設】も恐らく反証可能です。


 >世界5分前仮説は反証不可能だから科学ではない、というのが基準01であったかと思いますが、科学ではないものを探求することが科学的探究になりうるのでしょうか?
この人物がやっているのは【反証不能な「世界5分前仮設」】の探求ではなくて【反証可能な「外の世界が存在するという仮説」】の探求だからです。

229diamonds8888x:2018/12/14(金) 06:05:45 ID:8LD5Iq7Y
>>225
> 世界5分前仮説が反証不可能であるとして、それでは反証可能な理論にはどういうものがあるのでしょうか? 

 ほとんどの理論や仮説は反証可能です。反証不可能な例を考える方が難しいのです。というか現在のKenさんにとっては、反証不可能だと理解することが難しいようですよね?

> >その人物がやっていることは、科学的探究ではあるでしょうが、世界5分前仮説を反証することになってはいません。

> 世界5分前仮説は反証不可能だから科学ではない、というのが基準01であったかと思いますが、科学ではないものを探求することが科学的探究になりうるのでしょうか?

 「その人物が」反証ないし検証しようとしている理論は世界5分前仮説ではないと私は言っています。それは世界5分前仮説をKenさんをモディファイして、外の世界とか5分前以前の因果律とかを付け加えた【Ken流世界5分前仮説】です。


 以上のことを理解するのに「原文」とかが必要とは思えません。だってwikiの記事の日本語表現で誰もが理解しているのです。ポイントはKenさんが「あらゆる理論には因果律が必要だ」という常識を捨てられないことです。それを捨ててください。相対性理論や量子力学の登場で、いくつかの常識を捨てたように。

230diamonds8888x:2018/12/14(金) 06:19:22 ID:8LD5Iq7Y
>>225
 ゲジゲジさん[>>227]で原文を見つけていただきましたから参照してください。

 [>>227]には全文に賛同ですが、特に「実はとっくに「答え」は出ています。」以下に的確にまとめられていますので、ここだけよく読んでいただければOKです。

 ゲジゲジさんありがとうございました。

231Ken:2018/12/14(金) 11:06:53 ID:MwC7Hw/E
>それは世界5分前仮説をKenさんをモディファイして、外の世界とか5分前以前の因果律とかを付け加えた【Ken流世界5分前仮説】です。

>>212で示されたA、A1、A2はこうでした。

理論A:世界5分前仮説
理論A1:外の世界がある
理論A2:外の世界はない

A1とA2は排他的であり、両者を足すとAになります。

もし私がA2はないものと決めてかかりA1だけを追求したら、それは「モディファイ」かもしれません。もちろん私にとっては因果律は必須の前提で、それだけでもA2を否定しますが、それはひとまずおいても、実際に外の世界を見つける方法を提唱しています。何度も言ったように、世界のエネルギー総量を調べたり、気流構成の有限要素的特徴を探すことです。もしそれで外の世界の存在を示す観測結果を得られたら、A1とA2のどちらが事実を反映するかは結論が出るではありませんか。

それでもA(世界5分前仮説)をモディファイしていますか?


>相対性理論や量子力学の登場で、いくつかの常識を捨てたように。

相対論や量子論の登場で捨てられた常識とは古典力学のことですね。

そこには古典力学の常識を捨てるしかない観測結果がありました。光や電子の2重スリット実験はその1つです。でも、ラッセルが提唱した世界5分前仮説に、因果律の否定を求める条件は含まれますか? 特異点の存在を明記した文章のことを尋ねたのは、そのためです。

232Ken:2018/12/14(金) 21:43:22 ID:MwC7Hw/E
この補足説明は不要かもしれませんが、念のため

russell-j.com/cool/16T-0901.HTM
より抜粋。

>nothing that is happening now or will happen in the future can disprove the hypothesis that the world began five minutes ago.

まさにこの点に、私は疑義をはさんでいます。

私たちの世界が5分よりも前から存在していたという情報が外の世界から得られたなら、それが「will happen in the future」な事実であり、「the world began five minutes ago」という理論を「disprove」するはずです。

もちろん現在(2018年12月)そのような観測事実はありません。光波動説が登場した17世紀に媒質(エーテル)の存在を示す観測事実がなかったように。それでもそのような観測が将来なされる可能性を指摘すれば、理論は原理的に検証/反証可能であるという合意がなされています。


また

>it is logically tenable

世界5分前仮説が「logically tenable」であるためには因果律を否定する必要があるが、文章のどこにもその記述はありません。したがって「logically tenable」ではありません。

たしかに因果律を肯定する記述もありません。

ですが、科学の仕事が観測事実を説明すること、つまり観測事実が起こる原因を示すことであるなら、原因が必ずあるという前提があるはずです。ですから因果律に関する記述がなければ因果律を前提とするべきで、因果律を否定する場合にはそのことを明記する必要があるでしょう。

233fnorder:2018/12/15(土) 14:19:34 ID:tlwvHx.k
A「人間のできることには限りがあるよ。たとえば、ヒトは空を飛べないよね」
B「そうでしょうか? 飛行機で飛んでますよ」
A「いやいや、飛行機はエンジンついてるし」
B「人力飛行機ならエンジンはありません。人間の力だけです」
A「あれは機械なんだから、話が違うよ」
B「ハンググライダーは? エンジンもないし機械でもないですよ」
A「それにしたって人間の器官ではないんだし、自力で飛んでるとは言えないな」
B「分かりました。では、仮に遺伝子操作で人間に翼をつけて飛べるようにしたらどうでしょう」

Bさんは『機械を作るのも遺伝子操作も人間の能力と言える。つまり人間が飛べないとは言えない』と思ってそうですね。
そして多分Aさんは『そういうこっちゃねえよ!』と思っているでしょう。

私はAさんの方がマトモだと思うんですが、Bさんを説得するのは難しいでしょうね。

234diamonds8888x:2018/12/16(日) 06:27:44 ID:8LD5Iq7Y
>>231, >>232
【理論と公理の基本から】

 真か偽かを判定しうる事柄を述べた文である「命題」と、一連の命題を集めた体系である理論(公理系)とを区別しないと混乱しますから、命題を小文字で示すことにします。ある理論において観測結果を見る前に前提とした命題が公理です。

 むろん理論を考えた人の心の中には、その公理を思いつく原因となった観測結果が何かあるのでしょうが、理論の内容をまず検討する段階では、観測結果を考慮に入れてはいけません。観測結果が必要になるのは、その理論が正しいか否かを検証ないし反証しようとする段階でのことです。


 ではAとA1とA2との関係を正確に書き直します。

理論A:世界5分前仮説(一群の公理および古典論理法則のみからなる)
命題a1:外の世界がある
命題a2:外の世界はない

理論A1:理論A+公理a1
理論A2:理論A+公理a2

  では理論Aでは外の世界については何が言えるかというと、Kenさんの指摘通り排他律が成立します。これは論理法則ですから、論理的に矛盾のないあらゆる理論で成立します。

理論Aで成立する命題のひとつ: 外の世界がある、または、外の世界はない
    a1∨a2  (∨は "or" を表す論理記号)
    なぜなら、a2=¬a1 (¬は "not" を表す論理記号)


> もし私がA2はないものと決めてかかりA1だけを追求したら、それは「モディファイ」かもしれません。

 上に述べたように「追求する」というのは理論Aが正しいか否か(観測と一致するか否か)を検証ないし反証しようとすることです。しかもそれは実は、「a1とa2のどちらが正しいか?」ということを追求していることであり、理論Aの正しさの追求になってはいません。理論Aは「どちらもありうるよ」と言っているのですから、a1とa2のどちらが正しくても理論A自体は間違ってはいません。

 つまり、外の世界の存在が検証されようが反証されようが、理論Aは間違いにはなりません。

>A1とA2のどちらが事実を反映するかは結論が出るではありませんか。

 公理a1と公理a2のどちらが観測に一致するかは判定できるでしょう。しかし理論Aはどちらでもよいという理論ですから反証されません。Kenさんが挙げた観測結果はすべて理論Aと一致します。

 既に述べましたが、理論Aによれば「観測により存在が確認できた外の世界も5分前に突然し始めた」ことになります。

 例えば「外の世界を確認した観測者」がいたとします。その人がまさに外の世界を確認した瞬間、その時点からちょうど5分前に、「外の世界を示唆する事実が観測されるような形で、内も外も含めた世界が突然し始めた、ということになるわけです。

235diamonds8888x:2018/12/16(日) 06:28:38 ID:8LD5Iq7Y
>>231, >>232
【因果律と論理法則】
>世界5分前仮説が「logically tenable」であるためには因果律を否定する必要があるが、文章のどこにもその記述はありません。したがって「logically tenable」ではありません。

 この文章の意味がはっきりとは理解できませんが、古典論理法則の中には因果律というものは含まれていませんよ。因果律を否定したから「logically tenable」でなくなることはありません。
 「文章のどこにもその記述はありません」ということに力点があるのなら、次の御発言と同じことを言いたいのですよね?

>ラッセルが提唱した世界5分前仮説に、因果律の否定を求める条件は含まれますか?

>因果律を否定する場合にはそのことを明記する必要があるでしょう。

 【5分前以前の因果律の否定】は公理ではなく定理です。その論証はすでに述べました[>>217]。

 まさか5分前以降の因果律も否定しているという誤解はしていませんよね? 大事な点なので繰り返し強調していますが、Kenさんはいつでも5分前以前という条件を外しているので心配になります。

236diamonds8888x:2018/12/16(日) 06:31:50 ID:8LD5Iq7Y
>>231, >>232
【因果律のない理論】
>科学の仕事が観測事実を説明すること、つまり観測事実が起こる原因を示すことであるなら、原因が必ずあるという前提があるはずです。

 ビッグバンが始まった時点から宇宙が始まった、という理論には宇宙開闢以前の時間はないことになりますので、【宇宙開闢以前には】因果律はありません。これは「世界5分間仮説」の場合と同じく、「宇宙開闢以前の時間はない」という公理から導かれる定理です。

 特異点は気持ち悪いという理由からそれ以前の世界の痕跡を探る研究も行われていますが、「宇宙開闢以前の時間はない」という命題が非科学的だという理由で頭から否定されたことはありません。

 まさかビッグバン理論が宇宙開闢以降の因果律も否定しているという誤解はしませんよね?

237diamonds8888x:2018/12/16(日) 06:44:36 ID:8LD5Iq7Y
【それがモデファイです】
>>231, >>232

>それでもそのような観測が将来なされる可能性を指摘すれば、理論は原理的に検証/反証可能であるという合意がなされています。

 Kenさんも御承知の通り、「可能性の指摘」が妥当ならばです。具体的には、「Xが存在する」という理論が検証/反証可能であるためには、具体的な観測方法が得られるだけの「Xの特性、性質」をも述べておく必要があります。

 なのでKenさんは、観測可能であるための色々な性質を持つ「検証/反証可能な外の世界」がどんなものかを御提案してきました。

 そしてまさに、「検証/反証可能な外の世界」の性質を規定して示すこと自体が、理論Aにはない新たな公理を理論Aに付け加えていることになるのです。

238Ken:2018/12/16(日) 09:57:52 ID:MwC7Hw/E
>>234

>例えば「外の世界を確認した観測者」がいたとします。その人がまさに外の世界を確認した瞬間、その時点からちょうど5分前に、「外の世界を示唆する事実が観測されるような形で、内も外も含めた世界が突然し始めた、ということになるわけです。

お待ちください!

外の世界を確認するのは、検証の第1歩にすぎません。>>186で書いたように、肝心なのは外の世界から情報を受け取ることです。

>もう1つ重要なことは、エネルギーが入ってくるなら情報もまた伝達可能ということです。
>それなら、私たちの世界が5分以上前には存在しなかったという情報を、外の世界から受け取るのは原理的に可能ではないでしょうか?

つまり外部の観察者から「あなたの世界は10分前には存在していましたよ」という証言を得ることです。

10分前の世界を撮影した映像があればなおよいでしょう。

それも「フェイクだ」と強弁されるかな??

それなら、5分のあいだには絶対に撮影不可能な映像を見せることです。例えば2つの動画に同じ人物が写っており、1つは背景が北海道でもう1つは沖縄、というような。

239Ken:2018/12/16(日) 13:15:42 ID:MwC7Hw/E
>>235

>【5分前以前の因果律の否定】は公理ではなく定理です。その論証はすでに述べました[>>217]。

>>217で述べられたのはこの部分ですね。

>【5分前以前には因果律は適用できません】。原因の存在するはずの【過去】という時間がないからです

結局、diamonds8888xさんは【過去】(t<0)がないから因果律もないと言われ、私は因果律はあるはずだから【過去】(t<0)もあるはず、と主張しているわけですね。

純粋な論理だけで自説の正しさを証明することはできなさそうですが、ただ、これも繰り返していますが、私の主張にはすでに実例があると思うのです。コンピュータがシミュレートする仮想世界がそうです。

プログラムとデータがメモリに搭載されCPUの処理が始まった瞬間がt=0です。その事象が起こるにはコンピュータのハードウェアとソフトウェアを作成するという原因事象があり、原因事象が経過したのは、仮想世界の住人にとってはt<0の時間になります。

>>236
>「宇宙開闢以前の時間はない」という命題が非科学的だという理由で頭から否定されたことはありません。

このような主張をされる人は、シミュレーション世界をどのように解釈するのでしょうか?

240Ken:2018/12/16(日) 13:35:57 ID:MwC7Hw/E
>>237

>「検証/反証可能な外の世界」の性質を規定して示すこと自体が、理論Aにはない新たな公理を理論Aに付け加えていることになるのです。

この文章では、私がやったことを正確に表現していないのではないでしょうか?

理論A(世界5分前仮説)の段階では、外の世界があるともないともいっていません。そして私が提案したのは、宇宙のエネルギー総量の変化を調べてみようという、それだけですよ。

ただ、その調査の結果によっては、外の世界を考えねばならないといったのです。

もう一度エーテルのケースを考えてみましょう。理論Aは「光波動の媒質が存在する」というもので、この段階では光速度の観測値について何も論じていません。

それなら、光速とエーテルの関係は、理論Aにはない新たな公理にはならないのでしょうか?

241diamonds8888x:2018/12/18(火) 06:24:29 ID:8LD5Iq7Y
>>238
簡単に1点だけ。

>つまり外部の観察者から「あなたの世界は10分前には存在していましたよ」という証言を得ることです。

>10分前の世界を撮影した映像があればなおよいでしょう。

 外部の観察者は「あなたの世界は10分前には存在していましたよ」という記憶と共に5分前に突如として出現した、というのが世界5分前仮説の結論です。映像も同様です。

--------
以下はコメントではなく疑問です。

>それも「フェイクだ」と強弁されるかな??

 フェイクと何のことですか??

>それなら、5分のあいだには絶対に撮影不可能な映像を見せることです。例えば2つの動画に同じ人物が写っており、1つは背景が北海道でもう1つは沖縄、というような。

 設定状況がさっぱりわかりません。もう少し詳しくお願いします。何がなぜ「絶対に撮影不可能」なのですか? 世界5分前仮説の検証には「5分のあいだには絶対に撮影不可能な映像を」が必要だとおっしゃりたいのですか?

242ゲジゲジ:2018/12/18(火) 07:31:58 ID:OJhq6ZPM
ヨコからですが、お2人に提案です。

ちょっと論点が、スレッドの主旨からずれてきているように感じます。
取り敢えずいちど論点を整理して、どこまでお2人で合意ができているのか確認されては如何でしょう?
具体的には、以下の点にKenさまは同意されますか?
私からの質問には答えられないでしょうからdiamonds8888xさまから質問して頂けると幸いです。

尤も、これまでのご発言を読み限り、以下の点まではKenさまも同意されていると読み取れます。
ただ以下の点は、このスレッドの根幹をなす論点ですから、ここは念を入れて確認された方が良いかと思います。


1)
反証可能性のない理論(反証できない理論)は科学的ではない。・・・基準01

2)
反証可能性のない理論とは、【具体的な仮説を導く事のできない理論】であり、この様な理論は【検証可能な形で説明できない】ので、【原理的に反証できない】。よって、この様な理論は基準01を満たさないので科学的ではない。

3)
少なくとも【因果律と外の世界を含まない(想定しない)世界5分前仮説】は【検証可能な形で説明できない】ので、【原理的に反証できない】。
よって、【因果律と外の世界を含まない(想定しない)世界5分前仮説】は基準01を満たさず科学的ではない。
また、【因果律と外の世界を含まない(想定しない)世界5分前仮説のような理論】は基準01を満たさず科学的ではない。

4)
逆に【因果律と外の世界を含む(想定した)世界5分前仮説】は【検証可能な形で説明できる】ので【原理的に反証可能】である。
よって【因果律と外の世界を含む(想定した)世界5分前仮説】は基準01を満たし、少なくとも基準01においては科学的と言える。


少なくともKenさまが上記4点に同意できるのであれば、まず「基準01」がどういうものであって、そして「基準01」を満たさない理論は科学的ではない、という点にはお2人の合意ができた事になるかと思います。

で、今直近の論点になっているのは【(本来の)世界5分前仮説】は、因果律と外の世界を含むのか否か(想定するのか否か)ですよね。
diamonds8888xさまは(そしてもちろん私やミケさまたちも)【(本来の)世界5分前仮説】はその理論に因果律や外の世界を内包しておらず、【因果律や外の世界を付け加えた世界5分前仮説】は【(本来の)世界5分前仮説】とは別の理論だと考えています。
しかしKenさまはこの点が納得いかない、ということですよね。


以上、取り敢えず論点を整理してみました。
まずは一度ご確認を頂ければ幸いです。

243Ken:2018/12/18(火) 07:51:46 ID:KLVxY4.k
>>241
>世界5分前仮説の検証には「5分のあいだには絶対に撮影不可能な映像を」が必要だとおっしゃりたいのですか?

そうです。5分で北海道から沖縄まで移動はできませんから。

その2つの動画が、世界創世時の偽装工作の影響を受けない外の世界からもたらされたら、撮影対象である内の世界が5分以上続いている証拠になる、というつもりでした。

ただ、どうやらdiamonds8888xさんは、外の世界も偽装工作の影響を受けていると言われているようですね。

今は時間がないので、あらためてコメントします。
またのちほど。

244ゲジゲジ:2018/12/20(木) 19:50:34 ID:DpYdYy4Q
まだKenさまからもdiamonds8888xさまからも>>242についてお返事を頂いておりませんが、私としても書き込みできる時間が限られています。
今、少し時間ができたので、先走る事にはなりますが、いくつかコメントさせて頂きます。

少しでもKenさまが理解をされるお手伝いができればと思っております。
diamonds8888xさまには必要に応じて活用して頂ければ幸いです。

というわけで、2つほど思考実験をしてみたいと思います。

245ゲジゲジ:2018/12/20(木) 19:51:08 ID:DpYdYy4Q
まず因果律について。

因果律に関連して、一般的には以下の理論があらゆる科学理論において「公理」として内包されているでしょう。
公理1.結果には原因がある(因果律)。
公理2.原因は結果よりも前にある。
公理3.時間は過去から未来に向かって流れる。
公理4.公理2と公理3から、原因は結果よりも過去にある。

さて、ある現象には必ず原因となった現象があります。
そして原因となった現象にも、そのまた原因となった現象があります。
仮にこの世界の始まりの原因が「外の世界」にあるとすれば、「外の世界」の始まりの原因は「外の外の世界」にあるでしょう。
そして「外の外の世界」の始まりの原因は、「外の外のそのまた外の世界」に・・・

こうして「原因の原因のそのまた原因の・・・」とずっと辿って行ったら、あるいは「外の世界の外の世界の外の世界の・・・」とずっと辿って行ったら、最終的にどこに行き着くでしょうか?

便宜上、行き着いた先を「究極の原因」と呼ぶ事にします。「究極の原因」はすべての原因です。
と、いう事は、時間が始まった原因でもあるはずなので、「究極の原因」の時点は「究極のt=0」の時点です。
では「究極の原因」はどうなっているのでしょうか?

<考察1>「究極の原因」は原因がなく起こった
「究極の原因」に原因はありません。それ以上は原因を辿れない時点を「究極の原因」としているのだから。
そしてその時点は「究極のt=0」ですから、それ以上の過去(究極のt<0)はありません。
しかし「究極の原因」となる現象は起こりました。その現象が起きなければ、結果として起きるはずのそれ以降の現象は起こり得ないのですから。「究極の原因」となる現象が起きなければ、世界は「外の世界」や「外の外の世界」なども含めて存在できないはずですから。
従って「究極の原因」は特異点で、その時点では因果律は崩壊します。

<考察2>「究極の原因」は存在しない
因果律に特異点は存在しないと考えます。
ですから「原因の原因のそのまた原因の・・・」と、どこまでもひたすら、無限に辿れます。
時間は無限に過去に遡れます。
この考えでは世界に始まりはありません。なぜなら過去は無限に辿れるのだから。
世界は始まる事なく始まりました(言葉で表現するのは難しいですが)。

<考察3>「究極の原因」では原因が未来にある
「究極の原因」は因果律(上の公理1)の特異点ではなく、公理2もしくは公理3の特異点と考えます。結果、公理4の特異点にもなります。
「究極の原因」はそれ以上過去に原因を辿れませんから、過去ではなく未来の現象を原因として起こりました。
あるいは「究極の原因」近辺では、時間は未来から過去に向かって流れています。

さて、<考察2>と<考察3>については、「なぜそうなっているのか?」という疑問が生じます。
つまり<考察2>では、なぜ世界は始まる事もなく始まったのか?
そして<考察3>では、なぜ「究極の原因」の時点では時間軸が逆転するのか?
そこには時間軸を越えた「原因」があったはずで、結局はそれこそが「究極の原因」となってしまうでしょう。

というわけで、この思考実験の結果、因果律は「すべての始まり」、「究極の原因」、「究極のt=0」の時点では崩壊し、原因がなく「究極の原因」という結果が生じたと考えざるを得ません。Kenさまは以下のように仰いますが・・・

 >>220
 >世界の始まりは、ビッグバンのような特異点を示唆するものとは限らない
 >たとえビッグバンを想定しても、特異点を想定することはできないのでは
 >>232
 >世界5分前仮説が「logically tenable」であるためには因果律を否定する必要があるが
 >>239
 >diamonds8888xさんは【過去】(t<0)がないから因果律もないと言われ、私は因果律はあるはずだから【過去】(t<0)もあるはず
 >私の主張にはすでに実例があると思うのです。コンピュータがシミュレートする仮想世界がそうです。

そもそも因果律という理論自体が、「すべての始まり」の時点では因果律が崩壊するという特異点を内包しているのです。

246ゲジゲジ:2018/12/20(木) 19:52:22 ID:DpYdYy4Q
次に世界5分前仮説について。

>>245を読まれるとお気付きになると思いますが、世界5分前仮説には少なくとも2通りの解釈が成り立ちます。

<解釈1>
世界5分前仮説が主張する世界の始まりとは「究極の原因」、「究極のt=0」の時点である。
つまり「究極のt=0」が実は5分前であり、5分前に何の原因もなく世界のすべてができあがった。
当然、この解釈では「外の世界」はあり得ません。

<解釈2>
世界5分前仮説が主張する世界の始まりは飽くまでも「この世界」の始まりであって、「究極の原因」の時点ではない。
従って「t=0」が5分前だとしても、それに先行する過去が「外の世界」に存在した。

世界5分前仮説がどちらの解釈なのかは原文を読んでも書かれていません。
Kenさまは当然の事として<解釈2>の方を採用されたのですよね。


さて、ではKenさまに従って、<解釈2>に基づいて世界5分前仮説を思考実験で検証してみましょう。
折角なので>>221の続きを考えてみます。

 >ここに1人の人物がいます。
 >彼は、この世は実は5分前に始まったのであり、彼を含む全員が偽の記憶を植え付けられているのではないかと疑っています。
 >どうすれば真相を明らかにできるかと考えた彼は、もしかしたらこの世の外に別の世界があり、
 >彼自身の世界を観測しているかもしれないと発想しました。

********* 物語のはじまり、はじまり〜 ********
彼は、外の世界の存在を示す証拠を探し始めました。
具体的には、宇宙のエネルギー総量を調べたり、気流のような自然現象が有限な大きさの要素から作られている事例を探すことです。

そのためには資金が必要です。
彼はあちこちの国家や企業に資金提供を呼びかけました。
幸いにして、いくつかの国や企業が彼の研究に出資を約束してくれました。
やがて彼の研究に共感する研究者たちも現れ、世界5分前仮説を検証する国際的なプロジェクトチームが立ち上がります。

宇宙のエネルギー総量を調べたり気流の要素を解析するための大規模な実験装置が開発され、様々な観察や実験が行われました。
そして遂に、彼らは外の世界が存在する事を突き止めたのです。

しかしまだ道半ばです。
次は外の世界から、この世界が5分前にできた証拠となる情報を得なければなりません。
外の世界の住人から真実を聞き出そうと思えば、外の世界と言葉を交わすための翻訳機械の開発も必要です。

具体的にどうやったかは置いておいて、ともかく彼らプロジェクトチームは外の世界から、この世界が5分前にできた事を証明する情報を得る事に成功します。
彼らは世界5分前仮説を検証するという、各々の人生をかけた一大プロジェクトを成功させたのです。

彼は論文を書きました。そして遂に論文も完成しました。
彼はとてもお腹が空いている事に気が付いて、カップラーメンにお湯を注ぎます。
しかしふと考えます。論文が完成したのだから、まずは1人ささやかな祝杯を挙げようと。
彼はワインとワイングラスを用意します。
冷蔵庫の中から、つまみのチーズを探します。
その時、彼は冷蔵庫にチキンがある事に気が付きます。
彼はチキンをレンジでチンします。

気が付いたら、カップラーメンにお湯を注いでから7分が経過していました。
彼はちょっと舌打ちしましたが、カップラーメンがのびてしまった事など、論文が完成した喜びの前ではどうでも良い事です。
彼はワインで1人乾杯し、のびたカップラーメンに箸をつけました。
********* おしまい ********


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