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現代人が納得できる日蓮教学
77
:
犀角独歩
:2005/07/24(日) 09:21:08
72 乾闥婆さん
レス、有り難うございます。
拝読して思ったのですが、乾闥婆さんは、スレのテーマを読み違えていませんか。
現代人が納得できる日蓮教学ということを、わたしは、日蓮を21世紀に残すために考えてみようと思って、このスレッドに望んでいます。そのために一般的な見地から見える日蓮、その一般の人々が納得するものは何かを抽出する作業をしようとしているわけです。批判として読んでいただきたくないのですが、乾闥婆さんのご投稿を読んだ一般の人は、言葉は悪いかも知れませんが、多分に「言い訳臭い」と感じるのではないでしょうか。
このスレ・テーマは自己信仰への弁明を目的とするより、何によって人は日蓮を受容するのかという模索です。その意味で、乾闥婆さんは、何か勘違いなさっているようにお見受けします。
斯くいうわたしは、生まれながらの「日蓮正宗」信徒「創価学会」員でした。両親は熱烈な活動家でした。家族の一員であること、親孝行であること、良い子であること、それらの価値観を満たす条件で、最優先事項は「正しい」信徒会員であることでした。そこには一切の選択肢は存在せずに育ちました。ご指摘を受けるまでもなく、納得して信仰などしてきませんでした。しかし、ここに出口があることを知りました。
'95年の地下鉄サリン事件を機に、わたしは自己信仰の点検に入りました。平行して、ここ10年来、社会活動として、所謂、カルト集団と信者、また、その被害者と向かい合ってきました。そのなかで同じようにカルト問題を考える多くの人々との出会いがありました。精神科医、弁護士、博士、臨床心理士から、牧師、神父、各派僧侶…、その数は200名近くになります。また、カルト入会活動する子・配偶者を持つ家族の悲痛な叫びを多く聞くことにもなりました。
この人たちとので出会いと会話を通じて、自分が信仰してきたものは、日本の一般社会、ましてや全世界的宗教問題では、まったく通用しないことを痛切に思い知らされました。
ロムの多くの方々、特に的外れな無責任な書き込みを吐き捨てる人々は誤解しているようですが、わたしは日蓮を、いまでも敬愛しています。故に何とか、この日蓮を、未来に継承したい。そのような思いがあります。そのために一般人の視点を借りて、では、納得できる日蓮の要素とは何かを考えてみようというのがテーマです。
> 「科学的であり、社会的親和性に富む宗教」とはどのような宗教でしょうか
この問いはそもそも、わたしの記述を取り違えています。科学的な宗教などあるはずはありません、その成立が科学以前の訳ですから。そうではなく、非科学的な宗教は説得性を有さないというのみです。これは=科学的な宗教という意味ではありません。
しかし、「社会的親和性に富む宗教」の例など、いくらでもあります。文明、文化全般、政治・経済、諸学問に至るまで、宗教の延長から発展したものはいくらでもあります。その具体的な事例が思いつきませんか。
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