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現代人が納得できる日蓮教学

90顕正居士:2005/07/26(火) 15:35:38
「わが国の仏教は今は整然、3種類に分かれるに至った。学問仏教、葬式仏教、仏教系新興宗教である」と
スレッドのはじめに述べました。

明治維新以後、学問仏教としての日本仏教は新時代に適応し、今も繁栄しています。なぜ繁栄して来たかと
いうと、葬式仏教があったからです。わが国の僧侶の多くは家業を継承するのと同じに寺院を相続して住職
になります。業務はほとんどソフト葬儀業といって差し支えがない。しかし寺院には日本仏教のエートスが
存在し続け、篤信の少年には仏教学者となることがいわば真の出家でした。研究者、教育者の仕事とともに
住職の勤めを果たし、宗務行政においても重役を担うことがあった。一般僧侶も葬儀、法要をまじめに遂行し、
宗門に献金し、宗門大学を維持し、小部数の仏教学術書の刊行を支えました。

何故、わが国の儀礼仏教が葬式仏教に集約したかといえば、仏家の睡眠のせいはあるが、泰平の江戸時代
に僧侶の教育が向上し、現世利益を説くことが少なくなったからがあるとおもいます。このことが逆にはたらき、
新興宗教全盛になった。新興宗教のほとんどは功徳と罰(おかげとたたり)を教義の中心としました。ただし、
どこのお地蔵様にお参りするとこの利益があるという迷信に類するのではなく、もっと組織的に説き、「勤勉」が
重視された。この徳目が効果的だったのが昭和の30年代で、創価学会の教義は時期によくあっていました。
しかし「勤勉」でさえあれば成功したのは、西欧に比較し数十年分の経済の遅れがあった明治のはじめ、及び
終戦後の経済復興の時代です。社会が安定したら、各個が正しい目標を見いだし、適切な工夫を発明しない
となりません。新興宗教の典型的な教義では役に立たないのです。

葬式仏教のシステムは農業人口が大半であった時代に出来たものです。、寺院は、維持する檀徒がもういない
過疎地と葬儀と法要の需要に応えられない大都市に二分した。霊友会、佼成会、創価学会は都市型葬式仏教
ともいえます。葬儀は宗教の起源の一つであり、人類は今後も亡き人の葬送の儀礼を続けるでしょう。幸福な
生活を実現するための系統的な智慧も求められ続けるでしょう。あらゆる学問をまなび、いっさいの情報を得て
自分の人生を設計することは個人の努力では不可能です。クリーンなコンピュータと通信機器を与えれて、その
プログラムはぜんぶ自分で作れと云われても出来ません。これに日本仏教を喩えれば、日本の学問仏教を
学習する人口が増加し、その人達によりOSやさまざまなアプリケーションが作成されて、次の世代はその便益
を得ることができる。日本仏教はそういう時代に入ったと考えています。


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