[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
メール
|
1-
101-
201-
301-
401-
501-
601-
701-
801-
901-
1001-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
現代人が納得できる日蓮教学
52
:
顕正居士
:2005/07/22(金) 15:23:38
>>48
乾闥婆さん。
さまざまな宗教宗派はそれぞれの時代と社会の学問、道徳が要求する基準を満たし、納得できるから信仰
されたのではないでしょうか?基準を満たさない場合には邪教邪宗として取り締まられた。今日、「破壊的
カルト」というのと同じです。犀角独歩さんがおっしゃるように、基準の一つは時代の学問に合致することです。
わが国では室町時代までは仏学が最高の学問であった。だから宗派の信仰はまず仏学に合致しなければ
ならない。次に社会生活の基準である儒学、神道の規範に反してはいけない。日蓮の遺文は檀越に宛てた
比較的短いものであってさえ、自らの信仰を積極的に説くというより、これらの学問と規範に合致するのだと
いつも論証しようとしています。
中国の仏教は宋の時代にはほぼ完成し、以後、大きな発達はありません。したがってわが国でも江戸時代
に入ると、仏学は訓詁の学が中心となった。先端の学問は儒学、蘭学に交替し、やがて国学も興ります。
ついに幕末明治には仏教は蒙昧な迷信であり、国力を弱める邪教であると批判されます。理由は一つは
自然科学に反する。室町時代に世界が球体であるとする天文学も、世界地図も伝来しています。しかし仏家
は頑なに須弥山説を説き続けた。明治に真宗の僧で佐田介石という方が視実等象儀という機械を作って
須弥山説をなおも普及しようとした。依頼を受けて機械を作ったのは東芝の創業者である田中久重翁です。
「理性の衰弱」
http://www.kibicity.ne.jp/~j-kida/image/2004/092501/
理由のもう一つは文献学に反する。すでに18世紀に富永仲基が仏典成立史をあらかた解明しましたが、
仏家は釈尊金口を唱えるばかりであった。平田篤胤は仏学の2大欠陥を大いに嘲笑した。明治廃仏に至り、
ついに仏家も寝言を云ってはおられなくなった。東本願寺は執持刀杖の仏説に依り僧兵訓練を復活した。
当時、南条文雄は東本願寺僧兵であった。彼が欧州へ留学し、現代仏教学の建設者の一人として知られる
ことになったのは、石川舜台という傑僧が権力闘争に勝利して宗務行政を掌握したからであります。
さて乾闥婆さんがおっしゃるように宗教宗派の信仰とは神話すなわち物語に基づくという方面があります。
フィクションだから、幾らでもことなる物語が成り立つのであり、それらは事実や史実ではないが信者(ファン)
にはなんらかの「真実」を感銘する。事実と真実との混同がたしかに西欧のキリスト教や日本の仏教の歴史
に見られます。それはおそらく、西欧のカトリック教会、日本の比叡山延暦寺がその宗教の中に凡ゆる学問、
芸術を包含し、不可分に融合していたために、異端を武力で征伐するということを行った。異端の方では
やはり武力でもって正統教会と闘った。そういう事情があるとおもいます。この考えから見ると、日蓮の活動
は「反−宗教改革」であって、イエズス会の創設者、イグナチウス・ロヨラに比較するのが適切です。「真実」
だから構わないということは云えません。アル・カイーダの「真実」は折伏(武力討伐)されなくてはなりません。
日蓮の思想を構成する要素の大部分は、今日では棄てられねばなりません。彼の思想中で、とるべき事柄
は、現代文明に反逆する宗教宗派は言論と武力で退治すべきという一事のみだと、わたしは考えています。
日蓮の誤謬を「真実」どころか「事実・史実」などと迷信する教徒は、当然、最初に折伏されねばなりません。
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板