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現代人が納得できる日蓮教学

122乾闥婆:2005/08/04(木) 21:42:53
>>108

>それを宗教儀式のなかで見て終わりにすれば、それでは理念、観念の域でしょう。実態とは自分が心の実感であり、心身を尽くす人との関わりのなかにしかありません。

もちろんそのとおりです。しかしそれは宗教儀式のなかで見て終わりにした場合、です。理念・観念が不要のものかどうかということとは別問題です。理念も観念も私は必要だと思っています。そのようなものなくして人間は筋目正しく生きられるでしょうか。「心身を尽くす人との関わり」を形成する行動原理として理念が必要なのではないでしょうか。日々の煩雑な用件に流される日常の中で、そのような理念を持つ者と持たない者とは振る舞いにおいて違ってしまわないでしょうか。菩薩道に対する観念も理念もない者に菩薩道が行えるでしょうか。

>漫荼羅も、唱題も、そして、日蓮の教えも、その菩薩道に至る道標であることがわかります。

私もそのように思います。しかし道標はあったほうがいいのではないでしょうか。もちろん、それが道標であることを知っていることは重要なことであります。

>これは主客逆転です。初期仏教こそ仏教であり、いまわたしたちが思っているほうが仏教ではなく、宗教ではないのです。いまようやくと、科学的成果と思弁で、幾重にたまった澱と、垢が洗い流され、宗教と、仏教が見えてきたのではないでしょうか。

初期仏教はむしろ宗教批判としてあったのではないでしょうか。宗教批判としてあった仏教が宗教へと回収されていった、そして回収された宗教としての「仏教」を今の私たちは仏教と呼んでいるのではないでしょうか。


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