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現代人が納得できる日蓮教学
40
:
顕正居士
:2005/07/20(水) 13:04:24
常楽我浄について述べた祖書、玄義の主な文
「外道は常楽我浄と立てしかば、仏、世にいでまさせ給ては苦空無常無我ととかせ給き。二乗空観に著して
大乗にすすまざりしかば仏誡めて云く 五逆は仏の種、塵労の疇〈たぐい〉は如来の種、二乗の善法は永不
成仏と嫌せ給き。常楽我浄の義こそ外道はあしかりしかども、名はよかりしぞかし。而れども仏、名をいみ
給き。悪だに仏の種となる。ましてぜん(善)はとこそをぼうれども、仏二乗に向ては悪をば許して善をばいま
しめ給き」(十章抄)
「馬鳴龍樹菩薩等は仏滅後六百年七百年等の大論師なり。此人々世にいでゝ大乗経を弘通せしかば、諸々
の小乗者疑て云く 迦葉阿難等は仏の滅後二十年四十年住寿し給ひて、正法をひろめ給ひしは如来一代の
肝心をこそ弘通し給ひしか。而るに此人々は但苦空無常無我の法門をこそ詮とし給ひしに、今馬鳴龍樹等は
かしこしといふとも迦葉阿難等にはすぐべからず是一。迦葉は仏にあひまいらせて解をえたる人なり。此人々
は仏にあひたてまつらず是二。外道は常楽我浄と立てしを、仏世に出させ給ひて苦空無常無我と説かせ給ひ
き。此ものどもは常楽我浄といへり是三」(報恩抄)
「大經に云く。一實諦とは則ち二有ること無し。二有ること無きが故に、一實諦と名く。又一實諦とは虚偽無き
に名く。又一實諦とは顛倒有ること無し。又一實諦とは魔の所説に非ず。又一實諦とは常樂我淨に名く。常樂
我淨とは空假中の異り無し。異らば則ち二と為す。二ならば故に一實諦に非ず」
「常樂我淨とは一實諦に名く。一實諦とは即ち是れ實相なり。實相とは即ち經の正體也。是くの如きの實相と
は、即空・假・中なり」(玄義卷第八下)
http://ccbs.ntu.edu.tw/cgi-bin/webgetfile_.exe?pid=27582&offset=8
諸行無常 諸法無我 涅槃寂静 (一切皆苦)〜三法印(四法印) / 諸法実相〜一法印 という。
大乗の涅槃経には法身の常住、涅槃の四徳(常楽我浄)、悉有仏性(衆生内在の法身)が説かれる。八宗の
祖龍樹は生死即涅槃と決択されたから、仏のみならず、衆生も国土も常住である、と中国仏教では考える。
法華経では「諸法従本来 常自寂滅相」といちおう空性の立場であるが、その八不中道(中論帰敬偈)、諸法
実相が法華経の経体であるから、空性の名が妙法蓮華経であると三論宗ではいう(大乗三論大義抄)。
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