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現代人が納得できる日蓮教学
96
:
乾闥婆
:2005/07/29(金) 22:45:02
>>88
>では、他の体験を得る方法のなかから、何故漫荼羅か・唱題かという特定する根拠も崩れている現実があります。つまり、「物語」と方法は、日蓮が御立てた通り、実は不離の関係にありませんか。
そのように思います。前回犀角独歩さんが指摘されたとおり、数ある宗教(方法)のなかから、特定のものを選ぶ、という状況には本当はないのだと思います。ただ、その信仰の中にある、のでしょう。物語という方法の中に、信仰者はただ身を置いているのでしょう。つまり逆に言えば、唯一絶対の宗教(方法)など、ありえない、そんな唯一性を主張する根拠はどこにもない、ということです。しかし蓮祖の教義は、現代においては、唯一絶対の信仰があるという物語であり、しかし物語であるゆえに唯一絶対ではありえないという、入れ子構造のようになってしまいます。私が「さらに前へ」と進めずに、循環世界に捕らわれ続けているのは、そのような構造に嵌っている故でもあるのでしょう。
>実体験、神秘体験は「個人的リアリティ」と分析され、宗教病理であれば、感応、妄想を含めて、このような特異体験は、薬物、若しくは脳内分泌物質異常と判断され、「正常」と診断されることはないように思えます。
個人的な信仰受容は、しかし結局は求められてしまうのでしょう。「薬物、若しくは脳内分泌物質異常」は薬物によらずとも体現でき、その体現できる方途として宗教があり、また求められてしまう。そのような受容のされ方を排除することによって、社会性を得られたとしても、それはもはや宗教ではないのかもしれません。といいますか、宗教である必要がないといいますか、慈善事業団体、といったものではあるのかもしれません。個人的な宗教体験を信仰外部の人間に「納得」してもらうことは、やはり困難であると思います。
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