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現代人が納得できる日蓮教学

115顕正居士:2005/08/03(水) 19:25:08
「今此の本尊大漫荼羅とは霊山一会の儀式を書き顕はす処なり」(本尊三度相伝)
まずこの霊山一会という語は、二処三会中の虚空会を指すと解すべきでしょう。二仏並座は虚空会の間です。

次に「未有寿量佛。来入末法始此仏像可令出現歟」(本尊抄)とありますから、この宗の本尊が寿量品の仏で
あることも明らかです。したがって大石寺のように曼荼羅正意を取る場合には、曼荼羅が虚空会の図像で
あるというだけでなく、曼荼羅が寿量品の仏であることも示す必要があります。さらに寿量品の仏といっても、
「今日寿量品の儀式を以て、久遠元初の自受用の相貌を顕すなり。妙楽の所謂『雖脱在現・具騰本種』これを
思い合すべし」(本尊抄文段)といい、つまり在世の寿量品の仏ではなく、「五百塵点乃至所顕三身無始古仏」
(本尊抄)の表現だとする。むろん大石寺ではその無始古仏を「教主釈尊五百塵点已前仏也。因位又如是」
(本尊抄)の因位のほうの仏とするわけですが、因本果迹論を別にすれば、曼荼羅正意の論は「己心釈尊」、
「無始古仏」を取って、在世寿量品の仏を取らない思想といえます。


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