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現代人が納得できる日蓮教学

98犀角独歩:2005/07/30(土) 11:14:03

乾闥婆さん

たいへんに落ち着いたご投稿に接し、また、有意義な議論ができ、嬉しく存じます。
また、かつての自分の心象風景でもありながら、既に過ぎ去ってしまったために忘却していた部分と重複するところも多々あり、参考になりました。

> 蓮祖は本当に事実として捉えていたのでしょうか

わたしは、事実としてとらえていたと思います。
生身の虚空蔵菩薩から智慧の宝珠を受け取ったのも、不動明王・愛染明王の感見も事実としてとらえていたと思います。そこから、本尊抄を読まないと、日蓮が垣間見ていた世界は、実際に上行等の四菩薩が出現する世界とならないことになります。

> 今もゴータマ・ブッダはインドの霊鷲山に出現し続け法を説き続けていると考えていたのでしょうか。

先の問いかけに応答に続きますが、娑婆世界で説法教化する釈尊は、信仰体験のうえでしか見仏できないという矜持はあったと思えます。

なお、この釈尊を日蓮は「ゴータマ・ブッダ」ととらえていなかったでしょう。

(ゴータマ・シッダールタ(瞿曇・悉達多)((梵)Gautama siddhaartha、(パ)Gotama Siddhattha)

釈迦牟尼仏、釈迦牟尼如来、釈迦牟尼世尊としてとらえていたと思います。

やや論点は違うののですが、この話題は実は昨日福神が開催した定例の勉強会・小松邦彰師(立正大学)の真跡遺文講義で話題になった点でした。日蓮が久遠実成釈迦牟尼仏への信仰の確立を佐前と見るか・佐後と見るかで聴講参加の今成師と意見を分かって議論されていました。

> 曼荼羅本尊の受容の歴史は長い

そうだと思います。たぶん、日興等、派祖の時点にまで遡れると思います。
これも聴講した話に属しますが、本化ネットの勉強会で中尾師の漫荼羅講義を聴講した折、師が、日蓮の書くような漫荼羅はそれまで存在しなかったために、それをもらった弟子は、それをどう扱ってよいか困惑し、また、それを理解させるのに、「日蓮聖人が苦心惨憺した様子」が遺文から伝わると語っていました。この点は、唱題も同様で、700年経ったいまでは当たり前のことになっていることは草創期には、弟子檀那ですら理解されていなかったということは多々あったと思います。まして、いまのようにメディアの発達があるわけでもなく、交通機関も発達していなかった時代、その伝達は人づて、手紙に限られたわけです。また、自師を、その前師のように仰ぐというのはいつの時代も一つの信仰姿勢に含まれますから、やがて、蓄積された各人のオリジナルは日蓮に仮託され続け本日に至るわけですね。漫荼羅を拝むという風習もそのようななかで定着し、やがて日蓮その人の教えのように扱われ、既に700年を経たのでしょう。ただ、わたしがここで問題にしているのは、「では、日蓮聖人はどうされていたか」という一点であるわけです。


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