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現代人が納得できる日蓮教学

75乾闥婆:2005/07/23(土) 23:48:04
>>52
顕正居士さん。

>さまざまな宗教宗派はそれぞれの時代と社会の学問、道徳が要求する基準を満たし、納得できるから信仰されたのではないでしょうか?基準を満たさない場合には邪教邪宗として取り締まられた。今日、「破壊的カルト」というのと同じです。犀角独歩さんがおっしゃるように、基準の一つは時代の学問に合致することです。

蓮祖はいわば、取り締まられた側の人間であると思います。つまり当時の鎌倉幕府から「納得」されなかったのではないでしょうか。しかし蓮祖を出発点とする幾多の信仰集団は生き延び続け、現代に至るのだと思います。それは「納得」した人々もいた、ということなのかもしれません。それはしかし「それぞれの時代と社会の学問、道徳が要求する基準を満たし」たからであるというよりも、信仰として、それを切実に受容せずにいられない人たちがいたからなのではないでしょうか。その切実さに、私は「それぞれの時代と社会の学問、道徳が要求する基準を満たし」たから「納得」できたといった、説明に収まりきれないものを感じます。時の権力に「納得」されえなくても求めた、信仰とはそのようなエネルギーを指すのではないでしょうか。

自然科学と、文献学によって、蓮祖の信仰は社会的強制力を持ちうる宗教から、物語としての宗教へと移行せざるを得なくなったと思います。しかし多くの宗教も似たような立場に立たされているのではないかと考えます。そしてそれでいいのだと考えます。

>それらは事実や史実ではないが信者(ファン)にはなんらかの「真実」を感銘する。事実と真実との混同がたしかに西欧のキリスト教や日本の仏教の歴史に見られます。

大いに同意いたします。事実と真実の混同こそ、現代社会へ移行する過程で、分離されなければならない点です。

>日蓮の活動は「反−宗教改革」であって、イエズス会の創設者、イグナチウス・ロヨラに比較するのが適切です。

そうですね。保守反動としての蓮祖を仏教史の中で見出すことは重要だと思います。

>「真実」だから構わないということは云えません。アル・カイーダの「真実」は折伏(武力討伐)されなくてはなりません。日蓮の思想を構成する要素の大部分は、今日では棄てられねばなりません。彼の思想中で、とるべき事柄は、現代文明に反逆する宗教宗派は言論と武力で退治すべきという一事のみだと、わたしは考えています。日蓮の誤謬を「真実」どころか「事実・史実」などと迷信する教徒は、当然、最初に折伏されねばなりません。

少々驚きましたが、「日蓮の誤謬を「真実」どころか「事実・史実」などと迷信する」ことはやめるべきですし、真実は個人の感動であっても社会的強制力を持つものではないことは、大いに自覚しなければならないことだと考えます。そのような思い違いに対しては強制力を持った対処が必要なのかもしれません。


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