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現代人が納得できる日蓮教学
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:
犀角独歩
:2005/07/22(金) 06:33:05
顕正居士さんがご紹介くださった麗澤大学(早稲田大学)の保坂俊司師の『インド仏教はなぜ亡んだか』は、わたしはご本人から直接、いただき拝読しましたが、非常に優れた一書であると思います。
その書とは別に勝手な個人的な意見を述べます。仏教集団とは出家、つまり、政経と距離を置くことによって成り立つものですから、社会から距離を置いて成り立つものであり、非武力的であったから、それがいちばんの衰退の原因になったのではないのか、また、イスラムの侵攻は、当初はその信者が貿易をすることで入り込み、併せて教えが伝わり、さらに武力行使で確定的になった。仏教集団の非武装を、わたしは支持しますが、しかし、武力攻撃を受ければ、一溜まりもないのは事実です。法華経のような無抵抗菩薩論理が涅槃経のように武装殺人菩薩によって補強されたが故に中国仏教は生き残り、日本まで到達できたのでしょうか。仏教の第一次分裂では貨幣で供養を受け取れるとした方が発展し、最終的には武力肯定したほうが生き残ったという史実は考えさせられます。少なくとも、法華涅槃仏教とは、そのようなもので、日蓮もまた、その影響下にあるのであって、それを民主、平和の象徴であるといった論調は真跡遺文が語る日蓮とは食い違った虚像であるとわたしには映じます。
実際のところ、近代史を見ても、日輝以降の摂受の日蓮宗より、折伏闘争の創価学会のほうが勢力を拡大したのは、正邪の問題というより、寛容と暴力、どちらに立つほうが優位を考えるうえで一つの視点になるのかも知れません。
乾闥婆さんの、
> 納得する必要があるのでしょうか。宗教とは納得するものなのでしょうか
という、問いは重要ですが、スレッドが立った意図からはやや違っているとわたしは思います。わたしが「納得」というとき、それは、つまり、入信、もしくは帰依を意味すること、また、その場合、入信動機として、納得できる最低限の説得性を有すかどうかという議論でした。また、信者とならない人々にとって、納得がいかないとは、非科学的である、反社会的であるなど、社会の一員としての条件を満たさないことを意味します。一方、乾闥婆さんが仰る納得は、信仰姿勢とは納得するものではない、また、対社会的な意図は考慮に入っていないようにお見受けしました。
わたし個人はシャキャムニの教えを合理的なものとしてとらえています。八正道は、現在でもまったく通用する教えです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E6%AD%A3%E9%81%93
この観点から見ると四聖諦もまた、同様であると思います。ところがこれを十二因縁からとらえると、途端に怪しくなってきますが、それはいまは置きます。さて、しかし、日蓮となるとどうかというのが、ここでの議論ですね。
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