[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
メール
|
1-
101-
201-
301-
401-
501-
601-
701-
801-
901-
1001-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
現代人が納得できる日蓮教学
78
:
犀角独歩
:2005/07/24(日) 09:22:13
―76からつづく―
> キリスト教の教義と科学的であることとはどのように折り合いがつくのでしょうか。
この問いは先に答えた点で無意味となりましたので、繰り返しません。
> 社会的…阻害された人々…魅力…受け入れる要素がそもそも宗教にある
これは社会的疎外者の定義が曖昧すぎます。
社会的疎外者のなかには、社会的弱者が含まれるでしょう。このような人々が、社会的恩恵を被ることなく、むしろ、宗教によって助けられてきた点を、どうして、わたしが否定する理由があるでしょうか。このような要素は、人をして宗教を納得させる要素となり得たのは歴史的な事実です。天地創造を言いながら、キリスト者が社会一般でボランティアその他貢献するのは、その例でしょう。しかし、一般の人は、その教義のなかから、神話的な要素を除外視し、「博愛」の精神と実践を評価しているのに過ぎません。その部分が人々を納得させるのでしょう。わたしが「納得」の要素として考える一つです。わたしの恩人である浅見定雄師がご自身ハーバードで学んだ神学者でありながら、「何を信じているのかを問題にするのではなく、何をしているのかを問題にする」という優れた視点でカルト門田を解決してこられたのも、この視点でした。この何をしているのかが、公共に寄与すれば社会的親和性をもち、反面、反社会的であれば、カルトと断罪されるでしょう。「納得」を考える重要な一面です。
> 非常に危険な信仰集団が成立するだけ
「だけ」?、ですか。
社会的阻害を受ける人々の中には反社会性を有する人々という一面もあるでしょう。カルト・リーダーを、心理、もしくは精神分析し、その異常性を分析するデータがあります。また、近年では人格障害という側面からのこれら人々の真相を究明することも行われてきました。宗教が、この異常者の満足の道具となり、また、同じように社会不満を暴力行使も辞さず、社会改革幻想に、実際に犯罪を犯す例はあります。日本で言えば、オウム真理教です。ここで紡がれる「物語」はしかし、個人の信仰という枠を超え、仮想現実という妄想から現実社会の被害を及ぼします。
「物語」は、そのような側面も有していることは看過してはならないとわたしは思います。このような信者の仮想現実埋没、幻想物語は、選民思想を生み、ファンダメンタリズムを生み、歪んだ自画像は信仰者以外の侮蔑と差別を容易に惹起します。このような物語と幻想に警戒をするのは寧ろ当然のことでしょう。
> 宗教とは元来そのような危険な要素を常に孕む存在
そのようなことは十二分に理解しています。そのような危険な要素は、しかし、社会的被害を起こすという実害に対する、被害者の痛みがまるで考慮されていません。そのような宗教は駆除されなければならないでしょう。危険を行使する宗教は、もはや、宗教ではなく、社会的に見れば、単なる犯罪集団であるからです。宗教と名を置けば何をやってもよいという屁理屈は通りません。
> 帰依に至る「納得できる最低限の説得性」とはどのようなもの
反対にお聞きしますが、乾闥婆さんは、鰯の頭を仏壇に飾って拝みますか。
夜、口笛を吹くと蛇が出ると信じますか。ミミズに小便をかけると局部が腫れ上がると信じていますか。もし、信じていれば、話になりませんが、もし、信じないとすれば、何故でしょうか。わたしがいう最低限の説得性とはそのような意味です。
> 数ある宗教の中で、なぜその宗教を自身の信仰として選んだ
わたしは、この記述は、虚偽であると思いますよ。
日本だけでも数万もあるという宗教、世界的に見れば、その数は数十万、数百万、いやもっと多いかも知れません。実に狭い選択肢のなかから、たまたま、知り得た宗教に意義を感じたというのが現実ではないでしょうか。
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板