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現代人が納得できる日蓮教学

100犀角独歩:2005/07/30(土) 11:15:19

―99からつづく―

目的成就とは成仏であり、立正安国であったろうと思えます。
(法華経という経典は国家安寧とはまるで無縁で、各人が菩薩道によって成仏を目指すというコンセプトです。これに鎮護国家的な要素を含ませるために活用されたのが涅槃経であったという関係とわたしは考えます)

では、成仏とはという問題は多岐に亘りますが、その方法論は菩薩道であるという点は法華経で確認できます。各人の菩薩道の結集はやがて国家安寧も成就するという涅槃経的な解釈も、わたしには有効と思えます。ただ、それを説明する‘天ぷらのコロモに当たる’物語が、現代には通用しないということだろうと思うわけです。

いわば、法華経創作者は、それを説明、補完するために物語を紡いだのだろうと、―― 善意的な解釈ですが ―― わたしは考えています。善行=自利利他としての菩薩道は、では、「納得」に値しないのかという問題が浮上します。わたしは値すると思います。

飛躍的なことを述べれば、その菩薩道に基づいて実践され、記録される事実は、わたしは現代の法華経なのだろうと思えます。2000年前に記された物語の法華経とは別に、各人の実践の法華経ということです。

さらに飛躍して記せば、いまの時代を見聞して、法華経創作者が、法華経を創作すれば、その物語は、神話的な要素を捨て、いまの最高水準の学術・科学をもって書こうとするでしょう。ではその核は何を書こうとするのか、わたしは菩薩道であろうと思います。

「日蓮がいまの時代に生まれたら」という問いを顕正居士さんが記述されたことがありました。日蓮が700年、生き続けたら、どうその教説を書き換えていったでしょうか。どこまで書き換えても消え去らないもの、それはたぶん、菩薩道、国家安全、世界平和であるかもしれません。

事実を知るなかで、物語を真実と思っていた側は自信を喪失せざるを得ません。
しかし、自信を喪失して立ち止まっていても、人生の残り時間は瞬く間になくなっていきます。わたしは結局のところ、法華経を書き上げた根本精神を採ればよいと思います。他の物語は書き換えればよいでしょう。当時の人達がその精神をより説得するために苦心惨憺した創作物語であったという創作課程を俯瞰すればよいのだと思います。

そうして残っていくものは、実は唱題でも、漫荼羅でもないとわたしは思えます。
わたしは法華経の記述のなかで衣座室の三軌というのは誇れるものであると受容しています。

「是善男子。善女人。入如来室。著如来衣。坐如来座。爾乃応為四衆。広説斯経。如来室者。一切衆生中。大慈悲心。是如来衣者。柔和忍辱心是。如来座者。一切法空是。安住是中。然後以不懈怠心。為諸菩薩。」

では、日蓮は、というのが、しかし、ここのでのテーマでした。

> …私が「さらに前へ」と進めずに、循環世界に捕らわれ続けている

物語であるという事実の前で信者であった者が採れる態度は概ね三つしかない気がします。一つは物語であることを否定すること、二つには物語と信仰の分離、三つには棄教。


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