[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
メール
|
1-
101-
201-
301-
401-
501-
601-
701-
801-
901-
1001-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
現代人が納得できる日蓮教学
47
:
顕正居士
:2005/07/21(木) 16:03:32
マウリヤ朝のアショカ王が崩御した後、国を奪ってシュンガ朝を建てたプシャミトラ王は廃仏を行った。また
近隣諸国から「三悪王」が侵攻し、仏教はおおいに疲弊したと『阿育王経』などにある。その後、クシャン朝の
カニシカ王は仏教を保護し、この時代に大乗仏教が興起した。地図を見るとクシャン朝の領土はマウリヤ朝
の領土よりずっと北西に移動している。歴史上、インドといわれない地域が多い。大乗仏教はこの地域と関係
がある。チャンドラグプタ2世(超日王)のグプタ朝の領土はだいたい北インドである。この時代に六派哲学と
いうインド正統派の教学が成立し、宗教面ではヒンドゥー教(インド教)と呼ばれる。仏教もサンスクリット語で
経論を編纂し、インド正統文化と互換性をたもちながら、一種の対抗文化としての仏教のかたちが定まった。
ヴァルダナ朝のハルシャ王(戒日王)が最後の仏教の保護者として知られる。以後、インドはイスラーム侵攻
の時代に入る。最後のインド大乗仏教の形態は哲学的には瑜伽行中観派であり、宗教的にはタントリズム
(密教)である。13世紀始めにヴィクラマシーラ大寺がムスリムにより破却されたのをインド仏教滅亡とするが、
末期インド大乗仏教はチベットへ亡命した学僧により、かの地へ移植され、以後チベット仏教として発達する。
古代インド歴史地図
http://eurekajwh.hp.infoseek.co.jp/kougi/kougi/ind/ind01.html
インドで仏教が滅亡した理由は不明である。仏教はインド文化の中の異端、少数派である。イスラーム侵攻
が滅亡する契機ではあったろうが、それらがどのような機序ではたらいたのか。最近、新説が発表された。
保坂俊司・『インド仏教はなぜ亡んだか』
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0820.html
仏教はインド文化の中の対抗文化であった。民族の聖典を尊敬せず、ヴァルナ、ジャーティに対して否定的な
見解を有する。大乗仏教は生死観に三世説でなく、二世説の傾向を示し、神観に一神教的の傾向を有する
(西域との関係)。対して末期インド仏教は三世説を堅持し、汎神教的である。したがって浄土門仏教徒は多く
イスラームに改宗し、聖道門密教の学僧はチベットに逃れ、信者はヒンドゥー教(インド教)に同化した、という
考えは説得力がある。インド密教は凶悪な「護法尊」のイメージに溢れている。ヴィクラマシーラ大寺が破却
された理由は、インド文化の中で異端、少数派であるのに、対イスラーム抵抗は先鋭であった、と考えるなら
理解し易い。
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板