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現代人が納得できる日蓮教学
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犀角独歩[TRACKBACK]
:2005/07/19(火) 08:24:50
空即是進化さん、オフ会への参加を歓迎します。
さて、先に挙げた15のことは、わたしは実はかなり早い時期に自分では知ってました。しかし、閉じた心がそれを事実として受け入れませんでした。たぶん、ロムされている方の大半も、段階の差こそあれ、いまはそのような状態ではないでしょうか。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1039933512/r1705
残念ながら、わたしがここで確認したことは紛れもない事実であって、もはや動きません。しかし、日蓮は、法華経が釈尊最期8年の唯一最高の極説であるという大前提から、その教理を打ち立ていました。そして、日蓮にとって、信行学は相依矛盾しないものであって、分離して考えるものではありませんでした。しかし、現代の日蓮信奉者は、その分離を余儀なくされています。
わたし自身、僧侶の、また、信者に多くの知人があり、友人があり、以上のことをストレートに述べることに躊躇がありました。また、それをストレートに認めてしまうことは、自己実存の否定ともなる点で恐怖を帯びていたために回避していたのも事実です。しかし、そのような惰弱、脆弱なことで自分を誤魔化し続けるのは時間の無駄ですし、また、話し合える場所がある以上、ここでしっかり書き残しておこうと思ったわけです。
以上の話をし、日蓮門下という立場にあって、これをストレートに認め、護教保身を超えて、真摯に応じてくれた日蓮に関わる人を、まだ、わたしは2人しか知りません。
一人は富士宮の日蓮宗寺院住職・貫名英舜師であり、もう一人は沙門行明師です。貫名師は日朝像を祀る寺院の住職ですが、寺院で生まれ育った方でした。住職になってから寺院興隆にを勤め檀家も増加させてきました。一方、ここ10年、積極的にカルト問題と取り組んできた活動家でもあります。バランス感覚のある師は、保守的な寺院典礼、運営で、上記のようなことを話すことはありませんが、「さて」と腰を据えて話すとき、まさに上記の内容を避けず、逃げず、真正面から考え、思索してきました。当掲示板の身延・西山・石山・北山観光オフの際、皆で、帰りに押し掛けて、話を聞いたこともありました。
師の結論は、「空」ということでした。結局のところ、仏説、論釈、日蓮教説も含めて、悉く一切は、「空」であり、仮であった。しかし、それをとらえていけば、実のところ中道として意義を見出せるという点に活路を求めておられました。そして、その起源を、「無常」という釈尊の悟りに求めるという形で思索を進めているようにお見受けします。
もう一人は、沙門行明師で、四半世紀前、渡印し、藤井日達師の弟子となり、インドに3寺を建立。その後、一宗派の所属を克ち、一人の沙門として、日印を往復しています。
また今回も、本日から出発され、アルメニアグルジアドイツ英国…カシミール…ラダック…アルメニアグルジアロンドン…アンダマンニコバル諸島と、それぞれの仕事を済ませ、9月に帰国と言うことでした。年収200万円といい、インドでは、乞食を主とし、いまは、唱題に限らず、マントラも称え、念仏道場にも訪れるも言います。海外における宗教者の役割は、日本と比べものにならないと、師は言います。発言の持つ力が大きく民衆と政治・経済の指導者を動かす要因となるということです。また、インドにおける沙門は、その人が何を説いているのかというより、戒律を護り、僧侶としての生活をちゃんとしているかどうかのほうが遙かに大きな意味を持つともいいます。「漢字で書かれた漫荼羅を見せても、なんだか、理解されません。ただ、唱題するより、太鼓を打ってのほうが人々の心も打ちます」という万国共通の民衆の反応を話してもらったことが印象に残っています。この師の結論も、やはり、空、無常無我という点に迫るもののように思えました。
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