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現代人が納得できる日蓮教学
86
:
犀角独歩
:2005/07/26(火) 09:23:07
乾闥婆さん
> 宗教は科学的に納得されるものではない
たしかにそうですが、一方、科学が宗教の過ちを是正してきた歴史経緯もあります。
『科学と宗教の闘争』(訳・岩波新書)でホワイトが記した問題に、ようやくと重い腰が挙げざるを得ない事態を迎えたということです。
> 非科学的・反社会的…二つは分けて検討しなければならない
関連し合う部分もありますから、分未両面からであると思います。
> 対社会という視点に立ってその宗教はどうなのか、といった部分に収斂
これはまったく宗教問題を考える視点と同じです。賛同します。
> 浅見氏…旧約聖書
ええ。師は、そもそも旧約聖書が専門です。師の説明に拠れば、その旧約聖書で記されていることを、自集団・教義の説明として盗用されたことから、統一協会、さらにはオウム真理教と関わらざるを得ないことになったということでした。
いまの日蓮門下の問題も同様のところがあります。煎じ詰めれば、言いたいことは自己正当化のために、日蓮を使用しているのに過ぎません。
> …危険を行使する宗教も宗教…宗教集団にして犯罪集団
この点は重要ですので、記させていただきます。
たしかに、宗教は、個人的な他愛もないおまじない・迷信の類から、国家レベルの民俗宗教にいたるまで、それら一切を包括して、宗教には違いありません。
それはそうに違いないのですが、わたしが記したのは、もっと常識的なレベルからです。要は現日本社会は法治国家であり、― 信仰者の思いとは裏腹に ― 宗教は法律の範疇を越えることは出来ないという意味からです。つまり、信仰は各人の内心の自由に属しますから、個人的にはまったくの自由です。しかし、それが一度、社会性(2人以上の人間関係)に持ち込まれたとき、そこでは国民としての法の適用がはじまります。この段階から宗教行為は国法に違反すれば、宗教としてではなく、法律から裁かれるでしょう。この点が最も重要なわけです。また、最も宗教関係者が疎んじ、その薄弱な認識が宗教に関わる犯罪を容易に引き起こす原因になっています。いわばカルト問題とはこの点を考えるものです。つまり、何を信じているか=信仰者 / 何をしているのか=国民 は適用される法が前者は、仏法(また、神の律法 ctc. )、しかし、後者は国法です。
ですから、単に宗教行為と信仰集団・指導者・信者が判断するものも、実際のところ、そこに国法が適用されることになります。この認識こそ、重要です。また、この認識のない集団・信者が問題を起こすわけです。
乾闥婆さんも、オウム真理教を例に採りましたが、たとえば、ポアをすることは彼等の教義からすれば、否、日蓮も、受容した涅槃経から見ても、犯罪ではなく、全く正当な護持正法の実践以外の何ものでもありません。「仏法」に違反していないことになります。また、日蓮門下によく見られる自己の信義以外の主張に対して口汚く批判する(=折伏だそうですが)ことも許されると勘違いしている非常識な態度もまた、同様です。しかし、ポアという護持正法の行為であったサリン散布は、国法からすれば無差別大量殺人であり、テロ以外の何ものでもありません。また、口汚い批判は人権侵害という憲法違反行為に違いありません。
わたしは、このような犯罪教義を有するものからは宗教の名を剥奪すべきだと考えています。オウム真理教・地下鉄サリン事件以降、(いや、創価学会の折伏大行進以後もそうですが)、「もう宗教なんか、こりごりだ」という風潮は、「日本人は無宗教」というまで高まったわけです。ですから、わたしは、乾闥婆さんが仰ることはわかりますが、わたしは違法集団とその教義・行動を宗教にカテゴライズせず、法律から違法と裁くことを常とします。そうしなければ、殊にここ日本社会で宗教が復権する可能性はさらに薄らぐからです。
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