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法華経について

1管理者:2002/08/29(木) 17:45

スレッドテーマのご提案がありましたので、立ち上げます。提案文は以下の通り。

14 名前: いちりん 投稿日: 2002/08/29(木) 12:41

『法華経』について、なんでも語り合うというスレッドを希望します。

67彰往考来(しょうおうこうらい):2005/12/15(木) 12:21:17

>63 過不足は御指摘御指導

申し訳けないですが、63のスレは過不足以前の問題で議論にならないというのが私の実感ですので、当方からお答えすることはありません。

68ラスカル:2005/12/15(木) 13:35:30
彰往考来さん、ありがとうございます。

69犀角独歩:2006/03/18(土) 10:40:46

一字三礼さん
れんさん

昨日はご苦労様でした。
(ロムの方々には内輪話で恐縮ですが)最後の質疑応答の島田裕巳の質問とそれに日蓮法華で答える小松邦彰師、それを梵本と教典成立という日蓮教学埒外のところから語る松山俊太郎師の鼎談は面白かったですね。
(福神研究所主催・小松邦彰師『日蓮聖人遺文講義』での話です)

喫茶店での雑談で、お二人からは遠いところで、松山師に「男性原理としての白蓮(天)、女性原理としての紅蓮(地)の関係があるとうことですが、そうなると、授記、教学的に言うと下種というのは受粉的な意味合いを持つと言うことでしょうか」と、わたしは師に質問したのです。「そういうことになるかどうか」と、やや否定的でした(笑)

前々からわたしは考えているのですが、三千塵点、五百塵点というの字数通り、三千のほうを古く考えると、釈尊の菩薩行(三千塵点の大通知勝仏仏王子、不軽等の本生譚)から成道釈尊とストレートに時系列で整理されると思うわけです。

渋澤光紀師は「漫荼羅が本尊とは言い難い」という視点でお話をされ、松山師は漢訳教学として天台は梵本法華経理解ではさて置くとされ、島田師は「覚り」を強調するような例は、他の宗教ではあまり見られないと指摘されていました。

講義終了後の雑談にして、この濃密さ、時間がいくらあっても足りないと思いました。

松山師の法華経講義の完結は、単純計算で50年はかかるわけで(笑)次回は、打ち合わせ通り、積極的に質問を投げかけ、聞きたいところをどんどん頂戴しながら、次品以降に話題を置いて、少しでも前に進めると言うことで行きたいと思います。

70犀角独歩:2006/03/18(土) 13:07:06

【69の訂正】

誤)島田裕巳
正)島田裕巳師

71一字三礼:2006/03/18(土) 21:27:38

犀角独歩さん

昨日はお疲れ様でした。また、いつも引率ありがとうございます。

> 鼎談は面白かったですね。

まったく面白かったですね。
松山師・小松師・島田師は、それぞれに専門分野が違いますし、真面目にご研究をされている方々ですので、お三人での見解の一致をみるのは難しそうですが、同じテーブルについて意見を交わすこと自体にこれからの仏教学の可能性を感じます。

> 喫茶店での雑談で、お二人からは遠いところで、
心理学になるのでしょうか、神話学でしょうか、ディープなお話ですね。
でも私もれんさんともう一人の方から、ディープな話をたくさん伺っておりましたよ。

> 三千塵点、五百塵点

独歩さんは当然ご存知のことと思いますが、私自身が整理する意味で引用します。

「譬えば三千大千世界の所有の地種を、仮使人あって磨り以て墨と為し、東方千の国土を過ぎて乃ち一点を下さん、大さ微塵の如し。又千の国土を過ぎて復一点を下さん。是の如く展転して地種の墨を尽くさんが如き、汝等が意に於て云何。」(妙法蓮華経化城喩品第七)

「譬えば五百千万億那由他阿僧祇の三千大千世界を、仮使人あって抹して微塵と為して、東方五百千万億那由他阿僧祇の国を過ぎて乃ち一塵を下し、是の如く東に行いて是の微塵を尽くさんが如き、諸の善男子、意に於て云何、是の諸の世界は思惟し校計して其の数を知ることを得べしや不や。」(妙法蓮華経如来寿量品第十六)

1 三千塵点劫の「三千」とは、三千大千世界を磨って塵にした。

2 五百塵点劫の「五百」とは、五百千万億那由他阿僧祇の数の三千大千世界を磨って塵にした。

とすると数字上からは、五百塵点劫の方が三千塵点劫よりもはるかに昔であることを表現しようとしているようです。
でも、経典に記載される数字はいいかげんなものですから、本当と意味でどちらが古い昔かはわかりません。

つづく。

72一字三礼:2006/03/18(土) 21:28:14
> 69

> 釈尊の菩薩行(三千塵点の大通知勝仏仏王子、不軽等の本生譚)から成道釈尊とストレートに時系列で整理されると思うわけです。

この点は、今回の講義で私が小松師に質問した所とかぶります。

私は、小松先生に「寿量釈尊と法華経に登場する釈迦菩薩とは会通できるか。」について伺ったのですが、小松先生のご回答より、松山先生が、「元々、序品から法師品までの内容と寿量品の内容とでは、天地雲泥の差があるから、整合性をとろうとすること自体に無理がある」とのご意見に賛同しました。

法華経に出ている釈尊の本生譚には、以下のようなものもあります。

「諸の善男子、我阿難等と空王仏の所に於て、同時に阿耨多羅三藐三菩提の心を発しき。阿難は常に多聞を楽い、我は常に勤め精進す。是の故に我は已に阿耨多羅三藐三菩提を成ずることを得たり。」(授学無学人記品第九)

「爾の時に仏、諸の菩薩及び天・人・四衆に告げたまわく、吾過去無量劫の中に於て法華経を求めしに、懈倦あることなし。〜中略〜。仏諸の比丘に告げたまわく、爾の時の王とは則ち我身是れなり。時の仙人とは今の提婆達多是れなり。」(提婆達多品第十二)


釈迦菩薩が阿難尊者と一緒に菩提心を起こした時というのは、「五百塵点劫」よりも昔と考えるべきなのでしょうか。また、阿私仙に支持した時期も「五百塵点劫」よりも過去と考えることができるのでしょうか。
もしもそうであれば、阿難尊者は「五百塵点劫」の長きに亘って修行しているにもかかわらず成仏できていないことにもなりますし、提婆達多も「五百塵点劫」の昔から法華経を得ているのに、無間地獄に落ちたことになります。

やはり、序品から法師品の段階では、寿量仏の存在を想定していなかったのではないでしょうか。

73犀角独歩:2006/03/18(土) 22:06:47

三千塵点と五百塵点の岩本師梵本直訳箇所は

【三千塵点】ある人がこの大宇宙における大地のすべてを磨りつぶして、粉にしたとしよう。そこで、その人がこの世界から非常に微細な一粒をとり、東方にむかって幾千の世界を越えて行き、その微粒子を捨てるとしよう。さらに、また、この人が第二の微粒子をとって、再び幾千の世界を越えて行き、その微粒子を捨てるとしよう。このようにして、この人が東方に大地の微粒子をのこらず捨てるとしよう。そこで僧たちよ、おまえたちはどのように考えるのか。これらの多くの微粒子の最後のものがいくつめになるか、計算することができるだろうか…それらをのこらず微塵とした数を、過ぎ去った劫の数に喩える(岩波文庫(中)P11)

【五百塵点】たとえてみれば、すなわち、その数は五十・千万億という世界にある大地の微粒子の数に等しいのである。さて、ある人がこの世界に生まれてきて、この微粒子の一つを手にして、東方における五十・千万億劫のあいだ捨てつづけて、かの人がすべての世界を大地のないものにしよう。その場合、両家の息子たちよ、お前たちはどのように考えるか。これらの世界の大地の粒子の数を、誰が類推したり、計算したり、測ったり、、あるいは比較したりすることができようか(同(下)P15)

三千塵点のほうは基準は「大宇宙の大地」の粒子の数を劫とする、五百塵点は五十・千万億世界の微粒子の数です。とすると、三千塵点は、粒子一粒を一劫、五百塵点は大地の微粒子の数です。となれば、大通智勝仏のほうが、はるかに古いことになりませんか。

まあ、梵本を読めない、岩本訳の字面からの話ですが、それを判読すれば以上のようになると思います。どうでしょうか。

74一字三礼:2006/03/20(月) 16:25:45

犀角独歩さん

「三千塵点劫」の英訳です。
(You ask), monks, how long ago is it that the Tathagata was born? Well, suppose some man was to reduce to powder the whole mass of the earth element as much as is to be found in this whole universe; that after taking one atom of dust from this world he is to walk a thousand worlds farther in easterly direction to deposit that single atom; that after taking a second atom of dust and walking a thousand worlds farther he deposits that second atom, and proceeding in this way at last gets the whole of the earth element deposited in eastern direction. Now, monks, what do you think of it, is it possible by calculation to find the end or limit of these worlds? (Chapter7)

岩本師が「大宇宙の大地」と訳された箇所はKernの英訳では「this whole universe」となっております。
確かに「The whole universe」であれば「宇宙全体」などと訳せますが、「this whole universe」ですから形容詞用法で限定された「この」+「宇宙全体」となります。
もとより、すべての世界を一言で表す現代的な「大宇宙」の概念に相当するものが、古代インドにあったとは思われませんし、「この宇宙全体」であれば、やはり限定した世界観であり「一世界」と訳されるべきなのではないでしょうか。

ちなみに「五百塵点劫」です。
But, young men of good family, the truth is that many hundred thousand myriads of kotis of Aons ago I have arrived at supreme, perfect enlightenment. By way of example, young men of good family, let there be the atoms of earth of fifty hundred thousand myriads of kotis of worlds; let there exist some man who takes one of those atoms of dust and then goes in an eastern direction fifty hundred thousand myriads of kotis of worlds further on, there to deposit that atom of dust; let in this manner the man carry away from all those worlds the whole mass of earth, and in the same manner, and by the same act as supposed, deposit all those atoms in an eastern direction. (Chapter15)

これでさえ、英訳ですので正確とは言えませんから、梵文の「三千塵点劫」と「五百塵点劫」については4月3日に松山先生に質問してみましょう。

75顕正居士:2006/03/20(月) 16:48:52
そこの梵文は漢訳の通り trisāhasramahāsāhasre lokadhātau 三千大千世界です。
三千大千世界は千×千×千で十万世界になります。

梵文法華経
http://sdp.chibs.edu.tw/

76顕正居士:2006/03/20(月) 17:00:13
× 十万世界 ○ 十億世界 

三千大千世界は元来は宇宙全体を指したのでしょうが、後の大乗仏教では三千大千世界を
一仏の教化範囲というようになります。

77一字三礼:2006/03/20(月) 19:55:46

顕正居士さん

梵文訳によるご教示ありがとうございます。

78犀角独歩:2006/03/20(月) 20:35:07

一字三礼さん

わたしは、いま、外からで、手許に法華経がありません。
わたしが三千塵点で問題にしたのは「それらをのこらず微塵とした数を、過ぎ去った劫の数に喩える」という箇所です。
ここはKern訳ではどうなっていましたでしょうか。
岩本訳とつきあわせて見ていただければ有り難く思います。

いずれにしても、別々に出来た箇所でしょうね。
先に澁澤師が指摘されておられた、寿量品での大展開で、全部、それまでの全部はご破算というやつでしょうか。

79犀角独歩:2006/03/21(火) 10:48:52

顕正居士さん
一字三礼さん

化城品の三千塵点、寿量品の五百塵点は、別に作られた物語であると思うので、そもそもその比較は意味をなさないかもしれませんが、仰るとおり、記述からすると五百塵点のほうが壮大で過去と感じさせる文章力があります。
ですから、わたしは先に挙げた仮定に固執するつもりは毛頭ないのですが、繰り返しになりますが、以下の点です。

【漢訳】一塵為一劫
【岩本】それらをのこらず微塵とした数を、過ぎ去った劫の数に喩える
【Kern】To that immense mass of the dust of these worlds, entirely reduced to atoms, I liken the number of Æons past.

恥ずかしながら、顕正居士さんが挙げてくださった梵文法華経ではどこに対照するのか、読めず、判りません。ご教示いただければ有り難く存じます。

世界の単位が1世界か・10億世界(三千大千世界)という1:10億の対比では、たしかに五百塵点のほうが古いと思えるのです。
しかし、わたしが記したのは塵の数の取り扱いで、三千塵点のほうでは、1塵を1劫としているところを、五百塵点では単に1塵としている相違です。つまり、1:1劫という点です。これは10億:1劫と見たほうがより正確かもしれませんが、この対比において、いったい、どちらのほうが古いことになるのかという問いかけです。1劫をどれほど、時間の単位とみるのかですが、この場合の劫(カルパ)は4期(成・住・壊・空)の一巡の長さとなるのでしょうから、10億より長くないだろうか、という疑問です。

80顕正居士:2006/03/21(火) 13:26:06
"To that immense mass of the dust of these worlds, entirely reduced to atoms,
I liken the number of Æons past."は偈頌の4番です。

yo lokadhātūṣu bhaveta tāsu pāṃsu rajo yasya pramāṇu nāsti /
 rajaṃ karitvāna aśeṣatas taṃ lakṣyaṃ dade kalpaśate gate ca //4// 

*MS-IEでは一部の拡張ラテン文字が表示されませんが、メモ帳などにコピーすれば見えます。

三千塵点も五百塵点も塵の数を時間(単位は劫)としています。単位を取らないと無意味です。
「是諸世界。若著微塵。及不著者。盡以爲塵。一塵一劫。我成佛巳來。復過於此」(寿量品)

81犀角独歩:2006/03/21(火) 23:17:55

顕正居士さん

ありがとうございました。全く基本的なところで、わたしは見落としておりました。
先の愚行を撤回し、再度、勘案し直すことといたします。

82顕正居士:2006/03/22(水) 05:35:34
法華経の製作意図

方便品を中心とする前霊山会の部分がまず成立したであろう。人類に限らず生類の志向する
ところは個と社会との完徳である。人類以外の生類はしばらくおいて人類についていえば、
各個の文明発達の経緯、社会階層の相違によってそれぞれに徳目とする内容が異なる。
しかしながらそれらを包摂しかつ超越する完徳が目標として存在する。それが仏乗である。
仏とは慈悲と智慧とが完成した個体である。情操と理性とが究極に発達した生類である。
彼らが構成する社会が仏国である。仏国に至るためには幾つもの要害を経由しなければ
ならない。突破には智慧が要る。その智慧が権智である。しかし当面の目標は仮城である。
仮城であると認識するのが実智である。権実の智慧が相まって幾つもの仮城を突破できる。

法華経の製作当時には大乗教団なるものは存在せず、おそらくその後も存在しなかった。
小グループのさまざまな思想が対立していた。法華経の製作達はそれらの争いを統一し、
止揚するために方便品を中心とする前霊山会の物語をまず作った。彼らはインド仏教の中の
争いに悩むうちに、単なる調停とか、単に一大勢力を築くとかいう権智を放棄した。

「実智」は西欧近代合理主義が発見し、二、三世紀のうちに人類の文明は大進歩した。
原始仏教と同様に法華経製作達のあまりに早すぎる思惟はインド社会の受容するところとは
ならなかった。自由商業都市とインド農業帝国の経済が志向するところは反対であった。
けれども当時の経済先進国であった中国や日本には法華経は受容されたのである。

84犀角独歩:2006/03/22(水) 09:45:13

空即是進化さんのご提案につき
松山俊太郎師「法華経講義」メモから拾ってみます。

> 善意なのか悪意なのか。

法華経創作者、あの時代にあって極めて高い学識をもっていた。その制作意図は純粋な信仰によるのだと思う。

> いつ

その制作過程は段階的で3期ほどになののではないのか。
時期が紀元前1世紀から3世紀にかけてだろう。

> どこで

西北インド辺り、アフガニスタンの辺りかもしれない。
「東方」という方向を意図的に記されることが多い。つまり、仏教の中心地からは西側の地域でのことではないだろうか。
物語のなかで説所は霊鷲山とされるが、その記述から、実際にその地を訪れたことのない人が記していると思われる。

> 誰が

法華経創作者の個人、集団は何も判らない。

> 何のために?

釈迦牟尼に始まる仏教は、新たな神仏を摂取していくなかで、釈迦仏信仰から他仏信仰へと移行してしまった。そこで改めて釈迦仏を崇拝するために法華経は創られた。
(以上、講義メモから)

*わたしは、個人的に法華経のなかで記される法滅後の末法とは『大集経』などの2000年説とは関係なく、法華経創作当時のことを指していると思います。そして、そこで登場する弘教の菩薩を自分たちに凝らしているのでないのかと考えます。釈迦牟尼仏は亡くなったという歴史的事実を前に、滅後に弘教を託された付属の衆がいる。それこそ、自分たちなのだという目的意識から法華経は創られていったのではないかという想像です。また、法華経は舎利崇拝から、仏塔(舎利塔)信仰という前時代的背景のなかで、その当時、コーラン、聖書などの聖典信仰と同様の流行のなかで確立されていく、経典信仰から新たな仏塔信仰、経典安置塔信仰を標榜し、その仏塔を各所に増設する条件として、経典の書写、弘教の薦めが物語の主流になっているのではないのかと考えます。

85顕正居士:2006/03/23(木) 04:29:18
顕説の法華経か根本の法華経か?

日蓮の教説は表面上は顕説法華に傾いている。しかし南無妙法蓮華経とは根本法華であろう。
名しかないのである。その名は顕説法華を借りたのである。要するに、実定法に対する自然法
である。人類は生得の権利を有するのであり、それは実定法に拠らない。これを侵す実定法は
自然法によって廃止されなければならない。自然法という観念の発見により西欧文明は二、三
世紀の中に地球文明を大発達させた。
五百塵点の古え、最初成道の時に釈尊は既に法華経を顕説された。しかしそれは因位に於て
根本の法華経を信仰した結果である。根本法華には如何なる顕説も無いのであるから、信仰
でしかあり得ない。
我々は根本法華を信仰し、顕説法華の完成に努力しなければならない。それは永遠の菩薩道
である。ただし根本法華を信ずるとは、単に情緒的に人類の将来を信ずるのでない。未だ顕説
されないゆえに信仰というのみで、これは理性に基づく。すなわち形而上の智慧であって、実智
である。仏国は必ず将来に大宇宙に建設されなければならない。根本法華への信仰は日々に
顕説法華の完成へと向かう。顕説法華とは羅什尊者の翻訳をいうに非ず、梵本法華経をいうに
非ず、人類の実智の全体である。実智なくしてはビジョンは生ぜず、権智の発揮があり得ない。
顕説の法華経と根本の法華経とは不二である。法華経の一乗とは宗教の発展的解消である。
日蓮宗やまして日蓮正宗とは対極の理想である。歴史上、日蓮宗や日蓮正宗を将来したのは
日蓮の限界であろう。しかし日蓮こそ方便により法華文明を存続させた一個最大の偉人である。

86今川元真:2006/03/23(木) 06:17:54
ひゆ蓮華・当体蓮華と例えられるように、原始仏教の目線と同じような化導へと戻りつつあると言うのが私の見方考え方。五時八教で無くて五機八教か?

87一字三礼:2006/04/04(火) 22:11:54

犀角独歩さん

4月3日、松山先生の法華経講義を拝聴いたしました。

昨日の講義は、上杉さん、渋澤さん、鈴木さんのレギュラーメンバーが欠席されました。(上杉さんには二次会でお会いしましたが)

講義の内容としては、またまた「法華経の経題について」。

講義の進行を促す方々がいらっしゃらなかった事もあってか、やはり「譬喩品」の内容には入りませんでした。

ただ、次回の講義は「方便品」である、と松山先生が仰っていたので期待しております。

松山先生は、講義も素晴らしいのですが、二次会の席で先生を囲んで広く仏教について論じていただくのがとても勉強になります。

今回も「釈尊在世のお弟子達の求めていたものはなんであったか」、「寿量品の釈尊は、有限の存在か無限の存在か」など既成概念に捉われない興味深いお話をうかがうことができました。

88れん:2006/04/05(水) 13:57:27
犀角独歩さん
4月3日の松山俊太郎先生「法華経講義」私も参加させて戴きました。
一字三礼さんが仰った通り、本講義・二次会ともに松山先生のお話は、大変すばらしいものでした。次回は方便品とのことで、それからのご講義の展開も今から楽しみにしております。
今月の小松先生のご遺文講義に参考までに本満寺様刊行の乾師の開目抄の影本を持っていこうと思いますが、御入り用の部分がありましたら、コピーしておきますので、仰って下さい。

89犀角独歩:2006/04/08(土) 08:19:53

つぶやきすれっど2の1980に記した事情で松山先生の法華経講義も急遽欠席とさせていただきました。次回は参加いたしたく存じます。

90一字三礼:2006/04/22(土) 23:36:29
常不軽菩薩についての一考察

松山師から「常不軽」の意味が梵文では「常に軽んぜられた」と「常に軽んじない」の正反対の意味になる2通りに解せるとのお話を伺った。
鳩摩羅什は「常不軽」(sadā‐āparibhūta)と訳し、竺法護は正法華経で「常被軽慢」(sadāparibhūta)とした。

常不軽菩薩は、四衆を見て「敢て軽慢せず」と宣言する。
唐突に相手に「あなたを軽んじない」と言うのは如何にも不自然であるという意見もあるが、逆に常不軽菩薩の相手が常にもしくは、特定の人達から「軽んぜられた人々」であったと考えたらどうであろうか。

常不軽菩薩が「敢て軽慢せず」とした相手は、どのような種類の人達であったのか。
 
「正法滅して後像法の中に於て、増上慢の比丘大勢力あり。」(常不軽菩薩品第二十)

「増上慢」という用語は法華経の中で16回使われており、その対象は一定ではないが、最も多く使われている方便品では6回とも声聞衆を指す。法師品でも声聞衆に対して「増上慢」は使われる。

増上慢と弾呵される声聞衆(法華経成立当時の伝統的部派仏教徒を指すのではないか)は、常々大乗を自称する者達から「小乗」あるいは「不成仏者」等の軽蔑・侮蔑を受けていた。
妙法蓮華経においても、法華経以前の大乗では声聞衆を軽蔑・侮蔑していたことを記している。

「而も昔菩薩の前に於て、声聞の小法を楽う者を毀訾したまえども、然も仏実には大乗を以て教化したまえり。」(信解品第四)

また、この増上慢の四衆はこのようにも言われる

「時に諸の四衆 法に計著せり」(常不軽菩薩品第二十)

「法に計著(執着)する者」というところから、後に『阿毘達磨倶舎論』などを生み出し、「五位七十五法」で75の「実有の法」を特定していった経量部・説一切有部をも連想させる。

以上のことから増上慢の四衆とは「声聞衆」だったと仮定してみる。

通常の大乗の徒でれば、侮蔑を与え、差別し、「不成仏者」と見下す「声聞衆」に対して、後に法華を得る立場の菩薩比丘である常不軽は、この増上慢の四衆に対して「敢て軽慢せず」と宣言する。
その理由は「汝等皆菩薩の道を行じて、当に作仏することを得」からである。

現在の姿は声聞であっても「未来に菩薩道を行じて、仏となる」というフレーズは迹門で授記する時の釈尊の常套句であった。

これに対して増上慢の四衆は「我等是の如き虚妄の授記を用いず」と応ずるが、ここで思い出されるのは、法華経において「授記」を得るのはすべて「声聞衆」のみということである。

このように考えてくると常不軽菩薩の「敢て軽慢せず」には法華経の立場は他の大乗とは違い「声聞衆」を差別しないという宣言であり、常不軽の名も「常に軽んじない」というように理解した方が経の内容からは良いのでないかと思う。

少なくとも、上記の考察のほうが、常不軽菩薩は四衆の‘仏性’を礼拝して授記をしたなどとする解釈より法華経の内容に準じていると思う。しかも‘仏性’に該当する如来蔵的概念は法華経には見あたらない。

また、常不軽は、その前の「法師功徳品第十九」で説かれる六根清浄を体現する実例的菩薩であるが、その行ずるところは迹門に説かれる授記を仏滅後におこなうというものであった。
「常不軽菩薩品第二十」とは、法華経前半の授記のまとめとしての「法師品第十」と次の展開が始まる「見宝塔品第十一」との内容的な断絶を埋める大変に重要な章であると考える。

91犀角独歩:2006/04/23(日) 09:48:20

一字三礼さん

今回はわたしは参加聴講できませんでしたので、残念に思っていた次第です。ご報告、たいへんに参考になりました。有り難うございました。

> …増上慢の四衆とは「声聞衆」だったと仮定してみる。

四衆と比丘・比丘尼、優婆塞・優婆夷ですから、比丘・比丘尼という声聞とその信者である優婆塞・優婆夷ということのほうがよいように思えます。


> 常不軽菩薩の「敢て軽慢せず」には法華経の立場は他の大乗とは違い「声聞衆」を差別しないという宣言
> 法華経の内容…‘仏性’に該当する如来蔵的概念は法華経には見あたらない。

これは素晴らしい卓見であろうと存じます。

> 説かれる授記を仏滅後におこなう

これは具体的に、どの箇所を指すのでしょうか。ご教示いただけませんでしょうか。

92一字三礼:2006/04/23(日) 11:46:40

犀角独歩さん

レスありがとうございます。

こちらの掲示板とは直接の関係はないのですが、別件で常不軽菩薩に関して意見を求められておりました(当然、独歩さんはご存知ですが)。その場で、常不軽菩薩についてこのような論旨で意見を言うのは憚られたものですから、こちらの掲示板に投稿させていただきました。


> 四衆と比丘・比丘尼、優婆塞・優婆夷ですから、比丘・比丘尼という声聞とその信者である優婆塞・優婆夷ということのほうがよいように思えます。

ご指摘の点、まさに仰るとおりです。

> これは具体的に、どの箇所を指すのでしょうか。

本来、「授記」とは仏が次に成仏する菩薩を予言する行為をいうのですが、法華経の「授記」は譬喩品第三から法師品第十までに釈尊が三周の声聞に対して行った未来成仏の予言をいうのだと考えます(今は提婆達多品と勧持品は除きます)。

不軽菩薩の時代は、威音王仏滅後の像法時代なので無仏です。そこで不軽菩薩が、およそ目に入る全ての四衆(声聞とその信者である在家)に対して、迹門での釈尊のごとく、未来成仏を予言していったのではないでしょうか。

「是の無知の比丘、何れの所より来って、自ら我汝を軽しめずと言って、我等が与に『当に作仏することを得べし』と授記する。我等是の如き虚妄の授記を用いずと。」(常不軽菩薩品第二十)

増上慢の四衆も不軽菩薩の行為を「授記」と理解しております。

そこで、具体的にはどの箇所を指すのかと言えば、この有名な24字になると思います。

「我深く汝等を敬う、敢て軽慢せず。所以は何ん、汝等皆菩薩の道を行じて、当に作仏することを得べし。」(常不軽菩薩品第二十)

93顕正居士:2006/04/23(日) 17:16:12
sadāparibhūtaをsadā‐āparibhūtaと解しても、それは逆の常に尊重せられた意味になるはずで、常不軽は
品の趣旨をとった意訳だとおもいます。常に馬鹿にされていた男の方の解釈で書かれたのが宮沢賢治の
『雨ニモマケズ』という有名な詩です。
http://www.ihatov.cc/monument/091_.htm
不軽菩薩も「菩薩比丘」ですから具足戒を受け、釈尊教団に所属した比丘であるが、大乗の教、つまり
菩薩道を行じて作仏することを信じていた。ただし菩薩種姓の者のみ作仏し、声聞種姓の者は阿羅漢の
涅槃に入ってしまうという通常の大乗の教とは違うことを信じていた。そういう設定であるとおもいます。
これは戒律の違反とおもえますが、四衆を択ばず礼拝した、対象は万人です。万人を礼拝したということ
は潜在の仏性を礼拝したわけで、仏性の名はないが、仏性の思想が法華経にあるとする根拠です。
この伝統的解釈に問題はとくにないようにおもうのですが。

94一字三礼:2006/04/23(日) 19:05:24

犀角独歩さん

4月21日の小松先生のご遺文講義は、基本的には「平成新修日蓮聖人遺文集」のP214〜P220(開目抄)まででしたが、引用され

たご遺文は「観心本尊抄」の四十五字法体段や「報恩抄」の本門の戒壇など、その他天台の「法華文句」「法華玄義」、妙楽の「五百問論

」なども盛り込まれ、多岐に亘った濃密な講義となりました。

1、三妙論についての天台と日蓮の理解の違いについて。

 「法華玄義」の五玄の説明で、天台の見解は

  本因妙「我本行菩薩道・・・」
  本果妙「我成仏以来・・・・」
  本国土「我常在此・・・・・」

 この三つの「我」を天台は釈迦と解釈し、日蓮は「九界に備わる仏界」(開目抄によれば)と理解した。

2、日蓮は真言の法脈に「善無畏」を数えるが、この善無畏三蔵は、「台密」系の法脈でもなお傍系に連なるものであった。
 また、日蓮の真言批判で言われるのが「理同事勝」のみだが、台密では、この他にも「理同事異」「理同事別」等の見解があった。

私が理解できて、書き取ることができた箇所は少ないのです。

しかし、れんさんは優れた理解力とよく整理されたノートをお持ちですので、フォローしてくれるのではないかと期待しております。

後、一つお願いがあります。小松先生が過去の講義で配布されたご遺文の「科段」を、もしも犀角独歩さんがお持ちでしたられんさんと私

の分のコピーをいただきたいです。なにとぞよろしくお願いします。

95一字三礼:2006/04/23(日) 19:06:04

顕正居士さん

レスありがとうございます。

> 常不軽は品の趣旨をとった意訳だとおもいます。

ご教示ありがとうございます。

> 四衆を択ばず礼拝した、対象は万人です。

ここが難しいところです。

「得大勢、何の因縁を以てか常不軽と名くる。是の比丘凡そ見る所ある若しは比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷を皆悉く礼拝讃歎して」
「乃至遠く四衆を見ても、亦復故らに往いて礼拝讃歎して」
「時に諸の四衆 法に計著せり 不軽菩薩 其の所に往き到って」

漢訳では明らかに「四衆」に限られ、「広く人のため」教えを説くのは六根清浄を得た後です。

「この求法者は僧でありながらも教えを説くことなく、経文をとなえることなく、会う人ごとに、たとえその人が遠くにいても、彼は誰に

でも近づいて、このように声をかけ、相手が誰であれ、このように言うのであった。」
「この偉大な志を持つ求法者は相手が誰であれ、誰にでもこのように声をかけたのである。」

梵文の長行では対象は万人に読めますが、詩偈ではやはり「四衆」に限るように読めます。

「そのとき、サダー=パリブータという僧の求法者がいた。そのとき、彼は邪見を信ずる他の僧や尼僧に近づき」
「そのとき邪教を信じていた僧・尼僧あるいは男の信者を、またその場合、女の信者に至るまで、すべて「さとり」に達しうると、かの賢

 者は宣言した。」

> 万人を礼拝したということは潜在の仏性を礼拝したわけで、仏性の名はないが、仏性の思想が法華経にあるとする根拠です。

礼拝の後、不軽菩薩は「授記」をしたわけですが、「授記」を得られる対象は最低でも菩提心を必要とするのではないでしょうか。
宗学的な言い方をすれば、名字即でなけれまならない、理即では不可。

「薬王、汝是の大衆の中の無量の諸天・龍王・夜叉・乾闥婆・阿修羅・迦楼羅・緊那羅・摩・羅伽・人と非人と及び比丘・比丘尼・優婆塞

 ・優婆夷の声聞を求むる者・辟支仏を求むる者・仏道を求むる者を見るや。是の如き等類、減く仏前に於て妙法華経の一偈一句を聞いて

 、乃至一念も随喜せん者は我皆記を与え授く。当に阿耨多羅三藐三菩提を得べし。」(法師品第十)
「又如来の滅度の後に、若し人あって妙法華経の乃至一偈・一句を聞いて一念も随喜せん者には、我亦阿耨多羅三藐三菩提の記を与え授く

 。」(法師品第十)

’仏性’というものを想定した場合は、法華経での「授記」の原則が崩れてしまうように思います。

96顕正居士:2006/04/23(日) 21:42:52
「比丘凡有所見。若比丘比丘尼優婆塞優婆夷。皆悉禮拜讚歎」
(此の比丘凡そ見る所ある、若しは比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷、皆悉く礼拝讃歎す)

見かけたあらゆる人を四衆を問わずとあります。四衆を問わず、つまり誰でもの意味になります。

>’仏性’というものを想定した場合は、法華経での「授記」の原則が崩れてしまうように思います。
仏性とは仏になり得る可能性ですから、無仏性の衆生に授記することはあり得ない。だから
万人に授記するということは、つまり悉有仏性の思想です。
文句記に「法華論云 此菩薩知 衆生有佛性 不敢輕之」とあります。

>「授記」を得られる対象は最低でも菩提心を必要とするのではないでしょうか。
上慢の四衆に授記する理由を、法華論は「方便して菩提心を発さしめん故」とし、
文句記は「上慢すら尚ほ遠因を成ず」(いわゆる而強毒之)と釈しています。

97犀角独歩:2006/04/24(月) 04:46:42

一字三礼さん

有り難うございました。
顕正居士さんのご投稿と併せ、興味深く拝読しております。
引き続きよろしくお願い申し上げます。

小松先生のコピーの件、了解しました。

98一字三礼:2006/04/24(月) 13:51:25

> 万人に授記するということは、つまり悉有仏性の思想です。

申し上げるまでもなく、悉有仏性の典拠は「悉く仏性有り、如来は常住にして変易あることなし」(涅槃経・師子吼菩薩品)です。
天台教学では、五時判でも明らかなように、法華と涅槃を一緒に考える傾向にあります。
たしかに涅槃経は、如来蔵経典として法華経系統に属すとされますが、法華経よりもかなり遅れて成立した大乗経典である上、折伏思想等、涅槃経には特異な傾向もあり、内容としては法華経とはかなり異なります。

この為、法華経の内容に涅槃経を出自とする「仏性」ないしは「悉有仏性」をあてるには抵抗があります。

仰るような「仏性」「悉有仏性」に近い概念を法華経から探すとすれば、「法華経」自身がそれにあたるのではないかと思います。

ただ、大きな違いは、「仏性(仏になり得る可能性)」、「悉有仏性」と言った場合に、成仏の可能性を潜在的に秘めるのは衆生の側になります。これは一切衆生に平等な法性という考え方を、成仏の可能性として方向付けたものでしょう。

それに対して法華経では、衆生の成仏を決定付けるのは「法華経」の側にあります。「法華経」は、仏から与えられる最終極説であり、それは諸仏秘要の蔵とも言われ、菩薩も声聞も「法華経」を聞かなければ、成仏できません。

「薬王、多く人あって在家・出家の菩薩の道を行ぜんに、若し是の法華経を見聞し読誦し書持し供養すること得ること能わずんば、当に知るべし、是の人は未だ善く菩薩の道を行ぜざるなり。」(法師品第十)

「法華経」に出会うか、出会わないかで成仏・不成仏が決定するという内容から、「法華経」独特の強烈な経典信仰を生んだのではないでしょうか。

99犀角独歩:2006/04/24(月) 22:30:55

顕正居士さんのご教示に異論を挙げる気持ちは毛頭ありませんが、「悉有仏性」であれば、仏種を下種をする理由というのは、まったくないことになりますが、この点は、どのように会通されるのでしょうか。

本未有善という場合、‘善’は、やはり、仏性と解されて然るべきですが、この点も併せて、ご教示をいただければ有り難く存じます。

100顕正居士:2006/04/25(火) 01:45:51
>>99
悉有仏性も三種教相も天台大師の思想ですから、矛盾するはずがありません。とりあえず、法華文句の
釈不軽品の文を考えて見ます。

不輕之解者法華論云。此菩薩知衆生有佛性不敢輕之。佛性有五。正因佛性通亘本當。縁了佛性種子
本有非適今也。果性果果性定當得之。決不虚也。是名不輕之解。

不輕の解とは法華論に云く。此の菩薩、衆生に佛性有ることを知つて敢へて之を輕しめずと。佛性に五有り。
正因の佛性は通じて本と當とに亘る。縁と了との佛性の種子は本有にして適今に非ざる也。果性と果果性
とは定んで當に之を得べし。決して虚ならざる也。是を不輕の解と名く。

不軽が何を理解していたのかというと、世親の法華論にいう。この菩薩は衆生に仏性が有ることを知って、
何人をも軽視しなかった。仏性には五つある。正因仏性は本より有るものだが、また実現するものでもある。
縁因仏性と了因仏性とは本より有るもので、今、実現するものではない。果性(菩提)と果果性(涅槃)とは
まさしく今、実現するものであると。まことにその通りである。これが不軽菩薩の理解である。

正因仏性とは真如、法身それ自体で、衆生は本よりこれを体としている、それを自覚するのが仏果である。
ゆえに縁、了の仏性は本有の種子である。衆生には智慧のはたらきが本より有るがゆえに、本来成仏を
悟ることができる。ただしそれは仏説などを聴聞して形成せられる新熏の種子を機縁として実現されます。
「新熏成ずるに對し、修して得るを以ての故に」(文句記)。

101犀角独歩:2006/04/25(火) 09:59:40

顕正居士さん、有り難うございます。
仰る台学からのご賢察、尤もであると存じます。

一字三礼さんがご投稿になったところは、台学の範疇からではなく、それ以前の法華経制作者の意図についてのことであると、こちらも、同じ松山師を受講するものとして、了解いたしております。

故に、やや土台としているところ異なっているところから議論となっていないとお見受けしております。

また、そこでわたしが持ち出した「下種」ということもまた、さらにややこしくしてしまったのかも知れません。

わたしの石山の学びでは、本未有善の荒凡夫は仏種がない、故に、これを植えるのが下種・本因の仏法であるという、きわめて雑駁に言えば、そのようなことであったわけです。では、先のわたしの質問は、この仏の種とは何かといえば、これが仏性、やや間口を広げれば如来蔵なんだというような考えも生じることになる、また、仏種とは本未有善の善のことでもあるのかということも言えることになるのだろうかというのが趣旨でした。そうなれば、仏性というのは、本来、衆生に具わっているものではなく、仏によって植えられない限り、衆生は持っていないものということになります。しかし、こうなると、台学の所謂、一念三千とも齟齬を来すことになります。

この点を、顕正居士さんは、正因・縁因・了因の三仏性からご説明くだされ、また、下種についても新薫種子機縁をもって、明快な説明をくださったわけでした。

このような台学の解釈は、6世紀頃に成立したことになります。
一方、一字三礼さんは、それより遡ること500年、初期大乗経典創作の現場で、天台よりも更に500年も古い当時の人々は、では、この仏性ということを意識していたのか否か、そもそもその時代に仏性論があったのかという疑義を展開されているのではないかと拝察します。

これはまた、内輪の話で申し上げれば、松山師の福神における法華経講義の内容を受けたことであり、さらに小松邦彰師の遺文講義が開目抄に係っていることとも深い関係にあると思います。

わたしの現時点における愚案では、法華経創作当時、礼拝行という素朴な不怒・忍耐の行がまずあり、その徹底が原型であったのではないのか、その時点で、仏性といった教学的な態度は、まだ生じていなかった。その後、数百年を経て、誰しも仏になれることを説かれることが一般化するにつれ、では、何故、成仏できるのか、それは本来、衆生の心には仏が具わっているからだというようなことが教義化され、ついには、台学の展開にも至った、その後、日本に伝わったこれらの教えから、不軽礼拝は、仏性礼拝であるという、2000年前、法華経が創作した当時の人々が思いもしなかった解釈が定着していったのではないのか。まあ、思索過程ですが、そのように思っています。

102犀角独歩:2006/05/02(火) 10:04:05

昨日、定例の松山俊太郎師『法華経講義』が開催されました。
この内容は、追ってご紹介させていただこうと思いますが、ご参加の一字三礼さんのご見識には改めて感心させられました。

今回は、ようやくと方便品第二に入ったのですが、ここで松山師がもっとも注目されているのは、「慧日大聖尊」(岩波文庫『法華経』上P78-L8)という羅什の訳でした。この原語は naraditya で、岩本訳では単に「人間の太陽(仏)」(同P79-L3)となっています。それを何故、これほど荘厳に訳したのか、というのが松山師の疑義でした。

これを受けて一字三礼さんが仰ったのは、ここで三請のはじめで、このあとの2回も「〜尊」という敬称を以て韻を踏んでいるのではないのかというご指摘でした。


すなわち、次が「法王無上尊」(同P82-L8)、その次が無上両足尊(同P84-L9)です。

妙法華…………正法華……岩本訳
慧日大聖尊……慧聖大尊…人間の太陽
法王無上尊……人中王……仏たちの最上の方
無上両足尊……仏…………仏よ

松山師も「なるほど」と頷かれていました。

もう1点。方便品における開示悟入は、四聖諦の苦集滅道に対応するのではないかというのが一字三礼さんご見解でした。

開・示・悟・入
苦・集・滅・道

この開示悟入につき、わたしが‘悟り’が‘入る’前にある点が面白いと一字三礼さんに話すと、「ええ、その点も四聖諦と一緒だと思うんです。滅が道の前にありますから」。なるほどと思った次第。

わたしが方便品で羅什訳、というより、訓読で気になるのは、十如是はさておいて、「世雄不可量」(同P70-L1)です。ここは一般に「世雄は量るべからず」と訓読されるわけですが、この理解は一般に、世雄のご威徳、悟られるところは量りがたいといったニュアンスでとらえられてきたと思います。しかし、わたしは、これはおかしいと思うわけです。ここで意味するところは仏の数は無量であり、その一切の仏を知ることは難しいということではないのかというのが、わたしの疑問でした。

該当する岩本訳は「偉大なる勇士(仏)は無量である」(同P71-L1)となっています。この該当梵文を松山師にご覧いただき、どちらの意であるかを判定していただきました。結果、やはり、原文は仏の数の無量をいうものであるとのことでした。

これを受けて一字三礼さんと話したことは

方便品は、冒頭より「百千万億無数諸仏」で始まり、「世雄不可量」「本従無数仏」という、無数の仏を想定していることによって構成されている

また、松山師の分類に依れば、第1期で成立した法華経の原典は方便品第2(Upayakausalya)から化城喩品を除く法師品第10(Dharmabhanaka)である
この法師品の結論部分は、まさに「若親近法師 速得菩薩道 随順是師学 得見恒沙仏」である

すなわち、一貫して無数仏を想定して構成された物語であるということです。
ところが、これが寿量品になると、六惑示現といったことで一仏に統一されていくというまったく違う構成になっているわけです。

一字三礼さん曰く「方便品の作者は、寿量品であんな展開とな流なんて、夢にも思わなかったのではないでしょうか」、尤もなご意見であると思った次第です。

いわば、方便品と寿量品とはまったく違う物語なのであって、しかし、天台はこれを本迹に大きな区別をつけることなく論じるところを、日蓮は本門思想を強調することになります。故に松山師は「日蓮はすごい」というわけでした。

いつもながら、実に勉強になった一夜でした。

103犀角独歩:2006/05/02(火) 10:10:39

【102の訂正】

誤)寿量品であんな展開とな流なんて
正)寿量品であんな展開となるなんて

104一字三礼:2006/05/02(火) 22:28:54

松山先生「法華経講義」の感想

犀角独歩さんは、「褒めて伸ばす」という教育方針とお見受けしました(笑)。

法華経の解釈では、法雲の時代から二部立てで考えるのは常でした。

因門と果門、迹門と本門、二乗作仏と久遠実成などがそうですが、それでも無意識の内に法華経をまとまった一経であり、迹門と本門の違いは浅きから深きに入らせる説法の儀軌だ、思い込んでいました。

ところが、松山先生は「法師品は一経を完結させるに足る構成を持っている」と明確に分析されました。
実は法華経は、違う内容を持った2つの教えを巧く繋げようともせずに、一つの経としてまとめてしまったというものでした。

また、先生は「後半部(見宝塔品から嘱累品まで)は、前半部とは比較にならないくらい高度な内容を持っている」との見解も示されております。

こちらの講座の素晴らしいところは、私のような素人が的外れな事を言っても、言下に否定せずに真面目に聞いてくださる松山先生のご人格に負う部分も多いと感じております。

犀角独歩さんが「世雄不可量」からの重要なご指摘をされた時には、すでに講義終了予定時間の6時になっておりましたが、興味津々な松山先生は、独歩さんの隣に席を移し、梵文の法華経を開きながら、お2人で法華経談義を続けられました。

福神の渋澤さんが、場所を移す提案をされたのは、すでに7時半をまわってからでした。
それから蕎麦屋に場所を移して10時まで、非常に濃密な時間を過ごすことができました。

105顕正居士:2006/05/03(水) 02:57:41
独歩さんのおっしゃるように、

方便品の最初の偈の始め、仏の二智を歎ずるところ
aprameyā mahāvīrā loke samarumānuṣe /
na śakyaṃ sarvaśo jñātuṃ sarvasattvair vināyakāḥ //1// 
balā vimokṣāś ca ye teṣāṃ vaiśāradyāś ca yādṛśāḥ /
yādṛśā buddhadharmāś ca na śakyaṃ jñātuṃ kenacit //2// 
什訳
世雄不可量/諸天及世人 /一切衆生類/無能知佛者
佛力無所畏/解脱諸三昧 /及佛諸餘法/無能測量者
は、
人天の世界には無量の世雄があって、
いかなる衆生も一切の導師を知ることができない。
彼らの力と解脱と経験知と個性と
彼らの教法の特性とを誰人も知ることができない。

の意味のようですね。仏の数が無量だから知ることができないと。

106犀角独歩:2006/05/03(水) 07:49:03

顕正居士さん

「世雄不可量」は、世雄の数が量り知れないこと、しかし、続く詩は、「所不能知」と同等の意味であるということですね。つまり、二句を併せれば、最初は無数の仏の数は量り知れない、さらにそれ故、その教法と特性も知ることは出来ないということなのですね。
梵本翻訳からのご教示、深く感謝申し上げます。


一字三礼さん

昨晩、ご投稿を拝読して、床に着いたせいか、寝ながら夢のなかで考えていました。

松山師は容易に結論をお述べにならないわけですが、最初に成立した方便品 Upayakausalya から 法師品 Dharmabhanaka の第一グループの法華経は、さらに詩偈の部分が先に成立したと見、ここでは Saddharma-pundarika ではなく、Agraddharma であったのではないのかという思索が窺えますね。

しかも、Saddharma-pundarika の題名のアイディアは、見宝塔品 Stupasamdarsana において、釈尊を白蓮 pundarika 多宝を紅蓮 padma の白紅一対の蓮が並び咲いた様が、その元になっていると言いたげと感じましたが、これはわたしの飛躍かも知れません。

ともかくも、第一グループでは、無数仏が想定され、無数仏の覚る智慧は、仏以外には決してわからないことで、故にその無数仏と会えるようになることを修行者の目標とするという想定もそこにあるというわけです。その目標は信解と訳されてしまう Adhimukti の本来の意味である志向、向上心という形で経典内で進めていると見ているように思えました。

また師は、この第一グループの法華経では、菩薩 Bodhi-sattva と対比する形で、むしろ法師 Dharmabhanaka を指向しているという形になっているというわけです。

以上の講説を聴聞して、あとに成立する寿量品 Thatagatayus-pramana を中心とする一仏思想を中心にする創作者は、この第一グループの法華経を知らずに別にこれをまとめたのか?という思いがあったのです。しかし、Dharmabhanaka の意味するところは法を説くというところにあるわけで、このような理想的な修行者は、後半では、漢訳で言えば、法師、不軽、そして、神力品の地涌菩薩という形で嘆じられていくわけです。無数仏に対して釈迦一仏、そこで一貫しているのは見仏です。第一グループの理想的修行者・法師は、地涌菩薩に置き換えられて理想化されています。ここに対比と進化が見られるわけで、となれば、後の創作者は第一グループの章集を知っていた、知っていたうえで、それを土台として、新たな創作を加えたのではないのかと新たな思いが生じました。

それにしても、羅什は、この神力品 Thatagataddy-abhisamskara の最尾で地涌菩薩を賛嘆する偈で「斯人行世間…是人於仏道 決定無有疑」と、菩薩を‘人’とすることには驚かされます。差詰め、学会であれば「人間主義」「ヒューマニズムの法華経」とでもやり出しそうな訳出です。菩薩から法師、法師から菩薩、その菩薩をして人と展開させた羅什の巧みさには今さらながら舌を巻きます。

もう一点。以上のことから脱線するのですが、一字三礼さんが多宝仏を、死んだところから始まる仏であることに着目されていることは、特記に値します。
あの場でお話しましたが、この段を「ミイラである多宝仏」と言った訳で説明した本に出くわしたことがあります。松山と3人でお話しているときは、直ちに思いつかなかったのですが、ミイラといえば、エジプトですが、彼の地ではミイラ崇拝というのはあったのでしょうか。ピラミッドがミイラを祀る建造物であるかどうか断定はもちろんできませんが、多宝仏はピラミッドのミイラ崇拝が伝わり、インドの大地母神と習合し、さらにメソポタミア起源であろうハス崇敬とも習合して、宝塔品となったなどという筋であったらこれは面白いと勝手な想像を膨らませました。もちろん、まったくの想像…、いや、まさに脱線に過ぎませんが。


【102の訂正】 誤:六惑示現/正:六或示現

107一字三礼:2006/05/03(水) 21:01:06
多宝仏はピラミッドのミイラ崇拝が伝わり、インドの大地母神と習合し、さらにメソポタミア起源であろうハス崇敬とも習合して、宝塔品となったなどという筋であったらこれは面白いと勝手な想像を膨らませました。

108一字三礼:2006/05/03(水) 21:03:18
すいません。107は投稿ミスです。

犀角独歩さん

> Saddharma-pundarika ではなく、Agraddharma であったのではないのかという思索

前半部では、一般的な意味として最高の法Agraddharmaなので説法場所にはさほど重要な意味を持ちませんが、後半部では奉ずる法門がSaddharma-pundarikaに換わるので、場所はGrdhrakutaでなければならなくなる、ということも仰っておりましたね。

> Saddharma-pundarika の題名のアイディアは、、、、これはわたしの飛躍かもしれません。

私も同様に受け取っております。
ただ、私は白(釈尊)紅(多宝)一対の蓮、天空と大地等の対比だけではないのではないかと推測しております。

その理由は、独歩さんもご紹介くださった多宝如来の特殊性にあります。

「其の仏本菩薩の道を行ぜし時、大誓願を作したまわく、若し我成仏して滅度の後、十方の国土に於て法華経を説く処あらば、我が塔廟是の経を聴かんが為の故に、其の前に涌現して、為に証明と作って、讃めて善哉といわん。」(見宝塔品第十一)

誓願・本願と言えば薬師如来の十二願、阿弥陀如来の四十八願等が代表的ですが、これらの仏の誓願の内容は、成道時に為すべきことであったり、その誓願が果たせなければ成道はしない、という類のもので方便品での釈尊の誓願もまた同様に成仏の時に誓願・本願が成就される(された)とするものです。
ところが多宝如来の誓願は、「滅度の後」に果たすというものでした。
在世中の事績をまったく残さない多宝如来は「滅度の後」に、その誓願の通りに続けているという設定です。

しかし、これは仏法上のタブーに抵触するものです。

「生まれた者達は、死を逃れる道がない。老いに達して、死ぬ。実に生ある者達の定めはこのとおりである。」(スッタニパータ)

多宝如来は、誓願を立てて、仏身を得、それを成就していることから、後の三身説に当て嵌めれば「報身」と言えるでしょう。すでに滅度していますのでこの後に再び滅度することも考えられない。これらのことから、阿弥陀如来とは異なり本当の「有始無終」の仏といえるでしょう。
このように特殊な仏格を有する仏は他経にもいないのではないでしょうか。

この特殊な仏格は、本門釈尊・本門法華経に対応するためのロジックでしょう。私は、本門釈尊・本門法華経も伝統的解釈以外に、実はもっと深い意味があるのではないか、と期待しております。

> 多宝仏はピラミッドのミイラ崇拝が伝わり、インドの大地母神と習合し、さらにメソポタミア起源であろうハス崇敬とも習合して、宝塔品となったなどという筋であったらこれは面白いと勝手な想像を膨らませました。

大変興味深い推論です。
それこそ松山師に話されれば、全講義日程がもう50年くらい延びるかもしれませんよ。

109犀角独歩:2006/05/04(木) 11:14:21

一字三礼さん

> Saddharma-pundarikaに換わるので、場所はGrdhrakutaでなければならなくなる、ということも仰っておりましたね。

そうでした。未だ講義部分には入ってきませんが、Thatagatayus-pramana を中心とするグループでは、三つの信仰要素と、一つの修行要素によって構成されているように思えます。すなわち、久遠成道の仏、聖典信仰、宝塔。そして、経典弘経。

また、創作者の様子は、たぶん、突然地面からわき出したとする地涌菩薩に投影されているのだと思えます。ある時、突然、自分たちの聖典を弘教しようとした集団があった。彼らは、仏はインドに500年(あるいは50年前)に現れ滅度したのではなく、実は思惟もできない遙か過去に仏になっており、その仏には最初に弟子にした菩薩の集団があった。その菩薩に滅後の弘教を託した。わたしたち(創作者とその実践者)は、その特命の基づいていま弘教している…。

>…多宝如来は「滅度の後」に、その誓願の通りに続けているという設定です。

この点は一字三礼さんにご指摘いただくまで、気が付いていませんでした。
たしかにタブーに抵触しているわけですが、このような点から、また、外から摂取された可能性も裏付けられるのだろうと思えました。

> 多宝如来…後の三身説に当て嵌めれば「報身」

初期大乗経典である法華経は、三身説を意識されて創作されていないわけで、この点を言うと、もっとも天台教学から読む人々から抵抗に遭うところですね。わたしは、もちろん、三身説によっているはずがないと考えています。ただし、この法華経における「非滅現滅」という仏の描写は、その後の法身の様態に少なからぬ、影響を与えたのではないかと考えています。つまり、三身説に基づいて法華経が書かれたのではなく、法華経の描写が三身説にアイディアを与えたという時系列です。

台学の三身説では、釈迦:阿弥陀:毘盧遮那=応身:報身:法身に宛てる等が見られた記憶しますが、しかし、法華経の原文から見ると釈迦:多宝:経典(蓮華法)が、三身論という既定概念から見ると、配当されているのではないのかとすら思えてしまいます。故に仰るところは、わたしなりにもそう思えます。

釈迦・多宝の二仏というのは、その後教学的解釈はさておいて、創作者の意図として、仰るような、白蓮と紅蓮、天(太陽)と大地、男と女、明と暗、生と死といったセット化した対概念を予想したものであると感じます。もちろん、多宝如来が女性かといえば、これは仏教ですから、そうはなりませんが、そのモチーフとしたところは大地母神という女性原理であったということです。

110犀角独歩:2006/05/04(木) 11:14:51

―109からつづく―

関連するかどうかわかりませんが、このような二対の崇拝者が並び立つ様というのは、わたしはシヴァ神とウマー神妃の二立(Uma and shiva)を彷彿とさせます。もう昨年のことになりましたがアンコールワット展で、この像を見ました。これは10世紀ごろのものでしたが、このような二像の並立は、日本では道祖神などでみられますね。これは二仏並座からではなく、男女の性的シンボル化の延長にあり、一説では真言立川流の影響であるという人もいました。その是非はわたしにはわかりませんが、仮にこれが真言の影響であるとき、その密教的要素はヒンドゥの諸神の摂取にあることになります。

また、多宝のように教説する場に突然、現れるモチーフは、たとえば観音とも共通するように思えます。観音は両性具有の特徴を有し、母神から観音、観音から多宝と見ると、女性原理が男性原理へと置換されていったごとくで、「変成男子」のごとくでもあります。

けれど、一字三礼さんがご指摘されるとおり、死後の誓いを果たすという側面はしかしこれでは説明がつきません。

この解明は教学的なアプローチばかりではなく、Saddharma-pundarika の創作当時の、その創作者たちが看過できない信仰様態を摂取したものから探るのも一考ではないかとも思えます。

>> 多宝仏はピラミッドのミイラ崇拝…インドの大地母神と習合し、さらにメソポタミア起源であろうハス崇敬とも習合して、宝塔品となった
>…松山師に話されれば、全講義日程がもう50年くらい延びる

50年(笑)
これは、延びてしまうと、福神の予定をさらに遅延させるばかりではなく、松山師は今の段階でも全編講義は50年以上かかるペースで、さらに日本全体が法華経の真の意味を理解するのに100年、世界にそれが伝わるのが100年というわけで、まるでご本人の寿命が意識されておらず、まことに寿量に相通じる様が、さらに輪をかけることになりますね。

あの講義のあと、考えていたのですが、宝塔信仰という側面は、しかし、よく考え直すと、この塔は多宝塔、もっと正確にいうと多宝如来の塔なのですね。塔の中に招き入れられる釈迦はあくまで客仏のわけです。塔の主人はあくまで、多宝如来です。

そうなると、多宝塔信仰というのは、釈迦がお客さんで一時招き入れられた塔を拝む信仰ということになるわけです。これはしかし、実に奇妙な信仰様態であると思えます。

この点もついでながら、松山師に投げかけると、もう数十年、講義予定を延ばすことになりますか(笑)

111犀角独歩:2006/05/04(木) 17:54:50

自己レスです。109に

> 三つの信仰要素…久遠成道の仏、聖典信仰、宝塔。

一つ欠きました。一字三礼さんがご指摘になった Grdhrakuta を特別の浄土にしたのは、Saddharma-pundarika の特徴でした。加えておきます。

112犀角独歩:2006/05/12(金) 14:41:12

一字三礼さん
れんさん

どうにも苦手なのですが、松山先生の講義を拝聴していくうえで、覚え書き程度、簡略の梵/漢/和対照表を少しずつ作ろうと思います。
ご意見、ご批正をいただければ、有り難く存じます。
以下、雛形です。青字は品(章)名です。

http://www.geocities.jp/saikakudoppo/siryoshu/sanskrit.htm

113犀角独歩:2006/05/12(金) 15:17:31

顕正居士さん

以上の対照表その他の作成に就き、貴サイトのリンク先を参考にさせていただきました。
謹んで御礼申し上げます。
今後ともご教示を賜れれば有り難く存じます。

114一字三礼:2006/05/20(土) 20:30:02

顕正居士さん

提婆達多品第十二の龍女の詩偈の梵文についてご教示ください。

「深く罪福の相を達して 遍く十方を照したもう 微妙の浄き法身 相を具せること三十二 八十種好を以て 用って法身を荘厳せり 天人の戴仰する所 龍神も咸く恭敬す 一切衆生の類 宗奉せざる者なし 又聞いて菩提を成ずること 唯仏のみ当に証知したもうべし 我大乗の教を闡いて 苦の衆生を度脱せん」

上記詩偈は、鳩摩羅什訳ではありませんが、‘法身’語が2回使われます。梵文法華の該当部分には‘法身’語はないように見えますが、確信が持てません。あるいは、‘dharmaṃ ’は‘法身’と訳せるのでしょうか。

お教えいただければ幸いです。

115顕正居士:2006/05/21(日) 00:33:20
深達罪福相 遍照於十方 微妙淨法身 具相三十二 の原文は

puṇyaṁ puṇyaṁ gabhīraṁ ca diśaḥ sphurati sarvaśaḥ|
sūkṣmaṁ śarīraṁ dvātriṁśallakṣaṇaiḥ samalaṁkṛtam||49||

甚だ清浄な微妙の身体は三十二の相で装飾され、十方に光り輝く。

śarīraはふつうに身体の意味です。骨、骨格の意味もあります(舎利)。
法身は意訳ですね。次の法身は字数を揃えただけです。

116顕正居士:2006/05/21(日) 00:50:29
gabhīraṁを訳し忘れました。

甚だ清浄にして測りがたく微妙の身体は三十二の相で装飾され、十方に光り輝く。

深達罪福相 は字数を揃えるための意訳か、テキストが少し違っていたかでしょう。

117犀角独歩:2006/05/21(日) 08:38:30

いつもながら、一字三礼さんの問題意識の高さには驚かされます。
添品法華と正法華も当たってみました。

添品法華では、3箇所「法身」語の使用がありました。

2箇所は妙法華と同様で踏襲しているのでしょう。(ただし、見宝塔品第11の所載であり、ここで品は二分していません)

もう1箇所は

「彼見大智者 法身無餘殘 無有於三乘 一乘此中有」(添品妙法蓮華経藥草喩品第5)

妙法華にない部分の漢訳の部分です。岩本訳を見ると

「偉大な理智の持主であって、教えの本体を残らず見て、三種の乗り物は決して、この世には唯ひとつの乗り物があると知る」(上P299)

教えの本体を法身としているようです。梵本で補完していただければと存じます。

正法華では2箇所の使用があります。

「堅固成就平等法身 猶如大雨」(正法華經藥草品第5)
「得如意珠謂獲如來無極法身 衆又隨從取如意珠」(同授五百弟子決品第8)

三身説でいわれる「法身」は dharmakāya でしょうから、たぶん、漢訳としての法身が竺訳などで先行して、のちに三身説で固定されるという経緯があったのだろうと考えます。となれば、妙法華で使用される「法身」も三身のそれではないのだろうとも考えます。

顕正居士さんにはいつもながらのご教示、ロムさせていただき、たいへんに参考になりました。一字三礼さんに先立ち恐縮ですが、御礼申し上げます。

なお、ご投稿の梵文はたぶん Arial Unicode MS FONT を活用されてのことであろうと存じますが、わたしは、このフォントをダウンロードしていないために一部、表記されません。たぶん、同様の状態となっているロムの方々もいらっしゃるだろうと思います。マイクロソフトは、この無償ダウンロードを中止してしまったのは、至極残念なことです。

118犀角独歩:2006/05/21(日) 08:48:20

一つ書き忘れました。

天台、もしくは日蓮においては、妙法華は三身(もしくは文句では三即一、日蓮はこれを注法華経のみで写す)を説くとするわけですが、一字三礼さんの問題意識は、「法身」語は妙法華では、羅什の訳に係らない見宝塔品から切り出された提婆品のみにしかなく、さらに顕正居士さんが翻訳でご教示くださったとおり、該当する梵原本からは「法身」に当たることもみられない、要は法華には「法身」説は、もとよりないのではないかという点に、その主眼があると拝させていただきました。

初期大乗経典である法華経は是の如くであるというのは、至当な分析であろうと存じます。法華経における法と覚、道といっても善いのかも知れませんが、これら漢訳は多くの問題を孕むわけで、これを天台のドグマから、即断すれば、法華経が元来、説いたことは見られなくなるというのは、松山師の一貫した主張でもあります。

119一字三礼:2006/05/21(日) 11:28:22
顕正居士さん

ご教示ありがとうございます。

NGワードがあるということで、書き込みができませんので、とり急ぎお礼申し上げます。

120一字三礼:2006/05/21(日) 11:29:12

犀角独歩さん

独歩さん、また面白いものがみえてきましたね。

添品法華と正法華では、薬草喩品に’法身’が使われるのですね。

ただ、岩本師の訳で’法身’とはされていないのであれば、やはり’法身’は意訳でしょうか。

> 要は法華には「法身」説は、もとよりないのではないか

お察しの通りです。

法華経は、大乗経典の中では最古に近い、八千頌般若よりも古い(素朴)な用語(菩薩観など)がかなりあると思うのです。

121犀角独歩:2006/05/21(日) 19:47:27

一字三礼さん

内輪話のようになってしまいますが、過日の松山先生のお話は面白かったですね。先生も一字三礼さんに大いに刺激を受けていらっしゃいます。

わたしの当面の興味は極楽・阿弥陀仏と法華経の関係です。
先生の仮説のとおり、法華経が八千頌般若の次の大乗経典であるとしたら、この極楽・阿弥陀仏が法華教典中に見られる以上、時系列から言えば、法華経を母体とした可能性があることになります、もちろん、後付の可能性も十分にありますが。

つまり、第1グループである Agradharmā、つまり、Pūrvayoga を除く、Upāyakauśalya からDarmabhān.akā までで、Amitāyus が出てくるのは Pūrvayoga という点は、やはり、注意が喚起されます。
看過できない‘新興’仏・土を摂取する試みが、Mañjuśrl や、Maitreya、さらには Avalokiteśvara などの摂取・習合と同様の形で試みられたのかは、興味があるのですが、いまのところ、知識がついていきません。


また、安楽というのは、岩本師に依れば、極楽以前に Sukhavati の漢訳語であったといいます…と記ながら、検索をしてみたら、このテーマで、既に2002年4月13日に、一字三礼さんと議論していたんですね。歴史を感じました。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1014180269/24

4年経っても、わたしは、あまり知識に進歩がないと反省した次第です。

saddharmapund.arīka が無数仏を志向しているものなのか、一仏統一のためなのか、Upāyakauśalya と Tathāgatapūrvamān.a の対比ではどうなのか、この点も興味は尽きないのですが、いずれにしても、松山先生は「序品に10年」というわけですから、先の長い話です。
松山先生の長スローペースと、わたしの無進歩、長くお付き合いいただくことになりそうです(笑)

122一字三礼:2006/05/21(日) 22:56:45
犀角独歩さん

> つまり、第1グループである Agradharmā、つまり、Pūrvayoga を除く、Upāyakauśalya からDarmabhān.akā までで、Amitāyus が出てくるのは Pūrvayoga という点は、やはり、注意が喚起されます。

仰るとおりですね。松山師の法華経前半成立説からは、やはりAmitāyusは後付けの感があります。
松山師のご見解はまだ伺ってはおりませんが、一般的な成立史からは、八千頌般若経よりも般舟三昧経がもっとも早く成立した大乗仏典とされますね。その般舟三昧経に、既に阿弥陀仏とその浄土が説かれておりますので、そういった意味では阿弥陀仏とその浄土は大乗成立時から広く認知されていたと言えるかもしれません。

また、阿閦仏は、阿弥陀仏と共に法華経に登場する仏ですが、「阿閦仏国経」に説くその浄土・歓喜国の様子は、北倶盧州(アーリアの理想郷)の描写と極めて近いところから、理想郷としての浄土としては最も古いのではないか、との説もあります。

しかし、「阿弥陀・極楽」「阿閦・歓喜」の概念成立より後に法華経が成立したとしても、寿量品に説くGrdhrakutaは、極楽、歓喜、蓮華蔵等の浄土描写と比べるとはるかに分量が少なく素朴ですね。
このあたりの関係をどのように捉えればよいのか、私に理解できるまでにも相当の年月がかかりそうです。

123顕正居士:2006/05/22(月) 00:56:53
Romanized Sanskritのフォントについて

Tahomaはラテン文字と点を組み合わせて表示しています。
puṇyaṃ puṇyaṃ gambhīraṃ ca diśaḥ sphurati sarvaśaḥ /
sūkṣmaṃ śarīraṃ dvātriṃśal lakṣaṇaiḥ samalaṃkṛtaṃ //49// 
Arial Unicode MSはほんとうのフォントです。
puṇyaṁ puṇyaṁ gabhīraṁ ca diśaḥ sphurati sarvaśaḥ|
sūkṣmaṁ śarīraṁ dvātriṁśallakṣaṇaiḥ samalaṁkṛtam||49||

日本語専用掲示板ではTahomaフォントは点の位置がずれます。ただしブラウザのフォントをTahomaに
変更すれば正しく見えます。Arial Unicode MSの場合はこれらの字が□になって見えません。ブラウザ
のフォントをArial Unicode MSに変更しても見えません。これはIEのバグらしい。Netscape等では見える。
いずれもメモ帳などにコピーすれば見えます(それぞれのフォントがインストールされていればですが)。
Arial Unicode MSは今は無償でなくなり、Office XPなどを購入する必要があるようです。

124顕正居士:2006/05/22(月) 01:29:42
*Web上の梵文法華経

法華經數位資料庫:「Sd-Kn 梵本法華經」が完本です。特殊文字の表示はTahoma式です。
http://sdp.chibs.edu.tw/
Digital Sanskrit Buddhist Canon:他にも梵文仏典がたくさんあります。Arial Unicode MSです。
http://www.uwest.edu/UWest/sanskritweb/Sutra/roman/Sutra%2036/Sutra36.html

*Web上の梵英辞典です。
Sanskrit, Tamil and Pahlavi Dictionaries  http://webapps.uni-koeln.de/tamil/
モニエル梵英辞典のイメージです。 http://www.ibiblio.org/sripedia/ebooks/mw/
*サンスクリット独習サイト 
まんどぅーかのサンスクリット・ページ  http://www.manduuka.net/sanskrit/index.htm

*寿量品自我偈など
まんどぅーかさんのサイトには方便品(十如是まで)と寿量品自我偈の完全語釈があります。
http://www.manduuka.net/sanskrit/reading/index.htm
寿量品自我偈:わたしのサイトです。標準サンスクリットに翻訳したものを先にあげてあります。
http://www.geocities.jp/xianzhengjp/jigage.html

125犀角独歩:2006/05/22(月) 06:34:50

顕正居士さん

この度は、学習のための種々のご指導、まことに有り難うございました。
とても参考になりました。深く御礼申し上げ、活用させていただく所存です。
無知をさらしてお恥ずかしいのですが、ここで、やや梵本からの議論を続けようと思っております。引き続き、ご笑覧、ご教示を賜れれば有り難く存じます。

Romanized Sanskrit の表記を申し合わせたほうがよいのかもしれません。
この点は、28日のオフ会でも、問答名人さんにもご相談申し上げたいと思っております。


一字三礼さん

> 一般的な成立史…八千頌般若経よりも般舟三昧経がもっとも早く成立した大乗仏典…

先にも示した岩本師の分類では、同経を179年としています。
いずれにしても、この段階で阿弥陀/浄土は記述されているわけですね。教典と言うより、仏・土としては、既に摂取・習合していた感がありますね。

> Grdhrakuta…はるかに分量が少なく素朴

なるほど。さすが鋭い観察です。
この前の松山先生のお話にもありましたが、法華経というのは、全体的にそう言えますね。
それにしても、漢和訳にすると、まるで水墨画のようなイメージになり、殊に日蓮曼荼羅では、墨字漢字一色になったうえ、平面的。衣まで薄墨、鳴り物はせいぜい鈴(りん)太鼓に磬どまり、まるでモノトーンのイメージです。けれど、梵本から見る法華経はそれでも総天然色(古いですねこの表現は)管弦楽団、SFXを駆使といった様相です。映画、それも歌劇物がもっとも盛んなのは、インドだそうですが、梵本の法華経もまた、この印象ですね。
しかし、それでも法華経は、仰るとおり、他教典に比べれば、素朴なわけです。

先行するのが『八千頌般若』であれば、そのテーマは般若、まあ、智慧といったもので、対して、法華経は聖典信仰と菩薩修行がもたらす長寿。さらに般若に対抗するように覚(道)と訳されるところ anuttarasamyaksambodhi を言うわけですが、これがどんなものであるかは、仏しかわからない、だから、菩薩道修行をしよう、未来成仏を約そう(記別)というところですから、他スレでテーマになっているヒンドゥーを摂取して密教化していくようなタントリズムと比すれば、実に、素朴で、‘色気’も薄いと言えることになります。

漢和訳と梵本がモノトーンと総天然色なら、法華経と他経・殊に密教では素朴と壮麗?の対比といった対比感覚は、案外、従来の法華経論議には余り見られない(そう感じるのは、わたしが寡聞であるからに過ぎないのかも知れませんが)ところで、こんな種々の観点からも法華経は見直されてしかるべきだと思うわけです。

これまた他スレ、たとえば本尊スレで論じるべき点かも知れませんが、日蓮の漫荼羅は四角い料紙に二次元的に図示したもので、この仕上がりはまた、モノトーンで静寂。しかし、そのモチーフとなった法華経のドラマは、舞台は三千大千世界をまたにかけて50小劫の時間、高さ500由旬の七宝に飾り立てられた塔に無数の大衆が参集したうえ、大地から出現したこれまた無数の菩薩群がその塔の周りを右繞する、しかも代表の4菩薩は、どうやら東西南北に立っているようで、塔の真正面・真後ろ・左・右の四方に位置するわけです。三次元ならぬ、悠久の四次元構想で仕上がっています。

わたしの知り合いのお坊さんは、「こんだけの舞台設定、こんだけの菩薩がこの大きな塔の周りを回るとすれば、2000年ぐらいじゃ、終わんない。これはまるで、壮大なメリーゴーランドのようなもの…」とイメージして語りました。
もちろん、松山先生と知己の御仁です。

この方が、松山先生に「日蓮のマンダラというのは、どんなもんでしょうか」と質問したところ、一言「オモチャ箱」と答えられたということでした。
このオモチャ箱という意味は、要は日蓮が好きなものを、みんな押し込んで一幅の図にしたから、というほどの意味での比喩だということでした。
「目から鱗が落ちる」という言葉がありますが、什の鱗、台の鱗、さらに日蓮の鱗も落とさないと、法華経の実像は垣間見られない、教義解釈による狭い了見では何も見えないという、信徒門下ではタブーに属する領域に踏み込んで考えようということです。

余談ですが、当掲示板が「身延派に占拠されている」という批判があるそうです。わたしの記すことは、身延・池上でも頭の痛いところだと思いますが(笑)
よろしく、お付き合いください。

126犀角独歩:2006/05/29(月) 22:49:29

一字三礼さん

少しご意見をお聞かせください。
日蓮は不軽品と勧持品を対比的に論じ、自身に当て嵌めるわけです。
さらに日蓮は上行再誕を自認していたかという問題があります。
そうなると、不軽=上行という等式が成り立つことになります。
摂折論とも、関連するところです。

わたしは、どうもこの等式というのが納得できません。
ひとたび、日蓮から離れて法華原文を見るとき、不軽菩薩と上行菩薩は、かなり、違っているという印象をわたしは懐いています。

常に軽蔑され、悪口雑言を浴びせられ、暴力にも遭う。いくら、礼拝しても受け入れられるところはなかったわけです。一方、上行菩薩を代表とする地涌菩薩というものを見れば、端から弥勒が蓮華に譬え称え、そして、その有様は、漢訳で挙げれば

「楽説無窮尽 如風於空中 一切無障碍 於如来滅後 知仏所説経 因縁及次第 随義如実説 如日月光明 能除諸幽冥 斯人行世間 能滅衆生闇 教無量菩薩 畢竟住一乗」

万雷の喝采の中で、何ら障害もなく、説くところは、恰も日月の光明の如く、聞く菩薩は闇を滅して、一仏乗に住するというわけです。不軽が陰であれば、上行は陽という著しいコントラストで描かれています。

日蓮の自覚はさておいて、この二菩薩、その性質、また、境遇というか、何一つ、似通っているところはありません。なにより、法華経から読む限り、地涌菩薩が難に遭うなどという予言はないわけです。

不軽と上行は著しく相違している、わたしにはそう思えます。
一字三礼さんは、どのようにお考えになりますか。

127一字三礼:2006/05/30(火) 10:34:30
犀角独歩さん

難しい問題ですね。
拙いものですが、私の考えを少し述べさせていただきます。

> 不軽=上行という等式が成り立つことになります。

如来寿量品からの流れをみますと、分別‘功徳’品、随喜‘功徳’品、法師‘功徳’品と仏寿と法華経の‘功徳’について説く品(章)が続き、如来神力品、嘱累品という経の付嘱を説く2品の前に不軽品が入る形になっております。
その内容と構成から、「常不軽品第二十」は、法華経前半部(序品から法師品まで)と法華経後半部(見宝塔品から嘱累品まで)とを繋ぎ、嘱累品で法華経全体を統一的に締めくくるための役割があると考えます。
不軽品はこのような長行から始まります。

「爾の時に仏、得大勢菩薩摩訶薩に告げたまわく、汝今当に知るべし、若し比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷の法華経を持たん者を、若し悪口・罵詈・誹謗することあらば、大なる罪報を獲んこと前に説く所の如し。」

この「若し悪口・罵詈・誹謗することあらば、大なる罪報を獲んこと前に説く所の如し。」の‘前に説く所’とは、実は譬喩品の偈文まで遡るのです。法華経後半部(本門)で、法華経前半部(迹門)に言及するのは、ここ一ヶ所だけです。
もうひとつ、常不軽菩薩の授記(迹門の行為)という菩薩行に縁って、六根清浄(本門の功徳)を得るというエピソードも、法華経の統一を考えてのことであろうと思います。ちなみに、「礼拝」が行であったかどうかも大きな問題ですが、岩本師の現代語訳では、「礼拝」の語は出てきません。

簡単になってしまいましたが、上記のような理由から、不軽品に出てくる常不軽菩薩は、法華の中でも特殊IDを持った、忍耐的な精神を持った通法華経的な菩薩像なのではないでしょうか。

対して地涌菩薩(上行菩薩)は、寿量釈尊の久遠の弟子として久遠実成と説く段に於いて、‘証明及び補処’が地涌菩薩の役割です。
そのため、一品二半が終わる分別功徳品の中盤で、‘如来の滅後’を再び説き始めるとその寿量仏の‘証明及び補処’の役割は当然なくなります。ですから、次に登場するのは、如来神力品の別付嘱(結要付嘱)だけとなります。

さて、以上のように考えますと、常不軽菩薩と上行菩薩(地涌菩薩)の役割の違いがはっきりしてくると思います。

常不軽菩薩は、本迹通じての通法華的な菩薩の理想像

上行菩薩は、寿量釈尊の証明・補処としての菩薩(一品二半に限る)

結論的には、不軽と上行は、等式で考えるべきではなく、役割が異なっていると考えますと、蓮祖が、受難の人‘法華経の行者’の立場で御書で述べられているときは、常不軽菩薩にご自身を重ねられる。
また、法華本門の独立、本門本尊、題目、本門戒壇建立の使命を述べられるときは、上行菩薩とご自身を重ねられたということではないでしょうか。

128犀角独歩:2006/05/30(火) 16:54:02

一字三礼さん

返レス、有り難うございます。
やはりそうですよね。わたしも不軽と上行は一体と見なすというのは、おかしなことであると思うわけです。

日蓮のなかで一体化していたのだろうかという疑問もあります。
本尊抄の段階で、上行の自覚がなかったとすれば、日蓮自身が、勧持、不軽とその役務を果たせば、品の順位からして、次に来たるのは神力予証の上行の出現ということなります。

いずれにしても、三類の敵人に遭う勧持品の菩薩、常に軽蔑された不軽菩薩と、上行等の華々しさにはまったく隔壁がありますね。この点は、もう少し考えてみたいと思います。

129とんび:2006/06/15(木) 21:35:37
皆様、お久しぶりです。
昨年末より、仕事やその他でもろもろ忙しく、発言はしませんでした。また、ロムもほとんどしていません。

持病が原因で、つい最近まで1ヶ月以上入院しておりました。
そこで、「この人は」と思う、法華講員の方と出会いました。

要件を先に言うと、彼の家が以前火事になったのです。
ところが、祖母が保持していた、「日寛上人」と「日淳上人」の御本尊は
燃えてしまったそうです。しかし、法華経(大石寺版)だけは、焼け残った
そうです。
 
 私は、このことを聞いたとき、かの「羅什の舌焼けず・・・」の故事が頭
に思い浮かびました。

 ご存じ、法華経は、釈尊自説ではなく、誰が作成したかわからない、物語
です。しかし、御本尊は、日蓮聖人の実際に残したものであります。

 日蓮門下にとって、御本尊は、信仰の対象、おそらく法華経よりも尊い存在
と信じられているものでしょう。。。

 私は、ここに集られる博学・信仰深き皆様の、ご意見をお聞きしたく思いました。

 尚、まだ病み上がりで、ご意見を戴いても、すぐすぐ御返事などはできません。

 法華経が尊いのか、いや御本尊の方が絶対なのだ、いやどちらとも同じだ...など
など、ご意見を伺えれば...と思っています。
 私は、前者なのではないだろうか...などと感じています。

130犀角独歩:2006/06/15(木) 23:03:26

とんびさん

まずは、お見舞い申し上げます。

少し夢を壊すようで、言うのが気が引けますが、大石寺版の法華経というのは、たしか平楽寺版の法華経の版を買って、「大石寺版」と名ばかりつけた代物です。
では、この訓読は、といえば、日蓮が嫌った慈覚のものであるという曰く付きです。

あと、「御本尊」ということですが、この掲示板でこの言葉は大きく、日蓮が書いた漫荼羅、本尊抄に言う久遠五百塵点成道釈尊の二つを意味します。さらに足せば、妙法蓮華経の五字も、その候補といえます。

自灯明という遺言を含めれば、自分自身も入ってくるわけで、ご質問の趣旨は、なかなか絞り込みの難しいところではないかと思えます。

131とんび:2006/06/25(日) 23:17:43
犀角独歩さん、御返事ありがとうございます。
近々、別スレッドで、お会いになった法華講員の方の話をしたいと思っています。

132犀角独歩:2006/06/26(月) 19:51:56

とんびさん、では、楽しみにお待ちいたしております。

133一字三礼:2006/08/07(月) 23:10:33

顕正居士さん

これは、れんさんがご指摘されたことですが。

「諸仏両足尊 知法常無性 仏種縁従起 是故説一乗」(方便品第二)
「則断一切 世間仏種 或復顰蹙 而懐疑惑」(譬喩品第三)
「生受楚毒 死被瓦石 断仏種故 受斯罪報」(譬喩品第三)

これらの偈文で使われている’仏種’とは梵文ではどのような意味になるのでしょうか。

れんさんは「特に富士門は下種仏法を標榜しているので、この’仏種’の意味が気になっている」と仰っておりました。私も大変に興味を引かれるところです。

いつも質問するばかりで恐縮ですが、ご教示のほどよろしくお願いします。

134顕正居士:2006/08/08(火) 08:19:32
>>133
一字三礼さん。

Kernの英訳で示すと

99〜
http://www.sacred-texts.com/bud/lotus/lot02.htm
113〜
http://www.sacred-texts.com/bud/lotus/lot03.htm

「佛種」にあたる語はありません。羅什の挿入であろうかとおもいます。
佛種=佛性は佛種性(佛種姓)の省略で、原語は buddha-gotra、つまり仏陀になれる
生まれ(カースト)の意味ですが、法華経にはそういう概念はありません。
また「種」は種性(種姓)の省略で、元来はseedの意味ではないです。

135今川元真:2006/08/08(火) 15:48:11
横レス御免、仏陀に成れる素姓?、知識伝授から植物の種に例える様に成ったのでしょうか。

136一字三礼:2006/08/08(火) 18:13:58
と言うことは、この’仏種’からなんらかの教説を導き出すことは難しいようですね。

137一字三礼:2006/08/08(火) 18:15:28
すいません、136は投稿ミスです。


顕正居士さん

ご教示ありがとうございます。

> 原語は buddha-gotra、つまり仏陀になれる生まれ(カースト)の意味ですが、法華経にはそういう概念はありません。

なるほど、方便品と譬喩品で使われている’仏種’語には、言語的には特に深い意味はない、と考えた方がよいようですね。

> また「種」は種性(種姓)の省略で、元来はseedの意味ではないです。

仏種の’種’は、varna(ヴァルナ)もしくはジャーティと理解した方がよいということですね。

梵文法華経のリンクが切れてしまった事は大変残念です。私もそろそろ梵文法華経を買う時が来たようです。


れんさん

と言うことですので、この’仏種’から’下種’や’仏性’等の教説を導き出すことは難しいようですね。

138れん:2006/08/08(火) 19:40:11
顕正居士さん・一字三礼さん

方便品・譬喩品の「仏種」の語は梵本を対照すると、言語的に特に深い意味が
ないとのこと、ご教示有難うございました。
長い間、富士宗学を研鑽していましたから、仏種というと、何となく下種の種
を想像してしまうのですが、梵本から見ると、深い意味がないとのことで、気
持ちがすっきりしました。

139とんび:2007/10/19(金) 22:11:56
犀角独歩さん、こんばんは。

あらためて、失礼をお詫びいたします。
余談ですが、荒らしのあった場合、削除を申し立てない方が、良い場合があります。

この法華経についての130のレスですが、かの松本師は、大石寺版でも問題はないとおっしゃつて
いました。また、他の発言で(調べるのに時間がかかるのでもうしわけありません)

松本師の「南無妙法蓮華経要義」から、私が引用した部分
「南無妙法蓮華経の解説書が、法華経。法華経の解説書が、御書、御書の解説書が、天台、妙楽の論釈です。
この関係がわからないと、法華経観に大きな違いが生じます」を紹介しましたら、
犀角独歩さんは、反論されていました。あとで松本師に確認を私はしました。

 このような発言があると、今松本師に天台教学?を教えて戴いている...という
ことに、矛盾がありつっこまれることがあります。
 また、松本師は、ご存じの通り、東京での西山本門寺の寺院の住職です。

 昔、その西山本門寺のことで、犀角独歩さんからつっこまれ、知らない・わからないのは、
「あなた1人でしょう」と言われました。そうかもしれませんが、ここには、多くの発言しない
ロムの方がいますので、そうでなかったかもしれません。

 これも犀角独歩さんに対して礼節を欠く発言になるのかも、しれませんが、私もそうですが、
ここは、言葉だけの世界ですので、言葉遣いは慎重にしたいと思います。

 余計な出しゃばり、申し訳ありません。



この130レスに

140犀角独歩:2007/10/20(土) 03:30:56

> 139

> 法華経…松本師…大石寺版でも問題はない

松本師が判断の基準になっているわけではないですから、それは各人の見解でしょう。素読する程度であれば、別段、大石寺が平楽寺版を大石寺版として販売したものを使おうが、さした問題とはならないでしょう。ただし、わたしは厳正を期しますから、この版は使いません。

日蓮の教学を考えるうえで使用するとなると、日蓮が使った法華経とは細かい点で違っているわけですから、齟齬を来すことになるでしょう。では、どこが違っているのかは、ご自分で確認されればよいでしょう。

> 松本師の「南無妙法蓮華経要義」から、私が引用した部分
> 「南無妙法蓮華経の解説書が、法華経。法華経の解説書が、御書、御書の> この関係がわからないと、法華経観に大きな違いが生じます」

この引用は、本当に合っていますか。
仮に合っていたとして、これは師の教学的なスタンスでしょう。

> 今松本師に天台教学?を教えて戴いている...という
> ことに、矛盾がありつっこまれることがあります。

誤解があるようなので、この点はしっかり記しておきますが、わたしは西山の信者でも、松本師の信者でもありません。天台学、取り分け西山の知識相承に係る台当違目については深く知らないので、その点を習っているということです。これはたとえば、キリスト教神学を神父に習ったからといって、信者とは限らないということと同じです。何ら矛盾はありません。

> 西山本門寺

西山本門寺は、かつて大石寺に本堂が帰伏した結果、多くを失った歴史があります。また、このようなことになった顛末はまことにお粗末、かつ恥ずべき歴史です。この点をしかし、詳細に記せば、一々に証拠を挙げるのに骨が折れ、では略せば、単なる誹謗中傷となりかねない、故に先にはその詳細を記さなかったということです。松本師にお聞きになるなり、お調べになるなりなさっては如何でしょうか。

末尾ながら「言葉遣いは慎重にしたい」とのこと、是非ともそのようになさってください。

ここは『法華経について』のスレッドです。この筋から脱線なされば、「荒らし」行為と見なされますよ。以上です。

141とんび:2007/10/20(土) 20:19:49
犀角独歩さん、こんばんは。

ご丁寧な、御返事、誠にありがとうございます。また、人格攻撃といわれるやもしれね
とヒヤヒヤしておりました。ここに犀角独歩さんの人柄が表れていると感じます。
私は、私なりにゆつくりと、仏教を実践・学んでいこうと思います。

 この度は、わたしなりに勉強になりました、ありがとうございます。

 発言しないつもりが、出てきてしまい。
 あといくつか、私の教学的に、思うことを述べて当分の間、ロムに徹したいと
思いました。
 浅学の私に、お付き合い下さいまして、ありがとうございました。

142一字三礼:2008/04/19(土) 22:52:27
法華経と仏塔

法華経には、種々の仏塔が登場する。
布施浩岳氏は『法華経成立史』において、法華経に現われる仏塔の考え方について独自の見解を示した。彼の主張を要約すると、「仏舎利の入った仏塔を礼拝しえない環境にあったものたち(法華信者)が、仏舎利の代わりに経典を仏陀そのものとみなし、経典を仏塔に安置し、荘厳した。それが西北インドに発達したチャイティヤであろう」という。これを言い換えれば、ストゥーパ(舎利塔)に収められる実在した釈尊の遺骨、‘聖遺物’の信仰から、チャイティヤ(経塔)という仏典・教義への移行を勧める、という大乗的解釈も成り立つかもしれない。
現在でもよく耳にするこの説は、チャイティヤの発生や原意、また考古学的事実や法華経の記述から考えれば、大きな誤りである。

まず仏塔の原意から考えると、ストゥーパ(stūpa)とは、仏塔の原語の一つであり、本来的には、頭髪、毛髪の房、頭の上部、家の主梁および頂上などを意味し、次いで堆積、土や粘土の積み重ね、火葬推。特別な意味として仏教の記念碑、遺骨の奉安所、骨箱などの名称である。「リグ・ヴェーダ」にも、樹木の冠、火炎の冠、天地を繋ぐ軸柱、黄金の塊などの意味で用いられる。
チャイティヤ(caitya)も仏塔の原語であり、漢訳仏典では「支提」、「制多」と音写される。法華経の現代語訳でも「廟」、「塔廟」の語があてられているが、中国の霊廟などと完全に性質が異なるので、誤解を招きやすいとの指摘もある。チャイティヤは、仏塔以前の宗教的建造物としては、バラモン教の火を祀るための聖火壇や、供犠祭の祭場、火葬の薪の積み重ね、また釈尊の遺体を荼毘にふした火葬場もチャイティヤという地名であったらしい。原語と用法からチャイティヤが「経塔」と訳されることはない。
チャイティヤの最も一般的な意味は「神聖な樹木」、いわゆる‘聖樹’である。このチャイティヤ(聖樹)は、「梵和大辞典」を引くと、その場所を記憶し、けっして忘れてはならない場所という意味のようだ。具体的には火葬場や墓場などの霊的に特別な場所に木が植えられ、それが聖樹・記念樹となりその場が聖域となったこと、などを指す。

布施説の最初の誤りは、チャイティヤの成立を西暦前後から西北インドに発生し、カニシカ王の時代に隆盛を極めたと考え、そのチャイティヤが‘経塔’という意味を持ち、舎利塔信仰を引き継いだと見るところにある。これは、法華経の法師品・分別功徳品・如来神力品の誤読も、誤解の一因となっているのだろう。

チャイティヤの名は原始仏典でも使われていて、‘聖樹’として釈尊も好まれた、日陰や静寂がある古木をさしたようだ。しかし、仏教では、チャイティヤに住み、それを守護し、供物をささげる者に対して利益をもたらす精霊(ヤクシャ・ヤクシニー)の存在は認めなかった。一方で、釈尊の坐す菩提樹や、仏道修行者が居住する場所を示すものとしては、チャイティヤを取り入れ、仏塔を聖樹に見立てた。

143一字三礼:2008/04/19(土) 22:53:56
142からつづく

法華経で、仏塔に言及される個所は、序品・方便品・授記品・法師品・見宝塔品・提婆達多品・分別功徳品・如来神力品・薬王菩薩本事品等挙げられるが、チャイティヤ建立を勧めるのは、法師品・分別功徳品・如来神力品の三品だろう。その該当箇所を挙げてみよう。
「薬王、在在処処に若しは説き若しは読み若しは誦し若しは書き若しは経巻所住の処には、皆七宝の塔を起て極めて高広厳飾ならしむべし。復舎利を安ずることを須いず。所以は何ん。此の中には已に如来の全身います。此の塔をば一切の華・香・瓔珞・・蓋・幢幡・妓楽・歌頌を以て、供養・恭敬・尊重・讃歎したてまるつべし。」(法師品)

「阿逸多、若し我が滅後に、諸の善男子・善女人、是の経典を受持し読誦せん者復是の如き諸の善功徳あらん。当に知るべし、是の人は已に道場に趣き、阿耨多羅三藐三菩提に近づいて道樹の下に坐せるなり。阿逸多、是の善男子・善女人の若しは坐し若しは立し若しは経行せん処、此の中には便ち塔を起つべし。一切の天人皆供養すること、仏の塔の如くすべし。」
「其の所住止の処 経行し若しは坐臥し 乃至一偈をも説かん 是の中には塔を起てて  荘厳し妙好ならしめて 種々に以て供養すべす 仏子此の地に住すれば 則ち是れ仏受用しまもう 常に其の中に在して 経行し若しは坐臥したまわん」(分別功徳品)

「所在の国土に、若しは受持・読誦し解説・書写し、説の如く修行し、若しは経巻所住の処あらん。若しは園中に於ても、若しは林中に於ても、若しは樹下に於ても、若しは僧坊に於ても、若しは白衣の舎にても、若しは殿堂に在っても、若しは山谷曠野にても、是の中に皆塔を起てて供養すべし。所以は何ん、当に知るべし、是の処は即ち是れ道場なり。諸仏此に於て阿耨多羅三藐三菩提を得、諸仏此に於て法輪を転じ、諸仏此に於て般涅槃したもう。」

上記の経文は、三品とも同じ内容の記述である。それを要約すればこうだろう。

「持経者が法華経の修行をした場所であれば、例えそれがどのような場所であれ、塔(チャイティヤ)を建てて奉るべきである。そこは仏が居ますが如く、また八相を現じているが如くに神聖な場所であるから」

これら三品の記述にみるチャイティヤは、神聖な場所に建てられる‘聖樹’としてのチャイティヤそのものである。現代的な表現をすれば、聖地に建てられる‘ランドマーク・タワー’というところだろう。
 また、上記漢訳経文でも、よく読んでもらえればわかることだが、解りにくければ現代語訳と対照して読んでもらいたい。そうすれば、‘経典が安置された仏塔’などという記述がないことがわかるだろう。

布施氏が『法華経成立史』を書いた昭和7〜8年であれば、考古学的資料や梵文資料は現代とは比較にならないほど少なかったであろう。その意味で、彼の研究を責めるの酷かもしれない。しかし、現代の法華経研究者が布施氏の仏塔論、もしくは彼と同じような趣旨の論法を、未だに無批判で使用するのは怠慢というほかない。もう少し、漢訳でも現代語訳でも構わないので、法華経を読み込む努力をしてもらいたいと思う。

144犀角独歩:2008/04/20(日) 05:12:13

今回の一字三礼さんのご投稿には、目から鱗が落ちました。深く感謝します。わたし自身、カノン信仰と関連づけて、法華経創作グループとその信奉者はせっせと経塔作りに励んでいたというイメージを懐いていました。しかし、ご指摘を受けて改めて読み直すと、塔に経巻を安置するという記述は見当たらないことがわかりました。

やや横道ですが、松山俊太郎師のご指摘を併せて思いだしました。
以下の抜き書きでは、敢えて略しましたが、塔を記述するとき、その高さ大きさ、また、数が記されるのですが、これもまた、興味深いテーマであると思いました。


■01序品「以仏舎利。起七宝塔」「仏滅度後 供養舎利 又見仏子 造諸塔廟」「宝塔高妙 五千由旬 縦広正等 二千由旬 一一塔廟…」「為供舎利 厳飾塔廟」「分布諸舎利 而起無量塔」
方便品第二「起万億種塔」 金銀及頗黎 隕隗与碼碯 隧瑰瑠璃珠
 清浄広厳飾 荘校於諸塔 或有起石廟 栴檀及沈水
■02方便品「起万億種塔」「荘校於諸塔 或有起石廟」「積土成仏廟」「童子戯 聚沙為仏塔」「若人於塔廟 宝像及画像」「若人散乱心 入於塔廟中 一称南無仏 皆已成仏道 於諸過去仏」
信解品第四「諸珍宝 以起塔廟」
■06授記品「各起塔廟。高千由旬」「供養塔廟」「諸仏滅後 起七宝塔」「諸仏滅後。各起塔廟」「而以供養 諸仏塔廟 漸漸具足 菩薩道已」「仏滅度後。起七宝塔」
■10法師品「薬王。在在処処。若説。若読。若誦。若書。若経巻所住之処。皆応起七宝塔。極令高広厳飾。不須復安舎利。所以者何。此中已有。如来全身。此塔応以」「若有人。得見此塔。礼拝供養」
■11見宝塔品「爾時仏前。有七宝塔。高五百由旬。縦広二百五十由旬。従地涌出」「供養宝塔」「爾時宝塔中。出大音声」「見大宝塔。住在空中。又聞塔中。所出音声。皆得法喜」「此宝塔。従地涌出」「此宝塔中。有如来全身」「有説法華経処。我之塔廟」「彼之宝塔。皆涌出其前。全身在於塔中」「若我宝塔。為聴法華経故。出於諸仏前時」「釈迦牟尼仏所。竝供養多宝如来宝塔」「与欲開此宝塔」「釈迦牟尼仏。以右指開。七宝塔戸」「皆見多宝如来。於宝塔中。坐師子座。全身不散」「爾時多宝仏。於宝塔中」「爾時大衆。見二如来。在七宝塔中」「聖主世尊 雖久滅度 在宝塔中」「此多宝仏 処於宝塔」「全身舎利。起七宝塔」
■12提婆達多品「七宝妙塔」
■13勧持品「遠離於塔寺」
■15従地涌出品「是諸菩薩。従地出已。各詣虚空。七宝妙塔」
■17分別功徳品「竝散七宝塔中」「復起塔寺」「則為以仏舎利。起七宝塔」「不須復起塔寺」「復能起塔」「若経行処。此中便応起塔」「如仏之塔」「以舎利起塔」「供養此塔」「恭敬於塔廟」「乃至説一偈 是中応起塔」
■21神力品「「及見釈迦牟尼仏。共多宝如来。在宝塔中。坐師子座」「若経巻。所住之処。若於園中。若於林中。若於樹下。若於僧坊。若白衣舎。若在殿堂。若山谷曠野。是中皆応。起塔供養」
■22嘱累品「多宝仏塔」
薬王菩薩本事品第二十三「応起若干千塔」「火滅已後。収取舎利。作八万四千宝瓶。以起八万四千塔」「即於八万四千塔前」「能燃手指。乃至足一指。供養仏塔」「多宝如来。於宝塔中」
■24妙音菩薩品「久滅度多宝如来。在七宝塔中」「宝仏塔已。還帰本土」「見釈迦牟尼仏。及見多宝仏塔。礼拝供養」
■25観世音菩薩普門品「分作二分。一分奉釈迦牟尼仏。一分奉多宝仏塔」

145一字三礼:2008/04/20(日) 10:19:25

犀角独歩さん

レスありがとうございます。

〉塔を記述するとき、その高さ大きさ、また、数が記されるのですが、これもまた、興味深いテーマである

大変に重要なご指摘だと思います。

法華経で、大きさの示される仏塔
「宝塔高妙にして 五千由旬 縦広正等にして 二千由旬」(序品)

「諸仏の滅後に各塔廟を起てて高さ千由旬、縦広正等にして五百由旬ならん。」(授記品)
「諸仏の滅後に各塔廟を起てて高さ千由旬、縦広正等にして五百由旬ならん。」(授記品)

※「爾の時に仏前に七宝の塔あり。高さ五百由旬、縦広二百五十由旬なり。」(見宝塔品)
(縦広が記されるのは「妙法蓮華経」のみ。正・梵文には高さのみ)

※「高さ六十由旬、縦広四十由旬ならん。」(提婆達多品)
(この品は後代付加分であるから法華経の記述と考えるべきか疑問)

実際の仏塔のサイズはどうでしょうか。
ムンバイから北へ1000キロほど行ったところにある、サーンチーの遺跡の三つのストゥーパの第一塔は、インドで最も完全な形で残っている仏塔です。紀元前3〜2世紀に造られたその仏塔の大きさは、

サーンチー第一塔:高さ16,46m・直径43m

また、法華経の編纂地と目される西北インド(パキスタン:タキシラ)の古代インドの学問の中心地にある「ダルマラージカー大塔」もアショーカ王の創建になり、その大きさは、

ダルマラージカー大塔:高さ13,7m・直径45,7m

146一字三礼:2008/04/20(日) 10:20:17
145からつづく

法華経記述の仏塔は、高さが直径の約2倍ある形状ですが、実際の仏塔では、直径が高さの4倍あります。古代の建築技術の限界と仏塔という形状の約束事もありましょうが、直径の2倍以上の高さのある大塔を造ることは、実際には難しかったでしょう。

西北インドの「ダルマラージカー大塔」であれば、建立の時期からして、法華経の編纂者も目にしていたと考えられます。しかし、法華経の記述は、実際の仏塔の比率がまったく無視されています。つまり、法華経に「高さ千由旬、縦広正等にして4千由旬」という記述があれば、実際の仏塔をモデルとしていると言えるでしょうが。

では、高さが直径の2倍ある仏塔がなかったか、と言えばそうでもありません。

それは石窟寺院の「塔院窟」にある仏塔です。人の開削による石窟寺院は、アショーカ王の治世の紀元前3世紀ごろから始まるといわれます。
石窟寺院のもっとも基本的な構成は、「僧院窟」と「塔院窟」から成り立っています。このことは、部派の僧侶も積極的に仏塔崇拝をしていたという証拠にもなりましょう。

「塔院窟」に安置される仏塔は、全体的に大きくはないのですが、直径よりも高さが勝るものが多いのです。石窟寺院の僧侶たちが、野外の大塔には興味がなかったか、無視したのかは、わかりません。

この推測が成り立ち、仏塔の大きさを記す法華経の品(授記品等)を伝えたものたちが、石窟寺院に居住する僧侶であったとしますと、チャイティヤ建立を勧める集団(法師・分別・神力)とはまったく異なった環境と仏塔観を持っていたと考えることができるのではないでしょうか。

147顕正居士:2008/04/20(日) 20:12:18
大乗仏教の仏塔崇拝起源説、在家菩薩起源説は今日ではおおかた否定されています。
勝呂信静師が『日蓮思想の根本問題』(教育新潮社 1965年)で指摘していたように
玄奘や義浄はインドには大乗の「教団」というものはなかったと報告しているのです。
今日でも「サンガ」に所属していない教団というのは日本仏教諸宗とニンマ派しか
ないのですね(いづれかの部派起源の具足戒を持てば一大サンガの成員となる)。
法明教会さんのサイトの次の記事など参考になります。

「ブッダと仏塔の物語」を読んで
http://houmyou.blog.ocn.ne.jp/houmyoukyoukai_/2008/03/post_e5ff.html

148犀角独歩:2008/04/20(日) 21:42:56

さすが、顕正居士さん。ご投稿は、勝呂さん批判という趣旨ですね。坊さんマジョリティの考えを示してくださいまいましたね。

『法華経』の記述から、仏塔崇拝は否定のしようがなく、あといえば、『法華経』が大乗教団の創作であるかどうか、漢訳はいざしらず、梵本が大乗教団によってつくられたなんて考える必要があるのでしょうか。

そもそも、小乗・大乗という二分立は、いまの仏教史でも採用されていませんね。

149犀角独歩:2008/04/20(日) 21:45:47

少し、補足しますが、菩薩が僧侶であれば、現存する菩薩像はみな、在家の姿をしているのか、その説明がつきません。
僧学主導の、言い訳は、あまり興味が涌きません。

150顕正居士:2008/04/20(日) 23:24:57
勝呂師は40年前にインドには大乗「教団」はなかったと玄奘や義浄が報告していると
指摘されたのです。今日では大乗部派起源説が日本でも優勢になって来つつあります。
なお勝呂師は日蓮宗の僧侶ですが宗学者ではなくインド学者です。

151顕正居士:2008/04/21(月) 01:31:18
架空の菩薩が俗形である理由

地蔵菩薩は多く比丘形、大乗戒の戒師として勧請する文殊菩薩も比丘形のことがある。
(善水寺重文僧形文殊菩薩 http://www.zensuiji.jp/img/page2/photo005.jpg
しかし観音そのほか多くの架空の菩薩は俗形である。菩薩とは元来は釈尊の修道期を
指し、後にそれが前世に延長されて民話を摂取した本生譚(ジャータカ)が作られた。
したがって架空の菩薩もインドの貴人の姿をしている。むろん史実の菩薩は比丘形です。

152犀角独歩:2008/04/21(月) 04:43:30

勝呂師の、『平成新修日蓮聖人遺文集』が出たときの、護教的な寄稿は失笑を禁じ得ないものがありました。
http://www.genshu.gr.jp/DPJ/syoho/syoho32/s32_086.htm

なお、玄奘が旅をした頃、既に大乗教団はなかったということで、当初からなかったのではなく、なくなったという経緯を言ったのでしょう。

菩薩の姿が、釈迦の本生譚(前世物語)に基づくのは、これは釈迦菩薩のことでしょう。しかし、弥勒、観音は、この釈迦菩薩とは区別されています。

2002年のことになりますが、パキスタン・ガンダーラ、インドマトゥラー彫刻展が開催されました。仏菩薩像の起源となる彫刻が一挙に展示、画期的なものでした。特筆すべき点は、仏菩薩像の時系列で起源・変遷を、実物の展示をもって示していたことでした。
このときの図集が手許にあります。

「ガンダーラでは、釈迦菩薩のほかに、弥勒菩薩像と観音菩薩も盛んに造られたようだ。…弥勒菩薩は釈迦菩薩と同じように装身具をつけるが、ターバン冠飾を戴くことなく、頭髪を束ねたり、丸く髷を結ったりし、決って左手には水瓶を執る…観音菩薩は釈迦菩薩と同様にターバン冠飾を戴き、左手に華鬘もしくは蓮華を持つのを特徴とする」

つまり、釈迦菩薩と、弥勒観音は、その起源が別です。
なお、釈迦の修行期であるから貴人の姿というのは、仏伝と一致しません。釈迦は宮殿を出て、剃髪して、糞雑衣を着たのであって、その姿は、菩薩のモチーフとなった王侯貴族、商人、遊牧民の姿とは異なっています。もし、釈迦の修業時代が菩薩のモチーフであれば、その姿はまさに僧形でなければならないことになります。
しかし、これが前世物語に延長されるとき、その修業が俗形であることになるのでしょう。こうした本生譚の変遷については、顕正居士さんが、過去に投稿されていたことがありましたね。菩薩思想勃興以前、以後では、その特徴に大きな変化が生じます。ここで注視すべきは、僧形であった修行時代の姿が、俗形に変化した理由でしょう。

「カニシュカ・王が仏教に多大な関心を寄せたのは間違いない。海上航路を含む東西交易による経済的繁栄を背景に、王侯貴族や商人層を中心に仏教に帰依するパトロンが急増し、クシャーン朝の郊外、または山麗地域に多くの仏寺を寄進し、仏伝図や仏・菩薩像をはじめとする夥しい彫刻を工人に刻ませ、寺院に寄進した」

菩薩が俗形であるのは、パトロンである王侯貴族、商人が、自分たちの姿をそこに投影したからにほかなりません。

弥勒については。

「ガンダーラ彫刻の基調になっているのは、ギリシャ・ローマ美術の手法であるが、クシャーン朝のイラン系遊牧民の表現と、中インドの美術伝統も様々な形で流入しており、それらが融合…ガンダーラ様式…確立」

イランのミトラ教、マイトレーヤ(弥勒)の習合は、遊牧民によってもたらされ、その投影があったと考えます。

上記、彫刻展で僧形(比丘)を示した出展もありました。跪像です。(カラチ国立博物館蔵)
有髪装身具で着飾った豪奢な俗形の菩薩が悠然と立って刻まれているのに対して、こちらは、剃髪し偏袒右肩で跪いた質素な僧形です。

以上は、ガンダーラです。他国の強い影響によって形成された美術であるということです。一方、マトゥラーの菩薩表現は、この地がジャイナ教の本拠地であること、そして、ヒンドゥー教の聖地、民間信仰ヤクシャといった地域の特徴が反映されていると見るのが、マトゥラー美術史の見解ではないでしょうか。

「インドでは、仏像誕生以前から民間信仰の神であるヤクシャ像が制作されていた。この菩薩像はそうしたヤクシャ像の造形の伝統を踏まえて作られている」と解説が付される菩薩像が展示されていました。
もちろん、クシャーン朝以降、ガンダーラと相互に影響し合うことになります。

地蔵菩薩が僧形であることと、菩薩像の起源はおよそ関係ないでしょう。むしろ、後期、俗形の菩薩表現が、僧形の菩薩表現に変化するサンプルとして興味があります。

大乗部派起源説が優勢になっているというのは仏教美術史とは一致しません。出土美術とは一致しない坊さん方の願望が反映されたものではないでしょうか。

153犀角独歩:2008/04/21(月) 04:46:50

一字三礼さん

塔を記述するのに、高さのみならず、幅を示すのは何故でしょうか。
どうも、この点で、考えをまとめられません。
お考えをお聞かせいただければ有り難く存じます。

154顕正居士:2008/04/21(月) 06:22:41
勝呂信静師の『御遺文の真偽問題』は現代日蓮宗学に関しておおかた適切な文章であると思います。
宗学者ではなくインド学者であるゆえの見識でしょう。竜樹や世親の手稿などというものは存在しない。
鎌倉時代でも真蹟などはなかなか残っていません。日蓮の場合は奇跡です。しかし真蹟存在は真書の
一部です。上代写本があるものや上代目録に名があるものはほぼ真書であろうし、後代発見のもの
にもあるでしょう。さらに湮滅してしまったものもあるに違いない。日蓮の思想の全体像を把握する
ためには真蹟存在を過度に重視することは有害です。
学術の成果が一般に普及するのには時間がかかります。大乗経典が後世の創作であるとはじめて聞く
方さえおります。150年かかっています。浅井要麟師の研究はすでに60年以前のものです。それが今
日蓮宗僧俗に普及しているようである。田村芳朗師の研究は40年以前であるがまだ余り普及していない。
そして宗学界以外では田村師の天台本覚思想と対立する方面を有する鎌倉新仏教という考え方は
急速に衰退している。それは大乗仏教の仏塔崇拝起源説、在家信者起源説と同様であります。

155顕正居士:2008/04/21(月) 06:38:16
ただし最近はインターネットの普及によって学術の最新動向を概観しやすいので
大乗仏教起源説については急速に最新成果が普及しているようです。
次の記事も寺院のサイトです。

http://www.denpouin.com/reports/3.Daijoubukkyou_no_kigennituite.html

156顕正居士:2008/04/21(月) 09:39:59
架空の菩薩が俗形なのは菩薩とは釈尊の前生であるから仏教教団は存在しておらず比丘形は描けない。
地蔵菩薩が比丘形なのは弥勒出世までの無仏の世の救済者だから。文殊菩薩が比丘形なのは戒師であるから。
また菩薩道とは6つのパーラミターの実践であるから比丘には部分的にしか実行できない。
大乗中の救済者信仰(浄土教)が今日インド連邦の版図に属しない地域で盛んであったことは事実であるが
般若教学は南インド起源と伝承されている。
中国には実際に有名な居士がいるのだから、維摩居士のようなのがいたら1、2部はその著作の名は残って
いるはず。およそインドはそいう文明ではない。したがってすべてフィクションであろうと私は考えます。

157犀角独歩:2008/04/21(月) 18:57:42

勝呂師の文章は、たしかに日蓮宗学の人々にとって、おおかたの見方であるのは事実でしょうね。また、過度の真跡重視は有害でしょう。

しかし、もっと、有害なものがあります。写本の過度の重視です。こうした写本伝承の有害性が蔓延した日本仏教下で、われわれは育ちました。故に真跡主義を採ることから“はじめるのは”安全策であって、批判される所以はありません。成分、生産地、発売元、消費期限、賞味期限が明記されない加工品は、食べないほうが安全なことと似ています。素人ができるまず第一の防御策です。鑑定書があっても、偽物をつかまされる時代です。

一般人にとって、坊さん方の都合を重んじた日蓮教学などは興味がないのであって、たとえば、福神研究所で開催している小松邦彰師の遺文講義も、真跡のみを載せる『平成新修日蓮聖人遺文集』により、また、立正大学などでも、いまどき、写本の講義など行われてはいないでしょう。

本覚は当掲示板で沸騰した議論、仏塔は今回の一字三礼さんのご投稿、在家教団については、わたしが目下、mixi で書いていることですが、それを知ってか知らないのか、何ら根拠を上げることもなく、衰退しているなどというのは、訳がわかりません。なお、衰退しているのは、むしろ、日蓮教学研究全般に言えることでしょう。顕正居士さんらしからぬ、ご投稿と思いました。

六波羅蜜が比丘に実践できない内容が含まれているのであれば、なおさら、僧侶をモデルにすることができないことになりますね。

俗形菩薩から、やがて、僧形菩薩が登場してくるのには、時間的な隔壁があるわけです。僧形菩薩の後天性を、時系列で整理しないと誤解が生じるというのが、わたしが言いたい主旨でした。また、「菩薩」のモデルというとき、わたしは仏像像立がはじまった当初におけるモデルをいっていますが、顕正居士さんはその後の展開について述べているわけですね。

菩薩がフィクションというより、所謂「大乗経典」における仏菩薩の一切合切がフィクションなのでしょう。ただし、物語にも、絵像にも、モデルはいただろうと思います。敢えてことわりますが、あくまで仏像制作が始まった“初期”の話です。先に挙げたガンダーラの展示における菩薩像を美術史家達などがいう、布施した本人の似姿が反映しているといった類推は、あながち外れているとは思えません。実在は疑問視される向きもありますが、法隆寺の釈迦像は聖徳太子をモデルにしたという説もあるでしょう。また、『法華経』のような“物語”に登場する独自の菩薩群には、やはりそれなりのモデル達がいたとしても、外れた憶測とは言えないでしょう。こちらのモデルは名前が残すことに主旨がなかったので、残らなかったわけでしょう。日蓮を像に刻み、国風と、インドの気質は違ったと言うことでしょう。

言葉としての「大乗」と「大乗教団」は、別でしょうね。当時の王侯貴族・商人は、伝統教団や、寺院僧侶に“布施”をし、多大な影響を与えたといったところでしょうか。ここで面白いと思うのは、こうした造仏菩薩の動きがあっても、比丘・比丘尼などはさして像に刻まれないことです。こうした点は、御影を重んじる日本仏教とは大きな相違がありますね。これら“創作”運動は、物語のモチーフを描くばかりです。

インドは顕正居士さんがご専門なのでしょうから、ご教示いただければと思いますが、大乗 maha-yana 小乗 hina-yana という現地語が伝わるのは、そうした思想が、ご当地にあったことを意味するのでしょうか。これもまた、創作物語上のことでフィクションだったのでしょうか。大乗(大きく優れた乗り物)・小乗(小さく劣った乗り物)といった考えが、では、具体的に何を大乗といい、何に向けて小乗といったか、そうした言葉があるけれど、大乗教団はなかったとすれば、なおさら、その大乗の担い手は誰であったのでしょうか。大乗は教団を指すと言うより、新たな思想運動を指したのではなかったのでしょうか。となれば、それ以前の仏教僧俗もその影響を受ける側であったことになります。

158一字三礼:2008/04/21(月) 22:01:44

落ち着いて双方の論拠をはっきりさせましょう。

すくなくとも初期に制作された菩薩像、宝冠や大きな耳飾り、臂釧、腕釧、瓔珞などを付けたものはやはり、皇太子時代の釈尊の‘王子’の姿をモデルとしていると考えるべきでしょう。

初期菩薩像が僧形をとらない理由は、部派の教義上の菩薩観にあります。

部派(説一切有部)の論では、阿羅漢への道とは別に、仏に成るための菩薩道も説いております。

菩薩たらんとする人は、
① まず三阿僧祇大劫のあいだ、六波羅蜜の修行を積み、多数の仏たちに供養をする。この六波羅蜜の行によって、有情のために大慈悲の行ないをするための無量の徳がたくわえられる。
② その後、南閻浮提に生まれて、百大劫のあいだ、さらに別種の修行を重ねる。これは、三十二相を具備するのに必要な徳を積むためである。
③ 以上の二種類の修行を終えた菩薩は、もはや三悪道に落ちることがない。すなわち人間か天の境遇に生まれ、つねに富貴の身となる。彼は有情を利益して大慈悲を行なって倦まず、人のために‘無給の使用人’となる。

上記の②が本生譚にあたり、多くの仏伝として残っております。

ここで重要なのは、部派では、菩薩といえども欲望を滅し尽くした存在とは考えなかったことです。当然、輪廻転生を重ねることで徳を積む必要があるのに、四向四果に入ってしまっては、輪廻転生が叶わなくなるからです。

そこで、菩薩と阿羅漢とを明確に区別するために、出家前の釈迦をモデルとして菩薩像を作ったのです。

バラモン青年・善慧(釈尊)に燃燈仏が授記をする「燃燈仏授記」の話は、仏伝のほとんどに登場しますので、部派の僧侶たちが、菩薩信仰に熱心であったとしても不思議はないでしょう。

弥勒菩薩も『長阿含経』の「転輪聖王修行経」で、すでに釈尊から授記されているので、釈迦菩薩に準じた、‘王子’の姿で菩薩像が作られたと考えます。

その後に登場する、観音・文殊・普賢等の‘大乗の菩薩’たち、独自の性格と働きを備えた存在ですから、独自の持物や特徴を持つようになったと考えられます。

159顕正居士:2008/04/21(月) 22:20:45
「聲聞中佛能王生、諸佛復從菩薩生、大悲心與無二慧、菩提心是佛子因」(月称・入中論)
(聲聞中ニ佛ハ能王トシテ生ジ、諸佛復タ菩薩從リ生ズ、大悲心ト無二慧ト、菩提心ト是レ佛子ノ因ナリ)

釈尊直系の仏教は釈尊の教を学習し実践し三界に二度と生まれないことを目指す。これを阿羅漢果という。
しかし大乗から見ると阿羅漢果は仏陀と同等になったわけではない。仏陀は無師独悟しさらに声聞に教授
することができた。つまり阿羅漢果には仏と同等の能力と知識は欠如している。仏陀は無数の前生で菩薩
の行を積み完全な同情心と知恵を得たのである。大乗は阿羅漢果ではなく釈尊と同等の仏果をめざす。
その決意を菩提心という。これが大乗の定義であろうかとおもいます。
阿羅漢を得ても仏と同等の能力と知識は備わらないことは事実であるから釈尊直系の教義とかならずしも
矛盾はしない。義浄が「部派の比丘中、菩薩を崇拝し大乗の経を読む者を大乗というのみである」(趣意)
と述べるゆえんでしょう。大乗の経はアーガマを下敷きに仏伝と教理に精通した人々によって書かれた。
漢代に活版印刷と紙が発明された中国と異なりインドの文化環境では貴顕といえども僧院で学ばずして
学僧と同等の知識を得ることは不可能であり、在家信者は経済的支援にとどまったと思われます。
ただし文芸的な大乗の経は信者にも読まれたでしょうし、「大乗派」の有力な布教手段であったでしょう。
在家の貴顕を持ち上げる描写があるのもそのせいでしょう。非大乗派の比丘からはそれらは「偽経」に
ならないのか。そういう批判もありましたが、大乗側は化身仏のアーガマに対して報身仏の説法(つまり
霊感によって記したもの)と答弁し、いずれにしてもなんらかの史実に由来する部派の伝承聖典とは明瞭に
区別されていました。なお大乗とは声聞乗、独覚乗をはずした菩薩乗のみを追求するものかというと
そうではなく三乗を含有するから大乗でもあり、末期インド仏教を移植したチベット仏教のカリキュラムは
全くそのようにできています。また聖典の権威を認めない大乗の認識論から重視される経典はなんらか論証
が行われている個人によって記された「論」であります。大小乗が排除的でない、「経」は妄信されない、
部派の戒律をたもってサンガに所属している、これらがインド大乗仏教の中国とおおいに異なる様相です。

160顕正居士:2008/04/22(火) 02:20:17
大乗興起のあり得る理由

梵天の勧請を受けて仏陀は「不死の門は開かれた」と宣言します。この「不死」というのは永遠に生きる
意味ではありません。二度と死なない、つまり次にはもう三界に生まれて来ない意味です。
インドの宗教はみなこの「解脱」を目指します。ローカーヤタはそのために特別な努力は不要としますが。
反対に永遠に生きることを目的とする宗教が二千年前に創始されました。キリスト教です。
今も南方仏教圏では死ぬのは今回限りを目指して多数の声聞が修行中です。在家信者は声聞を供養し
来世は生天し、憂いのない環境で出家を果たす建前です。ほんとうにそうなんでしょうか。
グローバライズした現代ですから南方仏教の信者には西洋人も日本人もいます。出家する方もおられます。
たしかに「解脱」のために努力している方々は少なくない。けれども反対の目標のほうが好ましいと
考える人は昔から常にいたのではないでしょうか。三悪道にしばしば堕ちるならいっそ解脱したいが
永遠に富貴の身として生きられるならそのほうがよいと。これが大乗仏教のセールスポイントであった
可能性はあるでしょうね。来世は出家の建前もないわけですから。

161犀角独歩:2008/04/22(火) 02:32:12

根拠という点で、時系列を考慮する必要がありませんか。

菩薩(六波羅密)という考えは、本来、仏教のなかになかった考えでしょう。それと併せて、王家皇太子といった俗時代を美化するという考えは、では、なぜ、加筆されていったのでしょうか。

初期教団において出家する人々は、在俗世を捨てる出家と八正道の実践という二大コンセプトによって苦滅を目指したのではないでしょうか。つまり、阿羅漢です。そこには救済者(菩薩)と思想も、俗時代への美化もありませんでした。皇太子→沙門→仏陀という順番です。しかし、菩薩は仏陀に一番近く位置するのであって沙門→皇太子→仏陀となっています。こうした仏伝記述の逆転が、なぜ起こったか。菩薩観への転換です。

以上の時系列を無視すれば、恰も当初より、菩薩観が仏教にあったような印象を懐くことになりますが、菩薩思想が後天的なものであればこそ、大乗(菩薩)が小乗(阿羅漢)を簡ぶ思想が隆起したのではないでしょうか。

釈迦は王家の皇太子であったから尊いのではなく、その身分を捨てて、出家したからこそ尊いわけです。それにもかかわらず、なぜ、王侯貴族商人の俗人の像のほうが尊ばれるようになったのかということです。

仏像と菩薩像という二つは、実際の釈迦の生涯から考えると、むしろ、尊ばれてきた修業時代、つまり、本来、徳を積む出家者としての造形がそこには少しも反映されていません。元来、仏教は高貴・富裕を離れることに修行があったわけですから、そこに大きな変化が生じています。

以上のような時系列で変化が起き、いわば清貧の思想から、高貴富裕への目標変化が生じた。出家修業時代の釈迦より、それ以前の王子であった釈迦のほうが、もてはやされる変化です。その絵像を作らせた人々は、では、どのような人々であったかということです。

どうも、うまく話が伝わらないのですが、 王侯貴族豪商の人々が、自分たちの身分と生活を「王子」という姿で菩薩を表現していくということは、自分たちの身分と生活を肯定的に反映したものではないかということです。

162顕正居士:2008/04/22(火) 05:06:28
「清貧の思想から、高貴富裕への目標変化が生じた」

その通りでしょうね。仏陀に限らず六師といわれる古代都市国家の思想家はみな個人主義者であり
簡素な生活を目指した。インドの場合、「自我の自覚」はウパニシャッドの賢者にはじまりますが。
そもそも人類が今日のような意識を持ったのはこの時代であろうという説があります。

神々の沈黙―意識の誕生と文明の興亡
http://www.ringolab.com/note/daiya/2005/08/post-258.html

その後、自我を自覚した人類による経済発展が始まる。仏教のモットオも「苦空無常無我」から
「常楽我浄」へと変化すべき要請が生じた。その頃にインドに現れたのが仏教教団の比丘であり
大詩人であったアシヴァゴーシャです。彼によって仏伝は常楽我浄の華麗な物語へと変化した。
ただしこの変化は急激に起こったのではなく仏教教団の発展とともに僧院が遁世の場所ではなく
文化の中心に次第に成長したのでしょう。古代中世の僧院はインドに限らず今日の大学、研究所、
銀行、娯楽出版社、風俗産業などを一身に兼ねていたのです。

常楽我浄御書
http://sgi.daa.jp/gosyo/title/G278.HTM
馬鳴が事実上の大乗仏教の開祖であるという日蓮説はさらに報恩抄に詳しい。

163一字三礼:2008/04/22(火) 10:28:53

仰るとおり、時系列はとても重要であると思います。

〉菩薩(六波羅密)という考えは、本来、仏教のなかになかった考えでしょう。

「六波羅蜜」は、部派仏教内で発達した行法であり、大乗仏典ではそれを特化して敷衍しました。ですから、かなり古くから部派仏教でも使用されていた行法でしょう。

‘菩薩’の語は、最古の仏典とされる「スッタニパータ」にも使用例があり、パーリのニカーヤのすべてに「ボーディ・サッタ」の用例があり、しかもかなりの広範囲にわたります。漢訳四阿含では、『長阿含経』とその異訳経典、『増壱阿含経』と『中阿含経』の異訳経典、『雑阿含経』に‘菩薩’語が使われています。

最初期経典を論拠として、時系列でみた場合、‘菩薩’という概念が、初期仏教から存在するものであったということに、疑問を差し挟む余地はありません。

〉菩薩思想が後天的なものであればこそ、大乗(菩薩)が小乗(阿羅漢)を簡ぶ思想が隆起したのではないでしょうか。

先の投稿で、述べましたように、部派仏教の教理においてもすでに、‘阿羅漢道’とは異なる‘仏道’を説きます。

そして、初期経典から‘菩薩’語が存在したことから考えますと、‘大乗’とは、部派で考えられていた‘仏道’のみを抜き出し、‘菩薩’、‘波羅蜜’の概念を特化・拡大・敷衍して成立していったものではないでしょうか。
ですから、部派から伝わる、成道までに必要とされる三阿僧祇劫という期間は、最初期から中期の大乗仏典まで、共通にそのまま使われます。

最初期の‘大乗’には、‘仏道’と‘阿羅漢道’とが異なること修行であることが自明であったので、ことさら‘小乗’を蔑む視点がありません。
『道行般若経』(最古の八千頌般若経)では、‘摩訶衍’(大乗)語の使用はあっても、‘小乗’語の使用がないのはそのためでしょう。いわゆる‘小乗’に対立する概念としての‘大乗’ではなかったのです。

〉釈迦は王家の皇太子であったから尊いのではなく、その身分を捨てて、出家したからこそ尊いわけです。それにもかかわらず、なぜ、王侯貴族商人の俗人の像のほうが尊ばれるようになったのかということです。

仰るように、仏者の志が劣化し、俗化していったということも事実でしょう。
しかし、多数ある本生譚から考えた場合、尊いのは、出家することではなく、畜生や人に生まれて捨身を繰り返す菩薩行に置いていたとは考えられないでしょうか。

ともあれ、仏教の世俗化・俗信化は、‘大乗’に入って急速に加速したのは事実であると思います。
‘大乗’は、スポンサーである在俗商人たちの生業である利殖・蓄財を肯定しつつ、禁欲的な仏道との融合を試みて構成されました。そこから生まれた般若系の「波羅蜜」、「空」、「中道」の思想は、とても実現困難な言葉遊びとしか思えない代物となったのではないでしょうか。

164顕正居士:2008/04/22(火) 12:12:05
仏教の倫理と資本主義の精神

「不偸盗」、「不妄語」の二戒は商業の発達に欠かせない倫理です。アーガマの中でも仏陀は
蓄財法を詳しく説いています。最初から仏教は商人と及び商業の発展を図る王権によって支持
された宗教です。いわば「仏教の倫理と資本主義の精神」の時代がインドにもあったのです。
上の二戒に加え「不邪淫」、「不飲酒」も蓄財のためには重要な徳目です。しかし「清貧」を
目指していては「合成の誤謬」*1、「重商主義の誤謬」*2に陥ります。適切な散財が必要です。
華麗な仏教文学と仏教美術はまさにその需要に答えたものでしょう。文芸や芸術、ひろく娯楽
が宗教から独立するのはようやく近世に入ってからです。散財と理財のバランスははむづかしい
実践ですから般若の議論も必要だったでしょう。またアンチカーストという教義が必要です。
なぜ仏教がインドでは滅んでしまったのか。アンチカースト、蓄財倫理、来世観のすべてで更に
徹底したイスラームに仏教徒が改宗してしまったからというのが最も合理的な学説です*3。

1 従業員の賃金を圧縮すれば利益は増える。しかし皆がやれば人民の購買力が減少する
2 重商主義の誤謬 貿易黒字ばかり目指せば相手国はやがて購買力を失う
3 保坂俊司『インド仏教はなぜ亡んだのか―イスラム史料からの考察』(北樹出版)

165犀角独歩:2008/04/23(水) 19:22:58

ひとこと「菩薩」といっても、経年変化における同名異議を整理してかかる必要があると思うのです。この点は、部派の六波羅密と、たとえば法華経で言う六波羅密でもかなりその意味を異にしているでしょう。

前世の釈迦は、たしかに俗形での供養もあり、さらに出家者(僧ではない)としての供養を為すということで菩薩とされることもあったでしょう。

当初の菩薩物語は、すでに議論されてきたように、釈迦の前世物語であ、り捨身といった、いわば身の供養などをさすわけですが、しかし、これがいつしか、弘教に身を捧げることを意味するようになり、さらに金銭の拠出へと転化していきます。

しかし、前世物語は後天的なのであって、元来は王家の身分と俗世を捨て、ついに不死を得、生涯、人々に教えを説いた一代記が先行します。(不死とは顕正居士さんが述べられていますが、最後の肉体を持つ者、つまり輪廻をしなくなることでしょう。(surota-appana→sukrdagamin→anagamin(不還)→arhat))、釈迦の出家のコンセプトは、バラモンの四生期や、それを模した自由思想家が執ったところにあるのでした。

その後、前世物語が、創作されていくのでしょうが、ここで、生じた「菩薩」はしかし、その後、創作されるようになる所謂「大乗」経典とは大きな相違があります。言葉は同じでも同義として扱えない部分を有します。

こうした変化をもたらした点は、顕正居士さんが「資本主義」という用語を持って説明くださった社会構造の変化と因果関係があると、わたしも考えてきました。

経典が紡がれた場が僧院であり、かつ、僧侶であったとして、では、その僧侶達が、見なされたかどうかは別の問題に属します。
また、僧院のなかで紡がれた物語であるから、仏教のオリジナルかと言えば、まるでそんなことはなく、多くのが依頼しそうとの習合と影響によって、経年変化が生じたのが現実であろうかと思います。そして、ここで大きく働いたのが王侯貴族商人といった、顕正居士さんの言葉を借りれば「資本主義」ということであり、このパトロンの反映が、随所に色濃く見られるのが、後期の菩薩観ではないのかと考えます。

こちらの掲示板は、挙証義務を有しておりますが、以上の点を一々に文献を挙げる暇がありませんので、資料を整理して、いつか記すときがあれば記そうと思います。

166犀角独歩:2008/04/23(水) 19:26:59

【165の訂正】

誤)その僧侶達が、見なされたかどうかは別の問題
正)その僧侶達が、菩薩と見なされたかどうかは別の問題

誤)多くのが依頼しそうとの習合と影響
正)多くの外来思想との習合と影響

ほかに瑕疵があればご判読ください。


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