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法華経について
163
:
一字三礼
:2008/04/22(火) 10:28:53
仰るとおり、時系列はとても重要であると思います。
〉菩薩(六波羅密)という考えは、本来、仏教のなかになかった考えでしょう。
「六波羅蜜」は、部派仏教内で発達した行法であり、大乗仏典ではそれを特化して敷衍しました。ですから、かなり古くから部派仏教でも使用されていた行法でしょう。
‘菩薩’の語は、最古の仏典とされる「スッタニパータ」にも使用例があり、パーリのニカーヤのすべてに「ボーディ・サッタ」の用例があり、しかもかなりの広範囲にわたります。漢訳四阿含では、『長阿含経』とその異訳経典、『増壱阿含経』と『中阿含経』の異訳経典、『雑阿含経』に‘菩薩’語が使われています。
最初期経典を論拠として、時系列でみた場合、‘菩薩’という概念が、初期仏教から存在するものであったということに、疑問を差し挟む余地はありません。
〉菩薩思想が後天的なものであればこそ、大乗(菩薩)が小乗(阿羅漢)を簡ぶ思想が隆起したのではないでしょうか。
先の投稿で、述べましたように、部派仏教の教理においてもすでに、‘阿羅漢道’とは異なる‘仏道’を説きます。
そして、初期経典から‘菩薩’語が存在したことから考えますと、‘大乗’とは、部派で考えられていた‘仏道’のみを抜き出し、‘菩薩’、‘波羅蜜’の概念を特化・拡大・敷衍して成立していったものではないでしょうか。
ですから、部派から伝わる、成道までに必要とされる三阿僧祇劫という期間は、最初期から中期の大乗仏典まで、共通にそのまま使われます。
最初期の‘大乗’には、‘仏道’と‘阿羅漢道’とが異なること修行であることが自明であったので、ことさら‘小乗’を蔑む視点がありません。
『道行般若経』(最古の八千頌般若経)では、‘摩訶衍’(大乗)語の使用はあっても、‘小乗’語の使用がないのはそのためでしょう。いわゆる‘小乗’に対立する概念としての‘大乗’ではなかったのです。
〉釈迦は王家の皇太子であったから尊いのではなく、その身分を捨てて、出家したからこそ尊いわけです。それにもかかわらず、なぜ、王侯貴族商人の俗人の像のほうが尊ばれるようになったのかということです。
仰るように、仏者の志が劣化し、俗化していったということも事実でしょう。
しかし、多数ある本生譚から考えた場合、尊いのは、出家することではなく、畜生や人に生まれて捨身を繰り返す菩薩行に置いていたとは考えられないでしょうか。
ともあれ、仏教の世俗化・俗信化は、‘大乗’に入って急速に加速したのは事実であると思います。
‘大乗’は、スポンサーである在俗商人たちの生業である利殖・蓄財を肯定しつつ、禁欲的な仏道との融合を試みて構成されました。そこから生まれた般若系の「波羅蜜」、「空」、「中道」の思想は、とても実現困難な言葉遊びとしか思えない代物となったのではないでしょうか。
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