したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

法華経について

110犀角独歩:2006/05/04(木) 11:14:51

―109からつづく―

関連するかどうかわかりませんが、このような二対の崇拝者が並び立つ様というのは、わたしはシヴァ神とウマー神妃の二立(Uma and shiva)を彷彿とさせます。もう昨年のことになりましたがアンコールワット展で、この像を見ました。これは10世紀ごろのものでしたが、このような二像の並立は、日本では道祖神などでみられますね。これは二仏並座からではなく、男女の性的シンボル化の延長にあり、一説では真言立川流の影響であるという人もいました。その是非はわたしにはわかりませんが、仮にこれが真言の影響であるとき、その密教的要素はヒンドゥの諸神の摂取にあることになります。

また、多宝のように教説する場に突然、現れるモチーフは、たとえば観音とも共通するように思えます。観音は両性具有の特徴を有し、母神から観音、観音から多宝と見ると、女性原理が男性原理へと置換されていったごとくで、「変成男子」のごとくでもあります。

けれど、一字三礼さんがご指摘されるとおり、死後の誓いを果たすという側面はしかしこれでは説明がつきません。

この解明は教学的なアプローチばかりではなく、Saddharma-pundarika の創作当時の、その創作者たちが看過できない信仰様態を摂取したものから探るのも一考ではないかとも思えます。

>> 多宝仏はピラミッドのミイラ崇拝…インドの大地母神と習合し、さらにメソポタミア起源であろうハス崇敬とも習合して、宝塔品となった
>…松山師に話されれば、全講義日程がもう50年くらい延びる

50年(笑)
これは、延びてしまうと、福神の予定をさらに遅延させるばかりではなく、松山師は今の段階でも全編講義は50年以上かかるペースで、さらに日本全体が法華経の真の意味を理解するのに100年、世界にそれが伝わるのが100年というわけで、まるでご本人の寿命が意識されておらず、まことに寿量に相通じる様が、さらに輪をかけることになりますね。

あの講義のあと、考えていたのですが、宝塔信仰という側面は、しかし、よく考え直すと、この塔は多宝塔、もっと正確にいうと多宝如来の塔なのですね。塔の中に招き入れられる釈迦はあくまで客仏のわけです。塔の主人はあくまで、多宝如来です。

そうなると、多宝塔信仰というのは、釈迦がお客さんで一時招き入れられた塔を拝む信仰ということになるわけです。これはしかし、実に奇妙な信仰様態であると思えます。

この点もついでながら、松山師に投げかけると、もう数十年、講義予定を延ばすことになりますか(笑)


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板