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法華経について

159顕正居士:2008/04/21(月) 22:20:45
「聲聞中佛能王生、諸佛復從菩薩生、大悲心與無二慧、菩提心是佛子因」(月称・入中論)
(聲聞中ニ佛ハ能王トシテ生ジ、諸佛復タ菩薩從リ生ズ、大悲心ト無二慧ト、菩提心ト是レ佛子ノ因ナリ)

釈尊直系の仏教は釈尊の教を学習し実践し三界に二度と生まれないことを目指す。これを阿羅漢果という。
しかし大乗から見ると阿羅漢果は仏陀と同等になったわけではない。仏陀は無師独悟しさらに声聞に教授
することができた。つまり阿羅漢果には仏と同等の能力と知識は欠如している。仏陀は無数の前生で菩薩
の行を積み完全な同情心と知恵を得たのである。大乗は阿羅漢果ではなく釈尊と同等の仏果をめざす。
その決意を菩提心という。これが大乗の定義であろうかとおもいます。
阿羅漢を得ても仏と同等の能力と知識は備わらないことは事実であるから釈尊直系の教義とかならずしも
矛盾はしない。義浄が「部派の比丘中、菩薩を崇拝し大乗の経を読む者を大乗というのみである」(趣意)
と述べるゆえんでしょう。大乗の経はアーガマを下敷きに仏伝と教理に精通した人々によって書かれた。
漢代に活版印刷と紙が発明された中国と異なりインドの文化環境では貴顕といえども僧院で学ばずして
学僧と同等の知識を得ることは不可能であり、在家信者は経済的支援にとどまったと思われます。
ただし文芸的な大乗の経は信者にも読まれたでしょうし、「大乗派」の有力な布教手段であったでしょう。
在家の貴顕を持ち上げる描写があるのもそのせいでしょう。非大乗派の比丘からはそれらは「偽経」に
ならないのか。そういう批判もありましたが、大乗側は化身仏のアーガマに対して報身仏の説法(つまり
霊感によって記したもの)と答弁し、いずれにしてもなんらかの史実に由来する部派の伝承聖典とは明瞭に
区別されていました。なお大乗とは声聞乗、独覚乗をはずした菩薩乗のみを追求するものかというと
そうではなく三乗を含有するから大乗でもあり、末期インド仏教を移植したチベット仏教のカリキュラムは
全くそのようにできています。また聖典の権威を認めない大乗の認識論から重視される経典はなんらか論証
が行われている個人によって記された「論」であります。大小乗が排除的でない、「経」は妄信されない、
部派の戒律をたもってサンガに所属している、これらがインド大乗仏教の中国とおおいに異なる様相です。


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