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法華経について

152犀角独歩:2008/04/21(月) 04:43:30

勝呂師の、『平成新修日蓮聖人遺文集』が出たときの、護教的な寄稿は失笑を禁じ得ないものがありました。
http://www.genshu.gr.jp/DPJ/syoho/syoho32/s32_086.htm

なお、玄奘が旅をした頃、既に大乗教団はなかったということで、当初からなかったのではなく、なくなったという経緯を言ったのでしょう。

菩薩の姿が、釈迦の本生譚(前世物語)に基づくのは、これは釈迦菩薩のことでしょう。しかし、弥勒、観音は、この釈迦菩薩とは区別されています。

2002年のことになりますが、パキスタン・ガンダーラ、インドマトゥラー彫刻展が開催されました。仏菩薩像の起源となる彫刻が一挙に展示、画期的なものでした。特筆すべき点は、仏菩薩像の時系列で起源・変遷を、実物の展示をもって示していたことでした。
このときの図集が手許にあります。

「ガンダーラでは、釈迦菩薩のほかに、弥勒菩薩像と観音菩薩も盛んに造られたようだ。…弥勒菩薩は釈迦菩薩と同じように装身具をつけるが、ターバン冠飾を戴くことなく、頭髪を束ねたり、丸く髷を結ったりし、決って左手には水瓶を執る…観音菩薩は釈迦菩薩と同様にターバン冠飾を戴き、左手に華鬘もしくは蓮華を持つのを特徴とする」

つまり、釈迦菩薩と、弥勒観音は、その起源が別です。
なお、釈迦の修行期であるから貴人の姿というのは、仏伝と一致しません。釈迦は宮殿を出て、剃髪して、糞雑衣を着たのであって、その姿は、菩薩のモチーフとなった王侯貴族、商人、遊牧民の姿とは異なっています。もし、釈迦の修業時代が菩薩のモチーフであれば、その姿はまさに僧形でなければならないことになります。
しかし、これが前世物語に延長されるとき、その修業が俗形であることになるのでしょう。こうした本生譚の変遷については、顕正居士さんが、過去に投稿されていたことがありましたね。菩薩思想勃興以前、以後では、その特徴に大きな変化が生じます。ここで注視すべきは、僧形であった修行時代の姿が、俗形に変化した理由でしょう。

「カニシュカ・王が仏教に多大な関心を寄せたのは間違いない。海上航路を含む東西交易による経済的繁栄を背景に、王侯貴族や商人層を中心に仏教に帰依するパトロンが急増し、クシャーン朝の郊外、または山麗地域に多くの仏寺を寄進し、仏伝図や仏・菩薩像をはじめとする夥しい彫刻を工人に刻ませ、寺院に寄進した」

菩薩が俗形であるのは、パトロンである王侯貴族、商人が、自分たちの姿をそこに投影したからにほかなりません。

弥勒については。

「ガンダーラ彫刻の基調になっているのは、ギリシャ・ローマ美術の手法であるが、クシャーン朝のイラン系遊牧民の表現と、中インドの美術伝統も様々な形で流入しており、それらが融合…ガンダーラ様式…確立」

イランのミトラ教、マイトレーヤ(弥勒)の習合は、遊牧民によってもたらされ、その投影があったと考えます。

上記、彫刻展で僧形(比丘)を示した出展もありました。跪像です。(カラチ国立博物館蔵)
有髪装身具で着飾った豪奢な俗形の菩薩が悠然と立って刻まれているのに対して、こちらは、剃髪し偏袒右肩で跪いた質素な僧形です。

以上は、ガンダーラです。他国の強い影響によって形成された美術であるということです。一方、マトゥラーの菩薩表現は、この地がジャイナ教の本拠地であること、そして、ヒンドゥー教の聖地、民間信仰ヤクシャといった地域の特徴が反映されていると見るのが、マトゥラー美術史の見解ではないでしょうか。

「インドでは、仏像誕生以前から民間信仰の神であるヤクシャ像が制作されていた。この菩薩像はそうしたヤクシャ像の造形の伝統を踏まえて作られている」と解説が付される菩薩像が展示されていました。
もちろん、クシャーン朝以降、ガンダーラと相互に影響し合うことになります。

地蔵菩薩が僧形であることと、菩薩像の起源はおよそ関係ないでしょう。むしろ、後期、俗形の菩薩表現が、僧形の菩薩表現に変化するサンプルとして興味があります。

大乗部派起源説が優勢になっているというのは仏教美術史とは一致しません。出土美術とは一致しない坊さん方の願望が反映されたものではないでしょうか。


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