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法華経について

165犀角独歩:2008/04/23(水) 19:22:58

ひとこと「菩薩」といっても、経年変化における同名異議を整理してかかる必要があると思うのです。この点は、部派の六波羅密と、たとえば法華経で言う六波羅密でもかなりその意味を異にしているでしょう。

前世の釈迦は、たしかに俗形での供養もあり、さらに出家者(僧ではない)としての供養を為すということで菩薩とされることもあったでしょう。

当初の菩薩物語は、すでに議論されてきたように、釈迦の前世物語であ、り捨身といった、いわば身の供養などをさすわけですが、しかし、これがいつしか、弘教に身を捧げることを意味するようになり、さらに金銭の拠出へと転化していきます。

しかし、前世物語は後天的なのであって、元来は王家の身分と俗世を捨て、ついに不死を得、生涯、人々に教えを説いた一代記が先行します。(不死とは顕正居士さんが述べられていますが、最後の肉体を持つ者、つまり輪廻をしなくなることでしょう。(surota-appana→sukrdagamin→anagamin(不還)→arhat))、釈迦の出家のコンセプトは、バラモンの四生期や、それを模した自由思想家が執ったところにあるのでした。

その後、前世物語が、創作されていくのでしょうが、ここで、生じた「菩薩」はしかし、その後、創作されるようになる所謂「大乗」経典とは大きな相違があります。言葉は同じでも同義として扱えない部分を有します。

こうした変化をもたらした点は、顕正居士さんが「資本主義」という用語を持って説明くださった社会構造の変化と因果関係があると、わたしも考えてきました。

経典が紡がれた場が僧院であり、かつ、僧侶であったとして、では、その僧侶達が、見なされたかどうかは別の問題に属します。
また、僧院のなかで紡がれた物語であるから、仏教のオリジナルかと言えば、まるでそんなことはなく、多くのが依頼しそうとの習合と影響によって、経年変化が生じたのが現実であろうかと思います。そして、ここで大きく働いたのが王侯貴族商人といった、顕正居士さんの言葉を借りれば「資本主義」ということであり、このパトロンの反映が、随所に色濃く見られるのが、後期の菩薩観ではないのかと考えます。

こちらの掲示板は、挙証義務を有しておりますが、以上の点を一々に文献を挙げる暇がありませんので、資料を整理して、いつか記すときがあれば記そうと思います。


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