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法華経について

101犀角独歩:2006/04/25(火) 09:59:40

顕正居士さん、有り難うございます。
仰る台学からのご賢察、尤もであると存じます。

一字三礼さんがご投稿になったところは、台学の範疇からではなく、それ以前の法華経制作者の意図についてのことであると、こちらも、同じ松山師を受講するものとして、了解いたしております。

故に、やや土台としているところ異なっているところから議論となっていないとお見受けしております。

また、そこでわたしが持ち出した「下種」ということもまた、さらにややこしくしてしまったのかも知れません。

わたしの石山の学びでは、本未有善の荒凡夫は仏種がない、故に、これを植えるのが下種・本因の仏法であるという、きわめて雑駁に言えば、そのようなことであったわけです。では、先のわたしの質問は、この仏の種とは何かといえば、これが仏性、やや間口を広げれば如来蔵なんだというような考えも生じることになる、また、仏種とは本未有善の善のことでもあるのかということも言えることになるのだろうかというのが趣旨でした。そうなれば、仏性というのは、本来、衆生に具わっているものではなく、仏によって植えられない限り、衆生は持っていないものということになります。しかし、こうなると、台学の所謂、一念三千とも齟齬を来すことになります。

この点を、顕正居士さんは、正因・縁因・了因の三仏性からご説明くだされ、また、下種についても新薫種子機縁をもって、明快な説明をくださったわけでした。

このような台学の解釈は、6世紀頃に成立したことになります。
一方、一字三礼さんは、それより遡ること500年、初期大乗経典創作の現場で、天台よりも更に500年も古い当時の人々は、では、この仏性ということを意識していたのか否か、そもそもその時代に仏性論があったのかという疑義を展開されているのではないかと拝察します。

これはまた、内輪の話で申し上げれば、松山師の福神における法華経講義の内容を受けたことであり、さらに小松邦彰師の遺文講義が開目抄に係っていることとも深い関係にあると思います。

わたしの現時点における愚案では、法華経創作当時、礼拝行という素朴な不怒・忍耐の行がまずあり、その徹底が原型であったのではないのか、その時点で、仏性といった教学的な態度は、まだ生じていなかった。その後、数百年を経て、誰しも仏になれることを説かれることが一般化するにつれ、では、何故、成仏できるのか、それは本来、衆生の心には仏が具わっているからだというようなことが教義化され、ついには、台学の展開にも至った、その後、日本に伝わったこれらの教えから、不軽礼拝は、仏性礼拝であるという、2000年前、法華経が創作した当時の人々が思いもしなかった解釈が定着していったのではないのか。まあ、思索過程ですが、そのように思っています。


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