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法華経について
157
:
犀角独歩
:2008/04/21(月) 18:57:42
勝呂師の文章は、たしかに日蓮宗学の人々にとって、おおかたの見方であるのは事実でしょうね。また、過度の真跡重視は有害でしょう。
しかし、もっと、有害なものがあります。写本の過度の重視です。こうした写本伝承の有害性が蔓延した日本仏教下で、われわれは育ちました。故に真跡主義を採ることから“はじめるのは”安全策であって、批判される所以はありません。成分、生産地、発売元、消費期限、賞味期限が明記されない加工品は、食べないほうが安全なことと似ています。素人ができるまず第一の防御策です。鑑定書があっても、偽物をつかまされる時代です。
一般人にとって、坊さん方の都合を重んじた日蓮教学などは興味がないのであって、たとえば、福神研究所で開催している小松邦彰師の遺文講義も、真跡のみを載せる『平成新修日蓮聖人遺文集』により、また、立正大学などでも、いまどき、写本の講義など行われてはいないでしょう。
本覚は当掲示板で沸騰した議論、仏塔は今回の一字三礼さんのご投稿、在家教団については、わたしが目下、mixi で書いていることですが、それを知ってか知らないのか、何ら根拠を上げることもなく、衰退しているなどというのは、訳がわかりません。なお、衰退しているのは、むしろ、日蓮教学研究全般に言えることでしょう。顕正居士さんらしからぬ、ご投稿と思いました。
六波羅蜜が比丘に実践できない内容が含まれているのであれば、なおさら、僧侶をモデルにすることができないことになりますね。
俗形菩薩から、やがて、僧形菩薩が登場してくるのには、時間的な隔壁があるわけです。僧形菩薩の後天性を、時系列で整理しないと誤解が生じるというのが、わたしが言いたい主旨でした。また、「菩薩」のモデルというとき、わたしは仏像像立がはじまった当初におけるモデルをいっていますが、顕正居士さんはその後の展開について述べているわけですね。
菩薩がフィクションというより、所謂「大乗経典」における仏菩薩の一切合切がフィクションなのでしょう。ただし、物語にも、絵像にも、モデルはいただろうと思います。敢えてことわりますが、あくまで仏像制作が始まった“初期”の話です。先に挙げたガンダーラの展示における菩薩像を美術史家達などがいう、布施した本人の似姿が反映しているといった類推は、あながち外れているとは思えません。実在は疑問視される向きもありますが、法隆寺の釈迦像は聖徳太子をモデルにしたという説もあるでしょう。また、『法華経』のような“物語”に登場する独自の菩薩群には、やはりそれなりのモデル達がいたとしても、外れた憶測とは言えないでしょう。こちらのモデルは名前が残すことに主旨がなかったので、残らなかったわけでしょう。日蓮を像に刻み、国風と、インドの気質は違ったと言うことでしょう。
言葉としての「大乗」と「大乗教団」は、別でしょうね。当時の王侯貴族・商人は、伝統教団や、寺院僧侶に“布施”をし、多大な影響を与えたといったところでしょうか。ここで面白いと思うのは、こうした造仏菩薩の動きがあっても、比丘・比丘尼などはさして像に刻まれないことです。こうした点は、御影を重んじる日本仏教とは大きな相違がありますね。これら“創作”運動は、物語のモチーフを描くばかりです。
インドは顕正居士さんがご専門なのでしょうから、ご教示いただければと思いますが、大乗 maha-yana 小乗 hina-yana という現地語が伝わるのは、そうした思想が、ご当地にあったことを意味するのでしょうか。これもまた、創作物語上のことでフィクションだったのでしょうか。大乗(大きく優れた乗り物)・小乗(小さく劣った乗り物)といった考えが、では、具体的に何を大乗といい、何に向けて小乗といったか、そうした言葉があるけれど、大乗教団はなかったとすれば、なおさら、その大乗の担い手は誰であったのでしょうか。大乗は教団を指すと言うより、新たな思想運動を指したのではなかったのでしょうか。となれば、それ以前の仏教僧俗もその影響を受ける側であったことになります。
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