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法華経について

98一字三礼:2006/04/24(月) 13:51:25

> 万人に授記するということは、つまり悉有仏性の思想です。

申し上げるまでもなく、悉有仏性の典拠は「悉く仏性有り、如来は常住にして変易あることなし」(涅槃経・師子吼菩薩品)です。
天台教学では、五時判でも明らかなように、法華と涅槃を一緒に考える傾向にあります。
たしかに涅槃経は、如来蔵経典として法華経系統に属すとされますが、法華経よりもかなり遅れて成立した大乗経典である上、折伏思想等、涅槃経には特異な傾向もあり、内容としては法華経とはかなり異なります。

この為、法華経の内容に涅槃経を出自とする「仏性」ないしは「悉有仏性」をあてるには抵抗があります。

仰るような「仏性」「悉有仏性」に近い概念を法華経から探すとすれば、「法華経」自身がそれにあたるのではないかと思います。

ただ、大きな違いは、「仏性(仏になり得る可能性)」、「悉有仏性」と言った場合に、成仏の可能性を潜在的に秘めるのは衆生の側になります。これは一切衆生に平等な法性という考え方を、成仏の可能性として方向付けたものでしょう。

それに対して法華経では、衆生の成仏を決定付けるのは「法華経」の側にあります。「法華経」は、仏から与えられる最終極説であり、それは諸仏秘要の蔵とも言われ、菩薩も声聞も「法華経」を聞かなければ、成仏できません。

「薬王、多く人あって在家・出家の菩薩の道を行ぜんに、若し是の法華経を見聞し読誦し書持し供養すること得ること能わずんば、当に知るべし、是の人は未だ善く菩薩の道を行ぜざるなり。」(法師品第十)

「法華経」に出会うか、出会わないかで成仏・不成仏が決定するという内容から、「法華経」独特の強烈な経典信仰を生んだのではないでしょうか。


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