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法華経について

126犀角独歩:2006/05/29(月) 22:49:29

一字三礼さん

少しご意見をお聞かせください。
日蓮は不軽品と勧持品を対比的に論じ、自身に当て嵌めるわけです。
さらに日蓮は上行再誕を自認していたかという問題があります。
そうなると、不軽=上行という等式が成り立つことになります。
摂折論とも、関連するところです。

わたしは、どうもこの等式というのが納得できません。
ひとたび、日蓮から離れて法華原文を見るとき、不軽菩薩と上行菩薩は、かなり、違っているという印象をわたしは懐いています。

常に軽蔑され、悪口雑言を浴びせられ、暴力にも遭う。いくら、礼拝しても受け入れられるところはなかったわけです。一方、上行菩薩を代表とする地涌菩薩というものを見れば、端から弥勒が蓮華に譬え称え、そして、その有様は、漢訳で挙げれば

「楽説無窮尽 如風於空中 一切無障碍 於如来滅後 知仏所説経 因縁及次第 随義如実説 如日月光明 能除諸幽冥 斯人行世間 能滅衆生闇 教無量菩薩 畢竟住一乗」

万雷の喝采の中で、何ら障害もなく、説くところは、恰も日月の光明の如く、聞く菩薩は闇を滅して、一仏乗に住するというわけです。不軽が陰であれば、上行は陽という著しいコントラストで描かれています。

日蓮の自覚はさておいて、この二菩薩、その性質、また、境遇というか、何一つ、似通っているところはありません。なにより、法華経から読む限り、地涌菩薩が難に遭うなどという予言はないわけです。

不軽と上行は著しく相違している、わたしにはそう思えます。
一字三礼さんは、どのようにお考えになりますか。


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