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法華経について

100顕正居士:2006/04/25(火) 01:45:51
>>99
悉有仏性も三種教相も天台大師の思想ですから、矛盾するはずがありません。とりあえず、法華文句の
釈不軽品の文を考えて見ます。

不輕之解者法華論云。此菩薩知衆生有佛性不敢輕之。佛性有五。正因佛性通亘本當。縁了佛性種子
本有非適今也。果性果果性定當得之。決不虚也。是名不輕之解。

不輕の解とは法華論に云く。此の菩薩、衆生に佛性有ることを知つて敢へて之を輕しめずと。佛性に五有り。
正因の佛性は通じて本と當とに亘る。縁と了との佛性の種子は本有にして適今に非ざる也。果性と果果性
とは定んで當に之を得べし。決して虚ならざる也。是を不輕の解と名く。

不軽が何を理解していたのかというと、世親の法華論にいう。この菩薩は衆生に仏性が有ることを知って、
何人をも軽視しなかった。仏性には五つある。正因仏性は本より有るものだが、また実現するものでもある。
縁因仏性と了因仏性とは本より有るもので、今、実現するものではない。果性(菩提)と果果性(涅槃)とは
まさしく今、実現するものであると。まことにその通りである。これが不軽菩薩の理解である。

正因仏性とは真如、法身それ自体で、衆生は本よりこれを体としている、それを自覚するのが仏果である。
ゆえに縁、了の仏性は本有の種子である。衆生には智慧のはたらきが本より有るがゆえに、本来成仏を
悟ることができる。ただしそれは仏説などを聴聞して形成せられる新熏の種子を機縁として実現されます。
「新熏成ずるに對し、修して得るを以ての故に」(文句記)。


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