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法華経について

73犀角独歩:2006/03/18(土) 22:06:47

三千塵点と五百塵点の岩本師梵本直訳箇所は

【三千塵点】ある人がこの大宇宙における大地のすべてを磨りつぶして、粉にしたとしよう。そこで、その人がこの世界から非常に微細な一粒をとり、東方にむかって幾千の世界を越えて行き、その微粒子を捨てるとしよう。さらに、また、この人が第二の微粒子をとって、再び幾千の世界を越えて行き、その微粒子を捨てるとしよう。このようにして、この人が東方に大地の微粒子をのこらず捨てるとしよう。そこで僧たちよ、おまえたちはどのように考えるのか。これらの多くの微粒子の最後のものがいくつめになるか、計算することができるだろうか…それらをのこらず微塵とした数を、過ぎ去った劫の数に喩える(岩波文庫(中)P11)

【五百塵点】たとえてみれば、すなわち、その数は五十・千万億という世界にある大地の微粒子の数に等しいのである。さて、ある人がこの世界に生まれてきて、この微粒子の一つを手にして、東方における五十・千万億劫のあいだ捨てつづけて、かの人がすべての世界を大地のないものにしよう。その場合、両家の息子たちよ、お前たちはどのように考えるか。これらの世界の大地の粒子の数を、誰が類推したり、計算したり、測ったり、、あるいは比較したりすることができようか(同(下)P15)

三千塵点のほうは基準は「大宇宙の大地」の粒子の数を劫とする、五百塵点は五十・千万億世界の微粒子の数です。とすると、三千塵点は、粒子一粒を一劫、五百塵点は大地の微粒子の数です。となれば、大通智勝仏のほうが、はるかに古いことになりませんか。

まあ、梵本を読めない、岩本訳の字面からの話ですが、それを判読すれば以上のようになると思います。どうでしょうか。


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