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法華経について

69犀角独歩:2006/03/18(土) 10:40:46

一字三礼さん
れんさん

昨日はご苦労様でした。
(ロムの方々には内輪話で恐縮ですが)最後の質疑応答の島田裕巳の質問とそれに日蓮法華で答える小松邦彰師、それを梵本と教典成立という日蓮教学埒外のところから語る松山俊太郎師の鼎談は面白かったですね。
(福神研究所主催・小松邦彰師『日蓮聖人遺文講義』での話です)

喫茶店での雑談で、お二人からは遠いところで、松山師に「男性原理としての白蓮(天)、女性原理としての紅蓮(地)の関係があるとうことですが、そうなると、授記、教学的に言うと下種というのは受粉的な意味合いを持つと言うことでしょうか」と、わたしは師に質問したのです。「そういうことになるかどうか」と、やや否定的でした(笑)

前々からわたしは考えているのですが、三千塵点、五百塵点というの字数通り、三千のほうを古く考えると、釈尊の菩薩行(三千塵点の大通知勝仏仏王子、不軽等の本生譚)から成道釈尊とストレートに時系列で整理されると思うわけです。

渋澤光紀師は「漫荼羅が本尊とは言い難い」という視点でお話をされ、松山師は漢訳教学として天台は梵本法華経理解ではさて置くとされ、島田師は「覚り」を強調するような例は、他の宗教ではあまり見られないと指摘されていました。

講義終了後の雑談にして、この濃密さ、時間がいくらあっても足りないと思いました。

松山師の法華経講義の完結は、単純計算で50年はかかるわけで(笑)次回は、打ち合わせ通り、積極的に質問を投げかけ、聞きたいところをどんどん頂戴しながら、次品以降に話題を置いて、少しでも前に進めると言うことで行きたいと思います。


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