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素朴な疑問

1管理者:2002/02/20(水) 13:44

1 名前: 管理者 投稿日: 2002/01/28(月) 18:47

スレッド立ち上げの要請がありましたので、立ち上げます。皆様、気軽に御発言ください。要請文は以下の通りです。

>私の場合、皆様のように難しい事はわかりませんが、いわゆる「素朴な疑問」は
>あります。そのような質問でもよろしいでしょうか?
>もしくは、そのようなスレがあればいいのですが・・・

1024犀角独歩:2003/11/27(木) 15:08

―1023からつづく―

また、このような菩薩道は、なにもわたしがここに記すまでもなく、日本仏教のなかでもかつて営々と培われ実践されたことでした。この点については『創価学会の功績を考える』のスレッドで、『現代宗教研究』第37巻掲載の『日蓮宗のビハーラ活動 ― その理念と意義』を紹介しました。また、このような活動は他教団でも広く認識、実践されているところです。

> 菩薩の道で、蓄財を禁止することは、基本中の基本

この点はお言葉を返すようで恐縮ですが、少し違うと思うのですよ。
シャキャムニの教団では、一切の生産活動が禁止され、蓄財ももちろん禁止されていました。その後、シャキャムニが没し、100年ほど経てバイシャリーで起きた分裂の時点で、金銭で供養を受け取る改変が起こります。菩薩思想は、こちらの流れで、在家実践家、それも裕福な人々が、その蓄財を持っていかに仏教を実践しようかとした動向に関わるのだと思います。

ただし、アネモネさんが菩薩の蓄財を戒めるのはやや意味が違うかも知れませんね。
仏法名目で財貨を募り、それを着服する横領詐欺行為を糾弾してこのことと拝察いたします。

わたしは、この点についても厳しい論及をしてきました。
かつて記した拙書のなかで

「神仏に仕えるはずの集団と人間が莫大な布施・献金を着服する。これを中間搾取といわずして、ほかになんと言えばよいのであろうか。それら集団と指導者は、神仏と信者の中間に立ってすべてを持ち去るのである」(拙書『あなたは違う方向に歩いている』前書)

> 法の修行とは、何のために行うことなのでしょう。

これは先にみかんさんが記したとおりであろうかと存じます。
シャキャムニの行法の目的は滅苦であったろうと思います。

> 修行とは、自分の為の行…それとも他者の為の行

初期仏教教団は己の滅苦を目的とした自利に即したものであったろうと思います。
その後、勃興するいわゆる大乗運動とその菩薩精神は、そこに新たに利他の側面を添加したものであったとわたしは思います。
菩薩道はジャータカに見られるものの、それはシャキャムニと遡源できるものではないと思えます。後世の新たな展開であったのでしょう。けれど、人類の秀でた精神活動である菩薩道が、仮にシャキャムニに由来するものでなくとも採用すべきであるというのが、わたしの考えです。

> 折伏の名を借りた組織勧誘は、弘法という菩薩行に解釈されていること、
> これが法の歪曲であるならば、ことは深刻だと思いますね。

ええ、仰るとおり、わたしも「歪曲」であると考えます。


> 本尊…「象徴の病」

この点から考えるべきであると思います。
また、この視点からの批正に絶えられない本尊論であれば、もはや、今後の社会では通用しないものとなっていくことでしょう。

> お釈迦さまの直説…本尊…使われていなかった…自灯明、法灯明

「本尊」語は先にも何度か記しましたが、そもそも天台教説にすら現れません。
先に福田さんが「無仏の時代は法を本尊」ということを記されていました。この考えは、天台の教説とは本尊語の使用で違い、蓮師の教説でも寿量仏観で違うとは思います。しかし、シャキャムニの遺言からすれば、何も間違っていません。シャキャムニは自身が仏陀(覚者)である自覚はあったでしょうが、自身を崇めさせたり拝ませたりする考えは元よりなかったでしょう。アネモネさんがここに記されるとおり、自らを灯明とし、法(ダルマ)を灯明として、歩むことを遺言されたのであろうと拝察します。

1025犀角独歩:2003/11/27(木) 15:09

―1024からつづく―

> キリスト教…天地創造の全知全能の絶対神が、本尊

言葉で当て嵌めれば、たしかにそうなりますね。

> 観念的な世界のいわば象徴の病ではないか

わたしもそのように考えます。

> 不信の救済。私も宗教に関わった者のひとりとして、このことを考え続けていきたい

有り難いお言葉を頂戴しました。

> 不軽菩薩は、法華経不信の人にも礼拝

むしろ、不信にこその礼拝であったというコンセプトの物語ですね。

> マザー・テレサ…キリスト教を信じないインドの最下層の人々を救済
> …イエスの山上の垂訓にかなった実践的行

なるほど。
愚鈍凡夫さんが引用してくださったので、改めて読み直すことができました。
人類の尊い遺産と言えるすばらしい精神をここに見ることができると思いました。

>> 浅見定雄師
> 自分の信仰する教団が、実際に何をしているのか…を見ようとし、
> そのことを考えてみようとするということは、正法とは何か、
> 成仏とは何か、菩薩道とは何か…といったことを考え直してみる
> ことに通じるものだと思われますね。

社会のなかにある宗教法人として活動するのであれば、当然の視点ですね。

> キリスト教が広まった本当の背景…「貧しき者は幸いなり」
> 貧しい者こそ神の国に行ける…イエスの言葉
> …裕福故に神の国に招かれないのではないのかという不安や恐れがあった

これは実に興味深い話であると思いました。
差詰め、日本で言えば「清貧の思想」と言ったところでしょうか。

> 富の一部を神の名において慈善事業に使うようになった

意図せずの結果であったのかも知れませんが、望ましい方向性でしたね。
わたしは学生時代、森島恒雄師のファンで、魔女狩り、十字軍、科学と宗教の闘争といった中世キリスト教の悪い面ばかりを取り沙汰してきたものでした。
しかし、ここ10年、多くのキリスト者である聖職者との交流を通じて、彼らの社会活動を見聞し、そして共に歩むなかで、その評価を大きく書き換えてきました。
魔女狩りから慈善運動への変遷、それを日本仏教も見習わなければいけないと考えています。

> 法華経成立の背景もどこか似ているようにも思われますね。

これはちょっとわたしには解せないのですが、どのような意味で仰っているのでしょうか。

> キリスト教…無償の愛というよりは…我欲からの信仰心
> …やがて真の博愛に目覚めていった

仏教では「無縁の慈悲」ということを言いますね。
まったく自分と関係がない人に対しての慈悲心ということです。
自利から出発した仏教がやがて利他面に到達したのは、アネモネさんが説明されるキリスト者の向上と似通っているところを感じます。

1026犀角独歩:2003/11/27(木) 15:10

―1025からつづく

> 宗門や教団批判…そのルーツ…法華経にたどりついてしまう

この点を率直に認め、法華信奉者としてどうするのかを考える時期に来ているとわたしは思います。

> 法華経=正法という錯覚…そこから紐解いていかなければならない

そう思います。教理云々ということではなく、法華経=正法、だから南無妙法蓮華経は絶対に正しく、それを立てる我が集団が唯一正しいなどという論法はもはや通用しないと言うことです。

> 怨恨と不軽は、相反…昇華…創作者の意図

うーん、これは違うと思います。
法華経は300年ほどの時間をかけて複数の寄せ集めの編纂のようで、その意味で、矛盾した要素が取り混ざっているということではないでしょうか。
全編の整合性を取るに至らない編集と見えます。

> 聖典信仰…キリスト教のバイブル、ユダヤ教のトーラー、イスラム教のコーラン
> いずれも法華経が創作された中東の信仰観に共通しているものですね。

偶然ではないと思うのです。
このような研究をどなたかここでご紹介いただければ参考になります。

> 神の言葉が記された…書物…神聖…「本尊」のように扱われている

南無妙法蓮華経は、聖典に帰命し、それを本尊視するものである、これが題目本尊であるわけですから、実に類型をなしていると思えます。

> …神や仏…絶対的な信仰対象…偶像崇拝…の範疇…象徴の病

「絶対」を信仰することから脱却、わたしが脱カルトでテーマにしてきたことの一つでした。結局のところ、象徴の病が取り沙汰されるのは、健全な精神を封殺し、人間が生み出したものにかえって人間が呪縛されてしまう不健全さを指摘してのことです。人間は自分たちが生み出した神仏(とその概念)に支配されることなく、健全な精神状態で生きること、その前提からの仏教再考であるべきですね。それはひいては集団・指導者からの卒業をも意味するでしょうし、過去数千年、仏海と表されるほどに肥大した経・論・釈の守文の徒からの卒業も意味するものとなります。

> …久遠の釈尊…本仏…観念的存在…偶像
> …経典や聖典…言葉や文字…法に代わる象徴…
> …観念上の像を信じること…言葉や文字や絵や像…
> …正法を象徴的に据えて信じること…偶像崇拝だと思いますね。

結局のところ、「空」というも、アネモネさんが象徴の病から総括される以上のようなことを言おうとしたもなのだろうと、わたしは考えています。

「象徴の病から見直し、実に意味のあることですね。

1027犀角独歩:2003/11/27(木) 16:50

【1023の訂正】

誤)現世人類が生物
正)人類が生物

誤)その罪過を手向けることのほうが
正)その財貨を手向けることのほうが

1028アネモネ:2003/11/28(金) 01:54
つぶやきスレッドの>718において、みかんさんは、
>仏教の目的は、滅苦です。
苦を滅するために、開悟(=成仏)することが、仏教の手段です。
四聖諦を見れば分かります。
と書かれておられました。
仏教における手段が、菩提心に始まらなければならないとしても、しかし仏教のその目的が「滅苦」であるならば、開悟(=成仏)を意識しない世俗的な善行も、仏教の目的からまったく外れたことではないのではないかと、私などは考えたいところです。
しかしそれでも、菩提心のあるなしを厳格に区別して論じなければならないならば、そこには「不信の人」と「信の人」の差別と同じような意識が生じるものではないかとも思います。
となれば、仏教とは差別を克服できない宗教ということにもなりはしないでしょうか。

仏教を教説的に厳格に捉えることは、もちろん大切なことです。しかし、その仏教の真の目的が何であるかを考えたとき、あらゆる現実の事物を包括的に捉えていくことも重要なことではないかと考えます。そもそも、仏教は世俗の問題を分けて考えることなのでしょうか。滅すべき苦とは、世俗のなかにあるものなのではないでしょうか。
そうでなければ、仏教思想は現実社会に生かされることのない、ただの観念論に過ぎないのではないかと、私は思ってしまいます。

実際、仏教では、世俗的な善行について、どのように説いているのでしょう。一切関知しない論外として、何も説かれてもいないものなのでしょうか。
膨大なスケールで過去世を論じたり、来世を論じたりと、気の遠くなるほどの経典が存在するにも関わらず、世俗のことになると全く論外となるならば、私などが思うに、「滅苦」の目的など、ただの口先だけ。お題目だけのものに過ぎないと思えてしまいます。
それが仏教なのかどうかもわかりませんが。

いずれにしても、仏教の菩薩が、どのような行いをする人なのか、これではますます私にはわからなくなってしまうわけですが、たとえマザー・テレサに菩薩を見たとしても、教義的に仏教の菩薩には値しないということなら、それはそれでいいのでしょう。
ただし実社会で、人々が、どこに救いを求め、どこで救われるのかという問題となったとき、これでは、仏教よりもキリスト教のほうが、はるかに社会に実践的に生かされた教えであるものと、判断せざるを得なくなると思われます。
こうなるともう、仏教はあまりに難解すぎて、救われる人が限られるという欠点を指摘したくもなります。仏の慈悲と神の愛、どちらが広大無辺なのでしょう。
本当はこのような比較論をここでするつもりはないのですが、思わず、ついつい書いてしまいました。

1029アネモネ:2003/11/28(金) 01:56
愚鈍凡夫さん

>女史は「貧しい人」と「心の貧しい人」とは区別されているように思うのです。女史の言う、「心の貧しい人」というのは、「忘れ去られた孤独の中の住人」のことではないでしょうか。または、「心に深い傷を負った人」のことではないでしょうか。

私、大好きな「山上の垂訓」を例に出しましたが、ルカ福音書には次のような一節もあるんですね。


さて、イエスは目を上げ弟子たちを見て言われた。
「貧しい人々は幸いである、
神の国はあなたがたのものである。」


「貧しい人」と「心貧しい人」は、私の中では、いずれも救いを必要とする人々として同じに捉えていたかもしれません。
ただし貧しい人に、ただ衣食を施せば、それが慈善行為だというものではないのでしょうね。本当に飢えているのは、人の愛だということ…愚鈍凡夫さんは、マザー・テレサの言葉を通して、そのことを感じていらっしゃるのかなと拝察いたします。

古今東西どこの国でもそうですが、貧しい人というのは、社会から差別されている階層の人である場合が多いですね。
イエスの時代、そのような人々に関わってはならない、また触れてもならないと考えられていたと聞きます。言葉を交わすこと、食事を共にすること、家を訪問すること、そのようなことを忌み嫌ったといいます。特に、病気の人や身障者に対する社会的冷遇はそれはひどいものだったといわれています。
しかし、イエスはそのような慣習に反して、率先して差別をされている人々と交わり、言葉を交わし、そして手をとり、そして食事を分け与えて、共に過ごしたといわれています。

話は変わりますが、数日前でしたが、七十代の女性と、五十代の男性が、借金を苦にして、心中を図ったことがテレビで報道されていました。海岸の絶壁から投身自殺を図ろうとしていたところを、通りがかりの警察官の説得によって、一時は思い留まらせられたものの、数日後、2人はその警察官宛に遺書を残して首を吊っていたのが発見されたそうです。
遺書によると、警察官の説得に励まされ、生きることを決意した後、役所に生活保護を求めていったと綴られていました。しかし、思うように手続きもとってもらえないばかりか、心無い言葉を向けられて冷遇され、結局、希望も気力も失ってしまったといったような内容だったといいます。
生活を苦に自殺を考えたものの、人の心に励まされて思い留まることが出来たのに、結局最後は、人の心無い言葉によって、死を選んでしまったわけですね。いろんなことを考えさせられてしまいます。
役所の言い分では、遺書に綴られていたような心無い言葉は発していないとの弁明でしたが、心が飢えている人にとっては、突き刺さるものに感じたものだったのでしょう。

差別は貧しさを招き、そらには、愛に飢えた心の孤独をも招くものですから、恐らく、貧しさ(乏しさ)と心の貧しさとは、裏腹である場合が多いかもしれません。
しかし、実は本当に心の貧しい人というのは、乏しい人ばかりではなく、むしろ富める人であるともいえますね。
これはむしろ、現代の日本の社会が抱えている問題ではないかと思います。確か、マザー・テレサも日本について、そのような指摘をしていたのではなかったでしょうか。
この点を、日本の既存の宗教は、真剣に考える必要があると思います。
ところが、こういってはなんですが、既存の宗教組織が往々にして「心貧しき富める人々」に陥っているとも思われるわけです。
なんとも、これでは救われない。それがそのまま、日本の世相として反映されていると思ってしまうところです。

1030ドプチェク </b><font color=#FF0000>(Liye31iI)</font><b>:2003/11/28(金) 04:13
犀角独歩さん、顕正居士さん、毎度の事ですが、ずいぶんと遅くなってしまいまして、すいません。


犀角独歩さん

>>892

>組織、指導者のやることは絶対で間違いがないとその判断能力を他者に委譲してしまい本質が見えなくなることを第三者心理操作、すなわち破壊的カルトマインド・コントロールにおける“思考停止”というわけでした。

現実においても、ネット上においても、いわゆるバリバリ系と呼ばれている創価学会員や、その他の宗教における盲信的・狂信的な信者たちの姿に接していると、それが実によくわかります。
政治的な話になりますが、先の衆議院選挙において、公明党とあそこと連立を組んでいる自民党への支援・投票をした創価学会員たち(活動者学会員)のほとんどが、自分のアタマで考えながら理性的な判断を下す事なしに、ただ学会執行部からの命令のまま、単なる集票マシーンとしてしか動かなかったという事実にも、それが端的に表れていて、非常に危険なものだと思います。

>家に漫荼羅が複数あることをあたかも謗法の如く扱う学会の論調は理解に苦しみます。
>例えば、学会本部内にはいったい何体の漫荼羅本尊が安置されているわけでしょうか。
>「一家一世帯の御本尊」は創価学会独自教義に過ぎません。
>何の根拠もない言いがかり以上の何ものでもありません。
>むしろ、何百年も石山とその末寺檀家であった人々にとって、複数の漫荼羅本尊を所有することは誉れでこそあれ、非難される謂われなどまったくないことでしょう。

そのように言われてみますなら、確かにそうですね。
まぁ、あそこの場合、何事に関しても自分たちにとっての好都合な事しか言わず、幼児並みの言い訳をしたり、見え透いたウソを平気でついたり、必死で誤魔化しをしたり、機関紙を使っての稚拙な情報操作を用いたりして、無知で盲信的・狂信的な会員たちを騙し、洗脳して煽るのが大好きみたいですから。
それと、これは17年前、学会2世の知人で、本人はほとんど自覚がなかった人間から聞かされた事なので、真偽のほどは不明ですけど、知人の郷里である愛媛県のどこかの地域においては、家族の者たち一人一人がそれぞれに御本尊を持っていたというお話でした。
もし、その知人の話が本当だったのなら、いったい、どういう事なんだろうか?と思ってみるのですが・・・

>> 御本尊を土産物として売る

>これは信仰観の相違ではないでしょうか。
>たとえば、国によっては国王の写真を撮ることを厳重に禁止している国があります。
>しかし日本人からすれば、何がいけないのかピンときません。
>そもそも漫荼羅本尊観が相違しているのでしょう。

日蓮系でも富士門流と他門流との間には、曼荼羅に対する捉え方の違いがあるんでしょうかね(あるいは、同じ富士門流の中でも)。
ところで、創価学会は、以前、御本尊の写真撮影を謗法に当るとか何とか言い、厳禁にしていましたけど、しかし、数年前の聖教新聞に掲載されていた記事によれば、実際には昔から大石寺において、御本尊書写の為の写真撮影が行われていたとか。
ちなみに、学会は、その事で会員に対してただの一言の釈明も謝罪も行っていません(あそこがお得意とする、何でもかんでも他者に責任を擦り付ける事で、自分たちの非をまったく認めようとしないという、いつもの薄汚いやり口ですが)。

>ドプチェクさんからすれば、社務所で売られるお守り、絵馬は飾り物、アクセサリーと映じるのでしょうが、そこに願をかける人々にとっては信仰の対象であるからです。
>これらの人々にとってお守り、絵馬は富士門信徒の漫荼羅を仰ぐ信仰心と何ら変わらない恭敬をそれらの品々に懐いていると想像できます。

そのように言われまして、そうなのかもしれないと思いました。
もしかすると、長年私の中に刷り込まれて来た他宗のお守りや絵馬・お札等を悉く否定するという考えが働いて、それらに対して偏見を抱いてしまう癖がついているのかもしれません。

>>893

>学会を含む石山系グループの本尊観の濫觴はもちろん、興師にその遡型を見るわけですが、わたしは最近、この興師の漫荼羅観こそ、実は蓮師から飛躍した独自解釈であったのではないのかと疑いだしています。

富士門流は、日興上人だけが、宗祖日蓮聖人の教えを正しく受け継いだ正統な後継者であると主張し、また、一般の日蓮関係の書籍においても、日興上人が師の教えに対して厳格だったと記されている事が多く、私は長年、そのように思って来たのですが、しかし、次第に様々な疑問を抱くようになりました。
日興上人とその門流に関する疑問は色々とあるのですけど、その中で、前々からどうも納得が行かないのが、先ず神社への参詣厳禁という事なのです。

1031ドプチェク </b><font color=#FF0000>(Liye31iI)</font><b>:2003/11/28(金) 04:14
犀角独歩さん、続きです。

少なくとも「三沢抄」における日蓮聖人の記述(信徒の内房の尼が氏神へ参詣したついでに、身延を訪ねて来た為、聖人は面会を断られたというものです)を読む限り、信徒が神社へ参詣する事をあながち否定されていたようには思えず、もし仮に、聖人が神社参詣を容認されていたとすれば、日興上人は何故それを禁じられたのか?と。
また、それと関連する事なのですが、以前、こちらの掲示板でご意見が交されていました、日興上人が身延の地を立ち去る直接的な原因になったという地頭の波木井実長との対立についても。
日興上人は、波木井実長が神社参詣等の「四箇の謗法」(一般の書籍では、何故か?「三箇の謗法」となっていました)を犯した事を容認できなかったのが原因だと言われているものの、しかし、その後も両者の間には何らかの形で交流があったというお話ですよね(以前、何かの書籍に記されていたのですけど、様々な資料を見る限り、波木井実長の人物像は、富士門流が言っているような悪人のイメージなど、到底浮んで来ないという事なのでした)。
それに、波木井実長が犯したとされる謗法行為?の一つの「釈迦像を造立して本尊にした」事に関しても、もし日蓮聖人がそうされていたのなら、何故実長の場合には批判される必要があったのか?と。
それから、日代上人が離脱(追放?)し、西山本門寺へ移られたのは、法華経全品の読誦の是非を巡る対立が原因だったと、学会系の書籍に記されていたのを憶えていますけど、その事も「?」と思ってしまいます。

>>894

>> …松戸行雄氏の著書を読んだ影響

>この点はわたしはちょっと意味を取りかねます。

松戸氏の著書は、真偽不明の御書を用いている事でもあって、批判的な見方も多いようですね。
無論、私も氏の考えに全面的な賛同をしているわけではなく、批判的な見方をすれば、独り善がりと言うのか、やや独りで突っ走りすぎているような感じが致します。
ただ、松戸氏の考えは、それまで長年に渡って接して来た創価学会や日蓮正宗のガチガチの教えと違い、私には、すごくリベラルで斬新なものとして映りましたし、少なくとも、氏の著書に接した事で、私自身のマインドコントロールからの解放に、更なる拍車がかかって行ったのは事実です。
松戸氏の著書を知る直前であった6年半位前、私はすでに一般の日蓮関係の書籍を読むようになっていたのですが、日蓮正宗が主張する大御本尊絶対論、歴代の法主による書写・開眼供養の有無等といったような神話めいたお話、そして日蓮久遠本仏論までをも否定されていた氏のそれに初めて遭遇した時は、本当に強い衝撃を受けました。
しかし、時間が経つにつれて、それまで自分の心に重く圧し掛っていたものが、次第に消えて行き、すごく楽な気分になれましたね。
私の場合、6年前に松戸氏の著書と巡り合っていなかったなら、御本尊の写真をコピーして拝む事に、かなりの抵抗感があり、もしかすると罰を受けるのではないか?という、恐怖感を抱き続けていたのではないかと思うのです(コピー御本尊を拝む事に関する是非は別としても)。
ただ、そういった恐怖感がなくなったという意味では、心が自由になれたものの、それと同時に、何だか自分自身の中で、御本尊に対する畏敬の念や信仰心までもが次第に薄れつつあるのではないか?と、その事が少し心配なのです。

>>895

>日蓮信者であれば=本尊安置などというのは現代の常識に過ぎません。
>仰るとおり、「但行唱題」こそ、中心であったのではないでしょうか。

長年、御本尊を拝むのが基本という考えの中で信仰して来た私と致しましては、なかなか難しい事のように思えます(私と同じような感覚を持っている人たちは、結構いらっしゃるのかもしれませんけど)。

1032ドプチェク </b><font color=#FF0000>(Liye31iI)</font><b>:2003/11/28(金) 04:16
顕正居士さん

>>901

「見えない教会」「公同の仏教会」と「カルト」ですか・・・
その境界線がよくわからず、何だか難しいですねぇ・・・
創価学会のような仏教団体を名乗りながらも、実際には自分たちにとっての好都合な勝手な教義の解釈をして、おかしな事ばかりをしている教団は、もはやカルトに属するのでしょうか?
あるいは、エホバの証人とかも?

>宮沢賢治は国柱会の「文芸布教」を実行しようとした。奔放な発想と信仰が両立しえたのは
>国柱会は国柱会を宣布する団体でなく、「日蓮主義」を宣布する団体だったからでしょう。
>「見えない神」は唯一であり、「見えない教会」もまた唯一といい得るからです。

宮沢賢治氏の書簡によると、若い頃には田中智学氏に対して個人崇拝?していたような感じですけど、それでも、賢治さん自身の中では、やはり飽くまで仏教徒としての自覚の方が何よりも強かったのでしょうね。
創価学会員の場合、はたして賢治さんのような人間は、いったい、どれぐらいいるのだろうか?と、そんな事を思ってみます。


皆さん、ところで、鹿砦社(エスエル出版会)のお話が出ていましたが、あそこは15年位前、プロレスや格闘技に関する書籍をよく出版していたのを憶えています。
出版物の内容は、通常のプロレス・格闘技関係のものと違い、今思い出すと、その名のとおり、やや昔の左翼っぽい雰囲気のところがあったような気も致しますし、ちょっといかがわしい感じでしたね。
アントニオ猪木や、昔存在していたUWFという団体を取り上げたものが主で、プロレス界における暗部・内幕等のタブーを暴露した書籍が、結構ファンの間では有名だったようです。
それと、多分、10年以上前ではないかと思いますけど、創価学会を批判する書籍を出版した事があるようにも(うろ覚えなのですが)。
創価学会批判のものを出版したかどうかについては、記憶が定かでないものの、9年位前だったと思いますが、確かイタリアのSGIのメンバーであるサッカー選手のバッジョを賞賛するような書籍を出していたのは憶えています。
また、左翼っぽい感じのする出版社でありながら、格闘技関係の書籍で、右翼系の人へのインタヴュー記事を掲載していたようにも。
あそこは、いったい何を考えているのかがよくわからず、もしかすると、金になるのであれば、何でもいいのではないか?と、そんな風にも思ってみるのですけど。

1033愚鈍凡夫:2003/11/28(金) 05:33
皆さん、お早うございます。

マザー・テレサは、戦火の中で悲惨な体験をし、深く傷ついた少女たちの心のケアもしていたわけです。PTSDに苦しむ人の心の奥底まで入り込める人なんですね。そういう意味では、サイコ・セラピストとしても一流の方だったと思います。この、病苦・生活苦だけではなく、深刻なトラウマにまで光を当てた女史の姿に、幾度となく感動を覚えたものです。
女史が育った街は、いろんな宗教が混在していて、女史自体異教徒に対するアレルギーが元々なかったようですね。そして、見知らぬ貧しい人にまで優しかった母親の影響を強く受けたのだと思います(食事の時、見知らぬ人と食卓を共にすることがよくあったそうです。母親は微笑みながら親戚の人と紹介していたらしいですが)。

誕生から6〜7歳までの子供の生活で最も重要な大人は母親です。それは、子供がこの時期に、愛情とは何かを学ぶからです。女史は、子供が社会生活に適応することを学ぶこの時期に、人間としてもっとも尊いことを母親から学んだのだと思います。
「援助を必要とする人」を援助することが当たり前の行為として、自然に身に付くような環境に育ったというのが大きかったのではないでしょうか。

女史がノーベル賞で貰ったメダルを売って、パンを買おうとした話は有名ですが、反面、自分の名を施設や建造物に付けるのを極端に嫌がったそうです。どこかの宗教指導者とは全く正反対なのが、何とも凄いですね。

余談ですが、
数珠を通して仏教・ヒンズー教・キリスト教の関係を考えてみるのも面白いかなと思ったりしています。

1034愚鈍凡夫:2003/11/28(金) 19:09
皆さん今晩は、愚鈍凡夫です。
「あれ! 誰もいない・・・・・。いまのうちにカキコしよっと。」(独り言) (^◇^)v

キリスト教のロザリオは、もともと祈りの回数をカウントする計算器で、本来の役割は仏教の数珠と同じでした。
一方、数珠はもともとヒンズー教(バラモン教)の法具で、ヒンズー教では数珠を「ジャパマーラー(japamala)」と呼ぶそうです。
「ジャパ(japa)」とは、神の名を唱えて姿を思い浮かべることで、「マーラー(mala)」は輪のことです。したがって、「ジャパマーラー」とは「念誦の輪」を意味します。
歴史上、言語の違う民族同士の言葉の聞き違いはよくあることで、ローマ人が「ジャパ」を「ジャパー」と聞き違えてしまったのです。面白いことに、「ジャパ」を「ジャパー」と伸ばして発音すると、サンスクリッド語ではバラを意味する言葉に変わるそうです。下世話な話ですが、「米(rice)」と「虱の複数形(lice)」の違いぐらいありますかね。 (-_-;)
そこで、「ジャパーマーラー」は「バラの輪」と解釈されました(なんのこっちゃ?)。 (^▽^;)
そして、ラテン語で「ロザリウム」、ポルトガル語で「ロザリオ」、英語で「ローザリー」と呼ばれるようになったそうです。とはいうものの、ロザリオの珠はバラを材料にしたものは珍しく、主に木、ガラス玉、クリスタルなどが用いられるそうです。
日本では、ポルトガル宣教師が「ロザリオ」を「計算する(contas)道具」と説明したため、「コンタス」、「コンタツ」と呼ぶようになったと言うことです。
尚、イスラム教でも数珠は使われるそうですよ。

話は変わりますが、「キリスト」の捉え方がキリスト教、ユダヤ教、イスラム教では違います。
キリスト教では「神の子」・「救世主」と位置づけますが、ユダヤ教では「宣教師の一人」に過ぎず、ただの人間としか見ません。
一方、イスラム教では、「予言者の一人」と位置づけます。
アラーは、現世に度々予言者を遣わし、人類に悔い改めることを警告したといいます。しかし、人類は悔い改めることはありませんでした。そこで、アラーはキリストを遣わせたのですが、人類の多くは彼の予言を無視しました。ここで、本来ならアラーは全人類を滅ぼすところなのですが、慈悲深いアラーは最後のチャンスを人類に与えることにしたそうです。その最後の予言者がマホメットであるとするのがイスラム教の立場です。
アラーがマホメットを通して「神の啓示」を行ったのが、「コーラン」であるという位置づけですね。
また、ユダヤ教の偶像否定はモーゼの十戒の「あなたは自分のために、刻んだ像を造ってはならない」が教義的根拠になっているわけですから、嘗ては、キリスト教も偶像否定だったわけです。このことから言えば、この三宗教の歴史上の争いは、まさに近親憎悪の縄張り争いといえるでしょうね。富士門系在家教団同士の確執も同根だと思います。

1035犀角独歩:2003/11/29(土) 00:41

愚鈍凡夫さんのハードディスクは、何ともすごい知識の宝庫ですね。
永年の研鑽に改めて敬意を表します。

1036みかん:2003/11/29(土) 01:44
>>1034
キリスト(救世主の意)ではなくて、イエス(人名)と呼ぶのであれば、その通りですが。
キリストとは救世主(メシア)の意味ですので、イスラームやユダヤ教ではナザレのイエス(人名)をキリストとは呼ばないと思いますが。

1037愚鈍凡夫:2003/11/29(土) 03:39
今、「朝生テレビ」の下らない討論を見ていますが、余りにも下らないから、寝ようと思っているところです。

>>1035:犀角独歩さん、有り難うございます。

犀角独歩さん、顕正居士さん、川蝉さん、問答迷人さんといった方々の頭脳コンピュータと比べれば、単なる雑学みたいなものです。尚、他の方々の資料もデータ・ベース構築に活用させて頂いています。この場を借りてお礼申し上げます。有り難うございます。 m(_ _)m

>>1036:みかんさん、レス有り難うございます。冷徹なみかんさんのレスを楽しみにしていますので、より一層の投稿を期待申し上げます。 (*^_^*)

確かに、みかんさんの仰る通りですね。分かりやすくするために、単に安易な表現を使用したことを反省します。

正確な語句の説明を以下に記しますので、みかんさん、間違いがあれば訂正して下さい。

キリスト(ポルトガル語:Cristo・基督)
もとは、ヘブライ語のマシーアハ(Messiah、ギリシア語形メシアスMessias)のギリシア語訳のChristosからで、「油を注がれた者」の意味である。古代ヘブライ国家で王は即位の礼として頭に油を注がれる。従ってイスラエルの王、転じてイスラエルを救うために神が遣わすべき将来の王との意味になる。キリスト教では人類の罪をあがなうために神が遣わした救世主の意味。

イエス(ラテン語:Jesus)
ヘブライ語のイェホーシュア、またはヨシュアのギリシア語形Iesousからきた言葉であり、「ヤハウェ(ヤーベ)は救いなり」の意味である。北パレスチナのナザレの大工ヨゼフとその妻マリアとの子として生れ、30歳頃、家を出て、ヨルダン川で洗礼者ヨハネから洗礼を受け、神の国の来臨の近いことを告げ、ユダヤ民族の悔改を迫った。神は慈愛深い父で、人間は皆同胞として相愛すべきことを説き、一切の偽善を排し、正義と愛との徹底を期した。初めガリラヤ地方に活動、のち首都エルサレムに上り、パリサイ派や祭司階級の宗教を批判、讒訴されてゴルゴタ丘上に十字架上で刑死。弟子たちはイエスが死後3日目に復活したと確信(復活祭を参照)、「油そそがれたる」救主、すなわちメシアまたはキリストと信じ、新運動を開始、ここにキリスト教が興起した。我が国では耶蘇、イエズスとも呼ばれる。

済みません、引用のネタ元が分かりません。 (^^;ゞ

1038アネモネ:2003/11/29(土) 10:32
「キリスト」を、イエスの名前の一部のように思っている人は、意外と多いのかもしれませんね。
愚鈍凡夫さんの語句のご説明と多少重複しますが、なぜイエス・キリストと呼ぶのか、ここにも参考になることが書かれています。
http://www2.odn.ne.jp/row/sub2/knowledg/knowle_04.htm

聖書は、ヘブライ語でかれたものが、最初にギリシャ語に訳されたのだったと思います。「キリスト」はギリシャ語ですから、聖典信仰のルーツはギリシャに遡るのかなあと、想像したりもします。
ペーパー(紙)の語源にもなったエジプトのパピルスとも関連があるのかなあとも思ったりもします。
http://contest.thinkquest.gr.jp/tqj1999/20208/lesson/papirus.html
http://www.seinan-gu.ac.jp/rad/koba9014.html

ロザリオが数珠の役割をしていたとは知りませんでした。といいますのも、プロテスタントでは、ロザリオも十字架も身につける習慣がなかったのです…。思い返せば、ロザリオを身につけるカソリックが、ちょっぴり羨ましくもあったりしましたね。
最近は、女性のファッションで、クロスのネックレスやペンダントがとっても流行っていますね。
だけど、そのルーツをうかがうと、非常に興味深いですね。

ユダヤ・キリスト・イスラム間の近親憎悪の話が出ていました。
この信仰圏は、十字軍遠征から始まる長い長い戦争とテロを繰り返してきていますね。結局その本質は、領土と資源を巡る利権戦争なのだと私は思います。信仰信念を巡る争いのように見えて、実は、人間の生存権を巡る欲望が引き起こしている戦争なのでしょう。そこでは宗教は、戦争やテロを正当化する大義名分に利用されているものと思われますね。
しかしそこで命を賭けて戦う戦士たちは、純粋に信仰信念に基づいている場合が多いです。まさに、ジハード(聖戦)。
信仰信念を持ついかなる人も、そのことの本質を冷静に見極める必要があるのだろうと思います。
イエスの言葉でいえば、「汝の敵を愛せよ」と説く行動規範が重要ですし、仏教ではもっとさらに深く内面に向けて掘り下げ、心のあり方を説いているものなのではないでしょうか。
しかし、あの地域の信仰のルーツを通した歴史を知ることは、法華経のルーツを知る上でも大変重要なことだと思います。
法華経を最高だと思い、それを広める使命を感じている人は、尚更知っておく必要があると思いますね。

1039犀角独歩:2003/11/29(土) 11:08

愚鈍凡夫さん:

数珠の由来についてですが、流浪の民と言われるジプシー(この言葉は差別語に抵触しましたっけ?、したらばご指摘ください)は、アーリア人の侵入によって所を追われたインドの先住民・ドラビダ人で、彼らもまた数珠様のような宗教具を持っていた、流浪の道すがらカトリック圏との接触の末、ロザリオになったという記述を、何かで読んだことがあります。ところがこの根拠をまるで失念し、おまけに先のHD破損でデータの一切を失ってしまったためにわからずにおります。何かご存じのことがありましたら、ご教示ください。

なお、この説に拠れば、ヒンドゥー(バラモン)教の法具であるジャパマーラーは、先住民の法具を模倣したか、あるいは影響を先住民に与えたか、その両方の可能性があることになります。

ちなみに輪廻転生の基礎となったのは先住民の「悪い行いをすると豚に生まれる」という土俗信仰がバラモンに取り入れられて発展したものであると、たしか長尾雅人師が書いていたと思います。(これまた消失データ)

さらにまたまた横道に逸れますが、旧約聖書に記述される洪水伝説と同様の記述は『マヌの法典』(インド)で見られ、たしかその記述は聖書よりも古層に属していたという研究があったとも記憶します。
この説は田辺繁子師が紹介していたかどうか、これまた消え失せたわたし個人のデータファイルにあったもので、いまは確認できずにおります。

これらの点、ご承知の所がありましたら、併せてご教示ください。

1040犀角独歩:2003/11/29(土) 12:12

> 1030 ドプチェクさん

>> 思考停止
> 非常に危険なものだと思います。

仰るとおりであろうかと存じます。

> 家族の者たち一人一人がそれぞれに御本尊を持っていた

同じように大量生産された印刷漫荼羅を各人が成果目的で所持しているとすれば、信仰心からしても不純なことですね。その線からのドプチェクさんの疑難であったと拝察します。

> 日蓮系でも富士門流と他門流…曼荼羅に対する捉え方の違いがある
> …あるいは、同じ富士門流の中でも

ええ、もちろん、あるでしょうね。
富士門流のなかでも石山と他山では違いますし、同じ石山系でも石山と学会は違い、顕正会も違いますね。でもその違いは、興師その人との漫荼羅観との相違よりは小さいと思えます。いまの学会を含む石山系の漫荼羅本尊観は興師その人とまるで違っています。そしてまた、興師、あるいは重須と、蓮師の漫荼羅観はまた違っているではないかというのがわたしの指摘してきたことです。

> 創価学会…御本尊書写の為の写真撮影が行われていた

いまの寛師ラミネート本尊、携帯本尊を作るのに、当然、写真撮影は行われているのでしょうが、これはいまのことに属しますか。

過去の事例でわたしが思い出すのは、板漫荼羅を正本堂遷座にする際、赤沢朝陽とその下請けによって修繕がされたわけですが、この際、聖教新聞社Hカメラマンが、詳細な写真撮影を行ったと聞いています。離間後、八王子牧口記念講堂に、この写真を元にした完全な板漫荼羅レプリカを安置する予定があったとかなかったとか。その実否は謎ですが、写真撮影は事実であると聞きました。

また、写真撮影とはややずれますが、九州からの団体登山は船舶を利用したもので、その際、船内各客室に置かれたテレビに映し出された漫荼羅本尊に向かって勤行をしていたということでしね。

それにしても複製を作るのに写真製版を使っている大本営を擁して、個人撮影は厳禁、整合性のない話であると思います。まさにナンセンスというしかありませんね。

> 日興上人…神社への参詣厳禁

この点について、日蓮宗で詳しい研究がされていました。
いまは失念していますが、現宗研、あるいは大崎学報のなかで読んで記憶があります。

> 「三沢抄」…信徒が神社へ参詣…否定されていたようには思えず

ええ、仰るとおりです。該当の部分は以下でしたか。

『三沢鈔』「うつぶさ(内房)の御事は御としよらせ(年老)給て御わたりありし。いたわしく(痛)をもひまいらせ候しかども、うぢがみ(氏神)へまいり(参)てあるついでと候しかば、けさん(見参)に入るならば定てつみ(罪)ふかかるべし。其故は神は所従なり、法華経は主君なり。所従のついでに主君へのけさんは世間にもをそれ候。其上尼の御身になり給てはまづ仏をさき(先)とすべし。かたがたの御とが(失)ありしかば、けさんせず候。此又尼ごぜん一人にはかぎらず。其外の人人もしもべ(下部)のゆ(温泉)のついでと申者を、あまたをひかへし(追返)て候」(真蹟在京都妙覚寺。内一九ノ二〇。遺二四ノ三四)

ここで蓮師が言う骨子は二つあります。一つは「神は所従なり、法華経は主君」、もう一つは「ついでと申者を、あまたをひかへし」という点でした。力点はむしろ後者で「ついで」ということに蓮師が腹を立てていた様子が窺えます。仰るとおり、所従の(氏)神参拝を批判したものとは受け取れません。

1041犀角独歩:2003/11/29(土) 12:13

―1040からつづく―

> 波木井実長が神社参詣

これはたしかに三島社の参詣に異義を唱えたと見えるわけですが、これが蓮師の直接の考えであるかどうか一考を要するのは当然のことでしょうね。

> 波木井実長の人物像

身延離山が円師との断絶を意味したかどうかという論点ですが、これは先に空き缶さんも指摘されていましたが、重須に興師が移ったのちも、交流があることが窺われるので、石山・学会のアナウンスは単なる創作物語であるというしかありません。
なによりわたしも指摘したことですが、『白蓮弟子分与申御筆御本尊目録事』に「甲斐国南部六郎入道者 日興第一弟子」と明記されているわけです。縁を切ったかつての弟子檀那には「背了(そむきおわんぬ)と書かれているのにも拘わらず、円師にはその記載が見られません。この目録の執筆は永仁6(1298)年、当の円師はその前年に死去しています。つまり、円師は逝去するまで興師の弟子であったことを物語っています。

> 波木井実長…「釈迦像を造立して本尊にした」

そうですね。わたしは、この点の興師の指摘は、蓮師随身の仏像がなくなったからと言って、新しいものを作っても本物に替えることはできないというのが興師の主張であったと思えます。仏像を興師が否定したわけではなかったでしょう。まして、大石寺には興師持仏堂があったことが漫荼羅への書き込みから窺えるわけで、興師が仏像を持していたのは史実であると思えます。その後、道師のころから漫荼羅本尊正意論が喧しく言われるようになった分析するのが執行師でした。興師は、蓮師在世、身延在住、石山持仏堂において仏像を立てていたことは至極当然の事実であったろうと推します。

> 何故実長の場合には批判される必要があったのか?

そうですね。ですから、仏像を立てることで円師が批判される理由は何一つなかったと思いいます。ただし、繰り返しになりますが、興師は昭師が持ち去って失した仏像の代わりを立てることに嫌悪を懐いたのであろうと思うわけです。

> 日代上人が離脱(追放?)…法華経全品の読誦の是非

全品読誦の是非ではなく、これは方便品の読不の仙師との論争となっていました。
しかし、ご指摘のとおり、代師の排斥は法門上の問題が際だってのことではないように思えます。

> 松戸氏の著書

ドプチェクさんにとっては有効な書であったということですね。

> 御本尊に対する畏敬の念や信仰心までもが次第に薄れつつある…心配

この意識の変遷は、かつてのわたしの経験でもあります。
漫荼羅を「本尊」ととらえたのはたしかに興師その人であったと思います。
しかし、わたしはこれは蓮師の素意とは違うと諸文献から、ほぼ結論づけています。
本尊は確実な真跡資料からすれば釈尊を置いてあるわけもありません。『本尊問答鈔』その他写本資糧から類し蛮勇を起こせば題目本尊の線も考えられると思います。しかし、いずれにしても漫荼羅全体を直ちに本尊とするのは御書から見る限り無理があります。
となれば、蓮師の素意を斟酌して信仰に励もうと思えば、石山・学会から植え込まれた本尊観は次第に薄れるのはむしろ自然なことであると、わたしには思えます。
心配されることではなく、蓮師の素意に基づくかぎり、自然なことです。

> 長年、御本尊を拝むのが基本…

これは正確に記せば、「蓮師漫荼羅を本尊と拝む」ということですね。
蓮師の素意からすれば、かなり特異な考えでありながら、石山・学会で至極当然の“常識”ととらえられている点でした。わたしはこの点に警鐘を鳴らしたわけです。

1042犀角独歩:2003/11/29(土) 17:27

【1041の訂正】

前)本尊は確実な真跡資料からすれば釈尊を置いてあるわけもありません
訂)本尊は確実な真跡資料からすれば釈尊をさし置いて、ほかにあるわけもありません

1043愚鈍凡夫:2003/11/29(土) 23:02
>>1039:犀角独歩さん、
ジプシーと数珠の関係ですが、資料がないので分かりません。 m(_ _)m

ところで、ネット・サーフィンしていたら、こんなHPを見つけました。

「民族@インド:ラジャスターン」
http://sekitori.hp.infoseek.co.jp/Hito/hito_India_sabak.html

「ホロコースト ジプシー」
http://www.mainichi.co.jp/life/family/syuppan/chronicle/holocaust4.html

「世界史ノート(古代編)」
http://www.sqr.or.jp/usr/akito-y/mokuji.html

1044Leo:2003/11/30(日) 00:40
犀角独歩さん、横レス失礼します。
>>1040
>離間後、八王子牧口記念講堂に、この写真を元にした完全な板漫荼羅レプリカを安置する予定があったとかなかったとか。
>その実否は謎ですが、写真撮影は事実であると聞きました。

八王子牧口記念会館は(通常なかなか入れませんが)ある機会があり入館したことがあります。
入り口を入ると広い空間(吹き抜け)がありました。

(入り口を入ると(不自然な?)大きな吹き抜けで、正面の壁にはヒマラヤ山脈の頂上を越える鳥を画いた大壁画があり、
上に上る途中には所々に珍宝が置いてありました(中でもよく覚えているのはハイビジョンTVを用いたバーチャルな
熱帯魚水槽です)最上階は大広間でかなり天井が高いです。他には、顕彰の品々の特別展示室や大きめの書籍部(売店)が
ありました。まあ、そのような建物です。)

1045顕正居士:2003/11/30(日) 02:19
>>1032 ドプチェクさん。

>境界線

は単純です。「我々の教会の宗教サービスのみが効果がある」というのはカルトです。
これはマルチ商法と同じです。たとえば、我々から購入した洗剤だけが「真の効果」がある
という。その洗剤は実際には他社より劣っており、かつ高額です。これを大量に購入させ、
知り合いに販売させる。販売に成功すると、親-子-孫-…の逆順でマージンが納められ
販売者には「実の効果」が生じます。宗教マルチの場合、マージンの額は決められては
いません。販売成績によって昇進し、収入が支出を越える地位である教団専従者に達し、
さらに資産に関与できる幹部の地位を目指します。創価学会の場合、歳費が税金から
支出される「議員」の地位を販売成績者に与え、自ら出費せずに多数の専従者を作った。

マルチ商法はマージンの逆順による納入が本質ですから、「商品」には関与しません。
他社より劣っている、かつ高額な擬似商品の押し売りで、会社や代表者はバッシングを
つねに受けます。宗教マルチでは創価学会や統一教会が実例です。他の新興宗教は
そういう立場になっていないでしょう。カルトには宗教マルチ以外のタイプもありえますが。

1046ガンコ:2003/11/30(日) 03:03

『清澄寺大衆中』における「日蓮が御本尊」とは何か? (独歩さん、愚鈍さん等へのお返事)

たいへん遅くなりました。
インターネットはまだまだ発展途上なのでしょうか、あるいはわたくしの調べ方がわるいのでしょうか、懸案について書かれているサイトはほとんどありませんでした。
唯一、山中講一郎氏がこの問題について触れていらっしゃいます。生意気を申しますが、山中氏の諸研究はやや学会チック?なところがありまして、全面的に賛同するわけにはまいらないのですけど、しかし、内容の濃さといい、広範さといい、傾聴にあたいするものであります。

まず、御書の該当部分をわたくしなりにかみ砕いて要を申せば、東条景信が清澄寺を念仏宗に改宗せしめようとした→大聖人がそうはさせまいと御本尊に祈った→一年以内に祈りが叶った・・・という流れであろうかと思います。

ところが、この出来事がいつのことなのか、いまだに判明していないのだそうです。 で、山中氏の推論は以下のとおりです。

まずここで述べられている「日蓮が御本尊」とは何かという問題がある。仮に「日蓮が御本尊の手に」とある御文を「日蓮が(清澄寺の)御本尊(である虚空蔵菩薩の)手に」と読むならば、他の時期にこの事件を設定することは不可能となり、立教直前の出来事と確定してもよいと思う。
なぜかなれば、立教後において虚空蔵菩薩に祈願することなどあり得ないからである。(晩年、弟子に虚空蔵菩薩の前で『報恩抄』を拝読させているが、それは祈願の為ではなくあくまで報恩の一環としてであった)
しかし、清澄寺の本尊を「御本尊」と呼ばれた例は無く、例外なく「虚空蔵菩薩」と述べている。
また、「御本尊の手にゆいつけて」とあるところから、この「御本尊」が仏像であることがわかるが、大聖人の御所持の仏像といえば、後の文永八年になって相模の依智で初めて紙幅の御本尊を認められるまでの間、所持の本尊として随身しておられたのは、伊豆流罪のおり、地頭の伊東氏から献上された釈迦仏の像以外には無い。
では随身仏を「御本尊」と呼ばれた例はあるのだろうか。
『神国王御書』に文永八年の法難を回想して
「其の外小菴には釈尊を本尊とし一切経を安置したりし其の室を刎ねこぼちて・仏像・経巻を諸人にふまするのみならず・糞泥にふみ入れ・日蓮が懐中に法華経を入れまいらせて候いしを・とりいだして頭をさんざんに打ちさいなむ」p1525 という御文があり、
ここに松葉ガ谷の草庵に安置していた釈尊を「本尊」と述べられている。この釈尊が大聖人の随身仏であることには異論はないと思う。
この『清澄寺大衆中』に述べられる「御本尊」が大聖人の随身仏だとすれば、東条氏との闘争は伊豆流罪地よりの帰還後弘長3年から帰郷される文永元年までの1年間ということになる。

http://www.ginpa.com/karagura/nenpu2/c32-07.html
http://www.ginpa.com/column/20001119.html

1047ガンコ:2003/11/30(日) 03:10

結局のところ、わたくしがかつて読んだものがなんだったのか、わかりませんでした。あるいはじぶんで御書を拝していて、そのように、つまり御本尊=虚空蔵菩薩と読んでしまったのかもしれません。ですから、いまは虚空蔵説に客観的な根拠を持ち合わせておりません。

たいへん失礼しました。

1048ガンコ:2003/11/30(日) 03:17

素朴な法勝人劣論

上のほうで、わたくしは法勝人劣を支持するむね述べましたが、顕正会員のクセに人法体一を言わないのはけしからん・・・と思われるといけないので、少し言い訳を書いておきます。

まず、人法一箇ならば、なぜ御観念文をべつべつにわけるのだろう? 順番もいわゆる仏・法・僧ではなく、法・仏・僧になっているし・・・

そしたら、なんと日蓮正宗の宗規には「本宗は、大曼荼羅を法宝とし、宗祖日蓮大聖人を仏宝とし、血脈付法の人日興上人を僧宝とする」とあるんだそうです。ああ、やっぱり、法仏僧なんだなあ、と思ったわけです。

当体義抄のわりと有名な部分には、
「至理は名無し、聖人理を観じて万物に名を付くる時、因果倶時・不思議の一法之有り。之を名づけて妙法蓮華と為す。此の妙法蓮華の一法に十界三千の諸法を具足して欠減無し。之を修行する者は仏因仏果同時に之を得るなり。聖人此の法を師と為して修行覚道したまへば、妙因妙果倶時に感得し給ふ。故に妙覚果満の如来と成り給ふなり。」
とあって、意味はさっぱりわからないけど、ともかく法のほうが先なんだと仰せになっているように思えます。
で、なんだかますますわからないけど、日寛上人の御指南には次のごとくあるようです。(孫引きだから、どの御指南かわからない)

「此れ須く分別すぺし、若し内体に約さば実に是れ体一なり。所謂法宝の全体即ち是れ仏宝なり、故に一念三干即自受用身と云い、又十界具足を方に名づけて円仏と云う也。亦復一器の水を一器に写す故に師弟亦体一なり。故に三宝一体也。若し外相に約さば任運勝劣あり。所謂、仏は法を以て師と為し、僧は仏を以て師と為す故也。故に法宝を以て中央に安置し、仏及び僧を以て左右に安置する也」

以前、苦悩乱者さんが「法前仏後」っておっしゃってましたが、なるほど、このことだったんだ、と思いました。

1049みかん:2003/11/30(日) 06:47
>>1038
旧約聖書は、ヘブライ語です。
新約聖書は、最初からギリシア語だそうです。
なんで最初からギリシア語で作成されたかは、下の本で読みましたが、忘れました。

新約聖書はなぜギリシア語で書かれたか
//www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4469212369/
書物としての新約聖書
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/432610113X/

1050Leo:2003/11/30(日) 10:09
>>1049 >新約聖書はなぜギリシア語で書かれたか

その当時の東方地中海世界の共通語がギリシャ語(コイネー)だったからですね。

(現在でもネストレ版ギリシャ語新約聖書が決定版あるいは底本とのことですね)

1051犀角独歩:2003/11/30(日) 10:23

1043 愚鈍凡夫さん:

有り難うございます。
ジプシーではなく、「ロマ」と呼ぶべきようですね。
また、ご紹介のHP、参考になりました。
殊にドイツの事例、改めて胸が痛みました。


1044 Leoさん:

有り難うございます。
八王子・牧口記念講堂の実地見聞、参考になりました。

1052犀角独歩:2003/11/30(日) 11:22

ガンコさん:

1046はなかなかの秀作でした。
参考になりました。また、ガンコさんの研鑽姿勢が窺えました。

1048について、「法勝人劣」で区切ってしまっていますが、それでは寛師の説明を途中でやめてしまっていることになるでしょう。ここでの結論は三宝一体を言うものでした。
ただ外相に約せば法勝人劣だということでしょう。内証を簡んで外相で説明をやめてはいけません。

以下、掲示板の
http://nakanihon.net/nb//log/log14.htm
1349 顕正会破折文からの「血脈否定は三宝破壊」 アッド 2001/08/18 20:20
はガンコさん的には参考になるところがあるのではないでしょうか。
もちろん、わたしは、この投稿には一々に疑難を投じるところばかりで、まったく用いるところはありませんが。ただし、浅井親子への破折は現石山義から言えば筋が通っていると思えます。

上述の投稿で興味深いのは、応師が法宝を「一期弘法」としている点でしょうか。これは板漫荼羅とするより正確であるとわたしには思えます。
上記、引用の応師『弁惑観心抄』の該当部分は以下のとおりです。

「日蓮とは仏宝なり一期弘法とは法宝なり本門弘通の大導師とは僧宝なり」(第4章 下種三宝を論ず 第51節 P204)

寛師教学からすれば、板漫荼羅は,
蓮師と恒一(体一)となるわけですから、その線から言えば仏宝に拝されなければならないでしょう。

仏宝 − 日蓮/板漫荼羅
法宝 − 一期弘法
僧宝 − 日興

ところが御影式奉安では仏宝を示せますが、しかし、客殿式奉安では以上のようにすると不整合が生じるわけでしょうね。

わたしは何度も繰り返しています。経典は法ではなく経典です。題目も法ではなく題目です。漫荼羅も法ではなく漫荼羅です。法は法であって、それ以外ではない。ただし、法は見えないし、言語道斷心行處滅です。ですから、凡下に示すに有形に託してしまうわけです。託さないのが智邈師の在り方であるけれど、蓮師は託したと言えると思います。
しかし有形に託してしまえば、そもそもそれは法そのものではないという限界を示した側は知っているわけです。ところが受け取る側は、その有形を法そのものであると思ってしまうわけです。

そんな延長でガンコさんが言うような法勝人劣論が語られるわけです。
これはしかし、以上の次第ですから、二重に取り違えているとわたしは言うわけです。
さてさて、如何に研鑽されるか楽しみです。

1053アネモネ:2003/11/30(日) 13:24
横レス御免なさい。
自己レス>1038の続きを少し…

キリスト教の「キリスト」とは、メシヤ(救い主)のギリシャ語ですから、キリスト教を日本語に直訳すれば、救世主教といったところになるでしょうか。
救世主思想が菩薩思想のルーツと近親関係にあるならば、菩薩教といってもいいかもしれません…。(もちろん、これは仮説の話ですので、読み流してください)
そして、クリスチャンとは、「キリストを信じる者」という意味ではなくて、「キリストに似た者」という意味だとか。ですから、イエスをキリスト(救世主)と見る信仰者は、イエスに習う救世の行いをしなければ、クリスチャンとはいえないわけですね。

ところで、なぜイエスを救世主と呼ぶのかは、ユダヤ教における預言書に由来し起因しますね。
ユダヤ人の預言書とは、聖書の中の旧約聖書の部分に書かれている書の中にあり、そこには、多くの神の言葉を預かったとする預言者の預言書があるわけです。救世主降誕の預言書は特に後半部分に数多くみられ、有名なところでは、イザヤ書と呼ばれるものがあります。

ところで聖書は、新旧いずれも、そこに集められたひとつひとつの書のタイトルには、その書を書いた著者の名前である場合が多いのです。ここが仏教経典とは大きく違うところといえるかもしれません。ですから、イザヤ書はイザヤという預言者が書いた書となります。
イザヤは、およそ紀元前700年ぐらいに、北イスラエル王国がアッシリヤの攻撃を受けて、ユダヤ人たちが捕らえられていった時代のユダヤ王国にいた予言者といわれています。
ユダヤ(イスラエル)という国は、ダビデ王によって栄えていた時代以外は、何度も何度もいろんな国に占領され、また国内的にも内戦を繰り返し、分裂したり一部消滅したりといった非常に複雑な歴史を持ちます。政治的な見方でいえば、内戦を繰り返して国内情勢が不安定な国は、外国からの侵略は免れない一面の真理ともいえます。
さらに最後は、イスラエルの地さえも追われて、ユダヤ人は流浪の民となってしまったわけですが、占領の時代が長く続いていた頃から、人々の中には救世主を求め待ち望む思いが非常に強かったわけです。
その思想のルーツは侵略の歴史的背景からいっても、独歩さんがよく書かれている、ミトラ信仰に繋がっていく説は、私としても非常に興味深いところです。

バビロン捕虜の時代の後、ペルシャがバビロンを制圧してパレスチナを占領します。紀元前614年のことです。仏教では、どのような時代でしょうか。
菩薩思想のルーツを求めて、ペルシャ帝国の研究も興味深いと思います。
ミトラについて興味深いサイトを検索しましたので参考まで。
http://www.hi-net.zaq.ne.jp/buakf907/bun032.htm

このサイトの中にもありますが、ユダヤ教には、カバラという占星術といいますか算術をもとにした秘儀があるわけですが、恐らく数珠といった算盤は必要だったのではないのかなと想像します。実際に数珠のようなものを使っていたのかどうかは、私の手持ちの資料では見当たりませんでしたけれでも…。

1054アネモネ:2003/11/30(日) 13:26
(つづき)
話を預言書に戻しますと、その旧約聖書イザヤ書の中にやがて救い主が到来すると言うメシヤ預言が記されているわけです。参考までにその一節をあげると、
9:6 ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。
とあるわけです。

しかし、ユダヤ教の預言者がいうところの救世主が誰であるかは、いわゆる近親憎悪のはじまる大きな分かれ目といえるかもしれません。
ユダヤの預言者が記す救世主とは、は恐らくイスラエルの民(ユダヤ人)を救う救世主を意味しているわけですから、ユダヤ教の祭司に批判的だったイエスを救世主とするわけなにはいかないのは当然ですね。イエスが救世主であっては都合が悪いわけで、だからこそイエスを法廷に引きずり出して処刑させたわけです。ですから、ユダヤ教の立場に立てば、イエスを救世主とみなさない以上、救世主の降誕の聖書の預言は、今日も尚待たれているということになるわけでしょうね。

余談になりますが、戦争と一言でいうと、武器をもってドンパチするのが戦争だと思いがちですが、実はそればかりではないといえるでしょう。たとえば、拉致やテロも戦争のひとつの手段ですし、スパイ活動も情報戦というひとつの手段ですし、そしてさらには思想戦という高等戦術もあります。
欧米列強は、世界中の資源と領土を制覇しようと、侵略の急先鋒として宣教師を送り込み一般人の思想懐柔をしてきたという見方が出来るわけです。キリスト教布教を巧みに利用した思想戦という側面において私は、イエスのことは今でも好きですが、キリスト教への思いは複雑です。同じように、布教の使命ということが強調される教えに対して、警戒してしまいます。
常に人々の純粋な信仰心や信念、そして善意が、大きな力、いわば権力に利用されるわけですが、戦争に利用された善意は、もはや善行といえるものではないでしょう。善意が悪行に利用されないように警戒することのほうが、善行といえるのではないかと思うものです。そのためには自分がしっかりしなければならないわれですから、布教や弘法がどうあるべきかということを、その考えを人に委ねたりせず、個々の信仰者が自ら常に自問自答してみる必要があると思いますね。この掲示板が、そのための意見交換の場である要素を持ち続けてほしいなと願います。

1055空き缶:2003/11/30(日) 15:25

犀角独歩さん

私は現在、某掲示板にてROCKさんという方と意見を交わしています。
ROCKさんの主張は、犀角独歩さんに非常に近いものがあると感じています。

ご参考までに「大聖人門下掲示板」http://jbbs.shitaraba.com/study/3171/です。

1056犀角独歩:2003/11/30(日) 16:00

空き缶さん:

1055でご紹介の掲示板、拝見しました。
当板でのご投稿も楽しみにしております。

1057ガンコ:2003/11/30(日) 19:06

独歩さん、コメントありがとうございます。

わたくしはもともと人法体一信者でして、法勝人劣にこだわっているわけではないのですが、ようは、この掲示板では常に根拠を求められるものですから、じぶんなりに御書を拝読してみたら、どうも法勝人劣っぽく感じてならないものでしたので、このところはそればっかりやっていたわけです。

そういうわけで、最終的には人法一箇に到達したい、と思ってんですけど、おそらくは、相伝にあらざれば、とか、習いそこないの夢にも知らざる、とか、迹仏等の思慮の及ぶところに非ず、とか、なんでしょうね。凡夫にはわかりっこないと。

でも、柄にもなく、案外に考えるのが好きなんで、わからないなりにももう少し勉強しようと思っているわけです。

1058愚鈍凡夫:2003/11/30(日) 21:33
横レス失礼します。

犀角独歩さん、お役に立てて幸いです。
小生は昔、映画でナチス・ドイツによるロマの人々への虐殺を知りました。
ホロコーストといえば、ユダヤ人ばかりがクローズアップされて、ロマの人々の存在が忘れられがちですが、この2つのホロコーストを忘れてはならないと思います。

>>1048:ガンコさんへ。
ガンコさんが引用されている文証は、日寛師の「三宝抄」です。

「一、問う、三宝に勝劣有り乎。
答ふ、此を分別須に、若し内証に約せば実に是れ体一なり。所謂法宝の全体即ち是れ仏宝なり、故に一念三千即自受用身と云ふ。又十界具足の方を名づけて円仏と云ふ也。亦復一器之水を一器に於て寫す故に師弟亦体一なり。故に三宝一体也。
若し外相に約せば任運勝劣あり。所謂、仏は法を以て師と為し、僧は仏を以て師と為す故也。故に法宝を以て中央に安置し、仏及び僧を以て左右に安置する也。」(三宝抄)

本分が漢文なので、読み下しが違うだけだと思います。ご参考までに。

1059心者雖念不直相鴨:2003/12/01(月) 01:58
無徳さん:

うろおぼえの記憶で済みませんが、以前このどこかの掲示板で、富士宗学要集を探していらっしゃるとの書き込みを読んだような記憶がありますが、現在ヤフーオークションで1-8まで、8冊で9000円(現在価格)で出ています。
期限は12月2日19時です。
http://page5.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/e33081403
探していらっしゃるのが別の方でしたらすみません。ご参考までに。

1060五月雨:2003/12/02(火) 10:26

素朴な疑問ですが…

いままで、ここの掲示板では正確な論拠を示しながら、真摯な議論が闘わされたと思っていたのですが、
「菩薩」に関しては違うのでしょうか。
伝統仏教では菩薩をどう言っているのか関係なくはないと思うのです。
日蓮さんも、菩薩を伝統仏教で解釈していたのではないですか?
もしも、日蓮さんがマザーテレサのように善行をする人こそ菩薩道を実践していると考えていたなら、
慈善家であった極楽寺良観を厳しく批判することは無かっただろうと思います。

それから、仏教信者でない人の仏教解釈には、私はずいぶんお世話になってる気がします。
この掲示板ではよく「中村元さん」の著書を引用されていますが、この方も仏教信者ではないそうですね。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~posteios/PROJ_B035.htm
「生きる指針を提示するのも学者の仕事」と語られる中村東大名誉教授の言葉に、深い思いやりを感じます。
仏教学者の研究があればこそ、石山の仏教もどきの教義のウソが暴かれたと言っても過言ではないと思います。

1061犀角独歩:2003/12/02(火) 14:45

愚鈍凡夫さん:

> ホロコースト…ロマの人々の存在

本当ですね。実に勉強になりました。
ロマの人々の祖先がインドに侵入したドラビダ人の末裔であるかどうか。もし、そうであれば、ホロコーストに匹敵する侵略虐殺の末、祖先は放浪を余儀なくされた人々であったのでしょうね。その末裔が、また断種不妊に掛かる強制的な手術を施され、根絶やしにするために迫害され、そして、大量虐殺される。このような悲劇が繰り返されないために、いったい仏教は何ができるのか、考えてみなければならない問題であると思いました。

貴重な資料の提示、重ねて御礼申し上げます。

1062犀角独歩:2003/12/02(火) 15:33

以下のようなページがあります。
宗教人間学の立場から仏と菩薩を考え、ハンセン病とエイズ患者のことを考えています。
岡田真美子の宗教人間学 第8講 【 菩薩と仏 】
http://www.hept.himeji-tech.ac.jp/~okadamk/001syukyo_08.htm

宮沢賢治は蓮師の思想を芸術にまで昇華した実践者でした。

『雨ニモマケズ』

風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋(いか)ラズ
イツモシヅカニワラツテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジヨウニ入レズニ
ヨクミキヽシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ
小サナ萱ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病氣ノコドモアレバ
行ツテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ツテソノ稻ノ束ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ツテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクワヤソシヨウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒデリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボウトヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハ
ナリタイ

この詩を法華経・不軽菩薩の精神に基づくとする解読は正鵠を得ているとわたしは思います。

「東に病気の子供があれば 行って看病してやり
 西に着かれた母あれば 行ってその稲の束を負い
 南に死に人あれば 行って怖がらなくていいと言い
 北に喧嘩や訴訟があれば つまらないからやめろと言い…」

この一節に不軽菩薩を見、感動を新たにしているのでしょう。
慈善活動に菩薩を観じることを不正確な仏教解釈などと思う人には宮沢賢治の尊い心を理解することはできないでしょう。

1063犀角独歩:2003/12/02(火) 15:40

【1062の訂正】

誤)南に死に人あれば 行って怖がらなくていいと言い
正)南に死にそうな人あれば 行って怖がらなくていいと言い

1064犀角独歩:2003/12/02(火) 16:48

『現代宗教研究』から

『「いのち」とビハーラ活動』石川浩徳師

抜粋「み仏の悲願を受けつぎ、共に菩提に至る菩薩行の具体的実践の一つが、ビハーラ活動である
http://www.genshu.gr.jp/DPJ/syoho/syoho31/s31_001.htm


日蓮宗医療問題研究会活動報告『ビハーラ活動の推進』

抜粋「…世界全体をビハーラにするために社会活動をし、高齢化や、病気や障害などで悩み苦しんでいる人たちのためにビハーラ活動をしていくことが求められている。
 …法華菩薩行の実践としてのビハーラ活動は、立正安国を宗是とするわが宗門人のなすべき社会教化活動であるというにとどまらず、仏教界全体の再興につながる活動であろう」
http://www.genshu.gr.jp/DPJ/syoho/syoho35/s35_060.htm


【ビハーラ】サンスクリット語で「休息の場所」の意。ビハーラ活動とは医療や福祉や地域社会との連携をもとに、寺院において、自宅において、あるいは病院や施設において、病気や障害、高齢化に悩む人たちと苦しみを共にし、精神的、身体的な苦痛を取り除き、安心が得られるよう支援する活動のこと。日蓮宗のビハーラ活動は、法華経安楽行品に説かれる安楽の供養をはじめ、六波羅蜜、四無量心、四摂法の実践であり、すべての人々が教えにふれて仏になることを願い導く、法華菩薩行と位置づけている。
http://www.genshu.gr.jp/DPJ/paper/1999/99030106.htm

以上、日蓮宗のサイトから。

1065犀角独歩:2003/12/02(火) 17:52

「いわゆる小乗に属するとされる部派のジャータカ文献などの仏教文学にも、自分を犠牲にして他者を救うという利他行が述べられていて、その意味で大乗の源流といいうるのではあるが、現実の教団の一般的な優勢としては、阿羅漢中心のエリート主義にかたむいていたのである。
 これに対し、大乗仏教では、すべての人々がブッダ(覚者)になりうる素質をそなえていると考えた。ブッダとなりうる素質が自己にそなわっている人々を菩薩(ボーディ・サットバ)という。(ジャータカなどでは、釈尊の前世を「菩薩」と呼ぶ。)そういう人びとは同時に他の人びとを菩薩にして、そうしてさらにさとりを開きしめたいと願うとされる。観音、文殊、普賢などの菩薩はすでにブッダになる能力をそなえていながら、しかも成仏しないで衆生の救済を続けていくと考えられる。
 このころになると、そういう菩薩の他にも、阿弥陀仏、弥勒仏、薬師如来などのブッダが崇拝されるようになった。これらの仏・菩薩は従来の仏典に登場してこなかったのである。われわれ日本人に親しい仏・菩薩の名は、大乗仏教の経典のなかではじめてあらわれたのである。そして、経典自体の崇拝も盛んになった。エリートではない修行僧や一般の信者は、仏塔、仏、菩薩、大乗経典などの超越的な対象にひたすら帰依することによって救済されることを願ったのである」(P40)

中村元編『仏教語散策』(東書選書)から引用。以上の続きの結論は、殊に具体的な活動をせず、宗教、あるいはその団体の中に埋没して是とする人にとって、強い警鐘となっています。

「きわめて難解な空理空論に没頭するものがおおぜい出てきた。もちろん高級な知的行為として、それはそれでよかったのだが、大多数の一派民衆の心は次第に仏教から離れ…インド国内では仏教は急激におとろえ、大乗仏教は中国、日本、チベットなどの外国のみでもてはやされるようになった」

同様に、経論釈にしかあらわれない架空の菩薩を延々と論じることは分権的な正確さを追求するうえで必要なことは言うまでもありませんが、己心に菩薩“界”を観る蓮師の在り方や、さらに実践の糧として菩薩“行”を考える篤志の模索が必要不可欠なのだとわたしは考えます。

1066ガンコ:2003/12/02(火) 19:21

素朴な意見

わたくしごときが五月雨さんに意見を言うのは恐れ多いですが、二つ三つ申し上げます。

このところ、キリスト教の話題が多いです。ことにマザーテレサに対する評価が高いように思えます。我が顕正会でこんな話をしたら、それこそ外道礼賛の謗法者といわれておしまいでしょうけど、この掲示板ではほとんどタブーがないわけですから、まあ、わたくしは知識がありませんから加わらないだけで、問題はないと思います。
すでに独歩さんがお示しのように、「無辜の悪人」すら「菩薩界の一分」と見るのが大聖人の御見解であり、その直後に「但仏界計り現じ難し」と仰せのことからしても、逆に言えば、仏界以外は現じ易いわけで、必ずしも仏弟子でなければ菩薩とは言えない、ってこともないのだろうと思います。
ちなみに、我が顕正会では“戒壇の大御本尊に縁する以外に仏界をあらわす方法はない”と言うわけですが、この掲示板では、一考を要する、ということなのでしょう。あ、いや、一考どころか十考も百考も要するって言われそうですね。もっとも、こんなこと顕正会の中で言ったら、文句なしの大謗法者で、即刻除名ですけど。
また、きわめて俗っぽい言い方ですが、ある種の人格者に「仏」を冠することもありますでしょ。わたくしもかつては「ホトケのガンさん」なんて呼ばれましたもの。(大うそ)
ですから、タブーなしで考えるならば、仏教徒以外に「菩薩」どころか「仏」を見ることすら視野に入れてもおかしくないし、すでに独歩さんのご所論はだいたいそういう傾向にあると思えます。

>もしも、日蓮さんがマザーテレサのように善行をする人こそ菩薩道を実践していると考えていたなら、慈善家であった極楽寺良観を厳しく批判することは無かっただろうと思います。

これはなかなか鋭いです。「善に付け悪につけ法華経をすつるは地獄の業」ですからね。これは動かないでしょう。しかしまた、この掲示板ではこの点すら疑っているわけです。まったく、おっかないですね、わたくし的には。
そこまで行かないにしても、「智者とは世間の法より外に仏法を行なはず」(減劫御書)とか「まことのみちは世間の事法にて候・・・世間の法が仏法の全体」(白米一俵御書)との仰せは、大聖人御みずから法華経信仰のあり方に深い示唆を与えて下さっていらして、やたら教条的過ぎるとうっかり何かを見失ってしまいかねない、というような思いを懐く、今日この頃です。

1067三吉:2003/12/02(火) 19:30
とりとめなく横から失礼。

①菩薩という人間像は、授記思想から生まれたと平川さんは言われています。
「ジャータカ」「弥勒菩薩」「仏伝文学の中の燃灯仏授記思想」が一般的に菩薩概念と結合して語られ、この掲示板でも「ジャータカ」との関連が当たり前のものとして論じられていますが、「ジャータカ」自体から菩薩概念が生まれたのではなく、元々あったジャータカに後代成立した菩薩概念を紀元前後に結合さし、現代人がジャータカと呼ぶものがジャータカの主流になったと言うことだ思います。ややこしい・・・。
(Aジャータカは、釈尊以前、「現在の人物・事件」に因んで過去を語る形式の単なる教訓話であった。B仏教はこの形式を主に僧侶に対する教訓話として説法の一形式(九部教の一支)として取り入れた。C前2Cバールハットレリーフのジャータカは、初期の生き残りであり、動物が人とが未分化なアニミズム的な素朴な状態を示す。釈尊の前世物語ではなく、釈尊と結びついてないジャータカが主流。D後1C後半マツラーのジャータカは、英雄的なジャータカで発展的な形態を示す。この頃緩やかに釈尊の前世物語に結び付けられる。E五ニカーヤ4阿含に教法が分類されたときジャータカは、あるいはバラバラになり、蔵外に集められ、僧侶に対する説法(生活上の教訓話)から、在家に対する説法と転化した。現代の南伝パーリのジャータカは、おもに在家用である)
弥勒も長阿含の大本経などにまず登場するが、弥勒菩薩というように菩薩として書かれていず、仏として描かれている。つまり弥勒と菩薩は、菩薩概念登場後、結びついた。
仏伝文学を作った最初期の仏弟子たちは、現代人と違い、人間ゴータマの伝記を書こうとしたのではなく、仏陀となるまでの原因、つまり成仏するのにはどれだけの努力が必要かという観点から描いたので、修行の困難さ、時間のかかることをやたらに強調する。「無量百千万劫」「無数劫時」の修行だそうである。しかし彼は、先輩(燃灯仏)を見て、菩提心を起こし、必ず仏になると決意し、しかも仏から将来仏になると保証される。
この将来仏という保証が、仏伝文学の特徴で、菩薩概念は、「仏になることを約束された修行者」としてはじまったといいうるかもしれない。

1068三吉:2003/12/02(火) 19:30
一般的に言われているジャータカと菩薩は、単純に結びつかないということをもう少し・・。
前2Cのバールハット遺跡碑文には、「菩薩」とジャータカレリーフが結びついてないことで知られており、1C後半のマツラー仏塔レリーフのジャータカと「菩薩」は結びつきます。
「菩薩」という語は仏教では古くはなく、部派には遡れるが、初期には遡れない。
前2Cから後1C後半までの間のいつかに部派それぞれに順次に生まれたのではないかと思います。(平川さんは、前2C説に立たれているが実証的ではない)
南伝パーリの「菩薩」は、仏となると確定している者の修行時代の表現として定型句的に使用されているらしい。「私がまだ正覚を得ない菩薩であった時」という定型句が数多く見られ、「成仏以前の釈尊は菩薩と呼ばれるべきだ」という理解があった、ということらしい。
説一切有部が伝持していたと言われている中・雑阿含に「菩薩」の語はないそうです(雑阿含のアショカ王伝の箇所ともう一箇所菩薩は見られるが後世の付加らしい)。ここで大事なのはパーリで「菩薩」と言っている箇所が漢訳中・雑阿含では菩薩が省かれている箇所がみられるということ。パーリに比し、中・雑阿含が特に古形なわけではないので、有部は最初菩薩概念を拒否し、部派時代が進むうちに「発智論」の頃より菩薩概念を受け入れた、と。(しかも一説によると有部には「発智論」を主張したグループと拒否したグループがあると言われている。地域で別れている。詳しい情報は未確認)
しかし、論書「発智論」や「大毘婆沙論」「異部宗輪論」などには菩薩は言及されており、その後有部は、南伝分別説部と菩薩概念を巡って解釈に対立・議論があっていたことをしられている。(32相がないと菩薩といえないと主張する「大毘婆沙論」と、それを批判する南伝派の雄ブッダゴーサ。32相があっても、転輪聖王になれば仏にならないと批判。有部説としてではなく、32相菩薩説は北道派所説として批判)

1069三吉:2003/12/02(火) 19:31
②大乗の菩薩は、誓願の菩薩

大乗の菩薩の特徴は、「仏になることを約束されてない菩薩」である。
個人的には仏となることは約束されてはいないが、でも約束されている存在という意味で菩薩なのであるが、その仏教的根拠は、自性清浄心である。これは部派では大衆部あたりが主張し、法華では、あらゆる人を蔑視しないという不軽菩薩の姿が象徴している。
その後、如来蔵思想や仏性思想になり、この板では評判の悪い天台本覚思想へと完結していくのだが、「伝統的な仏教解釈」は常に変化してきているし、同時代でも立場により菩薩を巡って対立しているし、「新しい仏教解釈」をそれぞれが出し、自分の一番うなづける解釈、ぴんとくる解釈を磨けばよいのではないかと思う。
ある人は、「智慧」がキーワードになるのだろうし、ある人には「善意の実践」なのであろうし・・・。私からすれば、「結果的に仏道に導くハタラキをする者、みな菩薩」だし・・。
ちなみに誓願の菩薩が問題になるのは、大乗の菩薩からであり、発生史的には最初期ではない。最初期は厳密に言っても仏になることを誓うだけで、四弘誓願などは起こさないし、煩悩の断滅も、大乗あるいは部派からであり、初期仏教は小欲知足でokなので、有余無余涅槃を言わない。(釈尊は悟ったと弟子を認めまくる。マハーカッサパは弟子入り後、八日目で悟っている。釈尊自体もたった六年間の修行で悟っている。菩薩という観念は釈尊になかったと思うが、マザーテレサの実践を見て、その宗教的な実践を見て、素晴らしいと感じたものが菩薩という語でテレサを賞賛して何の問題があるのかわからない。仏教語の解釈など元よりバラバラである。)

簡単に言えば(中村元選集。平川彰著作集。杉本卓州「菩薩−ジャータカからの探求」あたりの情報が根拠)、「菩薩」の人間像は、①未熟者②勇猛精進のツータイプに分かれる。
大乗初期には、情けない「退転の菩薩」も説かれるし、パーリジャータカに至っては、犯罪者の菩薩(菩薩が盗賊の首領になり追いはぎして生計をたてた話)すらいる。一方で、自らの財産のみならず、家族や自分の体まで「捨」し、「悟り」を究めんとする極端に勇ましい菩薩まで幅があるのだが(法華の代表的な菩薩はこの路線にいる)、「未熟」と「勇猛精進」という矛盾したものを内包しつつ、その概念は様々に解釈されるのだが、「他者に対する菩薩と言う賞賛」は、賞賛された人よりも賞賛している人にとって仏教的意味あるいは意義を持つのではないだろうか・・・以下略。

1070犀角独歩:2003/12/02(火) 21:23

おお、三吉さん、お久しぶりです。半年、いやいや、9カ月ぶりですか。

要するに、わたしがジャータカの釈尊前世物語を「菩薩」としたのは間違い、というご指摘でしょうか。なるほど。了解しました。本日、やや酩酊状態ですので、明日にも改めて記させていただきます。

実に精査なレス、有り難く拝読しました。

1071犀角独歩:2003/12/02(火) 21:26

読み直したら、間違っていました。

1065、以下、訂正します。

誤)架空の菩薩を延々と論じることは分権的な正確さを
正)架空の菩薩を延々と論じることは文献的な正確さを

1072三吉:2003/12/02(火) 21:57
要約すると、「菩薩」というのは、新しい仏教的な「人間像」である。
部派時代はじまった。(前2Cから紀元後1C後半のある時期)
強引に分ければ①未熟者②勇猛精進の人というツータイプに分かれる。
これは、「部派VS大乗」という分かれ方ではない。部派時代から解釈を
巡り議論があった。

恐らく、②の系譜は、「発智論」「大毘婆沙論」あるいは、マツラー遺跡、
大乗(法華など)へとツナラル系譜ではないかと。
※実証的には西のマツラー遺跡あたりに、勇猛な菩薩がはじめて現れ、
文献的には有部の32相説など神格化と勇猛精進こそが菩薩という説が
ありと。こういう整理法もあるのではと思っています。

1073無徳:2003/12/02(火) 23:52
心者雖念不直相鴨さん今晩は情報ありがとうございました。

しばらく、風邪でダウンしていたのでレスが遅れてすみませんでした。
私が探していますのは日蓮正宗歴代法主全集です。

神保町の東陽堂では15万円近くの価格が付いていましたので、もっと
安く手に入る方法が無いものかと思っています。

1074無徳:2003/12/03(水) 00:16
皆さん今晩は:

五月雨さんによる

>いままで、ここの掲示板では正確な論拠を示しながら、真摯な議論が闘わされたと
>思っていたのですが、
>「菩薩」に関しては違うのでしょうか。
>伝統仏教では菩薩をどう言っているのか関係なくはないと思うのです。
>日蓮さんも、菩薩を伝統仏教で解釈していたのではないですか?
>もしも、日蓮さんがマザーテレサのように善行をする人こそ菩薩道を実践している
>と考えていたなら、
>慈善家であった極楽寺良観を厳しく批判することは無かっただろうと思います

素朴な疑問としての問題提起は私には良く解ります。

そもそも、菩薩という概念は仏教上においての語源的には<悟りを求める人々>
ないしは<悟りを得た人々>を意味するそうですし、特に大乗仏教では菩薩は
悟り(仏)の世界から人間界に降りてきて、人々と共歓同苦しながら衆生救済
に努める存在(岩波の仏教辞典より)とされていますから、この掲示板におい
てのメルクマールとされている、文献主義及び証拠主義からすれば、マザーテ
レサのような方は菩薩的ないしは限りなく菩薩の様な方と形容すべきであって、
菩薩そのものとするのは如何なものでしょう?

1075みかん:2003/12/03(水) 00:44
他宗教の人に、●●さんは菩薩だ、とか菩薩のようだというのは失礼だと思いますよ。
それは、クリスチャンが、釈迦や日蓮や親鸞を、キリスト教の文脈で預言者だとか、聖者だとか福者だとかいうのが失礼なのと同様です。
なぜなら、他宗教の宗教的尊厳や、文脈を無視していて、無神経な行為だからです。
殉職した自衛官の妻が、夫を靖国神社に神として合祀されることに反対する訴訟を起こしたことがありますが、アレを想像して頂ければ、多少はわかるんじゃないですか。それでもわからないのであれば、語る余地はないですね。

それはさておき、キリスト者で菩薩とよばれるにふさわしい人というと、わたしはマイスター・エックハルトを思い浮かべるのですが。
マザーテレサはまったく思い浮かばなかったので、大変、マザーテレサが菩薩だとか菩薩に近い人だという言説には、奇異な印象を受けます。

マザーテレサが菩薩だという方は、仏教の根本的な救いなるものがピンと来てないんじゃないかと思います

これはなんとも言ってますが、仏教は「覚る」「成仏する」以外の、救いのコースを用意していないんですよ。
(浄土門でもそうです。往生して西方極楽浄土で成仏のための修行をするのです。また、親鸞においては、信心決定して大乗正定聚の数に入るというのは、開悟とほぼ同義です。)
だから、菩薩の善行は、他人を覚らせる、度脱指せる、彼岸にわたす、以外の者ではないのです。

ですので、菩薩の善行ってのは、相手を目覚めさせる、きづかせることだけです。
気づかせるためにあらゆる事(方便を含む)をするのです。(あらゆることってのがピンとこないんでしょうが、それはまた次回)
だから、宅間スレへのわたしの回答はたった一つです。宅間が本尊を持っていようといまいと、宅間が、こころから懴悔し、開悟し成仏すれば救われます。成仏しなければ、救われません。それだけです。

>アネモネさん
仏教と社会の関係については、三種類ぐらいの関係がありますが、(反社会・脱社会してのパーソナルな救いを求めること(釈迦の時代)、悲田院などの慈善事業、鎮護国家)
日蓮が選んだのは、3番目の鎮護国家と、1番目のパーソナルな救いの二種類だけです。日蓮は悲田院を立てるような慈善事業には携わりませんでしたし、批判的だったようです。
後の日蓮門下は悲田院を立てる寺もありましたけどね。身延山久遠寺とか。
これについてもまた次回。

1076アネモネ:2003/12/03(水) 01:16
>日蓮は悲田院を立てるような慈善事業には携わりませんでしたし、批判的だったようです。

ええ、そうですね。
ですから、私はこの点についての日蓮を評価しませんし、どんなに敬慕する日蓮といえども、今の私は、むしろ批判的に捉えています。

1077アネモネ:2003/12/03(水) 04:07
犀角独歩さん

>1065>大多数の一派民衆の心は次第に仏教から離れ…インド国内では仏教は急激におとろえた

このことにより…と言い切っていいのかどうかは自信がありませんが、結局インド国内は依然として厳格な身分制度が今日まで残り続け、その最下層の人々を救ってきたのが、キリスト教徒のマザー・テレサだったということに、私はある種の皮肉めいたものを感じずにはいられません。
さらにそのマザー・テレサの行動を菩薩というキーワードで論じようとしても尚、まだ、その難解な教義が厳格に立ちはだかっていくわけですね。そればかりか石山の僧侶の中には、地獄に落ちたとまで言ったという人もいると聞きますから、私は滑稽にさえ思えるところです。
菩薩であるかないかは、早い話が、いわばレッテル貼りみたいなものでもありますから、どっちだっていいのでしょう。しかし、世間的なことを前にしての、この仏教のあり方、要するに教義議論そのものに終始してしまうところが、私には解せないところでもあります。
遅れてしまいましたが、少し前のレスをご返信いたします。

>まず結論から言って、わたしは菩薩道は後期になるほど“堕落した”…超人化し、加護、祈祷の対象になった菩薩は、もはや菩薩道とは関係のない崇拝対象でした。

「信」についての議論を、「仏教にとって信とは何か」というスレッドでしたことがありました。
http://jbbs.shitaraba.com/bbs/read.cgi/study/364/1043190919/l100

ここで議論にのぼったバクティ運動にも関わってくることのように思えますね。
ちょうどそのときの独歩さんのレスにも、今書かれているようなことを示唆する意味のレスがありました。
http://jbbs.shitaraba.com/bbs/read.cgi/study/364/1043190919/r15

>では、法華経の菩薩はどうか、ここが焦点になります。…換言すれば経典(聖典)崇拝者でもあったわけですね。…これら菩薩は仏と法のために身を捨てていく人々…このような弘教の精神は法華持経者の模範とされるところです。

今ではまたそれがさらに進化して、「御本尊を持つ=法を持つ」となっているようにおもわれますね。日蓮の書いた御書ですら、法華経を御本尊と置き換えて読むようにと指導する僧侶もいたくらいですから、無理もないことで、経典(聖典)崇拝からも堕落していると思えるくらいです。

>しかし、わたしはこの菩薩の在り方に、敢えて疑義を立てます。本来の菩薩精神は違うと異論を述べようと思います。…著名なところで、法隆寺に遺る国宝・玉虫厨子に描かれた物語を例を挙げます。「捨身飼虎」と称される飢えた虎の親子に自分の身を捧げる“菩薩”行を図したものです。

聖徳太子が、自分の子供たちに話して聞かせて仏教物語だと聞きました。後に、その話の心を忘れなかった太子の長兄の山背大兄王は、聖徳太子亡き後、天皇の没後に皇位継承問題がおこると、古人大兄王を天皇にしようとする蘇我氏によって襲撃されたわけですが、そのとき山背大兄王は周りから挙兵して反撃することを勧められたものの、それをしりぞけて斑鳩寺で一族とともに自害したといわれています。多く民衆が戦乱に巻き込まれてしまうことを回避すべく、まさに「捨身飼虎」の精神を貫いた最期だったという解説を聞いたことがありました。
権力にしがみつかないことで、民衆を救ったという、これも菩薩道のひとつの形だと思いますね。そのような教えを説いた聖徳太子は、大乗仏教が説く菩薩精神に基づいて、四天王寺の境内に施薬院、悲田院、療病院、敬田院といった今日でいう、病院などの福祉施設を配置していますね。
http://users.arcmedia.co.jp/hosp/100/01_1.htm
こんなに古い時代に既に仏教を通しての菩薩道が、社会に実践的に生かされていたことに、もっと目を向けるべきだと思います。宗教が目指す高い精神性をいかに現社会に生かしていくかが大事だと思います。そこに本当の、信仰の自己実現があるようにも思います。

1078アネモネ:2003/12/03(水) 04:08
(つづき)
>ここで着目したいのは菩薩が身を捧げたのは、仏・法ではなく、畜生界の虎であったという点です。…わたしは、ここに菩薩道の遡源を見たいと思うわけです。

このことは、大変重要なことだと思います。つまり法華経一経だけでは知り得ない菩薩道の源流がここにあるわけですね。

>ところが現在の信仰者は、菩薩道と言いながら、その布施を捧げるのは、仏・法、あるいは教団、指導者に対してです。不信の人々にはただ法を弘めてそこで終わってしまいます。

私は、そこに菩薩を見る思いは全くないです。

>いかなる慈善行為のなかにも菩薩道は生きていると考えます。

私もそう思います。例えば電車で席を譲る。困っている人に親切にする。悲しみの中にいる人の心に向き合う…こうしたことだって小さくとも立派な菩薩行だと思います。
法は道に置き換えられると、教えてくださいました。私は、子供の頃からの宗教との関わりを振り返って、その時々で教えられたこととは、実は道徳心や倫理観や良心というものだったのではないかと思うのです。
道徳というと、教科のひとつと捉えてしまいがちですが、しかし、字に従うならば、徳の道ですから、まさに宗教の目指す精神性や人間性だと思いますね。徳を積むのが菩薩行であるならば、まさにそこに道(法)があるものだと思います。
世間の善行の中にこそ、菩薩行があると思いたいところです。まあこれは、私の信条的願望ですが。

>神仏を求め、あるいは求めずとも、悩める人・苦しむ人のために、実際の行動をしようとする心が菩提心の原型になっているという意味です。

本当ならば、神仏を求める人が率先垂範で菩薩道の模範を示してしかるべきだと思うんですね。ところが実際には、神仏を求める人の中よりも、かえって求めてもいない人の中に、悩める人・苦しむ人の為に尽くす菩薩を彷彿させる実践行動が見受けられる場合があるわけですね。ところが一方の徳の道を説くはずの神仏を求めさせる教団は、菩薩行だといっては布施ばかりを要求するわけです。そんな信仰活動で生活と時間をきりつめている信仰者は、自分と観念上の仏と法のことで精一杯で、本当の菩薩行であるところの利他行どころではないのが現実でしょうね。その現実を、マザー・テレサを通して突きつけられるとき、ことのほか反発してしまうのが、これも日蓮系の悲しいザガに思えてなりません。この点は、悲しいかな、極楽寺良観を厳しく批判した教祖日蓮にも起因するものなのではないでしょうか。まあ、しかしこれは、菩薩が何であるかがはっきりしていない段階では、私の個人的観測であって、正当な批判にはなり得ないかもしれません。

>教団・指導者に自分の利益を願って散財をするより、支援を必要とする人々に、その罪過を手向けることのほうが、わたしはよほど菩薩の精神に適うと思うものです。

仰るとおりだと思います。
教団・指導者に自分の利益を願って散財をしたのは、菩薩行をした気になったという自己満足か気休めでしょう。それでも、教団そのものが集めた布施でもって慈善活動をしているというならば話は違ってきますが、慈善活動そのものを否定するような指導からして、そのような見識も意識もまるでないものと判断されますね。

1079アネモネ:2003/12/03(水) 04:08
(つづき)
>また、このような菩薩道は、なにもわたしがここに記すまでもなく、日本仏教のなかでもかつて営々と培われ実践されたことでした。この点については『創価学会の功績を考える』のスレッドで、『現代宗教研究』第37巻掲載の『日蓮宗のビハーラ活動 ― その理念と意義』を紹介しました。また、このような活動は他教団でも広く認識、実践されているところです。

先ほど書きました聖徳太子の功績として紹介したことは、まさにこのことだったのですね。ここはとても重要なところだと思いますので、そのときの独歩さんのレスを、ここに再度紹介しておきます。
http://jbbs.shitaraba.com/bbs/read.cgi/study/364/1015575530/r733
日本の仏教徒は、このことに目を向けて菩薩道とは何かを通して、仏法を鑑みる必要があると思います。

>ただし、アネモネさんが菩薩の蓄財を戒めるのはやや意味が違うかも知れませんね。
仏法名目で財貨を募り、それを着服する横領詐欺行為を糾弾してこのことと拝察いたします。

民衆救済の為の蓄財というのも、現代では、もしかしたら必要かもしれません。
一般民衆は、常に天災や飢饉や戦争の被害に巻き込まれ脅かされている存在なわけですね。そのような時の救済のための蓄財ならば、それも菩薩行といえるかもしれません。
平安時代の米の備蓄という「義倉」の習慣とは、そのような精神に基づくものであり、また実際に多くの民が「義倉」によって天災や飢饉から命を守られたと聞きます。
ところが鎌倉時代になってからは、そのような仏教精神を置き去りにした御政道により、「義倉」の習慣はすっかり忘れられてしまい、天災や飢饉が起きれば民衆はたちまちのうちに生命の危機にさらされてしまっていたわけですね。
日蓮の「立正安国論」はまさにそのような背景から書いたものだとも聞いたことがあります。そのような意味で、日蓮の諌暁という行動原理もまさに菩薩精神に基づく行いだったと思います。さらな行いとしての形は違いますが、極楽寺良観も菩薩精神に基づく行いをされていたと思いますね。私は、民衆のためには、両方必要だろうと思います。

>「神仏に仕えるはずの集団と人間が莫大な布施・献金を着服する。これを中間搾取といわずして、ほかになんと言えばよいのであろうか。それら集団と指導者は、神仏と信者の中間に立ってすべてを持ち去るのである」(拙書『あなたは違う方向に歩いている』前書)

痛切に鋭い指摘ですね。信者は、迷える人々で、迷える人々だからこそ、それが善行だと言われれば、言われるままに従うわけです。そのような善意の布施や献金や供養や財務のお金を、信者がどれほど大変な苦労を経て得たものであるか。その庶民的感覚からして、指導者はわかっていないだろうと思いますね。

>菩薩道はジャータカに見られるものの、それはシャキャムニと遡源できるものではないと思えます。後世の新たな展開であったのでしょう。けれど、人類の秀でた精神活動である菩薩道が、仮にシャキャムニに由来するものでなくとも採用すべきであるというのが、わたしの考えです。

というと、もしかしてもしかすると、「仏の慈悲」ということも、後世の解釈なのでしょうか。いや、お釈迦さまに慈悲がないということではなくて、菩薩と同じくお釈迦さまに慈悲を見い出したのは後世の人なのだろうか…といった疑問です。

>シャキャムニは自身が仏陀(覚者)である自覚はあったでしょうが、自身を崇めさせたり拝ませたりする考えは元よりなかったでしょう。

仏陀(覚者)である自覚を持ちながら、自分を崇めさせなかったということは、非常に大事なポイントだと思います。言い換えれば、仏陀(覚者)を崇めたところで、仏陀(覚者)にはなれないということですよね。だからこそ、本尊とすべきは自灯明と法灯明ということであり、そのための八正道という実践方法が求められるのだろうと思います。…という理解で間違いではないでしょうか。

1080アネモネ:2003/12/03(水) 04:09
(つづき)
>不軽菩薩は、法華経不信の人にも礼拝
むしろ、不信にこその礼拝であったというコンセプトの物語ですね

そのように読み学ぶことが重要ですね。この精神はとても崇高な教えだと思います。

>> …裕福故に神の国に招かれないのではないのかという不安や恐れがあった
>これは実に興味深い話であると思いました。
差詰め、日本で言えば「清貧の思想」と言ったところでしょうか。

もっと噛み砕けば、「心は錦」…でしょうか。
日蓮さんの生き方の中には、そんな清貧の思想が強く見られますね。時代的限界もあって、今の私としてはもはや日蓮さんを絶対視は出来ませんが、しかし、そういうところは本当に今でも敬愛しますね。もっと言えば、私の知る、石山の僧侶に日蓮の「清貧の思想」や「心の錦」を見ることが出来なかったというところですね。

>中世キリスト教の悪い面ばかりを取り沙汰してきたものでした。

実際には仰るとおりだったと思います。裕福故に神の国に招かれないのではないのかという不安や恐れといった、富裕層の善意も、やがては慈善活動よりも免罪符という形で、聖職者に利用されてきた歴史のほうが大きいですね。結局、古今東西、それが人間の欲望の真の姿なのだろうと思います。だからこそ、そこに陥らない心の錦を持った聖職者が尊く求められるわけですね。今の時代も、潜在的には全く変わらないと思います。

>しかし、ここ10年、多くのキリスト者である聖職者との交流を通じて、彼らの社会活動を見聞し、そして共に歩むなかで、その評価を大きく書き換えてきました。
魔女狩りから慈善運動への変遷、それを日本仏教も見習わなければいけないと考えています。

もともと、日本仏教によって慈善運動の精神は社会的に生かされていたわけですからね。そのことを思い起こす必要があるでしょうね。

>>法華経成立の背景もどこか似ているようにも思われますね。
>これはちょっとわたしには解せないのですが、どのような意味で仰っているのでしょうか。

言葉足らずでしたね。何で読んだのか教わったのか、その根拠を示せませんが、法華経を創作した人々というのは、商人であったと記憶しています。その信仰によって、富を得て、その報恩のために、宝塔を立て経典を奉ったと聞きました。富の還元ということの、具体的な還元先が違ってはいますが、その志がどこか似ているようにも思えました。

>南無妙法蓮華経は、聖典に帰命し、それを本尊視するものである、これが題目本尊であるわけですから、実に類型をなしていると思えます。

別のスレッドで、「神の名」ということについてレスをしましたが、神の名と題目は、何か共通点を見る思いがします。

>象徴の病が取り沙汰されるのは、健全な精神を封殺し、人間が生み出したものにかえって人間が呪縛されてしまう不健全さを指摘してのことです。

本当に仰るとおりです。人間が幸福に生きるための信仰のはずなのに、信仰によって精神が病んでしまっては、意味がないですね。

>人間は自分たちが生み出した神仏(とその概念)に支配されることなく、健全な精神状態で生きること、その前提からの仏教再考であるべきですね。

賛同いたします。

1081犀角独歩:2003/12/03(水) 04:16

無徳さん:

マザーテレサが菩薩であるかどうかなどという議論はそもそもされているわけではありません。空理空論の菩薩論より、マザーテレサの実践に菩薩を感じるといっているわけです。

如何に高尚な理論を弄んでも、実社会に対して何ら功利的な活動を行わない教義を擁する集団と個人は受け容れられることはない。それが日蓮本仏圏の欠点であるという議論をしているのです。

菩薩に関する現日蓮門下一般の考えは1064に記しましたので、ご参考にどうぞ。

1082犀角独歩:2003/12/03(水) 04:30

みかんさん:

> 他宗教の人に、●●さんは菩薩だ、とか菩薩のようだというのは失礼

では、マイスター・エックハルトを菩薩と呼ぶにふさわしいと言えば失礼と言うことになりますね(笑)

> 仏教の根本的な救いなるものがピンと来てない

そうではなく、現実社会との接点で、「菩薩」はどうあるべきかを論じる時点で、経釈論を越えて考えると言うことです。ピンと来ていないなどというのは実際の現場に立たないで解釈を弄ぶ側にこそ言えることではないでしょうか。

みかんさんが提示する仏教で言う菩薩の説明を何ら否定しているわけでも何でもありません。けれど、それが、たとえば日蓮宗のビハーラ運動の現場で法華菩薩行を再定義して実践に供するようにされていかなければ、単に絵に描いた餅になってしまうと言っているわけです。みかんさんが言うように、菩薩が「気づき」のみの意味しかないのであれば、実践の現場では、そんな菩薩解釈は何も役に立たない、それだけのことです。

マザーテレサが世界的に評価された慈善実践家であれば、仏教の菩薩解釈のなかにも積極的に採り入れられればよいと言っているに過ぎません。

ここで、マザーテレサが菩薩かどうかを議論しているわけではありません。
菩薩道を標榜する仏教徒はマザーテレサを見習う実践を行うべきであるといっているだけです。

1083犀角独歩:2003/12/03(水) 04:48

日蓮が慈善事業に携わらなかったという意見について

蓮師は慈善事業にこそ携わらなかったかも知れませんが、その布教は、今で言う慈善意識に端を発していたという見方を高木豊師はしています。

「地震…飢饉…鎌倉に在住した日蓮は被害者・罹災者として、この災害を体験している。このことは、多くの罹災者との連帯感を懐かせていったろう。自らが苦しむことによって、ひとはひとつにつながるのである。のちに日蓮は救済のための受苦という考え方に到達する。それは、他の苦しみを自分がかわって受けようとすることで、仏の慈悲の継承展開である。この考えの出発点は、頻発した災害のなかでの人びとの苦しみを共感共有したことにあったと考えるのである。…災害による多数者の死は日蓮に強烈な印象を与えたにちがいないのである。…個人の喜びも悲しみも、社会・国家の安穏なくしてはあり得ないという思いを罹災者であった日蓮はひしひしと感じたであろう。…仏教者として災害の問題を受けとり、仏教者としての解答を出そうとした」(増補改訂『日蓮』太田出版 P52)

1084犀角独歩:2003/12/03(水) 05:04

改めて三吉さん:

> 1067 (1)で仰ることは、要はジャータカの自己犠牲などを語る釈尊の前世物語が発展して菩薩思想になったのではなく、菩薩思想はジャータカとは別に弥勒思想その他で仏教に摂取され、その後、ジャータカに採り入れられたということなのでしょうね。
有り難うございます。参考になりました。

> 弥勒と菩薩は、菩薩概念登場後、結びついた

なるほど。この点も大いに参考になりました。

> 1069 (2)
> マザーテレサの実践を見て、その宗教的な実践を見て、素晴らしいと感じたものが菩薩という語でテレサを賞賛して何の問題があるのかわからない。仏教語の解釈など元よりバラバラである。)

もっともであると思います。賛同します。

問題があるとすれば、単に仏教語を弄んで実践に供しようとしない空理空論のほうですね。日蓮本仏系では、ここに欠陥があります。この欠陥を議論しようとすると、マザーテレサは菩薩ではないとかあるとか、言葉尻で実践議論から脱線するわけです。ここにこの門流の、深刻な現実乖離が存するとわたしは思うわけです。

1085三吉:2003/12/03(水) 07:58
<他宗教の人に、●●さんは菩薩だ、とか菩薩のようだというのは失礼だと思いますよ。>

ですね。だから不軽菩薩はみんなから「石を投げつれられた」わけです。
別に仏になりたいと思ってない人に向かい、「あなたは将来仏になる人です。なむぅ」とかなんとか言いましたから。迷惑な話です。
(ただ宗教的行為としてテレサを菩薩と祭っているわけではなく、掲示板で菩薩と賞賛しているのは、言葉はともかく意識としては聖者と賞賛しているのと同列である。靖国が親鸞を神として祭ったら念仏者デモすると思う。が、キリスト教徒が個人的発言として親鸞を聖者と言っても念仏者は喜ぶだけであろう。まず起こったりはしないと思う)
その意識にない人に向かって大乗が「仏・菩薩」と賞賛しうる教義的根拠は「自性清浄心」ですね。極端な立場になると「元々悟っているんだ」となる。浄土教系では「10劫安心」といって、法蔵菩薩が大昔に弥陀になったとき、あらゆるひとが同時に救われたという説になる。「元々救われているんだ」と。

<仏教は「覚る」「成仏する」以外の、救いのコースを用意していないんですよ。>

仏教に詳しい方に多い見解なのですが、どうしてこういう実証的ではない誤解が流布するのか不思議です。
これは「出家」はそうなのかもしれませんが、「在家」は違います。
「在家」の基本は「生天」です。釈尊は「出家成仏コース」と「在家生天コース」の2コースを用意した。伝承からは、出家優位主義は釈尊以来なのか、弟子からなのかは不明だが、「在家生天コース」は、次生において悟りを目指すのだよと解釈する立場もありうるが、生天という救いが釈尊以前から用意されており、とりあえず釈尊はそれに乗った。

1086三吉:2003/12/03(水) 07:58
<親鸞・・・開悟とほぼ同義>
蛇足です
ほぼねぇぇぇ、うーむぅ。どれくらいをほぼといわれているのかわからんが汗。
たぶん、真宗にさほど関心のない人に真宗はそもそも理解不能な奇異な仏教観を持っていると感じられるのではないかと思う。で、自分の立場から、「正定聚」は開悟と同義と感じると言われるならば、「なるほどね」という感想しか抱かないのだが、つまり主観ならばね。客観的事実として「ほぼ同義」ならば、疑問がむくむくと起こる。
「即時」に「正定聚」なのであるが、続きがある。「必至滅度」と。必ず滅度に至る。
で、私は「滅度」が「開悟」とほぼ同義だと思うのだが、真宗派のスタンダードでは、「正定聚」は生きているうちで、滅度は死後になる。二種の利益があるんだと言われる。生きているうちに「正定聚」。死んだら、「滅度」と。この二つが一体なんだという解釈は「異端」説と激しく批判されるのたが・・・親鸞は「この世あの世」で二つを分けていない。
滅度は親鸞に拠れば、静かではない動的である。滅度=弥陀になることで、弥陀になるとは、あらゆる姿・形・手段もってみんなを仏道に入れようとするハタラキにほかならない。
「正定聚に住するがゆえに、必ず滅度に至る。必ず滅度に至るは、すなわちこれ常楽なり。常楽はすなわちこれ畢竟寂滅なり。寂滅はすなわちこれ無上涅槃なり。無上涅槃はすなわちこれ無為法身なり。無為法身はすなわちこれ実相なり。実相はすなわちこれ法性なり。法性はすなわちこれ真如なり。真如はすなわちこれ一如なり。しかれば弥陀如来は如より来生して、報・応・化種種の身を示し現わしたまうなり。(略) 『論註』に曰わく、「還相」とは、かの土に生じ已りて、奢摩他・毘婆舎那・方便力成就することを得て、生死の稠林に回入して、一切衆生を教化して、共に仏道に向かえしむるなり。もしは往、もしは還、みな衆生を抜いて、生死海を渡せんがためなり。このゆえに「回向を首として、大悲心を成就することを得たまえるがゆえに」(論)と言えりと(顕浄土真実証文類四)」

※元々経典では、「正定聚」は浄土に生まれた後の益なのだが、親鸞は「即時」と現在にもってきた。後代弟子たちは、「正定聚」は現在。「滅度」は死後と分けた。なんで真宗の「還相」解釈は混乱している。

1087犀角独歩:2003/12/03(水) 12:07

アネモネさん:

わたしによくメールを下さる社会活動家でもある浄土宗のお坊さんの推薦するサイトを見ると以下のように記されていました。

「いま1000円あれば、

 朝ごはんを食べられない子どもの給食が1ヶ月できます。
 10人の子どもの聴力検査ができます。  (ガザ地区)
 子ども1人の虫歯の治療と、歯ブラシ半年分が買えます。
 乳幼児1人のミルク半年分が買えます。  (レバノン)」
  http://plaza17.mbn.or.jp/~CCP/help/help.html

日本人にとって1000円はわずかな金額です。しかし、その1000円でこれだけのことができるのかとわたしは感嘆しました。

ある日蓮宗のお坊さんが話してくれました。「創価学会や日蓮正宗は、日蓮宗の寺に賽銭箱があることを非難する。冗談じゃない。この賽銭箱で集められたお金で、経済的支援が必要な世界の国に学校を建てて寄進しているんだ」。あまり知られていない話だと思います。

わたしは40歳まで学会から石山で教学に係る立場で生きてきました。
その教学は人と国を救うものであると信じていました。
組織への従属は間接的であれ、自分が世界平和に貢献できる最高の方途であると信じていました。しかし、実際は違っていました。掛け声とお題目だけで、内実は何も伴っていなかったのです。先に『創価学会の功績を考える』スレッドで「創価学会の社会的な功績を上げてください」と問いました。案の定、何一つ、具体的な功績は上がることはありませんでした。しかし、これは学会一つの問題点ではありませんね。顕正会しかり、石山もまったく同様です。ここのところでより明確になったように、日蓮本仏論者は社会活動に無関心な行動の伴わないお題目だけの存在であると映じるだけでした。差詰め、教学に夢中になる様が教学オタクならば、活動に没頭する様は勧誘オタクといったところでしょうか。どんなに難解な教学を弄ぼうが、寝食を惜しんで活動しようが、現実的な支援救済には何の役にも立っていないのです。

反面、宗教を真剣に考える人たちは、その宗教に基づいて自分たちが何ができるのかを真剣に考え出し、実践をはじめています。しかし、その力はまだまだ微力です。

一説に拠れば、創価学会は7兆円、大石寺は1兆円の資産を要していると言います。
創価学会実働会員数400万乃至800万人、石山は10万人程度でしょうか。
8兆円と800万人。もし、この人達が、あるべき姿に目覚め、実践活動に邁進すれば、日本のみならず、世界までも変えることができると、わたしは思っています。
集団内のためではなく、民衆と国家、ひいては世界のために活動をはじめれば、日本と世界を変えられる資金と人的資源を、集団と指導者が出し惜しみをしているわけです。

1088犀角独歩:2003/12/03(水) 12:08

―1087からつづく―

しかし、現実を直視する仏教再考は、ある時、集団と信者に目覚めさせるときがやってこさせるかも知れません。いまのところ、集団と指導者がそのように目覚めることは期待できない状況にあると思えます。であれば、各個人が、いままで集団と指導者に向けてきた献金と労働力を実際に飢え・病み・苦しんでいる人たちに手向けていけばよいとわたしは思うわけです。脱集団志向はここで意味を持ちます。わたしの発想の原点は常にここにあります。

わたしはかつて小著のなかで以下のように記しました。

「わたしが人間を考えるとき、その基本には、障害者として過ごした姉があり、喝采のない家の中で、姉を介護する母の後ろ姿がありました。
 人を愛するとか、慈悲の精神などと、心地よい言葉を吐くことはた易いことであると思います。しかし、そんな心地よい言葉だけでは何も変わりません
 大衆の前で説教を行い一身に尊敬を集める人よりも、汗まみれ・汚物まみれになって働く無名の一人が尊い。わたしの眼にはそう映ります」

いまから5年前に記した一節です。
豪奢な袈裟衣を着して朗々と語られる説法も、びしっとした背広ネクタイ姿で大衆の前で得々と語られるスピーチも、わたしの耳には虚しく響きます。そんな虚飾と名誉で自分を偉く見せることに腐心する“裸の王様”が尊敬される時代は終わりにしなければいけない。罹災の危険を顧みず病の人を抱き起こし、災害に身体の危険を顧みず被災者の救済に向かい、銃弾をくぐり、さらに劣化ウラン弾の放射能被爆の危険を顧みず傷ついた人びとを救い出す人びとにわたしは菩薩を見ます。日本国内にあっても超高齢化社会を迎え、支援を必要とする老人は巷に溢れ、健常者用に構築された社会構造のなかで阻害され、支援を必要とするハンディーを背負う方々は多くいます。そのような社会的、あるいは世界的な弱者の下に赴き、血まみれ・汚物まみれになって実践する心情が、菩薩と無縁であるというのであれば、わたしはそんな菩薩は不要であると断言します。しかし、むしろ、宮沢賢治が「東に病気の子供があれば 行って看病してやり  西に着かれた母あれば 行ってその稲の束を負い  南に死に人あれば 行って怖がらなくていいと言い  北に喧嘩や訴訟があれば つまらないからやめろと言い…」と記した人に、法華・日蓮を意識しながら、「そういう者にわたしはなりたい」と思います。

いただいたご返信には改めてレスさせていただきます。
有り難うございました。

1089犀角独歩:2003/12/03(水) 16:45

【1088の訂正】

誤)罹災の危険を顧みず病の人を抱き起こし
正)罹患の危険を顧みず病の人を抱き起こし

1090心者雖念不直相鴨:2003/12/03(水) 18:06
[1073]無得さん:

>私が探していますのは日蓮正宗歴代法主全集です。

大変な、勘違いですみませんでした。今度は、間違えないようにメモしておきますのでお許しくださいm(__)m。

1091犀角独歩:2003/12/03(水) 18:36

わたしがここで呈示する素朴な疑問は、なぜ日蓮本仏論者は具体的なボランティア、人道支援、社会還元等の慈善活動に無関心なのかという点です。

それは宗祖、蓮師に関連することなのか、それとも、その解釈によるのか、天台、または法華経そのものによるのか、あるいは現代の日蓮本仏を語る集団と指導者に起因することなのかという疑問です。

少し長い引用をさせていただきます。
渡辺照宏師は

「仏教者にかぎらず、およそ宗教家としての評価の基準は、その精神的体験の深さとともに、対人間的にどう行動したかという点にあると考えられる。単に信者の喜びそうな文句を綴るとか、、ハッタリで人をおどしつけるだけでは本当の宗教家とは言われない。たとえ後世たまたま大宗教家の開祖と仰がれる幸運を荷ったとしてもこのことに変わりはない。道元の言葉として「仏家には教の殊劣(勝劣)を対論することなく、法の浅深を選ばず、ただし修行の真偽を知るべし」とあるが、その修行の真偽は対人関係においてはじめて識別されると言ってよかろう。わずかに信者の仕送りによって余命をささえながら、口先だけの指導をしていた親鸞や日蓮が仏教者の典型であるとは少なくともわたしには納得できない」(『日本の仏教』岩波新書 P42)

最後の一文を読めば、親鸞・日蓮信者は眉をひそめるけれど、わたしはこの渡辺師の指摘に耳を傾けたい。親鸞師のことは、ここ富士門ではさておきます。
蓮師の対する厳しい批評はさらに続きます。

「日蓮自身の言葉…その表現において自己意識過剰であると同時に、内容から見ても、ただ自分一人のみが『法華経』によって日本を救うことができると主張しているのである。彼はまた「此国は神国なり」といい、「国土の泰平、天下の安穏」をねがっているのであるが、自分の言うことを聞かないから『これ偏(ひとえ)に日本国の上下万人、一人もなく法華経の強敵(ごうてき)となりて、年久しくなりぬれば、大禍つもり、大鬼神の各々に身に入る上に蒙古国の牒状に正念をぬかれて狂ふなり』。
 日蓮がいくらりきんでも、彼の声は結局のところ幕府の下層官吏の耳までしか届かなかったし、彼自身の国家観は現実味の乏しい観念的なものにすぎなかった。国家が彼の言うとおりに『法華経』の信仰を唯一の正しいものと認めて、他のすべての宗派を禁止すれば、日本国は栄えるし、そもなければ、国は滅びる他ないというのである。言いかえれば、自分の宗派を唯一の国教として認め、他のすべてを弾圧せよというのである。仏教史全体を通じて、他に類例のない独善主義であって、仏教の寛容の精神から見て、まったく非仏教的な態度と言わなければならない。これは日蓮が『日本第一の智者となし給へ』と幼少の時より虚空蔵菩薩に願を立てた(空海と同じである)というのにもかかわらず、仏教の基礎的知識を欠いているためである。日蓮は志を得ず不遇のままに死去したが、このような独善主義は、後世もしばしば他宗派との間に物議をかもした。日蓮の主張する国家主義は明治以降に復活された。明治13年に田中智学の創始した蓮華会(のちの立正安国会、国柱会)がその著しいものであ、この会は政治家や軍人にも影響してファシズムを鼓舞した。日蓮宗系統の信仰疑似宗教団体には単に個人の救済を標榜するものが多いが、日蓮正宗の外郭団体である創価学会はこの宗派をもって日本の唯一の国教と定め、他のすべての宗教の禁圧を目標とするものであるから、日蓮の国家主義の現代版といえる。ただし日蓮自身は生涯不遇であったから、ただ主観的な構想のみにとどまり、活動が具体化されることはなかったのである。日蓮ないし日蓮の流れをくむ人の考え方は、自分の宗派を国家権力と結びつけ、思想や言論の統制を図ろうとするものであるから、この点、注意すべきである」(同 P50)

1092犀角独歩:2003/12/03(水) 18:37

―1091からつづく―

さらにその批判は法華経にも及びます。

「『法華経は大衆的な信仰の書である。「マハーヤーナ仏教のあらゆる特徴を、長所も短所も含めて知るために『法華経』を読むにかぎる」(ヴィンテルニッツ)という批評はいかにも適切である。…サンスクリット本について見ると、文体はきわめて粗野で単純、一見してあまり教養のない人たちの手によって書かれたものであることがわかる。…
 いつの頃か『法華経』の原型にあたる特殊の信仰形態を持ったひとつのグループが存在していた。彼らは『この教えを信仰し、宣伝に協力するものは、すべての苦しみから逃れ、病気も治り、火にも焼けず、水にも溺れない』と言って信者を集めた。その信仰の強さを示すために、自分の体に油をそそいで火をつけるものさえあった。その執拗さに耐えかねた人々がそれを非難すると『法難だ』と叫んで、ますます結束を固くした。そして、自分たちで『法華経』という名の経典を作成した。一般の人々、ことに仏教の正統派の僧侶たちは大いに迷惑して、国王・大臣・僧侶・一般市民に訴えた。しかしこの狂信グループは「命もいらぬ、教だけが大切だ」と叫んでますます活動を続けた。こうしてグループは発展し、『法華経』も新しい章節を書き加えて、現在見るような形が成立した。…
 インドでは『法華経』を中心とする学派は遂になりたたなかった。この経典は『文芸の作品のうちでもっとも手ひどく考へることを拒絶する種類のもの』(和辻哲郎)であるから、インドの仏教哲学者たちは『法華経』をあまり重要視していない」(同 P177)

さらにまた羅什師、智邈師に及びます。

「クマラジーヴァ(羅什)…彼の翻訳は厳密な意味で必ずしも信頼できない。…ところが天台智邈は南岳慧思の教えを受けて<十如是>ということを言い出した。…そしてこの十如是と空・仮・中の三諦とにもとづいて天台の教義を作りあげた。しかし『法華経』がサンスクリット本からの翻訳である以上、智邈の解釈はまったく成りたたない。そのうえ、ここに用いた空・化・中の三諦の説もインド仏教の資料に対する誤解から来ている。したがって、天台の教義なるものはまったくの無知と誤解のうえに築かれたものと言えよう」(同 P188)

と痛烈な分析を開陳しています。
しかし、その教学上の批判とは裏腹に

「日蓮宗の特色はその熱意と実行力にある。日本山妙法寺の人たちはその真剣さの故にガーンディに愛された。原子核兵器の実験反対にもっとも熱意を示しているのも、日蓮宗の人々である。排他性・宗派性から脱皮して人類平和のために努力する人々の姿は尊い」

とも記しています。この“脱皮”の意味は重要であると考えます。

1093犀角独歩:2003/12/03(水) 18:38

―1092からつづく―

わたしはこの書の『むすび』を何度か紹介した記憶があるのですが、いまは探せません。慈善活動を仏教と分ける人に是非とも読んでいただきたく、紹介します。

「仏教は日本人に何を教えたか。積極的な面では、人々を愛し、助けあい、すべての生命を尊重すべきことを教え、人間が自己完成すると同時に、他の人々を幸福にすべきであるという理想を示した。道登がはじめて宇治橋を架けて以来、多くの仏教者は黙々として道を作り、橋をかけ、池を作り、川を修め、樹をうえた。空海は庶民のために学校(綜芸種智院(しゅげいしゅちいん)を作り、教授と生徒の完全給食を実施した。忍性は病院を建て、ライ患者を助け、馬の病舎を作った。鉄眼は毎日1万人の災民に食事を与えた。こうした例はまだ他にも沢山ある。生命の尊厳を教えて肉食の習慣をやめさせたのも仏教であった。早い時期に死刑制度を廃止させたのも仏教である。人と人との結びつきを教え(袖振れ合うも多生の縁)、人生と自然との和合を示してくれたのも仏教であった。要するに今日ヒューマニズムとよばれるところのもの、それをわれわれは主として仏教から学びとったのである。
 しかし、宗派としての仏教、形式的な宗教儀礼、器械的な僧侶の思考動作は、日本人の生命ある宗教活動を枯渇させてしまった。…
 宗派宗門を主体とし、形式儀礼にこだわる中世的仏教は本当の仏教精神を掩いかくしている。現在でも、一方に老いこんで無力になった既成教団があり、他方には無知で暴力的な信仰疑似宗教がわめいている。自由な立場で仏教を求める人たちは何ものも見いだすことができない。…
 好きなものが集まって説教まがいの講演を聞くと言うだけの組織は、本当の仏教活動にとってはむしろ有害でさえある。なぜかというと、利他の実際活動を伴わない聞法だけで仏教運動に参加しているような錯覚をおこすことによって、上求菩提下化衆生の実践をないがしろにする結果を生むからである」(同 P209)

同書が発刊されたのは1958年1月25日、既に半世紀前に鳴らされた警鐘は少しも生かされることなく、現代の問題になっています。殊、日蓮本仏圏ではその様相は顕著である。わたしは以上の指摘を真摯に受け止める故に素朴な疑問として、慈善活動の問題を俎上に挙げた次第です。

1094五月雨:2003/12/04(木) 00:17

人が善い行いをすることは大切だと思いますが、それを殊更に菩薩道と絡めて強調す
ることは必要なことでしょうか。仏教徒だから、菩薩道があるから「善行」をする、
しなくてはならないというような論調は、本末転倒しているように感じるのです。
仏教徒でなくても、菩薩道を知らなくても、人としての「善行」があるべきではない
でしょうか。
人として、人を思いやる気持ちの中でそれは自然と自ずから施せると思うのです。

議論の中で用いられている「常不軽菩薩品第二十」に著された常不軽菩薩の行いが、
何故に人を救うに転化したのかも疑問に思います。そのまま読めば常不軽菩薩は自らの手で衆生を救っていませんよね。

「常不軽菩薩品第二十」には、常不軽菩薩がいままさに死なんとする時、威音王仏が説いた法華経の二十千万億の偈を聞いて六根清浄を得、
広く人のために法華経を説いたと書かれています。
そしてその常不軽菩薩の姿にそれまで謗っていた人々までもが、皆信伏随従したと説かれています。
この「信伏随従」は自発の意思ではないでしょうか。
いままで自発的に謗っていた人が、自発的に随ったという意味で、常不軽菩薩が人々を救ったということではないですね。
なのに、常不軽菩薩は人を救う菩薩の代表格になっています。
そして、その人を救う菩薩の常不軽に自らの姿を重ねながらの考え方は、これは富士門系で言う“地涌の菩薩”を
“常不軽菩薩”に置き換えているだけではなかろうかと私は思うのです。

1095五月雨:2003/12/04(木) 00:17

私たちは学会から石山から、信者は地涌の菩薩の眷属なんだという誇りを植えつけら
れて、その気にさせられ、無理な折伏をし、どれほど多くの一般の人々に多大な迷惑をか
けてきたことでしょう。これは忘れてはいけない罪だと思います。
これを忘れないことこそ、信仰者に問われる信仰責任なのではないでしょうか。

“常不軽の菩薩道”に基づいた善行は、マザーテレサの善行と同じ意味を持つでしょ
うか。
“常不軽の菩薩道”が“地涌の菩薩の眷属”と同じ轍を踏むのではと、私はとても不
安な思いに駆られるのです。

※ここでもし皆様方が、本来の菩薩の意味を無視して、富士門でいう“常不軽の菩薩道”
をもって、新しい宗教を模索されておられるのでしたら、私の大いなる感違いです。
お赦しください。

1096犀角独歩:2003/12/04(木) 00:34

そういえば、忍性師、慈善活動と蓮師のことについては『他宗、他派をホメよう』スレッドで、現時点さん、またドプチェクさんが触れていらっしゃいましたね。昨年の夏のことでした。取り敢えず、ご紹介まで。

http://jbbs.shitaraba.com/bbs/read.cgi/study/364/1030610635/l100

1097空き缶:2003/12/04(木) 02:28

犀角独歩さん

お久しぶりです。独歩さんの知識の広さには敬服いたします。

最近のリハビリテーション論では、「パワレス」「エンパワメント」という言葉がよく使用されるそうです。
施設などへの入所は人間を「パワレス」状態(本来もっている力を減退させてしまう)にする傾向にあり、これからの社会福祉施策は「エンパワメント」(もともと人間に内在されている力を最大限に引き出す援助)を中心にすすめられるべきだといいます。

私は忍性師の慈善活動に対する、日蓮聖人の思想は「エンパワメント」思想であったような気がしてなりません。

1098アネモネ:2003/12/04(木) 03:42
横レスすみません

犀角独歩さん

>日本人にとって1000円はわずかな金額です。しかし、その1000円でこれだけのことができるのかとわたしは感嘆しました。
…ある日蓮宗のお坊さんが…冗談じゃない。この賽銭箱で集められたお金で、経済的支援が必要な世界の国に学校を建てて寄進しているんだ」。あまり知られていない話だと思います。

1000円といえば、賽銭箱のない日蓮正宗では、ご祝儀袋に入れなければならないとされていて、結局、暗黙のご供養最低金額だったなあと思い返されます。袋には住所や名前と金額まで明記するのが通例でしたね。私もそれなりに、参詣のときには必ずご供養を包んだものでしたが、お寺の実態を目の当たりにするにつけ、納め続けたお金が、どのようなことに使われているのかに疑問を持つようになったものです。そして独歩さんの掲示板のレスを通して教団の裏事情など真実の一端を知るようになってからは、つくづく無駄な散財をしたものだと思いました。

ところが慈善活動の実践がどんなに尊いことなのかはわかっていても、いざ自分が実践的にやり始めるとなると、なんだかんだと腰が重いものです。いかに自分のことしか頭にないか、いかに自分ばかりが可愛いか、そんな情けなくも狭い心を自分の中に見ます。
自分のためと思って励む宗教活動には、それこそ万難を排す勢いで時間や資金を投入することができるというのに、いざ自分以外の人の為の実践的な慈善活動となると、なんだかんだと理由をつけては、結局わずかばかりの時間もお金も割けなかったりするものです。
法や組織の為には、何万円も何十万円も、いや何百万円だって、それが自分に返ってくるとなれば、全く惜しげもなくつぎ込むというのに、本当に助けを必要としている人たちのための、わずか1000円の援助や寄付が煩わしかったり面倒だったりと思ってしまうものですね。
私は、そんないやーな狭い心も自分の中に見るものですから、だからこそ慈悲の実践活動に身を投じる人を知ると、少しでもどこかで、何かの形で近づきたいと思ったりもするのです。とても同じような真似は出来ないけれど、でも少しでも何かの形で近づきたいと思うのです。

>むしろ、宮沢賢治が「東に病気の子供があれば 行って看病してやり  西に着かれた母あれば 行ってその稲の束を負い  南に死に人あれば 行って怖がらなくていいと言い  北に喧嘩や訴訟があれば つまらないからやめろと言い…」と記した人に、法華・日蓮を意識しながら、「そういう者にわたしはなりたい」と思います。

私は、小学校五年生の頃、宮澤賢治の童話をたくさん読みました。「風の又三郎」「銀河鉄道の夜」「セロ弾きのゴーシュ」…、どの作品も独特な世界に没頭して読みふけっていました。その当時の私は、一番熱心に教会に通っていた頃でもあったわけですが、実はなぜか彼の童話の世界にキリスト教精神のメッセージのようなものを感じて読んでいたんですね。宮澤賢治が国柱会の信者であったということは当時の私は全く知らず、そのことを知ったのは、法華講に入ってからのことです。
私の中では、キリスト教と法華経とは、目指す精神性が完全に融合してしまっているといってもいいかもしれません。それが正しいか間違っているかの教義的検証には、根拠をもって答えられるだけの知識は持ち合わせていませんから、これはまるで根拠のない、完全に私の感覚的なところでの話ですが、私の中では融合しているわけです。日蓮の中にイエスを見たり、イエスの中に日蓮を見る、そんな思いが私の個人的リアリティとして確かにあります。
そのことにおいて私にとっては宮澤賢治も、法華経の不軽菩薩の精神とキリスト教の博愛精神が根底的に融合している人のように思えてならないんですね。
確か宮澤賢治は、どこかでキリスト教と関わっていたのではなかったかという、わずかな記憶がありまして、それを頼りに検索してみましたところ次のようなサイトがありました。
http://www.hico.jp/sakuhinn/4ta/donnguri.htm
驚いたことに宮澤賢治は、日蓮も取り上げられているあの「代表的日本人」を書いた、クラーク博士の弟子である無教会主義派の内村鑑三の、その直弟子たちと深い交流があったようですね。そこでキリスト教の博愛精神を学んでいるのだろうと想像できます。もしかしたら、農業改革のバックボーンの一端もここで培われたのかもしれません。

1099アネモネ:2003/12/04(木) 03:50
(つづき)
渡辺照宏師の『日本の仏教』は、独歩さんに勧められて数ヶ月ほど前に読ませて頂きました。
ここに挙げて頂いた文章は、私もいまでも鮮明なインパクトとして記憶に強く残っています。力のある文章ですね。それだけ、この本を通して社会に訴えたかったことは、ある種の危機感ではないかと強く感じられます。石山系の信仰にいる人は、一読してみるべきだと私も思いました。
それまで絶対に正しいと教えられ信じてきたことが、いかに世間的にまったく通用しない偏狭な解釈であるかが露呈されており、幾度となく繰り返される痛烈な日蓮批判に目を覆いたくもなり、時には本を投げつけたくなるほどの衝動にかられるほどの内容かもしれませんが、しかし、それでもここに書かれた内容に目を向けるべきだと思います。
石山系の組織の人は、組織外の本を読むことを謗法だと認識するわけですが、その教えがいかに教団の都合による情報操作を目的としたものであるかということも実感させられる一冊だと思います。

国によって宗教の違いは、もともとの文化や言語や習慣や風土の違によるところもあるわけですから、ごく自然なことだと思います。宗教や文化が違えば、同じ人を見て、そこに何を見るかの、その表現するところの言葉が違うのも当然のことでしょう。マザー・テレサが苦しむ人の中にイエスを見るのと、そのマザー・テレサの手に抱えられ救われる人々が女史の中に、自分が信じる宗教の神を見るのは、同じことなのかもしれません。そしてさらに、仏教文化圏の人の中には、まるで菩薩のようだと見てしまうこともある。どれが正しいとか間違っているということが問題ではなくて、何に感応して、何に心が動かされるのかということの問題だと思いますね。そこに自分の知り得ている宗教や思想や文化における言語を使って表現することは、ごく自然な人間の心のあらわれだろうと思います。

人に心が動かされたとき、それは強い憧憬となって、理想の人間像をそこに求め、やがて「私もそんなふうになりたい」「少しでも近づきたい」と願うものですね。その人の心が何に感応するかは、その人がそれまで培ってきた思想や人格や人間性に大きく関係するものなのかもしれません。
マザー・テレサやガンジー、また日本山妙法寺の人たちのような行動が、多くの人々の心を動かして広がり、救われた人が、今度は別の誰かを救いたいと思うようになっていくわけですね。そこに本当の布教があると思います。

>さらにその批判は法華経にも及びます。

ここに書かれていることは、私にとっては、とても説得力のある文章として響きました。当時の法華経創作者たちがどのような存在の人であったのかということは、非常に重要な点ですし、ここに記されている姿が、そのまま石山系の信仰の姿にそっくりそのままオーバーラップするところが、また驚愕するところでもあります。
結局、慈善活動に対する考え方を大きく左右するのは、法華経はお釈迦さまが説いた最高の教えであるというところを、動かぬ絶対の真理として信じることの限界を認めるかどうかに関わるものではないでしょうか。
なぜなら、そこから動かないことは、つまり自分の「信」に対する絶対的優位性が不動のものであるということに通じるものであり、その独善的思いが同時に、他者差別、他者蔑視につながっていくものであり、独善と差別は表裏一体なのでしょう。
その独善こそ、法華経の中に強く説かれている思想だとすれば、ここを克服するには、成立過程に遡って、その絶対視をやめて限界を知るということではないかと思います。

なぜ、石山系では慈善活動に消極的で冷ややかであり、ときに批判的に捉えるのか。これこそ素朴な疑問といえるでしょう。
結局、教義的なところからくる独善と差別に端を発し、不信の者と関わることに対する謗法の意識というものが心の根底にあるからではないでしょうか。
お寺の中で、不信の人と関わることは謗法に通じるものとして、それを「悪縁」という言葉で忌み嫌っていたことは多く見受けられていたところでした。こういう意識を指導において繰り返し植え付けられている限り、不信の人に対する慈善行為など指導するはずもなく、それどころか逆に否定しなければ教義的に論理矛盾が起きるわけですね。
ところが、>1025において独歩さんは「無縁の慈悲」ということを示してくださいました。これが法華経が説く精神なのかどうかはわかりませんが、ここは非常に重要なところだと思います。「無縁の慈悲」というのは、どこで説かれていることなのでしょう。

1100愚鈍凡夫:2003/12/04(木) 05:50
横レス失礼します。

人の命の尊さを大切にしたマザー・テレサに菩薩を感じることは、別に不思議なことではないですし、宗教的立場は違うけれど、女史を見習いたいと思うことも、これもまた自然なことだと思います。
そして、自分に何ができるのだろうと思うこと。これが最初の一歩でしょうし、その拠り所に仏教を置くことは、仏教を学ぶ者としてこれもまた自然な成り行きだと思います。
誰も、女史を「菩薩」と定義づけようとしているわけではないし、女史の行動力に「菩薩道」を結び付けようとしているわけではありません。
振り返って、それでは仏教で説かれる「菩薩」とは何なのか。そして、「菩薩道」とは如何なる道なのか、それを考えるきっかけとして、女史の実例を取り上げているということだと思います。
端的に言えば、「苦しんでいる人がいる」「助けを必要とする人がいる」、だから少しでも力になりたいと思う。結局はそういうことなんですよね。それを「菩薩道」の一分と見るか、「慈善活動」であって、仏教とは無関係と見るかということだと思います。
個人的見解として、人が自分の足で歩んでいこうとすることを援助することは、「宗教」にとって忘れてはならないことではないかと思います。
ただ、こういった問題の難しいところは、決して強制があってはならないと言うことだと思います。そういった活動をしている人が、していない人を責めるのは間違っていますし、また、していない人にある種の脅迫観念や悲哀を与えることも間違っているでしょう。

1101三吉:2003/12/04(木) 07:24
私が法華経をそのまま読めば、
みんなから馬鹿にされていた一人の菩薩が、部派仏教の徒に対して「君らは、将来大乗を行じて、作仏する方たちだ。なむぅ」と「礼拝讃歎」行を実践し、その功徳によって、死ぬ間際、法華に出会えた。法華に出会った功徳で、「六根清浄」を得て、寿命が延び、法華を説法するものとなった。法華の説法を聞くことで、部派の出家在家みなともに、信伏随従し、悟りを得た、と。

常不軽菩薩が救ったのでも、信伏随従という自由意志が救ったのでもなく、救った浄因は、法華経じゃあないだろうか。「法華の功徳は六根清浄」だよがテーマだと思うが。
一つの線として、「馬鹿にされてた者」が「法華」を得れば、一転して尊敬されるという展開になっているので、「法華ってすごいんだぜ」というのも大きなテーマだと思います。

ちなみに私の先の文は不軽菩薩を「迷惑の代表」として書いていますので「救済」に触れていません。恐らく「大乗の菩薩道などに無関心な、とある部派仏教勢力のものたち」に対して、「あなたたちは菩薩道を実践して作仏する」などと言うのは、念仏の徒に題目、題目の徒に念仏で救われるというのといっしょくらい迷惑ですね。「虚妄の授記」という批判は真っ当です。
他教の文脈で実践された人を「菩薩」と賛嘆するのが、「失礼」「迷惑」ならば、法華自体が、あるいは仏教の発想に根深く「失礼」「迷惑」があるといえるのではないかと思います。釈尊もかなり失礼で、阿含を見ますと「火を拝んでる敬虔な信者」「沐浴している真面目な人々」に向かって、「生天したいなら、そんな馬鹿げた努力してもしゃーないやん。正しい実践したほうが効果的よん」と仏教の実践を勧めます。迷惑で失礼な話です。

1102三吉:2003/12/04(木) 07:25
渡辺さんは、「仏教の寛容の精神」と言われるが、疑問点がある。仏教に寛容の精神を根付かせた代表は、アショカ王で、彼は宗教対立を憂い、仲良くしろと指導した。大衆部はそれに乗り、南伝分別説部や他派は大衆部に続いて乗った。(律を改変した)最後まで抵抗を重ね、しぶしぶ従ったのが説一切有部。説一切有部は、「教義解釈が分かれれば相手を認めない」ことに最後までこだわった厳格派(律を改変せずに解釈に変更を加えた)。一方大衆部は、「解釈わかれども儀式同席すれば、仲間」という穏健派。アショカの政策に一番に従ったので全土に繁栄する。有部は独善的な厳格派だったので、当時の中心地の旧マガダなど東北部ではよわく、新興の西北部に進出する。
仏教中に、寛容派、厳格派あり、中間ありで、寛容一辺倒ではない。遡れば、舎利弗VS提婆達多の争いは、「寛容派」と「厳格派」の争いだし、「アナンダ」と「マハーカッサパ」「アヌルッダ」も「寛容」と「厳格」だし、「大衆部」と「上座部」もしかり。
その後、有部はカニシカ王の時代に支持をえるので、長く繁栄するのだが、有部の独善性と、法華の独善は似ているのではないかと思う。渡辺さんの殊更、法華を狂信的なグループの手によるものと見る説は少なくとも多くの学者から批判されている。
私はさほど根拠があるわけではないが、「菩薩観」「厳格派」「地域的特性」からも有部が法華になんらかの影響を与えたか、たまたま似ているのかはわからんが、仏教の中で法華が特異だとは思わない。厳格派の系列だから、厳格派の代表、提婆達多も偏見なく描けたのだと思う。(提婆達多は、独立グループとして存立し続けた。門下にとって提婆達多は仏陀)

1103アネモネ:2003/12/04(木) 13:18
愚鈍凡夫さん

>振り返って、それでは仏教で説かれる「菩薩」とは何なのか。そして、「菩薩道」とは如何なる道なのか、それを考えるきっかけとして、女史の実例を取り上げているということだと思います。

そうなんですね。

>個人的見解として、人が自分の足で歩んでいこうとすることを援助することは、「宗教」にとって忘れてはならないことではないかと思います。

同様に思います。仏教かキリスト教か…といったことではなくて、「宗教」という立場にたってみる議論だろうと思います。

>ただ、こういった問題の難しいところは、決して強制があってはならないと言うことだと思います。そういった活動をしている人が、していない人を責めるのは間違っていますし、また、していない人にある種の脅迫観念や悲哀を与えることも間違っているでしょう。

確かにそうだなあと、大事なご指摘だと思いました。
人権思想の基本は、人は幸福に生きる権利があるということだと思います。だから幸福に生きられない、生存権さえ脅かされている人に、援助を差しのべる。そのようなことは相互扶助の精神として、日本の社会に構築されてきたものだっただろうと思います。たぶん、そこには仏教が果たしてきた役割も大きかっただろうと思いますね。
しかし戦後の個人主義思想によって、相互扶助の秩序は崩壊しつつあり、そこに新たな不幸もあるものなのでしょう。日本においては、人知れず心の閉塞感や孤独を抱えている人は潜在的にたくさんいるだろうと思われますね。
そこをできるだけケアしていくとき、まず福祉政策が求められるわけですが、たいてい福祉は後手後手の政策になりがちで、個人の援助活動のほうがきめ細かく先行している場合が多いでしょうね。
だけど、その慈善活動の実践が強調され過ぎては、確かに逆に人を追い詰めるようなことにもなりかねませんね。日蓮の良観批判がそこにあったという一面もあるのかもしれませんが、結局、信仰の強制と同じで、そこに新たな不幸が生まれる場合も考えられます。
ましてや教団信仰であっても、そこに入ってしまった人といういのは、なんらかの苦しみの渦中にいる人が多いわけで、むしろ心のケアを求めている側である場合も多いものでしょう。そのような人に、布教活動であれ慈善活動であれ、何かを強制し追いつめるようなことになってしまってはいけないのかもしれません。
ちなみに、私の知る限りのキリスト教会では、強制ではなく気がついたら信仰活動を通して自然に慈善活動に参加していたみたいなことが多かったです。気負うところはほとんどなかったと思います。
まあ恐らく教えを通して、それこそ無作の心というのでしょうか、気がついたら人を慈しむ心が培われていたとなっていくのが望ましいことかもしれません。
しかし難しいですね。それでもやっぱり、こんなことを書いている今も、どこかで人知れず援助活動に勤しんでいる人がいることを、私は心に留めておきたいと思いますね。

1104アネモネ:2003/12/04(木) 13:18
三吉さん

仏教の流れを体系的に解説してくださっていて、とても勉強になります。

>「法華の功徳は六根清浄」だよがテーマだと思うが。

法華経において、「救済」という言葉は馴染まないものなのだろうということがだいぶわかりました。それでも心が救われるという言葉をよく使うわけですが、結局、心が救われるとは、心が洗われるということかもしれませんね。法華経によって心が洗われれば、六根清浄になる。そんな感じでしょうか。

>仏教中に、寛容派、厳格派あり、中間ありで、寛容一辺倒ではない。遡れば、舎利弗VS提婆達多の争いは、「寛容派」と「厳格派」の争いだし、「アナンダ」と「マハーカッサパ」「アヌルッダ」も「寛容」と「厳格」だし、「大衆部」と「上座部」もしかり。

なるほどなあと思いました。
どれをもってこれこそが仏教だと言い切れるものではなくて、全体でもってバランスがとれているのかなあとも思ったりします。

1105犀角独歩:2003/12/04(木) 14:32

盛ん議論が進んでいますね。
喜ばしいことです。

空き缶さん:

有り難うございます。
ノーマライゼーションなどともに重要な視点ですね。

愚鈍凡夫さん:

アネモネさんが賛同される点、わたしもまったく同様に思います。
それと同時に、ここが宗教に係る掲示板であれば、補足しておきたいことがあります。
愚鈍凡夫さんの言葉をお借りして記せば、

一つの信念体系にあるものは「決して信仰への強制があってはならないと言うことだと思います。そういった宗教をしている人が、していない人を責めるのは間違っていますし、また、していない人にある種の脅迫観念や悲哀を与えることも間違っているでしょう」

むしろ、この点から出発して、独善的な排他主義に陥った歴史を有する学会を含む石山系集団=日蓮本仏圏の注意を促し、未来を考える資糧として、浅見定雄師の「何を信じているかではなく、何をしているかで宗教の真価が問われる」という点から、素朴な疑問として、なぜ、日蓮本仏論者はボランティアに無関心なのかと問うたところでした。

アネモネさん:

上述の「なぜボランティアに無関心か」という点についての分析、まったく同感です。
この原因はまさに独善と偏見、そして、他者蔑視という差別にその原因があるとわたしも思います。詳しくはまたレスさせていただきます。


三吉さんの該博な知識に基づく、批正を有り難く拝読しています。
紹介した書の記述は、渡辺師が創価学会に対する嫌悪感から勢い、日蓮・天台・法華批判にまで筆の勢いが及んだと見られます。その後、柔軟姿勢に変わっていったのも事実でした。


さて、これはかなり思い切った憶測ですが、渡辺師が法華経創作者の姿を素描するのにモデルになったのは、むしろ、戦後、日本社会で席巻した創価学会の姿であったのであろうと。

渡辺師の記述内容はもちろん絶対のものではあるわけはありません。研究が進み、日々書き換えられる点も多々あろうかと存じます。それを十分に加味しながら、けれど、そこに指摘された法華・日蓮信奉者への批判は、それでもわたしは真摯に受け止めていきたいと思っています。

日蓮を理解するために、天台を学ばないとよくわからない。ところが、法華経に書かれているところを理解しようとすると、天台の解釈は邪魔になります。これがわたしの経験則でした。

1106ガンコ:2003/12/04(木) 15:21

素朴な連想

五月雨さんの1094〜1095は、全体として何をおっしゃっているのかわかりませんが、いろいろ思うところがありました。

>人が善い行いをすることは大切だと思いますが、それを殊更に菩薩道と絡めて強調することは必要なことでしょうか。仏教徒だから、菩薩道があるから「善行」をする、しなくてはならないというような論調は、本末転倒しているように感じるのです。仏教徒でなくても、菩薩道を知らなくても、人としての「善行」があるべきではないでしょうか。人として、人を思いやる気持ちの中でそれは自然と自ずから施せると思うのです。

わたくしはこのところ、法勝人劣とか法前仏後とか考えてきたのですが、ようするに仏法ってほとけが出現する以前からあったのだと。それでいくと、上記のお考えはなるほどそのとおりだと思います。いわゆる十界論の、わたくしの認識が正しいかどうか・・・恥を覚悟で書けば、菩薩だとか声聞だとか、その名称は後天的なものだけれど、その中味は先天的なもの・・・つまり、十界論の示すところは制度的なものではなく、本然的なもの・・・十界本有常住っていうのはこのことかなあと。

>そして、その人を救う菩薩の常不軽に自らの姿を重ねながらの考え方は、これは富士門系で言う“地涌の菩薩”を“常不軽菩薩”に置き換えているだけではなかろうか
>私たちは学会から石山から、信者は地涌の菩薩の眷属なんだという誇りを植えつけられて、その気にさせられ、無理な折伏をし、どれほど多くの一般の人々に多大な迷惑をかけてきたことでしょう。

まあ、じぶんなんかも、地涌の流類だなんて、ずいぶんとおだてられたものだなあって、思うことありますものね。

>“常不軽の菩薩道”が“地涌の菩薩の眷属”と同じ轍を踏むのではと、私はとても不安な思いに駆られるのです。

う〜ん、同じ轍を踏む・・・ですか。確か今年の春ごろでしたか、わたくしが法華講に移るようなニュアンスを漏らしたところ、おっしゃいましたね。・・・所属教団をサーフィンしたところで何にも変わりやしない、と。
もしかしたら五月雨さんは、掲示板での議論じたいに、限界のようなものを感じ取っていらっしゃるのではないでしょうか?

1107アネモネ:2003/12/04(木) 15:53
私は、蓮祖の諌暁という行動にみられる精神からいっても、宗教は、人の苦しみを生んでいる社会問題について向き合って、取り組んでいくとき、はじめてそこにその教えや思想が実社会に息づき、生かされるものだろうと思います。そのひとつの形が慈善事業なのだろうと思うわけですね。
独歩さんと、pundarikaで議論してきたところの共通の認識がそこにあったと思います。http://jbbs.shitaraba.com/study/3050/pundarika.html#3
ここでの議論は、一時休止状態にはなっておりますが、法華経は何を訴えたかったのか、そして法華経からは何を学ぶことができるのか、真の菩薩行ということは何かということが次なる議論としてあがってきていたところです。

私の八年間の法華講組織を振り返ってみても、菩薩行が何であるのかを、素朴な疑問からはじまって考え直してみることは、ほぼはじめてのことであり、とても新鮮なことに思えました。つまりそれだけ、法華経が何を説いているのかということが、組織内の指導や説法や法話のなかで、きちんと押さえられていなかったように思うのです。私個人の不勉強ということもあるかもしれませんが、しかし教導する立場の聖職者は、たった一行の経文を通してでも、全体の思想を知らしめることに尽力すべき責務があると思いますし、もっといえば、言葉はなくても、その人の存在そのもので示すことも求められるものだと思いますね。
まさにそれが、独歩さんのレスにある、
>浅見定雄師の「何を信じているかではなく、何をしているかで宗教の真価が問われる」という点
に関わることだろうと思います。しかし残念ながら、そのような啓発を受けるような方は、私の法華講8年の中では、ひとりもお見受けできませんでした。

独歩さんのレス
>1088
>「わたしが人間を考えるとき、その基本には、障害者として過ごした姉があり、喝采のない家の中で、姉を介護する母の後ろ姿がありました。
 人を愛するとか、慈悲の精神などと、心地よい言葉を吐くことはた易いことであると思います。しかし、そんな心地よい言葉だけでは何も変わりません
 大衆の前で説教を行い一身に尊敬を集める人よりも、汗まみれ・汚物まみれになって働く無名の一人が尊い。わたしの眼にはそう映ります」

この文章は、掲示板参加当時に既に読ませて頂いた文章ですが、正直なところ私はショックを受けました。これが正しいと鵜呑みにしてきたことで、なにかもっと大事なことを忘れかけていたんじゃないだろうかと思ったものです。
今の議論は、私にとっては既にこのときから始まっていたといえるかもしれません。
菩薩道とは何なのか。このことを、やっぱり考えてみたいと思うのです。
そこに宗教の目指す方向が見えてくるようにも思いますし、もしもロムされている方の中に、組織信仰の葛藤のなかにいる人がいるならば、尚更、この議論は有意義なのではないかと思いますね。

1108犀角独歩:2003/12/04(木) 17:29

アネモネさん:

たくさんのレス、有り難うございます。
やや宿題のように溜まってしまいましたが(笑)突っ込んだ議論は、また、pundarika でお願いします。すべてにここでわたしが返しますと、さらに場所を取ってしまいますから。

それでも、このスレッドに特に関係のある点についてだけは記させていただきます。

> 日蓮の諌暁…菩薩精神…極楽寺良観も菩薩精神…民衆のためには、両方必要

さすが。二極志向でお考えになりませんね。
そうなのです。「日蓮か良観か」などという択一はまったく必要ありませんね。

> 「仏の慈悲」…後世の解釈なのでしょうか

これは難しいご質問です。資糧手放しで記すと碩学の叱責を買いかねません。
どなたかにお応えいただければ有り難く存じます。
ただし、わたしは仏を慈悲の体現者であるとする見解には賛同します。
であれば、憎悪からの脱却はまた仏教の大きな課題であるという命題も成り立つと思うからです。

> 本尊とすべきは自灯明と法灯明…そのための八正道という実践方法

概ねこの整理には賛同です。
ただし、わたしはそもそも本尊が果たして必要かという点では懐疑的です。
繰り返しでくどくなりますが、本尊と法はそもそも関係がなかったわけですね。
ですから、本尊というまでもなく、法灯明・自灯明であるとわたしは思っています。
八正道は永遠不動の実践論であると、もちろん思います。

> もともと、日本仏教によって慈善運動の精神は社会的に生かされていた

まったくそのとおりなのです。
それがいつの日からか、実践を欠いたお題目だけになってしまった。日蓮本仏圏では顕著であると嘆いているわけです。

けれど、以前も触れましたが、石山信仰をされていた大正皇后はハンセン病救済活動をされていたことは夙に有名なことでした。また、どなたかが投稿くださっていましたが、石山僧のなかでも同様の活動をなさっていた方がいました。
古いわたしの記憶では、40年ほど前、両親の、創価学会員である知人がハンセン病施設を訪ね、熱心に折伏をしていた体験を、直接、聞いたことがありました。
子供心に「感染しないのかと恐れおののきながら聞いていたものでした。(実際に罹患されたご経験をお持ちの方にはたいへんに失礼な記述である点、お詫びします)しかし、その体験を訥々と語るその方の確信を今でも、わたしは思い出すことができます。けれど、不思議なことに、その方の顔も性別も思い出せないのです。ただ、その人のハンセン病の方々を何とか救いたいという一途な気持ちだけが記憶されているのです。それでも話の断片、施設の灰色の壁のこと…、医療その他が行き届かないこと…、など思い出されるところがありながら、その方がどなたであったか、どんな方であったのか、杳として思い出せません。そんなことから、わたしにとって、その方の存在は、見(まみ)えることができた生身(しょうしん)の菩薩様のように記憶されてきました。ここのところの議論で、埋もれたそんな記憶が思い起こされました。
石山信仰が仏教紛いかどうか、しかし、そのよう教義的な考証は別にしても、この信仰圏でたしかにハンセン病救済を実践する尊い“菩薩”様がたしかにお出でになったのです。
それがいつの日から個人の現世利益、集団利益と拡張、指導者翼賛という愚行に堕落してしまったことを嘆くのです。

1109犀角独歩:2003/12/04(木) 17:31

―1108からつづく―

> 電車で席を譲る…小さくとも立派な菩薩行

そうですね。ここのところの議論で、通仏教でいう「本来の菩薩」がなんであるか、そんな指摘があったわけです。
けれど、わたしは菩薩から慈善活動を考えたわけではないのです。
そうではなく、菩薩界、菩薩道、菩薩行という視点からです。
十界論という教義をわたしはさほど重視しません。しかし、そのなかで菩薩界を己心に観じるという点、そして、そこから、一体、自分が何をしようとするかという視点は重要であると思っています。それが菩薩道、あるいは菩薩行へと発展するか否かという点です。

蓮師との対峙で語られる忍性師はその慈善活動の故に忍性菩薩と崇められたわけでした。わたしはそのような観点が本来の民衆の受容であると思うわけです。それが仏教集団的、あるいは教学的な見地から菩薩とは言い難いというのも別段、異論を唱える気はありません。しかし、一般社会・民衆は、教学解釈より、実践のなかに菩薩を見てきたのでしょう。そんなのは間違った仏教理解である、それもそうかもしれません。しかし、正しい仏教理解であれば、何もしなくてもよいのかという問題が残ります。
教義として正しいか間違っているかは実践の現場ではまるで意味はなしません。支援を必要とする人に何をしているのか、ただそれだけが意味を持つのでしょう。各人が解釈する菩薩道、菩薩行として、実践されたかどうか。仏教徒である支援救済の実践者をつかまえて、「あなたのやっている慈善活動は、教学的な解釈からすれば、菩薩とはいえない」という批判がいったい何の意味を持つのでしょうか。わたしなど、実践者などと言える人間ではありませんが、実際のボランティアの現場で、「あなたのやっていることは菩薩とは言えない」と言われれば、「そうです。わたしは菩薩じゃありません。それがどうかしましたか」と応えるだけです。わたしの知る実践者もまた、同様でしょう。そんなレッテルはどうでもよいことです。重要なことは「何をしているか」ということです。

ここで愚鈍凡夫さんがご指摘くださった点について、再度、賛同の意を表しておきます。わたしは、そのようなことをやらない人を差別する気持ちも、強制する気もありません。ただ、本当に資金と人的資源の不足はどうにもならない現実があるのは事実です。強制することも、市内人を批判する気もありません。けれど、一人でも多く目覚め、それが仏教からでも、キリスト教からでも、一般道徳からでも、哲学でもよい、ともかく、実践される尊い方々が増えることを念願せざるにはおられません。ただそれだけなのです。

> 菩薩道とは何なのか。このことを、やっぱり考えてみたいと思う

ええ、わたしも同様に思います。

以上、漏れた部分はまた、pundarikaででも、大いに語り合いたいと思います。
もちろん、こちらでも引き続きよろしくお願いいたします。

1110五月雨:2003/12/05(金) 22:36

>>1066 ホトケのガンさん 素朴なご意見を有難うございますw。

あー、しかし、私の言わんとするところを全て外してご理解をされたみたいですね(苦笑

私はここ、富士門流信徒の掲示板では、石山の巧妙に仕組まれたバッタモン教義を解明した後には、日蓮さんは本当は何をどう説いたのかを探求する掲示板だといまの今まで思っていたんです。
だから、毎日のロムを欠かしたことはありませんでした。

だけど、残念ながら、皆様の議論は富士門内での日蓮の解釈をあーでもない、こーでもないと
ずっとループされていたようです。それも大切なことなんだろうとは思いますけどね。
しかしなー、一体いつになったら、日蓮その人を考えるのだろう……

タブーの無いのはいいことなのか、どうなのか私にはよく分かりまへん。
日蓮を基にすべてを考えようとするならば、その考えは日蓮の教えの中に留まるべきであろうし、日蓮はもう関係ないとするなら、タブーはもうないのでしょう。
キリスト教であろうと浄土真宗であろうと真言宗であろうと、アーレフであろうとなんでも良しでありませう。
まー、そうなると仏教という道から大幅に外れてしまうことになりますよね。
せっかく、仏教の門の前まで来てたのに、勿体ないような気もします。

>これはなかなか鋭いです。「善に付け悪につけ法華経をすつるは地獄の業」ですからね。
これは・・・・・。

以下のガンコさんの文章ですが、びくーりな解釈に私も戸惑ってます。
私のあの文章がこういう解釈になるのは、私の文章力の拙さか
はたまた、ガンコさんの脳内文章変換能力の物凄さかと思っております。
#法華経を捨てるとどこに書いているのだろう、私は………。

私を教条的過ぎると思われているようですが、ガンコさんの方がそう見える。
私の文言をこう受け止めたというのは、教条的に物事を捉えているからでしょう。
確かに教条的な考え方は、ものごとの全体像を見失うかもね。
そんな考えを持っていると仏教の入り口だけを見て、仏教すべてを分かったつもりに
なってしまうような、そんな気がします。

1111五月雨:2003/12/05(金) 22:40
>>1106 同じくガンコさん、素朴な連想有難うございます。

>五月雨さんの1094〜1095は、全体として何をおっしゃっているのかわかりませんが、いろいろ思うところがありました。

私たちは宗教団体というものに騙されてきたのに、ここ富士門流信徒の掲示板で、
また新しい宗派を作るのだろうかという心配を書きました。

>わたくしはこのところ、法勝人劣とか法前仏後とか考えてきたのですが、ようするに仏法ってほとけが出現する以前からあったのだと。・・・・・

ガンコさんの仰ることは全く頭の片隅にもないのですが、法勝人劣とか法前仏後などという難しい言葉を使わなくても、仏法=仏教として考えた時、仏が出現する前に仏教が無かったなら
仏教の辻褄が合わない気がします。

>まあ、じぶんなんかも、地涌の流類だなんて、ずいぶんとおだてられたものだなあって、思うことありますものね。

そうでしょ、私なんかもお調子者だから、その尻馬に乗ってアホ三昧してきました。

しかし、まー、人は中々懲りないもんですかねw。

1112五月雨:2003/12/05(金) 22:41

>う〜ん、同じ轍を踏む・・・ですか。確か今年の春ごろでしたか、わたくしが法華講に移るようなニュアンスを漏らしたところ、おっしゃいましたね。・・・所属教団をサーフィンしたところで何にも変わりやしない、と。

私はガンコさんが受け取られたニュアンスで書いたのではありません。
誰かの勝手解釈で、それが正当なものになった時の危険性を案じているのです。
菩薩道が困っている人への手助けだと個人的に考えることはいいでしょう。
それを人に説いたとき、聞いた人がこれこそ菩薩道だと信じて実践することに、何かおかしくないですか、と私は言いたいのです。
仏教を信仰しているからという以前に、そんな事はひとりの人間として考えるべきではないのかと私は思うのです。
どうして、人に善行を施すことに理由がいるのだろう。
これは素朴な疑問ではありません。大きな疑問だ。

宗教を求める人々は、自分の生きる道をね、自分で探せない人の集まりなのかもしれないですね。
自灯明、法灯明と口にするだけでなく、私はそこにこそ実践があるべきだと思います。

1113五月雨:2003/12/05(金) 22:42

>もしかしたら五月雨さんは、掲示板での議論じたいに、限界のようなものを感じ取っていらっしゃるのではないでしょうか?

私は前述したとおり、掲示板の議論に期待していたのですよ。だって、私はここの掲示板の議論を読んで、石山のおかしさに気づき、蒙昧の世界から現実の世界に帰ってきたのですもの。
この点に関しては深いご恩を感じています。
だけど、皆どうして日蓮その人を語ろうとしないのでしょうね。
日蓮その人を語る時、日蓮死後の書物をいくら読んでも、日蓮は分からないとある人から教わりました。確かにそうだと深く感心したものです。
そう考えると何だかね、視点がすっごくズレているような気がします。

私は掲示板の議論に限界を感じてはいなかったつもりですが、声のおっきい人が勝ちなのかなーとは思うようにはなりました。
声の大きい人の意見がそれがそのまま正しいとは限らないという、読む人の判断能力はいるかもしれないですね。

1114福田里敏:2003/12/05(金) 23:22
五月雨さん
>日蓮その人を語る時、日蓮死後の書物をいくら読んでも、日蓮は分からないとある人から教わりました。
これは、とても重要な事ですね。真筆の遺る、御書から蓮師を考えていく。蓮師は、何を訴えられ、何を後世に望んでいたのか?
そこから、我々は、何をしなければならないのか?この辺は、これからの皆様の議論に、期待したい部分です。

1115ガンコ:2003/12/06(土) 17:35

ふたたび素朴な意見

五月雨さん、いろいろと失礼いたしました。わたくしの脳内文章変換能力は小学生並みですから、そこのところを含みおきください。
しかし、いまいち解せないところがありますので、教えてください。

>一体いつになったら、日蓮その人を考えるのだろう……

とのことですが、じゅうぶんに考えているのではないでしょうか? 五月雨さんは、大聖人を基準に仏教を考えようとなさっているのか、仏教を基準に大聖人のことを考えようとなさっているのか、それがよくわかりません。申すまでもなく、わたくしは大聖人を基準にすべてを考えようとしております。そこで開目抄の「善に付け悪につけ法華経をすつるは地獄の業なるべし。」を引用させていただいたわけですが、いわばこれが大聖人の終始一貫の御見解であられるのですから、動かないだろうとも申したわけです。
ところが次のような御書もあるわけです。
「智者とは世間の法より外に仏法を行なはず、世間の治世の法を能く能く心へて候を智者とは申すなり。殷の代の濁りて民のわづらいしを、太公望出世して殷の紂が頸を切りて民のなげきをやめ、二世王が民の口ににがかりし、張良出でて代ををさめ民の口をあまくせし、此等は仏法已前なれども、教主釈尊の御使ひとして民をたすけしなり。外経の人々はしらざりしかども、彼等の人々の智慧は、内心に仏法の智慧をさしはさみたりしなり。」(減劫御書)

大聖人の仰せられる世間の法とは何か、この辺が難しいところですが、世間の治世の法というのはケースバイケースであり、まさに臨機応変の世界であろう思うのです。そうであれば、あるいは御書の拝しかたというのは時代によって変わらざるを得ないのでは・・・とも思うのです。(なんだか、えらい学会寄りの意見)
ましてや仏法已前でも、そのおこないが仏法に適っていれば、大聖人はそれを評価せられているわけですから、今日においてもかなりの部分が適用されるのではないかと思います。そこで、「善に付け悪につけ法華経をすつるは地獄の業」との整合性をどのようにつけるべきかが問われるわけで、“たとえ日蓮の教えであってもこのようなものは断じて採用しない”と言いきる方もおられて、わたくしなどもひじょうに悩むわけです。
そういうわけで、教条的というのはわたくし自身にあてた意味が強いのですが、いずれにしても御書を拝するにあたっては、じぶんに都合のいい御文ばかりをあつめても仕方がない、ということを感じる今日この頃です。

1116五月雨:2003/12/07(日) 12:28
>>一体いつになったら、日蓮その人を考えるのだろう……
>とのことですが、じゅうぶんに考えているのではないでしょうか?

ほにょ、そうなの、考えていたの。そうは見えなかったなー。
あっ、もしかしたらガンコさんは、日蓮の御書の引用がそうだと思っているのでしょうか。
だけどね、引用は引用以外の意味をなさないと思います。

>大聖人を基準に仏教を考えようとなさっているのか、仏教を基準に大聖人のことを考えようとなさっているのか、それがよくわかりません。

日蓮は仏教を学んで、日蓮の教えというものを形成したはず。自ずから順序は分かりますよね。

>そこで開目抄の「善に付け悪につけ法華経をすつるは地獄の業なるべし。」を引用させていただいたわけですが、いわばこれが大聖人の終始一貫の御見解であられるのですから、動かないだろうとも申したわけです。

日蓮は法華経こそ正法だと思っていたんですよね、なぜこう考えるに至ったのでしょう。
これを考えることが、日蓮その人を語ることだと思うのです。
日蓮がその考えの基にしたもの、そこに考えが至らないと日蓮その人は見えてこないんでしょうね。

#脳内文章変換能力ですが、私は幼稚園児並みでございます。ここまでアホでございますと、
人の言葉を素直に受け取ることが出来ます。ガンコどのもあと一息かな(^^)

1117犀角独歩:2003/12/07(日) 13:00

ガンコさん:

実に適切な真跡の呈示にご精進を拝察いたしました。
この書『減劫御書』というのでしたね。「ああ、そうであった」と思った次第です。
わたしは『智慧亡国御書』と記憶しておりました。
もう少し前から引用されたほうが脈絡がわかると思います。

「法華経に云く_皆与実相不相違背〔皆実相と相違背せず〕等云云。天台之を承けて云く ̄一切世間治生産業皆与実相不相違背〔一切世間の治生産業は皆実相と相違背せず〕等云云。智者とは世間の法より外に仏法を行はず。世間の治世の法を能々心へて候を智者とは申すなり」[p1130]

諸法実相を智者は世間の法の外に行わない。世間の法とは治世についての心得であるという脈絡となっています。ですから、次文に「殷の代…」から実例を挙げていらっしゃるわけですね。
類似したところで『事理供養御書』があります。

「まことのみちは世間の事法にて候。金光明経には、_若深識世法即是仏法〔若し深く世法を識れば、即ち是れ仏法なり〕ととかれ、涅槃経には_一切世間外道経書皆是仏説非外道説〔一切世間の外道の経書は、皆是れ仏説にして外道の説に非ず〕と仰せられて候を、妙楽大師は法華経の第六の巻の_一切世間治生産業皆与実相不相違背〔一切世間の治生産業は皆実相と相違背せず〕の経文に、引き合わせて心をあらわされて候には、彼々の二経は深信の経々なれども、彼の経々はいまだ心あさくして法華経に及ばざれば、世間の法を仏法に依せてしらせて候。法華経はしからず。やがて世間の法が仏法の全体と釈せられて候。爾前の経々の心は、心より万法を生ず。譬へば心は大地のごとし、草木は万法のごとしと申す。法華経はしからず。心すなはち大地、大地則草木なり。爾前の経々の心は、心のすむは月のごとし、心のきよきは花のごとし。法華経はしからず。月こそ心よ、花こそ心よと申す法門なり。此れをもつてしろしめせ。白米は白米にはあらず。すなわち命なり。」[p1263]

これらの真跡遺文から、蓮師の法華経観が窺われますね。

1118アネモネ:2003/12/07(日) 13:26
私も、いい御書を提示されているなあと思いました。
「一切世間の治生産業は皆実相と相違背せず」は、私も現役法華講員の頃からとても好きな御文でしたが、ガンコさんの提示された御書の前文だったのですね。
私もあらためて、拝してみようと思います。

1119アネモネ:2003/12/07(日) 13:29
「爾前の経々の心は、心のすむは月のごとし、心のきよきは花のごとし。法華経はしからず。月こそ心よ、花こそ心よと申す法門なり。」
この御文もいいですね。これは掲示板に参加してから、知った御文ですが、今でも大好きです。

1120犀角独歩:2003/12/07(日) 14:30

アネモネさん:
愚鈍凡夫さん:

救世主思想ということについて、

昨日、神学者であるA先生に「ミトラ」「キリスト」「ギリシャ語聖書」について、お尋ねしました。
立ち話で、記録を取ったわけでないので、やや不正確な点があります。
この点は先にお詫び申し上げておきます。

「ミトラとは」とお尋ねすると「古代神秘主義のひとつです」と、まずこう説明されました。わたしはキリスト(救主)がこの変形であるとする岩本説を受け入れていたのですが、原始キリスト教の時点では、ミトラ信仰は、否定的にとらえられた異教の神秘主義とする記述が確認できるとのことでした。祖型は同一でありながら、原始キリスト教団成立の頃では既にまったく別の存在と認識されていたという意味と取れました。

「キリスト」については、ここで記された如く、やはり、「救い主」、つまり救世主としての意味を筆頭に挙げられていました。続いて、より原語から意味を説けば「救いの神」ということになるとのことでした。また、キリストと、カリスマは同一の祖型から生じた言葉であるとのことでした。これにはやや驚きました。

「新約聖書がギリシャ語で書かれた」と理由については、1050にLeoさんが記述くださったとおり、当時の共通語であったからということでした。アレキサンダー大王の功績のひとつに数えられるとのことでした。

しかしそうなると、新約聖書の成立は4世紀以降のことになるということになります。
偶然といえるかどうか。羅什が生きた時代でした。

ハーバード・神学を卒業した博士であるこの先生は12カ国語に通達した優秀な学者さんです。しかし、単に学問の世界に留まらず、カルト問題解決の先頭に立ってきた方でした。わたしがもっとも尊敬する方の一人です。

上述、あまりにも大雑把なご報告ですが、皆さんに保管していただければ有り難く思います。


この先生との話とは離れますが、ギリシャ語ということを聞くと直ちにわたしが思い出すのは『ミリンダ王の問い』(ミリンダ王問経)です。ギリシャ人の王・ミリンダとインド人の僧との対話で構成されるこの物語(経)は、東西文化交流、シンクレティズムを探る何かの鍵になるのではないのかとわたしは思っています。
既に、この点に興味をお持ちになってお調べになっている方がいらっしゃいます。その成果を開陳いただければ有り難く存じます。

1121犀角独歩:2003/12/07(日) 14:32

【1120の訂正】

誤)皆さんに保管していただければ
正)皆さんに補完していただければ

1122ガンコ:2003/12/07(日) 21:18

五月雨さん、どうもです。

どうやら、わたくしとはスタンスがちがうようですね。
失礼ながら、ずいぶんと学者チックに感じます。

御在世の四条殿・上野殿などは、大聖人の御書を素直に拝したであろう、わたくしも不遜ながら同じ立場で拝させていただきたいと思っております。

>ガンコどのもあと一息かな(^^)

うふふ、これって、ものすごく意味が深そうですね。

1123ガンコ:2003/12/07(日) 21:22

独歩さん、補足していただき、ありがとうございました。

この二書は、大石寺にあるんだそうですね。だからどうというわけじゃないですけど・・・


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