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素朴な疑問

1085三吉:2003/12/03(水) 07:58
<他宗教の人に、●●さんは菩薩だ、とか菩薩のようだというのは失礼だと思いますよ。>

ですね。だから不軽菩薩はみんなから「石を投げつれられた」わけです。
別に仏になりたいと思ってない人に向かい、「あなたは将来仏になる人です。なむぅ」とかなんとか言いましたから。迷惑な話です。
(ただ宗教的行為としてテレサを菩薩と祭っているわけではなく、掲示板で菩薩と賞賛しているのは、言葉はともかく意識としては聖者と賞賛しているのと同列である。靖国が親鸞を神として祭ったら念仏者デモすると思う。が、キリスト教徒が個人的発言として親鸞を聖者と言っても念仏者は喜ぶだけであろう。まず起こったりはしないと思う)
その意識にない人に向かって大乗が「仏・菩薩」と賞賛しうる教義的根拠は「自性清浄心」ですね。極端な立場になると「元々悟っているんだ」となる。浄土教系では「10劫安心」といって、法蔵菩薩が大昔に弥陀になったとき、あらゆるひとが同時に救われたという説になる。「元々救われているんだ」と。

<仏教は「覚る」「成仏する」以外の、救いのコースを用意していないんですよ。>

仏教に詳しい方に多い見解なのですが、どうしてこういう実証的ではない誤解が流布するのか不思議です。
これは「出家」はそうなのかもしれませんが、「在家」は違います。
「在家」の基本は「生天」です。釈尊は「出家成仏コース」と「在家生天コース」の2コースを用意した。伝承からは、出家優位主義は釈尊以来なのか、弟子からなのかは不明だが、「在家生天コース」は、次生において悟りを目指すのだよと解釈する立場もありうるが、生天という救いが釈尊以前から用意されており、とりあえず釈尊はそれに乗った。


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